「えっ?……、あ…………」
眼の前の情景に、いたいけな女生徒ポニーちゃんはか細く息を漏らすしかない。
学園の校舎裏、影のかかった草むらに倒れ伏したフジキセキ。そこに覆いかぶさるようにしてのしかかるのは、彼女を「先輩」と慕うウマ娘、ジャングルポケットに他ならない。
共に勝負服なのは、今日がたまたまフジキセキたちのチームが主催する握手会の日だから。女生徒がこの場を訪れたのも、それ目当てだ。周囲にも同じ目的でやって来た大勢の生徒たちがおり、皆彼女と同様眼の前の情景に石化するしかない。
ただ倒れて折り重なるだけなら、何かアクシデントでもあったかと思う次第だ。しかし2人の様子のただならぬことに、「先輩」を組み敷きでもしたかのように覆いかぶさるポッケは、フジキセキの首から下がるネクタイを掴み、首の動きを制して見せるのだ。
俺から目を逸らすなとばかりに。
まさにポッケは鬼気迫る形相で、ごく間近に迫るフジキセキの顔を睨めつけて見せる。
ポッケの波打つ栗色の髪が、真下の獲物を狙う触手のように怪しく垂れ下がる。
彼女の輝きを宿した若草色の大きな瞳は、今は野生じみた土まみれの『緑』に変じ、瞳も鋭く尖っている。
目下その視線を受け止めるフジキセキも、いつもの柔和さや人懐こさはかき消え、険しい表情を浮かべてポッケの視線を受け止めるばかり。
彼女の湖水のような淡いブルーの瞳が、暴虐な『緑』に侵され、沈鬱な海底の青に変じつつあった。
「エンターテイナー」がタブーとする裏表のない本気の『貌かお』が、今人々の前に現出している。その禁忌を前になお臆することなく、征服者と化したジャングルポケットは、フジキセキという漆黒の城塞を侵すのだ。
ポッケの額から汗が一条鮮烈に垂れ落ち、フジキセキの紅い唇クレバスを穿つ。
それを合図にしたかのように、
「あ、あの……。先輩方」
ここでようやく、1人の気丈な(お節介な)女生徒が俄のショックから立ち直り、勇気を振り絞って声を掛けるに至る。
そして我に返った一同、
「え、フジ先輩?」
「一体これは……」
「お2人に何が起こっていますの」
口々に言葉を交わしあい、中には抜け目なく
「と、とにかく撮影を……」
などと、懐からスマホを取り出した者まで現れる。
その時である――。
フジキセキを組み伏せ睨めつけた。その状態のまま静止していたポッケが、遂に口を開いたのだった。
「うるさい 黙れ フジ。」
それは普段快活を超えて騒音公害とまで評されるウマ娘にしては静かな声音、いやに重い口調で。
しかしその存在感ある声音は、周囲のウマ娘たちにしっかりと届いたのだった。
憧れていた先輩への「下剋上」宣言。
衝撃的な言辞を耳にし、周囲のウマ娘たちはある者はその場でふらりと倒れ伏し。また別の者は立ったまま口から魂を吐き、放心している。
友人同士連れ立ったものは互いに寄り添い抱きしめあって、興奮のあまり喉も裂けよとばかりに絶叫に至るのだ。
「「きゃあああああああぁぁぁぁぁ!!!!」」
たちまち混沌とする校舎裏の広場。
この様な事態に何故至ったのか。
それを説明するために話は少し遡る。
学園の廊下を、2人のウマ娘が連れ立って歩く。歩きながら何やら打ち合わせでもしているようだ。
「で、そこで俺がパーッと出てきて、観衆を驚かすって塩梅で。いつものように時間を稼ぐ口上はフジさんにお任せするっす」
「おや。ポッケの方からショーの進行まで差配できるようになったとはね。イベントの段取りも、今後は万事ポッケに任せても良い頃合いかもしれないね」
「いやーっ。そこはまだまだフジさんには及ばないっす」
頭をポリポリ掻く。
話の内容から察するに、今日行われる握手会でのサプライズ・ショーの打ち合わせをしていたようだ。
と2人の前に駆け寄ってくる1人のウマ娘。
「おや」と歩を止めるフジキセキの前でピタッと停止すると、彼女は後ろ手に隠し持っていた物を、勇気を奮って正面の相手に差し出した。
「あ、あの、これ。先輩のために頑張って作ってきました。どうか受け取ってください」
それは小さな小箱に入った、手作りのチョコレート。
フジキセキはやや困ったような表情を作り、
「おや、今日はイベントの日だから、入待ちは禁止だった筈なんだけどね」
「そ、そんな……」
フジキセキは、困り顔を通り越して絶望的な表情になりかけた相手の顔を覗き込むと、
「今は誰も観ていないから、今回だけは特別で許してあげるよ。その代わり、今度からはこんなことはしないって、約束してくれるかい。ポニーちゃん」
「も、もちろんです!」
相手はフジキセキに誓うと、感動のまま駆け去っていく。
一連の光景――「毎日がバレンタイン」と言われる、フジキセキお馴染みのそれ――を見届けた連れは、苦い顔だ。
「待たせてしまったね、ポッケ」
「いやぁ、別にそれは全然構わないんですけどね。……ただ引っかかることがあるというか」
「おや、どうしたんだい」
後輩の吐露に手を貸せることはないかと早速尋ねるフジキセキ。そんな相手にジャングルポケットは、いつものガサツだが本質を突く話しぶりで説明するのだった。
曰く、人々に夢を与えるエンターテイナーとして振る舞うフジキセキの走りは、自分も尊敬の対象であること。
その振る舞いに当てられた女性ファンが大勢存在するのは、決して不愉快ではなく、やはり自身にとっても嬉しいことであること。
「ただ……」と前置きをした上で続ける。
そうした『夢見る』ファンというのは、得てして『飛躍した』妄想に至りがちだ。
例えば崇拝する対象と、周囲の人々の関係性を妄想してみたり。その中には、当然フジキセキの後輩として付き従うポッケも含まれている。
ポッケとて純情? だが、決して周囲と没交渉ではないから、その手の人達がつくるものを、何かのきっかけで目にすることもある。……そこに描かれた、めくるめく情景の数々……。
その想像力に感心する一方で、「俺ってこんな風に思われている訳!?」と、時に困惑もする。
「それにっすよ」とポッケは付け加える。
「なんっつーか。自分がこう、下? に置かれるっていうのは、もどかしいと言うか焦れったいと言うか。あー、上手く言葉に表現できないっすけど」
歯がゆそうに頭を掻く。
ポッケの言い分も一利ある。
「自分こそが1番である」と信じ、勝利を目指して努力し続けるのが、ウマ娘の本懐だ。
こうした関連性妄想において従属した位置を割り当てられるのは、ウマ娘として違和感を抱いてしまうのも仕方がないのかも知れない。
とは言え最後に「ああ、別に自分の方がフジ先輩をどうにかしてやろうとか、不埒なこと思っている訳じゃないっすよ」と、慌てて付け加えるポッケなのであった。
ポッケの話を聞き届けたフジキセキは「ふふ」と笑みを見せ、
「まぁ、ファンは私たちに過剰に期待を寄せるあまり、得てしてそうした飛躍に至りがちだね。とは言えそれに付き合うのも、夢を見せる役割を担った、私たちの義務でもあると思うよ」
「フジさんはそういうところまで割り切っているんすね、流石っす」
「いやぁ、急に見せられたらびっくりしちゃうのは私も同じかな」
そう屈託なく笑うのだった。
そんな感じでファンの抱く『夢』に関する思い出や心構え諸々について話しながら、ステージの控室へと向かう2人であった。