ユズと俺が草鞋を解いたのは、アサギに大小連なる建物の中でもひときわボロ……もとい古めかしい宿屋であった。
《かんきつ亭 商い中》と札が立っている。
玄関先を掃いていた老爺が表門に現れたユズを見た途端、箒を取り落とし、大声で宿の奥へと呼ばわった。
「奥様ァ! 旦那様ァ!
お嬢様が、お嬢様が帰られましたぞぉ!」
すると、宿中が震えそうな音を立てて、ユズの家族と思しき人々がどばっと飛び出してきた。
みんな顔中をくしゃくしゃにして、ユズを抱きしめたり頭を撫でたりしている。
どうやら、一家総出で経営しているらしい。
「おお、無事だったか!」
「湊から出るはずが街道を歩いていったと聞いた時はどうしようかと思ったよ」
「案外早く帰れたなあ。下手すると1週間は顔が見れないものかと気を揉んどったぞ」
「まあ、それは大袈裟すぎますわ」
ユズが鈴を転がすように笑う。
その隣で俺はなんとも言えない心持ちで天を仰いでいた。
……一族郎党方向音痴とは聞いてたけどさ。
1週間も彷徨いかねない重度のオンチを海の向こうの町までお使いに出すなよ……
ふいに、父親らしき大柄の男が俺に目を止めた。
「ユズ、こちらの御坊は?」
「わたくしを助けてくださったお方ですわ。
ワタヌキさんと仰るの」
「おお……」
父親は感涙に咽び泣きながら俺の手を握った。
今の俺は僧衣に面布を着けた、行脚中の坊主の格好をしている。功徳のための善行と解釈してくれたようで、何度も礼を言われた。
「天堂衆の方にお力添えいただけたとは、なんと有難い。さ、どうぞこちらへ。
なにもありませんが部屋だけは豊富にございます。
ごゆるりとお寛ぎくだされませ」
「いえ、俺は……」
一刻も早くタンバへ渡り薬が欲しいのだ、と述べたくとも、宿の者全員が俺を取り囲みずいずいと運んでは抗いようもない。
仕方ない、茶を一杯喫してから出立しようと笠を預け、かまちに上がった。
〇〇〇
客室ではなく、家族が使う方の居間へと通された。
ユズがこちらのほうが落ち着くと言ったからだ。
たしかに、綺麗に整頓された生活感のない客部屋よりも、毎日毎晩食膳を並べているこちらのほうが居心地がいい。
火の気のない囲炉裏に下げられた薬缶から茶を注ぐやいなや、ご両親は板敷に擦りつけんばかりに頭を下げてきた。
ユズの父親は名をコウジさんといい、宿屋の亭主よりも腕利きの大工のほうが似合いそうな、筋骨隆々の偉丈夫だった。
「改めて、お礼を申し上げます。
よくぞ娘をここまで連れてきてくださいました」
傍らで、女将でありユズの母であるイヨさんが目頭を抑えた。今生の別れも覚悟していたという。
廊下には従業員たちがずらりと顔を並べ、「ありがとうございました」と声を揃えるものだから、俺はもう悪事でも働いたように恐縮してしまった。
当の本人は両親の間に陣取り、ニコニコ顔で、俺が抱きしめているウリムーに手を振っている。
呑気というか
父・コウジさんが言う。
「タンバまでは一日足らずで往復できる距離にございます。船に乗ってまた帰ってくるだけならば娘でも行けるかと任せたのですが……迷っていましたか」
「ええ。割とガッツリと」
俺がユズを拾ったのはエンジュとアサギの中間地点、より厳密に言えばややエンジュ寄りと言えなくもない林の中である。
女の脚では3時間ほど歩いたはずだ。
水を向けると、ユズは両頬を挟み、乙女らしい恥じらいを見せた。
「それがそのぅ……途中で“ぎんいろめだま”を見つけてしまいましたの」
コイルのことである。
そしたらご両親は、呆れるどころか「あぁ」と納得するような声を上げた。
「なるほど。それなら仕方ない」
「めだまちゃんたちの可愛さたるやとても素通りできるものではありませんからね」
従業員たちもうんうん頷いている。
俺は頭を抱えた。
嘘だろ!?
全員コイルマニアなのかよ!
それで筋金入りの迷子って、それはもうコイルの磁力に引っ張られてんじゃねえの?
なんなのこの人達? 鋼鉄製なの?
ボディが合金で出来てるの?
あれ、合金て磁性を帯びるんだっけ?
おもわず遠い目をしかけた俺を、ユズの声が呼び戻した。
「でも大丈夫ですわ、お父様、お母様!
ワタヌキさまが約束してくださったの!
きっとタンバまで連れて行ってくださるって!」
居間中がどよめく。
なかでもご両親の喜びぶりたるや、凄まじいものがあった。
「おお! なんと!」
「そんなにも助けてくださるなんて!」
「あ、いえ、うん、はい」
約束しちゃったしなあ。
俺から言っちゃったもんなあ。
後悔しても後の祭り。
かくて俺とユズの二人は、女将お手製の饅頭だのお茶だのをたっぷり持たされ、宿の全員に見送られながら、タンバへの旅を再開させたのだった。
〇〇〇
アサギはその全てが湊のために造られ発展した湊町である。
もっとも大きく広い区画を割かれているのが船を発着させるための船着場で、大勢の水夫が勇ましい声を掛け合いながら立ち働いている。
その賑々しさ、猥雑さは、ムロタウンの海の男たちを彷彿させた。
「あそこで女王様やアマルスと出逢ったんだっけな」
口の中で独りごちる。
指折り数えれば、石の洞窟での騒動から1年近く経っている。
ゴーシェがアマルルガに進化してから一度も顔を見れていない。
元気だろうか。
アマルスたちの修行は、進んでいるだろうか。
穏やかに寄せては引く波を眺めていると、つい感傷的になってしまう。
俺は視線を振り切るようにしてユズに向き直った。
「タンバ行きの船はどれかな」
「えー、と。あっ、きっとあれですわ」
ユズの白い指が一艘の小舟を示す。
帆もない、櫓と櫂だけで進む原始的な船だった。もはやカヌーに近い。
「……辿り着けるのか?」
不安がる俺に、ユズは明るく笑った。
「大丈夫です。ずっとあの舟で行くのではなくて、沖合に停めたもっと大きな帆船に乗り換えるのですわ」
言われて目を転じると、たしかに一隻の大型帆船が青空を背にどっしりと構えていた。
「昼の号砲が鳴ると小舟が出発し、あの船に拾われます。それを逃すと次の出港は夜になってしまいますわ」
「うし。そしたら今乗っちまおう」
「はい。…………うふっ」
突然ユズが噴き出したので、俺は小首を傾げた。
何か変なこと言ったかな。
「ごめんなさい、はしたなかったですわね。
いえ、ワタヌキさまの話し方がちっともお坊さんらしくなくて……なんだか面白くなってしまいましたの」
「オゥ」
しまった。
普段通りに話しすぎた。
そうだ、俺は坊主の格好してんだった。
話し方変えるべきだよな。
「……あー、すまん。
お、いや、拙僧は修行中の身ゆえ、不出来なところがある。御免くだされよ」
「それじゃお侍さまですわ!」
とうとうユズは腹を抱えて笑いだしてしまい、周囲の耳目を一気に集めてしまった。
ううっ、「なんだあの2人組は?」って視線が痛いっ。
俺はユズの手を引くようにして小舟に乗りこみ、号砲が鳴るのを今か今かと待ちわびた。
〇〇〇
一方その頃。
アサギ湾に浮かぶ、名もなき小島の裏側に、人相の悪い男たちが集結していた。
海賊である。《大牙団》という。
旗には凶悪な牙を剥き出して吼える獣の意匠が描かれており、このシンボルが風に翻ったときは、近海が血で染まると恐れられていた。
カントーの海を散々荒らした大牙団は、次にタンバの町に目をつけた。
タンバには宝の山がある。
というのも、腕はいいが強欲な薬師が、秘伝の薬を法外な値で売り捌いているらしいのだ。
とくれば、蔵にはさぞかし金銀財宝がうなっていることだろう。
「いいかお前ぇら。
小粒ひとつ、金粉ひとつも見逃すんじゃねえぞ。
根こそぎだ。あるモン全部かっぱらえ。
町のやつらは殺せ。どうせ貧弱な田舎者どもだ、撫で斬りにしちまいな」
「薬師はどうしやす?」
「攫え。金の成る木だ。
だが抵抗するようなら殺していい」
男たちが昏い笑い声を立てる。
どいつもこいつも、刀を振るい人から奪うことで糊口を凌いできた連中だ。
いまさら罪の意識など夢にも浮かばぬ、愛すべきクズたち。
「お頭! 船が見えますぜ!」
見張りに立てていた下っ端が叫ぶ。
手庇を翳すと、なるほど、一隻の帆船がタンバに向けて帆を膨らませていた。
頭領の口の端が吊りあがる。
お誂え向きだ。
景気づけに、あの船も襲っちまおう。
タンバにわざわざ渡るのは薬が欲しい人間だけ。
ならばあの船には、きっと小金を抱えた連中が乗っている。
「野郎どもぉ! 出撃だァ!」
男たちが、天に拳を突き上げた。
というわけで31話。
ユズちゃん家族とご対面。
コウジさんは柑子、イヨさんは伊予柑から取ってます。
そして立ち塞がる海賊たち、大牙団。
ポケスペにおけるロケット団の正式名称にTusk(牙)の字が入ってるので採用しました。
良ければ感想高評価おなしゃす!