前を行くガブリアスとグレイシアから数歩離れて、柱に挟まれた長い廊下を進んでいく。
一歩踏み出すごとに、身体に
例えるなら、ぐっしょり濡れそぼった毛布を何枚も重ねられているのに、跳ね除けることも抗うこともできない感覚に近い。
ともすれば浅くなる息を、胸を叩いて無理やり吐き出した。
俺だけが緊張しているわけじゃないのは、横を歩くミュウツーと、斜め後ろをついてくるウォロの顔が物語っていた。
二人ともすっかり青ざめて、口元が引き攣っている。ミュウツーに至っては両手が細かく震えていた。
武者震い? いや違う。この先にいる者の並外れた強さを、研ぎ澄まされた第六感が正確に感じてしまっているのだ。
本当なら逃げ出したいだろうに、それでも、同じ歩調で着いてきてくれている。
それに無限の勇気を貰えて、俺はなんとか足を動かしていられた。
ふと、すぐそばの柱に手を添える。思ったより滑らかな手触りに驚いた。
こんな時でも、いやこんな時だからこそ、考古学徒の血が、もっと観察せよと騒ぐ。
「…………誰がこんな神殿を建てたんだろうな」
見事な細工だった。
一流の職人の手によるものなのが分かる。
しかし、誰がなんの目的で建てたのか、建立された時期もふくめてほとんど解明されていないのだ。
まさか300年前には既に完成していたとは思いもよらなかった。
すると、ウォロがぼそりと呟いた。
「ワタシの同胞ですよ」
「え?」
振り向くと、ウォロは真剣な眼差しで俺を見返した。
「いと高き神……創造神アルセウスに祈りを捧げるため、古代シンオウ人が築き上げたのです。
もう、数千年は昔の話ですが」
俺は絶句した。
古代シンオウ人。
その名を知る者は学界でも限られている。
なぜなら、ごく一部の文献にしか出てこないうえに、詳しい描写もほとんど記されていない幻の一族だからだ。
「こ、古代シンオウ人の……末裔なのか、お前」
咳き込む俺に、ウォロがきゅっと唇を引き結んだ。
「……末裔。ええ、そうです。
ワタシは最後の生き残りでしょうね。
相当酷い仲間割れが起きたそうですから」
伝聞調の言いざまに、俺は眉を顰めた。
「……なにが、あったんだ?」
ウォロは吐息してから、暗い声で語りだした。
古代シンオウ人の、哀しく憐れな物語を。
〇〇〇
昔々の大昔。
まだ、ヒトが今よりずっと少ない時代。
最初の文明を築いた者たちがいた。
彼らは多くを知っていた。
石を均等に切り揃える方法を。
荒れ狂う川を静め、橋を渡す手段を。
痩せた土を耕し、食物を得る知識を。
怪我や病を癒す術を、心得ていた。
しかしそんな彼らも、ヒトならざるもの──後にポケモンと呼ばれる生き物を従わせることはできなかった。
彼らは願った。
ポケモンを思い通りに操る力が欲しいと。
そして造った。
神に祈る祭壇を。
どんなポケモンも意のままに出来る力をくれと、毎日毎晩祈り続けた。
神は拒んだ。
無理に従わせるのではなく、共に生きよと教え諭した。
彼らは割れた。
神の言うとおりにすべきという派閥と、力でもって抑えるべきだという派閥に。
彼らは争った。
最初で最後の、激しい争いだった。
優秀な人々は血の海に倒れ、いつしか、あれだけ居た仲間たちはほんの数人しか残っていなかった。
彼らは悔やんだ。
争うべきではなかったと。
しかしもう遅かった。
彼ら以外のヒトが生まれ始めていた。
やがて人々は彼らが築いた街に住み、子を産み、その数を増やしていくだろう。
彼らの苦労を何も知らないまま。
彼らの哀しみを何も知らないまま。
彼らは世界に失望し、散り散りに去っていった。
そして、誰からも忘れられた。
〇〇〇
「…………幼い頃から聞かされ続けましたよ。
世が世なら、ワタシは世界の王だったとね」
ウォロの声はどこまでも恬淡としていた。
なんの感情も窺い知れない冷たい響きが、柱の間をすり抜けていく。
「ご先祖さまは信ずる心が足りなかったのだ。誠心誠意祈れば、お優しいアルセウス様はきっと聞き届けてくださる。王になれる。だからいつか必ず、ご先祖さまが建てたシンオウ神殿に行きなさい──。
これが母の遺言でした」
「…………いまでも、王になりたいか?」
俺の問いに、ウォロは鼻を鳴らした。
「今更その夢を捨てられるとでも?」
「…………」
俺は何も言えなかった。
呪いなのだ、これは。
先祖代々伝えられた執念が、ウォロの心を縛りつけている。
馬鹿げた夢想だと分かっていてなお、他に生きる道も、目的も、探すことすら叶わない。
考えるだに強烈で、おぞましい呪縛だ。
なんとも言えない気持ちを持て余しながら、無言で歩を進めた。
不意に柱が途切れる。
澄み渡った蒼穹の下に、白亜の祭壇が鎮座していた。
グレイシアとガブリアスが同時に振り向いた。
2人示し合わせたように左右に分かれ、もっと前に行けと促してくる。
祭壇まで十歩ぐらいまで近づいた時、グレイシアが「止まりなさい」と告げた。
「膝をつき、頭を垂れなさい。神の御前よ」
そう言うものの、祭壇には誰もいなかった。
慌てて跪きながら周囲を見渡す。
押し寄せるプレッシャーは消えていない。
ディアルガたちはどこだ?
必ずこの近くに居るはずなんだが。
隣で同じ姿勢をとっていたミュウツーが低く呟いた。
「…………来る」
え、と問い返すより早く。
空間に、亀裂が走った。
ピギ
パギバギバギバキ!
ガラスを力任せに握りつぶすような、不快と不安を煽る音を伴い、空間が裂けていく。その奥から現れた巨体に、俺は息を飲みこんだ。
時を操る蒼き神、ディアルガ。
宙を広げし白の神、パルキア。
ハクタイシティに祀られている彫像の写真は、誰しも一度くらい教科書で見たことがあるだろう。かくいう俺もその一人だ。しかしあれは無論実物を模した像ではない。昔の人々が、きっとこういう姿なのではないかと想像を逞しくさせて創り上げた代物なのだ。
ところが。
君臨せし二柱の神は、
いずれもギャロップのようにしなやかな四肢を持ち、並外れた体躯で高みから見下ろしてくる。吹きつけるプレッシャーがいや増した。
震える我が身を叱咤して、俺は正面から神々の視線を受け止め。
それを、見つけた。
〇〇〇
ディアルガは激怒していた。
数千年前にあの方を愚弄した裏切り者が、のこのこと現れたことが許せなかった。
パルキアは憤怒していた。
この世のどこよりも聖なる場所に、薄汚い叛逆者が立っていることが許せなかった。
すぐにでも斬って捨ててしまいたかった。
貧弱なニンゲンの
しかし、それは叶わない。
何故ならば、ディアルガもパルキアも、既に捕らわれているからだ。
忌々しき、猛毒の鎖に────
〇〇〇
グギャァアアアアァ!
パルルルルアアァア!
耳を劈く咆哮が大気を揺さぶる。
ディアルガたちは、首に巻きついた鎖を振りほどこうと懸命にもがいていた。だが、どれだけ振りたくってもビクともしない。むしろますます締めつけられているようで、勇ましき咆哮は苦悶の絶叫へと変わっていった。
「何やってんだよ……モモワロウ……!?」
触れれば肉を腐らせ、縛れば魂を絡め取る毒鎖。
その鎖の主たるモモワロウが、ディアルガたちを拘束しているのだ。
「やめろモモワロウ! やめるんだ!」
いくら呼びかけても返事がない。モモワロウは、目線すら合わせようとしなかった。
俺は歯噛みし、ミュウツーに命じた。
「あの鎖を断ち切ってくれ!」
ミュウツーはすぐに駆け出した。テレポートを駆使し、両腕を刃に変えて振り下ろす。
けれど、その刃は他でもないディアルガによって阻まれた。
青灰色に煌めく鱗がミュウツーを襲う。スケイルショットだ。バリアを展開したミュウツーに、パルキアがハイドロポンプを叩きつける。
「ぐ……っ!」
双方から降り注ぐ猛攻を辛くも凌いだミュウツーは、テレポートで俺の傍に戻ってきた。
「くそっ、もう
モモワロウの鎖には正気を奪い、支配する能力が備わっている。いまやディアルガとパルキアは、モモワロウの忠実な下僕というわけだ。
「────アイツが悪さしてるの?」
冷えきった声が背後からかかる。凍土のオヤブン・グレイシアは、こめかみに青筋を浮かべながらモモワロウを睨めあげていた。
「時神さまと宙神さまによくも不浄な鎖を巻いてくれたものね。行くわよ、あなた」
誘いを受けたガブリアスは眉間に皺を寄せた。
「いいのか。試練の妨害と見なされるかもしれんぞ」
「あの不埒者こそ妨害者でしょう」
グレイシアは冷たく切り捨てた。
「聖なる神殿で時神さまたちを縛るだけでも万死に値する蛮行よ。オヤブンたるわたしたちが処刑しなければ沽券に関わるわ」
「ふむ。一理あるな。ではオレが鎖を斬ろう。グレイスはあのチビを頼む」
「任せて」
答えるが早いか、グレイシアの周囲に小規模な雪風が舞い踊る。ガブリアスは手短に剣の舞を終えると、鎖に向かって突撃した。
シャドーボールの雨。モモワロウの攻撃だ。しかしガブリアスたちは巧みにすり抜け、あるいは躱し、それぞれの目標に近づいていく。
「オラァ!」
ガブリアスの鎌がいまにも鎖を両断しようとしたその時。
何も無いはずの空間から伸びた
「なっ!?」
驚愕するガブリアスを謎の手が振り回す。身の丈180センチは優に超える龍が、玩具のように地面に叩きつけられた。
「あなたっ」
グレイシアが、モモワロウに撃とうとしていた冷凍ビームを手に向かって放つ。しかし、手の前に現れた氷の結晶が易々と受け止めた。
「なに、なんなの」
戸惑うグレイシアの目が見開かれる。
そこかしこの空間が罅割れ、続々と新手が現れた為に。
氷のボディ。
鋼の肉体。
岩の身体。
紅の核と龍の
そして──ディアルガたちに勝るとも劣らない巨躯を持った白き怪物。
俺は、カラカラに乾いた喉でその名を呼んだ。
「レジ、ギガス……?」
遥かな昔、大陸を引っ張ったと神話に謳われる巨神が、五体の仲間を従えて祭壇を蹂躙している。
さしものオヤブンたちもこの光景に絶句していた。
一方で、俺は最悪なことに気づいていた。
モモワロウの鎖はレジたちに伸びていなかった。
ということはつまり、こいつらは自分の意思でここに来て、俺たちと対峙しているということ。
何故?
決まっている。
俺を、アルセウスの救済を、とことん阻むためだ。
レジ一族には、アルセウスに弓を引いた罪を咎められ、石版に変えられてしまったいう逸話がある。
あれがもし事実なら、アルセウスへの恨み骨髄のはず。
同じくアルセウスを亡き者にしようとするギラティナの味方をするのも当然だ。
ギラティナがこいつらを味方に引き入れるのは、さぞ楽だったろう。
ほんの少し唆すだけで話は纏まったに違いない。
「エレ、レレレレ」
レジエレキが輝きを増す。ミュウツーが俺に覆いかぶさり、地面に押し倒した。
頭上を雷光が掠めていく。
息付く間もなく、俺たちの真上に岩の塊が浮いていた。
その場で回転しながら落ちてくる。
レジロックののしかかりだ。
当たれば即死の重量が、恐ろしいスピードで迫った!
「クソがぁっ」
跳ね起きたガブリアスがレジロックに体当たりし、無理やり軌道を逸らした。
グレイシアの吹雪がレジスチルとレジアイスに直撃する。しかしいずれも動じない。タイプ相性だけではなく、生来の耐久力が並のポケモンとは違うのだ。
「ドララ」
レジドラゴの両腕が閉じられ、半回転する。まるで龍の頭がぽっかり浮いているようだ。口の中に破滅的な光が収束していく。どう考えても当たれば痛いじゃ済まなそうな攻撃は、棒立ちのウォロを狙っていた。
俺は考える間もなく駆け出して、ウォロを突き飛ばした。
「アシタバ……っ」
ウォロの小さな手が俺に伸びる。
次の瞬間。
視界が、紅い光に満たされた。
というわけで50話。
3月しょっぱなから更新できて一安心です。
更新が鈍すぎる? それはそう。ほんまにそう。ほんまにすみません(土下座)
さて呼び出されしディアルガパルキアはモモワロウに操られ、レジ一家まで出張る事態に。
ガブリアスたちも戦線に加わってくれますが戦力差がありすぎる。
どうするんだアシタバくん。
よければ感想高評価おなしゃす!