そちらの方も是非お読みになってください。
それでは今回もどうぞ。
「あ……みなさん……」
そう言って扉の向こうから現れたのは、綺麗なブロンドの髪を持ち、絵里ちゃんと同じくたれ目が特徴的な可愛らしい少女だっだ。だけどそんなあどけない可愛らしい顔は、今は目に見えて落ち込んでいた。
「亜里沙ちゃん。エリチは……」
「ううん……まだ部屋から出てこないの……」
「そうなん……」
希ちゃんが目の前の少女に絵里ちゃんの様子を確認するも、その答えはいいものではなかった。そしてその答えを返してくれた少女の暗い表情からも、絵里ちゃんの今の現状を図るには度し難くなかった。
「あの、希さん。お姉ちゃん……一体どうしたんですかっ? 食べる時になっても部屋から出てこないし、お手洗いの時以外ずっと部屋に閉じこもってて……っ、亜里沙どうしたらいいのかもう……っ」
「亜里沙ちゃん……」
言葉の端々から感じられる彼女──亜里沙ちゃんの苦悩に、私たちも胸が締め付けられるような感覚に陥る。何があったのか真実を伝えたい。だけどその現実があまりにも残酷過ぎて、どうしても言葉にするのが躊躇われる、そんなジレンマに侵される。
それに亜里沙ちゃんは知らないものね。インベスやヘルヘイムの事、鎧武の事、そして裕太君の事も……。
ううん、そもそも例え裕太君と会ったとしても、“覚えている”はずがないもの。
だって、鹿角裕太という名の人間は……最初からこの世界には存在していなかったのだから……。
私がそれを体験したのは昨日──裕太君がインベスになって鉱芽さんに倒された翌日のことだった。前日のショックから未だ立ち直ることが出来ていなかった私は、練習を休んで家で体を休ませていたの。身体と、そして酷く疲れきった心を癒すために……。
そんな中、私がいたリビングのテレビではちょうど昨日の惨劇がニュースで報道されていた。無残に倒壊した建物の映像。意識不明の重体で病院に担ぎ込まれたと言われる裕太君のお兄さんの顔写真。
だけどそこにはいくつものおかしな点があった。
倒壊した原因は建物の老朽化とされていたけど、あの店の見た目からしてそんな事絶対に有り得ない。確かに昨日見たのは瓦礫の山だったけども、少なくともその壁の色は綺麗だったし、ガラスも濁ってはいなかった。花を植えていた花壇から零れた土だって、新しく袋から出したように肥料がキラキラとしていた。
だけどテレビで報道されていたあのお花屋さんの映像は……そんな私の記憶からは程遠い、何年も放置されていたかのような朽ち果てた建造物だった。そして裕太君のお兄さんも、普段は親戚の家に住んでて、偶然その近くを通り過ぎた時に偶々その建物が倒壊……ということになっていた。
あの綺麗なお花屋さんの面影もなんてどこにもなかった。あるのは何の変哲もない薄汚れた廃墟。だけどそんな事を誰も疑問に思っていないし、疑問を持とうとさえしない。それがいつも通りの光景──当たり前の景色だと思っていたから。
本当はインベス──裕太君によって破壊されたはずなのに、誰もそれに気付かない。インベスを目撃したはずの人も忘れてしまっている。
これが鉱芽さんの言っていた、ヘルヘイムによる世界の改変の恐ろしさなんだ。世界がヘルヘイムを認識できないように変わってしまう。変わったしまった世界に誰も疑問を持たない。
だけどおかしな点はそれだけではない。何よりも異常で、残酷な変化がその後すぐに報道される。
それは、お兄さんに肉親──家族はいない……という報道だった。
それはつまり、彼の残された唯一の肉親である弟──裕太君が……最初からこの世に存在していなかったことを指していた。
インベスに変化した事で裕太君はこの世界のルールを逸脱してしまった。
──インベスの存在はヘルヘイムの世界の改変を受け、人々の記憶から消え去る。
これが鉱芽さんの語ってくれた世界の改変。つまりヘルヘイムの改変の影響の中で、インベスと化した裕太君は……みんなの記憶から消え去ってしまったの……。
だから誰も裕太君を覚えていない。学校の友達も、先生も、近所の大人たちも、みんな……。覚えているのは私たちのようなヘルヘイムの因子を持った、改変の影響を受けない人間だけ……。
そして亜里沙ちゃんは事情を知る事は出来ない。絵里ちゃんの苦しみ、絶望を理解してあげることが出来ない。それがとても歯がゆく感じられる……っ。
「……悪いけど、絵里のところに案内してもらえるかしら?」
「っ、はい……どうぞ、おあがりください」
私をここに誘ってきた真姫ちゃんが、亜里沙ちゃんに案内をするよう促す。
今日私をここに呼んだのは真姫ちゃんだった。私と絵里ちゃんに鉱芽さんの事を……鉱芽さんの抱く闇を教える……と彼女はそう言った。希ちゃんがここにいるのはもちろん絵里ちゃんの家への案内もあるけど、彼女にも事情を聞かせた方がいい、と真姫ちゃんが判断したからだった。
亜里沙ちゃんに促されるがまま玄関から絵里ちゃんの家にあがりこみ、彼女の後に着いていく私たち。そしてある一つの部屋の前に辿り着く。亜里沙ちゃんが軽く扉を叩き、そして……
「お姉ちゃん。お友達──μ'sのメンバーが来てるよ」
「…………」
扉の向こうにいるはずの絵里ちゃんに語り掛ける亜里沙ちゃん。だけど部屋の中からは返事は届かない。
「お姉ちゃん、返事してよっ」
「エリチっ」
「絵里ちゃんっ」
みんなして絵里ちゃんに呼びかけるけど、まるで効果は無い。でもそんな中真姫ちゃんだけは違った。
「──っ、絵里! いい加減入るわよっ!」
「えっ!? ちょ、真姫ちゃんっ?」
なんと真姫ちゃんは呼びかけが無駄だと悟るや否や、すぐにドアノブに手をかけて扉を押しだした。すると扉はすんなりと開いていく。どうやら絵里ちゃんは鍵はかけていなかったみたいだ。
そして部屋の中に入った私たちは、部屋の隅のベッドの上で、小さく縮こまっている絵里ちゃんの姿を発見した。
膝に両腕を回し、頭をうずめたまま全く動こうとしない絵里ちゃん。髪の毛は痛んで所々はねていたり、肌も少し荒れている。そんな痛々しい彼女の姿にこちらまで心を痛めてしまう。
「エリチ……」
希ちゃんが悲しげに名前を呼びながら絵里ちゃんへ近づいていく。
……希ちゃんは、二日前に何が起こったかを全部真姫ちゃんから聞いている。鉱芽さんと裕太君の件を聞いた時には立ちくらみを起こすほど酷くショックを受けていたけど、だからこそ今絵里ちゃんに何があったのかを知り、彼女の心の痛みを理解してあげられていた。
「みんなには……別の言い方で報告しておいたから……」
そして希ちゃんはμ'sへ施した報告について絵里ちゃんに説明を始めた。
私たち──因子持ちの中で真実を知っているのは、私と真姫ちゃん、絵里ちゃんと希ちゃんだけだ。でも、因子を持っている限り隠し通せるものじゃない。だから他のμ'sみんなには真姫ちゃんが嘘を交えて説明したの。
──鉱芽が裕太君を守れなかった。
そんな、あながち間違いとも言えない嘘を……。
「…………そう」
希ちゃんの報告を聞いた絵里ちゃんは、ようやく言葉を発してくれた。だけど力のない、どこか投げやりにも聞こえるその返事が彼女の心労をよく表しているようで聞いているこっちも辛く感じ、気の利いた言葉を投げかけることが出来なかった。
だけど、そんな絵里ちゃんに向かい合って今一度はっきりと言葉を交えたのは、やはり真姫ちゃんだった。
「ねぇ絵里、聞いてちょうだい」
「真姫……」
「もう一度……鉱芽に会いに行きましょ」
「……」
鉱芽さんと会う……そう、その為に私たちはここに集まったの。絵里ちゃんを連れて彼の元に行き、彼の……鉱芽さんの心底を知る……それが目的だったから。
「絵里と……それとここにいるみんなには話しておきたいの。鉱芽がどうしてああなってしまったのか。鉱芽の抱えている闇が何なのか……」
「……」
真姫ちゃんの提案に絵里ちゃんはしばらく反応を見せなかった。顔を腕の中に埋めたまま、まるで動く気配がなかった。
このまま動かなくなってしまうんじゃないのか……そう思っていた中、遂に変化が訪れた。
僅かに彼女の頭が動き、腕の中から濁りに濁ってしまった彼女の碧眼が姿を現した。大きな隈を作り、光を灯さない彼女の眼は真姫ちゃんを捕らえたまま放さない。まるで「そこに意味があるの?」と言わんばかりの眼だ。
「もう耳を塞いでどうこうなる話じゃないわ。ねぇ絵里……だからもう一度……ちゃんと鉱芽と顔を合わせましょ? ね?」
「……」
だけど真姫ちゃんは折れない。優しく語りかけながらもその心の奥には、絶対に彼女を鉱芽の元に連れていくという覚悟が見て取れた。
真姫ちゃんの強い意志に当てられた絵里ちゃんはまたもや沈黙する。そして──
「……ええ……分かったわ」
「エリチ……」
「絵里ちゃん……っ」
真姫ちゃんの強い意志と眼差しに折れたのか、絵里ちゃんは一緒に行くと言ってくれた。
「でも、その前にその格好何とかしなさいよ。仮にも男の家に行くのよ? そんなだらしない有り様じゃ外すら歩けないわよ」
そんなおどけたような真姫ちゃんの言葉の前に、絵里ちゃんの目が僅かに光ったように感じた。
──────────────────
ザーザーと頭上から降り注ぐ温水を力なく受けながら、私は少しずつ自分の身体に染みついた黒い感情が消えていくのが感じられた。完全とまではいかないけど、心を縛り付けていた鎖や足枷が軽くなっていく感覚が得られた。体と共に心まで洗われるようだった。
──それ程までに、この2日ぶりのシャワーが精神を落ち着かせているのかしら? いいえ、違うわね。
自問するもすぐに否定する私。そう、今の私を落ち着かせているのは単なる環境の問題ではない。先程真姫が言った言葉──「鉱芽の抱えている闇」という言葉が私の心を揺り動かしていたからよ。
「(鉱芽……アナタに一体何があったの? 何がアナタを……そんなに狂わせてしまったの……っ)」
自分の足と床をじっと見降ろしながら、私は彼にそんな思いを馳せていた。シャワーのお湯が髪を伝って流れて前が見えなくなるけど、思考に浸っている私には──鉱芽の事情について入り浸っている私には気にならなかった。
何故彼はあんなに無慈悲になってしまったのか? 彼の心はどうして狂ってしまったのか? あれが本当の鉱芽なのか?
そして……彼が今まで見せてくれた笑顔は嘘だったのか……?
いくつもの疑問が頭の中を駆け巡っていくけど、それらも真姫の言う通り彼に会って聞く以外に道はない。
私は鉱芽の過去を知る必要がある。本当の彼と対面しなければならない。
だって……だって私は……。
「(鉱芽。私はアナタを……信じたい)」
裏切られても、未だ彼を信じたいという気持ちが残っていたからだ。色眼鏡、恋は盲目、なんて言われても仕方ないのかもしれない。
それでも……
私を救ってくれた彼を……
私に希望をくれた彼を……
私が憧れた彼を……
これっきりで諦めるなんてしたくなかったから……っ。
「(鉱芽……)」
彼を想う私の目には、再び微かな光が宿っていた。
──────────────────
絵里ちゃんがシャワーからあがり、未だ少し窶れている彼女に軽くおめかしをして綺麗にしてあげた後、私たちは揃って鉱芽さんの家に赴いた。そして、皆が心に微かな覚悟を背負ったまま、私たちは彼の家の前までたどり着いていた。
「鉱芽の家……私は初めて来るわ……」
明らかに緊張した心持ちで呟く絵里ちゃん。そっか、μ'sの中でも絵里ちゃんだけが来たことなかったんだ。これから会う人物が人物だけに、きっとその緊張は私たちよりよ大きいものだと思う。
そして真姫ちゃんがドアホンに指を近づけた、まさにその時だった。
「ん……」ガチャ
「ぁ……鉱芽……」
真姫ちゃんがドアホンを鳴らすより先に、家の扉の中から鉱芽さんが姿を現した。心の準備をしていたとは言え、いきなりの彼の登場に真姫ちゃんを除くみんなは、心臓を鷲掴みされたかのような息苦しさを覚えていた。
「こ……こう、が……」
「……絵里」
一度は鉱芽さんと会う覚悟を決めたものの、いざ彼の目の前に立つと踏ん切りがつかなくなってしまう絵里ちゃん。彼に目を合わせられず、話す言葉もしどろもどろだった。そしてそんな絵里ちゃんを見ても、鉱芽さんは特に言及することなく黙って佇んでいた。いや、絵里ちゃんだけでなく私たち全員を見据えたまま、ずっと何かを考えているようだった。そして──
「……そっか、大体分かった」
「え?」
「悪いけど、これから少し外出するんだ。だから真姫……その……代わりに……」
「分かってる。私が説明するわ」
「すまん……」
とても申し訳なさそうに真姫ちゃんに頭を下げ、鉱芽さんは私たちの前から去ろうとする。だけどそこで真姫ちゃんは再び彼に語りかけた。
「鉱芽」
「……何?」
「今日も……描いたの?」
「うん……机の上に置いてる。好きに見せていいから。それじゃ」
それだけ言い残してその場から立ち去ってしまう鉱芽さん。鉱芽さんに話したい事は、私も絵里ちゃんも希ちゃんもいっぱいあるはずなのに、そんな彼に対して誰も声をかけて立ち止まらせるような事はなかった。
──でも、「描いた」って何のことだろう?
しかしその言葉の真の意味を、この後すぐに理解することになる。残酷で、そしてとても恐ろしい真実とともに……。
彼が去った後、私たちは真姫ちゃんに誘われるがまま彼の家へと上がり込み、何にも目を触れることなく真っ直ぐと彼の部屋を目指していく。確かここは……以前の勉強会の時もみんなで入った部屋だったっけ。
やがて、彼が普段一日を迎え、そして終えるであろう部屋へ入った私たちの前には、以前見た時と同じように少し広めのテーブルと一人用のデスクワークが目に入った。
そして、そのデスクワークには以前と相変わらず、十数冊ものスケッチブックが立てかけられていた。
いや、相変わらずという表現は少し違っている。机の上には一冊、恐らく一番新しく買ったスケッチブックが片づけられずにそのまま置かれていたから……。
そして真姫ちゃんは、机の上に置かれていたその一冊を手に取る。
「真姫ちゃん、そのスケッチブックは?」
希ちゃんの質問に、真姫ちゃんは無言でスケッチブックを表紙から順にめくっていく。そしてそこには、私が以前見た時と変わりない、まるで法則性の見出せない絵画が何枚にもわたって描かれていた。
「これって……」
「ヘルヘイムによる世界の改竄を受けた絵よ」
「っ。じゃあ、そこに鉱芽はずっとヘルヘイムに関係するものを描いていた……ってこと?」
「ええ……改変を受けるってことは……そういうことよ」
「?」
ヘルヘイムによる改変を受けた絵画。どうやら私が前に予想していたことは当たっていたみたい。ヘルヘイムに関連するものなら、インベス、ロックシード、鎧武、何を描いても翌日には全く関係のないものに変わってしまう。それが鉱芽さんの言っていた世界の改変だから。
でも、絵里ちゃんの確認に応答する真姫ちゃんの顔は、今日見た中で一番曇っているように見えた。
そして私たちは自然と、このスケッチブックにこそ、鉱芽さんがああなってしまった理由が隠されているんだと確信した。スケッチブックのページをめくる真姫ちゃんの手にも、次第に力がこもっていく。
鉱芽さんは一体、そこに何を描いたというのだろう。
「それで……鉱芽君はそこに何を描いたん?」
私たちがみんな思っていた疑問を遂に声に出す希ちゃん。
「……」
そして真姫ちゃんはそれに対して言葉で応えることはせず、ただ無言で、ゆっくりと、カサブタを剥がすかのように慎重に、そして怖がるかのようにスケッチブックのページをめくった。
鉱芽さんが改変を受ける前にスケッチブックに描いた、最後のページを。
そこに描かれていたのは──
「…………えっ……私……?」
スケッチブックに最後に描かれていたのは、絵里ちゃんにとてもよく似た、黒髪の女性だった。
そう……人間だった。
「いいえ、違うわ」
そして重要なのは、これが改変を受けていない最後のページという事。
「この人の名前は、
そして、さっき鉱芽さんが「今日も描いた」と言った事。
「鉱芽の親友で……初恋の相手だった人よ」
つまり、鉱芽さんがこのスケッチブックに描いてきたのは……
「そして、もうこの世にはいない」
鉱芽さんが何百枚にも渡って繰り返し描いてきたのは……
「裕太君と同じで……ヘルヘイムの実を食べて……っ」
……同じ人間の顔を、来る日も来る日も描き続けたということ。
「鉱芽はね……初恋の相手を……」
思い出の中のその人が消えるのが嫌で嫌で、それで必死になって……
「一番守りたかった人を……自らの手で殺しているのよっ!」
……気が病んだかのように……そして狂ったように、何百回も同じ顔を刻み続けてきたんだ。
そして……真姫ちゃんは鉱芽さんの過去を語り始めた。
毎日毎日、同じ女性の顔を絵に描き続ける主人公。
まぁ……半分病んでますね。
さて、次回は鉱芽の過去(一部)が語られます。
ご期待ください。