誰かに強い思いを抱くシュヴァルが、自身誰かに想いを寄せられたって良いじゃないか
「你好(ネイホゥ)。お邪魔だったかしら?」
「ああ、クラウンさん。こんにちは。そんなことはないよ。席が空いているんで良かったら」
「多謝(ドーヂェー)。隣を使わせてもらうわね」
背中から突然声をかけられたシュヴァルグランは、相手を確認すると軽く笑みを見せ、隣の空いているスペースを指し示した。
資料の束を抱えていたクラウンも、シュヴァルの配慮に笑みを返し、彼女の親切に預かるのだった。
トレセン学園の閲覧室にレースに関する資料を持ち込んだ2人である。
シュヴァルは持ち前の集中力を発揮し、再び眼の前の資料を読み込むのに没頭するのだった。
「(それにしても……)」
そんな彼女の横顔を伺うクラウンは思う。
「(いつものシュヴァルだったら急に後ろから話しかけられなんてしたら、『わぁ』なんて可愛い悲鳴を漏らしたり、対応もキョドったりしていたわよね。今のシュヴァル、とても落ち着いていたわ。それに……」
こうも思う。
「(何と言うか、眼の前の彼女。凄くしおらしい雰囲気? 何と言うかこう、一気に垢抜けたみたい。この私があらためて見惚れてしまうくらい……)」
と、シュヴァルのことを眺めているうちに、クラウンは気がつけば徒に時間を消化していたことに気がついた。
あらためて思い出したように、眼の前の彼女に話しかけるのだった。
「そういえばシュヴァル。この前のジャパンカップは――」
「ああ、その話か!」
「恭喜(ゴンヘイ)。おめでとう、念願のG1勝利が叶ったわね」
「ってああ。お祝いを言ってくれたのですね。その、急に興奮したりしてごめんなさい……」
先程までのしおらしさは何処へやら、途端にヘタれてしまうボーイッシュウマ娘。 クラウンはそんな彼女に愛おしい視線を向け、
「祝勝パーティーでも軽く挨拶をしたけども、シュヴァルったらあの時中座して何処かへ行っちゃったでしょ。正式な挨拶は叶わなかったし、今日あらためてお祝いさせてもらったわ」
「そっか。クラウンさん、ありがとう」
落ち着いたシュヴァルも相手に礼を返した。
ジャパンカップの決着後のこの時期、全国の人々そして何よりトゥインクル・シリーズの一線級の走者たちの関心は、年末の有マに向けられていた。
今年の有マは特にトゥインクル・シリーズの覇者、キタサンブラックの引退レースということもある。彼女の花道を見送りたいと願う大勢のファンもいれば、あるいは彼女を破り新たな覇者として君臨する者を待ち望む者も。
いずれにせよそれらの話題は常にキタサンブラックの存在ありき。まさに彼女が今度の有マの舞台の主役に他ならなかった。
ジャパンカップでキタサンブラックを破ったシュヴァルもまた、挑戦者としてピックアップされている存在であった。
今もこうして資料を読み込んでいるのは、本番で逃げを打つだろうキタサンブラックへの、対抗手段を見つけ出すための自主研究だ。もちろん有マを意識したトレーニングも着々と進められている。
レースはキタサンブラック1人のことだけ考えれば良いというものではないが、しかし話題の中心が常に彼女であるように、レースの進行も彼女有りきなのは間違いないのだった。
本番で情けない走りは決して見せられない。
なんせ約束してしまったのだから。
彼女のいなくなった後も自分が走り続けると。「僕こそが偉大なウマ娘になってみせる」と。
全てはあの『告白』で伝えた思いを証明するための……。
そう、『告白』である。レース中に大観衆の前で胸の裡に秘めていた強い思いを披露してしまった、かの事件。それはもう話題でもちきりになった。
直前シュヴァルが動揺してしまったのも、クラウンからそれを蒸し返されてしまったのかと勘違いしてしまったからだった。
「ってあらためて蒸し返すようで悪いけど、確かに私も驚かされたわ。シュヴァルがあんな風に思いを打ち明けるなんて思っても見なかったもの」
「ははは……、驚かせてごめんなさい」はにかむシュヴァル。
「今度の有マ。いよいよキタサンとの最終決戦ね。」
「うん、あの憧れ続けた背中に、今度こそ追いついて追い抜かして。次は僕が彼女に背中を示して。僕が勝ったんだ、僕こそ偉大なウマ娘なんだって示してみせるんだ」
「『今度』って、この前勝ったばかりじゃないの」
「あの時はとにかく無我夢中で走り続けて何も見えなかったから。それに彼女、キタさんはいつもキラキラして眩しくて、僕はただ目を背けていたんだ。こうして素直にキタさんのことを見られるようになって、それでも彼女は太陽みたいな存在だなって、あらためて思ったんだ。そんな彼女にあらためて僕の背中を示してやりたい」
シュヴァルはキタサンへ抱いて思いの丈を語って見せる。
そんなシュヴァルの方こそを眩しそうに見つめ、しかし半ば呆れるように苦笑して口を挟むクラウン。
「レースで警戒するべきなのは、確かに今はどう考えたって彼女よね」クラウンは続ける。「私も同期としてあの子のことを見てきたけど、あの成長っぷりはとにかく規格外だわ。常にこちらの予測値を上回ってくるんだもの」
「クラウンさんだってキタさんに勝っているんじゃないか。僕よりも先に」
シュヴァルの指摘にクラウンはため息を吐く。
「そうね、宝塚ね。でもその後の一連のレースでは、リベンジしに来た彼女にいいようにやられ続けているわ。本人はピークアウトしたって言うけど、未だその脚は健在。どのデータを漁っても、実際のところまだまだ伸びしろを秘めているんじゃないかって言いたくなるわ」
お手上げ状態を示したクラウンに、シュヴァルは唇を結んだ後言葉を紡いだ。
「うん、キタさんは相変わらず脅威だ。でも、僕たちが必ずしも劣勢であるという訳では無い」
「吓?」
シュヴァルの宣言に、香港帰りのウマ娘はハッと目を見開いた。
「ピークアウト宣言後の彼女の走りは、荒々しさに満ちている。ただ徒に、脚よ前へ伸びろとばかりにね。故にコーナリングにも隙が現れて、その分僕たちは内をついて距離を稼ぐことができる。それに中山のコースはゴール前の急坂対策が必須。スタミナ勝負なら、僕も決して負けやしない。勝ち目は十分にあるさ」
そう語るシュヴァルにクラウンはあらためて微笑み。
「そうね。相手だって無敵じゃないんだから、私たちは自分たちがやるべきことをやるだけだったわ。シュヴァル、貴女は常に他者に敬意を持って、真正面から向かい合ってきた。そして何度も挑み続ける。その度に強くなってきた。そんな貴女のこと、私は尊敬するわ」
自身気配りの効く眼の前のウマ娘に誠実に褒められたシュヴァルは、照れくさそうに語った。
「そんな、僕だって決して褒められないような態度でいたことだって、語っただけで引かれるようなどす黒い気持ちでいっぱいだった時だってあったさ。とにかくあの時は、周りのもの全てが羨ましくてただ目を伏せるばかりだったから……。そんな僕にとってキタさんは、僕自身の未熟さを至らなさを突きつけ教えてくれる存在だった。彼女に突き動かされたからこそ、今の僕があるんだ」
「まさに貴女にとっての憧れの存在だった訳ね」
「うん、でも今なら分かる。キタサンブラック、彼女もまた僕たちと同じ、悩める1人のウマ娘だったって。だからこそ有マ、そこで同世代の僕たちが力を示して、キタさんを送り出してやりたい。『ああ、私が引退した後も、トゥインクル・シリーズにはみんながいるんだ』って知らしめてやるんだ」
クラウンも笑みを見せ。
「そう、トゥインクル・シリーズには私たちがいる。……私も有マに出走するしね」
「ああ、もちろんクラウンさんのチェックも忘れていないよ。そうだね、クラウンさんの場合特に注意しなければならないのが――」
解説のさなか、語りに合わせて細かく動く薄い唇を。白い喉を。前髪の向こう習性で伏せ目がちになるその青い瞳を、クラウンは好ましく見つめ続けた。
と時間を思い出したシュヴァルである。
「おっとそろそろトレーニング再開の時間だ。話の途中だけど、僕はここで中座させてもらうね。せっかくお祝いを述べてくれたのに、話もそこそこでごめんなさい」
「こちらこそ。わざわざお時間取らせてしまったかしら」
「ううん。僕も心の裡を吐き出すことが出来てスッキリしたよ。クラウンさんこそ、こんな辛気臭い話ばかり聞いてくれてありがとう」
「そんなことないわよ。シュヴァルのお陰で、私もあらためてやる気が湧いてきたわ」
お互い挨拶を交わし、シュヴァルはその場を立ち去るのだった。
駆けていくシュヴァルの背中を見送ったクラウンは、彼女の姿が見えなくなると、ため息を吐いて独り呟いた。
「『憧れは盲目の産物』とは誰かが言ったけど、誰よりも愛おしいライバルのことを真摯に見極めているのが、あの子よね。……それでいて聞いているこちらが恥ずかしくなるくらいの憧憬を、あんなにも堂々と口にして。はぁ、妬けちゃうわ」
そう口の中で呟いた後今度はしばらく黙り込み、先にシュヴァルが分析した自らの利点を反芻する。
「クラウンさんの末脚は要警戒」
「分析能力にかけては僕を凌ぐ」
「逆境のときこそ燃え上がる精神力は、大舞台でこそ脅威」
シュヴァルの口から紡がれた言葉をひとつひとつ丁寧に胸にしまい込み、しかしその表情は駄々をこねて遂に欲しい物の手に入らなかった子どものように憮然としたものだった。
「あーあ、私も耽ったシュヴァルにあんな風に語られたかったな」
クラウンの気持ちにも気づいてあげてー