ラブライブ! ー果実の鎧武者ー   作:春巻(生)

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〜前回までのあらすじ〜
μ'sと道行にヘルヘイムの森へ向かうことを告げた鉱芽。ヘルヘイムの真実を知るため、そして母に会うため、彼は戦極岳斗とともに異世界へと足を踏み入れた。その先に待ち受けるものとは……。


第89話 世界を越えて

 戦極岳斗によって招かれたヘルヘイムの森は、嫌に静けさを保っているように思えた。土を、草を、落ちた木々を踏んでいく音だけが淡々と繰り替えされていく。俺は自分の前を歩いていく戦極岳斗をただ無言で見つめ、決して警戒を解くことなくただ歩みを続けていくだけであった。ロックビークルを使わさないだけそう距離は遠くないのだろうが、自分としてはこの蹴りたい背中だけを追い続けることは望むところではない。

 そんな自分の想いが届いたのだろうか……いや、この男に限ってそんなことはありえないだろうが、戦極岳斗の歩みがふと止まった。人間界と別れてから三十分と経っていないが、口を開けた戦極岳斗の言葉は実に久方ぶりに聞いたような感覚に陥る。

 

「不思議に思わなかったか。どれだけ探しても俺と出会わなかったことに。何の手がかりすら掴めなかったことに」

 

「まあ。でもアンタが現れたおかげで何となくわかったよ」

 

 地球に戦極岳斗や母さんがいないことは分かっていた。それでも生きているとなればヘルヘイムの森以外に可能性はない。しかしどれだけ探そうとも、ヘルヘイムの森にある人の痕跡は、今も視界の端に映る廃墟しか存在しなかった。この世界にはもう、どれだけ探しても生きた人間、文明は残っていない。そう結論付けざるを得なかった。

 しかし今、俺の目の前には戦極岳斗がいる。それが意味することはつまり、彼が生存できる圏が存在するということ。それは地球でもなければ、このヘルヘイムの森でもない。

 

 ──ヘルヘイムの森は、次元を超越する外来種。

 

 そう、ヘルヘイムの森の特色を考えればすぐに分かったことだったのだ。地球は現在、このヘルヘイムの森から侵略を受けている。もしその侵略が完了すれば次はどうなるのか。それは次の侵略先を探すことだ。どこに? どこを目指す? どこを指定する?

 

 そう、植物の繁殖に目指す場所、指定場所などないのだ。

 

 無作為に。四方八方に。不特定多数に。

 

 クラックの開く先は、一つの世界だけとは限らない。

 

 ──このヘルヘイムの森から浸食を受けていた世界は、地球以外にもあるということだ。

 

「察しがいい」

 

 俺の反応を見た戦極岳斗がそう呟くと同時に、彼の眼前にクラックが現れた。大きく、ゆっくりとジッパーが開いていくそれを前に俺は短く唾をのみ込んだ。やがてクラックが開ききったとき、そこから眩しい光が流れ込む。中を確認しようにも眩しさのあまり目を細めてしまい、その奥の光景が確認できなかった。

 

「行くぞ」

 

「……ああ」

 

 それでも我関せずと言った感じで入っていく戦極岳斗に置いて行かれるわけにもいかず、俺もその光の中へと歩を進めた。

 

 

 地球ともヘルヘイムの森とも違う、三つ目の世界へ──

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 クラックを抜けた先、そこは文字通り異世界だった。

 

 自分たちが現れた場所は、どこかの丘の上であった。空には広大な青空が広がっているが、薄っすらと二つの衛星が目に映る。地面には青々とした植物が生い茂り、インベスではないが見たこともない鳥のような生き物が俺たちのすぐそばを飛んで通り過ぎる。そして丘から見える街と思われる情景に、俺は目を奪われてしまった。現代の地球ではもはや作られていないような前時代的な西洋の建造様式の街並み。しかしそれでいてぱっと見の素材、質感はどちらかと言えば現代的なのだ。遠目ながらも街道がしっかりと、隅々に渡って整備されているのが分かる。更に街中だけではなく、街の外へ向かっても四方八方に、放射線状に道路が広がっていた。それだけでもこの街の文化が相当高いことが分かる。

 先のヘルヘイムで見た廃墟などではなく、生き生きとしている文明がそこにあった。あまりにも見覚えのない、芸術的とも思える見事な街並みに俺はついつい感動してしまっていた。

 

「あの街は……」

 

「首都シェガウだ。ここよりも大きな都市はいくつか存在するが、今はここが実質首都だ」

 

「実質ってことは」

 

「国を回す者がいるということだ」

 

 それだけ言葉を述べ、戦極岳斗は街へ向けて歩を進めだした。

 

「……あの街に……母さんが……」

 

 逸る気持ちと不安が押し寄せてくる。だがここまで来て帰るという選択肢はない。息を落ち着かせて、俺は戦極岳斗の背中を追い始めた。

 

 

 街までは意外と距離があったのか、先ほどまでヘルヘイムを歩いていた時と同じくらいの時間を要した。しかしその間にも気づくことはある。あまりにも自然に文明と溶け込んでいるために気づかなかったが、この世界でも生えている植物はヘルヘイムの森と同じものなのだ。街へ続く道の脇に見える森は間違いなくヘルヘイムの森であるし、街の建物にもよく目を凝らすとヘルヘイムの植物が見事に融和しているのだ。この世界はヘルヘイムの浸食こそあれど、それを凌ぎ、共生という形で収まった世界……なのだろうか。

 

 また、俺が驚いたのは植物だけではない。文明が存在するのなら、もちろんこの世界にも住人はいるのだ。それは歩き始めてすぐすれ違うことになる。

 

 俺たちの世界と何ら変わりない、人間の姿をした者たちと。

 

「……マジか」

 

 異世界人を見るのは初めてではないが、ここは明らかに地球ではない。よくて肌の色が違うくらいの覚悟はしていたが、なんてことは無い、自分がよく見るモンゴロイド系に近い顔が俺たちの行く先々で待ち構えていた。

 

 さらに──

 

「ム? アミョイ、ガクトショ。ミャウフェンオブリョエジファンエデェンガウグルンフォファショ?」

 

「ああ、いろいろあってな。心配かけた」

 

 聞いたこともない言語で話しかけてきたと思えば、戦極岳斗はそれに普通に受け答えしているのだ。しかも普通に日本語で返しているのに、向こうにはその意味は通じている。一体何が起こっているのか……。

 

「ドライバーを付けておけ。翻訳機能はあるからな」

 

 俺の言いたいことが分かったのか戦極岳斗が告げる、まさかのドライバー万能説。物は試しとドライバーを巻き付けてみると、先ほどまで雑音のようにも聞こえていた音が、日本語として俺の脳内に響き渡ってきたのだ。

 

『ごめんください。お届け物です』

『ごめん遅くなっちゃって』

『お母さーん! 遊んでくるねー!』

『少し走ってきます』

『失礼致します。今お時間よろしいでしょうか』

『では、隣のホテルでその──』

 

「みんな……普通に暮らしている」

 

 なんてことのない。日常的なやりとりの数々が聞こえてくる。確かにここはヘルヘイムの浸食に遭った場所なのだろう。しかし俺の耳に届くのは、俺たちの世界でもありふれた、日常的な平和の音だった。

 というかホテルの概念あるんだここ……。

 

「すごいな……」

 

 自然とそんな感想が口から零れていた。しつこいようだが、この世界は間違いなくヘルへイムの侵略に遭っている。それなのに今は何とでもないように皆が幸せそうに暮らしている。一体そこに行きつくまでに何があったのか。どのようにしてあの侵略を乗り越えたのか。目に映る平和を他人事なのに嬉しく思いながらも、平和を実現させた術を知りたくて仕方がなかった。そして、その答えをきっとこの男は知っているはずだ。

 

「なあ、アンタ知ってるんだろ? この世界はどうやってヘルヘイムの浸食を乗り切ったんだ?」

 

 今まさに街へ続く最後の石橋へ足を踏み出そうというところで戦極岳斗の足が止まり、そしてこちらへと振り向いた。俺の質問に対して口を開こうとして、しかし──

 

「……んっ」

 

「(えっ?)」

 

 何かを口走ろうとして、一瞬戸惑ったのか言葉を飲んだのだ。その行動自体には驚きはしなかったが、その直後、彼は苦虫を噛みつぶしたような苦々しい表情を一瞬、ほんの一瞬だけ垣間見せたのだ。戦極岳斗のまるで余裕を感じさせない表情を、俺は一瞬たりとて見たことはなかった。それが今、何かを耐え忍ぶようにも見えるその顔を、俺に見せた。その事実に心が揺さぶられ、彼から目を背けたくなってしまう。

 

 だが、戦極岳斗は一息つき、諦めるようにして言葉を続けることで、俺は心の平静を保つことができた。

 

「黄金の果実だ」

 

「黄金の、果実……?」

 

 黄金の果実──ヘルヘイムという単語と結びつけるならば、それは北欧神話において女神イドゥンが管理するという神の果実。不老不死の源とされる、黄金の林檎──アンブロシアのことを指し示すものだ。

 北欧で無ければ、ギリシア神話のアタランテやヘラクレスなどに纏わるものも黄金の林檎だ。

 

 その他で果実と言えば──

 

「聖書においてアダムとイブが食べたとされる、禁断の果実、知恵の実。それに等しいものだと思えばいい」

 

「ああ、そっちか」

 

「いや、全ての意味でだ」

 

「え?」

 

「聖書の知恵の実、北欧のアンブロシア、ギリシアの黄金の林檎。古今東西において似たような存在が語られるのは、これら全てに共通の出自があるからだ」

 

「(あ~そういうの聞いたことある)」

 

 世界中の古今東西で何故か似たような伝承が点在しているというのは聞いたことある、と俺はそれら世界中の話を比較研究していた日本の偉人がいたことを思い出す。「歩く百科事典」の異名を持ち、柳田国男をして「日本人の可能性の極限」と評された人だが、知る人はそういない。あの人なら自力でヘルヘイムを発見して研究しててもおかしくなさそうなのが恐ろしい。

 というよりも戦極岳斗はいつの間に民俗学まで……いや、こいつならやりかねないな。

 

「一口かじれば世界を我がものにできるほどの力を得られる黄金の果実。それは実在していた」

 

「……っていきなり言われても実感が湧かないんだけど」

 

「いい。後で理解することになる。ただ説明は今しておこう」

 

 そして戦極岳斗の口からヘルヘイムの森の真実が語られた。

 

 ヘルヘイムの森が浸食を始めた世界には、どこかで黄金の果実が実るというのだ。いや、それも正確な情報かは誰も分からないらしい。森が先なのか、果実が先なのか、そこまでは誰も見たことがないからだ。

 そして、その果実を手にしたものには全知全能の力が与えられ、世界を支配する力を手にするというのだ。

 

「世界を支配する力って言われてもな……」

 

 話によれば今この世界が平穏を保っていられるのは、今の王様が黄金の果実の力を得た結果らしい。そう言われればそれまでなのだが、やはり納得がいかないことがある。

 

「いくら何でもはた迷惑すぎる。というか侵略されること前提ってのが理不尽すぎる。第一、ヘルヘイムの森は自身の繁殖のために生息域を拡大させてるんだろ? 自分の繁殖に関係ない世界の支配者お手軽セットまで配りまくって何になるんだよ」

 

 黄金の果実というのが本当に万能の力ならば、世界を支配するほどの力で森自身が滅ぼされる可能性だってあるのに、わざわざその力を実らせるだなんて危険が過ぎる。

 そんな俺の疑問は、戦極岳斗の意外な言葉によって全てが薙ぎ払われてしまった。

 

「……森が自身の繁殖のためだけに侵略する、というのがそもそもの間違いだ」

 

「は?」

 

 何を言っているのだこの男は? かつて自分が綴っていた手紙にそう書いていただろうが? 植物が繁殖するために時空を超える。それがヘルヘイムだったのではないのか?

 

「植物の繁殖はあくまでも目的の一つに過ぎない。ヘルヘイムの森の真の役割、それは侵略先の世界の進化を促すことだ」

 

「……え?」

 

 まるで理解できない。進化を促す? 自分のためではなく? わざわざ滅びの危険まで添えて? ますます意味が分からない。そんな風に混乱する俺を見かねてか戦極岳斗は言葉を続ける。

 

「気にするな。俺でさえその真意を理解したつもりはない。ただそれが真実だということだけ覚えておけ」

 

「だ、誰がそんなこと──」

 

「旧約聖書における『蛇』。そいつが言っていた」

 

「アダムとイブに果実を食わせたっていう? 存在したのか?」

 

「本物かは分からんが、それに近い役割を持った存在がいる」

 

 役割を持った“存在”。つまりは明確に意思を持ったやつがいるということなのか。「理由のない悪意」という言葉を信じて戦ってきたが、まさかこの侵略に意志が存在したとでもいうのか……。

 

 ──願ってもないことだ。

 

 もしその話が本当ならば、対面した途端に俺はそいつに斬りかかるかもしれない。俺が見てきた地獄に意志を持つ元凶がいるのならば、絶対に許すことはできない。みっともないことなのだろうが、このどうしようもない現象に関して責めることのできる存在がいることに、俺はどこか期待してしまっていた。

 

「そしてこの街道の最奥に、黄金の果実の力を手にした王がいる。お前もついてこい」

 

「っ……あ、ああ」

 

 黒い感情に支配されそうになっている俺に向けて戦極岳斗が声をかける。そこでいったん思考を整えて、彼の言うままに後について行くことにした。

 

 と、歩き始めてしばらくしてから俺は戦極岳斗の言葉を頭の中で反芻する。

 

 おう……オウ……王?

 

「……え? 王様に会えるの? マジで?」

 

「ああ」

 

「アンタ何もんだよ。つかこの世界でどういう立場なわけ?」

 

「少し貸し借りがあるだけだ」

 

 戦極岳斗は特に詳しい事情までは説明することなく、俺たちは街の広い街道を進んでいった。道の行きあたりに見える巨大な芸術品にも見える建造物がきっと王のいる場所なのだろう。そんな道の最中、俺は街道を往く人の流れや脇に構えている店などを観察していた。

 人々の着ている服装は意外にも現代人の着るそれからかけ離れていなかった。麻か木綿のような少し柔らかめの生地で少しぶかぶた上着に脚の細さに合ったパンツ。更に上から大きな生地を羽織るようにし、足には何かしらの皮で出来た靴を履いた人が多く見られる。恐らくこの服装がこの街の一般的な服装なのだろう。太陽はちょうど今の人間界と同じように照りつけているものの、暑そうな表情をする者は見当たらない。どうやら見た目以上に涼しい創りをしているようだ。

 そして街道の脇にはそれは多くの店が立ち並んでいた。日用品と思しき小道具を売る店、ヘルヘイムのそれとは違う植物を扱う店、呉服店や靴屋、甘い香りのする食堂のような店、家具と思しき大きな木工品を扱う店、宿屋、そして食品を扱う店……というより青果店は──

 

「ちょっ、オイッ! あれヘルヘイムの!?」

 

 店先で堂々と置かれたソレは、逆U字型の萼に魅惑的な赤紫色の果皮に包まれた、俺にとっては正に禁断の果実──ヘルヘイムの実であった。

 人や動物が食べれば忽ちその意識は終わりを迎え、身体はインベスへと変化するという数多の悲劇の発端となったそれが普通に売り出されているのを目の当たりにし、俺は嫌悪感を覚えずにはいられなかった。

 

「彼らにとってはあれが主食だ。この世界の動植物は皆ヘルヘイムを克服している。間違っても取り上げようなんて真似はするな」

 

「主食……」

 

 観察を続けていると、確かに果実を買って帰る人もいれば、買った果実をその場で食べる人が次々と見られた。ヘルヘイムの実を食べた人も、その身体に変化が起こるわけでもなく、変わらず幸せそうな表情を浮かべて次の目的地へと歩き出す。そう、この世界は根本的に今の人間界とは違うのだ。死をもたらす果実を自分たちのものとし、それが常識として成り立っている。街を遠目で見ただけでは分からなかった文化の違いに軽く目眩をおこしてしまいそうだ。

 

「タコやフグを食べる日本人を初めて見た外国人も同じような気分だったんだろうな」

 

 などといったカルチャーショックを受け続ける事約十分、ようやく目的の建物が眼前へと迫っていた。綺麗に整えられた広い階段の向こう側には、天井を支えるようにして立派な太い柱がいくつも連なっている。見張りらしき人物は広い階段の両脇に二名ほどで、その間をそれなりに多くの人が行き来している。政治の為の施設ではあるがある程度市民にも解放しているのだろう。本当に大事な場所には、それこそ王様の部屋ともなれば警備は重くなっているはずだ。

 

「お……?」

 

 階段を全て登りきった俺たちの前方から、一人の男性が歩いてくる。他の市民がこの地特有の衣装を身に纏っているにも関わらず、その人は俺たちがよく知るスーツ姿であった。それ故に非常に目立つが、それ以前にオーラが桁違いであった。

 

「(うぅわっ、何あれ。ごっさイケメン……)」

 

 彫りの深い顔だが非常に整った顔立ちであり、同性ながら一瞬目取れてしまったのだ。漫画から飛び出してきたかのようなキリッと伸びた眼に、低過ぎず高過ぎない鼻、厚くはないが官能的に熟れた唇、それらを邪魔しないように伸びた長めのウルフカット。黒いスーツから体型すらも露わになるが、見事な八頭身……下手すればそれ以上ありそうだが、その歩き方も完璧に様になっている。頭のてっぺんから足のつま先まで、もはや非の打ち所がないと断言できる。

 神が定規やコンパスなどその他諸々を総動員して本気で人間を創ったら、恐らくこんな感じになるのだろうかといった男であった。

 

「なんだろう……こう言うの完全敗北って言うんだろうか……」

 

 自分で言いたくはないが、自分だってそれなりに顔の整った戦極岳斗と、スーパーアイドル葛木舞衣の息子なのだ。見た目なら平均よりは突出していると自負していた部分は確かにあった。だがこれはダメだ。ズルい。そう言わざるを得ない男が、俺たちの目の前までやってきた。

 

「久しいな岳斗。お前が来たということは、そうか……奴は滅されたか」

 

 うわっ、声まで低音響くバリイケメンかよ。などと言った感傷はもう充分だろうか。スーツの男は視線を戦極岳斗から俺へと移していた。

 

「葛木鉱芽……会うのは初めてだったな。私はロシュオ。かつてはロシュシェンムと呼ばれていたがその名は捨てた。彼らフェムシンムを統べる王だ」

 

「ロシュシェンムって……え? 王、様……? え?」

 

 ロシュオという名は聞いたことがないが、ロシュシェンムという名はかつて戦極岳斗が寄越した資料に名が載っていた……と思い出していたところでとんでもないワードが飛び出した事に気付く。おかげでその直前に言った「フェムシンム」という単語が完全に頭から抜け落ちていたことには大分後から気付いたが。その時の俺の豆鉄砲食らった鳩のような表情がおかしかったのだろう、ロシュシェンム──否、ロシュオの口元は僅かに釣り上がっていた。

 

「お前たちの世界の常識ではどうかは知らんが、我らにとっては王が民草の前に姿を現わすことは珍しい事ではない。民の暮らしを識り、豊かさを向上させる事も王の責務故な……岳斗、日本語とやらはこれで合ってるのか?」

 

「表現力が一般人のそれだが、意思疎通の上では問題はない」

 

「そうか。言葉選びで人の個性や立場が表されるのは中々に興味深い文化だな」

 

 ドライバーの巻いているために判別できなかったが、ロシュオはわざわざ日本語で話していたようだ。執政のために自らの脚を使い、他所の文化にも興味を示し、この王は中々に余裕がある人物のようだ。というより戦極岳斗のその言葉遣いはありなのだろうか? 相手王様だぞ?

 

「あの……王様は、護衛とかはいなくてもいいのですか?」

 

「私に護衛……それこそ人員の無駄というもの。力が衰えようとも、黄金の果実の力を持つ私を傷つけられるものはこの世界には残っていまい」

 

「黄金の果実……」

 

 先程の戦極岳斗との会話で出てきた単語を今一度繰り返して呟く。しかし傷つけるものすらいないとは大きく出たものだと思う。しかし未だに黄金の果実の力というものが理解できていない手前、王様の力をどうこう言うことは出来ない。

 

「鉱芽、先日倒した奴を覚えているな」

 

「忘れてたまるか」

 

 間違いなくコウガネのことを言っているのだろう、その質問に即答する。憎しみもそうだが、アレほどの強大な力を忘れることなど出来ようものか。

 

「そうか、お前がアレを葬ったか」

 

「本体でない上に弱体化も激しかったがな」

 

「え? 本体じゃないって……」

 

 彼らの話からして俺が対峙した存在は本来の力ですらなかったと解釈できる。アレほどの力を持ってしても完全ではない……それもきっと彼らの言う黄金の果実とやらが関係しているのだろうか。

 

「お前にコウガネと名乗ったソレは、自身がロシュシェンムとの戦いに備えて残したバックアップのようなものだ。しかしそれでも黄金の果実の力の一端だ」

 

 困惑する俺を余所に戦極岳斗は鋭い目をさらに研ぎ澄ませて言い放つ。

 

「そう、アレは成れの果てだ。あの森の中で誰も手にすることがなかった黄金の果実、その成れの果てがヤツだ」

 

 戦極岳斗の言葉に続いてロシュオが語る。それは黄金の果実の秘密、そしてコウガネの正体に迫る真実であった。

 

「黄金の果実は世界を操るほどの力を持つ。だが本来それは、その星の生命が口にする事でその役割を果たすものであった。他者の力になることだけが与えられた役割であった。しかし哀れかな、その前に彼の地の生命は森に食われ、結果として誰も手に取ることのなかった果実のみが残された」

 

「その長い年月の果てに自我を得たのがアレだ。全盛期だったならばそれはもはや神と戦うようなものだ。それこそ同じ黄金の果実の力を得たロシュシェンムでなければ一瞬で終わっていただろう」

 

 未だして黄金の果実の事実すら飲み込めていない俺には半ば絵空事のようにも聞こえてしまうが、とりあえず今はその話を真実として受け取ることしか出来なかった。「神の力」とも呼べる黄金の果実、それがコウガネ──いや、それの元になった存在の正体。同じくその力を手にしたのが俺の目の前にいる王様。きっと二人はぶつかり合ったのだろう、ロシュオは過去を振り返っているのか、瞼を僅かに伏せて瞳には憂いを帯びていた。

 

「多くの犠牲が出た。民も、官僚も、動物も、草木も……息子も」

 

「……」

 

 身内を守れなかった自分を蔑んでいるのか、彼の口から乾いた笑いのような息が零れる。

 

「……岳斗も、お前も、そしてお前の母も、紛れもなくアレの被害者だ」

 

「っ! 母さん!? 王様、母さんは今どこに!?」

 

 だが母さんの存在を口にされ、俺はロシュオの抱く心情を無視せざるを得なくなっていた。そもそもここには母さんに会いに来たのだ。はっきり言ってヘルヘイムの謎など自分の中では二番目で、最優先の問題として母さんとの再会だったのだから。被害者と言われ、気が動転しないわけがなかった。

 

「着いて来るがいい。互いに話すこともあろう」

 

 そんな俺の態度も意に介さず、ロシュオは俺を案内し始めた。その事実に大きく安堵する。少なくとも母さんは生きていると、ロシュオが「互いに」と発言した事で確信できたからだ。

 廊下を抜け、階段を降り、街へ出ること五分ほど。過去最大に長い五分間を経てそうして辿り着いたのは、辺りの建物と比べて少しばかり整った形と綺麗に整備された庭が映える屋敷であった。屋敷の中へ続く玄関戸と思しき扉の前に、中年だが綺麗な顔立ちをした女性が俺たちを待ち構えるようにして立っていた。

 

「そろそろお見えになる頃かと存じておりました」

 

 女性はロシュオが訪れると、丁寧にゆっくりと首を垂れ、次に俺たちの方へと目をやった。

 

「よく来てくださいました、ガクト。それに、コウガさん……ですよね?」

 

「はい。あの、貴女は?」

 

「私はこの施設を運営、管理しています、シャロシュと申します」

 

 ──施設?

 

 そんな彼女──シャロシュの言葉に嫌な予感を感じるも、こんなところで立ち止まるわけにもいかない。何としても母に会う、そんな俺の覚悟を汲み取ってくれたのか、シャロシュは少し目を閉じると、俺たちを屋敷の中へと案内した。

 

「貴方が会いたい方はここにいます」

 

 誰も言葉を発さぬまま玄関から大広間を抜け、ある一つの扉の前まで辿り着くと、シャロシュはこの中に母がいる事を教えてくれた。そしてドアノブへと手を乗せ、一言──

 

「入りますよ」

 

 ただそれだけ尋ねると、返ってきたのは……。

 

 

 

 

「はーい!」

 

 

 

 

「!!」

 

 やけに元気な、少女のように高く響く女性の声だった。

 

 しかし俺は絶対に聞き間違えたりはしない。

 

 ずっと、ずっと、ずっとずっと聞きたかった声。

 

 その主が、ここにいる。

 

 母さんが、俺の、すぐそばにいる……っ!

 

「か……(母さん!)」

 

 まだ見てもいないのに喉から出かかった声を呑み込む。まだだ、まだ早い。

 シャロシュが扉を開ける瞬間が、あまりにもゆっくりに感じられた。扉が奥へ動いていく度にさっさと開けてほしいような、もっとゆっくり開けてほしいような、奇妙な感覚に包まれる。

 

 そして、その扉が開ききり、シャロシュは入り口から脇へ寄り、部屋の中の様子が明らかになった。

 

 

 

 

 シンプルなつくりだが大きなベッドが一つ。その上には子どもが遊んだのだろうか、オモチャのような小物がいくつか散らばっていた。

 

 窓から照らし出された床には、これも子どもが描いたのだろうか、芸術と呼ぶにはあまりにも未熟と言わざるを得ない、クレヨンで書き殴ったようなものが散乱している。

 

 壁も同様に、紙に描かれたそれと同じセンスで書き殴られた落書きで埋め尽くされている。

 

 さっきまで食べていたのだろうか、ヘルヘイムの実とはまた違った食事のようなものが出されているが、綺麗に食べられてるとは言えず、獣が食い散らかしたように皿からはみ出て散らばっている。

 

 そんな幼少期に見覚えが無くもないような光景が目の前にある。

 

 だが、そんな部屋にいたのはただ一人だけ。

 

 この状況を作り出したのは、目の前にいる人。

 

 

「あー! ガクトだー! ねぇねぇ! おからだもうよくなったの?」

 

 

 見た目はどう見ても二十代の大人の女性。

 

 なのにその仕草は、少女どころではなく、むしろ──

 

 

「あれ? ねぇ、おにいちゃんだれ? ガクトのおともだち?」

 

 

 俺の思い出に残るあの姿のまま。

 

 かつてのテレビで活躍したすがたのまま。

 

 なのに目の前の彼女は──

 

 

「ねぇねぇ? だいじょーぶ? ねーせんせー。せんせー! このおにいちゃんへんだよー」

 

 

 彼女はまるで幼い少女のように俺の肩を揺らす。

 

 その眼には何の憂いのかけらもなく、楽しいことしかないと言わんばかりにキラキラと輝いている。

 

 純真無垢な幼子のもの。

 

 

「舞衣、この男に見覚えはあるか?」

 

「んん? う〜〜〜ん……う〜〜〜〜〜〜ん…………わかんない! えへへ」

 

「……そうか……」

 

 

 

 

 もう誰の声も聞きたくない。

 

 

 

 

 もう何も見たくない。

 

 

 

 

 彼女はもう……誰でもなくなってしまった。

 

 

 

 

 俺の知ってる人はどこにもいなくなってしまった。

 

 

 

 

 それだけでもう、何もかもがどうでもよくなってしまった。

 

 

 

 

「ねぇ、なかないで? いっしょにあそぶ? ふふっ」




久々ながら濃口で。
これまでの話も忘れたならもう一度読み返してみてください。
それでは次回もご期待ください。
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