ほんの少しだけ吐いたつもりの溜息は、向かいでコーヒーを嗜んでいたチャンピオンに呆気なく見破られた。
「なんだい坊や。辛気臭いね。幸せが逃げちまうよ」
その言い様にワタルが苦笑する。
世界広しといえど、四天王の一角を担う男を坊や呼ばわりできるのは、彼女と里の長くらいのものだ。
「いいえ、滅相もありませんよキクコさん」
「ふん。どうだかね」
キクコは慣れた手つきで煙草に火をつけ、紫煙をくゆらせながら顎をしゃくった。
「聞いてるよ。妙なポケモンを何体か預かってるんだって? 似合わない溜息はそのせいかい?」
ワタルの顔から笑みが消えた。
後輩のアシタバがハナダの洞窟に入ったっきり行方が知れなくなったのはつい2日前のことだ。
事件の経緯はあらましニュースになっているが、そこでアシタバのポケモンを保護したことは誰にも話していない。
なのに彼女は知っている。
「……相変わらず耳がお早いですね」
多少の皮肉と警戒を込めて言えば、キクコは「はん」と鼻を鳴らした。
「年寄りを甘くみるんじゃないよ。
あたしゃね、あんたの3倍は生きてんのさ。
どんなナイショ話も筒抜けだよ」
調子を合わせるように、彼女の影から躍り出たゴーストがくすくす笑った。
《
彼らにとって壁や扉などただの飾りでしかない。
なるほどこれでは確かに
ワタルは苦虫を噛み潰したような顔で両手を挙げた。降参のポーズである。
年齢も経験も遥か格上が相手では、腹芸など企てるだけ
「──例のハナダの事件で、少々厄介なことになっていましてね」
言いつつ、目の前のテーブルにボールを置いた。
キクコの瞼がぴくりと跳ねる。
既製品ではありえない、翠に塗られたデザインは、ジョウトのボール職人・ガンテツだけが造れる特別なもの。彼はこれをフレンドボールと名付けていた。
「……ガンテツボールとは生意気だね」
キクコはひょいと持ち上げ、色々な角度から眺め回した。
「ん? こりゃ贋作かい?
あちこちデコボコしてるし塗りも粗い」
「お粗末なのは大目に見てやってください。
何しろガンテツさんの孫が造ったものなので」
「なんだって!?」
キクコは目を剥いて叫んだ。
ワタルは内心ほくそ笑む。
そう、こればかりは知らないはずだ。
なにしろオーキド博士も自分も、アシタバの素性をマスコミに話していないのだから。
「まだありますよ」
ワタルは次から次へと、アシタバが丹精こめて造ったボールたちを並べた。
あっという間にテーブル中が鮮やかな色彩で埋め尽くされる。
しばし呆然としていたキクコだったが、さすが年の功、すぐに気を取り直し、目を眇めた。
「どんどん上手くなってるね」
「ええ」
最初期に造ったらしいフレンドボールに比べると、他のボールはみな出来がいい。
それこそガンテツの作品と遜色ないレベルだ。
間違いなく、後継ぎとして相応しい能力の持ち主と言える。
だが話の筋はそこにない。
キクコは無言で、ワタルに続きを促した。
「……これらのボールは全て、事件現場に残されていたものです。
野生を追い散らし、ロケット団の捕縛と並行してポケモンたちをボールに戻してみましたが、4つほど該当するポケモンがいないボールがありました」
「
「アシタバ──行方不明の青年で間違いないかと」
「……まだ見つかってないんだったね?」
「はい。警察が百人体制で捜索に当たっておりますが、まだ見つかっておりません」
「ふむ……」
キクコは己の顎を指で叩いた。
考え事をする時の彼女の癖である。
「4体だけ連れて逃げたか、ロケット団に連れ去られたか。或いは……」
キクコの目がゴーストを見やった。
冥界の住民である彼らは、時に、人間の迷える魂をあの世に導くことがある。
幽霊同士には文字通り
ゴーストは無言で首を振った。
ここ数日、該当する人物を送った者はいないという証だ。
「……死んだわけじゃない、と。
すると消えちまったってわけかい。煙みたいに」
キクコがゆらめく紫煙をつまらなそうな表情で見送る。ただの人間にそんなことが出来るわけがないと決めてかかっている様子に、ワタルはぐっと身を乗り出した。
「それがそうとも言いきれないようで」
懐から一葉の写真を取り出す。
そこには、不鮮明ではあるけれど、グレンタウンにある寂れた建物──ポケモン屋敷が写しだされていた。
「ロケット団が、ここで人工ポケモンを研究していたことはご存知ですか」
今度はキクコが真顔になる番だった。
煙草を灰皿に押し付け、獰猛な笑みを覗かせる。
幽霊を愛し、共に生きる彼女にとって、命を弄ぶ連中は等しく忌まわしき悪党だ。
「それと、アシタバって子と、このボールたち。
みんな繋がるってのかい?」
「ええ」
ワタルは小動もせず断言した。
次いで、ギラギラと目に痛い派手なボールを掴む。
「ここから先は彼に説明してもらいましょう。
……頼む、フーゴ」
ボールの中から現れたポケモンを、キクコは瞬きも忘れて凝視した。
遠きパルデアでのみその存在が確認されている金貨の幽霊。
『……ハァイ。フーゴだヨ』
サーフゴーは萎れた笑顔で片手を振った。
○○○
サーフゴーの話は初めから終わりまで荒唐無稽の連続だった。
伝説の鳥、ルギアの雛を拾ったこと。
世界中を旅するうちに、“呪い”を受けて不死身になってしまったこと。
挙句の果てにはロケット団によって生み出されたポケモン・ミュウツーとやらを入手したうえ、異世界に消えてしまったと聞いた時には、キクコは最早言葉もなかった。
なにより信じられなかったのは、サーフゴーに嘘をついている様子が少しもなかったことである。
キクコは嘘を見抜く。
幼い頃から、そういう勘がずば抜けて高かった。
幽霊たちと話す力を身につけてからはますます勘が冴え渡り、初対面であってもあらゆる欺瞞や偽りを看破できるようになった。
それが、今回は一向に働かない。
つまりサーフゴーは、一切の誇張もでまかせもなき、完璧な真実を話しているのだ。
「……頭が痛いね」
こんな話、どうやって信じさせればいい?
何処とも知れぬ世界へ飛んだとどうして話せる?
「そもそも異世界ってのは根拠があるのかい?
他の地方に飛んだのかもしれないじゃないか」
話によると、ルギアだかミュウツーだかが開いた穴からは海が見えていたという。
海などこのカントーでだっていくらもでも観れる。
異世界だなんだ、オカルトめいた結論に飛びつく前に、海岸に絞って捜索するのが妥当では?
キクコの最もな疑問には、また別のポケモンが答えた。
『ボクがこの世界をくまなく調べたのに見つからなかったからさ』
「っ!?」
ワタルがソファから飛び退き、ボールを構えた。
いつからそこに居たのか、黄色い頭をした糸目のポケモンがふわふわと浮かんでいるではないか。
「……やれやれ。今日だけで何度驚かされるんだろうね。ユクシーのお出ましとは恐れ入ったよ」
「ユクシー……シンオウ神話の、ですか」
ユクシーはワタルに視線を向け、にこりと微笑んだ。
『そのユクシーだよ。最も、君たちの知っている伝承は多少の誤解があるけれど』
キクコが強引に話を戻す。
「それで? 見つからなかったって?」
『そう。ボクは世界中に分身を飛ばしているんだけれどね。どれだけ手を尽くしてみても影も形も見当たらないんだ。こうなるともう、別の時間軸に飛んだか、まるっきり別の世界に行ったのでもないと説明がつかないんだよ』
「別の時間軸……」
キクコとワタルはほとんど同時に、時間を司るポケモン・ディアルガの伝説を思い浮かべていた。
ルギアはディアルガと同じく伝説と並び称されるポケモンである。
時空をねじ曲げることが、不可能とは言いきれまい。
キクコは乾いた笑みを漏らした。
なるほど、こんな話を聞いては溜息のひとつもつきたくなろう。
ワタルがすかさず言った。
「ここまで聞いたからには貴女も一枚噛んでもらいますよ。聞かなかったことにするなんて許しませんからね」
「舐めんじゃないよ小僧」
キクコはどかっと背もたれに身を預けた。
次いでサーフゴーに目を留める。
この2日間、主の身を案じ続けたのだろう。金貨で構成された顔は、どことなく精彩を欠いている。
ポケモントレーナーならば誰しもそうであるように、傷つき悲しむポケモンなどあまり見たいものじゃない。
なんとかしてやりたかった。
新たな煙草に火をつけながら、カントー最強の女は命じた。
「事のついでだ。カンナとシバも巻き込んじまいな。こんな
ワタルはその言葉を待ってましたと言わんばかりにポケギアを開いた。
番外編その2。
ワタルとキクコ大好き。
いきなし巻き込まれるカンナちゃんたちカワイソス。
でも優秀だからね。仕方ないね。
そろそろよその地方の有力者たちもカントーに着き始める頃かな。
ワタルくん後輩の人脈に横転しそう。
次は本編進めます。
よければ感想高評価おなしゃ!