最初に感じたのは匂いだった。
たまごの豊かな香ばしさが鼻腔をくすぐる。
温かいしずくが唇に触れた。
そっと舌を伸ばしてみると、とろっとしていて、泣きたくなるほど甘い。
無我夢中で味わっていたら、不意に声が聞こえた。
「おお、食べれたな。
すこーしずつ元気になってきた証拠だ」
ぼわぼわと、何重もの布を通しているような小さくて不鮮明な音だったが、何を言っているかはわかる。
「このまま食べさせればいいのか?」
声が増えた。
最初の声が頷く気配がする。
「うん。そうやって指についた分だけ舐めさせてやんな。でも食わせすぎるなよ。ちょびっとずつだ」
「わかった」
唇をちょんとつつかれた。
甘い汁を舐めとる。
じわじわと身体の内側まで染み透る滋味に涙がこぼれた。
「……うまい」
そう伝えたかったが、出てきたのはザァザァヒューヒューという呼吸音だけだった。
柔らかいものが額に触れる。
「喋ろうとしなくていいぜぇ。
美味いって言いたかったんだろぉ?
わかるぞ。
そう、そうだ。それが言いたかった。
「カタリベの旦那もいる。
焦るなよ。ゆっくり良くなっていこうなぁ」
親が子を撫でるように、何度も優しく撫でられて、俺はすとんと眠りに落ちた。
○○○
甘い汁を舐めては眠り、起きては舐めてを繰り返した。何度繰り返したかは定かでない。
なにしろ常に頭がぼうっとしていて、思考がすぐにとっ散らかってしまうのだ。
だけどそんなんでも身体は回復していたらしく、何度かの失敗の末、鉛のように重い瞼を半分くらいは開けられるようになった。
「…………ぅ」
思ったより暗い。
夜だった。
手を伸ばしたら届きそうな距離に星々が瞬いている。反射的に右手を持ち上げようとしたが、ぴくりとも動かなかった。
(どこだ、ここは)
俺は何をしていたんだろう。
どうしてこんなに疲れているのか。
ああ、瞼が重い。
でもまだ閉じたくない……!
懸命に抗っていたら、いきなりエイパムの顔が逆さまに映った。
「おー? おうおう、目が開いてるじゃねえか」
どうやら頭の方から覗きこまれているらしい。
びっくりしていると、今度はミュウツーが現れた。
「た、……べ」
カタリベ、と呼びかけたつもりが全然声にならなかった。ミュウツーの双眸がふっと緩まる。
「アシタバ」
ミュウツーが俺の頭を撫でた。
(……あ)
その感触は、覚えがあった。
初めて甘い汁を口に含んだ後。
眠る直前に誰かが撫でてくれたのと同じ掌だ。
そうか。
お前だったんだな。
他のみんなは無事か?
ご飯食べれてるか?
聞きたいことは山ほどあるのに、勝手に意識が遠のいていく。
ミュウツーが言った。
「だんだん元気になっているぞ、アシタバ。
いまはゆっくり眠れ」
────はは。
どっちがトレーナーか分かんないな、これじゃ。
苦笑しつつ、お言葉に甘えさせてもらった。
○○○
そんな日々を15日ほども過ごしただろうか。
やっと起き上がれるようになったとき、俺の足腰は完全に萎えていた。
「う、うぉおおお」
ミュウツーが拾ってきてくれた木の枝を杖代わりに立ち上がる。生まれたての子鹿よろしくガクガク震えるのが我ながらおかしかった。
「おわわわわ、たったてっ、立てねぇっ、アーッ!」
ずがしゃんと派手にすっ転ぶ。
エイパムが笑い声を上げた。
「お前さん愉快なやつだなあ」
「そりゃどーも」
俺も笑いながら仰向けに寝転がる。
エイパムが編んでくれた貫頭衣のおかげで寒くないし、こうしているとピクニックにでも来たみたいだ。
(……というか、うん。やっぱ気のせいじゃねぇ。
俺、エイパムの言葉わかるわ)
これまで会話を交わしたポケモンは、長寿ゆえ人語を操れる個体とか、異種族とも意思疎通ができる宝玉を持っていたとか、テレパシーで考えを直接伝えることが出来る個体に限られていた。
だが目の前のエイパムはそのどれにも当てはまらないのに、話している内容が簡単に理解できる。
それはすなわち、
(俺が変わった……ってことだよな)
掌を翳してみた。
肉体的な変化は見られない。
ならばこれは、神様から生き延びた俺への
(流石にあんな徹底的に燃やされたことはなかったもんな……不死身でも死ぬかと思ったわ)
この新能力もあって、てっきりルギアが神通力をかけてくれたのかと思いこんでいたが、今回俺を癒してくれたのは別のポケモンだった。
足音を聞きつけ、エイパムが振り返る。
「おう。たまごさまがいらっしゃった」
「おっと」
俺は渾身の力を振るい、足を横に投げ出した状態ではあれど、なんとか座ることに成功した。
森の奥から現れた
俺はぎこちない動作で頭を下げた。
焼死体一歩手前からここまで体力を取り戻せたのは、毎日毎晩彼女が癒しの波動をかけてくれ、卵を食わせてくれたからだ。
あの甘い汁は彼女の卵ときのみで作ったスペシャルスープだったのである。
「こんにちは、たまごさま」
「はっぴぃ」
ハピナスが両手を振るう。
ちなみに彼女の言葉は解読できない。
ただの鳴き声だからだ。
なんでも“癒し手”というお役目を務めている者は、あらゆる怪我人や病人の為に在れという思想のもと、特定の誰かに肩入れしてはならないという鉄の掟があるそうな。
その為、みだりに会話をしないよう己を律しているのだとエイパムが教えてくれた。
「おかげさまで、なんとか座れるようになりました。
ありがとうございます」
「はぴはっぴ」
ハピナスが俺の後ろに回りこみ、癒しの波動を発動する。あたたかい光が心地いい。
治療中にミュウツーが帰ってきた。
背後にきのみをどっさり浮かせている。
どうやら、俺が昏倒しているあいだに念力を覚えたらしかった。
「座れるようになったのか」
「なんとかな。看病ありがとう、
「礼はいい」
ミュウツーはハピナスから卵を何個か受け取ると、慣れた手つきで火を起こし、卵を空中に浮かせて温め始めた。
火に当てている間じゅう卵を回転させ続けているのは、遠心力で溶き卵にしているからだ。
充分あたたまったところで火から下ろし、殻の頂点を開けて木の実の汁を混ぜ入れる。
これで、俺も散々食わせてもらった卵スープの完成だ。
ふうふうと冷ましてからゆっくり啜る。
旨味と甘味が胃の腑まで流れ落ち、感動的な美味さだった。
「うめぇ……っ!」
「はぴー」
ハピナスはにっこり笑って去っていった。
2個目の卵スープを受け取る。
「今日は俺が食わせてみるよ」
「わかった」
俺は這いずるようにして、木陰に眠る小さな膨らみに近寄った。
「
「……ぎ……」
ルギアの目がほんの微かに開かれる。
指先をスープに浸し、口許に持っていった。
ミュウツーが俺に食べさせてくれたのと同じやり方だが、ルギアは2、3回舐めただけですぐに寝入ってしまった。
「…………チーム1の食いしん坊だったのにな」
ミュウツーによれば、この土地に“ジャンプ”してからずっとこの調子なのだそうだ。
衰弱著しいものの、ハピナスの癒しの波動は効果がなかった。
病気やケガではないからだ。
ただひたすら食事と休息を与え続けるしか手はないらしい。
残りを飲み干し、ミュウツーたちの元へ戻る。
砕いた卵の殻を火に投げ入れて、ふたりを見つめた。
「……そろそろ、事情を聞かせてくれないか」
ミュウツーと俺の視線が交錯する。
「……まず何から聞きたい?」
ミュウツーが問う。俺は答えた。
「あの時、何が起きたのか。それを教えてほしい」
「──わかった」
ミュウツーは淡々と語りはじめた。
ハナダの洞窟における、恐ろしい一幕を。
○○○
アシタバは燃やされた。
ヘルガーの放つ業火によって。
誰も助けに行けなかった。
そうしたくとも、ワタシはモモワロウの鎖に縛られ、仲間たちは操られたポケモンと黒服の人間たちに阻まれていたからだ。
アシタバが倒れた直後、ルギアが鳴いた。
高く長い一声だった。
すると空間に
ワタシはがむしゃらにテレポートを起動させ、ルギアとアシタバを抱えて飛びこんだ。
他の仲間は来れなかった。
ここに着くや否や、円環が閉じてしまったからだ。
どうすることも出来ず砂浜でへたりこんでいると、このエイパムが現れ、弔ってやれと促してきた。
ところがアシタバは生きていた。
エイパムはこの山に案内してくれ、癒し手を紹介してくれた。
「……で、お前さんたちの看病のおかげで今に至るってわけだな」
ミュウツーが無言で頷く。
俺はふーっと息を吐き出した。
なるほど。
何が起きたかは把握した。
カブトプスたちがいない理由も、荷物を全て失くしている訳も。
次はいよいよ、
俺は低い声で訊ねた。
「……此処はどこで、今はいつなんだ?」
ミュウツーの声音は硬かった。
「ここは、ヒスイと呼ばれる土地だ。
ニビの博物館でみた地図と照らし合わせると、我々はおそらく、元いた時代から300年以上昔にいる」
「さ…………!」
グワン、と世界が揺れるような衝撃だった。
その一方で、やっぱりな、とも思う。
意識が明瞭になったのは2日ほど前からだが、ずっと違和感があったのだ。
というのも、人の気配がなさすぎるのである。
今時どこの海に行っても橋や堤防、灯台などの人工物が存在するものだが、ここら一帯はそうしたものがまるで見当たらなかった。
山の麓に広がる森もまさに原生林といった趣で、入るのが躊躇われるぐらい生い茂っている。
上手く言えないが、現代にしては自然が
(にしてもまさか300年前とはね……)
おまけにヒスイ地方。
シンオウ地方の旧名だが、厳しい雪と寒さのせいで、他の地方よりずっと開拓が遅れた歴史を持つ土地だ。その地名も、隠れて奥深い様を表す
こめかみに指を当て、必死に記憶を探る。
(思い出せ思いだせ! まず人里があるかどうかだ!
開拓拠点のコトブキ村が造られたのは現代から220年ほど前だったはず。
あれ、それより前に移住してきた人達いなかったっけ? たしか宗教的に対立して分裂した……
あーそうだシンジュ団とコンゴウ団!
彼らの集落があるとしたらどの辺だ?
ああくそわからん、近現代史の授業もっと真面目に受けとくんだったなーもう俺のバカバカ!)
化石や神話にばかり興味が行き過ぎ、近しい年代ほど疎かにしてきた弊害をこんな形で味わうとは。
(……ん? そもそも俺ら、どうやって帰るんだ?)
はたと気づく。
俺たちは過去にいる。
時を渡る方法を得るか、例の円環が開かなければ、一生仲間のもとに帰れない!
(どうする……? どうすればいい……!)
頭を掻き毟る俺の肩を、エイパムがそっと抱いた。
「……その、まだオイラにゃあお前さんたちが未来から来たって言われてもピンとこねぇんだが……。
お仲間が置き去りにされてるってぇなら、元いた世界に帰りたいよな?」
「っ、あるのか? 帰るやり方が!」
縋りつく俺に、エイパムは自信なさげに頷いた。
「いやあその、気難しいお方だから叶えてくれるかは定かじゃねえんだが……」
「どんな情報でも欲しい! 頼む! 教えてくれ!」
まさに溺れる者が藁を掴むように、エイパムの尾の手を握りしめた。
ミュウツーが隣に膝をつく。
真剣な眼差しだった。
「ワタシからも頼む。教えてくれないか、エイパム」
エイパムは、「仕方ねえなあ」とぽりぽり頭を掻いてから、彼方を指さした。
群青の海の上に、島が横たわっている。
「あそこの火吹き島になぁ、おわすんよ。
“おほしさま”がなぁ」
「おほしさま?」
「んだ。この先何が起こるか占ってくれたりぃ、無事を祈ってくれたりするんだぁ。
けど気難しい方で、気に食わねえことがあるとキラキラする星をぶつけてくるんだよぉ。
だけんど、ものすごーく物知りなお方だからあ、もしかしたらお前さんたちの時代に帰る手段も知っていなさるかもしんねえ」
「そのポケモンの名前は?」
「んだから、おほしさまだぁ」
「そっちじゃなくて、本当の名前の方だ」
途端にエイパムは顔を顰めた。
どうやら、役目を負うポケモンたちの真名を呼ばわることは無礼に当たるらしい。
拝むように頼みこむと、渋々教えてくれた。
「オイラがばらしたって言わねえでくれよな。
おほしさまの名は──ジラーチさまだぁ」
「ジラーチ……!」
思いもよらぬ名に、俺は大きく目を見開いた。
というわけで第2話。
主人公、目を覚ましました!
半月かかったけれども!
しかしルギアは眠ったままです。
どうやら時空を飛び越えるのは伝説ポケモンであってもかなりの負担だった様子。いつ治るのかなあ。
そしてカイちゃんやシマボシさんの登場を期待してくださっていた皆様。すみません出ません!(土下座)
作者も心の底から絡ませたかったんですけど諸事情につきできんかった!ほんまに!すんません!!
主人公たちは無事に元の世界に帰れるのか。
よければ感想高評価よろしくおなしゃす!