第18話 始めの一歩。
陸地を見ながら航海できたのは最初の二時間だけ、後はずっと、空と海ばかりの無限の航路を進み続けた。
海図を持っているわけでも、目印があるわけでもない。俺たちを乗せたクソデカコイキングが迷っていないことを祈るのみである。
最初は不安で堪らなかったが、ヒスイの島影が完全に消え去るとむしろ肚が据わった。
俎上の魚じゃあるまいし、じたばたしたって仕方がない。
ヌシを信じて身を任せようという気持ちになったのである。
それから丸1日ヌシの背中に乗り続けた。
当然だが、食事も睡眠もヌシの上で摂らざるを得ない。
もう夏のかかりだというのに、海上の空気は冷え冷えとしていた。
うとうとしかけたと思ったら首を撫でる潮風の冷たさに驚いて目を覚ます。
その繰り返しで、結局ろくに眠れなかった。
翌日、朝靄のなかで寝不足の重たい頭をぐらつかせていると、不意にミュウツーがこんなことを言いだした。
「……風の匂いが変わったな」
「え? そうか?」
鼻をひくつかせてみたが俺には感じとれなかった。
しかし尾びれに近いところに腰を据えているバサギリが同調した。
「生ぬるくなったな。ヒスイの海域を抜け、シントの風域に入ったのだろうて」
「……シント」
バサギリの言葉を聞いた瞬間、俺はガキの頃に受けた歴史の授業の記憶が甦った。
シントというのはジョウト地方の旧名である。
ここはおよそ300年前の世界だから、ジョウトという名前に変わって50年ほどしか経っていないはずだ。
つまりこれから向かうジョウト地方には、新旧両方の地名の上に暮らした人がまだ生きているわけで。
それを思うと、歴史学徒としての血が疼いた。
(まあ俺が学んでるのは教授から押しつけられた古代神話と化石に携われる古生物学で、近代史は専門外だけど、やっぱ昔のものに触れるってのはワクワクするよな)
ましてやタイムスリップして現地人と交流するなんて、アカデミーの奴らに話したら発狂するほど羨ましがられる話だ。
「あー、早く着かねえかな」
緩む口許を抑えながら、俺は遥か彼方の水平線を見晴かした。
○○○
「同感だよ。早く着いてほしいものだな」
アシタバの瞳から入ってくる外の世界は青一色に彩られている。
今のところ、概ね計画通りだった。
順調と言ってよかろう。
バサギリが同行することも予想の範疇であり、
予想外の要素を強いてあげるなら
ヒスイに飛んで間もない頃から
手下を動員すればもっとアシタバの行動半径を制限できただろうにそれをしなかったのは、迂闊に手を出せば喰われると悟っていたからだろう。
彼我の力量差をよく捉えている。
背中をばっさりと斬られた時は、手際の良さに感動すら覚えた。
アシタバの意識が鮮明なときは、強制的に認知領域の
つまり、人間が見える範囲しか見えず、聞こえるものしか聞こえないわけだ。人知を超えた素早さや隠密性で迫られると、全くもって認識できないのである。
よもやそこまで分かっていたわけではなかろうが、あれは会心の一撃だった。
しかもそのたった一度の攻撃で、アシタバを害する危険性をも見抜いた。
慧眼の持ち主だ。
それにひきかえランドロスたちはダメだ。
てんでダメだ。
奴らも神のはしくれだろうに詰めが甘い。
ホウオウの炎で浄化だと?
肝心の神鳥がどうなっているか、まず調べるべきだろうが。
ギラティナは笑みを堪えきれず、小さく噴き出した。
人間を依代にすると決めた時、真っ先に懸念したのがホウオウの炎だった。
あれの技・聖なる炎は、邪悪なるものを滅する。
命を奪うのではなく、世界の理に仇なすものだけを焼き払う特別な火焔。
実体へのダメージは瑣末なものだろうが、器のほうが耐えきれないのだ。
ヒトは脆い。
アシタバを乗っ取り始めた当初、あまりの傷つきやすさに面食らったものである。
よくもまあこんな弱い肉体でポケモンと共存できるものだと、ニンゲンたちの度胸には呆れるほかない。
ホウエンの嵐の海に木っ端のような船で乗り出したときは、正気を疑った。
相棒のカブトプスを助けるためとかなんとか宣っていたが、ルギアが居なければ海の藻屑になっていたところだ。
あの頃はまだ死に急ぐ暗示をかけていなかったことを鑑みると、無鉄砲という言葉では足りない愚かしさである。
……はて?
では、死の暗示を掛けたのはいつだったか。
放っといても勝手に死んでくれそうな若僧が面白くて、つい興が乗ったのは……
つらつら物思いに耽っていると、闇の奥から声がした。
「ただいま参上仕りました、我が君」
「来たか」
冥王が見下ろすと、そこには2体のポケモンが控えていた。
一方は闇に紛れる漆黒の羽毛に身を包み、もう一方は小さく朧な影だけが揺らめいている。
冥王の腹心たちであった。
「アシタバがそろそろジョウトに着く頃合だ。
お前たちには奴の監視と抹殺を命ずる」
「承知いたしました」
「…………」
羽毛の方が頭を垂れる。
小柄な方は無言で拳を握った。
冥王復活はゴーストたちの悲願だ。
その策謀の一部に携われる悦びが、ふたりの士気を著しく高めていた。
冥王が言う。
「妨害が入るだろう。ミュウツーとバサギリ、それからテッポウオだが、まあ最後のは無視していい。
あれしきの弾は貴様らに当たるまいよ」
「有り難きお言葉……」
「…………!」
羽毛は歓喜に声を震わせ、朧な影は闘気を溢れさせた。頭部が緑色の熱を帯びる。
「一応モモワロウにも命令は下すが、奴はアシタバに情を覚えている。戦力には数えるな。
邪魔なようなら消して構わん」
「畏まりました。このジュナイパーめが必ずやアシタバを殺してご覧にいれましょう」
「違う……それ……マシャが……やる…………!」
マーシャドーがジュナイパーに拳を突きつける。
ジュナイパーは片笑んで、するりと闇に溶けた。
マーシャドーもすぐさま後を追う。
冥王は鼻歌まじりに、やぶれた世界を悠々と泳ぎ回った。
○○○
太陽が中天から西へ落ち始めたころ。
俺たちは、恋焦がれた陸地を発見した。
すぐに上陸したいのは山々だったが、ヌシコイキングはデカすぎる上に金ピカすぎるので、適当なところには接岸できない。こんなもんが現れた日にゃ、目撃者の腰が抜けてしまう。
だもんで、わざわざ夜を待って近づくことにした。
上陸場所はテッポウオのテツが探してきてくれた。航海中ずっとヌシの腹にへばりついていたおかげで体力が有り余っているらしい。凄い速度で消えたと思ったら、大して待つこともなく戻ってきた。
「おあつらえ向きの場所がありましたぜぃ!
人っ子一人いねえうえに、ヌシさんものびのび泳げるようなでっかい湖があったんでさ!」
そりゃほんとにお誂え向きだ。
俺たちは早速、だけど波立てないよう静かに、大きな川を遡った。
「どーです、この広さ! たまんねぇでがしょ!」
テッポウオがびちびちと跳ねる横で、俺は湖の周囲をじっくりと眺め回した。
「……うん。やっぱここ、《怒りの湖》だ」
話に聞いた時からそうじゃないかとは思っていた。
そもそも、ジョウトに8メートル級のコイキングが泳げるような場所なんてここしかない。
ということは、すぐ近くにチョウジタウンがあるはずだ。この時代でもその町名だろうか?
「この時代は湖と海を繋ぐ川があったんだな」
300年後にはそんな川なんて跡形もない。
地震でもあって地形が変わったか、人の手で埋め立てたか。
(…………あれ、地震……?)
なんだろう。
たしかこの地で、大きな災害があった気が…………
こめかみに指を当て記憶の扉を開こうとしたが、テッポウオのどアップに全部持っていかれてしまった。
「旦那ってば!」
「うおあっ! な、なんだよっ?」
「んもー。
どこに行きやす? って聞いてるんですよ。
もう尻が疲れたでしょう」
「あ、ああ。そっか」
確かに、いつまでも湖の真ん中に浮かんでたって仕方ない。
俺は慌ててある地点を指さした。
「そうだな。
ヌシさん。湖の南に向かって」
「ま゛っ」
律儀に止まっていてくれたヌシがゆっくりと尾びれを動かす。
岸辺に降り立つと、2日ぶりの地面は涙が出るほど有難かった。
「あー……土っていいなあ」
「そうだな」
掌を閉じたり開いたりしながら、ミュウツーも安堵の息をついた。
バサギリは飄々とした態度を崩さない。
俺たちを視界に収められる位置に陣取るあたり、抜け目がなかった。
テッポウオが飛び跳ねて俺の腕に張りつく。
「そんじゃ、行きましょうかい!」
「おう。宿があることを願おう」
ミュウツーをボールに仕舞い、テッポウオを袖に隠して。
俺たちは、ジョウト地方への第一歩を踏み出した!
そして!
「ぬうっ、怪しいヤツ!」
「見慣れぬやつだ、引っ捕えぃ!」
いきなり牢屋にぶちこまれました。
というわけで18話。
古のジョウト編スタートです。
350年前はシント地方という名前だったということにしました。
ゲームではHGSSでのみ行けるシント遺跡が由来です。
基本的には現在のジョウト地方と変わらない地形、町の位置でいくつもりなのですが、書いていくうちにどんどん捏造設定増やしていくかも。
そんで冥王が刺客を放ちましたね。
色違いジュナイパーとマーシャドーです。ジュナイパーは色違いがセンス良すぎて神。すこすこ。
よければ感想高評価おなしゃす!