ツーターン・スリーターン   作:ジェレミー

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京都新聞杯(3歳 GⅡ)


積み上げる「1勝」

 

「マコ、どう、京都の感じは掴めた?」

 シビアレコードの最終追い切りを終えた後、貼りだされた出馬表を見ていた進藤に、中村春貴騎手が横から声をかけた。

「なかなか前が止まらないなあ、って感じでした」

「そうなのよ。僕は結構前から行くことが多いから勝負しやすいんだけどね。後ろから行くとルードルフでも届かないことが多いしね」

 後ろからと言われても勝ちに行くなら淀の下りである程度前にいかないとね、と中村が京都11Rの出馬表をなぞりながら言った。

 

 あの京都が大得意な大迫騎手でさえ、京都競馬の芝で最後方からの追込勝ちなど数えるほどしかないのだ。

 ルードルフや近藤も勝つ馬に乗っている時は直線の入り口で5番手ぐらいに付けているのが普通だ。

 例外はスタミナの差でそもそも走り切れない馬が出てくる菊花賞や天皇賞・春のような長距離戦か、この京都新聞杯のような3歳限定のレースで能力が抜けているような馬が勝つ場合である。

 

 間違いなくシビアレコードの能力は抜けていると思うのだが、騎手の方には不安がある。

 減量恩恵もないので、普段3kg減のところをイーブンで乗るのだから、実質約1秒分ほど時計を上乗せして予想しなければならない。

 つまり、見習いを卒業した騎手を乗せて3馬身差以上でゴールする能力がシビアレコードに求められるのである。

 

 ちなみにルードルフや近藤、大迫がドバイに行って不在だった毎日杯では4馬身千切ったが、一流クラブ馬が揃った朝日杯の際の着差は1と3/4馬身だった。

 

 特に今年のクラシック世代は2歳時から牝馬が活躍している影響で、大手クラブ馬でも皐月賞では賞金が足らず、ダービーを目指して京都新聞杯や青葉賞に出走する馬が多かった。

 大抵こうなると勝機がないGⅡを無理に狙うより、自己条件の平場やリステッドに路線を変更しようと出走回避馬が相次ぐ京都新聞杯だが、今年の京都新聞杯はまさかのフルゲート。

 大手クラブ馬、そしてトップジョッキーたちが勢ぞろいし、まさしく「プレ・ダービー」の様相を呈していた。

 

 当然、中村もそこそこ人気を集める馬に騎乗する。

 意地悪な先輩ならシビアレコードの作戦だとか調子だとか聞いてくるものだが、中村はそんな小さいことはしてこない。

 一通りメモを終えた中村は、じゃ、と言ってすぐ担当の厩舎へ歩いて行った。

 

 進藤はもう一度、見落としがないか出馬表を見上げた。

 優先的に進藤に乗せてくれる谷地の馬は先週使い切ってしまったし、他の厩舎に預けている馬も、平場クラスではわざわざ京都遠征を了承してくれるわけがない。

 

 一方で、大迫騎手が顔を繋いでくれたおかげで、栗東の調教師から京都の5R、3歳の未勝利戦に乗ってほしいと依頼があった。

 向こうにもお抱えの騎手はいるからおよそ勝ち負けにはならない馬ではあるらしいが、一度馬場の状態を確かめられるのはありがたかった。

 とはいえ、今から栗東トレセンに行くわけにもいかないので、まずは電話で挨拶をし、土曜日に東京競馬で騎乗があるため当日にお会いすることしかできないことを伝えた。

 向こうの調教師もそれは分かっているので、最終追い切りの調子と作戦を軽く話した後、詳細はメールで送るから通信機器が使えなくなる金曜までに書き写すなりプリントアウトするなりしておくようにと言われた。

 

 電話を終えると、次は井野厩舎に戻って京都新聞杯の打ち合わせである。

 厩舎では上田騎手が先に戻っていた。

「先輩、すみません。遅れました」

「栗東に電話してたんだろ。わかってるよ。それでいいんだわ」

 ほれ、と上田は紫地、黒うろこ、水色菱山形の谷地オーナーの勝負服を一着、進藤に渡した。

「今のうちにトランクにいれとけ」

「すいません。ありがとうございます」

 

 そのとき、井野も厩舎に帰ってきた。

「早いな、マコ。張谷センセイのとこには行ったのか?」

「いえ、まだこれからです」

 馬鹿野郎、と井野は眼を剝いた。

「ウチは後回しでいいんだ。おめえの所属する厩舎なんだからいつでも入れるんだからよ。ウチを抜いた予定レースの早い順から回ってくるんだよ。アキ、おめえもなんで教えねえんだ」

 すみません、と上田と進藤は揃って頭を下げた。

「さっさと行ってこい。アキ、おめえも回るとこあんだろ。フリーったってうちの所属みたいなもんなんだから、おめえも同じだ。さっさと行け!」

 最後は井野も大声を上げ、二人は慌てて厩舎を飛び出していった。

 

 シビアレコードは金曜の内に輸送に入った。

 1日早いが、これは井野厩舎の人員スケジュールの問題である。

 ジェルディサヴォアが京都競馬場に残っている為、コウヘイが美浦トレセンにいなかったのだ。

 土曜に仕事がある進藤にシビアレコードの世話を任せるわけにもいかないので、美浦居残り組は中村厩務員らに任せてシビアレコードを先に京都に送ってしまおうというわけである。

 

 京都競馬場に着いてシャワーを終えたシビアレコードはまっすぐジェルディサヴォアの隣の厩舎に入れられた。

 ジェルディサヴォアが先週からずっと滞在しているので、道路からいちばん遠い馬房棟の端という最高の場所をキープされている。

 まずジェルディサヴォアを外に出して柵に繋ぎ、次いでシビアレコードを出して歩かせようとしたが、シビアレコードはすぐにジェルディサヴォアの腹の下に潜り込んで寝転がってしまった。

 コウヘイがスマホで写真を取ってXに投稿するとたちまちバズった。

 

 土曜日に入り、前日輸送組が続々と到着してくると、厩舎エリアは次第に騒がしくなる。

 各新聞社の記者やカメラマンが走り回り、土曜日に出走する馬の関係者は準備に追われている。

 例外は、呑気に寝ているシビアレコード。

 隣にジェルディサヴォアがいて見張っていることがわかると、安心していびきをかいていた。

 

 もちろんシビアレコードにとって、ジェルディサヴォアは「兄」という認識ではない。

 弟妹が生まれる前に上の馬は親から離されるので、基本的に馬はきょうだいを認識できず、頼りになる年長馬というだけだ。

 一方、ジェルディサヴォアはシビアレコードが弟だということは分かっている。

 尤も初見では分からなかったが、コウヘイ達が「弟だ」と言っているからそうなのだろう。

 なおジェルディサヴォアからしてみれば人間目線なので、「弟」というより「かわいい馬」というペット的な感覚の方が強かった。

 

 進藤は土曜日に1勝を挙げることができ、勝ち星を7に伸ばして京都入りした。

 今日はシビアレコードを含めて2鞍。

 もう一頭は大迫騎手の伝手で関西の調教師から仕事をいただいた馬だ。

 

 見習い騎手に乗せる場合、未勝利と言えど馬の「教育」は度外視している。

 喉から手が出るほど勝ち星が欲しい騎手にヤラズの指示などできるわけがないし、第一、教育を任せられるほどの腕がないのだから。

 とはいえ、その厩舎は2頭出しで、もう一頭は2番人気のクラブ馬。

 逆に進藤に依頼した馬のオッズは30倍を超える10番人気馬であり、着を拾うのもまず無理と言える程度の馬であった。

 

 本命馬の方は馬群の前目、絶好の位置につけ、やや出遅れた進藤の馬は後方3番手の追走。

 騎手の腕もいいので前残りの馬場だけにあっさり抜け出し、突き放した。

 一方の進藤が乗る馬は3,4コーナーでも外に出せず動けなかったが、直線入り口でなんとか前は捌いた。

 

「あかんわ」

 調教師がモニターを見上げて呟いた。

 前残りとはいえ、本命クラスが前に固まっていたので想定以上にペースが速く、残り100mほどで脚が上がってしまったのだ。

 一頭だけ、大外から追いこんできた進藤が乗る大穴馬が1馬身突き抜けてゴールした時は、頭の中には嬉しいより、どうしよう、という感情が渦巻いていたのであった。

 

「こいつ追込できたんや……」

 検量室で1着と2着に並んでいる自分の馬を見て、進藤と握手をしながら呟いた。

「分かりません。上手く前を捌けなくて、動けなかったんです。でも最後まで伸び切りましたよ」

「次も乗ってみるか?いつになるか分からんけど」

「ぜひ、お願いします」

 馬主の関係者と口取り式に臨む中、調教師は本命馬のクラブに対する言い訳を必死に考えていた。

 

「おう、誠紅、おめでとさん」

 軽い昼食を食べてシビアレコードの装鞍に行くと、井野調教師が待っていた。

「よく届いたな。でもレコードはもう少し早めに動いてやってな」

「はい。スタートで前に行ったらどうします?」

「強引に抑えなくてもいいぞ。先頭はちょっとお前が不安だろうけど、番手ならそれでもいい」

 井野はさっきの追込勝ちを見て、()()()はそこまで心配しなくていいとも思っていた。

「マークはされるだろうけど、向こう正面から外を回るぐらい腹くくってもいいぞ。どうせこいつももともと長距離向けの馬なんだ」

 

 甘えん坊の気性とスラっとした馬体はどう見ても短距離で勝てる馬ではない。

 兄に似ず気性はおとなしい。

 というより、そもそもセスナとセーフティアイコンの子でアウトブリードなのに気性が悪いジェルディサヴォアの方がおかしいのである。

 

 パドックで進藤が跨り、地下馬道を歩いていくうちにシビアレコードのムードが変わっていく。

 パドックではコウヘイや進藤に顔を寄せて甘えているのだが、馬場に出る直前になると首を一つ振って気取った様子で地下馬道出口の坂を上がっていく。

 わざと蹄の音を高らかに鳴らして登場するのはシビアレコードの変な癖であった。

 

 単勝オッズは2.2倍。

 馬体重は466kgで、前走の毎日杯から+4kg。

 やや小柄な馬体ではあるが、迫力は群を抜いていた。

 

 返し馬を終えパドックの裏に戻りコウヘイが曳き綱をつけると、また小刻みで足を踏み鳴らすようなステップを始める。

 コンクリートのパドックや地下馬道と違って、ターフの上では当然蹄音(あしおと)はあまり聞こえず、あれ?という表情で首をかしげていた。

 

 レースは全体的にばらけた状態で、前残りの馬場と言えども5Rのように本命クラスが前に固まるようなことはなく、ペースも平均的なラップを刻んでいた。

 シビアレコードの後ろに付けた嶋田騎手の馬が3コーナーあたりから動いて被せてくる。

 反応するかどうか迷ったが、4コーナーの角度を考えると加速するのはまだ早いと判断し、進藤は我慢しながら嶋田の後ろに馬体を入れた。

 これでこれ以上外から被せられる不安がなくなったので、4コーナーを抜けるまで手綱を絞る。

 

 シビアレコードは相変わらず折り合い良く、左へと誘導すれば左へ、右へと導けば右に、軽い手綱の動きでも反応している。

 4コーナーが半分ほど過ぎたあたりで促すと、少しずつペースが上がっていった。

 4コーナー出口で早々に嶋田の馬を交わすと、すぐに手前が左に替わり、外ラチに向かってモタれながらどんどん加速していく。

 左ムチに応え、さらにギアを上げると馬体が少し沈んだ。

 

 馬場を目いっぱい使って追い込みに入ると、直線途中で何度か手前が替わる。

 そのたびにムチを持ち替えるのは大変であるが、それにしたってこの追い脚の爽快感に比べたらどうということもない。

 大きなストライドで、あれほど鳴らしたがっていた蹄音を消して伸びる末脚は、飛ぶ、ではなく滑ると言った方が的確かもしれない。

 前残りで、毎日杯よりレベルの高い馬たちが集まった京都新聞杯では流石に5馬身6馬身と突き放すのは厳しかったが、それでも残り50mでまとめて捕らえ切ると、2馬身の差をつけてゴールラインを通過したのであった。

 

 

 

【全スポ 5/18 12:00】

 

~ジェルディサヴォア検疫を完了、英国へ~

 

 ロイヤルアスコット開催4日目、6月18日(木)に行われるアスコット・ゴールドカップへの出走を表明しているジェルディサヴォア(牡4)が三木ホースパークでの輸出検疫を完了。直ちに空輸に入る予定。

 井野調教師は「ちょっと天皇賞(春)での消耗が大きかったので、早いうちにヨーロッパに送りたかった。向こうの気候や芝の方が合ってる。

喉の未発達は相変わらずだがレースにはほとんど影響ない。今のうちに言っとくけど、ここは逃げ宣言」と未知の4015mにも真っ向勝負の構え。

 英国ではニューマーケット競馬場のヒルストン厩舎に滞在する。

 また、ロイヤルアスコット最終日のハードウィックSに出走予定のモーリッシュも同様に輸出検疫を完了。

 

 

【5/22 18:25】

〜シビアレコード 歩様異常でダービー回避〜

 

 昨年の2歳王者で京都新聞杯を制したシビアレコード(牡・3)は歩様に異常が見られたため、予定していたダービーへの出走を回避することが決定。

 管理する井野調教師によると、放牧には出さずこのまま厩舎で完治を目指す予定となっている。

 長引かなければ夏のローカル重賞からの再始動も視野。

 

 同馬はサセックスS(英GⅠ)の予備登録をしており、すでに予備登録料は支払い済み。

 初回登録の7月までには最終判断を下すとのこと。

 




 9勝目

あと2話先までちょっと間隔詰めます。
2話先までです。
庭先までじゃないですよ。
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