ツーターン・スリーターン   作:ジェレミー

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セントライト記念(3歳・GⅡ)


長い夏を過ぎて

 

 井野厩舎の慌ただしい夏が終わり、帰国検疫を終えたジェルディサヴォアとシビアレコードはいよいよ谷地がオープンさせた外厩でのんびり温泉に浸かっている。

 岩手と宮城の県境から5マイルほど南に造られた外厩では、かけ流しの天然温泉に浸かれるということで、ジェルディサヴォアが正真正銘の一番風呂の権利を得ていた。

 

 井野調教師も一息つきたいところではあったが、9月を前にして、ブロッサムリングの35ことリンガスマイセッサが入厩した。

 彼女は入厩する直前まで、谷地の外厩で仕上げ調教を施されており、坂路コースではジェルディサヴォアとシビアレコードに挟まれる形での3頭併せをすでに行っている。

 

 谷地の外厩のコースはかなり大雑把に山を拓き水田を埋めて建築されたため、フラットコースのはずなのに最低点と最高点の高低差が5mあり、路面は波打っている上に3コーナーは逆バンクになっている。

 坂路コースは文字通り山を登っていくので、角度が一定ではなく踊り場のような平坦地点が何か所かあり、しかも山道の如く左右にうねるようなカーブが付けられているという、おおよそ瞬発力を鍛えるのには向いていない粗野なコースであった。

 

 井野や秦が視察に訪れたとき、

「これはまた凱旋門賞を狙えそうなコースですね」

と皮肉をかましてみたのだが、谷地は

「そうでしょうそうでしょう」

と得意気だったので、整地のコスト削減目的ではなく、わざとこのように造ったのではないかという疑惑も生じている。

 

 そんな時代の流れに反したコースで走り回ってきただけあって、折り合いと手前替えは2歳馬とは思えないほど馴れていた。

 問題はやはり東京競馬や新潟競馬の長い直線に対応できるかどうかであり、坂路嫌いの井野でも容赦なく美浦の坂路にぶち込むしか手はなかった。

 

 初時計では軽い馬場ではあるが馬也で59.1-13.6と、牡古馬と比べても遜色がないタイムを出した。

 ただリンガスマイセッサの場合、人に馴れすぎてちょっと手綱の当たりを変えただけで加速してしまうので、本当に馬也だったのかは疑問の余地がある。

 馬也で13秒台はまずあり得ないので、何かしらに反応したと見るのが妥当であろう。

 一方でトラックコースで走らせると、コーナーで速く直線ではゆったり長く脚を使うという、完全にあの兄弟のハイブリッドになってしまっていた。

 

「マコ、こいつ下手したらマクリ競馬になるぞ。出来るか?」

 ペースを読み切り、他馬に邪魔されず可能な限りロスなくコーナーを回らせるのはルーキーにはレベルが高い。

「負けるなら早めのほうがいいだろ。10月最初の東京新馬で使う。2000mだ」

 コーナースタートの東京2000mは欠陥コースと言われがちだが、リンガスマイセッサなら強みを活かせるのではないかと考えたのである。

 もう一週早めて中山の2000mや1600mを使うプランもあったが、そこだと普通に勝ってしまいそうだったので、課題を探る意味も込めて東京を選んだ。

 

 ゲート試験は軽々とパス。

 外厩で馬格の大きいジェルディサヴォアやカジュアルデイズに挟まれて何度もゲート訓練を積んできており、狭いゲートも、左右からのプレッシャーもものともせず、たまにジェルディサヴォア以上の好スタートを決めるほどゲート馴れしてしまっていたものだから、他の2歳馬2頭とゲートに入れたところで影響が出るわけがなかった。

 挙げ句、左右の同期馬を威圧するようなお嬢様気質まで見せつけたので、完全に脚がすくんでしまった2頭はゲートから動けず、不合格にされた。

 

 1週間後、8月の最終週になると放牧に出していた井野厩舎のオープン馬が一斉に帰厩する。

 例によってジェルディサヴォアは特別仕様の馬運車だが、今回はシビアレコードも同乗していた。

 ご自慢の遮光シェードは全開で、ジェルディサヴォアとシビアレコードが両サイドの大きい窓から外を眺めていたので、逆に馬運車の外から2頭の姿を見ることができた。

 

 ターンと1歩目を踏み出すシビアレコードと、馬運車から飛び降りて背伸びをするジェルディサヴォアが立て続けに降りてくると、コウヘイが頭を抱えながらシビアレコードの手綱を中村厩務員に渡した。

 なお、こんなまどろっこしい事をせずとも、外厩から馬運車に乗せる際にはスタッフがジェルディサヴォアの手綱を放し、尻を軽く叩いただけでスルスルと乗り込んでいき、シビアレコードは兄に続いて勝手に乗り込んだのは内緒にされている。

 

 谷地の持ち馬のなかではシビアレコードと高橋厩舎のカジュアルデイズが先陣を切って9月21日のセントライト記念に出走予定である。

 シルバーウィークのど真ん中だ。

 東京が始まればシングルベルの出走も予定されており、いよいよ31勝に向けて進藤騎手もフル稼働である。

 一方でお手馬が皆中央開催の出走になるので、なかなかローカル(福島)開催に行けず、相手となる騎手が実績あるベテラン揃いになるのはマイナスであった。

 

 ジェルディサヴォアの次走予定はまだ決まっていない。

 悪友アンベストネヴァーは今年も凱旋門賞に向けて6頭立てで行われた前哨戦のドーヴィル大賞典に出走し、4馬身遅れた最後方ポツンから直線だけで纏めて追い込み、2馬身差で勝っている。

 

「オールカマーか京大(京都大賞典)使うかぁ?」

 井野厩舎の事務室で、井野調教師と宮国助手(コウヘイ)上田騎手(アキさん)がコーヒーを飲みながら腕を組んで唸っている。

「オレもう怖いっスよ。ジェルに日本の芝走らせんの……。来年の春天も出したくないぐらいス」

 

 キングジョージの一件から、ジェルディサヴォアの蹄鉄を試験的にゴムやウレタンを挟んだハイベスト蹄鉄に変えて追い切りを行っており、今のところ調子はよかった。

 総金属のアルミ蹄鉄とは違い、釘の穴が広がりやすいので新調する頻度が増え、コストも上がるが致し方ない。

 

「やっぱダートかねえ?シリウスS使っとくか?」

「調教で乗ってる感じ、ダートは悪くないっスよ。問題は全体的に距離が短いのと、フェブラリーSとかの芝スタートっスわ」

 コウヘイはBコースの調教によく乗っているので、ダート適性は十分に感じている。

 

「どっちにしろ目標レース決まらんと始められんからな……」

 とりあえず第1目標はシリウスSからチャンピオンズカップとし、やはり芝でとなれば1週後ろ倒しにして京都大賞典とステイヤーズSから有馬記念に臨める両睨みプランとなった。

 

 9月2週目の火曜日、美浦トレセンに激しいムチの音が幾度となく響いていた。

 ウッドチップのDコース。

 3コーナーで先頭を走るジェルディサヴォアに上田の左ムチが飛ぶと、負けじと進藤がリンガスマイセッサにムチを振るい一気にジェルディサヴォアに並びかける。

 替わって最後方になったシビアレコードはコウヘイがガッチリと押さえているが、やや後手を踏んだシングルベルにムチをくれて太刀川が懸命に押す。

 

 コーナーを抜けるとムチの音はさらに大きくなり、ふと気を抜いたジェルディサヴォアに4連打の風車ムチが入った。

 轡を並べたリンガスマイセッサにも進藤の左ムチが振り下ろされ、右ムチが入ったシングルベルとの間をコウヘイのムチを受けたシビアレコードが鋭く伸びてくる。

 調教スタンドからは面白がった記者連中から、

「差せ!」「いけーっ!」などとヤジが飛ぶほど白熱した4頭併せの追い切りは、スーッと脚を伸ばしたシビアレコードが制した。

 

「井野センセイ……これヤバいっスよ。レコードの仕上がりより、リンガスどうするんスかこれ」

 寺尾がビデオカメラの録画を切りながら、隣で双眼鏡を構える井野に声をかけた。

 初出走も済ませていない2歳馬、しかも牝馬にこんな厳しい調教をすれば、下手をすれば心が折れて走らなくなってしまう。

「あの兄弟と走るのが好きみたいだからよ。どうせなら本気で叩き合いさせてみたんだ。

気合い乗りが足りねえジェルと仕上げのレコード、勝負勘取り戻したいシングルベルに力試しのリンガス。一石四鳥だろ?」

 だが、もう一回走ろうよとばかりにシビアレコードに頭をグリグリ押し付けているリンガスマイセッサにはその心配はなさそうである。

 

 

【全スポ 9/8 18:35】

~秋本番へ シビアレコード驚異の4頭併せ最先着~

 

 シビアレコード(牡3)が、21日(月)に行われるセントライト記念に向け美浦Dコースでの1週前追い切りに臨んだ。

 GⅠ馬で全兄のジェルディサヴォアらと大迫力の4頭併せで、ジェルディサヴォア、リンガスマイセッサ(牝・新馬)との直線叩き合いを制し1馬身先着。

 リンガスマイセッサとシングルベル(古馬OP)の間から鋭く脚を伸ばしてラスト1Fは10.5秒と好調をアピール。

 全馬3コーナー過ぎから容赦なくムチを入れての実戦形式だが、井野師は「まとめて併せたほうがレベル高い。そろそろ兄弟対決も考えている」と気合いの入った表情を見せた。

 

 なお、リンガスマイセッサはシングルベルに先着しての3番手。

 コーナー出口では先行するジェルディサヴォアに並びかけ、早仕掛けもラスト1Fは11.3と早くも古馬と渡り合う実力を見せた。同馬は10月初週、東京での新馬戦を予定している。

 

~関東・寺尾~

 

 

 いよいよ秋競馬が始まるとあって、全スポの編集部も忙しくなってきた。

 プロ野球もいよいよマジック1桁に突入し、スポーツ特報やアンテナスポーツは最後の正念場と走り回っているが、全報スポーツは関連会社である日金新聞社主催の夏の全国高等学校野球選手権大会(甲子園)が終わったので、競馬に集中できるのはありがたかった。

 

 戸次はフランスに行っているが、関東のトラックマン寺尾や笹山、佐藤記者などから原稿が送られてくる。

 関西版の方は六角に丸投げしておけばいいので、阪神競馬場で行われるチャレンジCとローズSは向こうに任せて、東京本社の方はセントライト記念と、翌週に行われるスプリンターズSに注力しようということになった。

 

 セントライト記念の大本命は当然シビアレコードなのだが、問題は同馬が仮にここを勝ったとしても本番の菊花賞に出てくる気配がまるでないことだった。

 番記者の寺尾からも、

「鉄砲でメイチに仕上げている」

とのコメントが入っている。

 

 ただ単に賞金をかき集めるためにトライアルレースを使われるのは他陣営にとってはたまったものではないのだが、今のところ優先出走権を獲得しても本番はパスするような陣営に対するペナルティは定められていないのでルール上は問題ない。

 そして他陣営より困るのが、秋の主役と推すに推せないブン屋であった。

 

 古馬はほとんど情勢固まり、中距離ならリヴェッティかリッチセレクション。

 中長距離はアンベストネヴァーとコンティルミエール。

 長距離はジェルディサヴォア、牝馬はリューノブレスがそれぞれ一強で、短距離はマイルCSにでも出てくるのならばシビアレコードなのだが、出てこないとなればまずドメスティックギアだ。

 

 一度ドメスティックギアの動向を聞いておこうと、全スポ西日本本社に電話をかけようとしたとき、逆にデスクの電話が鳴った。

『ああ、寺尾です。ジェルの次走決まったっぽいんで連絡いれました』

「おう、ご苦労さん。どこになった?」

 デスクの平田部長がボールペンのキャップを口で外し、メモを引っ張り出した。

『シリウスSっス。阪神ダートの2000』

 平田の手が止まった。

「まて、もう一回言え。ジェルの話だよな?」

『はい。ジェルの話っス。シリウスS』

 

「なんだよぉ〜……。ダート路線はサミットプレシャスにするって決めたばっかりなのに」

 電話越しで寺尾がクックッと笑う声が聞こえた。

『だから言ったじゃねぇスか。井野センセイの“ダート使いたい”はブラフじゃないって。チャピオンズCまで見てますよ?』

 平田は頭を掻きむしって、口に咥えたタバコに火をつけた。

「んで、メルボルンは行かねえのか」

『モーリッシュがラストランに選んでますよ』

 ああそうか、と、酸っぱい煙を吸い込む。

 タバコの火付きが悪く、ライターを何度かカチカチと鳴らしている。

「わかった。話はそれだけか?」

『ああそうだ、シビレコ、セントライトのあとはアル共(アルゼンチン共和国杯)らしいス。距離足らんマイルなんかさっさとやめて、長距離行きたい感じっスよ』

「ふざけんな!」

 平田が怒鳴った。

 寺尾のクックッという笑いが、ゲラゲラとした声に変わっている。

「イギリスでブッ千切ったマイルは元々合ってなかったのを分かっててダービーも菊花もパスしたってのか!?」

『ヒヒヒヒッ。その通りっスよ。絶対進藤を降ろしたくないってオーナーの意向っスわ。進藤が31勝決めたら有馬だろうと春天だろうと行きやすぜ』

 

「部長、危ないっすよ。さっきからボールペンのキャップに火をつけて、何やってんスか」

 部下に肩を叩かれ、慌てて机をみると溶けたプラスチックがポタポタと垂れていた。

 

 セントライト記念ではシビアレコードが2.5倍の1番人気。

 2番人気は皐月賞馬のドリームアワグラスが4.6倍で続き、カジュアルデイズは6番人気に甘んじている。

 

 シビアレコードにとっては初めての小回り競馬になるため、進藤は思いきって前目に付けた。

 コーナーでの加速が悪いので少しずつ下がって行ったとしても最終直線では好位で残せるのではないかという意識である。

 

 だが進藤はまだシビアレコードのコーナーワークを()めていた。

 序盤は3番手に付け、最後は6番手ぐらいで直線を迎える予定だったのだが、逆にスルスルと前に行ってしまい、逃げるマルチステラテジーに半馬身まで並びかけて直線を迎えてしまう。

 

 完全に直線を向いてから進藤が促すと、今日は無事進藤に従った。

 有田がカジュアルデイズにムチを入れ一気に脚を伸ばしてくるが、4馬身差が詰まってこない。

 中山の急坂をまるで一段飛ばしで階段を駆け上がるように、大きいストライドでシビアレコードが逃げる。

 坂を駆け上がると進藤の手綱が止まり、追ってくるカジュアルデイズから2馬身の先着。

 進藤に1勝を与え、カジュアルデイズの収得賞金も加算する、まさしく谷地オーナーが思い描いた通りの結果となった。

 

 





次回分書き終わりませんでした。

未定です。
少し開くことになると思います。
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