ツーターン・スリーターン   作:ジェレミー

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ファンタジーS(2歳・牝 GⅢ)


序列

 最近、俺はボッチである。

 普段からボッチ逃げをしているのだから今更ではあるが、そこではなく厩舎内の序列の話だ。

 

 別にそれならそれでとあまり気にしていなかったのだが、最近になってそうなった原因は俺のコミュ障であることが分かった。

 イギリスから帰国して、ダート路線への転向やオーナーの外厩にある天然温泉など、いろいろなことが立て続けに起こったこともあり、情報収集のため脳内のコミュニケーション意識が人間側に寄ってしまい、井野センセイやコウヘイ、アキさんらのお喋りを聞くのに集中していて、耳と脳はひたすら日本語を処理し続けていたのだ。

 他の馬からすれば、いくら話しかけても返事もしない陰キャ馬になっていたのである。

 

 加えて、時期が悪かった。

 この時期は平場クラスで結果を出せなかった馬が用途変更になり退厩、替わってルーキーの2歳馬が入厩してくるタイミング。

 今まで厩舎のボスを務めていたアミランドが退厩してしまい、ボスの引継ぎが行われようとしたのだが、すっかり知らんぷりをしてしまっていた。

 

――コウヘイと中村さんの話を聞く限りアミランドはオーナーの牧場(様似)に帰って乗馬に転用らしいが、今度帰省した時にいなかったら肥育だろうな。

 あそこも別に観光客が来るような立地じゃないし。

 

 で、馬運車に乗せられていく先輩をフルシカトした結果、次のボスが定まらずしばらく厩舎が騒がしかったのだが、俺からしたら馬はそんなもんだと割り切っていたので、誰が騒いでいてもあまり気にしていなかったのだ。

 そうしたらいつの間にか、弟のシビアレコードがボスの座に落ち着いていたのである。

 

 しかもそのボスの選出方法が、他推方式だった。

 

 馬に限らずであるが、群れで生活する動物のボスの決まり方は、大抵ボスになりたい者が立候補して他馬がそれを認める、自己推薦、選挙方式に近い。

 要は「自然と集まってくる」のだ。

 一方でシビアレコードは周りの馬に推されてボスの座に就いていた。

 

 あんな甘えん坊のお坊ちゃんがなぜボスに成れたのかと言えば、シングルベルとリンガスマイセッサの摂政宮2頭が中心となって、群れのボスというよりはハーレムの王として担ぎ上げられたわけである。

 その2頭による正妻戦争はいまだ続いており、厩舎のベテラン勢の支持が厚いシングルベルと、シビアレコードさえ怯えるレベルの圧を巻き散らして、他馬、特に2,3歳の若駒は逆らうに逆らえないリンガスマイセッサ。

 完全に勢力は拮抗してしまっている状態であった。

 

 そんな中でボス争いにも首を突っ込まず、他の馬の声を聞いていなかった俺の立場は群れの中には無かったのである。

 だが有難いことに、馬格がある俺にはシビアレコードの群れが威嚇してくることもない。

 500kgを超えている長距離馬なので、馬体は前後にも上下にもデカく、それでいてピッチタイプな分脚や胸筋が発達している。

 こんな巨人にだれが突っかかろうとするものか。

 

 元々アミランドは俺をボスの後継に定めており、それを俺が受諾する前にアミランドが去ったことにより起こった混乱である。

 しかもたまにボス扱いに疲れたシビアレコードが俺に甘えてくるので、古参の馬からすれば弟に譲位し院政をしている上皇が俺、といったところだろうか。

 

 ボスであるはずのシビアレコードは院と摂政宮がバックにいるという非常にアンバランスな立場に置かれているが、たまにブチぎれると「ターン!」と蹄鉄を鳴らして擦り寄ってくる馬達を黙らせていた。

 実際それぐらいの気の強さは持ち合わせているので、ギリギリ他馬が従ってくれるレベルではあるのだ。

 

 摂政宮の一人というか、我儘なご令嬢と言うべきか、マコ(誠紅)のボヤきによればリンガスマイセッサは最近我儘ぶりに拍車がかかってきたらしいので、俺との併せ調教に引っ張り出された時に叱りつけておいた。

 

 以前外厩で併せたときに、

『競走相手より先に走り切ればお前の勝ちだ。抜くに抜けなかったら相手がビビって脚を止めるまでピッタリ張りついて圧をかけろ』

と教えたのだが、併せ調教でもスタートからずっと追いかけながら、

『道を開けなさい。下民風情が』

とでも言ってそうな上から目線の圧をひたすら飛ばして来るので、

『まずは背中に乗ってる人間に従えと教えたはずだぞ』

と逆に圧を飛ばしたら大人しくなった。

 

 その時のタイムは滅茶苦茶だったが、従順さは戻ったらしいので調教の効果はあったのだろう――。

 

 

 ファンタジーSに向け、リンガスマイセッサにとっては外厩から移送されて以来の長距離移動が行われた。

 谷地オーナーが所有する馬運車ではあるが、ジェルディサヴォア専用仕様のバスではないので車内に自由度はない。

 

 基本的に牡牝を同時に乗せるときは、牡が前、牝が後ろに乗せられる。

 言わずもがな牝馬に興奮しないようにする措置だ。

 フェロモンがもっとも強く出るのは尻や外陰部であるので、前に積めば匂いを直接嗅ぐことにはならない。

 

 とはいえ狭い車内に牡牝がいれば多少なりとも牡は反応するもの。

 京都競馬場に着いて馬運車から降ろされたネベルエペルを見て、コウヘイはこりゃ厳しいな、と唇を噛んだ。

 

 ネベルエペルは耳を絞りきり、尻尾は後脚に挟むように巻き込まれており、()()()()はオッ勃てるどころか縮こまっている。

 興奮の発汗どころか、恐怖の冷や汗でベタベタであった。

 

 同僚とはいえ、序列として格下の馬と一緒に乗せられたリンガスマイセッサが常にイライラしており、寝ても醒めても

「目障りな牡が前にいやがる」

とばかりに圧を飛ばされていたのだ。

 

 リンガスマイセッサもずっと前搔きをしていたので右前の蹄鉄が削られ、後ろ蹴りも何度かしたらしく右後脚の蹄鉄はズレており、到着したらすぐ打ち直しとなった。

 

 滞在用の馬房は陣営ごとに割り当てられるので、滞在中もリンガスマイセッサの隣だったネベルエペルは、当然のごとく11着の大敗を喫した。

 

 京都滞在中、リンガスマイセッサを宥めるのは進藤騎手の仕事となった。

 リンガスマイセッサはコウヘイにもあまり懐いておらず、普段の世話係は進藤か中村厩務員なのだが、中村はシビアレコードを優先して美浦に残った為、進藤が朝調教や騎乗の合間に厩舎に顔を出すことになった。

 

 進藤の騎乗予定は、ネベルエペルで大敗した土曜の7Rのあと、メイン11RのファンタジーS、最終12Rがアンブルゾーンの3歳以上1勝クラス。

 日曜日は最終12Rの2勝クラスに出走するスリックデリカシー一鞍のみである。

 

 京都メインレース、ファンタジーSのパドックが始まり、リンガスマイセッサは例によって紺色のチークピーシーズを付けてパドックに入る。

 周回を始める直前には一度立ち止まり、すでに周回に入っている馬達をジロリと見渡したあと、前を周回するアルババタフライを追い立てるべく、曳き綱を握るコウヘイを振りほどくように暴れだした。

 

「やばい!2人引きじゃないとダメだ!」

 コウヘイが、もう1人!と叫び、井野が急いで駆けつけた。

「クソッ、ホライゾンネット持ってくればよかった!」

 井野も舌打ちをしたが事ここに至っては間に合わない。

 リンガスマイセッサに引き摺られるように曳き綱を握る2人は、早く進藤騎手が出てくるようひたすら願っていた。

 

 パドックでずっとビジョンを眺めているヤツ、パドック周回を土俵入りを勘違いしているヤツ、パドックで他馬を煽りまくるヤツ。

 人には馴れるくせに馬相手になると攻撃性が強くなり、馬としての社会性に欠けるのはジェルディサヴォア門下生の特徴であった。

 

「お疲れ様です。派手にやってますね」

 ニヤニヤしながら進藤が走ってくると、唯我独尊とばかりに歩いていたリンガスマイセッサがスンっ、と落ち着き、進藤の方を向いた。

「ああ、次からは中村連れてくるわ。とにかく早く乗ってくれ」

 すでに汗だくになっている井野が進藤を手伝ってさっさとリンガスマイセッサに乗せた。

 進藤が跨ると曳き綱を離しても逃げ出さないのだからよくわからないものである。

 

 パドックが始まる前は2.1倍だった単勝オッズは、締切直前には2.5倍になっていた。

 

 海外パートⅠ国のGⅠを勝っていながら未だ3kg減の恩恵を持つ進藤ではあるが、特別競走では減量は解除される。

 平場競走は基本的に所属する井野厩舎の出走馬に乗るので中山、東京競馬場での勝ち鞍が多くなるが、特別競走で最も勝っているのは京都と阪神競馬場の各2勝。

 お手馬のローテーションといえばそれまでだが、京都競馬場は早仕掛けができる分脚を余す心配がないのは経験が浅い進藤にとってはプラスであった。

 

 そしてリンガスマイセッサは早仕掛けどころか大マクリができる。

 出遅れの心配もなければペース配分の必要もない、超初心者向けの馬で29勝目を狙った。

 

 今年のファンタジーSは12頭立て。

 2勝以上を挙げている馬はいないが、新馬勝ちの後カンナSで3着だったトリストリヴェールを始め、函館2歳Sや新潟2歳Sなどオープンクラスの出走経験がある馬も3頭ほどいる。

 基本的にファンタジーSの狙い目は距離短縮組なのだが、2歳牝馬ということもあり、短縮と言っても大抵1600mや1800mから出走してくるのが一般的で、リンガスマイセッサのように2000m以上からの距離短縮はほとんどいないのだ。

 

 いくつかの不安要素はあるにせよ1番人気の支持は変わらず。

 2歳馬なのに初出走時からチークピーシーズをつけているという一風変わったスタイルも相まって、なかなか人気の馬になっていた。

 

<京都競馬場メインレース。第42回・KBS京都賞ファンタジーS、牝馬限定のGⅢは芝の1400mで争われます。

1996年の創設以来、暮れの2歳GⅠ阪神JFの前哨戦として数々の名牝たちが名を連ねてきたこのレース。

今年は12頭の出走となりまして、ゲート入りはスムーズに進んでいるようです。

 

最後に12番、クアッドシンガーが誘導を受けます。

スタートしました。

バラけたスタートになりまして、7番オッカインパクトは後方から。

 

端を切ったのは4番タップヒル、好スタート飛び出していきました。

8番アルババタフライが2番手を追走、内から3番ロマンチックドバイが3番手。10番パルトジャーナルが続いて、1馬身差で1番ベストダイアモンド。

6番サミットジェダイト、12番クアットシンガーこの辺り6番手7番手中段。2番のソビエトダンシングちょっと口を割って、5番ペルフェスナッチがその後ろ追走で坂の上り。

 

その後ろ、9番リンガスマイセッサ、5番トリストリヴェールが続いています。

最後方2馬身、7番オッカインパクトで、3コーナーから坂の下りに入ります。

 

4番タップヒルのペース、リードは1馬身。

最初の600mは36秒5で行きました。

 

アルババタフライ2番手のまま、ロマンチックドバイと並んでいます。

そして、外から一気に9番リンガスマイセッサ、ムチが入って仕掛けていきました。パルトジャーナルを交わして2番手集団の一線。

ベストダイアモンド、クアッドシンガー押し上げて4コーナーのカーブ。

サミットジェダイト、ソビエトダンシング。外に持ち出した5番トリストリヴェールで4コーナーカーブから直線。

 

外から一気に先頭リンガスマイセッサ、内で抵抗する4番タップヒル。パルトジャーナル内を狙って、後方から6番サミットジェダイトの追い込み。

 

馬場の三分どころリンガスマイセッサ先頭振り切りにかかる。

トリストリヴェール、サミットジェダイト2番手一線併せ馬で追ってくる。200を通過。

その外、オッカインパクトが一気に足を伸ばしてくるが、2馬身先頭リンガスマイセッサ、単独2番手サミットジェダイト、先頭9番リンガスマイセッサ押し切ったゴールイン!

2着は6番サミットジェダイト、その後ろ最後交わして7番オッカインパクト3番手の入線。

 

1番人気に応えた9番リンガスマイセッサ。連勝を飾っています。3コーナーの下りから仕掛けて早め先頭、そのまま押し切りました。

鞍上進藤誠紅これで29勝目。この後のGⅠの舞台でもこのコンビが見られるかどうかというところ。

サミットジェダイトが単独2番手確保、最後トリストリヴェールを外から追い込んだオッカインパクトがどうやら3番手。

勝ち時計は1分20秒6。着順掲示板すんなり。

1着9番リンガスマイセッサ、2着6番サミットジェダイト、3着7番オッカインパクト。確定までお待ちください>

 

 検量室に戻り、進藤が背中から降りた瞬間にリンガスマイセッサが前掻きを始めてしまい、後検量から口取りに向かう間はずっと進藤が曳き綱を握っていた。

 口取り式でもコウヘイが曳き綱を受け取ると耳を絞って嫌がるそぶりを見せていたが、進藤と並んでカメラを向けられたときはスッと耳を戻してカメラ目線を決める辺り、気高さは健在のようである。

 

 表彰式が終わると、進藤はすぐに富永オーナーの勝負服を受け取り、シャワールームに駆け込んだ。

 すでに12Rのパドックが始まっており、さすがに周回には間に合いそうになく、地下馬道で乗り込むことになっていた。

 

<3番イリーガルステージ先頭ですが、ホワイトクラリスが交わして先頭。

追込勢からは10番エルムと、14番アンブルゾーンが脚を伸ばして200を通過。

イリーガルステージまだ食い下がるが、差を広げるホワイトクラリス。

そして追い込んでくるアンブルゾーンが、一気にとらえた。

 

アンブルゾーン先頭に変わる。ホワイトクラリス2着は確保できそうだ。

アンブルゾーン、進藤誠紅2連勝でゴールイン。

2着はホワイトクラリス、3着争い接戦。

追い込んできたエルム、逃げたイリーガルステージ、そして内から伸びてきた9番ルブルムゴードン。

着順掲示板2着まで上がっております。1着14番アンブルゾーン、2着1番ホワイトクラリス。3着は写真判定です。確定までしばらくお待ちください>

 

「ようやってくれましたなあ!」

 表彰式に出てきた富永氏は上機嫌で進藤の頭をグシャグシャと撫でた。

「マコっさんは明日も京都やろ?午前中はヒマなん?」

「いえ、井野センセイのところで、お嬢様のお世話を任されてまして」

 富永はゲラゲラと笑った。

「あのお嬢様やな!口取り綱握ろうとした谷地はんが吠えられてひっくり返ったのは笑わせてもろたわ」

 

 特に副賞もない平場クラスの表彰式はあっさりと終わるので、

「また次乗れたら頼むわー」

と言い残して、富永は手を振りながら先に帰っていった。

 

 きっちりシャワー浴びてから会わないとまたアイツの機嫌悪くなるなと思いながら、進藤も帰路を急いだ。

 

 翌日の夕暮れ時、スリックデリカシーの馬主は興奮冷めやらぬ表情で、三津(みつ)調教師に重賞クラスへの出走を打診していた。

 もちろん進藤騎手を鞍上に据えて、である。

「まあ、正直どこまでやれるかわかりませんがねえ」

「わかってますがな。ダメもとですわ。進藤君に乗せたってください」

 三津はふうとため息をついた。

 まさか今年の春まで未勝利で転厩を打診していた馬が、3連勝で2勝クラスを突破するとは思ってもみなかったのである。

 タイムもべつに抜けているわけでもないし、調教で自厩舎の大手クラブ馬と併せても併入が精いっぱいなのに、なぜかレースになるとゴール前できっちり差し切るのである。

 

「あんまりデカいレースになると、進藤君のお手馬と被りますからね。そうなるともう捕まらないかもしれませんよ」

「そりゃしゃーないわ。その時は渋谷ジョッキーとか戸木ジョッキーとか、なんにせよセンセイにお任せしますよって」

 

<京都12レースが確定しました。

勝ち馬スリックデリカシーは3歳の牡馬で父はミュージアムマイル。進藤誠紅騎手今年31勝目、栗東三津明調教師は21勝目です>

 




次回9/20日

メイケイエールが折り合いをつけられたらこんな感じだったんだろうな
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