ツーターン・スリーターン   作:ジェレミー

75 / 75

ゴールドカップ(4歳以上・GⅠ)


寝ながら勝ってみた

 

 アスコット競馬場の待機馬房に帰ってきたシビアレコードが、さっそくジェルディサヴォアの馬房に首を突っ込んだ。

 実は桜花賞の時のリンガスマイセッサのように優勝レイをサッとかけて勝利報告をしたかったのだが、ロイヤルアスコットでは優勝レイなど勝ち馬に贈られるものは何もなく、残念そうな雰囲気を出している。

 あくまで主催は王室、賓客は馬主なので、馬はその馬主が王室に披露したコレクションの一つに過ぎないからだ。

 仕方がないので、周りの馬房に入っている馬たちを怖がらせるほど蹄鉄の音を響かせて何とか威厳を出すように頑張りながら馬房に戻ってきたのだ。

 ジェルディサヴォアは慣れた様子でシビアレコードのスキンシップを受けていたが、それでも翌日のレースに向けて、脚や首などを怪我しないよう、必要以上に馬房から首を出すことはなかった。

 

 シビアレコードが飼葉桶を空にしたころ、祝勝会を終えた谷地オーナーや井野調教師らがジェルディサヴォアの馬房の前に集まった。

 全報スポーツ東京本社から派遣されてきた番記者の寺尾と、寺尾に連れられてロイヤルアスコットの取材に来た全スポ西日本の六角記者も、録音マイクのスイッチを入れながらついてきている。

 

「やっぱりダメでしたか」

 谷地がジェルディサヴォアの鬣を撫でながら首を振った。

「むしろここまで待ってくれただけでも良かったと思いましょう。本番は次ですから」

 井野はむしろ負担が軽くなってよかったと言わんばかりである。

「ロイヤルアスコットで2年連続の圧勝をかますところを見せつけたかったですね……。でもまあ、パドックから馬場入りまではちゃんとやってくれるらしいじゃないですか」

 寺尾がメモ帳を開きながら聞いた。

「一応、レース自体は成立するんですよね?」

 ええ、と谷地が頷いた。

「勝ちは勝ちです。ただ当然、タイムは出せないのでその辺は参考記録にもなりませんが」

 寺尾は六角を振り返った。

「ロクさん、"X"でもいいから、サッと記事書いてポストしてや。海外のやつが翻訳されて広まる前に」

 六角は、すぐにスマホを取り出すと、全報スポーツのアカウントで日本向けの速報記事をポストした。

 

【全スポ栗東情報・六角】

(速報)

ロイヤルアスコット開催3日目に行われる予定だったゴールドカップ(GⅠ)は、ジェルディサヴォア(牡5・井野)以外の出走予定馬が全て出走取消を表明したため、事実上ジェルディサヴォアの勝利が確定。

____

 

 すげえ、オーナーの予想が当たったわ。

 本当に寝てただけで勝てた。

 70万(ポンド)丸儲けだ。

 

 昔は単走のレースになった場合でも、そのレースの距離、コース、場合によっては障害を全て走破しなければ完走と認められなかったが、2000年代半ばごろからルールが改正され、ただゴール板を通過すればよいということになっている。

 大抵こういう場合ゴール前200mほどからスタートをして終わらせるのだが、一応ロイヤルアスコットということで馬主である谷地オーナーの意向も考慮された結果、最下層であるウインザー(Windsor)エンクロージャー(Eenclosure)の端、ゴールから約900mほどの地点にゲートが置かれた。

 ライトな観客にも俺の姿を見せようというわけだ。

 見栄っ張りなオーナーらしい。

 

 競走に出るわけでもないのに、パドックに入る前に舌縛りを付けられた。

 勝手に走り回らないようハミはしっかり噛んでいてほしいというのと、王室の手前、舌をベロンと出して走るのは避けるべき、という井野センセイの思惑だ。

 俺もこれは大歓迎だ。

 既に白い包帯の舌縛りは一つのトレードマークになっているので、これを外すなんてもったいない。

 むしろ舌縛りは負担ではなく、助かっているのだということを見せつけてやらねばならない。

 

 パドックから出るときにも、誘導馬が先導する。

 馬場に出て、一度ゴール板(Winning Post)を通過するまで勝手に返し馬に入ってはならない。

 なぜなら、その真正面に王族が観戦されているスタンドがあるからだ。

 当然一度、王に謁見しなければ始まらないのである。

 

 ゴール板を通過し、誘導馬が立ち止まったところでアキさんが轡を返した。

 普段の返し馬と同じくらいのペースでスタートゲートの裏まで走っていく。

 発走時間は元のスケジュールと同じなので、ここから10分ほどヒマなのだった。

 

 俺はいつもの通り、外ラチ沿いで立ち止まった。

 今日、俺を曳いているのは例の騎手見習いの坊ちゃんである。

 コウヘイだったらこういう時、俺の隣でラチに背中を預けてアキさんと喋っているのだが、見習い君はこの雰囲気に呑まれ、曳いて輪乗りを始めるべきか、そわそわしている。

 アキさんも英語は大してできないので、見習い君を押しとどめるように手で制した。

 

 で、普段はスタンドに背、というか尻を向けて立ち、輪乗りをしている馬の様子や騎手の声を拾って情報収集をするのだが、今日は相手がいない。

 せっかくなのでウインザー・エンクロージャ―のカジュアルな観客の方を向いて、手を振ったりカメラを向けている客にサービスをしてやる。

 最前列のおじさんはすでに2レース後のハンプトンコートステークスの予想を始めていたので、ちょっとアドバイス。

 4の馬にチェックを入れようとしていたので、オー、オー(ノーノー)という声を上げて首を横に振ってみた。

 馬房ではまるでやる気がなさそうにしていたやつで、大して食べてもおらず帰りたがっていたからだ。

 伝わったかどうかわからないが、予想の参考にしてくれていたら幸いだ。

 

 ゲートの後ろ扉が開けられ、スタッフが親指を立てた。

 見習い君に曳かれてゲートの中に入る。

 アキさんがムチを抜いた音が聞こえた。

 900mだとちょっと短い気もするが、いいだろう。

 

 ゲートが開いた瞬間、アキさんが俺の耳元で右ムチをくるりと回し、振り下ろした。

 テニスボールをポンとぶつけられたような感覚だが、音は鋭く、つまらなさそうにビールを飲んでいたライトな観客が一斉に振り向いた。

 900mだぞ、少し早くないか?

 

 アキさんはハミを目いっぱいに詰めてはいるが、まだ追ってきていない。

 少しずつ加速をしながらクイーン(Queen)アン(Anne)エンクロージャー(Enclosure)との境界を過ぎれば残り2Fの標識が近づく。

「ほれ、全力で行け」

 アキさんがおどけた様子で手綱を動かした。

 それに合わせて左手前に替え、坂路を駆けあがるように後ろ脚を蹴り上げる。

 ターゲットがいないとつまらないが、1Fが近くなったところでアキさんの右ムチが飛んだ。

 ちょいと気を抜いていたかもしれないので、もう一度ハミを噛み直してアキさんの手綱を引っ張っていく。

 ゴールの200mぐらい先を目標にして、ウイニングポストを駆け抜けた。

 

 観客が一斉に拍手をしているのが聞こえる。

 結構いいタイム出したと思うんだが、誰か測っていただろうか。

 明日のコモンウェルスカップの参考になったかな?

 

 ウイナーズサークルに戻ると、井野センセイと寺さんがタイムを計っていたらしく、ストップウォッチのタイムをすり合わせていた。

 つまりこの単走駆けは谷地オーナーやアキさんの見栄ではなく、ついでに坂路調教を一発やっておこうという井野センセイの指示だったようだ。

「タイムどうでした?」

 馬上からアキさんが首を伸ばして、寺さんの手帳を覗き込んだ。

 ついでに横目で俺も見せてもらう。

「時計52秒89、上がり3ハロン33秒6ですね」

「サンキュ」

 アキさんが馬から飛び降り、俺の首筋をポンポンと叩いた。

 平均ラップ11秒75か。

 おい、明後日のジュビリーS(QEⅡジュビリーS)の出走陣営、見てたか?

 勝ち時計1分10秒5より遅かったら俺の勝ちな。




次回は11日

ウマ娘版は書き上がり次第投稿します。
まだほとんど書けてない…
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