ツーターン・スリーターン   作:ジェレミー

73 / 73

優駿牝馬(3歳牝 GⅠ)

久々に番外編を投稿してあります。
リネーム騎手も増えてきたので整理も兼ねて、実名化と、データからみたオークス予想記事を書いています。
データは2016~2025年を参照しているので、明後日のオークス予想の参考にでも。


11レディブリュメール牝3追込――▲―伊丹フローラ3末脚一考
2クラルテブランシュ牝3先行△△△△大迫忘れ草2好位堅実
23フルールバロネス牝3先行◎○△◎近藤桜花賞2逆転候補
4オッカインパクト牝3追込―――△中村優桜花賞4府中未知
35ミモザヴェール牝3先行――――中村春ミモザ1中山経由
6ルナティックノート牝3先行―――△守道忘れ草1二千実績
47サミットジェダイト牝3差し△◎○○長野桜花賞3女王意地
8ソビエトダンシング牝3先行――△―杉谷桜花賞9延長歓迎
59アルモニアカレラ牝3先行――――ウッズ矢車賞1距離魅力
10ロゼフリュール牝3差し――――瓜生君子蘭1良血伏兵
611ロマンチックドバイ牝3先行――――田沼桜花賞6粘込一考
12アルモニカエール牝3差し――――早川スイート2末脚伏兵
713ノエラニ牝3差し▲△――桐島桜花賞7地力上位
14パルトジャーナル牝3先行――――西垣桜花賞5距離課題
15アルテローザ牝3差し○▲―△ルードルフフローラ1薔薇本線
816ミストラルコート牝3差し――――渋谷フローラ2府中巧者
17リンガスマイセッサ牝3差し△△◎▲進藤桜花賞1距離歓迎
18ディアナセレーネ牝3差し――――ポールスイート1東京巧者



メモ
フルールバロネス  3.7  桜花2 近藤
リンガスマイセッサ 4.2  桜花1 進藤
アルテローザ    5.0  フロ1 ルードルフ
サミットジェダイト 6.8  桜花3 長野
ノエラニ      10.9 桜花7 桐島
オッカインパクト  12.7 桜花4 中村優
ソビエトダンシング 22.7 桜花9 杉谷
ディアナセレーネ  27.9 スイ1 ポール
ミストラルコート  31.5 フロ2 渋谷
ロマンチックドバイ 36.8 桜花6 田沼
ルナティックノート 41.2 忘草1 守道
パルトジャーナル  49.6 桜花5 西垣
アルモニアカレラ  61.4 矢車1 ウッズ
レディブリュメール 68.9 フロ3 伊丹
クラルテブランシュ 83.5 忘草2 大迫
ミモザヴェール   96.2 ミモ1 中村春
ロゼフリュール   128.7 君子1 瓜生
アルモニカエール  169.4 スイ2 早川



教室の窓から見る景色

 

 5月も暮れに近づいているが、早朝はまだ肌寒い。

 しっかりコートを着込んで双眼鏡を覗く井野調教師と、同厩舎番記者の寺尾記者が調教スタンドから見守る中、ウッドのDコースをリンガスマイセッサとシビアレコードが並んで駆けている。

 今日の攻めの目的は無論、優駿牝馬(オークス)に向けたリンガスマイセッサの最終追い切りであり、先行するシビアレコードをリンガスマイセッサが追いかける構図だ。

 シビアレコードはまだ調整段階とはいえ、大阪杯ではほとんど乗れていない状態から不利な追込で4着に入賞し、その後はジェルディサヴォアと同時に渡英すべく強度を上げていっている状況である。

 仕上がりの差はあれど、いくら何でもリンガスマイセッサにとっては荷が重かった。

 

 しかし実は、コーナーワークに限って言えばリンガスマイセッサの方が圧倒的に上手い。

 シビアレコードの内側を走らせても外側を走らせても、コーナーで一旦馬体が合ってしまう。

 直線に入るとシビアレコードがスーッと離していくのだが、1コーナーではまたしても簡単に併入する。

 

 いよいよ次の周が最後の仕上げになるというとき、せっかく後ろを走らせているのにコーナーで追いついては意味がないと、シビアレコードに跨るコウヘイが少しペースを上げる。

 一方のリンガスマイセッサはここまで抜けそうで抜けない状態にやきもきしていた。

 

 抜きたい、抜いてやりたい。

 首を低くして今にも突撃しそうな体勢になっているので、進藤が肩にムチを入れて叱った。

 

 シビアレコードの隣で並びかけるかどうかの距離感で走っていたのに、1馬身開いたことによってリンガスマイセッサがフレーメン反応を起こした。

 一般的に牡馬のフェロモンは尿や糞に混じって排泄される。

 当然それは地面に落ち、それを牝馬が嗅ぐ。

 相性がいい相手だと感じ取れれば、発情とともに匂いを辿って牡を探しにいくという流れ。

 

 もちろん馬は自分で尻を拭けないので、尿や糞は僅かながら陰茎や肛門に残ってしまい、そこから匂うことは往々にしてある。

 だとしても牝馬が牡馬の後ろへ不用意に近づき、直接嗅ぎに行くことはない。

 自分より力の強い牡馬の後肢の近くへ寄っていくなど、生命的に見ても危険すぎるからだ。

 

 だが、この二頭に限っては力関係が違った。

 

 シビアレコードは、リンガスマイセッサを怖がっていた。

 リンガスマイセッサは、シビアレコードを怖がっていなかった。

 

 普通なら起こらない距離で、普通なら拾わない匂いを拾ってしまい、それがリンガスマイセッサの意識をシビアレコードの走りではない部分へ持っていった。

 ヌきたい、ヌいてやりたいという感情が強くなる前にムチが入ったのは不幸中の幸いだった。

 しかしその瞬間に身の危機を感じたシビアレコードが逃げるようにペースを上げてしまい、そしてそこがちょうど6Fタイム計測の開始地点であった。

 

 既に大きな発情期(フケ)は越えていたのでレースに強い影響を与えるほどではなかったが、シビアレコードのペースが上がってしまったことで、5Fからのタイムが64.7秒、ラスト1F12.1秒と、まるで想定外のタイムを叩き出してしまった。

 

 コースから出ると、リンガスマイセッサのフェロモンに誘われたのか、他厩舎の牡馬が一頭、坂路へ向かう隊列から外れて首を伸ばした。

「ヤバい、そいつを離せ!」

 進藤とコウヘイが同時に、その馬の騎手へ怒鳴った。

 怒鳴られた騎手は、慌てて手綱を引いて馬を反転させようとする、が、遅かった。

 進藤を背に乗せたまま、リンガスマイセッサがくるりと尻を向ける。

 次の瞬間、右後脚が後ろへ跳ねた。

 

 触るな、というより、お前じゃねえよ、と言っているようであった。

 

 すんでのところで蹴りは空を切る。

 間合いの外へ逃れた牡馬は、さっきまでの勢いをどこへ置いてきたのか、すっかり小さくなって馬房の方へ逃げていく。

 一方のリンガスマイセッサもそれで興が醒めたらしく、上がっていた尻尾が落ちた。

 進藤が手綱を短く持ち直すと、リンガスマイセッサは渋々ながらも従い、洗い場の方へ歩き出した。

 

 井野は調教スタンドで頭を抱えたまま、寺尾に聞いた。

「寺さん、これ、どう書くつもりだ?」

 寺尾はタイムモニターの数字をさっとメモしながら、うーん、と唸った。

「京浜スポーツにでも売りましょうか。いい感じのエロ記事に仕立て上げるんじゃないですか」

「馬だけどな!」

 流石にこの記事に釣られて買う読者がいたとしたら、その人は絶対に京浜スポーツは向いていない。

 風俗面で取り上げられるのは人間の女性だ。

「いっそ谷沢書店(TANIZAWA)にでも売れや……」

 井野が心底疲れた、とばかりに椅子に崩れ落ちた。

 

 

【全スポ】2038年5月19日 10:46

~(オークス)リンガスマイセッサ「課題が残った」 追い切り速報~

 

桜花賞馬リンガスマイセッサが2冠に向けて負けられない一戦へ。

井野師は「2400mでようやく距離が合うぐらい」と距離延長を好材として捉えている。

 

美浦ウッドで行われた最終追い切りは僚馬シビアレコード(牡4・オープン)と併せ、5ハロン64秒7、36秒7-12秒1とハイラップを刻んだ。

「時計は出ましたが、こちらが求めていたのは時計そのものではなく、どこまで我慢できるか。そこはまだ課題があります」とやや渋い表情を見せた。

____

 

 優駿牝馬が近いということは、すなわち、春闘第2回の回答期限も近いということである。

 ただし前回は俺が勝手に協力しただけで、もとより労組側も通用門を封鎖するつもりはなかった。

 次の回答期限までに交渉のテーブルに着かなかった場合は再度のストライキを予告してはいるようだが、前回と同じように通行を妨害することはしない、という方向だとコウヘイが進藤に喋っていた。

 こういう風に組合外の人に漏らしてしまうから脇が甘い。

 とはいえ、労組と言っても関東と関西に拠点をもつ広いコミュニティの中であるから、裏切り者がいたところでいちいち裏を取っているヒマはない。

 労組側からの公表はまだないのに、ストライキを決行することになってもバリケードの設置などは行わない、というのは調教師会にも馬主にもとっくに伝わっているのだ。

 

 前回の座り込みで絶食し、胃酸でボロボロになっていた俺の胃袋を回復させるため、最近のメシは流動食である。

 つまり、ボソボソとした飼料ではなく、ペースト状にしたものを飲ませてもらっている。

 これは非常に食べやすかった。

 馬になってから慣れてはいるものの、やはり草をそのまま食べるというのはまだ若干の抵抗があるもので、こうやってペースト状にしてもらえると青汁感覚で飲めるのだ。

 

 不満点としては味が薄い点で、俺の大好物であるニンニクは胃に負担をかけるとして和えてくれない。

 今日も飲む前にペーストの前で鼻をひくひくとさせ、ニンニクの匂いがないことにがっかりしていると、コウヘイが、

「ニンニクは諦めろ。今食ったら胃に穴が開くぞ」

と、ペーストに水を足して溶いてくれた。

 

 今度は井野厩舎の食事に不満があるとして第2回のハンガーストライキをやってやろうかと思ったが、せっかくほとんど回復してきた胃をまた虐めるのはやめておきたい。

 この後、今年もイギリスに渡ってゴールドカップの予定なので、現地での馬体検査に引っかかるような行動は控えるつもりだ。

 移動は東京優駿前の木曜日となっており、明後日から出国検疫に入る。

 つまり、東京優駿当日は俺はすでにイギリスに行ってしまっているので、バリケードを築くことができなかった。

 

 今年は谷地オーナーがガリガリ青写真を描いているようで、俺とレコードが2つずつGⅠに出走する。

 共にイギリス初戦となるロイヤルアスコット開催はそこまで重視していないようだが、次のグロリアス・グッドウッド開催は必ず勝てと発破をかけられた。

 なお、俺は今年のキングジョージⅥ&クイーンエリザベスSへの出走は無しだ。

 一昨年日本馬初の勝利を収め、続く昨年は連覇を逃したので、特に思い入れの強いGⅠではなくなったらしい。

 ゴールドカップは俺が連覇のチャンスがあるのだが、どうも楽観視しているようで、馬房の前で井野センセイと

「寝てても勝てるでしょ」

と話していた。

 

 一方、サセックスSの連覇がかかるレコードは、ジャパンカップからこちら連敗中とあって、「2400m以上は長いんじゃないか」という声もある中、連覇を狙いつつマイル戦で一旦様子をみようということになったらしい。

 俺はオマケでグッドウッドCに出走することになっている。

 昨年モーリッシュ先輩が勝っているレースだから、「谷地オーナーとしては」連覇のチャンスになる。

 あのオーナーは俺達競走馬より自分の記録を見ているフシがあるが、俺に言わせればその姿勢は悪くない。

 それも馬を持つ一つのロマンと言えるだろう。

 

 これも谷地オーナーと井野センセイ、それとコウヘイが話しているのを目の前で聞いていただけの話だが、今回俺達の輸送を補助してくれるのはコウヘイではなく、谷地オーナーの外厩で働いているスタッフらしい。

 名前を聞いて思い出したが、外厩ができる前は牧場にいたスタッフで、俺が作った雪だるまを見てびっくりしていたあの兄ちゃんだ。

 

 コウヘイはストライキに参加する可能性があるとして、先んじてイギリスに隔離するわけにはいかないと判断したらしい。

 ストライキから遠ざける目的だとみなされれば不当労働行為にあたる場合もあり、遠征先でストライキを起こされても困るからだ。

 かといって中村を連れて行くのは最悪手だ。

 リンガスマイセッサの世話を誰がやるのかという話で、シビアレコードも俺と一緒に遠征してしまい、シビアレコードに騎乗するマコも当然イギリスへ行く。

 そうなったらあいつのことだ、本当にハンガーストライキを起こしても不思議ではない。

 それ以外のスタッフも、そもそも大して俺達にかかわっていない人たちだから、ついてこられても逆に困るわ。

 

 

【アンテナ】2038.05.22

~(オークス) フルールバロネス 北山師「坂もスムーズにこなした」~

 

 桜花賞2着のフルールバロネスは21日朝に金曜追いを行い、栗東坂路を軽く流して4F56秒8-1F12秒9。北山師は「脚さばきを確認した程度。スムーズに坂をこなしている」と納得の表情を見せた。

 

 最終追い切りはCWで5F66秒8-1F11秒7と、軽快な加速ラップを刻んだ。「馬なりで併せただけだったが、それでもしっかり折り合って、軽い仕掛けにも反応した。2400mの方が折り合いがつく」と好調さをアピールした。

 

 

~(阪神の危険な人気馬) アルテローザ 東京11R・オークス~

 

フローラS勝ちにルードルフ騎乗で人気を集めそうだが、前走はスローの東京二千で器用さが生きた一戦。好位で流れに乗り、早めに抜け出す形はうまかったが、裏を返せば決め手勝負で突き抜けた内容ではない。

今回は桜花賞組が経験したGⅠの流れに加え、距離も2400mへ延びる。前走同様に早めに動けば最後が甘くなり、待てば切れ負けの恐れもある。ルードルフ人気込みなら過信禁物だ。

____

 

 調教師会から労組への回答は、「検討が必要なので時間が欲しい。6月9日を目処に回答を提出する」というものだった。

 要は先送りだ。

 改めて設定された日付は安田記念を終えた火曜日であり、その週に行われる宝塚記念はどうなってもいいと言わんばかりの姿勢である。

 

 調教師会と馬主たちにとって、東京優駿は当然無事に終えたい。

 さらに安田記念は有力クラブやその馬を多く預かる調教師にとっては庭と言っていい舞台で、こちらも何事もなく終えたい、というわけだ。

 一方で宝塚記念は最有力候補がリヴェッティで、個人馬主の所有馬で所属厩舎もリーディング40位ほど。

 上位陣営からしたらむしろ中止になってくれた方が気分がよかったのだ。

 またストライキを起こすならこっちでやってくれ。

 そういう思惑が透けていた。

 

 なお先送りされたことに対して、コウヘイが厩舎内で不満をぶちまけるようなことはしていない。

 もともとコウヘイもそこまで組合活動に積極的というわけではないからだ。

 前回のストライキも、組合でやるなら同調せざるを得なかっただけで、ビラ配りの場所も本命となる美浦トレセンではなく、競馬ファン向けに東京競馬場で配っていたことからも分かる通り、組合内では特に地位をもっていない。

 少なくとも、通用門前に座り込んで輸送を妨害するという実力行使に出た馬よりは、よほど穏健であった。

 

 その過激派の馬(ジェルディサヴォア)(シビアレコード)と一緒に美浦トレセンの検疫厩舎に隔離されている。

 兄は相変わらずラジオから流れる野球中継に聞き入っており、隣で弟が安心して眠りこけている実家のような光景。

 ただ、野球中継が中断されて競馬中継になり、リンガスマイセッサの名前が聞こえてくると、兄は絶対に聞き漏らすまいとラジオに顔を近づけ、隣の弟はうなされていた。

 

 少し時間を戻して優駿牝馬のパドック。

 リンガスマイセッサは当然、中村が曳いて周回している。

 アルババタフライは優駿牝馬には出てこなかったため周回が乱れることはなかったが、リンガスマイセッサには念のためにパシュファイヤーが付けられ、メンコによって自慢の流星が見えなくなっていた。

 ファンに顔を見せられず周回中はなんとなく不機嫌だったが、周回停止と共に進藤が跨ったことでもう安心だとメンコが取り外されると、途端に機嫌がよくなり、周回再開後のステップもどことなく軽やかになった。

 

「なあ、マコ。そろそろ慣れないか?」

 地下馬道を歩きながら、相変わらず緊張している進藤に、中村が呆れたように話しかけた。

「GⅠ何回目だよ。6回目だぞ」

「『まだ』6回っスよ」

 進藤が顔を強張らせたまま呟くように返事をした。

「やっぱり後ろから行くのか?」

「そのつもりっス。外回してもいいって言われてますし」

「好スタートを決めたら?」

「下げます」

 中村が静かに鼻から息を吐いた。

 

「お(めえ)さ、ジェルに乗ったことなかったよな?」

「ええ」

「ま、アキが手放さないだろうけど、アイツもアイツでしょっちゅう騎乗停止食らうからな。もし前哨戦とかで乗るチャンスがあったら、先頭で走る景色ってのをしっかり見とけ。去年みたいに泣きベソかきながら走るんじゃなくてさ」

「もうやりませんよあんなの」

 昨年のしらさぎSで、頭真っ白になりながら逃げきったのを蒸し返されて、進藤が口をとがらせる。

「ハッ。去年のサセックスSだろ?ジャパンカップだろ?桜花賞もそうだったよな?ばっちりジョッキーカメラに声入ってたぞ。GⅠでベソかかないで乗った方が少ないんじゃねえのか」

 グッ、と返答に詰まった。

「そろそろこいつらを信じてやれよ。お前が本当に馬の力を信じて乗ってるのって、スリックデリカシーだけだろ。次は函館スプリントだっけか?」

「あの馬はやることが一本筋だから分かりやすいんスよ」

 スリックデリカシーは進藤が乗ると直線に賭ける競馬しかしないので、重賞戦線では勝ちきれないまでもいいところまで行ってはいる。

 

「こいつだって分かりやすいだろ。全部態度に出るんだから」

「分かりやすさの方向性が違うと思います」

「お前がしっかり(ぎょ)してやれって言ってんだよ。お前が迷ったらどうなるか、桜花賞で嫌というほど学んだだろ?」

 うす、と進藤が小さく返事をする。

 地下馬道の出口が近づいてきていた。

「マコ」

 地上に出ると中村が曳き綱を外し、リンガスマイセッサの首筋をそっと撫でた。

「どうせジョッキーカメラに声入るなら、泣き声じゃなくて合図にしろ」

「善処します」

 言い切れや、と中村が鼻で笑い、リンガスマイセッサがゆっくりと東京競馬場のスタンドを見渡した。

 

 絶対的な女王がいない優駿牝馬は予想が難しい。

 牝馬は特に気まぐれであるから、レースになると急にやる気が無くなったり、馬群を怖がったりするような馬が急に出てくる。

 本馬場入場で暴れたりするような馬はすでにレースが嫌いになっている場合が多いが、まだその時点では馬券を買い足すことはできる。

 問題はレースが始まってからテンションが一気に落ちる場合で、当然、馬券発売は締め切られているのでファンにとっては後の祭りなのだ。

 今日の1番人気はフルールバロネスで3.7倍。

 リンガスマイセッサを逆転可能という見方よりも、リンガスマイセッサは信頼しきれないという傾向で全体的に票が流れている。

 3番人気には桜花賞3着の2歳女王サミットジェダイトを差し置いて、フローラSで勝利しルードルフを鞍上に据えたアルテローザが割って入った。

 アルテローザも母母がスタニングローズの正当な薔薇一族であるから、この舞台はファミリーラインとしては悲願だ。

 個人馬主が上位人気を占めていた桜花賞とは違い、セレンとベストの馬が上位人気に食い込みようやく近代競馬らしい人気割合となっている。

 

 スタンド前からの発走ということで、例によってファンファーレの後の歓声もヤジも止まる。

 リンガスマイセッサはむしろその静寂が気に入らないようで、ゆっくりゲートに進みながらもスタンドの方を睨みつけていた。

 下馬評ではあるが、今日は逃げ馬が不在。

 微妙なペース配分が必要な逃げ戦法は、気まぐれ牝馬ではやりづらいというのもある。

 お互いが見合ってハナの譲り合いになる中、押し出されてロマンチックドバイが先頭に立つことになった。

 こうなることが分かっていたフルールバロネスの近藤騎手は敢えてそっとゲートを出し、少し遅れて先行争いに加わることで、ロマンチックドバイの後ろ、3番手を確保することに成功している。

 フルールバロネスはこのスローペースでも折り合っているが、ミモザヴェールとソビエトダンシングは顔が真上を向くくらい騎手が手綱を引いて宥めている。

 後方も後方でごちゃついており、いつも最後方のオッカインパクトが後方5番手を進み、外にリンガスマイセッサがいるという珍しい配置になっていた。

 

 やはり1000mの通過が63.0秒の超スロー展開になり、向こう正面ですでに外を走っているリンガスマイセッサは前の壁が無くなった。

 進藤は慌てない。

 以前は「まーだ、まーだ」とゆっくり声を出すことでリンガスマイセッサのリズムを作り出していたが、今日は手綱を軽く握って力を抜いているだけ。

 それを感じ取ったリンガスマイセッサも進藤の呼吸に合わせてゆったりと回っていく。

 

 リンガスマイセッサも進藤と同様に力を抜いてコーナーを回っているが、もとよりジェルディサヴォア並みのコーナー技術があるので、3コーナーを過ぎる頃には持ったまま中団まで順位が上がっている。

 リンガスマイセッサが馬群の外を撫でながら上がって行ったことで、3,4コーナーでは馬群があまり膨らまず、外に持ち出そうとしたノエラニやアルテローザがやや不利を受ける形となった。

 

 直線でロマンチックドバイが早々にフルールバロネスに交わされ、すっかり闘気を失い失速。

 コーナーで外に持ち出し切れなかったサミットジェダイトとアルテローザが直線を斜めに突っ切るように強引に外に持ち出したが、既にその前にリンガスマイセッサがいる。

 先に抜け出して3馬身リードを取ったフルールバロネスに、気合を付けただけのリンガスマイセッサが坂の手前でぴったりと張り付き、進藤の合図を待っている。

 

 先にフルールバロネスの方にムチが入った。

 リンガスマイセッサから放たれる、いじめ相手を見つけたような愉悦の圧がフルールバロネスを包み、人間にして中~高校生ぐらいの年齢にあたる牝馬(女子)は不登校に陥りそうなメンタルになった。

 いままでのいじめられっ子はアルババタフライだったので、まさか自分がターゲットにされるとは思っていなかっただろう。

 しかも後方からは自分をめがけて差し追い勢が迫ってくる。

 完全にクラス全員からいじめのターゲットになったフルールバロネスは近藤にすがるように逃げるが、坂の途中、力を振り絞っているタイミングでリンガスマイセッサに馬体を合わされ、すっかり力が抜けた。

 

 広い階段を駆け上るようにリンガスマイセッサが先頭に立ち、後ろからサミットジェダイトとノエラニの取り巻き2頭がついてくる。

 フルールバロネスはオッカインパクトの追撃は何とか堪え切ったものの、3頭には間をあけられ4着に終わった。

 

 

<東京競馬場、メインレースを迎えております。第99回優駿牝馬、オークス。

桜花賞から800m。あとにも先にも、牝馬にとっては最長距離となる2400mで世代の女王を決める闘い。

出走馬18頭、すでに最後の枠入り。

18番のディアナセレーネ。アンソニー・ポールと共に、ゲートに収まります。

 

スタートしました。大きな出遅れはありません。

横に広がっての先頭争い注目です。

取り立てて行くような馬はありませんが、外からロマンチックドバイが先頭に立つか。内にはミモザヴェール、ルナティックノートで先団形成。

さらにフルールバロネスも前に行きまして、サミットジェダイトは中団インコース。

リンガスマイセッサは後方から。

 

各馬、1コーナーを左にカーブしていきます。

まだ隊列固まらないか。

結局先頭は11番ロマンチックドバイが取りました。

2番手6番ルナティックノート、内から3番フルールバロネス。そして5番のミモザヴェール、ちょっと折り合い欠いているか。

1馬身後ろに14番パルトジャーナル、2番クラルテブランシュ好位の一角。

そして8番ソビエトダンシングが続きます。

 

1馬身差で9番アルモニアカレラ、内に7番サミットジェダイト。

13番ノエラニと15番アルテローザが並んで行って、向こう正面に入っていきます。

 

その後ろは16番ミストラルコート、外に18番ディアナセレーネ。

それを見るように4番オッカインパクトと、その外に2冠を目指す17番リンガスマイセッサ。

 

1000mの通過は63秒フラット、ゆったりとしたペースです。

最後方は3頭並んで、1番のレディブリュメール、10番のロゼフリュール。

僅かに最後方12番アルモニカエール。

 

馬群はほぼ一塊で、先頭から最後方まで12,3馬身ぐらいでしょうか。

11番ロマンチックドバイが先頭で3コーナーに入ります。

並びかけようという6番ルナティックノート。

その後ろ3番フルールバロネス、身体半分差。

手が動いている14番パルトジャーナル、2番クラルテブランシュ。

そして外スーッと上がっていく17番リンガスマイセッサ、今先頭から4馬身ぐらいまで詰めてきて先行集団の一角。

 

3コーナーから4コーナー。

8番ソビエトダンシング、外に持ち出して7番サミットジェダイト。

15番アルテローザはまだ馬群の真ん中。その前に13番ノエラニ、じっと構えています。

 

4コーナーへ向かって、6番ルナティックノートが先頭でロマンチックドバイは失速。

そして、内を突いて3番フルールバロネスが早くも先頭に変わろうとしています。

 

4コーナーをカーブして直線。

6番ルナティックノート、内を掬ってフルールバロネス。

気合をつけて、リンガスマイセッサが外からやって来るか。

内、抵抗するクラルテブランシュ、外から進出7番サミットジェダイト。

前捌けるか13番ノエラニ。アルテローザはまだ中団だ。

 

フルールバロネスが先頭ムチが飛ぶ。

外からリンガスマイセッサ、まだ持ったまま馬体を併せて坂の上り。

サミットジェダイト懸命に足を伸ばす。間を縫ってノエラニ。

 

しかし前が止まらない。

リンガスマイセッサ、今ようやく追い出して2馬身から3馬身、リードを広げる。

2番手はサミットジェダイト、インコースノエラニが3番手。

リンガスマイセッサ、2冠達成ゴールイン!

2着はサミットジェダイト、そしてノエラニが3着。

 

直線早々先頭に並びかけましたが、しかしこの脚色、余裕がありました。

勝ち時計2分24秒8。上がり4ハロン46秒フラット、3ハロンは34秒3でした>

 

 

 3コーナーを過ぎた辺りから、谷地は馬主席を抜けて下に降りてきていた。

 先週のヴィクトリアマイルのメトロヴィーナスは思いの外伸びず7着に終わり、久々にガッカリした表情を浮かべていたが、今日は勝ちを確信していた様子だ。

 

 但し口取り式になると、馬主という立場でありながらリンガスマイセッサが隣に並ぶことを許してくれない。

 左隣は中村がいるので、その外側に井野が立つ。

 そして右側、つまり馬主サイドだが、いつも娘が一番近いところを握る。

 娘の身長はリンガスマイセッサの脚と同じくらいなので、非常に、非常に危険なのだが、リンガスマイセッサにとってはこれが一番大人しくなるのだから仕方がない。

 結果、右側の手綱は一旦娘の身長まで垂れてからもう一度妻の身長まで持ち上がるので、その外側で谷地が持つとほとんど手綱の長さが終わってしまうのである。

 

「進藤君、2400m(ニーヨン)、どうだった?」

 表彰式が終わったあと、口取り式に向かう道すがら、谷地が進藤に小声で聞いた。

「通過点ですね。どこまで走れるんですか、この馬」

「いつかジェルと春天で走らせてみるか。三冠目、頼んだよ」

 進藤は、ハイ、とだけ返事をした。

 流石にまだ、任せてください、と言えるほどの度胸はなかった。

 

 

 

【京浜スポーツ】

(オークス) 2冠目も「ねじ伏せた」リンガスマイセッサと進藤誠紅の終わりなきランデブー

 

[GⅠオークス=2038年5月23日(日曜)東京競馬場、3歳牝、芝2400m]

 

 桜の女王が、樫の舞台で本当の姿を見せた――。23日、東京競馬場で行われた第99回GⅠオークス(芝2400m)は、進藤誠紅騎乗で2番人気のリンガスマイセッサ(牝3・井野・父フォルジュオン)が優勝。桜花賞に続く2冠を達成した。

2着は桜花賞3着の2歳女王サミットジェダイト、3着にはノエラニが入った。1番人気フルールバロネスは4着。勝ち時計は2分24秒8。

着差は3馬身。数字だけを見れば完勝だが、実際はそれ以上に“距離が延びてこそ”の強さを再確認した一戦だった。1000メートル通過63秒0の超スローペースの中、ついに繋がった“絆”を紐解く。

 

 桜花賞馬でありながら、リンガスマイセッサは1番人気ではなかった。

 前走の桜花賞は勝利こそ収めたものの、ゴール前は決して余裕十分とは言い難い内容。加えて、東京2400メートルへの距離延長、外枠17番、鞍上が2年目の進藤誠紅という点も不安視された。

 血統面からも「府中の軽い瞬発力勝負より欧州的な持続力勝負向きではないか」と見る向きがあり、単勝は4・2倍の2番人気にとどまった。

 

 だが、レースが終わってみれば、その不安はほとんど逆の意味を持っていた。

 

 1000メートル通過は63秒0。逃げ馬不在のメンバー構成らしく、ロマンチックドバイが押し出されるようにハナへ立ち、隊列はゆったりと進んだ。

 1番人気フルールバロネスは内の3番手。近藤正文は折り合いをつけ、直線では早めに先頭へ。展開、位置取り、仕掛けのタイミング。どれを取っても、フルールバロネスにとっては勝ちパターンだった。

 

 一方のリンガスマイセッサは後方外目。進藤は無理に動かさず、3、4コーナーでも強引にまくることはしなかった。

 それでも、馬群の外をなぞるようにしていつの間にか勝負圏へ進出。直線入口ではすでに先頭を射程に入れていた。

 

「距離が延びた分安心して乗ってました。ペースは遅かったですけど、馬が自分のリズムで上がっていけました。桜花賞の時より余裕ができていました」

 進藤はレース後、そう振り返った。

 

 ポイントは、ここだろう。リンガスマイセッサは、直線だけで差し切ったわけでもなければ、3、4コーナーで脚を使ったわけでもない。

 むしろ進藤が邪魔をしなかったことで、コーナーを減速せずに通過し、自然と勝負圏まで押し上がっていた。外を回していながらロスが少なく見えたのは、馬自身のコーナーワークのうまさがあってこそだった。

 

 直線では先にフルールバロネスが抜け出した。リードは一時3馬身近く。だが、軽く気合いをつけただけのリンガスマイセッサが坂の手前で馬体を合わせると、流れが一変した。

 進藤がようやく押し出したのはここから。坂上で先頭に立つと、ムチも使わずサミットジェダイトに3馬身差をつけてゴールした。

 

 井野叶偉調教師のレース評も興味深い。

 

「桜花賞は短いところを能力で何とかしてくれたレースでした。2ターンのレースになって、ようやく距離が合ってきたという感じです。追い切りでは課題もありましたが、本番では進藤との折り合いもピッタリでした」

 

 敗れたフルールバロネスにとっては、厳しい結果となった。近藤は「形は悪くありませんでした。いい位置で運べましたし、直線でも一度は抜け出しています。ただ、勝ち馬に来られてからもうひと踏ん張りが利きませんでした」とコメント。

 

 展開が向いた1番人気を、距離延長で真価を見せた桜花賞馬が外からねじ伏せる。3馬身の着差以上に、内容は大きかった。

 しかも最終的に、リンガスマイセッサのライバルと目されているサミットジェダイトの追撃をしのぐどころか、ただ追っただけでジリジリとリードを広げていた。

 桜花賞は辛勝ではなかった。短すぎたのだ。

 

 陣営は口を揃えて「距離延長がプラスになる」と語っていた。

 リンガスマイセッサのコーナーワークを活かすには2ターン以上が理想なのだ。そして秋華賞は京都の内回りコース。コーナーが得意な馬にとって、これ以上の好条件はない。

 もし直線を待たずして先頭に立てたとしたら。2400mでもまだまだ余力を残したのだから、2000mならJRA史上初、GⅠでの「大差」を見ることができるかもしれない。





次回は30日(土)を予定

駆け足でオークスまで行きました。
急いだということは。久々の番外編が投稿されています。
あさってのオークス予想にちょっとでも役に立てば。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
※参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。


  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

読者層が似ている作品 総合 二次 オリ

覇王伝説第二章(作者:ノワールキャット)(オリジナル現代/スポーツ)

20世紀末。▼8戦8勝の年間無敗、史上最多の年間GI5勝。▼2000年に降臨した絶対王者、世紀末覇王と称されたとある馬の後継者。▼これは、かつての相棒と駆ける覇王伝説の第2章である。▼─────▼ある騎手が引退することなので、書いてみました。▼執筆者はにわかな部分が多いです。かなり優遇していますので、史実改変が嫌という方はここでブラウザバックしよう。


総合評価:2531/評価:8.96/連載:24話/更新日時:2026年05月22日(金) 11:30 小説情報

勇を求めて(作者:山岡鮎太郎)(原作:ウマ娘プリティーダービー)

目が覚めたら馬になっていた。▼競走馬として頑張らないといけなくなった女の子のお話。▼☆競走馬編完結!▼※最初は競走馬編です▼※競走馬編終了後にウマ娘編になります


総合評価:701/評価:7.48/連載:26話/更新日時:2026年05月02日(土) 00:00 小説情報

(仮題)ヴィークル・メアを求めて/(旧)母父の名で帰ってきた(作者:MenoMash)(原作:ウマ娘プリティーダービー)

00年代、もはやサラ系というものが競馬の歴史から消えつつある時代。▼サラ系として生まれた一頭の馬がいた。▼いつか、いつか父の名で帰ってくることを望まれた祖父、日本最強のアイドルホースの父。▼そして、顕彰馬の高祖母。▼血統パワーで安寧を望む主人公に、果たして望んだ通りの未来は来るのだろうか。▼※似た題名の作品があったので、改題しようと思います。


総合評価:1682/評価:8.07/連載:27話/更新日時:2026年04月10日(金) 09:48 小説情報

競馬ミリしらウマ娘ファンがウマ娘化されていないモブ(?)ウマ娘に転生したので、頑張って百合ハーレムを作ろうとする話(作者:雅媛)(原作:ウマ娘プリティーダービー)

 ウマ娘に転生したから百合ハーレムを築きたい競馬ミリしら民のお話。▼ なお、名前はディープインパクトという。


総合評価:2157/評価:7.94/連載:20話/更新日時:2026年04月04日(土) 11:39 小説情報

桜の姫がターフを駆けた軌跡(作者:夜刀神 闇)(原作:ウマ娘プリティーダービー)

競馬ファンである女の子が2020年代の競走馬に転生する物語でございます。▼ドゥラメンテ産駒、しかも白毛の牝馬として。▼ターフを駆ける、競走馬として。▼いつか、誰もいない先頭の景色を見るために。▼チート過ぎても面白くないのでそこそこ競走馬としての宿命みたいなのを背負わせてます。ごめんね主人公、そして主人公が生まれたせいで勝てなかったコたち。▼あと、鞍上と馬の関…


総合評価:1785/評価:8.23/連載:38話/更新日時:2026年04月21日(火) 20:07 小説情報


小説検索で他の候補を表示>>