西門に辿り着いた時、エンジュはまだ夜の帳が降りたばかりで、煌々たる満月が山の端から顔を覗かせている最中だった。
「ありがとな、
ミュウツーをボールに仕舞う。
アサギ近辺の林からテレポートしたおかげで随分早く戻ってこれた。
本音を言えばカラシ和尚の寺まで飛びたかったが、流石に誰かに見つかるリスクが高すぎて断念した。
この時代、人々はポケモンを恐ろしい生き物だと見なしている。
コラッタやポッポといった小動物ならまだしも、ミュウツーのような大型ポケモンが人目に触れたら、チョウジのジロウのようにパニックになりかねない。
あんな騒ぎは、もう二度とごめんだった。
「ぶぅう……」
「悪いなぶぅすけ。もうちっとの辛抱だ」
テレポート酔いしたウリムーを抱え、夜の街をひた走る。しかし、和尚のいる三ツ鐘寺には入れなかった。
門前の屋根の上でうずくまっていたニューラが、素早い身のこなしで降りてき、シャーッと牙を剥いてきたからだ。
俺は呆気に取られた。
ニューラの全身の毛が逆立っている。
威嚇……いや、これは憤怒だ。
腕の中のウリムーが怯えるぐらい、凄まじい剣幕で怒り狂っていた。
「お、お
どうした、俺だよ、ワタヌキだ」
「フ──ッ!」
ニューラはやおら俺の裾に爪をひっかけ、凄まじい力で門の奥に引っ張り倒した。
とても踏ん張りきれず、顔から転倒する。
ウリムーが叫んだ。
わけもわからないまま、短い手足を懸命に動かして怒れる猫を遠ざけようとするが、効果は無い。
起き上がろうとした俺の背中をニューラが踏みつけ、耳朶に囁きかけてきた。
「…………ふぅん。
どうやらアンタは、
わっちの早とちりだったようだ」
やけに妖艶な声だった。
さっきの激情は毛ほども感じられない。
慌てふためいていたウリムーも、ニューラの声を聞いてにわかに落ち着きを取り戻した。
「何が何だかさっぱりわからん。
どういうことだ?」
戸惑う俺の鼻が、血の匂いを嗅ぎとった。
他でもない、ニューラ自身から漂ってきている。
血を流すような何かが起きたのだ。
俺の居ない間に。
「……何があった?」
ニューラがふっと微笑むのがわかった。
「よかった。おつむは悪くないようでありんすね」
背中から重さが消える。
静かに身を起こすと、黒猫もその場に腰を下ろした。
門のそばに立つ欅が、道行く人々から俺たちを隠してくれている。
ポケモンと喋っているところを見られずに済むのは有り難い。
俺を殺すにしろ問い詰めるにしろ、人目を憚るにはうってつけの場所だ。
全て計算ずくでやったのだとすれば、こいつ、相当に頭が切れる。
俺は黙ってニューラを観察した。
黒い毛並みで分かりづらいが、あちこちに傷を負っている。特に左手は重傷で、無惨に折れていた。
こんな飄々としていられるのが信じられないぐらいの大怪我だ。
ニューラも、俺が気づいたことに気づいたようで、苦々しげに笑った。
「お恥ずかしい限りでありんすよ。わっちともあろうものが、まんまと不意を突かれちまった」
「…………カタリベ、頼む」
懐からボールを取りだし、ミュウツーを呼び出す。
相棒はニューラの酷い有様に戦慄し、すぐに癒しの波動をかけはじめた。
淡い光に照らされて、眉間の皺がほぐれていく。
「和尚は、カラシさんは無事か」
「聞くまでもない」
黒猫が
「わっちの目が黒いうちはあの方に手出しさせるものですか。夕餉でも食べていなさるでありんす」
よかった。
ひとまずは安堵する。
次いで、俺は一番気になっていることを訊ねた。
「誰にやられた?」
「────見慣れぬ殿方でありんした」
ニューラの声が一段低くなった。
「黄土色の膚に、黒い斧。
わっちが庭先で星見と洒落こんでたらいきなり襲いかかってきてねえ。
一発、いいのを貰っちまったでありんすよ」
治りかけの左腕をぺろぺろと舐める。
対する俺とミュウツーは、声もなく硬直していた。
斧。まさか────バサギリ?
なんであいつがそんなことを。
ニューラの目がきらりと光った。
「その顔、思い当たる節がありんすね?」
俺は小さく頷いて、バサギリとの因縁をかいつまんで話した。
「……正直言って、あいつのことはよく知らない。
成り行きまかせに旅してきたから。
けど、有無を言わさずお前さんを襲うような奴じゃないと思うんだが……」
根拠がないせいで、どうしても声が窄んでしまう。
ニューラはふっと吐息して、軽やかに立ち上がった。
「分からないものを考えても時間のムダ。
やるべきことから片付けるのが得策でありんしょう。薬は?」
「あ、ああ、ここに」
胸元から薬袋を取り出すと、ニューラは満足気に頷いた。
「なら、和尚さまのとこに行くでありんす。
首を長ぁくしてお待ちしてましたんぇ。
ついさっきまで、ワタヌキはんの無事を祈って経を上げてたでありんすよ」
ほら行った行ったとせっつかれ、俺は慌てて奥へと走った。
〇〇〇
本堂にはカラシ和尚とマツバラが並び、瞑目したまま読経していた。
「ただいま戻りました」
廊下に膝を着く。2人の顔がぱっと輝いた。
「ワタヌキ殿!」
「ささ、こちらに来なされ。
やあ随分と早いお着きやなあ。
さすが若いもんは脚が違うわ」
二人の間の座布団に座る。
出された茶を飲むより早く薬袋を見せると、和尚たちがぐっと身を乗り出してきた。
「これが……」
「タンバの……」
「はい。丸薬です。薬師のシュンギクさん曰く、このまま
和尚とマツバラは感嘆の声を上げ、俺に向かって頭を下げた。
「ありがとうございますワタヌキさん。
おかげで鳳凰様をお救いできる」
「シュンギクはんの仕事なら効能あらたかですやろ。
一刻も早く捧げねばなりまへんな」
「ではいまから行きましょうワタヌキさん」
マツバラが腰を浮かす。
思わず「いいのか?」と訊いてしまった。
マツバラは小首を傾げた。
「いいのか、とはどういうことです?」
「いやその、俺も着いていっていいのかなって。
自分で言うのもなんだけど、俺、得体が知れないだろ」
元々ホウオウに会いたいとはずっと伝えていたが、まさかこんなに簡単に引き合わせて貰えるとは思っていなかった。
そもそも、俺は自分の事情をほとんど明かしていない。カラシ和尚には手持ちも目も見せたけれど、ギラティナのことは隠し通した。
どう考えても、この世に俺より剣呑な人間は居ないと断言できる。
するとマツバラは「何をおっしゃる」と頬を緩めた。
「あなたは行き倒れている子供を憐れみ、鳳凰様のために危険を冒すことのできる勇敢なお方だ。
怪しい人であるものか。
私もカラシ様も、心から貴方を信じています。
鳳凰様の元にお連れするのに、なんの不都合もありませんよ」
「…………」
正面から、そう言い切られ。
俺は面布の奥で、唇を噛み締めた。
買い被りだよ、それは。
泣いていたのは道端で亡くなっていた子を踏んづけてしまった罪悪感からで、憐憫を覚えたわけじゃない。
タンバまでの道のりを歩いていけたのは兎にも角にも呪いを解きたかったからだ。
そもそも、名前からして嘘っぱちだ。
チョウジから手配書が回ってるんじゃないかってビクビクしてた。
どこまでいっても、徹頭徹尾、俺は俺のことしか考えてないんだよ。
だから、そんな風に褒めないでくれないか。
自分が善人だと勘違いしてしまいそうになるから。
言いたいことは山ほどあるのに、全てが喉につかえてしまって、俺は俯いたまま三ツ鐘寺を後にした。
〇〇〇
一時間後。
俺とマツバラは、《スズの塔》の最上階を目指してひたすら階段を登っていた。
なにしろ300年前の九重の塔である。
エレベーターなどというシャレたものはない。
膝がガクガクしようが息が切れようが、己の足で進むしかないのだ。
道すがら、マツバラは二つの塔に関する様々な逸話を語ってくれた。
「そもそもは塔ですらなく、千年ぶりにお目覚めになった鳳凰様や
「それが塔になったのは、当代の《スズの塔》の守護者が、もっと立派な建物にすべきだと主張して、五重の塔に造り変えてしまったからなのです」
「一方の《カネの塔》の守護者も負けじと高い塔にした結果、競うように階を重ね、ついにはこのようなものが出来上がってしまいました」
マツバラの口ぶりには苦いものがあった。
清廉な祭殿を見栄を張る道具にされていることが悔しくてならないのだろう。
俺はといえば、初めて知る《カネの塔》の成り立ちに、密かに興奮しっぱなしだった。
いやだって、《カネの塔》の記録はそのほとんどが消失・散逸していて、分からないことだらけなんだよ!
なんなら300年後も焼け焦げたまま放置されてるから、雑に《焼けた塔》なんて言われちゃってるし!
それがこんな、ナマの証言を聞けるなんてさあ!
興奮するなってほうがムリだろ!
テンションぶちアガるわ!
あぁああメモりたい! 録音したい!
「か、《カネの塔》は再建しないのか?
あのままじゃ海神様が悲しむだろ」
必死に理性を働かせつつ訊ねると、マツバラは痛ましげな表情を浮かべた。
「残念ながら、《カネの塔》の守護者は先日の大火で亡くなってしまいました。後継者もいらっしゃいませんし、あの塔が用を成すのは千年後ですから、急いで再建しようという意見も出ないのが実情です。
……私の父に再三働きかけてはいるのですが……」
マツバラのお父さん……確か天堂衆の偉い人なんだっけ。
建て直すとなれば莫大な費用がかかるし、そりゃ簡単に金を出しちゃくれないか。
信心の世界も金が入り用なんだなあ。
なんだかなあ。
モヤモヤしながら階段に足をかけると、不意に段差が途切れた。
いつの間にか最上階に来ていたらしい。
ピカピカに磨かれた廊下にマツバラが着座する。
俺も横に座った。
「鳳凰様。夜分失礼いたします。
恐れながらお薬をお持ちいたしました。
中に入らせていただきとう存じます」
朗々と呼びかけるも返事は無い。
マツバラが目配せしてくる。
俺は頷き、そうっと扉を開けた。
中は驚くぐらい広いが、不安を催すほど何もない。
中央に、御簾の下りた祭壇があるきりだ。
マツバラに教えられた通り、決して立たず、膝を滑らせにじり寄る。
ようやく御簾のそばに来れた時は、額に汗をかいていた。
懐から薬袋を取り出し、平伏する。
マツバラがするすると御簾を上げた。
「ワタヌキさん」
合図を受け、上体を起こす。
その途端目に飛び込んできた光景が、にわかには信じられなかった。
ホウオウは、いた。
絵でしか見たことがないけれど、極彩色の羽は見紛いようもない。
まさしくホウオウだ。
けれど、まさか、こんなに衰弱しているなんて。
俺が連れている掌サイズのルギアよりも更に小さい。
「…………」
マツバラの許しを得、ホウオウをそっと抱き上げる。か細い吐息とかよわい鼓動が伝わってきた。
「薬を、お持ちしました」
丸薬を指先で摘み、嘴の隙間に捩じこもうとしたその時。
下から激しい殺気を感じ、考える間もなく後ろに飛んだ。
直後。
さっきまで俺が居た場所が弾け飛ぶ!
「な!?」
「カタリベ!」
混乱するマツバラに薬とホウオウを押しつけ、ミュウツーを繰り出した。
「念力で引きずり出せ!」
ミュウツーが穴に手を翳す。
念動力で四肢の自由を奪われ、下の階から吊り上げられた襲撃者は、濁った目で俺を睨めつけてきた。
「ギ、ギギ」
襲撃者は何とか逃れようと、
その声といい仕草といい、正気を失っているのは明らかだった。
操られているのか、憑依されているのか。
いずれにせよ、片手間で戦える相手じゃない。
俺は奴から目を離さず、マツバラに呼びかけた。
「…………マツバラ。
頼む。鳳凰様を連れて逃げてくれ」
「し、しかし貴方は!?」
「問題ない」
俺はきっぱりと答えた。
「俺とこいつなら鎮められる。
信じてくれ」
「…………わかりました。
かならず、無事に戻ってきてくださいね」
「ああ」
マツバラはホウオウを抱き締め、廊下に向かって駆け出した。
足音は階段を駆け下り、すぐに聞こえなくなる。
「…………さあ、これで邪魔者はいない。
タイマン張ろうぜ、バサギリさんよ」
「…………」
バサギリは、気味の悪い沈黙と共に、漆黒の斧を振り上げた。
というわけで33話。
ちかごろ更新が遅くて申し訳ない。
暑くて筆すすまねンだ。
みなさんも熱中症にはお気を付けて。
ニューラのありんす言葉書いてて楽しいけどむずい。
雰囲気で読んでくだい。
なんかえっちな感じのニューラなんだなと思っていただければそれで充分にございますゆえ。
そして襲来バサギリくん。
果たして主人公は抗えるのか。
よければ感想高評価おなしゃす!