8月に入り、日本では夏競馬の真っ盛りである。
GⅠを狙うような有力馬は札幌記念組を除いて放牧に出てしまっているので、全スポの競馬面は中面に押し込められ、寺尾ら競馬担当の記者は半分近くが夏休みを取っていた。
もっともこの時期ヒマなのは競馬と
スポーツ部でいえばサッカー担当の記者連中はJリーグが開幕したためシーズンに突入した。
競馬以外のレース部も、競艇ならSGのオーシャンカップが開催中、競輪ならオールスター競輪が目前に迫っていることもあり、各部が一面を争ってひっきりなしに内線電話が鳴っている。
汗みずくの取材班が出たり入ったりしている全スポ編集部において、競馬班の島はスマートフォンから流れる地方競馬のファンファーレの音を除けばコーヒーをすする音だけが聞こえていた。
ここにミンミンゼミの鳴き声でも聞こえれば完全に夏の実家まで成り下がりそうな雰囲気の中、たまにデスク兼任の平田部長の机から北海道に派遣した取材班発の2歳馬情報のプリントが飛んでくる。
「トっちゃんは?」
手元の勤務表を見ながら平田がぼんやりと聞いた。
「夏休みっス」
寺尾が机に肘をついたまま答える。
千石厩舎の担当で、実質的にアンベストネヴァーの番記者となっている戸次は、同馬の夏季放牧に合わせて連休を取りフランス遠征に備えていた。
「ネヴァーの凱旋門賞で忙しいたって、アイツも3年連続だろ?アイツ1人でいくら渡航費使ってんだ」
「フランス行って、アメリカ行って、香港行って、ドバイ行って、春休みとって、宝塚記念見たら夏休みとってまたフランス行って」
寺尾の隣の机で佐藤記者が指を折りながら数えた。
「んでBCのときは基本家族呼んでディズニーランドっス」
「結局年休ギリギリまで使ってんだもんな。海外だと時差があるから有休の処理が面倒くさいんだって、総務の熱海が愚痴ってたぞ」
なお寺尾の場合は、ジェルディサヴォアらに帯同してイギリスに行っても英語のコミュニケーションが下手なのでロクに観光もできず、毎日ヒルストン厩舎に顔を出しているため出勤扱いになっていた。
「寺、例の記事、ボツにすっから」
「ああ、やっぱダメですか」
「お前の担当だから井野厩舎の3バカ記事で原稿埋めたいのは分かんだけども、お前がイギリスから送ってきた記事と内容似てるんだわ。新情報ないなら友沢に浦河の牧場にでも取材行ってもらうことにする」
へーい、と寺尾が手をひらひらさせ、ノロノロとパソコンのキーを叩き始めた。
「大体なんであの記事書かせたんスか。グッドウッドのやつはそこまで日本じゃ盛り上がってないのわかってたのに。誰の企画だったんスか?」
「スポーツ部よ。開幕戦で浦和と川崎が負けて関東の売り上げ落ちそうだから、裏一面を写真付きでなにか書いてくれってさ」
平田が一番窓際の島を指さした。
「んじゃあ、もう秋の展望に飛ばしますか。一応札幌記念終わるのを待ってから」
佐藤が盛岡第1Rを見終わり、スマートフォンを閉じてパソコンを立ち上げた。
「しばらくは古馬中心にしとけ。3歳はアストラヴェイルとリンガスマイセッサの牡牝3冠にしか興味ねえんだからよ」
「でも古馬って結局
「リヴェッティ、ジェリーホーネット、リッチセレクション中心で書けるだろ。ネベルメナースとリューノブレスは
リヴェッティは大阪杯と宝塚記念を危なげなく連覇していつの間にかGⅠ5勝馬となっており、今年いっぱいで引退が濃厚との話も入っている。
同じく今年のジャパンカップをラストランにすると表明したジェリーホーネットも目論見通りドバイシーマCを制覇しGⅠ馬の箔をつけた。
一方昨年のジャパンカップを勝ってから、相変わらず善戦するももどかしい競馬が続いているリッチセレクションは臺屋スタリオンの空きが出るかどうか待っている状態で、もう一つGⅠを勝てれば序列が上がるのだが、馬としてはこれ以上の伸びしろがなさそうな分、新路線に活路を見出す余裕はなかった。
サイヤーレも天皇賞春の出走取消からバイオリズムが整わず、札幌記念に出走する予定だが下馬評では本命視されない状況で、収得賞金の上ではラストランの有馬記念に出走できるかどうかすら怪しくなってきた。
西の情報を聞こうと佐藤が大阪本社の六角記者に電話をかけてみたが、特集できそうなのはマイルCSに出走するドメスティックギアと、ダート路線のサミットプレシャス、ビントゥーマニだけらしい。
昨年の有馬記念のあと、適性距離に戻してもドバイターフ、宝塚記念と大敗が続いたヴァルカリはいよいよ見放されたようであった。
『
「リューノブレスは?」
『もう無理やろ。有馬で燃え尽きたわ。エリ女ならホルプトゥトルクを推すで』
「ヴィクトリア(マイル)5着じゃないですか。まだGⅢも勝ってないのに?」
『寺尾一押しのメトロヴィーナスより上やぞ。そんでマイル向きやないわ。京都の長いところに出たら変わる』
昨年のクラシック戦線では騎手も戦法も定まらず苦戦したホルプトゥトルクだが、秋華賞をパスして臨んだカシオペアSを勝利しようやくオープンクラスでの賞金加算に成功。
そこから距離を伸ばしたり短縮したりとまた迷走しかけたが、年明けの睦月Sでオープン2勝目を挙げていた。
「んじゃあ、その辺で。あ、ネベルメナースはどうなん?」
『どうせ有馬一本やろ。
「ドメスティックギアとホルプ軸で、ダートちょっと盛り込んで1段通しで足りる?」
『写真無しでええなら余裕や。ホルプは気合入れて書いたるわ』
よし、と佐藤はスマホの通話を切ると、そのまま盛岡競馬の中継を開きながら昼食に出て行った。
【全報スポーツ】
~"アンベストネヴァー世代"最後の秋へ 競馬界を支配した5歳馬たち ラストラン迫る~
2036年の皐月賞を皮切りにここ3年間、アンベストネヴァー世代が中央競馬を席巻している。今年の春古馬王道路線でも大阪杯と宝塚記念はリヴェッティ、天皇賞春はネベルメナースと同世代の5歳馬が勝利。それだけではなくドバイシーマCでもジェリーホーネットが勝利するなど、東西において現5歳世代が支配を強めている。
しかし彼らも「第二の馬生」に進む時が近づいている。まずはジェリーホーネットが今年のジャパンカップをラストランとすることが発表された。さらにはリヴェッティもラストランは決定していないものの、連覇を賭けた秋の天皇賞を一区切りにすると表明。
そして世代代表アンベストネヴァーも年内の引退を決めた。昨年のジャパンカップを制したリッチセレクションも、状況次第では年内の引退も囁かれている。
ジェルディサヴォアやネベルメナースは現役続行が基本線と見られているが、東高西低に終止符が打たれる日は近い。
・関東勢中心のリヴェッティ ラストランは香港か
昨年と同じローテーションで順調にGⅠ勝利数を積み重ねているリヴェッティ(牡5)。大阪杯と宝塚記念を連覇し、2年連続の年度代表馬獲得に向けて視界は良好だ。ジャパンカップと有馬記念では距離の壁に阻まれており、得意距離の天皇賞・秋をラストランとする選択肢も浮上したが、海外GⅠの箔を付けに香港カップをラストランに選ぶ可能性が高い。
天皇賞秋の連覇を阻む最右翼はサセックスS連覇を果たして凱旋するシビアレコード(牡4)だ。マイル路線への転向はせず、秋は天皇賞からの再始動が有力視されている。
同じく天皇賞秋からの始動、そしてジャパンカップでの引退を表明しているジェリーホーネット(牡5)は、あくまで天皇賞は叩き、目標はジャパンカップ一本。2つ目のGⅠタイトルで引退の花道を飾れるか。
リッチセレクション(牡5)も引退は近いようだが、馬も主戦の中村春も相変わらずマイペース。宝塚記念では無理な仕上げはせず、秋に向けて英気を養っているところだ。安定感は抜群だが爆発的な瞬発力に欠ける同馬は、種牡馬に上がる道を模索しながら秋古馬三冠路線に出走予定。衰えはなく、今年も三連軸としてありがたい存在だ。
ジェルディサヴォア(牡5)は現役続行が濃厚。今年は凱旋門賞への出走を表明し、現在はアイルランドのマカロフィ・ファームにて放牧中。凱旋門賞へ出走する場合、検疫の日程上有馬記念への出走は不可能となるため、来年の天皇賞・春でネベルメナースとの再戦を待つ。
・ダートは西から。牝馬も妙味アリ
西にもラストランを控える5歳世代がいる。マイルGⅠ3勝を誇るドメスティックギア(牡5)だ。今年は安田記念を勝利し、予定通りマイル春秋連覇を賭けてマイルCSに向かう。ラストランは香港マイルを予定しているが、輸送に難があるタイプなだけに地元のマイルCSで現役を終える可能性も高い。
ジュライロンド(牡4)とブラッドギア(牡4)は昨年の秋から現5歳世代に挑むも全て跳ね返されており、先輩たちの引退を待つ方が賢明かもしれない。
牝馬はリューノブレスの状態が上がってこない。昨年の有馬記念を制したが、今年に入ってから京都記念、阪神牝馬S、ヴィクトリアマイルと3戦連続の着外。宝塚記念を回避し放牧中だが、年内での引退が確定している中、復調は遠そうだ。
対して関西TM・六角がイチオシ印を打ったのがホルプトゥトルク(牝4)。クラシック戦線では爪痕を残せなかったが、重賞路線から離れて睦月Sでオープン2勝目を挙げた。ヴィクトリアマイルは5着に敗れたが、「マイル向きではなく、京都の長いところで変わるはず」との評価。父エルドボルグも安定感があるオールラウンダータイプだっただけに、距離を伸ばした京都の外回りで真価を発揮する。
ダートは相変わらずサミットプレシャス(牡6)とビントゥーマニ(牡6)がしのぎを削っている。マイル以下の争いになればリズムアニング(牡6)やスマイリングスルー(牡7)がそれに加わってくるが、今のところBC挑戦を表明している陣営はおらず、南部杯やJBCでの激突が控えている。
(文・佐藤)
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8月7日の土曜日、谷地オーナーは珍しく中京に来ていた。
時間は17時を回り、まもなく18時になるところ。
目当てのレースは中京6R、2歳の新馬戦である。
2027年からこの時期の中京開催は15時以降の7レースのみとなっており、新馬戦は最終レース近辺に組まれている。
ジェルディサヴォアやシビアレコードが出走するときは基本的にパドックに降りてきた谷地も、さすがに暑すぎると、馬主席でのんびりコーヒーを飲みながら奥のモニターを眺めている。
日は傾いているとはいえまだまだ窓際は暑かった。
今日出走するのは熊田厩舎に預託したメイビスミル。
今日は札幌競馬場でGⅢエルムSがあり、トップジョッキーは避暑も兼ねて札幌に行っているが、それでもリーディング上位の騎手も何割かは中京に来ている。
そんな中で熊田がメイビスミルの鞍上に起用したのは障害を中心に騎乗している20代半ばの
メイビスミルは18頭中の13番人気で、谷地もさすがに今日は勝てないだろうと思いながら、万が一にもデビュー勝ちを収めてしまった場合口取りに馬主がいないと示しがつかないということで、新馬戦だけは見に来ていたのである。
(どうせなら見習い騎手に乗せてやればよかったのに)
谷地はゲート裏で輪乗りを始めたメイビスミルと十河の姿を中継モニターで見ながら思った。
あいにく熊田厩舎には今年デビューした新人騎手はいないが、3年前にデビューした見習い騎手は1人所属している。
十河騎手は熊田厩舎の所属ではないのだが、十河の父の縁もあって厩舎の障害馬には何度も騎乗しにきており、その折に、
「たまには平地で乗ってみないか」
と、声をかけたのである。
メイビスミルはデインヒル系のコップル産駒であるから坂路でゴリゴリ鍛え上げる必要もない。
むしろトラックコースで柔軟性を高めるようなトレーニングを中心にしてほしいと谷地から要請されており、その成果を確認するには中京競馬場はちょうどよかった。
母はティズナウ直系の肌で、谷地が米国のファシグティプトン・デジタル・オクトーバーセールで現役のうちに5万ドルで落札し、そのまま引退させ日本に連れてきた経歴を持つという、今どき日本では珍しい完全な外国馬血統である。
アメリカ産牝馬なのにミスタープロスペクターやブラッシンググルーム、ヘイルトゥリーズンの一滴も入っていないという、骨董品どころか地面を掘り返して見つけたような血統背景であるが、コップルの極端なミスタープロスペクターやデインヒルを薄めるにはちょうどよかったのである。
その甲斐もあって、メイビスミルは日本競馬の400m前後の直線でもなんとか伸びきるだけの持続性は確保できた。
コーナーと急坂には強いので主戦場は中山になるだろうが、中京でも十分対応できるはずだ。
メイビスミルはスタートでやや後手を踏むと、そのまま後方待機かと思いきや3コーナーで一気に前に進出していった。
コーナーワークの安定感で膨れることなく先行勢に取りついていくと、4コーナーを抜けてから前方に固まる上位人気勢にジリジリと詰め寄っていく。
最後の坂を迎え、先行勢の脚が止まる中、逆に加速するようにメイビスミルが伸びる。
「ええ?マジ……?」
モニターで見ていた谷地が急いで最前列に戻った。
いくら中京1400mは前付けが基本だとは言え、この展開でここまで来るとはさすがに想定外であった。
残り200mの標識を通過して、坂が終わる。
最後まで突き抜けるかと思った次の瞬間、メイビスミルの力が抜けたように減速、十河が左ムチをいれた。
確かに上り坂には強かった。
だが、やはりトモの持続力はまだ成長しきっておらず、坂を登り終えたと思った先に待つ、平坦になりきらずに続く軽い上り坂で限界を迎えたのだ。
なにより、3コーナーから進出するという強引な競馬をしたことで、息が入っていなかった。
(障害レースの乗り型なんだよあれは)
谷地はひとつため息をつくと、7着に終わったメイビスミルを迎えに、下に降りて行った。
レースシーンでは2回ぐらいしか登場していないのに、ジャストフォーカスに次ぐ本編古参勢のドメスティックギア。
次回7/19(日)を予定。
10年以上先の話なので、現種牡馬や繁殖馬で血統作るのが難しくなってます。
クロワデュノールやミュージアムマイル世代ですら、この時代の2歳馬をつくるには13歳での種付けになりますからね。
ドウデュースやイクイノックスは17歳。