谷地オーナーは事務所に戻ると、キングジョージⅥ&クイーンエリザベスSへの追加登録を完了させた。
7万5000ポンドの追加登録料の振り込みも終えると、寺尾記者からの電話を待つ。
寺尾が昨夜のうちに書き上げた原稿を全報スポーツに送ってからJRAに正式な連絡を入れるつもりだ。
どうせ
寺尾も急いで校閲を終えると全スポ本社にメールを送り、国際電話料金を惜しみながらデスクに電話を入れメールが届いていることを確認する。
その後、井野調教師がJRAに連絡を入れた。
一方こちらは日本。
宝塚記念も終わり夏競馬が本格化してくると、JRAと日本の競馬ファンは少々ダラけており、夏休みムードになっていた。
ジェルディサヴォアがパリ大賞典制覇という、欧州、特にフランスにとっては背筋が凍るような快挙も、日本競馬ファンの価値観からすれば欧州の低額GⅠを一つ勝っただけだという認識で大してブームになっているわけでもなく(その後凱旋門賞には出走しないというのもマイナスに拍車をかけ)、JRAも便乗したキャンペーンなどを張る予定はなかったのだ。
そんな中で谷地のワガママで急遽連闘でのキングジョージ参戦と言われても職員の頭の上にはクエスチョンマークの青いランプが点り、しばらく経ってからハチの巣をつついたような大騒ぎになった。
基本的に荒れると言われている夏競馬で堅い決着が続き、JRAの馬券収入が落ちてきたところにジェルがパリ大賞典で穴をあけてくれたこともあって多少懐が潤っていた。
パリ大賞典ではJRAがフランスギャロに許可をもらって馬券発売を行う猶予があったのだが、1週間前にキングジョージ出走などと言われてもBHAに特別認可を受ける時間的余裕はなかった。
ましてや現地ブックメーカーで8頭中4番人気である。
仮にJRAで馬券を発売して、ジェルの応援馬券が買われたとしても3番人気程度だろう。
勝っても負けてもJRAにとっては美味しいところを逃したと臍を噛んだ。
【全スポ 7/16 19:15】
~【速報】ジェルディサヴォア、キングジョージⅥ&クイーンエリザベスSへ出走表明 連闘で~
一昨日、フランスのパリ大賞典を勝ったジェルディサヴォア(牡3)がキングジョージⅥ&クイーンエリザベスS(※以下キングジョージ)への追加登録を完了したと陣営から発表があった。
キングジョージの発走予定時刻は7月26日15:35(日本時間7月26日23:35)となっている。
パリ大賞典から連闘での出走となるが、管理する井野調教師によると今のところ体調や馬体に問題はないとのこと。コンディション回復を優先させるため、追い切りはせずレースに臨む予定。
キングジョージはジェルディサヴォアの父であるセスナが出走し3着、3代父のハーツクライも3着に敗れている。
現地ブックメーカーのオッズでは出走馬8頭中4番人気(7月16日19時現在)となっており、1番人気はサンクルー大賞典を勝って臨むインディアナセックメイク(騙4)、次いで同サンクルー大賞典2着馬で、昨年のキングジョージ2着のワイルドシークエンス(牡6)と続く。
~現地・寺尾~
パリ大賞典を終えてから全然走れていない。シャンティイにはプールがないのでプール調教もできない。
昨日の朝、オーナーが俺の目の前で連闘でのキングジョージに出走を表明した。
オーナーがこのレースに固執しているのは知っていたが、まさか連闘で行くとは考えていなかった。
パリ大賞典を圧勝してからはなんとなく命が危ないような気配もあったが、アイルランド人のマカロフィ陣営は英雄扱いをしてくれていたし、念のためセキュリティも固くしてくれていた。
ところがキングジョージへの出走を表明した瞬間、フランス人たちは手のひらを返したように応援してくれるようになった。
要は「パリ大賞典を勝った“フランス代表”として、イギリスの王室相手に暴れてきてくれ」という、敵の敵は味方とでもいうべき妙な仲間意識である。
アスコット競馬場のコース特性はよく憶えていない。三角形のコースだということ、高低差は20mだということはだけは覚えていたが、それぞれの直線の長さなどは忘れていた。
脳内シミュレーションをするには情報が足りないが、洗い場に行くときにチャカついているふりをして軽くステップを踏んでみたが特に重い感じもなく、足の動きも鈍っていない。
若干夏バテ気味の時にシャンティイの森は嬉しい。
だが頼むから森林浴を終えてすぐ人参を出すのはやめてくれ。口の中がパサパサするんだよ。
一方アンベストネヴァーの方は順調に調教を積んでいる。
予定通りインターナショナルS→フォア賞→凱旋門賞というローテーションで臨むらしい。
4ヶ月超の海外漬けとなればクラブの追加出資額がとんでもないことになっていたらしく、ダービーを勝っていなかったら凱旋門賞直行になるところであった。
どうしてもクラブ馬となると金銭面で簡単に海外遠征はできないのが実情で、いくらファンが「凱旋門賞を勝つためには長期遠征で欧州の環境に慣れさせる必要がある」と口を揃えて言っても、その分の遠征費用は一口馬主をはじめとする出資者に追加徴収という形でしわ寄せが行く。
多少負担はするだろうが、出走登録料や遠征費用は一口馬主全員が出すものであり、経営者(クラブ)が出すわけではないのだ。
招待競走でない場合、1レースだけの出走でも一口当たり100万以上の追加出資が必要となるのはザラであり、たとえ招待競走であっても一口10万は超えてしまう。
大抵はそれまでの賞金で相殺されるのだが、大して稼げていない馬が出走、ましてや帯同馬などに選ばれると出資者はたまったものではない。
しかも予定のローテーションをこなして日本に帰っても、輸入検疫の影響で最低でも3ヵ月はレースに出走出来ないことが確定している。
天下の臺屋グループも金銭面ではだいぶ谷地オーナーに甘えたらしく、中間放牧はマカロフィ・ファミリーの牧場に行くことになっていた。
アンベストネヴァーは血統的にあまり魅力的ではなく、加えて近年の臺屋RHの牡馬はGⅠにおける成績がさえないこともあって一口あたりの出資額は格安であった。
結果だいぶ売れ残った馬なのだが、残りの株はダービー終了後、遠征が決まってから谷地が少し買い取った。
現状一口馬主7割、谷地2割、クラブ1割負担の出資額となっていて、今回の凱旋門遠征も今までの獲得賞金をつぎ込みつつなんとか一口あたり100万未満に抑えたが、谷地が株を買い取らなかったら一口馬主の追加出資が1000万単位になってもおかしくないところだった。
谷地は谷地で今回の遠征ではマカロフィ・ファミリーにだいぶ
さて、欧州では空輸が当たり前となっており、距離にして栗東から札幌へ遠征する程度でも空輸を使っている。
輸送は当日の朝。朝に飛行機を飛ばして午後には現地に着く。
シャンティイからアスコットまでの直線で測ると美浦トレセンから中京競馬場に行くぐらいの距離を、空輸なら3時間半、長く見積もっても5時間もあれば輸送が完了する。
美浦から東京競馬場に移動する時間で他国まで行ってしまう欧州は大にも小にもスケールが違う。
もちろんシャンティイからアスコットへの最短経路はシャルル・ド・ゴール空港からヒースロー空港まで空輸、その前後は馬運車でどちらも30分から1時間の行程になるのだが、様々な事情でフランクフルト空港やアムステルダム空港経由になると地獄だ。
そもそもフランスから国境を跨いで出発空港に行くというのもなんともスケールがデカい話だが、こうなると馬運車に揺られる時間は6時間から8時間を要してしまう。
で、残念ながら、というか当然ながら10日前ならまだしも1週間前に競走馬の輸送を引き受けてくれる航空会社などあるわけがない。
谷地や臺屋の代表には航空会社に多少なりともコネはあるだろうが、日本の航空会社の貨物便は基本的に欧州には飛んでこないのである。
ということで次策として、ユーロトンネルを利用する。こうなると空輸よりは時間がかかるが、6時間から8時間を見ればシャンティイからアスコットに着く。というわけでさすがに前日輸送に決まった。
欧州に来てからすっかり旅行気分である。
長時間飛行機に乗ったり、前世では調べたことすらないパリを馬運車で走り回ったり、ロンシャン競馬場で走ってみたり。
そして今日はユーロトンネルである。
どうせならヒトの時代にユーロスターに乗ってみたかったが、残念ながら馬運車ごと貨物列車に放り込まれた。
実際ユーロスターに乗っていようと貨物列車に乗っていようと外の景色など見えるわけがない。
青函トンネルを新幹線で通り抜けた時の微妙に拍子抜けした感情を思い出した。要するに、ヒマであった。
今日もコウヘイが同伴してくれているが、コウヘイもヒマそうだ。
なにせ俺がまったく騒ぎもしなければ輸送中に糞をまき散らすようなこともないので、たまに様子を見に来ては機械的に鎖のチェックをしていただけであった。
そろそろ脳内シミュレーションもやりつくしてしまった。前日入りだったのが幸いで、向こうに付いたら直線距離を測ることができるだろう。
相変わらず輸送ではヒマすぎてストレスを感じることもあったが、アスコットで思いっきり水をぶっかけられたらスッキリできた。
アスコットでもコースを走らせてはもらえなかったが、目測では最後の直線はざっと480mから510mぐらいと判断した。
ということは東京競馬場や阪神競馬場外回りを参考にすればいいのか。どちらも俺が大嫌いなコースだ。
確か有馬記念とドバイを先行・逃げで挑んだハーツクライ曾爺さんもここでは差しを選択していたはずだ。
オーナーやセンセイの話によるとセスナ父さんは追込でチャレンジしたらしい。
そして大きな問題が発生した。
どうやら陣営の一つがペースメーカー、いわゆるラビットを送り込んできた。
俺の追加登録の後にもう一頭追加され、9頭立てのレースになったようだが、最後に登録した馬は重賞競走での入賞実績もない馬であった。間違いなくラビットだろうと井野センセイとアキさんが話しているのが聞こえた。
ラビットに指名される馬はもちろん勝ち負けに絡んでくることはないのだが(一応例外はある)、それでも直線入り口まで先頭を保つだけの力はあるから面倒だ。
俺なりに作戦を考えてみたが、先行や差しで行くのならそう難しい展開にはならない。
まず俺がマークされるわけがない。そもそもの話、俺が逃げ脚質だということを各陣営は知っているわけだし、それでもなおラビットを送り込んできたのは俺が最終コーナーを待たずして止まるだろうと読んでいるわけだ。
人気も低いしアホなローテーションを組んでいるのだから当然である。
だが意地を張って逃げで勝負するとなればラビットを上手く使う作戦が必要だ。アキさんと喧嘩するつもりはないので、スタート直後、アキさんが抑えたら差し先行プランに切り替えよう。
翌朝、井野センセイが最終の馬体チェックと体重を測ってくれた。
シャンティイに来てから脚の調子は絶好調で、使い詰めているのにソエどころかコズミの前兆もない。
非公式ながら496kg、パリ大賞典から±0kgに戻した。洗い場でたっぷり水を浴びたので目も覚めてスッキリである。
後ろ目に自分のトモのあたりを確認すると、油をかけたわけでもないのに毛艶がいい具合に光っている。青毛や黒鹿毛ならもっとテカテカしていただろうが、くすんだ鹿毛の俺でも見栄えはいいのではなかろうか。
「だいぶ気合入ってるなあ」
オーナーが最後の激励に顔を出した。オーナーの顔もだいぶ気合が入っている。
俺が気合入っているのはレース云々ではなく、どうせ負けるにしてもせめてベストターンドアウト賞を持って帰るつもりだったからだ。
ベストターンドアウト賞はなにも毛艶だけではない。歩様や姿勢に加え、曳いてくれるスタッフ、つまりコウヘイと騎手のアキさんの姿勢や立ち居振る舞いも評価ポイントに入ってくるのだ。
ガチガチになってたら獲るものも獲れないのだが、コウヘイのスーツ姿を見るのが楽しみであった。
アスコット競馬場ではドレスコードで来場するのが習わしであり、もともと出走予定などなかったのに急遽出走が決まるや否や、コウヘイと井野調教師――ついでにアキさんと寺尾記者――は谷地オーナーの車に押し込まれ、パリで目玉が飛び出る価格のスーツを買ってもらっていたのである。
そうしないと仕事ができないのだから仕方がない。だからといってここまで値が張る物を買わなくてもいいだろうとコウヘイは思った。
それだけ金をつぎ込んだスーツに「着られる」形で、コウヘイの姿勢もピンと伸びてパドックを周回した。
普段はダラダラと歩いたりよそ見をしているジェルディサヴォアも一歩一歩キビキビと歩き、首はやや丸めるような形で低く保つと、頭を下げ尻尾も振らずに歩いている。
日本人は欧米人と比べて身長が低いので、厩務員と並ぶと目の錯覚もあって馬体がさらに雄大に見えるのだ。日本馬が海外遠征するたびにベストターンドアウト賞を受賞してくるのには厩務員の身長も一役買っている。
コンディション第一の井野調教師の手腕で馬体や毛艶そのものは完璧に仕上げられており、目標としていたベストターンドアウト賞の受賞は確実であった。
キングジョージⅥ&クイーンエリザベスS(GⅠ)
7月26日(土曜) アスコット競馬場 第5レース
3歳以上 芝 2405m
| 馬番 | 馬名 | アルファベット | 性 | 齢 | 負担重量 | ゲート番 |
| 1 | インディアナセックメイク | INDIANA SEC MAKE | せん | 4 | 61kg | 3 |
| 2 | ジェリスターワ | JELLISTAWA | 牡 | 5 | 61kg | 2 |
| 3 | ロンドンゴール | LONDON GOAL | せん | 7 | 61kg | 5 |
| 4 | オーナメンツレガシー | ORNAMENTS LEGACY | 牡 | 5 | 61kg | 6 |
| 5 | プロヴォケーション | PRO VOCATION | 牡 | 4 | 61kg | 2 |
| 6 | テルセイラーバカンス | TERCEIRA VACANCES | 牡 | 5 | 61kg | 9 |
| 7 | ワイルドシークエンス | WILD SEQUENCE | 牡 | 6 | 61kg | 8 |
| 8 | スピナコーズウェル | SPINA CAUSWELL | 牝 | 4 | 60kg | 4 |
| 9 | ジェルディサヴォア | GEL DES AVOIRS | 牡 | 3 | 56kg | 7 |
レーシングポストの出走表に寄せたかったんですが、あの書き方だと性別がわからない(性別表記はなく、"斤量から察しろ"である)のでJRAのスタイルで。