近頃、(ちまた)を騒がせておりまするは、悪名高き大ぬすびと、大忌丸(おおいみまる)の噂にございまして……

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怪談『大忌丸(おおいみまる)

 ■天地・南朱門領 山中・赤根村

 

 誰かに呼ばれたような気がして、信太(しんた)は泥まみれの顔を上げた。

 刈り入れが終わって、秋の田はもう一面干上がっていた。それでも収穫は、村のものたちが食っていくには十分とは言い難い。信太のところだって決して豊かではないのだ。日暮れの橙色が、乾いた田圃を寂しく照らしている。

 稲刈りの後で、稲穂を干すところまで終わってしまうと、信太は空いた時間で、ここしばらくは開墾に精を出していた。やっと今日、ひねこびた根をすべて切り終わったところだったのだ。

「良う働くのう!」

 やっぱり誰かいたのか。信太は頬の泥を擦って、その嗄れた声の方を見た。

「ええ土じゃ。こりゃまずまずの田になろうて」

「おバアか。脅かすなよ」

 杖の先で土を穿っている、さっき信太が掘り出した木の根みたいにしわくちゃの老婆に向かって、信太は笑った。

「別に、大したことねえよ。あんまり広すぎても扱いきれねぇし」

「田植えのときは川下の連中にも手伝うて貰えばええじゃろ。食い扶持が増えるんなら喜んで手ぇ貸すわいな」

 婆は真っ黒な顔をくちゃくちゃにして笑った。

「今日の晩飯はあるんかえ?家来るか。昼に握った飯が残っとるぞ。山味噌もある」

「あんがとな。行くよ」

 そのとき、信太は不意に山の方を見た。

 ひとりの若い女が、ふらっと姿を表した。擦り切れた衣から突き出した手脚はすいっと伸びていてまるで山の若木のよう、肩までに揃えた髪は、夕焼けを受けて、薄っすらと紫がかっているように光っていた。

「紫苑!」

 信太は叫んで手を振った。紫苑ははにかんだように笑うと、たったっと山道を駆け下りてきて、信太が拓いたばかりのところを感心するように眺めた。

「どうだ、おれの田だぞ。おれだけの力で造ったんだ」

 自慢げに言う信太に、紫苑は花のような笑みを浮かべると、白魚のような指を伸ばして、信太の鼻の泥を面白がるように拭った。

 婆が唇を持ち上げて言った。

「なんじゃい、儂のときとは大違いじゃな。あからさまにえばりおって、『大したことねぇよぉ』じゃろ」

「おバアは黙ってろよ」

 信太は歯を剥き出しにして変な顔をした。紫苑はそんな二人を見て、やっぱりおかしそうに笑っていた。 

 

 ◆

 

 紫苑が口を利けなくなって、もう十年以上が経つ。

 野盗がこの村を襲ったとき、紫苑の両親は彼女の眼の前で斬り殺されたのだった。亡骸に残った傷口から、ひと思いにではなく、嬲るように、遊ぶように殺されたのだ。それを目の当たりにした彼女がどれほどひどい思いをしたのか、それは信太にもわからなかった。

「……おんしも、十六じゃな」

 夕餉を終えたあと、火を焚いた囲炉裏を囲んで、婆は信太に話しかけた。紫苑は水を汲みに川へ出かけていた。

「あの子も今年で十六じゃ。もう十年。口は利けんまんまよ」

「口なんか利けなくたって、紫苑は紫苑だろ」

 囲炉裏の小さな火を眺めながら信太は言った。婆は頷かなかった。

「可哀想な子よ。あんな目にあってはな。じゃが、人間は暮らしていかにゃならん。男は嫁を取り、女は嫁に行く。一人きりでは生きていかれんのが世の定めじゃて」

 婆はふーっとため息をつき、言った。

「おんし、紫苑を貰ってやってくれんか」

 信太は囲炉裏より赤くなった。婆はちょっとだけ愉快そうに口角を持ち上げた。

「とぼけても無駄じゃぞ。どのみちそうなる流れじゃったろ。あの子もおんしにゃ惚れとるらしいしの。おんしがグズグズやっておってなぁーんにも言うてこんから、婆のほうから持ちかけとるんじゃ」

「いや、そりゃ、その」

 しどろもどろの信太に、婆は優しく言った。

「別に、自棄っぱちで言うとりゃせん。おんしは働きもんじゃ。あの田を見りゃわかる。おんしの父親(てておや)が合戦に出ていってしもうてから、ひとりでようやっておった。寝小便たれの小僧がよう育ったもんじゃ。村中探してもおらんような、なかなかの男と見込んだゆえに言うておる」

「あんがと、バアちゃん」

 信太はそう言ったが、浮かない顔だった。

「でもよ、おれは……そりゃ、紫苑は好きだよ」

 信太は囲炉裏に杣を足した。

「でもおれ、貧乏だよ。おれひとり食っていくのだってうまく回ってねえ。あいつを娶ってやるんだったら、祝言をあげるっていうんだったらさ、もっといい暮らしさせてやらなきゃ。させてやれるようにならなきゃ、一人前じゃねえだろ。祝言のときにはさ、綺麗なおべべも着せてやりてえし、ご馳走だって用意してやりてえ」

「そうか」

 婆はそれ以上はもう、何も言うつもりはないようだった。

「ま、大人と見込んだけえ言うたんじゃ。大人のやることに口は出せんわな」

「稼ぐよ。今度、山を降りて、また薬草が売れねえか試してみっから」

「山を降りる、か」

 婆はふっと言った。

 

「話は変わるがね、おんし、大盗人の噂を知っとるかね」

「大盗人?」

 尋ね返した信太に、婆は重苦しく言った。

「近頃はどうもきな臭くなってきとる。お侍だの大名だのってな方々は延々と戦をしとるしな。山を降りるんなら気をつけるこっちゃ。そんでもって、大盗人(ぬすびと)よ」

 婆は脅かすように両手を震わせた。

「ここ一年、都のほうを騒がせとる大悪人がおるそうじゃ。賊党の数はざっと百人。その名前こそ世にも恐ろしい」

 婆はそこでちょっと言葉を切った。演出効果を狙ったものらしい。

「“大忌丸(おおいみまる)”じゃ」

「バアちゃん、まーたその手の話かい」

 信太は呆れて首を振った。もっとも、さっきまでの話よりよっぽど気楽そうではあった。

「今度はどこから仕入れてきたんだよ。こないだは、“顔の二つある侍の怨霊が都に出た”って言ってたじゃあねえか」

「仕入れるとは何じゃ。乾物売みたく言いおって」

「一緒だよ。バアちゃんの与太話信じてたら、都には人間より週替りのバケモンのほうが多い計算になっちまわい」

 馬鹿にする信太のほうをじろっと見て、婆は唸った。

「おっそろしい野盗の親玉じゃぞ。よいか、まず身の丈は常人の倍。肩の幅も倍。そして厚みは倍々で四倍じゃ」

「腹が出てるだけじゃねえか」

「髪は真っ黒なざんばらよ。それも脂ぎっておって総身にはりついておる。ゆえに真っ黒な衣を着ておるように見えるという」

「腹が膨れてて黒いのが張り付いてんの?なんだか磯辺餅みたいなやつだな」

「真面目に聞かんか。そいでな、なにより怖いのがその顔面」

「餅みたいにのっぺらぼうなのかい?」

 そういう信太に婆は、恐ろしげな声を作って囁いた。

「違う。長鼻の天狗の面を付けておるそうな」

 今度こそ信太は笑い出した。

「なんだよそりゃ。どこが怖いっていうんだい」

「バカタレ。そんなのが夜道で百人から引き連れて立っておってみい。恐ろしゅうて夜も眠れん」

「おバアはいつだってよく寝てるだろ。いびきが煩いってさ。なぁ、紫苑」

 そう、振り向いた土間には、水くみを終えた紫苑が立っていたのだった。ついでに顔も洗ってきたらしい。髪と頬が僅かに湿っていた。

 婆はきょとんとした顔で言った。

「なんだい、帰ってたのかえ。音がしないから気づかんかったわい。信太、おんし、よう分かったのう」

「おれには分かんだよ。目ぇつぶってたって感じられるね」

 そう言って差し出された信太の手を取って、紫苑は板の間へ上がった。婆はにやにやしながら言った。

「ま、仲がええのは結構なことだあね」

 

 ◆

 

 さて、大盗人“大忌丸(おおいみまる)”なんてのは、婆が又聞きした胡散臭い話だと思われていたわけだが、しばらくして、思いもよらぬ出来事がこれに絡んできたのだった。

「謹聴、謹聴」

 ひとりのお侍が、村へ来たのである。

 もっとも、お侍の常として、お供はたいそうたくさん連れていた。長々とお付きのものが口上を述べ、名乗り、家格の由縁を並べ立てていたが、村人にとってはどうもよくわからぬことであった。

「こちらにおわすのが、その緋山斉明さまにござる」

 そう言って、その付き人は緋山なにがしを見た。例によって馬に乗っている。村人の人垣の外側で、信太は紫苑の手を握りながら婆に囁き尋ねた。

「誰だ?偉いのか?」

「まぁぼちぼちかな。大大名南朱門の家来の家じゃ。その三男坊らしい。あとはよう聞き取れなんだ」

 そんなことを聞かれた日には斬り捨てられていただろう。幸いにして、侍衆はほどよく耳が遠かった。

「こたび、近隣の廃村にて、野盗“大忌丸”の(ねぐら)を認めた」

 お付きのものが言った。

「ついては、野良仕事で鍛え上げた腕のある汝らに、この盗賊の征伐のため、手を借りたいというのがこたびのことじゃ」

「大忌丸?」

 信太は頭を掻いた。

「バアちゃんの与太話じゃなかったのか」

「そらみろ」

 婆は静かにほくそ笑んだ。お付きのものはなおも喋り続けていた。

「よいかな、ただとは言わん。緋山さまは汝らへ、それなりの銭をば支払うと仰せじゃ。手を貸したものには、この黄金をひと欠片。そのうえ、もし、仮にではあるが、我らを差し置いて“大忌丸(おおいみまる)”に止めを刺したものがおったならば、よいか、よいか、蔵一つ分の黄金を与えようぞ」

 その瞬間、村人はどっと沸き立った。

 信太もまた頬を紅潮させていた。

(蔵一つ分の黄金(きん))

 左手に握った紫苑の小さな手が、かすかに二の腕に触れる薄い肩が、途端に重くなったような気がした。

(それがあれば、紫苑を娶れる。祝言を挙げられる)

「紫苑」

 信太は紫苑の目を見て言った。

「おれ、行くよ」

 そのとき、紫苑は不安そうな眼で信太を見返した。その目を振り切るように、信太は紫苑を抱き寄せ、耳元で囁いた。

「大丈夫。絶対に五体満足で帰って来っからさ」

 

 ◆

 

「儂は心配じゃ」

 次の日の朝、婆は信太のあばら家の前でそう言った。

「どうも気が騒ぐわい。おんしの親父も似たようなことを言って、結局帰ってこなんだ。合戦で一旗揚げようなんぞ、危ない橋じゃぞ」

「でも、なんかしなきゃ。なんかしなきゃ、今あるもんは変わんねえだろ」

 ありったけの武具を集めてきた信太は、鍋の蓋を構えて言った。実際のところ、武装の半分くらいは台所のものだったのである。

「大丈夫だよ。父ちゃんとは違う。合戦じゃねえ。合戦だったらよ、数は互角とかそんなんだろ。これは盗賊退治なんだからよ。軽い怪我くらいで済むって」

 信太はそう言って笑った。それは自分に言い聞かせているのかもしれなかった。

 紫苑は黙りこくって聞いていたが、決心したように信太に近づくと、両腕を広げ、押し潰すみたいに信太を抱き締めた。その顔はどっちも真っ赤になっていた。

「じゃあな」

 

 信太は木製の太い棍棒を持って、意気揚々と歩き出した。

 この村からは、信太の他にも幾人か同じようなやつが出ていた。すでに他の村にまで触れが回っているのだろう。村から出る道には、それなりの大勢が集まっている。

「では、来やれ」

 お侍たちはそう言って、先を急ぎ始めた。

 信太は怪訝そうな顔であたりを見回した。あの、緋山とかいう侍がいない。一番の大将のはずだろうに。

「あのぉ、すんません」

「なんだ」

 近くにいた下っ端の侍は、きっと農民に毛が生えた程度のやつにすぎなかったのだろうが、それは偉そうな態度で信太を睨んだ。

「いや、ちょっと気になっただけで。あの緋山さまってお方は、来ねえんですか」

「当たり前だ。緋山さまはお前の村に逗留しておられる。村の長の家にな。このような雑事に、いちいちついてくるお方ではない。つまらない流れ矢にでも当たったらそれこそつまらんではないか」

 この下っ端は饒舌だった。きっと、信太のような百性と自分は違うということを確認するのが愉悦だったのだろう。それはもうよく話した。

「では、身の丈倍の大男ってな、ホントなんですか」

「真だ。だが腹が出ているというのは違うだろう。おまえ、もっとものを深く考えるクセをつけろ」

「そうすね」

 信太はへらへら笑った。馬鹿みたいにそうしてさえいれば、この下っ端も気分がよさげなのだった。

「いいか、此度は足軽を募ったがな。所詮おまえたちは数合わせだ。下っ端でも相手に、暇をつぶしているといい。大盗賊“大忌丸”は我々が退治する」

「左様ですか」

「なに、手間賃は払う。それだけでも結構なものになるはずだ。そろそろだぞ。うちの隊はこのまま真っ直ぐだ。道を塞げ。逃げてくるやつがいても逃がすなよ」

「へえ」

 信太はこころの中で落胆していた。

 自分たちのような兵はあくまで、数合わせにすぎないというのは本当らしい。先鋒も任せてもらえないのだ。これでは、“大忌丸”とやらを討ち取ることなどできない。

(こりゃ、はしゃぎすぎたかな)

 信太は鼻息を漏らし、そして気持ちを切り替えることにした。遊山だと思えばいい。噂の化け物じみた野盗を一目拝めたら、きっといい土産話になる。紫苑はきっと面白がって笑ってくれよう。特に、四倍の腹のくだりを。

「あれだ。あれが野盗どもの巣よ」

 

 眼の前に見えてきたのは、期待通り、おどろおどろしい廃寺だった。

 どうやらもう既に、捨て村の中には入っていたらしい。特に珍しいものでもなかった。飢えと渇きに干上がって逃散した農村は、このあたりにはいくらでもあった。なにせ山の中なので人よりも獣のほうが多いくらいなのだ。それに、鬼や狐狸、物の怪の類の影も。

 それに、盗賊とやらも確かにいた。

 といっても、みな死にかけていた。侍に切られたあとらしい。だいたい、どいつもこいつも薄汚れた百性ふうで、面白くもなんともなかった。痛々しいだけだ。

(打首になんのかな)

 哀れみを込めて、信太は呻いている盗賊たちに軽く頭を下げた。

 そのとき、討伐隊の歩みが止まった。前のほうがつかえている。

 信太は首を伸ばして、人垣の隙間からそれを覗いた。

 

 たしかに、そこには恐ろしげな男がいた。

 ただし噂よりも小兵だった。真っ黒な天狗面をつけ、衣は血が固まったようなものに覆われてどす黒い。手脚は筋肉質に固く盛り上がっていて、どこか獣を思わせる男だった。闘犬や狼といったふうだ。そして、キツい酒の匂いを漂わせている。

『侍ども』

 男はくぐもった声で言った。

『なんの用件だ。俺の可愛い子分どもを随分痛めつけたな』

「汝に誰何する」

 あの、お付の侍が、人垣の前に出て言った。刀に手をかけている。どうも一番偉いらしい。副将格といったところか。

「なんじ、名を、悪名高き“大忌丸(おおいみまる)”と申すか?」

 “大忌丸”はクツクツ笑った。

『いかにも俺だ。それがどうした』

「成敗!」

 侍は刀を抜き放ち、光を断ち切るかのように素早い居合切りで大忌丸めがけて閃かせた。信太は少しばかりほれぼれとしてそれを見ていた。本物の刀を見るのは初めてだったからだ。

 

 次の瞬間、侍が左右真っ二つになっているのを見るまでは。

 

『見くびられたものだ』

 大忌丸もまた、腰のものをいつの間にか抜き放っていた。

 馬鹿みたいに真っ赤な血が、雨のごとく吹き出した。侍の亡骸を蹴り飛ばすと、大忌丸は刀を振るって血飛沫を飛ばした。

 それは真っ黒な刀であった。まるで月のない夜を鍛造したかのような、闇を形にしたような刀であった。

『この俺を相手に、この程度の相手で退治できるつもりとはな』

 あたりは騒然となった。

 侍たちはどよめき、殺気立って前へ前へと進もうとした。翻って、百性から集められた兵たちは踵を返して逃げ出していた。あんなのと戦えるわけがない。ふたつのこの動きが、一瞬、その場の流れを澱ませた。

 そこに大忌丸が刀を差し込んだ。

 新たにふたつの首が飛んだ。くるくると宙を舞って、一つは信太の腕の中へ飛んできた。信太は血まみれになって呆けたあと、慌ててそれを放り出した。

「なんという切れ味か」

「こやつ、どんな怪しげな手を使いおった」

 いきり立つ侍たちを嘲るように、大忌丸は髪を振り乱して首を振った。

『教えてやろう、大名のイヌども』

 その手のなかで、あの闇夜のような黒い刀が鈍く光っていた。刀身まで真っ黒なのだ。

『これぞ、かの名刀百選が一振り【夜】。おれはこいつを手に入れてからというもの、ずうっと人を斬ってきた。怨念が染み付いているのがわからんか。斬られた者ども、亡者どもの無念と苦痛が刃に染み込んでいるのがわからんか?』

 大忌丸は狂ったように笑いながら、一歩間合いを詰めた。

『あと少しだ。あと少しの怨念があれば、恨みと憎しみが注がれれば、こいつは妖刀として生まれ変わる。血染めの刀になれる。お前たちはな、そのための贄なのだ』

「ほざけ、物狂いめが!」

 二人の侍が叫ぶと、(はす)に構え合った。大忌丸を囲んでいる。

「いかな名刀であろうと一振り」

「振るう手も一人。これはかわせまいぞ!」

 そして、ふたりはまったく同時に刃を振り下ろした。大忌丸は首を傾げ、深くため息をついた。

 そして彼は【夜】を横一文字に一閃した。

 次の瞬間に起こったことは、遠巻きの信太の目にもよくわからなかった。大忌丸の身体が歪み、霞んだかと思うと、二人の侍とはややズレたところにいつの間にか立っていたのである。

「面妖な」

 かき消えた敵に呆然とする二人を、大忌丸の突きが容赦なく貫いた。

『“成りかけ”だからな。妖術くらい使えらあなァ』

 ふたりは胸のまったく同じところを貫かれて倒れた。大忌丸は返す刀で背後から斬り掛かってきていた男を逆袈裟にすると、【夜】を腹に突きこんで抉った。

『どうもいかんな。お侍さんがそういう卑怯をしちゃあ駄目だろうが』

 末期の悲鳴を愉しむように、大忌丸はその侍をゆっくりと斬り捨てた。それが最後だったらしい。誰も立っていない戦場をゆるりと見渡し、大忌丸は云った。

『まだ妖刀には成らんか。血が吸い足りないと見えるな。我が【夜】よ。まだ血が欲しいか』

 血濡れの天狗面がぎろりと逃げる百性どもを見た。

『今、吸わせてやる』

 言うが早いか、大忌丸は飛蝗のように跳躍した。

『雑兵ばかりうじゃうじゃ集めおってからに!』

 日がな一日畑しか耕していない百性たちだ。そんな彼らをその黒い刀はそれこそ容易くばらばらにした。血溜まりの中で、盗人“大忌丸”は吠えた。

『足らぬ、足らぬぞ、まったく以て足らぬ。末期の無念さも、怒りも、憎悪もないではないか。逃げ回る雑兵どもの安い恐怖ではまったくもって足りぬわ!我が名刀を、くろがねの芯まで血と恨みで染めさせろ!』

 信太は骨の芯まで縮み上がってそれを見ていた。

 後ろの方にいたのが幸いした。群衆に斬り込んだその切っ先は、信太の逆を向いていたからだ。足が震えているのが分かった。おのれがどんどんと後退りしているのも。

「駄目だ」

 しかし、信太は己の足を掴んで無理矢理に止めた。

(おれはここへ何しに来た)

 荒ぶる息を抑え込みながら信太は自分の鳩尾を押さえた。

(金が欲しいから来たんだ。あいつの首取りゃ一財産なんだ)

 信太は鍋の蓋を投げ捨て、足元で死んでいる侍たちの骸から、二振りの刀を選んで持ち上げた。ぎらぎらと光っているそれは、それなりの名刀であるのに違いなかった。

 

 大忌丸はしゅうしゅうと息を吐き、ぐるっと敵を睥睨した。

 侍衆とは違う。農兵たちは誰も立ち向かう気など無いのだった。なにせ武装さえない。散り散りになって逃げ惑うだけだ。

『やめだ』

 大忌丸は切っ先を下げ、一番近くにいた小男の襟首を引っ掴んで転ばせると、五、六発殴りつけて大人しくさせ、その衣を千切り取って刀を拭った。

『面白くもなんともない。おい、こたびの退治は誰の差し金だ』

「ひ、緋山さまとかいう大名で」

『誰だそれは。聞かん名だな。木っ端侍め、味のしない武者を寄越しおって』

 大忌丸は腰にくくりつけた瓢箪から酒をかっ食らうと、小男を蹴り飛ばした。

『うちの子分どもはどうした!こんな腑抜けにやられる腰抜けばかりか!あぁ、嫌になるわい。世は乱世だというのに』

 そのとき、農兵たちの合間を縫って、血まみれの男が一人、よろよろと近寄ってくるのが見えた。腹から臓腑を零している。

 大忌丸は首を傾げた。男は絞り出すように言った。

「大将!親分!た、助けて、くだせえ」

『情けない。そのざまでは永くないな』

 確かに、血に塗れたその盗賊は、生きて立っているのが不思議なくらいの有り様であった。腹の中身が溢れているのだから。口からも血の泡を吹いている。足取りもふらふら覚束ない。真紅の泥に汚れた顔は、瞼を持ち上げるのも難しそうで、人相の判別もつかないほどだった。

『また子分を探さにゃあならんとは。いっそどこぞに士官でもするか。人斬りの腕を欲しがるとこもあんだろう』

「そんなこと言わねえで、助けてくだせえ。薬を、薬を」

『往生際の悪いとはこのことよ。え?酒ぐらいしかねえぞ。そうだ最期に酒盛りでもするか!』

 大忌丸はげらげら笑い、その子分がとうとう腹を抑えてぶっ倒れたそばで瓢箪に口をつけた。

『お前も呑め、ほら。呑まんか。どうせ下に風穴が空いてんだから底なしに呑めるぞ。もってあと四半刻の生命(いのち)だぞ。死ぬ前に死ぬほど酔っ払ってみろ。こんな機会はなかなか無いもんだ』

「助けてくだせえ」

『無茶を言うない。これで助かったらお前は人間じゃねえよ』

 大忌丸はひとしきり笑うと、腰に鈴生りにした瓢箪のひとつをかち割って中身をぶち撒けた。

『そおら、生前葬だ』

 そう言って自分も酒に口をつけた大忌丸の、その衣の裾を、死にかけの子分が掴んだ。大忌丸はその顔を見た。酒に洗われてきれいになっていくその顔を。

『ときにお前、名前は何だったかな』

  

 次の瞬間、死にかけの男の腹に隠されていた刀の切っ先が、屈み込んだ大忌丸の喉笛に突き出された。

 僅かな抵抗があった。人の肉とはかように硬いものか、と思わせるような、樫の木ほどの感触があり、ついでそれを突き破る手触りが伝わってくる。

 大忌丸は驚愕の表情を口元に浮かべ、ひいひいと笛を吹くような音を立てながら飛び退いた。どす黒い血がぼたぼたと落ちる。

 ()()は間髪入れず、背中に隠していたもう一本の刀を振り抜いた。下手くそなそれはきちんと斬れきらずに、大忌丸の脇腹に刺さったまま持っていかれた。

「あんたが」

 口の中に貯めた他人の血を吐き捨てて、信太は云った。

「あんたが、子分の顔を覚えるようなやつじゃなくて良かった」

 大忌丸は信太に向かって歩み寄ろうとしたが、その足をふっと止めると、自分の喉首に突き刺さったままの刀の柄を触った。

 もう助からない。先刻の彼が自分で言ったことだった。大忌丸は薬のたぐいをなにひとつ持っていやしないのだから。致命傷はどうにもならない。

 それでも、こなれた人斬りの大忌丸にかかれば信太の息の根くらい、素手でだって止められたろう。しかしながら大忌丸は、何を思ったのか、腰の吊り紐を緩めると、名刀百選が一振り【夜】を鞘ごと掴み、信太に力なく放ってよこした。

『口惜しや』

 大忌丸は聞き取りにくい声で言った。

『名刀【夜】の生成(なまな)りを、見損なったは口惜しや』

 その身体がぐらりと揺らいだ。

『されど怨みは継がれゆく。刃の染みに継がれゆく』

 そして、大忌丸は呆気なさすぎるほどに討ち取られた。

 信太はその黒い刀を拾うと、苦労して鞘を払い、斃された男の首へと二、三度力任せに叩きつけた。命のやり取りの熱が冷めないうちに。

 

 ◆

 

 ■赤根村

 

 夜明けの時刻に村を発ったというのに、もう、日が暮れ始めていた。山の日の没するのは早いのだ。山の端の木々の輪郭に、真っ赤な太陽がじりじりと食われていく。

 信太が村の長の屋敷――と言ってもやや立派なあばら家程度のものだったのだが――とにかくそれの扉を叩き、大忌丸の首を見せたとき、出てきたのはやはりあの緋山なにがしではなかった。

「まことにそなたが討ち取ったのか?」

 側近かなにかの侍は訝しげに言った。無理もない。信太はどこからどう見たって百性にしか見えなかったからだ。他ならぬそのことを使って奸計にはめたなどと、信じられるはずもなかったが、しかしその手にはまごうことなき天狗面の首があった。

「忘れるなよ。蔵いっぱいの礼金だぞ」

 そういった途端、侍は本当に苦い顔になった。

「とにかくその首級(くび)をおいてゆくがよい」

 侍は言った。

「我らが屋敷に持ち帰って首実検をする。礼金については後日使いをよこそう。ほれ、この包に入れよ」

 広げられた風呂敷に天狗面を外した首を放り込んだとき、信太ははじめて大忌丸の素顔を目の当たりにしたのだった。それは、奇妙なことではあるが、どうにも安らかな死に顔に見えた。人斬りの業から解き放たれた、宿業の大盗人(おおぬすびと)の面なのかもしれなかった。

「ではゆけ。ようやった」

 

 結局、あの緋山なんとかは一度も顔を出さなかったし、お褒めの言葉なんぞもくれなかったな。

 信太はそれがちょっとばかり不満だったが、それでもうきうきしながら家路についた。腰に結わえた戦利品の重みだって、まったく気にならない。

「あの間抜けざむらい、動転してたな。刀と面を持っていき忘れてやんの」

 信太は近くの小川で水をかぶって血やら泥やらを洗い落とし、紫苑の家までの山道を駆け上った。

 蔵いっぱいの礼金がもらえる。それに、この刀と面のことも早く話してやりたい。恐ろしげな大盗人は本当にいたのだ。八面六臂の人斬りを、いかにして巧く討ち取ったのか、紫苑と婆に聞かせてやりたかった。

「おれだって、やればできる男なんだ」

 信太は土埃を蹴立てて、紫苑と婆の家へ飛び込み、土間に勢いよく転がった。

「紫苑!」

 信太は呼ばわった。

「紫苑!やったぞ!蔵いっぱいの金だ!祝言を挙げようぜ!うまいご馳走も買おう。でかい家を建てよう。綺麗な着物だって、いくらも買っちまおう!」

 そう叫ぶ信太のもとに、婆がひょっこりと顔を出した。

「帰ったのか、おんし」

 その声は、心配と不安にか、震えていた。

「あぁ、せめてもの救いじゃ。おんしが死んでおったら、婆は、婆は耐えられなんだぞ。よう戻った」

「馬鹿言うなよ。ほら、戦利品もあるんだぞ。大盗人の刀と天狗面だ!」

 信太は板の間に上がると、紫苑の気配を探して首を回した。

「紫苑?どこに行った、紫苑?いないのか?水汲みか?」

 いいや違う、川筋にはさっき自分が身を清めに行ったとき、誰もいなかったのだから。信太は婆の横をすり抜けて板の間に踏み込んだ。

 

 紫苑が、仰向けになって寝ていた。

 その顔には真っ白い布が掛けられていた。

「なんだ、おバア、いるじゃねえか」

 なにかおかしい。なにか変だ。

「けどなんだよ、この格好は。顔に布なんて被って。これじゃまるで」

 血の匂いがする。鉄のような金気の臭いがする。

 

「あぁ、あぁ、あぁ、信太!紫苑は死んでしもうた」

 婆が半狂乱になって喚いた。

「死んでしもうたのじゃ。紫苑、あぁ、可哀想な紫苑や!」

 その衣に真っ赤な染みができているのを、信太は呆然と眺めていた。よく知っている。そういうものを、今日は散々見てきた。左の肩先から()の下にかけてもうばっさりと裂かれている。

「おかしいよ」

 信太は叫んだ。

「おかしいだろう。死ぬはずがねえだろう。なんにもなかったじゃねえか。今朝はなんにもなかったじゃねえか!」

「あの侍じゃ。緋山じゃ」

 婆はしゃくりあげながら、信太にしがみついて唸った。

「あの緋山が、紫苑に言うたんじゃ。(ひな)にはありうべからざる器量良しじゃと。そんでもって、妾にしてやるから、緋山の本家へば来いと」

 信太は頭のなかが真っ白になってしまって、ただ棒切れみたいに突っ立っていた。婆は相変わらず、理屈の通らない、ばかみたいな、いつも通りの与太話を続けているようだった。

「あいつは、あぁ、あの緋山は、紫苑の手を引いて連れて行こうとした。そうしたらあの子が、あの口の利けんはずのあの子が、言うたんじゃ。『いや』と言うたんじゃ」

 婆は言った。

「ほんに、涼やかな声じゃった。谷の川のような、綺麗な声じゃった。あの腐れの緋山は、それで、かあっと血が昇ったんじゃろう、腰のものを引っこ抜いて、紫苑を……紫苑を!」

「何言ってるか分かんねえよ、バアちゃん」

 信太は凍りついたように蒼白な顔になって、紫苑の顔の布を捲った。

 そこには、眠っているような彼女の、いつも通りの顔があった。けれどもそのとき、信太は理解してしまった。これは紫苑じゃあない。ここに紫苑はいない。

 そういえばはじめから変だった。この家に入ってきたとき、紫苑の気配がしなかったから。物音一つ立てないあいつのことを、信太はいつだって見つけられたのに。

 

 信太は声にならない叫びを上げると、板の雨戸を蹴り破って外へ飛び出した。

「どこへ行くんじゃ!信太!」

 婆の呼び止める言葉など、もう耳に入らなかった。

 夜が更けていく。山の端に沈む日が、その赤色が消えていく。

「紫苑」

 信太は口の中で呟いた。紫苑の手が、髪が、細やかに動く脚が、切れ長の目元が、花の開くような満面の笑みが、ありありと脳裏に張り付いている。

 信太はあぜ道を走り、勢いのあまりすっ転んだ。土に擦り付けた額の痛みなんかに構うことなく、信太は地を殴り、顔面を打ち付けた。自分が悪いのだ。盗賊退治になんか行くんじゃなかった。人を殺して礼金をせしめようとなんかしたから罰が当たったんだ。

 死ぬべきなのは自分だった。紫苑より自分のほうがよっぽど価値のない人間のはずだった。

 

 紫苑。優しい紫苑。いつも笑っていた紫苑。なにひとつ悪いことなんかしちゃいない紫苑――

 

 ◆

 

 ■山道

 

 緋山斉明の一行は、うら寂しい山道をとろとろと下っていた。

「して、退治の奴らは本当にみな死んだのか」

「村の百性によれば、左様にございます。まことに残念なことで」

「よい。わし、あやつは嫌いじゃった。父上からの目付けじゃったから、いつもやいやいと煩そうてな。今度のはもっと静かなのがよい」

 大忌丸の首を包んだ風呂敷を気味悪げに眺めながら、緋山はポクポクと馬を進めた。

 すでに夜は更けていた。四方を覆う濃い闇は、まるで泥の中を泳いでいるかのようだ。この夜更け、本当ならばもう一晩ほど村に泊まるのが普通であったろうが、なにせ村人をひとり無礼討ちにしたのではそれもやりづらい。

「しかし、なにも殺さなくても良うございましたものを」

「嗚呼すまんすまん。次から気をつけるから。お陰でこの夜道を帰らねばならなくなったことは、本当にあいすまぬと思うておるよ。しかしのう、どうももう一晩泊めてくれというのは気が引けてのう」

「言えばよかったではありませんか」

「いやあ、わしはそこまで気が太うないわ。気を遣うてしまうたちじゃ。村の長もなにやら咎めるような眼でわしを見やるし」

「それこそ、無礼討ちにすれば宜しかったのでは」

 後ろにいた一人がぼそりと言った言葉に、一行は呵々大笑した。緋山は閉口した様子で眉を上げた。

「やめいやめい。悪かったというておろうが」

 

 そのとき、馬が竿立ちになって止まった。

 緋山は馬からずり落ち、尻餅をついてひっくり返った。

「何じゃ。どうした朱丸(あけまる)

 その目の先、深い深い闇夜の中には、ひとりの人影が立っていた。なにやら長いものを携えているようだ。

「何奴じゃ?」

 緋山は落馬しっぱなしのまま間抜け面で言った。そばにいた侍があっと声を上げた。

「きさん、あんときの百性か」

 そこにいたのは信太だったのだ。侍は胸を撫で下ろして明かりを指し掲げた。

「村で待てと言うたであろうが。お主の働きに応じて、礼金は寄越す。首を検めたら数日中にでも」

「黙れ」

 ドス黒い恨みを込めて、信太は叩きつけるように言った。その鋭い目が緋山斉明に向く。

「なぜ殺した」

「なんじゃ」

「なぜ殺した!紫苑を!」

 

 その怒りは夜のしじまに高く高くこだました。緋山は得心のいった様子で頷いた。

「成程、そなたあの村娘の知己のものか。許せよ。わしをああも苛烈に拒んだあの娘も悪いのだ」

「そんなわけないだろう!」

 信太は吠えた。だが、言葉の限り並べてやろうと思っていた恨みつらみは喉元まで登ってきては怒りに溶けてしまうようだった。頭のなかの分別と正気が、この夜のように真っ黒な憎悪に塗りつぶされていく。

「お前を殺してやる」

 言うなり、信太はあの盗人の刀、名刀【夜】を抜き放ち、払った鞘を緋山の顔面めがけて投げつけた。抜き身のそれの真っ黒な刃は、とっぷりと更けた夜にまるで溶け込んでしまっていた。

 信太の怨みが、憎しみが、怒りが、その黒い刀を震わせている。侍たちにもありありとそれは伝わっていた。

 それは最後の一押しだった。

 人斬りの男が注ぎ込んだ怨念の、ひたひたになった器に、信太の憎悪が濁流のごとく流れ込んだのだ。【夜】の持つ黒みがさらに深く、邪悪になり、怪しげな気配が見えざる刀身から立ち込めた。

 暗がりに佇む信太の腕も、肩も、胴も、濃くなっていく陰に飲み込まれて黒ずむかのようであった。夜と同化していくようであった。あたりを囲む闇のすべてから、信太の妖気と殺気が針のように侍たちを刺した。

「さてはもはや人ではないのか。悪鬼め!」

 腰の刀を抜き放ちながら、緋山は吠えた。

「だがしかし、おぬしは物が分かっておらん。考えてもみよ。おぬしとてあの村のひとり、家族があそこにおろう。友がおろう」

 緋山は卑劣な笑みを浮かべて言った。

「おぬしが逆恨みにて我らを害せば、あの村へは必ず報復がゆくぞ。え?赤根村の百性よ。村の者たちをむざむざ刑死させたいのか」

「違う」

「なぁにが違うのだ。お主は、赤根村の信太ではないか!」

 

 その言葉に、かつて赤根村の信太だったものは首を振った。

 腰にはあの天狗面が結んであったままだった。彼はそれを被り、頭の後ろで結わえた。真っ黒な面の内側は、むせ返るような血の匂いでいっぱいだった。あの野盗もこんな臭いを嗅ぎ続けていたのだろう。

 そして、おのれもこれからはそうなる。

 もう、自分が何に怒っていたのかも解らない。死者たちの怨讐が脳裏に鳴り響いている。妖刀の呪いに呑まれ、黒く塗り潰されゆくこころの中で、彼が最後にふっと思い出したのは、真昼の光に揺れるシオンの花の色であった。

 

「おれは、“大忌丸(オオイミマル)”だ」

 

 そして、その黒尽くめの姿が、闇夜に溶けて消えた。

 

 ◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◆

 

 ■天地

  

 近頃、(ちまた)を騒がせておりまするのが、かの大妖怪“大忌丸(オオイミマル)”の噂にございます。

 身の丈は常人(ただびと)の倍、真っ黒な太刀(たち)()き、身体中を黒尽くめにした大天狗。その妖術たるや夜に溶ける、現れては失せ、失せては現れるという、それはもう掴みどころのないものです。月の無い夜に出歩いたならば、もう何処(いずこ)の陰からぬっとおん出てくるか分からぬ。前へ出たと思えば後ろへ出る。左にいたと思えば右にいる。

 ですからこの頃では、街の外の夜道を歩こうというなどという者はついぞ、いなくなりましたがこの大忌丸(オオイミマル)何故(なにゆえ)かしらん、百性町人商人には手を出さず、ただ、刀を差したお武家さまをのみ斬るのだそうでございますが…………

 

 

 終


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