ラブライブ! ー果実の鎧武者ー   作:春巻(生)

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さあ今回から第二部の開始ですが……活動報告で警告はしましたからね、私は。
どんな展開が来てもいい心の準備は出来ているでしょうか?

それでは今回もどうぞ。


第二部 ヘルヘイム編
第51話 残酷な世界


「こちらイチゴパフェになります。ご注文は以上でよろしいでしょうか?」

 

 

 店員らしく笑顔を振りまき、私たちの座るテーブルにパフェを置いてくれる鉱芽さん。いくら相手が顔なじみの私たちだからといって、彼は変にへりくだることはない。でもそれは店員として当たり前のことだよね。メイド喫茶で働いている私にとってもそれは大事な事だとちゃんと分かってる。

 だけど、カリスマメイドなんて言われても、私は所詮経験の浅い小娘だ。だから、接客業としては先輩である彼の動作をこんな間近で見れるのは結構勉強になったりする。

 

 

「「「はい、ありがとうございます」」」

 

「それではごゆっくりどうぞ」

 

 

 私たちに一礼して次の作業に移っていく鉱芽さんを見届けつつ、私と穂乃果ちゃんと海未ちゃんは、今しがた届いたパフェに手を伸ばした。今日は朝の練習が終わった後、私たち三人は昼からドルーパーズに寄ることにしたの。あ、もちろん鉱芽さんには伝えてたよ。

 あの合宿が終わってから、練習以外で中々鉱芽さんと絡める時間がなかったの。だから、せめて今日は彼と共にお昼を過ごそうかなぁ……って。だけど思っていたより店に人が多くて、あまり鉱芽さんと話せるタイミングが掴めないんだけどね……あはは……。

 

 

「ことりちゃん。鉱芽さん、このあいだも大変だったんでしょ?」

 

「大変とは……それはクラックのこと、ですか? ことり」

 

「え? あ、うん。そうなの」

 

 

 先日もクラックが開いて、彼はいつものように変身して戦った。その時は近くに私もいたんだけど、なんだろう……ここ最近の鉱芽さんは、どこか落ち着きすぎてるっていうか、慎重になってるような気がするの。確かに以前から冷静な人ではあったと思うけど、それでも合宿が終わってからの鉱芽さんはいつにもまして静かに感じた。それに、私には彼がまるで何かに警戒しているようにも見えたの。

 

 

「(鉱芽さん。最近ちゃんと息抜きしてないのかなぁ……)」

 

 

 言葉にすれば彼に聞こえてしまうから、心の中で問いかける私。でも、いっそのこと彼に直接言った方がいいのかもしれない。私に話してくれない可能性は高いかもしれないけど、それでも聞いてみるべきだと思った。

 どうしてそんなに静かにしているのか。何かに警戒しているのではないのか。

 彼を想えば想う程、そんな心配を抱いてしまう。それならば、と私は次に彼が近くまで来たら聞き出そうと考えていた。彼の抱く不安を共に共有したかった。

 

 だけど、そんな時だった……。

 

 

「こんにちは」

 

 

 ドルーパーズの扉を開けて、新たな客が来店する。

 

 

「いらっしゃ……ぁ……」

 

 

 だけどその人の姿を見て、鉱芽さんは時が止まったかのように固まってしまう。いや、固まったというのは間違いだ。だって、微かに口と指先が震えているもの。それに、額からはしっとりと汗が垂れている。

 

 ……え? もしかして鉱芽さん……すごく、怯えてる……?

 

 

「……どうも、お久しぶりです。鉱芽さん」

 

「……よ、よう……ミッチ。久しぶり……かな。はは……」

 

「鉱芽さん……」

 

 

 物凄くぎこちない態度を取りながら、「ミッチ」と呼ぶ男の人と話す鉱芽さん。ううん、それはもう「話す」なんて言えるものじゃなかった。視線は相手から逸らしているし、身体もどこかそわそわしていて、声は震えている。何より、彼のその表情が目も当てられないほど痛々しいものになっていた。

 

 

「(え? 鉱芽……さん?)」

 

 

 私たちは、そんな彼の豹変に驚愕して言葉が出ないままだった。

 

 

 

 ────────────────―

 

 

 

 まさかこんなことになるなんて思いもしなかった。まさかアイツが……ミッチが俺の目の前に姿を見せるなんてな。彼の急な来店で、身体が一瞬にして冷え切ってしまうような錯覚に陥ってしまう。それ程まで、俺は彼との遭遇を望んでいなかったのだ。

 

 

「鉱芽さん……」

 

 

 俺の相変わらずのぎこちない態度にも、変わらず心配をかけてくれる目の前の少年──ミッチ。そんな彼に対しても俺は気の利いた返事すらできないまま、情けなく立ちすくむだけだった。

 

 彼の名はミッチ。本名は立花(たちばな) 道行(みちゆき)。俺の嘗ての親友だ。

 

 今までは訳あって会えずにいた──と言うよりは単に俺が彼を避けていてここ最近は会うことはなかった。というのも俺は過去、彼に対して大きな借りを作ってしまった。いや、「借り」なんて綺麗な言葉では片づけられない、大きな「罪」を彼に作ってしまったのだ。

 

 それはミッチすら知らない「罪」。しかし俺にとっては現在まで自身を苦しめる「呪い」だ。その過去のせいで、俺は彼に対してどこまでも弱気になってしまっている。彼と会話をすることにさえ、怯えてしまっていた。

 そして案の定、ミッチと相対した俺はまるでいきなり社会に投げ出された何も知らない子どものように、どうすればいいか分からない状況に陥っていた。

 

 こんな今までの俺からは想像も付かない醜態に、ことり達は唖然となって俺を見ていた。

 

 

「……ぇ……えぇ……っと……どうしたよ、今日は。珍しいじゃんか」

 

 

 取り敢えず会話を保たせるために適当な話題を提供する。出来るだけ動揺する素振りは見せないつもりでいたが、どうやら一部身体に現れてしまっているようだ。だが、恐らくそれに気付いているであろうミッチは、俺の動揺に対して見ないフリをしたまま会話に乗ってくれる。

 そう、ミッチは俺とは違い、積極的に俺と関わりたいと思っているのだ。ミッチは、俺が何故彼を避けているのか知る由もない。親しかった人間に訳も分からず勝手に避けられたら、普通は嫌悪して愛憎を尽かすのが普通だ。しかしミッチは、こんな俺ともまた以前のような仲に戻りたいと思っている。俺に避けらているのを分かっていても、それでもなお俺に気を遣ってくれている。

 それには非常に嬉しく思うも、かえって申し訳なく感じてしまう。

 

 

「ええ、ちょっと忘れ物をしてしまって……。今日しか来れなかったんですよ、次の日曜日を除けば」

 

「そ、そうか……」

 

「だから、その……ごめんなさい」

 

 

 ミッチはこのドルーパーズの日曜日のシフトに入っている。彼こそがドルーパーズの3人目のバイトなのだ。しかも、俺が自分に会いたくないことを分かってて、俺のバイト中には姿を現さないようにしている。それ程俺に対して気を遣ってくれているのだ。俺の誕生日会の時だって、ミッチは俺に気を遣って姿を現さなかった。

 だから彼の「ごめんなさい」とは、俺のシフト中にドルーパーズに寄ったことで俺の心にストレスを味あわせた、という意味で言った言葉だ。はっきり言って出来過ぎだ。こんな俺なんかとつるむのが勿体ない程、いい子なのだ。

 

 

「い、いや。いいって……そんな謝んなくても」

 

「そう、ですか……?」

 

「そうだって。あー、じゃあ何ならさ、何か……ぁー、頼んでいけよ。なっ?」

 

「えっと……」

 

 

 正直、こんなのは自分で自分の首を絞めるようなもんだ。例えミッチがこのままここで食事していったとしても、まともに彼に対応できる気がしない。でも、ミッチが俺に対してここまでしてくれるのなら、俺も彼と向き合った方がいいのだろう。だから今、勇気を振り絞って、ぎこちないながらも彼にそんな提案をしてみたのだが……。

 

 

「すいません。今日はこれから父さんの方で……」

 

「ああ……馬ね」

 

 

 残念ながら彼にはこれから予定があるようだ。因みに彼の「父さん」というのは、ここから離れたところにある「立花ホースライディングクラブ」という乗馬クラブの経営者である。そしてその息子である(ミッチ)は、よくそこへ乗馬のレッスンを受けにいくそうだ。もちろん俺も、ミッチと仲が良かった時は一緒になって乗馬の指導を受けていた。

 

 ま、乗馬の訓練なんて、あの“爺さん”のしごきに比べれば楽なもんだったけどな……。

 

 

「はい……あの、鉱芽さんも……また、来てくださいね。きっと“レオン”も喜びますから」

 

「……そう……だな。考えておくよ……うん」

 

「そう言ってもらえると嬉しいです。では、また」

 

 

 最後に軽く言い足すと、忘れ物の荷物を持ってミッチはドルーパーズを後にした。俺はというと、そんな彼の消えた扉をいつまでももの惜しげに、そして痛々しげに見つめるのみであった。

 

 

「(ごめん……ミッチ……)」

 

 

 今日も俺の勝手な都合で振り回してしまい、心の中で彼に謝り倒す。申し訳なさすぎて土下座でも何でもしてやりたいほどだ。でも、俺には今更そんな事許されない。

 

 ──今更、例えミッチが“真実”を知ったとして、俺が許されるなんて思いもしなかったから。

 

 そして、一連の会話を聞いていたことりが、肩を狭めながら俺に近づいてくる。

 

 

「あの……鉱芽……さん──」

 

「今はさ……何も聞かないでくれ……」

 

「……」

 

「……な?」

 

 

 ことりの何かを言いたげな物言いに対して不問を懇願してしまう。ことりも、そして穂乃果や海未ちゃんも、今の俺の顔から色々と察してくれたのか、それ以上ミッチに関わる事を問い質すことはなかった。

 

 本っ当……散々な有り様だな……。情けないったらありゃしない。

 

 これが何か悪いことの予兆じゃなければいいんだが……。

 

 

 

 ────────────────―

 

 

 

「あら?」

 

「ん? どうしたんエリチ?」

 

 

 昼食の時間がとっくに過ぎた午後の神田明神で、私は境内の掃除を続ける希と団欒していた。仕事中の人間と話すなんてあまり褒められることじゃないと思うけど、巫女の仕事って言ったって今はそんなに人もおらず、そんな希がやる事と言えば今は掃き掃除くらいしかない。だから私は希が暇してると思って境内に足を踏み入れていた。そして予想通り暇していた希と、今まで楽しく団欒していたわけ。

 だけどその時、私は神田明神の石段を登って境内に入ってくる影に気が付いた。背丈はまだ小さく存在感は薄かったけど、私はあの子を知っている。そしてその影──少年も、私の姿を見つけて嬉しそうな顔で走り寄ってきた。

 

 

「あっ、お姉ちゃんだ!」

 

「裕太君っ」

 

「んー? エリチ、確かあの子って……」

 

「ええ、前に私たちの練習を見に来てくれた子よ。この辺りのお花屋さんのところの子なの」

 

「へぇ~」

 

 

 そう言えば希や他のμ'sのメンバーはあまり彼とは接点が無かったわね。ちゃんと彼と話をしたのって私とことりだけだったっけ。そんな彼について希に説明している間に、裕太君は駆け足ですぐに距離を詰めてきた。

 

 

「こんにちは、裕太君」

 

「こんにちはっ、へへっ。そっちのお姉ちゃんもこんにちは!」

 

「うん、こんにちは。話すのは初めてやね、裕太君」

 

「うんっ」

 

 

 本当に元気な子ね。真夏の日差しのためか、頭にはキャラクター物のキャップを被っている。半袖半ズボンという少年らしい格好も相まって、正に夏の元気っ子という感じがとてもよく出ていた。

 

 取り敢えずこのまま日向で話を続けるわけにもいかないので、場所を木の元のベンチへと変え、再度彼と話を続けた。

 

 

「そう言えばどうしたの? 神社に何か用?」

 

「う~ん……何だろう? 何だか暇だったから今街中を歩き回ってるんだっ」

 

「暇って、お友達は?」

 

「みーんな旅行。お兄ちゃんも仕事中だもんっ。だから今は僕一人」

 

 

 なるほど、夏休みの昼間に一人で過ごしていたのにはそういう理由があったみたいだ。しかし折角の夏休みだというのに一人きりなんて言うのは可愛そうに思う。確かに友達が旅行から帰ってきたり、お兄さんの仕事がオフなら一緒に遊んでもらえるだろうけど、それでも今こんな少年が独りきりというのは少し度し難いものがある。

 そしてそれは希も同じようで──ううん、希は私以上に彼の現状を気に病んでいた。そうよね、希は知っているものね。友達がいないことの辛さ、一人でいることの辛さを。だから彼女も、彼が一人でいることを快く思っていなかった。

 

 

「なあ裕太君。じゃあ、これからウチらと一緒に過ごさん?」

 

「希……」

 

「う~ん……」

 

 

 だから希がそんな提案をしたのはとても納得がいくし、私もできるならそうしたいと考えていた。裕太君に今日ぐらいは、私たちと一緒に夏休みのひと時を満喫させたいと思っていた。

 しかし裕太君はそれにすぐには了解せず、しばらく頭を悩ませていた。

 

 

「……ううん、大丈夫。今日は一人で冒険してたいからさっ」

 

 

 そして彼はきっぱりと希の誘いを断った。

 

 

「じゃあ、僕行くねっ。バイバーイ!」

 

「ぅえっ!? え、あ……バイバイ」

 

 

 大きく手を振りながら、元気よく駆け出して境内を後にする裕太君。そんな彼に、私たちはどうすることもできず、ただ呆気なく見送る事しかできなかった。

 

 もしかして気を遣っているのがバレたのかしら? 子どもってそういうところが敏感だから、彼もそれに気付いて敢えて一人で街に戻っていったんじゃ……。そうは思うも、結局私たちは彼にフラれてしまったことには変わりはないのよね。

 

 だけどしばらくして、希が口を開き……。

 

 

「ねえエリチ。ウチやっぱ思うんよ。やっぱり子どもって、一人で過ごすもんと違うんやって」

 

「そうね」

 

「うん、だからエリチ……」

 

「……分かってるわよ。追いかければいいんでしょ?」

 

「うん。ありがとな」

 

 

「任せたで」と言わんばかりにウインクしてくる希。そうと決まれば話は早い。彼の消えていった方角へと足を向けて、私は彼の後を追うことにした。もう裕太君の姿は見えないけど、きっとまだ近くにいる筈。そう信じて、私は彼の行方を探し始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 しかし、彼の後を追い始めて幾らか経った頃だろうか。

 

 

 入り組んだ外路地を歩いている中で、私は奇妙な呻き声がするのを耳にした。

 

 

 

 

「……ぅぁ"っ……っ!?」

 

 

 

 

 掠れたような声だけど、その高さから少年の声であることは分かる。しかも、ついさっき聞いたような声だ。声の大きさから、それがとても近くにいることが分かる。

 

 

「……? 裕太……君?」

 

 

 彼に似た声の主がいるであろう道に出て、その姿を確認する。

 

 

 

 

 

 

 だけど、そこで目にしたのは──

 

 

 

 

 

 

 ────────────────―

 

 

 

 太陽は既に傾き始めているというのに、気温が更に上昇を続ける真夏の昼。辺りでは街路に水を撒く人もちらほらと見える中で一人、夏にはまるで似合わない衣服に身を包んだ男がいた。全身を黒と金の長袖の服と洋袴で覆い、その格好はまるで西洋における式典でしか見かけないような荘厳な衣装であった。

 そんな真夏の、それも日本の街路にまるで似合わない西洋衣装の男は、これまたその衣装には似合わぬバスケットを腕に提げて歩いていた。中にはリンゴやオレンジ、レモンなど、様々な果物が詰められている。

 

 

「っ、おっと……」

 

 

 だが、ふと何かに躓いたのだろうか。男は身体のバランスを崩すと、提げていたバスケットから果物が零れ落ち、道に散乱してしまった。しかし男は特に焦る事無く、淡々とその事実を受け止め、ゆっくりと自身の手で果物を拾い上げていく。そんな中だった。

 

 

「はいっ」

 

「……おや、ありがとう。少年」

 

 

 偶々通りかかった一人の少年が、道に落ちてしまった果物を拾い上げて持ち主である男に手渡した。この親切な少年に対して男は笑みを浮かべながら、礼を述べてその果実を受け取る。もちろんそんな「いい事」をした少年の方も、彼の感謝に対して自然と笑みが出てしまう。その表情は「困った時はお互い様」と言わんばかり顔だ。

 だが、それは人間の営みとしては当然の流れであろう。人は皆お互いに助け合って生きている。この少年は若いながらもそれを知っているのだ。

 

 

「そうだ、少年。名は何と言う?」

 

「裕太。鹿角裕太ですっ。へへっ」

 

「そうか、裕太か。では裕太、これはほんのお礼だ。受け取るがいい」

 

 

 ふと少年の名を訊ねる男。助けてもらったお礼として男は彼──裕太に何かをあげようというのだ。そして男はバスケットの中へ手を伸ばし、そこから一つの果実を取り出す。

 

 

「えー、いいよぉ別に。悪いもんっ」

 

「いや、是非受け取ってほしいのだ。それに、こういう時は厚意に甘えるものだよ。少年」

 

 

 いきなりのお礼に遠慮の色を見せる裕太だが、男はそんな彼を宥めると、バスケットから取り出した果実──不気味な赤紫色のクラゲのような皮を持った、この世のものとは思えない不思議な果実を、裕太に手渡した。

 

 その果実の正体が分からず、一瞬果実を見つめる裕太だが、すぐさまお礼を返すことを思い出して男の方へ目をやる。しかし──

 

 

「あれ……?」

 

 

 先程まで彼と話していた男は、忽然としてその場から姿を消していた。少し歩いて男を探そうとするも、まるで気配がなく、結局男を見つけることは適わなかった。

 

 

「ありがとう……言えなかったなぁ……」

 

 

 男にお礼を言いそびれた事を申し訳なく思う裕太。だが、それよりも今は気になることがあった。

 

 

「……でも何だろう……この果物……?」

 

 

 先程「お礼」と称して男から手渡されたこの謎の果実に意識を向け、裕太は今一度この果実の観察を始めた。

 

 幽霊のようにしなる不気味な極彩色の果皮。そして、南京錠の掛け金のように∩字型をした(がく)

 

 今までテレビでも図鑑でも見た事のないこの不思議な造りに、彼は一層興味を抱かせていた。

 

 

 しかし、その知識欲は次第に、ある別の欲望へと変化していく……。

 

 

「(でも、あれ……何だろう……何だかすっごく……おいしそう……)」

 

 

 彼がこの果実を観察すればするほど、果実がどんどんと美味しそうに感じてしまう。そこに果実がどんな見た目かは関係ない。どんな味かも関係ない。そして理性もない。

 

 そこにあるのはただの生物的な本能──食欲があるのみだった。

 

 

「……ゴクリ」

 

 

 果実から発せられる誘惑に耐えきれず、やや急ぎ気味に果実の皮を向いていく裕太。そして果皮の中からは、薄桃色をしたゼリー状の果肉が姿を現していた。

 

 

「ぁ……」

 

 

 手の中で鮮やかに彩る果実は、今の彼にとってはこの上なく魅力的に見えたことだろう。

 

 

 それもそのはず。

 

 

 この果実は、目にした生き物全てを自然に惹きつける魔力を有しているのだから。

 

 

 あらゆる全ての生き物の本能に働きかけ、ほぼ強制的に食欲を誘発させる魅惑の果実。

 

 

 否、正しく「禁断の果実」とも呼べる存在。

 

 

 そしてもし、この果実の存在を知る者がこの場にいれば、その果実をこう呼んだだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──ヘルヘイムの果実…………と。

 

 

「ぁぁ……」

 

 

 本能に直接働きかけられ、その魔力から逃れられる者は、もはや強靭な鋼の精神を持つ者以外にはいない。

 

 

 しかし、一介の小学生である彼がその誘惑に打ち勝てるはずもない。

 

 

 裕太は、果実から発せられる魔力に完全に飲み込まれてしまっていた。

 

 

 そして……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………ムシャ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 彼は……その禁断の果実を口にしてしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ぅぁ"っ……っ!?」

 

 

 

 

 それは果たして避けられた運命なのか。それは誰にも分からない。

 

 

 

 

「……? 裕太……君?」

 

 

 

 

 だが一つ言えるのは……

 

 

 

 

「ぅぅ、ぅ"ぁがっ……ぅぅ……ぅゥオオォォガァァァァァァァッ!!」

 

 

 

 

 この世界は悲しみに満ちている、という事だ。

 

 

 

 

「…………え?」

 

 

 

 

 その場に駆け付けた絵里が見たのは、裕太の姿ではなかった。

 

 

 いや、正確には裕太の姿は見えていた。彼はつい先程まで彼女の眼前にいたのだ。

 

 

 しかし今、彼女の目の前にいるのは裕太ではない。

 

 

 彼女が見ているのは、今まで裕太“だった”ものだ。

 

 

 彼はもういない。何故なら彼は、今しがた彼女の目の前で最期を迎えたのだから。

 

 

 そして今彼女の目の前にいるのは、この世の生き物ではない。

 

 

 虎の如く厳つい頭部、右手に生える鋭い爪、緑色に染めた奇怪な全身。

 

 

 そう、正しくそこにいたのは、この世界を蝕む異世界の尖兵──―

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──ビャッコインベスだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ゥゴァァァァァァァァァッ!!」

 

 

「裕太……君……?」




遂に来ちゃいましたねこの時が。さあ、この先一体どうなるのか……こうご期待。


今回から物語が暗くなりますので、その時のために新しい連載小説を投稿しました(もちろん明るめの)。癒されたい方はそちらをどうぞ。
私のページから飛んでくれればいいので、そちらの方もよろしくお願いします。


それではまた次回。
感想、評価お待ちしております。
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