エンジュはジョウトで最も栄えた都であり、最も古い街でもある。
それゆえに、訪れる人は後を絶たない。
といって、観光するわけではない。
この時代、そんな悠長なことをしていられないほど、飢えと戦が蔓延っている。
痩せこけた民はひと握りの米を、力ある
勿論、全ての人の口や欲を満たすことなど出来るはずもない。
人が集まれば競い合い、競えば必ず敗者が生まれる。
敗北者は今日の食事にも事欠いて、僅かな糧を求めてまた争う。
争うことも叶わぬほど衰えきった者は道のそこここにへたりこんで、虚ろな眼差しで死を待つばかりだ。
煌びやかなのは、勝者が集う都の中央のみといっても、過言ではあるまい。
荼毘の煙が立たない日は無く、為にエンジュの空はいつも異臭に塗れている。
一方で、そんな悲惨な土地から逃げだす者は存外多くなかった。
どれだけ戦火が押し寄せようとも、ここだけは安全だという漠然とした認識が、人々の足を止めさせていた。
寄らば大樹の陰という。
ひとたび腰を落ち着けてしまえば、その陰から出るのは誰だって億劫だ。
例えそれが、いまにも倒れそうな樹であろうとも、倒れるその日までじっと留まってしまうのが人情なのであろう。
それにエンジュにはあの任天教の本寺がある。
信じるものは救われる、老いも若きも救われると、甚だ明解なお題目を唱えて瞬く間に人気を博した
法典の解釈によって幾つかの宗派に別れるが、最大の一派を率いている男が、屋敷の奥深くで朝から酒を喰らっていた。
「全く、おぬしは可愛いのう」
濁り酒の入った盃をぐびりと呷り、天堂衆の
傍らで銚子を捧げ持つ女がすかさず盃を満たす。
遅すぎず、早過ぎず。
多すぎず、また少なすぎず。
その按配が実に見事で、大法印は満悦の息を漏らした。
女は最近入信した信者で、元は歌い踊って銭を稼ぐ
たまごのようにつるりとした輪郭に、いつも微笑みを浮かべている。
美しい面立ちだが、なによりもその肌の白さがワリオの興を唆り、毎日そばに置いて手ずから教えを授けている。
「ぐふふ……
お前の膚はまっこと触り心地がええわなぁ」
わざと緩く締めさせている帯をいやらしい手つきで解きながら、豊満な胸元に鼻を寄せる。
女が羞じらうように身を捩った。
その仕草がまた堪らない。
すると、廊下に控えさせていた坊主が、扉越しに注進してきた。
「大法印様、ご子息さまが……」
「なに」
坊主の囁きは少しばかり遅かった。
すぐに扉がからりと開き、息子のマツバラが父親を見下ろしてきたのである。
女は「きゃっ」と満更でもない叫びをあげながら急いで襟を整え、別室へと逃げていった。
「な、なんや、いきなり」
大法印は憤怒もあらわに叱りつけたが、息子は素知らぬ顔で受け流し、目の前に着座した。
胡座ではなく、正座である。
背筋がすらりと伸びた、いかにも凛々しい佇まいに、ワリオ大法印は父親ながら気圧された。
容姿の
マツバラは若干15歳にして、己の見目の使い方をよく心得ていた。
「いい加減
前置きなしの諌言に、ワリオは父としての鷹揚さをかなぐり捨てて怒鳴り返した。
「なんやと!
いつからそんな生意気な口きくようになったんや!」
およそ座主とも思えぬ伝法な口調である。
それもそのはず、ワリオは元コガネの一商人で、機を見る眼力と人を蹴落す巧みさでのし上がった、生臭坊主の極致とも言える男なのだ。
特に、人の弱みにつけこませたら右に出るものは居ない。
彼はその手腕で信徒を爆発的に増やし、天堂衆を最大派閥に押し上げた。
更に、スズの塔の建て替えまでやってのけたのだ。
任天教の御神体は鳳凰様である。
その鳳凰様が毎年羽を休めるのがスズの塔なのだが、昔はもっと低くてしょぼくれた建物であった。
コガネの人間は何事も派手で大きなものを好む。
ワリオもその例に漏れず、
その甲斐あって、ようやく位階一位の大法印に任命されたのである。
このご時世に衣食の不自由をせず生きていられるのは、全てこの父の功によるもの。
その恩を顧みずに説教とは、筋違いも甚だしい!
しかし、そんなワリオの激情はどんどん尻窄みになっていった。
何故だか最近、息子と相対していると気分が落ち込んできてしまう。
今も、怒髪天を衝くような怒りが水につけた塩のように溶けてしまい、代わりに言い知れぬ恐怖が心に忍び寄ってきた。
(なんでや……なんか寒気までしてきたで……)
夏の初めだというのに、冷や汗がうなじを伝う。
当のマツバラは
形のいい唇が小さく開く。
「今後一切、女性をお近づけになりませぬよう。
よろしいですね」
「わ、わかった」
「では」
マツバラは目顔だけで会釈し、入ってきた時と同様、さっさと出ていってしまった。
頃合を見計らい、坊主がおずおずと声をかけてくる。
「あ、あの……お酒のお代りをお持ちしましょうか」
ワリオは酒豪だ。
一升二升は平気で空ける。
だが今日ばかりは、酒精の匂いも嗅ぎたくなかった。
「…………もう寝るわ」
今をときめく大法印は、青ざめた顔でよたよた立ち上がると、白拍子すら追い払って寝所に引きこもった。
○○○
屋敷を出、エンジュの郊外へ向かいながら、マツバラは深く溜息をついた。
こうして出歩くだけで、人々が縋るような視線を投げかけてくる。中にはわざわざ立ち止まって拝む人もいるくらいだ。
助けて。
助けて。
助けて。
無言の祈りが身体中に纏わりつく。
マツバラは胸元で手を合わせ、真言を唱えながら先を急いだ。
特に行くあてはない。
ただ、スズの塔にも、父親のそばにも居たくなかった。
民が乏しい蓄えからお布施を送るのは、それだけ切羽詰まっているからだ。
任天教ならば、天堂衆の御坊ならば救ってくださると、信じてくれているからだ。
だのに座主があんなにも俗物臭い下衆だと知れば、信者たちはさぞ落胆し、失望するだろう。
その日が来るのが、マツバラは何より怖かった。
「……………………」
どうしようもない嫌悪を持て余しながら歩いていると、不意に道端で蹲る人物を見かけた。
足元には小柄な体が横たわっている。
(子を亡くした親か兄弟か)
哀れに思い、近づいた。
死者を甦らせることはできないが、せめて弔うぐらいはしてやりたい。
「もし」
声をかけ、マツバラはハッと息を飲んだ。
顔を上げたその人は、目の周りを包帯でぐるぐる巻きにしていた。
頬には涙が流れている。
「…………どうなされた」
気を落ち着けたマツバラが問うと、相手は震える声で答えた。
「俺……杖をついて歩いてたんです……
そしたら何かに躓いて……
杖を拾おうと屈んだら……」
────己が何に躓いたか知ってしまった、と。
マツバラは目を伏せた。
いまどき、子供の骸など珍しくもなんともない。
エンジュは中央に富貴があつまり、四方に広がるに従って困窮していく。
南郊には天堂衆が切り盛りする
薬も食事も、
そうして息を引き取った骸が丸太のようにゴロゴロ転がされ、焼かれるか埋められるのを待っている。
(…………比較的綺麗な死体であれば、肉を削いで食べようとする鬼畜すらいる世界で、この人はなんて清らかな涙を流すのだろう)
男の肩に手を置き、宥めるように摩った。
「せめて、道の端によけてあげましょう。
この子がもう二度と踏まれたりすることのないように」
傍らには疎林が広がっていた。
腹を空かせた民たちが食べられる草を食べ尽くしてしまったために、恐ろしく寒々しい林ではあるけれど、冷たい街道に寝かせるよりは、せめて木の近くに眠らせてやりたかった。
男と力を合わせて死体を運び、経を唱える。
男はずっと、「ごめんな、ごめんな」と呟きながら両掌を合わせていた。
「…………どちらへ行くおつもりですか」
長い祈祷を捧げてからマツバラが尋ねると、男は小さく
「会いたい人が居るんですが、方法が分からなくて」
「どこの、なんというお人です?
私の知っている方ならば、お力になれるかもしれない」
男は口ごもった。
マツバラの胸に不安がよぎる。
もしや座主のワリオ様などと言うのではあるまいな。
頼むからそうでないと言ってくれ。
貴方はあんな屑に相応しくない。
しかし、男がようやく口に上らせた名前は、マツバラを驚かせ、困惑させた。
「俺、どうしてもホウオウ……様に会いたくて。
お世話をしてるマツバラって人を探してるんです」
「────鳳凰様に、会いたい?」
「はい」
思いもよらぬ願望を告げられ、今度はマツバラが口ごもった。
というわけで26話。
キーパーソンであるマツバラさんにサクッと出会えちゃったの巻。
スズの塔に忍び込むスニーキングルートも考えたのですが、そんなことする人間を信頼してくれないだろうなと思い直しこちらの展開にしてみました。
エンジュの治安めたくそ悪いですが、実際応仁の乱前後はこんな具合だったそうで。大きな街ほど人も集まるだろうし、戦国時代モチーフだしこれぐらいいっか!のノリで設定してます。
お隣のチョウジが穏やかでご飯も豊かだったのは巾獣がうろついてて簡単に行き来できる土地じゃない分、奪い合いもなく済んでいるそうです。
大法印の名前はふざけ倒しました。
ワリオファンごめんね♡ 書きたくなっちゃったの♡
さてマツバラ君はホウオウに会わせてくれるのか。
よければ感想高評価おなしゃす!