ダイヤのQ   作:ゾネサー

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第四話

 稲実の先攻で試合は始められた。二軍ながらに新チーム結成後は十二勝二敗一分けと好調な成績。その原動力である打線を前にしても、楊は動じずに淡々と投げ込んできた。

 

(同じコース!? 舐めるな!)

 

「アウト!」

 

 それどころかたった二球で先頭打者を打ち取ってしまう。

 

「くそっ。少し外れてたか……」

 

(評判が高い相手だけに一番としてもう少し情報を引き出して欲しかったところだな……)

 

 大会が始まってからならいざ知らず、強豪ではない明川の詳細な情報はなかった。とはいえ球種は130km前半。上級生であれば打てないスピードではなかった。すると二番への初球だった。精密さを感じられない頭付近へのストレートにバッターは思わず大きくのけ反った。

 

「……ボールを」

 

(あ、謝るぐらいしろよ!)

 

(今の軌道……際どいが避けずとも当たらなかった。だが避けるなというのは無理な話。硬球の恐怖がある限り……)

 

「ストライク!」

 

(アウトコースギリギリ……!)

 

(先輩だって外は頭にあった。だがあそこまで植え付けられたら、身体が反応しない……)

 

 結局意識から抜け出せず、真ん中寄りに来た低めの外し球にまんまと釣られてしまう。

 

(この程度か……)

 

「くっ!」

 

 三番にはベースをなめるようなカーブから入ったものの、その後はストレートの連投により追い込んだバッターに有利なカウントから際どいボールを打たせ、野手の正面へのライナーを打たせていた。強豪相手に緊張も見られていた野手陣だったが、堂々のピッチングを見せた楊に引っ張られるように声が出始めていく。

 

「てゆっか自然体で動けてていいですよ! 攻撃もその調子で行きましょう!」

 

「はい!」

 

(……良くない流れだな。立ち上がりに注意しないと、一気に流れを持って行かれてしまう)

 

「ニノー! 出ろよー! 舜に先制点プレゼントするぞ!」

 

「おお!」

 

 攻守交代。三者凡退の勢いをそのままに前向きに挑戦する姿勢を見せる彼らを横目に、神巫が出したサインは真ん中低めに入れるストレートだった。

 

(引っ張られる必要はありません。平野さんのボールの方が力があります。今は難しいボールよりストライクを先行させていきましょう。……相手が振ってくるとも限りませんしね)

 

 楊より速い平野に対してもバットを短く持たないバッターに対して、リズムを重視した要求だった。しかし……

 

「ボール!」

 

(少し低く外れたか。今は際どいボールはいらない……)

 

「楽に!」

 

(振る気配は全くなかった。ボール先行なら絞って狙われることもあるが、積極性を感じないなら……もう一球。甘くても構いません。……!?)

 

 すると続くボールはワンバウンドしてしまった。しかもコースも外に逸れてしまい、神巫もこれはやむを得ずプロテクターに当てて前に落とした。

 

「わ、悪い!」

 

(ブルペンと違って腕の振りが鈍すぎる……! なんだ? 相手のピッチングを意識しすぎてるのか……いや……それだけじゃない!)

 

 明らかに様子がおかしい平野。神巫はその原因の一端に思い至った。

 

(真意は分からないが……確かに監督が来たのは一軍への選抜の意味合いも兼ねているだろう。平野さんは矢部さんほど昇格が確定じゃない。さっきの会話がプレッシャーになったか? だけど平野さんには抜いて投げるような変化球はない。どうするか……)

 

 タイムを取って落ち着かせる選択もあったが、いきなりあたふたとタイムを取るのはかえってリズムが崩れる恐れもあった。すると神巫は腕を振るような動作を見せてから左膝を地面につけ、ミットをいつもより大きく開いた。

 

「なんだあのキャッチャー? いきなり構えを変えたぞ」

 

「的を大きく見せようとしてるのは分かるけど……」

 

「ミット側の可動範囲を広げたんだ」

 

「つまり……?」

 

「どんなボールも捕ってみせると鼓舞しているのだろう……」

 

(……神巫。分かった。まずは腕を振り切って……お前のミットだけを狙う!)

 

「いけ! ニノ!」

 

 ——キィン。芯を捉えた心地良い金属音と共に放たれた打球は平野の頭上を越えていくと、綺麗にセンター前に落ちた。

 

「う……」

 

「オッケーです! 今の感じでいきましょう!」

 

「……! 分かった!」

 

(平野さんの球速は130キロ後半。力だけで押し切れるほどじゃない。だが今の状況ではこれでいいんだ!)

 

 盗塁などが考えられる状況になったことで左膝を元に戻す。すると続く二番も左に入ったところで、バントの構えを取ってきた。

 

(わざわざ投げ急ぐことはありません。牽制を入れて……)

 

「セーフ!」

 

(送りバントならさせて落ち着きましょう。シフトもいりません。ただコントロールの乱れは相手にも筒抜け。ここは真っ直ぐを入れにいくのは危険、かつコントロールの難しいボールも投げづらい……なら!)

 

(よし! 真ん中低めの真っ直ぐ!)

 

 バッターは構えを解いて甘いコースに絞ってバットを振り出してきた。しかしバットの先に当たった打球はファースト正面への弱いゴロになる。

 

(シュートかよ! 打たされた……!)

 

(ゲッツーいけるか……!)

 

(タイミングが際どすぎる。初回から狙うプレーじゃない!)

 

「一塁に!」

 

「アウト!」

 

 結果としてランナーには進塁されたものの、確実にバッターランナーをアウトにすることに成功する。

 

「平野さんナイスカバー! この調子で一つずつ重ねていきましょう!」

 

「へえ……先輩相手でも意外に献身的なんだな。俺には噛み付くのに」

 

「鳴さん!? どうしてここに……」

 

 ワンアウトランナー二塁となったところでアイシングを付けた成宮がやってきた。

 

「さっき一軍の試合が終わったからね。肩を休めがてら見にきたんだ。いいでしょ監督?」

 

「……好きにしろ」

 

 三番バッターもまた左。コントロールがまだ荒れ気味な中、向かう軌道になる決め球のスライダーは使わなかった。コースは狙わず、ストレートの高さだけを絞って低く集めたストレートの連投で勝負に出る。すると鋭い当たりながらセカンドがゴロを収め、ツーアウトランナー三塁へと変わる。そしてこの試合四番に入った楊が右打席に入った。

 

「あえて同じコースを続けて、ピッチャーの力みを取ったか。投手が無能だとキャッチャーは大変だな」

 

「……ふふっ、別に? こんなんで大変だったら、キャッチャーも楽でいいんですけどね」

 

(口が減らない一年だ……)

 

(さて、少しは落ち着いてきましたよね)

 

(そこは……や、やってみるよ)

 

「……!」

 

 その初球はインハイ、それも大きく外れたボール球だった。

 

「あ、あいつら……ピッチャー相手にあんな球を!」

 

「狙ったのか!」

 

(狙ったに決まっている。頭ではなく、このコースを。荒れていることを逆手に取るつもりか? 無駄だ……この精度では見せ球にはならない)

 

 そうしておいて同じようにアウトコースへと投じられたボールに……楊は大きく踏み込んだ。

 

(外も攻めきれていない。もらった! ……!?)

 

 すると外へと投じたボールが中に入るように曲がってきた。引っ掛けた鈍い当たりが三塁線へと転がる。

 

「……ファール!」

 

「ちいっ! 間に合わんかったわ!」

 

「その意気ですよ!」

 

「おう! 平野もやで!」

 

「お、おお!」

 

 重戦車のように突撃する矢部だったが、惜しくもファールラインを越えてしまった。しかしようやく野手の声量も上がってきていた。

 

(シュートだと……外から真ん中に入る甘い軌道。セオリーには反するリードだが……このキャッチャー、やってくれる)

 

(ちぇ。引っ掛けるなら引っ掛けてくれよな)

 

 続くアウトコースへのストレートに楊は振り遅れて空振ってしまった。

 

(迷えばこのボールの力に押し切られるわけか……有趣(おもしろい)!)

 

(……! 真ん中低めから曲げるスライダーか)

 

(このコースへの真っ直ぐを多く見せてますし、シュートの意識も残ってます。下手にボールにして慣れさせず、仕留めましょう!)

 

 ここで要求された決め球に平野は自信を持って頷くと、呼吸を整えてから右腕を振り切った。すると神巫は目を見開いた。楊が……バントに切り替えてきたのだ。

 

(スリーバント!?)

 

(タイミングが遅い……こっちか!)

 

 スイングしないバントに切り替えたことで変化についていった楊は押し出すようにして転がした。打球はセカンドへと向かっていく。

 

(プッシュか! けどこの強さなら間に合う……!?)

 

(ま、間に合え……!)

 

 ここで神巫は初めて気付いた。強打警戒とはいえ他の上級生と違ってセカンドの江崎のポジションが必要以上に下がっていた。先程の三番の打球と、楊のスイングの鋭さから無意識に引き過ぎてしまったのだ。

 

「……セーフ!」

 

「ナイバン!」

 

「舜! やったな!」

 

(……しまった。平野さんの調子に気がいって見落とした……)

 

「まだまだ青いね〜。一年坊」

 

「め、鳴さん!」

 

「ま、一年だけの責任じゃないけどね」

 

 初回だが二軍のキャプテンマークをつけている矢部が守備のタイムを申請した。顔を青くする江崎だったが、周りも内野間の声掛けが不足していたことを反省していた。だが平野の不調が生み出した結果だけにこちらも責任を感じ出し、あまり良いムードではなかった。

 

「後にしましょう。今押さえるのは気をつけるべきことだけで」

 

「神巫……」

 

「気休めで言ってるわけじゃないですよ。タイムが終われば試合は待ってくれないんです。過去は過去……それでも切り替えられないなら俺のリードのせいにでもして下さい」

 

「ははっ……それはさすがにできないけど、目が覚めたよ。これまでより……これからだよな」

 

「少しは調子が戻ってきましたね。頼みましたよ。なんといっても平野さんはエースなんですから」

 

(二軍のエースか……そうだよな。一軍のことなんて、今向き合うことじゃない)

 

 神巫も自身の見落としに後悔はあったが、引っ張らなかった。向き合うべき今に意識を向けると、チームメイトも同調するように頷いていた。

 

「…………」

 

 監督がベンチから静かに見守る中、プレーが再開された。

 

「……!?」

 

「……セーフ!」

 

 するとその初球だった。真ん中高めにストレートが外れると、左バッターの背中を通して素早く一塁へ送球が放たれた。ファーストの動きに気付いた楊は辛うじてベースに戻る。

 

(ピックオフプレー……! 二軍がこんな組織的なプレーをしてくるのか)

 

 走者の虚を突いてアウトを狙うプレーだけに、連携が必要とされるものだったが、実戦的な練習の積み重ねによってスムーズに実現していた。楊はそんなプレーをしてきたことに衝撃を覚えると共に、動揺の隙を突いて走ろうとしたところを文字通り牽制されてしまった。

 

「ストライク! バッターアウト!」

 

「よしっ……!」

 

 ボールゾーンまで逃げていくスライダーにバットは空を切った。ストレートで追い込み、スライダーで仕留める。彼の基本とも言えるスタイルで初の三振を成立させ、追撃を断ち切ったのだった。

 

(もっと崩れると思ったが……たとえ二軍でもやはり、稲実というわけか。だからこそ先制点を上げられたのは大きかった)

 

「しゃあ! 来いやあ!」

 

(外し球は簡単には振らん。やが得意コースに入ってきたら打ち返したる!)

 

 点を与えなければ勝てるという状況は追われる側にとってはプレッシャーになるものだった。しかし明川は好投手の楊を中心とした先行逃げ切り型のチーム。たとえ強豪相手でもその戦い方には強い自信があった。

 

(このバッターは内に強い典型的なプルヒッター……ならば初球の入りは決まっている!)

 

(膝下やと! これは打つ!)

 

 すると四隅ギリギリを狙ったストレートが鋭く弾き返されると、サードが伸ばしたミットの先を抜け、三塁線……ほんの僅かに逸れてファールとなった。

 

「ちいっ!」

 

「惜しい惜しい! ナイススイング!」

 

(今のはフェアになってもおかしくなかった。矢部さんらしい本当のナイススイングだ。内のゾーンを狙って投げたのか……ほんの少しのコントロールミスで長打だった。コントロールに自信があるピッチャーは山ほどいる。だがそのコントロールと心中できるピッチャーがどれほどいることか……)

 

 そして二球目。キャッチャーが内にズレるとボール一個分ほど外すようなストレートだった。その要求通りに来たボールに球審が目を見開く中、矢部はバットの振り出しを止めていた。

 

(内のボール球を簡単に振らされるから二軍止まりだったんじゃ! しっかりゾーンに入ったボールを仕留めたる!)

 

 続く三球目は先程より中に入ってくる。一球目とほぼ同じ軌道に、矢部は錯覚させられてしまった。高さも同じだと……。芯を捉えるつもりで振り出されたバットは芯より上を捉え、大きく三塁線を逸れていった。

 

(今のボールを振らせた時点でこちらのものだ。あとはどう料理するか……)

 

(くそっ! 反省は後や! 空振るようなボールじゃあらへん! ここまで内に集めてきた以上……)

 

 執拗なインコース攻めにあった矢部が課題の外を意識するのは無理からぬことだった。そんな彼を嘲笑うかのように最後のボールもインコース低め。完全に意表を突かれた矢部だったが、本能で感じたままにバットを振り出した。しかしストレートの幻影から離れるようにボールは落ちていった。

 

「ストライク! バッターアウト!」

 

(ここでフォークやと……!?)

 

(インコースが得意な矢部さんに四球連続膝下かよ……! 評判以上のピッチャーだな。こりゃ骨が折れるぞ……)

 

 ミットに直接収まる曲がりの小さいフォークだったがバットに掠らせず。反撃に打って出たい稲実に対して、あえて楊は初めての三振を狙ってきた。それも四番バッター相手に。

 

(これで一気に試合のペースを持ち込む。……!)

 

 だがここで矢部に四番を奪われている最上級生が意地を見せた。スイングを崩される前に早打ちを敢行し、ライト前にぽとりと落ちる初ヒットを放つ。するとここまで自主性に任せてきた国友がサインを出した。

 

「送りバント!? ワンアウトから……?」

 

 これを一球で決め、ツーアウトランナー二塁。下位打線に回るところでの堅実な一手に、見守る外野が弱気になったのかとざわつき始める。

 

(いいんだこれで。先制されたからといって慌てて強攻策を取ることはない。試合は序盤も序盤……まずは一点を返すことだ)

 

 そして打順は七番の神巫へと回ってくる。するとざわつきは盛り上がりに変わった。

 

「おお、そうか! 神巫か!」

 

「得点圏打率ジャスト五割! 二回に一回はチャンスをモノにする男! ここも頼むぞ!」

 

(フン……ここで凡退すれば二回に一回もチャンスをモノにできないわけだ)

 

(二軍での少ないデータでの話なんだけどな。このピッチャーを一打席で攻略しようとしちゃダメだ。球数を稼ぎつつ、俺も出れたらベスト……。まず初球は出方を伺おう)

 

 そんな彼への初球は顔付近へのストレート。しかし見送りに徹していた神巫は顔を引くだけに留めた。

 

(待球で自滅するピッチャーじゃないだろう……。追い込まれるまではコースを絞って、そこ以外には手を出さないのがいい。ならここは素直に対角線のアウトローへの真っ直ぐ……。……!)

 

 すると楊が首を横に振って自らがサインを出していた。

 

(まだ配球の傾向は読めていない……深読みはしない。コントロールの良いピッチャーだけに、バッターから一番遠いアウトローを多用してくるはず……!)

 

 自身の考えを信じて神巫は踏み込んだ。するとボールは再び彼に向かって放たれていた。

 

「うおっ!」

 

(ボール二つ先行させてまで……!)

 

 腰を引かないで打てるようしっかり踏み込んで打てる体勢を作っただけに、今度は思わずのけ反って躱してしまった。

 

「ファール!」

 

 今度は狙い球のアウトローのストレート。意識に逆らうようにバットが振り出されたものの、ファールチップがそのままキャッチャーミットに収まった。

 

(コースギリギリ……。今更コントロールに驚きはしない。それでもどんなピッチャーであれ失投がゼロってことはあり得ない。プレッシャーをかけ続けるんだ! ……!)

 

 するとまた楊が首を振ってからサインを出していた。

 

(もしかしてキャッチャーは基本パターンのサイン出してるだけで、組み立てはピッチャーがやってるのか? そういえば矢部さんの打席もサイン出しが多かった。……! う……)

 

 四球目はカーブがインコース低めへと入ってきた。コースもタイミングも外された神巫は無理をせずに見送る。際どく収まったボールだったが、力強くストライクが宣告された。

 

(不利なカウントから変化球を中に入る軌道でギリギリに……。よしんば打つ気があっても、こんだけ外狙いだったら打ってもファールにしかならねえ。楊さんはそれが分かっていた。追い込まれた以上、一点にはもう絞れない)

 

 五球目はアウトハイへの真っ直ぐ。バットの先に掠った打球は低い弾道でバックネットに突き刺さった。

 

(インハイ、インハイ、アウトロー、インロー、アウトハイ。効果的に広く使った配球……。こんな精度で続けられたらいくらうちの打線だってやばい。だが明川に同レベルの二人目がいるとは思えない。幸い曲がりの大きい変化球はない。真っ直ぐも大振りしなければついてはいける! 引き付けて、くさいコースはとにかくカットだ……!)

 

(真後ろに飛ぶファールはタイミングが合っている証拠だ。一年だけにストレートにもっと振り遅れると思ったが……容易くは終わらないようだ。ならば……)

 

(アウトコース低め……! いや、外れてる!)

 

「ボール!」

 

 楊がサインを出して投げたのはアウトコース低めの真っ直ぐ。ミットは動かなかったが、そのボールは一つ分外に外れていた。辛うじてバットを止められた神巫は息を整えながらバットを構え直す。その目は楊の表情に向いていた。

 

(ゾーンへのボールと違って、外し球はアバウトになりやすい。だがコースをきっちり外しつつも、高さは低めギリギリだった。一球一球に、ここまで集中力を込められるものなのか……)

 

 キャッチャーとしての性か、神巫はピッチャーの表情をたとえ相手であってもよく見ていた。事情こそ分からないものの練習試合だというのに切羽詰まった表情をする彼を見て、公式戦のような身が引き締まる思いを抱いていた。そしてカウント三ボール二ストライクから……ラストボールが投じられた。

 

(もう一球アウトロー……! 今度は入って……!?)

 

 先程より内に構えられたミットに突き進んでいくストレートを見て、神巫はバットを振り出した。しかし自身の身体より前に出そうになるところを踏ん張り、全身に力を込めて辛うじて止めていた。

 

(よし! 矢部さんに振らせたような低めの外し球! さっきのボールの高さを感じていて良かった……おかげで身体が反応してくれた!)

 

 すぐさま確認した神巫は感じた通り低い捕球位置を見て、安堵に包まれた。そして一塁へと歩き出そうとした、瞬間だった。

 

「ストライク! バッターアウト!」

 

「なっ……!?」

 

 スイングを取られたわけではなかった。今のはストライクゾーンを通ったと球審が宣告し、三つ目のアウトが取られたのだ。

 

(フレーミングか……いや! ミットはむしろ下がってるくらいだ。それでも審判はストライクと判断した。……味方につけたのか。この短いイニングで……!)

 

 キャッチャーの構えたコースに正確に投げ続けることで、彼はそのコントロールを球審に信頼させることに成功していた。そしてそれこそが精密機械と呼ばれる所以でもあった。

 

「よっしゃ舜! ナイスピッチ! 心配することなかったな!」

 

「振ると思ったがな……」

 

「えっ」

 

「油断はするな。まだ序盤……何が起こるか分からない」

 

 あくまで山場を一つ越えただけと明川が気を引き締める中、攻守の要がどちらも三振で倒れた稲実の士気はどうしても下がっていた。

 

「三年生が作ったチャンスを無駄にしたのはまずかったね〜。その辺どう?」

 

 そんな空気を全く読まず、マイペースに成宮が語りかけてきた。すると監督が凍りつくような眼差しを向ける前に、神巫は防具をつけながら普通に返していた。

 

「無駄にはしませんよ」

 

「へえ? それはまたどういう?」

 

「次があるってことです」

 

「負け惜しみじゃん!」

 

「一本も打たせない、全打席打ってみせる。そんな理想は滅多に実現しませんからね。だから打たれた打席も、打てなかった打席もそれだけでは完結させたくないんです。……分かりますよね。鳴さんでも完全試合なんて早々できないんですから」

 

「ノーノーならそこそこやったことあるけどね! ま……分かるけどさ。なら、負けないでよ。みんなもさ! 俺なら勝つことしか考えないけどね」

 

「……!」

 

 得意げに成宮が告げると各々が上から目線な言い草に言い返すようにして守備へと出ていった。その顔はもう下を向いていなかった。

 

(……やはり鳴さんにはチームを引っ張る力があるな。しかもただの激励じゃない。本気で、負けることなんて考えてないんだ。王者としての実力、そして自信。それを積み上げてきたんだ。俺も積み上げてみせる。そして……)

 

 防具をつけ終えた神巫は結局後ろを振り向くことをせずにグラウンドへと出ていった。

 

(そんなアンタを引っ張るキャッチャーになってやる!)

 

「さあ! しまっていきましょう!」

 

 その目は遠くに続く道があると確信しているかのように前だけを見つめていた。

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