ツーターン・スリーターン   作:ジェレミー

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種まき

 

 ほくほくでイギリスから帰ってきた谷地は、祝勝会を済ませたあと外厩へ向かった。

 放牧に来ているシングルベルなどの様子を見に行ったのもあるが、一番の目的は、1歳馬の最終選別である。

 要は、自分で持つか、売るか。

 例によって7月アタマの八戸市場に登録しているため、今週末までには上場馬を確定させる必要があった。

 

「オリガシェミーの仔にしては大きいですよね」

「アメリカ系種牡馬ならこういうもんですよ。スピード持ってるわけじゃないですけど、チップホンチョは中山なら買いですよ。今どきあんな綺麗にコーナー回れる種牡馬見つかりませんからね」

 同世代のテッドノフィーなどと比べたらスピード性が圧倒的に不足していたチップホンチョは、引退後4年ほどアメリカで種牡馬入りはしたが、成績が振るわなかったのもあって、去勢されないうちに谷地が買い叩いてきた。

 様似の牧場に連れてこられて、浦河を中心に日本での供用は今年で8年目になるが、日本においても東京競馬場などの瞬発力勝負では分が悪いものの、中山や中京などのコーナーワークが必要な競馬場においては直線入口でササるようなことも少なく、スムーズに加速しながら回っていくなど、安定的な持続力は見せている。

 

 リンガスマイセッサの全弟、ブロッサムリングの37はそのまま谷地が持つことになった。

 父でオルフェーヴル産駒のフォルジュオンは海外での評価が上がってきており、今後マカロフィ・ファームに売るかもしれないと考えたら、後継種牡馬候補を残しておく必要があった。

 ブロッサムリングの仔だけでなく、フォルジュオン産駒の牡馬は一通り谷地が所有することになっている。

 

「エンシェントベルの仔はどうします……?競りに出しても血統としては売れなさそうですが」

 牧場長の言葉に、谷地も顎を撫でた。

「主取りならいいですけど、安く買い叩かれるよりはそのまま持ちましょうか。ダートに行くか、障害という手もありますし」

 エンシェントベルの仔は、父がビッグモジョ。

 ビッグモジョは現役時代から谷地が種牡馬としての購入を打診しており、こちらも欧州での種牡馬実績が振るわず、マカロフィ・ファームを通じて日本に送られてきたのだ。

 

 同時にベイテッドブレス産駒のコップルも種牡馬として連れてくることも成功していた。

 コップルは日本ではとっくの昔に「地雷」という烙印を押された、デインヒル血統である。

 かつてゴールドラッシュのようにデインヒルに群がっていたオーストラリアでも、近年は夢が醒めたようで軽視される血統の一つだ。

 但しマイル以下で直線のレースが多い欧州では、単純なスピードだけなら通用すると、短距離偏重が進む中では欠かせない血統になっている。

 

 しかし谷地が目を付けたのはデインヒルではなく、ダンチヒの血である。

 ダンチヒもスピード系ではあるが、極端にマイラー以下として出るデインヒルと比べたら距離適性の範囲が広く、日本でもチーフベアハートを介して天皇賞春の勝ち馬であるマイネルキッツなどを輩した実績もあるのだ。

 そういった意味ではコップルの方は「押さえ」であり、本命はデインヒルを介さずグリーンデザートを経由してダンチヒに直結するビッグモジョだったと言えよう。

 

 新しく外厩ができたことにより育成もペースを上げて進められるようになり、整理のために今年の庭先での売りは中止している。

 富永氏などは残念そうにしていたが、ついこの前、スピリットアイコンの36とアルテミススカイの36がそれぞれ、イグナイトコードとヴェナトリスに名前を変えて栗東に旅立っていった。

 結局ヴェナトリスのX脚は直らなかったが、2頭ともゲートは完璧にこなせていた。

 春先のゲート訓練で、ジェルディサヴォアとシビアレコードの間の枠に入れられるという地獄のようなシゴキに耐え抜いたからである。

 時期が合わず彼らと併走する訓練まではできなかったが、2歳の頃にジェルディサヴォアと併せたことで劇的に変わったシビアレコードの話を知っている富永氏は、

兄ちゃん(ジェルディサヴォア)が日本に帰らったらいっぺん併せたってください」

と、谷地に頼み込んでいた。

 

 早々にジェルディサヴォアとシビアレコードがイギリスに行ってしまったことで、谷地自ら所有する予定の2歳馬を彼らと併走させられるのは秋以降になり、見込みがある馬は、入厩を引き延ばすか、井野厩舎に入れておくかの選択が必要だった。 

 見込みがある馬は先の2頭を除いて5,6頭ほど。

 それ以外の約半分にあたる8頭は市場に出し、残りを井野厩舎や高橋厩舎、秦厩舎などに振り分けていく。

 しかし中位クラスと言っても大手牧場と比べたら下の上といったところであるから、上位クラスの馬を預けないのにそれ未満の馬だけを引き取ってくれとは言えない。

 高橋厩舎などはすでにヌーヴェル・グループの馬も多く抱えている大型厩舎なので、谷地側もそろそろ潮時だと考えていた。

 井野厩舎と秦厩舎には5頭ずつ受け入れてもらったが、残りの4頭と主取りで帰ってくる馬などを受け入れてくれる厩舎を探さなければならなかった。

 

 残りの馬の中に1頭だけ、"見込みのある馬"が残っていた。

 ――見込みがあると言っても現段階で評価が高いだけで、そんな馬でも未勝利すら勝てず用途変更になるのは珍しくない、というより、当たり前、といってもいいぐらいの確率ではある。

 コップル産駒のその馬はメイビスミルと名前を変え、他の3頭とともに美浦の熊田初利厩舎に預託されたのだ。

 

 熊田調教師も開業して10年を超え、著名な馬主からの預託も増えてきた厩舎であるが、まだまだ大手クラブからの依頼はほとんどなく、昨年の冬頃、売り出し中の谷地にも挨拶に来ていたのだ。

 熊田厩舎は開業時、同時に定年を迎えた美浦の調教師から馬だけではなくスタッフの一部も引き継いでおり、その調教師も若手騎手やスタッフの教育も重視していたことから、熊田厩舎も若手騎手の起用や、競馬学校の騎手候補生の受け入れなども積極的に行っていた。

 そんな熊田から営業に来られては、谷地が図に乗らないわけがない。

 進藤の時よろしく、馬房の余裕を聞くやいなや、

「じゃあ来年3頭お願いします」

と、約束していたのだ。

 予定より1頭多くなったが、今年の2歳馬のなかでも評価が高い馬を入れておいたので、馬房に余裕があった熊田もすんなりと受け入れてくれたのである。

 

「さすがに2000mを超えると難しいかもしれませんね」

 馬運車から降ろされたメイビスミルを見て、熊田が顎を撫でながら言った。

「母系で可能な限りデインヒルは薄めたので、キングマンボ母系よりは伸びるとは思います。あとは奥の深さですが……」

 極端な使い詰めさえしなければ長く使ってくれて構わない、と谷地は小さく頷いた。

 

 井野厩舎や秦厩舎に預託した馬と比べ、熊田厩舎に送った馬は短距離やマイル型ばかりである。

 ハッキリ言って谷地にとっては不本意な所有馬なのだが、若手の育成に積極的な熊田厩舎に預けることで、出走回数をこなしながら騎手やスタッフの経験値を伸ばそうという目的だ。

 

 短距離偏重が進む大きな理由が、短距離は長距離と比べて負担が少ない為、間隔を詰めて出走させることで、ローリスクで賞金が稼げるというもの。

 それが本当に馬ファーストと言えるのかと思うところはあるが、谷地が熊田に課した要求もそれに近いものだ。

 但し、稼ぐのは賞金ではなく、経験値が主目的だという若干の差異をもって、谷地の中で正当化していたのである。

 

 熊田厩舎から離れて、お得意様の井野厩舎に顔を出した谷地は、疲れ果てた中村厩務員に迎えられた。

「谷地さん……おたくのリンガス、放牧出せませんか」

 夏だというのにリンガスの攻撃から身を守るために分厚い作業着を着ている中村は、過労と熱中症で今にも倒れそうだった。

「中村さんでもダメですか」

「無理ですよ……。マコが帰ってくるまで、私24時間つきっきりです。ストライキしたいですわ」

 谷地に気づいた井野が歩いてきた。

「谷地さん、レコード、戻しませんか。このままだと秋華どころか、夏も越せなくなります」

 谷地はリンガスマイセッサの馬房をちらりと見た。

 明らかにガレており、夏負けというより強いストレスのようだ。

 シビアレコードが長期の海外遠征に行ってしまい、進藤もいない。

 寂しさが極限に達したリンガスマイセッサは、いよいよ飼い食いも悪くなってきていた。

 

 谷地はスマホを開いて、手早くメールを打った。

「仕方ありません。ヒルストン厩舎に連絡は入れました」

 この時間、イギリスは深夜の2時である。

 このメールを見て、ヒルストン調教師がリプライを送ってくるのは早くても今日の夜だ。

「夏の間、リンガスもイギリスに送りましょう」

 いつもなら谷地の急な路線変更に振り回され文句を言っている井野も、もうどうにでもなれ、と何度も頷いた。

 中村もこれでゆっくり眠れると、谷地のとんでもない提案に対して、回らない頭で、

「お願いします」

と答えてしまっていた。

 

 井野とカルム・ヒルストン調教師はジェルディサヴォアやシビアレコードのトレーニングについて直接やり取りをしているため、お互いメールアドレスは知っているし、ビデオ通話もできる。

 ただし大抵谷地が通訳として間に入っているので、リンガスマイセッサをイギリスに送るというメールに対する返信も、井野ではなく谷地に送られてきた。

 内容はいたってシンプル。

"彼女はGⅠ馬なのか?"

であった。

 谷地がそうだ、と返すと、次に送られてきたのはテキストではなく動画だった。

 開くと、シビアレコードの隣の馬房を必死になって掃除をするヒルストン厩舎のスタッフの映像が流れた。

 

 谷地がそれを見て爆笑しながらビデオ通話を繋いだ。

『そこまで慌てなくていいんですよ。検疫を含めたら十日はかかりますからね』

『うるせえです。ヤチが連れてくる馬は、うちの馬じゃ誰も太刀打ちできない馬ばかりじゃないですか。どれくらい強い馬なんです』

 谷地はリンガスマイセッサとジェルディサヴォア、シビアレコードの力関係を少し考えた。

『多分、ジェルディサヴォアより上。レコードと同じくらいか。そしてあいつらなんて比にならないほど手を焼く奴だ。でもシビアレコードと一緒にいれば大人しくなる』

 ヒルストンが、冗談だろ、と叫び、後ろで聞いていたスタッフが頭を抱えている。

 

 ただでさえジェルディサヴォアやシビアレコードをガチガチに緊張しながら受け入れているのに、彼ら以上の馬を預かるとなれば、ヒルストン調教師のプレッシャーは最高潮になった。

 自分たちの馬もいい加減重賞の一つぐらい勝ちたいのだが、胸を借りるつもりでジェルディサヴォア、シビアレコードの併せにイギリスの馬主から預かっている有力馬を2頭ほど交えてみたところ、あっという間に突き放されてしまうレベルなのである。

 

『で、その子はどこへ向かうつもりなんですか?凱旋門ですか?』

 ヒルストン調教師の問いに、谷地はニヤリと笑った。

『ナッソーSだ』

 

 ヒルストン厩舎にまたVIPが来るらしい――。

 そのニュースは翌日にはニューマーケット中に広まっていた。

 ヒルストン厩舎のスタッフが漏らしたわけではないのだが、急に3つ目の馬房をピカピカに磨きあげ始めたので、バレバレだった。

 リンガスマイセッサがイギリスにやってくる、そしてナッソーSを狙いに行く、という記事を真っ先にリリースしたのはイギリスの新聞である。

 というのも、日本ではまだリンガスマイセッサが避暑の為にイギリスに行く、としか記事になっていなかったのだ。

 その情報を出したのは全スポであるから、井野厩舎に関してはいちばん信憑性が高い。

 リンガスマイセッサについて、彼らが掴んでいない情報などあるわけがない、はずだったのだ。

 

 リンガスマイセッサの出国検疫が明け、チャーター便の都合もつき、いよいよ出国を翌日に控えたその日、全スポの寺尾記者が井野厩舎に駆け込んできた。

「井野センセイ、これどういうことですか!」

 寺尾が、日本語に翻訳されたイギリスの競馬記事を井野に突き付けた。

「んあ?ああ、せっかくリンガスをそっちに送るのに、レコードが3日ぐらいグッドウッドに移っちまうからな。その間もなるべく離したくはないから、リンガスもグッドウッドに送る。そのためには出走登録しないといけないんだわ」

「まさかそのまま出すんですか?」

「調子次第だな。とりあえず直前まで行ってみるつもりよ。ほぼ二千だから走れない距離ではないし、秋に向けても距離に慣れておいて損はないだろ?」

 

 寺尾がメモを取りながらふと井野の顔を見た。

「……で、本音は?」

「なんで三冠リーチで洋芝使うんだよバカじゃねえの」

 井野が口を動かさずに毒づいた。

 ジェルディサヴォアがパリ大賞典、キングジョージⅥ&クイーンエリザベスSを勝って帰国し、菊花賞へ向けて再始動しようとしたとき、欧州の馬場に慣れ、日本の速い時計に再適応させるのに手間取ったのはつい2年前の話である。

 リンガスマイセッサは牝馬であるから、余計にデリケートな面が出てくるかもしれないのだ。

 

「勝算は?」

「どっちのだ?」

「ナッソーSの方です」

「向こう行って走らせてからだな。走りやすそうならチャンスはある。ま、俺にしてみりゃ、向こうで走りやすそうだったらまた面倒になるんだわ」

 井野は事務所の机の引き出しを開け、谷地からもらったヒースロー行きの航空券を一枚、寺尾に渡した。

「学の分だ。学はリンガスの付き添いで貨物機の方に乗るから、行きはそれ使っていいってさ」

 相変わらず、ビジネスクラスであった。





次回は6/15

今年3-4歳程度の馬が種牡馬として登場してますので、
彼らが引退して進路が決まる前に終結させないといけない
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