出落ち兼そこだけで終了だけど、こういうのが好きな人もいるのかな
くぅん……。くぅん……。
学園の校舎脇の草むらから、そんな鳴き声がする。
それはまるで今鳴くことを覚えた子犬のようで、それでいていやに尊大で傍若無人な響き。
もし動物の声を解読できる能力の持ち主がいたならば、その鳴き声から斯様な『自尊心』を読み取って目を丸くすることだろう。
「王たるもの、決して前の脚……いや、手を付けて地に伏すことがあってはならぬとの心づもりであったが」
しかしその様な覚悟など、今の状況では塵ほどの役にも立たない。
鳴き声の主オルフェーヴルは、今の自分の身体をすっぽり収めた段ボールの縁に「前脚」をかける。
それはこの身に降り掛かった災禍に尻尾を巻いて見せた訳ではなく、自ら事態を打開するための勇猛たる邁進だ。
ゆえに彼女は前脚をかけ、自らを閉じ込めるように覆い囲っていた段ボールから身を乗り出して、辺りを見やるのだ。
果たして正面目に映るのは、とうに見慣れたトレセン学園の寮舎の壁面ではあった。
とは言え地上付近から「見上げる」ことで得られる情景は、なかなかに数奇なものではあったが。
鋭敏になった耳をすませば、何が楽しいのか学園の生徒達のあげるかしましい声が聞こえてくるし、更に遠くではトレーニングに励む生徒たちの掛け声も、一人ひとり聞き分けることができた。
そんなことより今は己自身の境遇。
「余がこうして〇〇(注:本来女の子が口にしてはいけない言葉)の目線に立たなければならないとは。屈辱の極みぞ」
彼女が思う通り、今の覇王の「有り様」といえば。
一対の前脚。
小さき身体からもたらされるいつもより低い目線。
その目線を辿れば、縦長の顔の真ん中に埋まった、ダイヤモンドのように輝く瞳。
頭頂から天に向かって伸びる、2本の耳。はいつもと同じか。
それらを覆う、ふさふさの体毛。
今のオルフェーヴルは、如何なる数奇か、犬の体に成り代わっていたのだった。
何故この様なことになったのか。それについては現状心当たりはなかった。
「無論、原因はともかく下手人についての心当たりは幾らでもあるが」
白衣のマッドサイエンティストの実験の賜物か。
はたまた姉上の企みか。(こう言うと「いくら策略家とは言え、ジャーニーさんに限ってそんな常識から逸脱したことは」と周囲には笑われるが、あれもまた『裏』との邂逅で超常の力を持ち合わせていると、オルフェーヴルは考えている)
「いずれにせよ、かような場所で手をこまねいている訳にはいかん。窮屈でかなわないしな」
まずは本人が下手人かそうでないかはともかく、心当たりのあるだろう姉上を探し出すことにする金色の獣。
入れられていた段ボールを飛び出し駆け出そうとしたその瞬間。
オルフェーヴルにとっては折悪しく。しかし「運命」というやつはまるでその巡り合わせを取り計らっていたかのように、彼女をここに導いていた。
「うーん、握り潰すのが無理ならば、壁や床に擦り付けて……。いや、それじゃ綺麗な球にはならないし、どの道おんなじだけの力を入れないといけないことに変わりないすっね……」
などと思案しながら歩む赤髪の映える少女。努力家ウマ娘のウインバリアシオンだ。
呟きの内容から察するに、いつもの様に自分が【目標】と定めた相手の見せた凄技を自分も負けずと真似しようと試みて、敢え無く失敗に終わった後のようだ。
そんな彼女が通り道の脇草むらの辺りに置かれた段ボールとその中の小さな存在に気がついたのは、今まさにオルフェーヴルが駆け出そうとする、その瞬間であった。
「捨て犬……すか? こんなところに」
オルフェーヴルも同期の存在を無視してそのまま駆け出しても良かったし、さすればこの後の犬の身での様々な【面倒】に苛まされることは無かっただろう。
しかし王としてのプライドが「臣下に見下されながら横切ることになるなど許さぬ」と、己が遁走を許さなかった。
そうこうしているうちに世話焼き体質のシオンとくれば、段ボールの中に放置された者に手を差し伸べようと、こちらに転進。
「とは言え学園の中に捨て犬っていうのも、解せない話っすけどね」
などと言いつつも、スカートの襞が乱れぬよう綺麗に畳んでその場にしゃがみ込み、眼の前の犬と相対する。
シオンの正面から注がれる視線。オルフェーヴルも目を背けないと負けじと睨み返すから、自然お互い顔を覗き込みあうことになる。
犬のオルフェーヴルのダイヤモンドの瞳に、シオンのライトグリーンの輝きが映り込む。
「それにしてもいやに尊大な犬っすね」
ひとめ見、シオンが単刀直入にそう感想を漏らしたのも無理はないだろう。
この犬の外見ときたら正面から見ると白毛で覆われた毛むくじゃらなのだが、頭の天辺から横にかけて黄金に染まった毛が生えている。
黄金の河がふぁさと流れるさまは、まるで猛獣の「たてがみ」のよう。
首の周りも金色の毛が襟巻のように覆っている。
スラリと伸びた脚先はその先端まで真っ白。ツンと澄ました鼻先。
その犬の身で絢爛たる佇まいは、とても道の脇に捨てられた身であるとは思えぬ。何か訳ありなのだろうか。
捨て犬には見えぬからとて、このまま放置するにはしのびない。それくらいの善心はシオンも持ち合わせている。
だから彼女は両手を差し伸ばし、眼の前の<王様犬>の胴体に回す。
抱きかかえられた犬の方は露骨に不機嫌な顔をして。というか実際臣下に抱かれることになるなど不満に他ならぬのだが、だからといって振り払ったりましてや噛みついたりするような暴挙に出るわけにもいかない。
だから【覇王】も、今はシオンのするがままに任せるしかないのだ。
「うわ、本当にもじゃもじゃ。くすぐったいっすね」
シオンが犬を抱きかかえたことで、顔から首筋にかけての毛が彼女の顔にかかる。
バレエの才覚も持ち合わせた少女の白い肌が、黄金混じりの毛に撫でつけられる。
そのさまは、陶器人形の肌が純金のブラシでブラッシングされているかのよう。
当人はそんな情景への感慨は露ひとつ持ち合わせず、当面の事柄について考えを巡らせているわけだが。
(保護した犬を寮にどうやって連れ込むか)
(自分で面倒を見られるか)
(自分に輪をかけて心配性な同居人への対応はどうしよう)
それよりも今は眼の前の犬への率直な感想。
「何ていうか、いやに尊大なこいつを見ていると、あいつ<オルフェーヴル>を思い出すっす」
「ワン(そもそも余だ)」