ジェルディサヴォアをアイルランドのマカロフィ・ファームに預け、シビアレコードとリンガスマイセッサだけが先に帰国した。
山元トレセンで3週間の隔離期間に入ったが、検疫厩舎は他馬と接近しないよう隔離された位置にあるものの、検疫中の馬同士の馬房は同じ棟の中にある。
分厚い壁で全周を覆われているためお互いの姿は見えないが屎尿の臭いは届き、隔離期間終了が近くなる8月下旬までリンガスマイセッサのは何度も
競走馬の種付けシーズンは4月から6月であるのと、春のクラシック時において"
イギリスでは緯度が高く8月に入ると急激に日が短くなるため、グロリアス・グッドウッド開催が近くなるころにはリンガスマイセッサの発情は一旦落ち着いていた。
しかし日本に帰国した途端シーズンが1か月ほど伸び、再び発情期に入ってしまったのだ。
9月に入りようやくメラトニンの分泌が増えたことで発情も落ち着き、最後の1冠に向けて調整が再開されたが、ここにきて井野調教師の懸念が的中してしまった。
やはりガレきったうえで海外輸送させ、調子が戻ったとはいえそこから急激に負荷をかけ、ナッソーSで極限まで脚を使った反動が出てきたのだ。
「ソエかあ……」
中村学厩務員の報告を聞いた井野が口をとがらせた。
「ちょっと長引きそうか?」
「いきなり馬場の環境が変わったんで、未知数というか」
「紫苑S、無理だな。タイムも戻ってきてないのになあ……」
「あとちょっと首の筋肉もほぐさないとダメですね。寝違えてますわ」
とりあえず馬診に連れて行くことになり、井野は谷地オーナーにも経過の連絡を入れた。
今回に関しては谷地オーナーの強引な予定変更が招いた結果でもあり、一言物申したい気分であった。
その谷地オーナーはジェルディサヴォアの様子を見にフランスに行っていた。
単身での移動ということで、井野や寺尾記者にはあれほどビジネスクラスを振る舞っておきながら、自分だけが乗るときはエコノミークラスを使うのがなんともケチくさいものである。
ジェルディサヴォアは自身2年ぶりにシャンティイのアーネスト・マカロフィ厩舎に入厩していた。
今日はフォア賞当日。
ジェルディサヴォアは凱旋門賞直行だが、アンベストネヴァーがステップレースとして出走しており、一応出資者という名目で、谷地はマカロフィ師を伴ってロンシャンに見物に来た。
今どき凱旋門賞に行くために格下のステップレースを使う陣営は少なく、愛チャンピオンSやヴェルメイユ賞などのGⅠから凱旋門賞に臨むのが一般的だ。
フォア賞の出走メンバーもそもそも凱旋門賞に出るかどうかすら怪しい低レベルなメンバーで、アンベストネヴァーがノーステッキで3馬身差の勝利を収めたところで、なんの参考にもならないのであった。
レース後、アンベストネヴァーを管理する千石調教師と面会をした谷地は、今後について軽い打ち合わせを行っていた。
「相変わらず追い切りではジェルに馬体ぶつけていましたが、影響はなかったですか?」
「いや、いつもすみません。おかげで手前替えもスムーズになっていますよ。当日はよろしくお願いします」
谷地の言葉に、千石も苦笑いをしながら帽子を取って頭を下げた。
アンベストネヴァーも他厩舎ではあるが同じシャンティイ調教場で調整を進めており、大抵はジェルディサヴォアと併走である。
アンベストネヴァーがすっかり気分よくなって体当たりをしてくるのはいつものことで、100kg近い馬体重差でジェルディサヴォアがそれを跳ね返すのもいつものことだ。
これをやると、アンベストネヴァーの手前替えがスムーズになってくる。
「で、申請は千石センセイの方からお願いしますよ。来週までには提出したほうがいいかもしれません。ウチからの代理人が必要ならマカロフィセンセイにお任せしますので」
谷地の隣でマカロフィ師が軽く頭を下げた。
「しっかり仕上げてくださいよ。ネヴァーが来なければ、ジェルがそのまま逃げ切りますからね」
谷地と千石、そしてマカロフィが三人で握手を交わした。
凱旋門賞まで1ヶ月あるので、谷地は一旦帰国する。
海外に慣れきったジェルディサヴォアより、シビアレコードやリンガスマイセッサの方が気になるところであった。
そもそもシビアレコードはまだ次走が決まっていない。
天皇賞に行くか、ジャパンカップを中心にアルゼンチン共和国杯から行くか、あるいは京都大賞典から行くか。
「センセイ、レコード、間に合いそうですか?」
谷地が聞くと、井野はうーん、と唸った。
「レコードもリンガスも、ギリギリですねぇ……。急ピッチで仕上げてどうにかと言うところで」
リンガスもソエは落ち着きかけているけど、1週でも長く欲しいところです、と井野がボヤいた。
それを聞いた谷地が、ポンと手を打つ。
「じゃあ、1週延ばしましょう」
「え?」
「秋華ではなく菊花、登録しましょう。どうせ今まで一次登録から全部済ませてるんです。最終登録もやりますよ」
井野はしばらく固まっていたが、
「三冠ですよ?」
と、絞り出すように呟いた。
「牝馬クラシック三冠だと思えば悪くないでしょう」
日本競馬のクラシックはイギリスのクラシック競走に範をとっている。
イギリスにおける牝馬三冠は1000ギニー、オークス、セントレジャーであり、菊花賞に値するセントレジャーは牡牝両方による三冠目なのである。
当然日本もそれに倣い、秋のクラシック三冠目は菊花賞しかなく、秋華賞は1600mの桜花賞からスタートする牝馬にとっては酷だという理由で、後年につくられたGⅠ競走なのだ。
過去にはクリフジがダービー、オークス*1、菊花賞*2の変則牝馬三冠を達成しているが、当時の桜花賞こと中山四歳牝馬特別や、皐月賞こと横浜農林賞典四歳呼馬には出走しておらず、牡馬クラシック三冠にも、牝馬クラシック三冠にも名前は載っていない。
リンガスマイセッサが菊花賞を勝てば正統な牝馬クラシック三冠となるのだが、おそらく「変則三冠」扱いになり、報奨金も出なければ三冠記録にも残らないだろう。
谷地は寺尾記者が顔を出すのを待ち、特ダネと共に上手いこと煽ってくれと伝えた。
【全報スポーツ】2038年9月10(金)
〜リンガス秋華間に合わず 井野師「もう1週欲しい」〜
桜花賞、オークスを制し牝馬三冠にリーチをかけているリンガスマイセッサ(牝3・井野)は帰国後に発症したソエの影響により三冠目の秋華賞への出走を見送り、1週後の菊花賞(京都・芝3000m)に照準を合わせる。
管理する井野師は「1週間でも余裕があったほうがいい。万全とまではいかないかもしれないが、距離は確実に向いている」と、勝負気配を窺わせた。
菊花賞には当然二冠馬アストラヴェイルも出走が決定的となっており、今年の「クラシック三冠馬」の称号を持ち得るのはどちらか1頭に絞られることとなった。
谷地義弥オーナー
「(菊花賞挑戦は)私から提案した。牝馬三冠も惜しくはないが、菊花を勝てば“正統な”牝馬クラシック三冠だから」
進藤誠紅騎手
「僕は3000mの経験がないので、急いで勉強します。まだ乗せてもらえるかは決まってませんが…」
〜ローズS直前情報 注目馬最終追い切りタイムと陣営コメント〜
・フルールバロネス ↗
栗東CW 6F82秒4-11秒7
オークスでは距離に泣いたが、1800mなら見直し。
「立て直して馬は良くなっている。ここで気持ちを戻したい」
・ノエラニ ↑
栗東坂路4F51秒9-11秒6
終いの脚は堅実。阪神外回りで流れが向けば浮上も。
「馬体が減らなくなった。しまいを生かす形なら」
・ヴェルソワール ↘
栗東CW 6F83秒6-12秒3
前走は古馬相手に3着、相手強化でも侮れないが最終追いはやや反応鈍く。
「前走の内容は悪くない。今週はもう少し鋭さが欲しかった」
・オッカインパクト →
栗東坂路 4F53秒0-12秒2
末脚の質は当然上位。伸びやかな走りで順調をアピール。
「秋になって体がしっかりした。使ってさらに良くなる」
・ペルフェツィオーネ ↗
栗東CW 5F67秒8-11秒6
条件戦を連勝し重賞初挑戦でも勢いは十分。
「相手は強くなるが、今の充実ぶりなら試す価値はある」
・ピュアカンタービレ →
栗東CW 6F83秒1-11秒8
夏を越して成長、相手強化で試金石となる。
「まだ良くなるはず。ここでどこまでやれるか」
・エスプリドリュヌ ↓
栗東CW 6F84秒2-12秒5
今回は動きに重さ残り、反応鈍く併せ遅れ。
「使いながら良くなってくれれば」
・パルトチェレステ ↗
栗東坂路 4F54秒0-12秒2
先行力が武器。早めに運べれば粘り込みも。
「本番へ向けて自分の形を作りたい」
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リンガスマイセッサが秋華賞に出ない。
井野厩舎の大本営ともいえる全報スポーツが1面記事で報じると、井野厩舎における囲み取材にはいつもの倍の記者が集まることとなった。
世論の方も、「また谷地のキ◯ガイが始まった」「楽に獲れたはずの三冠捨てるとかアホかな」「あまりにも無謀」など、アストラヴェイルの三冠を妨害する行為に対する非難よりも、さすがに無茶だという声が大きく、ソエによる理由付けは谷地の思惑通りにヒール扱いを中和してくれていた。
一方で「一強」が抜けた牝馬界隈は、2歳女王サミットジェダイト、桜花賞で僅差の2着となったフルールバロネス、距離が延びてから真価を発揮しだしたノエラニらが筆頭格の群雄割拠に陥った。
春のクラシック戦線では結果を出せなかった夏の上がり馬もこの面子であればつけ入る隙は十分にあると、最後の賞金加算や優先出走権の確保を狙いはじめたのだ。
この時期は東京と阪神の2場開催であり、レース数自体が少ない中2勝クラス以上のレースは直前の登録が相次ぐ。
芝ダート問わずほぼ全レースがフルゲートとなっており、トップジョッキーは連日、午後のほとんどのレースに休みなく駆り出される事態となった。
そんな中で開催された、秋華賞への最大のステップレースであるローズS。
早速フルールバロネスとノエラニ、オッカインパクトが激突することとなったが、賞金面では余裕があるフルールバロネスとオッカインパクトに対して、1勝クラス以降賞金の上積みがないノエラニは前日の土曜日にもCウッドで前日追いを施された。
陣営はもともと、
「ここを落としたら自己条件から」
と割り切っていたものの、金曜の朝刊でリンガスマイセッサが秋華賞を回避するという発表を知り、急ピッチで負荷を追加し、全力で優先出走権を奪いに来たのである。
それでも一番人気は混戦ながらフルールバロネス。そしてノエラニ、オッカインパクトと続いた。
レースはパルトチェレステが先手を奪うと、逃げ馬不在の中でも比較的淡々と流れて行く。
いつもは番手を取っていたフルールバロネスは、プレッシャーとマークをできるだけ逸らすよう中団の外目に控え、逆にノエラニの方が先行勢に取りついて前に行く形となった。
馬群が縦に散らばったまま直線を迎え、パルトチェレステが一気に突き放して3馬身のリードを取るが、坂の手前から加速したノエラニが赤子の手を捻るように先頭を奪うと誰もがその瞬間に勝利を確信した。
一方のフルールバロネスは先行したノエラニに突き放される格好で坂の手前で脚が止まり、同じように上り坂で脚が上がったパルトチェレステに一度並びかけたものの抜ききれず、逆に大外から堅実に脚を伸ばしたオッカインパクトに最後交わされて4着に終わった。
但し先述したように、桜花賞2着のフルールバロネスとチューリップ賞1着の実績があるオッカインパクトは収得賞金によって本番の秋華賞には十分出走可能であり、一方のノエラニは優先出走権を確保できただけではなく、初の重賞勝利によって収得賞金を大幅に積み上げることに成功し、秋華賞の後も放牧には出さずジャパンカップかエリザベス女王杯も狙いに行くと調教師は語った。
次回25日
※騎手変更のお知らせです。
鷲頭虎太騎手、2026年をもって引退のため、第61話(急展開)、8番セッツビッグバンは松井龍飛騎手58,0kgから、守道晋騎手58,0kgに変更となっています。
ご注意ください。
エルドボルグが無事新馬を勝ったから、ホルプトゥトルクの首の皮は繋がりましたと。
新馬戦からボロ負けしていたら種牡馬入りなんて夢のまた夢になる。
そしてヤマニンウルスが種牡馬入り。
良かったね富永オーナー。