7月の2日、大安。
青森県
八戸市場、馬市。
北海道外で開催される競走馬セール(随時開催されるサラブレッドオークションを除く)は年4回あり、2歳馬が上場されるJRAブリーズアップセール(中山競馬場)、千葉サラブレッドセール(船橋競馬場)、1歳馬が上場される九州1歳市場(鹿児島県
八戸市場は売上高としてはそこまで大きくなく、同じ1歳馬でもこの後にセレクトセールやセレクションセール、サマーセールなどが控えているとなれば、当然ほとんどの馬主がそちらに行くため、比較的馬質が悪い九州や八戸で先んじて金を使う意味はない。
いつだって八戸市場の1頭あたりの売却額は平均350万前後に落ち着き、半分近くが
しかし今年の八戸市場は例年以上の賑わいぶりである。
例年の八戸市場は、大物馬主などは購買者登録をしていても代理人やヒマな調教師などが顔を出すのが一般的だが、今年は馬主自ら馴染みの調教師を引き連れて訪れている者も多かった。
彼らの一番の目的は「セーフティアイコンの2036」であり、しかも牡馬。
父はフォルジュオンで、ジェルディサヴォアやシビアレコードの半弟。
ステイゴールド血統のフォルジュオンはアイルランドのマカロフィ・ファームから英チャンピオンSを勝ったミレシアを輩出しており、血統面も凱旋門賞など欧州を目指すなら絶好と言えるものだった。
JBBAは日高のセレクションセールへの上場を当歳のうちから交渉をしていたが、日高軽種馬農協かひだか東農協が何か谷地のヘソを曲げるようなことをしたのか、それともただの気まぐれか、この馬だけでなくモーリッシュの半弟やカジュアルデイズの全妹、シングルベルの半妹なども纏めて八戸に上場されていた。
谷地としては、東北地方に建設中の外厩を今年中にはオープンさせる予定であり、そこでの育成馬を北海道まで連れて行かず近い八戸で売れないかと、市場の相場や熱気を測りにきたのである。
八戸市場は歴代最多「売上総額」は1億1000万ほどであるが、今年は1頭だけでそれを上回るかもしれないという評判である。
主催の青森県軽種馬生産農協の本部も、谷地の牧場から提出された上場申込にセーフティアイコンの名前が書かれていたときは大騒ぎになり、日高のセールと間違えていないか、谷地と牧場に電話がかかってきたほどであった。
とは言え、結局のところ谷地の牧場も様似の中小牧場のひとつに過ぎず、偶然モーリッシュ、ジェルディサヴォア、シビアレコードと強い馬が立て続けに産まれただけの話。
セーフティアイコンはジェルディサヴォアが初年度産駒だが、モーリッシュの上のきょうだいは他の馬主に買われてとうに用途変更されているし、シングルベルは自身のきょうだいの中で一番成績を残しているものの、所詮は2勝クラスの島原特別どまりである。
なお、これ以外にも谷地は4頭の馬を上場させており、いずれもサマーセールに出せば800万は下らないというそこそこ上等な馬であった。
屋外展示スペースに上場番号順に10頭ずつ姿を現す。
最初の班には目玉は出てこなかったが、それでも谷地が上場した馬の周りには人が集まっていた。
常歩周回展示、速歩展示と進み、1班の馬達が馬房に戻ると、2班のグループが入れ替わりで入場する。
こちらにはモーリッシュの半弟が登場することになっており、観覧者が次第に増えてきた。
第3班、いよいよジェルディサヴォアの半弟が展示場に姿を現すと、誰も大声は出さないものの、一斉に緊張が走った。
誰もが「絶対に自分が競り落とす」と左右のライバルを目で牽制している。
競りに参加している中には、以前谷地に庭先購買を持ちかけてきた馬主もおり、その時はさすがに要求金額が高すぎて断念していた。
セレクションセールではなく穴場の八戸市場に出すと谷地に教えられ、相場より安く手に入るかもしれないと、めったに来ない三戸まで足を運んでいたのである。
特に買い戻すつもりはなかったが、谷地も井野を連れて来場していた。
「まるでセレクトセールのような顔触れですねえ」
井野が購買者席を見渡して呟いた。
オンラインビッドも導入されており、外資系のバイヤーも今か今かと開始を待っている。
市場長の開会挨拶に続き、進行役が挨拶をしている間に、上場番号1番の馬が入場している。
「――それでは、既に上場番号1番の馬が入場しておりますので、始めさせて頂きます。上場番号1番、ドライブオール2036、ハヤテノフクノスケの産駒。牡、鹿毛、3月20日生まれ。
――ダービー馬ダノンデサイルの肌に青森の星ハヤテノフクノスケの配合は、シンボリクリスエスの3
「それでは今年最初のお声、ファーストビッド如何でしょう――300万から早速ありがとうございます。……右手のお客様320万でおとりします。340万如何でしょう――」
新冠の牧場から払い下げられた良血の母をもつ、地元青森の牧場生まれの馬だが、血統背景の魅力もあって最初の上場馬は420万で落札された。
これでも普段ならば上位額となりうる落札価格であるが、まだまだ財布の紐は固い。
谷地が上場させた馬はサマーセールなら総じて500万から億は見込めるとの評判だが、それ以外の若駒の金額は例年並みかやや高くなる程度だと予想されており、普段ここで安く馬を買い、水沢や高知などで走らせている馬主は序盤の馬から手を上げる。
むしろこの後に出てくる谷地の馬を買い逃したバイヤーが、終盤の安価な馬の値段を吊り上げてくることを考えたら、早めに落としておいた方が安いという読みだ。
その後、まずモーリッシュの弟が初めて4000万超えで落札された。
これだけで歴代最高額を3000万以上上回る価格で、ハンマーが下りた瞬間、オオーッという声と共に拍手が沸き起こった。
「さて、皆様お待ちかねでしょう。上場番号36番、セーフティアイコン2036。フォルジュオン産駒。牡、鹿毛、2月21日生まれ。
――キングジョージや天皇賞春を制しましたジェルディサヴォア、また、昨年の朝日杯フューチュリティSを勝ちましたシビアレコードの半弟。
父フォルジュオンの産駒にはイギリスのチャンピオンSなどを勝利したミレシアなどがおり、欧州競馬に強い血統です」
リザーブ価格は5000万に設定されている。
購買者席のバイヤーの右手がチラチラと上がったり下がったりしており、一斉にファーストビッドが入りそうな勢いである。
第一声の最高額を聞き逃してはならないと、鑑定人がぐるりと購買者席を見渡した。
「――それでは参りましょう。5000万からのスタートです……」
鑑定人が「す」の字を言うか言わないかのタイミングで、一斉に手が上がった。
八戸においては文字通り桁違いの開始価格ではあるが、ファーストビッドでハンマーになるわけがなく、いつもは10万円ずつ吊り上げられるコールが50万単位になり、100万になり、500万単位になった。
「9000万右!9500万!1億!1億500万中央から!(1億)1000万!」
コールは止まらず、ようやく鑑定人が一息着いたときには1億6000万になっていた。
「1億6500万如何でしょう。1億6500まーん、1億6500まーん……1億6000万は中央奥のお客様です。入りました!1億6500万オンラインビッドから。1億7000まーん、1億7000まーん……」
「谷地さん、この馬、こんな行くもんですか?」
井野が小声で谷地に聞いた。
「調教次第じゃないですか?少なくとも、今年井野センセイにお願いするブロッサムリングの子よりは落ちますよ」
他のバイヤーに聞こえないよう、谷地もカタログで口元を覆いながら小声で返した。
シビアレコードも素直な子と評判だが、ジェルディサヴォアが「しつけ」をした成果であり、そうでなければ駄馬になっていたかもしれない。
事実、シビアレコードはジェルディサヴォアと初めて併せた朝日杯直前まで、未勝利をやっと勝った程度の馬だったのだから。
ブロッサムリングの35は牝馬。
夏を過ぎた辺りで井野に預けられることになっており、鞍上も進藤に全て任せることが決まっている今年の特注馬であった。
「さあラストコールが近づいております。現在2億4000万は左手のお客様です。……2億4000万の上、ございませんか!」
長い競りにようやくハンマーが落ちると、モーリッシュの弟の時より大きな拍手が沸き起こる。
税抜で2億4000万は先ほど更新された八戸最高額を桁単位で飛び越え、歴代最高総売上額の倍の価格であった。
「たくさんのビッドありがとうございました。しかしまだ上場馬はございます。
続いて参りましょう。上場番号37番、エンシェントベル2036はセスナの産駒。牝、栗毛。姉には2勝クラスの島原特別を勝ったシングルベルがいる血統です」
こちらにはやや強気なリザーブ価格がつけられており、2000万からのスタートである。
島原特別を減量が外れた進藤で勝っているので、さらに上を狙えるという井野のアドバイスによるものだ。
こちらもビッドが入る。
谷地が上場させた最後の馬であり、セーフティアイコンの子を競るために億程の予算を組んでいたバイヤーにとっては、7200万を競り落とすなど造作の無いことであった。
その後の5頭の上場馬も普段より50万から100万は高い売値が付き、最初の方に上場した牧場主には気の毒ではあるが、そちらは早買いの地方馬主が少し高めに競り落としたので悪くない売上であった。
今年の総売上は5億円近くにのぼり、歴代最高売上を更新した八戸市場は大盛況のうちに幕を閉じた。
次回は18日予定
ハヤテノフクノスケって、父父ハーツ(父父父サンデーサイレンス)に母父シンボリクリスエスで、
シンクリ血統でエピファネイア入ってないから、ダノンデサイルあたりの子供が繁殖入りしたらめっちゃ使えそう
ただエピファネイア血統でもエフフォーリアはノスケをひっくり返したような血統だからハーツ&シンクリのダブルクロスが濃い