インターナショナルS(3歳以上 GⅠ)
出走後、俺は速やかにアイルランドに移動したいところではあったが、貨物便の予約上ニューマーケット競馬場の厩舎で3日ほど滞在することになった。
キングジョージへの出走が急に決まったこともあって、帰りの便もなかなか手配できなかったのだ。
フランス・イギリス間と違い海底特急はなく、フェリーはあるがわざわざ10時間以上かけてトラック輸送しなくてもよいだろうという配慮であった。
ニューマーケット競馬場はイギリスの(大レースが開催される競馬場としては)唯一調教専用コースが併設されている競馬場である。
併設と言っても、もとよりシャンティイのように広大な敷地を持っているので、駅にビルが併設された駅ビル感覚の距離感ではない。
調教だけでなく生産や馴致も行っているので放牧地や種付け場などもある。
調教はというと、坂路コースもあるが小高い丘に柵を建てただけであったり、調教「コース」とはなにかと問いたくなるような柵ひとつない平野を走るだけだったりする。
一方で近代的な調教設備も一通りそろえている厩舎も多く、プール調教をはじめ電動トレッドミルやウォータートレッドミルもあるところにはある。
残念ながら俺は連闘のケアのためコースや調教場には出してもらえず、厩舎周りを軽く歩いたりする程度であった。
ところで、キングジョージⅥ&クイーンエリザベスSは7月の26日である。
仮にセントライト記念を叩くには8月の24日までに帰国しなければならない。
菊花賞に出走するだけなら最長で9月末までアイルランドに滞在できるが、当然入国検疫中は満足な調整ができないので実質的には9月のアタマには帰国する必要があり、菊花賞直行をするにしても1週間程度しか変わらないのである。
結局両にらみが可能な8月20日に帰国することが決まり、輸送時間や余裕を考慮するとマカロフィ・ファームでの放牧は3週間しかできないことになった。
短期放牧とかそういうレベルですらないのではなかろうか。
ニューマーケット競馬場の馬房はこれまたマカロフィ調教師の紹介で、ヒルストン厩舎の馬房を借りている。
ヒルストン調教師は開業してからまだ5年も経っておらずGⅠの勝利もなかったので、わずか3日とはいえ欧州GⅠ2勝馬を預かるとなっては厩舎を揺るがす大事件になっていたらしい。
無駄に気合が入ってピカピカに磨き上げられた馬房に入るのは非常に居心地が悪いものであった。
俺の管理はコウヘイがやってくれているものの、GⅠ馬を一目見ようと厩舎のスタッフが他馬の馬房の片付けのついでに俺の馬房をちょくちょく覗いてきた。
別に俺の馬房の前で酒盛りしてくれてもいいんだが?
妙に居心地が悪かったニューマーケットでの3日間を終え、ヒースロー空港からアイルランドに飛んだ。
いよいよ欧州旅行……もとい遠征の最終目的地、マカロフィ・ファームに入厩した。
8月20日にインターナショナルSに出走するアンベストネヴァーはこちらには来ていなかったが、様似町の谷地オーナーの牧場で見かけた若いスタッフが何人か来ていた。
そういえば皐月賞の後はオーナーの牧場に帰っていなかったから、牧場スタッフに対しては初めてのGⅠ馬お披露目になった。
マカロフィ・ファームは
ここ数年の大躍進で牧場としてはそこそこの権威をもつようになったのだが、いかんせん設備が足りず、スタッフも足りない。
それでも広大な放牧場では数頭の馬がゆったりと草を食んでいた。
基本的に芝コースしかない欧州競馬は冬場の開催が難しく、多少芝が荒れても問題ない障害競馬が冬季は盛況である。
平地のメインシーズンは5月から10月いっぱいであり、今の季節は現役馬は基本的に各競馬場の厩舎にいるので、マカロフィ・ファームの馬房は空いていた。
牧場到着後、数日間馬房で様子を見てから放牧地に連れていかれた。
ここでもまずは水場を探した。
縄張りや群れに勝手に侵入すると喧嘩になるので、他の馬がおらず、かつ馬房の方がギリギリ見えるあたりでさっさと寝転がることにした。
食ったり走ったりするより、まず寝たかった。
アンベストネヴァーを管理する千石調教師は、ジェルディサヴォアの移動に合わせて谷地や井野とともにマカロフィ・ファームを訪れ、放牧場の下見をしていた。
欧州の牧場は広い。
日本は土地が狭いから欧州ほど広くできない、というのは間違いではないのだが、例えばアイルランドの国土面積は北海道より狭い。
日本の国土そのものが狭いのではなく、過去の人間が勝手に定めた村や集落、領地の境界線がそのまま現代の市町村の境界線になっており、もともとが集落部落サイズなのでその範囲が狭いのである。
そして町境や県境(北海道にはないが)を跨いで牧場施設を造ると税法上の手続きが面倒だったりする。
そのため、なんとか区域内に収めようとするとどうしても狭い範囲にいろいろな施設を詰め込むことになり、調教コースも狭く、急なコーナーを造らざるを得ない。
一方で欧州米国の牧場は土地を買う金さえあれば県境を跨ぐことなど厭わない。
その結果、各地で広大な牧場や個人所有の調教場を造ることができるのだ。
千石調教師は欧州米国の有力な牧場を見学したことがある。
それに比べるとマカロフィ・ファームは主に設備面で魅力的な牧場とは言えなかったが、無い袖は振れない。
まして今回は谷地オーナーを通してマカロフィ・ファミリーにいろいろ世話になっているのである。
臺屋RHの代表からも金銭面の問題で谷地の計らいに従ってほしいと要請があった。
それでもここにアンベストネヴァーがお世話になるのは凱旋門賞が終わってからアメリカへ移送するまでの1ヶ月程度なので、悪い影響を受けることはないだろうと切り替えることにした。
「千石先生、ご紹介いたします。この牧場のオーナー、サムエル・マカロフィさんです。シャンティイのアーネスト・マカロフィ先生の弟ですね」
『初めまして、センゴク先生。兄からアンベストネヴァーの調教動画が送られてきました。あれもいい馬ですね』
マカロフィ氏はスマホからジェルディサヴォアと併せているアンベストネヴァーの動画を見せた。
「いえ、どうもありがとうございます」
千石は谷地オーナーの通訳を介しながら当たり障りのない返事をした。
『あの子の株も欲しいですね。アウトブリードになりますが、いい牝馬がいるんですよ』
「ははは、代表には伝えておきますよ」
お互い社交辞令的な問答であったが、数年後、アンベストネヴァーが引退した際にはサムエルがアンベストネヴァーの種付け権を買い、同じ年に引退したデームカルティスロットに6年続けて種付けをさせ、産駒のある1頭はバーデン大賞やプリンスオブウェールズS、そして香港ヴァーズ2連覇など目覚ましい活躍を見せる。
全きょうだいがそれぞれ最低でもGⅢクラスは勝利する好相性ぶりであったが、最もトンデモなかったのは両馬ともに初年度産駒となったプリマラダムで、仏国牝馬三冠に加えて3歳で
余談ではあるが、引退後のアンベストネヴァーは国内の産駒成績が伸び悩んだ一方、欧州やオーストラリアでは繋養先の
最高級の評価を受けた外国とは真逆に、日本国内では「産駒を所有するよりセリに出して海外のバイヤーに買われたほうがリターンが大きい」と揶揄されるほどであった。
閑話休題。
『本格的な調教が必要な時はカラ競馬場へ輸送して行います。まだうちには調教設備が整っていないもので』
柵沿いに散歩を続けながら、一行はジェルのそばまで来た。
『この時期はほとんどの馬が厩舎に入っていますから、この一角はジェルディサヴォアが独り占めしていますね』
さっきまで脚を折って寝転がっていたジェルは、谷地達が近づいてくると慌てて立ち上がってピタリと動かなくなり、両耳は3人のほうに向けて固定された。
「神経質な馬なので、我々がここにいるとずっと緊張しているかもしれませんね」
谷地がマカロフィと千石に早めに離れるよう促した。
こちらでの仕事が終わった井野調教師と上田騎手、そして全スポの寺尾記者は昨夜の便で日本に帰ってしまったので、今ジェルを管理する最高責任者はオーナーの谷地、次いでコウヘイ、そして谷地が自分の牧場から派遣したスタッフ3名である。
谷地も数日後には帰国する予定だが、マカロフィ・ファミリーがジェルの保有権を一部取得しているので、稼いでくれる馬を軽々しく扱ったりはしないだろう。
数百メートル離れたところで振り返ってみると、まだジェルは不動のまま両耳をこちらに向けていた。
<400を切ってシークラフトが先頭に替わるか。
その内を突いてアンベストネヴァーが先頭に立つ勢い。その後ろギャザリーコンクエストが3馬身差で前を追ってくる。
さあ先頭2頭の追い比べから、抜け出した4番のアンベストネヴァー、リードを広げて2馬身、3馬身。
200を通過。鎌田のムチが入ってアンベストネヴァー、一気に突き放す。
2番手シークラフトとギャザリーコンクエスト叩き合いだが、これはもう完全に抜けました。
アンベストネヴァー海外初挑戦初制覇、ゴールイン!
2着離れてシークラフト、そしてギャザリーコンクエスト。
道中3番手追走から、直線内々を通って抜けたアンベストネヴァー、鞍上鎌田遼騎手。2着に4馬身5馬身差をつけての圧勝で、さあ凱旋門賞へ視界良好。GⅠインターナショナルS、実況でお伝えいたしました>
ウイナーズサークルに戻ってきたアンベストネヴァーと鎌田騎手を千石調教師が迎えた。
「どうだった?」
千石が鎌田に尋ねた。
「余裕、と言っていいでしょう。馬場も問題なさそうで、見ての通りもう息も戻ってます」
アンベストネヴァーも一仕事終えたとばかりに、カメラに囲まれる中でも眠そうな顔をしているだけであった。
千石も鎌田も、頼もしそうにアンベストネヴァーの首筋を撫でた。
「これで代表も金の心配をしなくて済むな」
インターナショナルと銘打っているだけあって、賞金総額は125万ポンド(約2億3000万円)、1着賞金70万8000ポンド(約1億3000万)と高い。
残念ながら会員に還元されるのはさほど多くないだろうが、この度の海外遠征費の7割程度にはなるだろう。
「遼はいったん帰るんだったな?」
「ええ、凱旋門賞の1週間前にはこっちに戻りますが、調教は乗れません」
千石はうん、とひとつ頷いた。
凱旋門の後はBCか香港か。あるいはコックスプレートか。日本以外ならいくらでも青写真が描けた。
“If you want get The Diamond, have to pay Prima nocta of your Dame.”