久々に書き終えられたので本編前に投稿。
「インコース突けたらワンチャン無かった?」
「意外と前付けが多くてですね……。みんなタレてくるから捌けないんですよ」
オークスで5着に終わったリベと、ダービーに向けての打ち合わせが始まった。
リベはオークス前、
「東京レース場2400mの下調べに行ってきます」
と宣言して出走し、帰ってきた途端レース映像を観ながら擦り合わせを始めたのである。
「同志が予定通り引っ張ってくれるなら、最後のインコースを抜けると思うんですが」
「そのジェルはどこいったの?」
「校舎のトイレです。受業中もちょくちょくトイレ行くほどお腹壊してました」
「ダービー直前だってのに、なんか悪いもの食べたんじゃないよね?」
「寮のご飯しか食べてないですよ。外食にも行ってませんから」
あたしが木野トレーナーの方に目をやると、トレーナーは苦笑いをしながら肩をすくめた。
「東京レース場のレースが近づくとああなるらしいよ。精神的なものらしいけど、どうすることもできないからね」
火曜日にはダービーに向けてあたしと合同で取材受けることになってるのに、大丈夫かな。
「トレーナー、ダービーでインコースって狙えるの?」
木野トレーナーはうーん、と唸って腕を組んだ。
「オークスほどインコースに殺到することはないから、狙えないことはないけど。ネヴァーならシンプルに外でもいいんじゃない?」
リベが稼働させたプリンターが、3ページほどのプリント用紙を吐き出したところだった。
あたしとジェルの合同取材は火曜の放課後、すぐに行われる予定だったが、案の定ジェルがトイレに籠もってしまい、開始が20分ほど遅れた。
「申し訳ありません。どうも緊張が続いていて」
ジェルがハンカチで額の汗をぬぐいながら会見場に現れた。
まあ、一応皐月賞馬として主役になっているのがジェルだし、他の記者連中ならまだしも月刊トゥインクルの乙名史記者が代表質問者だから問題ない。
「やはりダービーとなると緊張しますか?」
「いえ、東京優駿そのものより、東京競……あー、レース場が苦手でして。あそこでのレースは勝てる気がしないもので」
ジェルとは皐月賞以降、ダービーを目標としたトレーニングを進めてきたが、坂路コースではいつもあたしが先着している。
「お話しできる範囲で構いませんので、それを克服する秘策などはありますか?」
あ、ジェルの奴、舌打ちしたな。隣にいるあたしには聞こえたぞ。
「とにかく飛ばして逃げる、それしかないでしょうね。天気予報見ました?今週1週間雨も降らず、間違いなくパンパンの良馬場ですよ。できる限りはやりますけど、とにかくコンディションが悪すぎます」
「不利な条件でも戦いを挑むというわけですね」
ジェルがチラッとあたしに目配せをした。
「クラシックの一冠を獲った以上、東京優駿も勝ちに行くのは責務でしょう。……まあ、先ほども言いましたように、一か八かでしょうが。ネヴァーさんの方が府中では強いと思いますが、簡単に譲るつもりはありませんから」
乙名史記者の目がキラリと光ったような気がしたその瞬間、ジェルがスッと耳を後ろに絞った。
「――素晴らしいです!!」
突然乙名史記者が叫ぶが、それを咎める人もいない。
他の記者連中は、また始まったよ、と言わんばかりの態度で手帳のページに目を落としている。
「困難な戦いにも迷わず身を投じる強い意思こそ、ウマ娘の――」
乙名史記者がなにか言いかけたところで、ジェルがハンカチを握って立ち上がった。
「すみませんが、お静かにお願いします。皐月賞の時もご配慮くださるよう申し上げたはずですが。……私は少々、中座させてもらいますので、今のうちにネヴァーさんの方に質問をお願いします」
一応ダービーに向けてチームとしての作戦は話し合っており、勝ちに行くのは当然だが、お互いを潰し合うようなことだけはしない、と、木野トレーナーに強く言われている。
八百長だとかサポートをしたとか言われないよう、こういう公の場でどういう言い回しをするか、なども取り決めているけど、ジェルの中座は演技じゃない。
トイレの方向に廊下を走っていく音から考えても、ジェルは限界に近いようだった。何が、とは言わないけど。
「それでは、アンベストネヴァーさんへの質問に移らせていただきます」
乙名史記者がひとつ咳払いをしたあと、あたしに顔を向けた。
「ジェルを出し抜く作戦ってなら何もない。普通に走ればあたしの方が有利だから」
同じ質問をされるのも面倒だったので、つい先んじて口を開いてしまった。
「そ、そうですか……。では、皐月賞から今日まで、日本ダービーで一着になることを目指して努力を重ねてこられたと思いますが、ご自身が一番成長したと感じるのはどんなところでしょうか?」
お決まりのような質問だが、あたしにとっては答えにくいことといったらない。
ジェルとリベが、ダービーなら勝てる、と常に言ってくれていて、それに従ってボンヤリとトレーニングをこなしてきただけだったからだ。
「本番を迎えてみないと分からない。目に見える結果が出ないと、胸を張って成長したとは言えないから」
木野トレーナーやジェルやリベと、どうやって会見を乗り切ろうかとひたすらリハーサルをした成果を見せる。
「普段は同じチームで支え合うジェルディサヴォアさんと、今度は世代の頂点を懸けて競い合いますが、そんな相手と同じダービーの舞台に立てることに、特別な喜びはありますか?」
長い。最後まで聞いていたら前半部分忘れたんだけど。
「えーと、さっきも言ったように、普通に走ればあたしの方が条件は合ってる。でも、敵はジェル1人じゃないから。競う相手は17人。それを忘れないで」
乙名史記者がまたボールペンを握る指に力を込め、一瞬の溜めを作った。
あ、これは来るな、と察したあたしは、少し耳を倒して顔を伏せた。
案の定お決まりの台詞を叫んだあと、何やら1人で盛り上がったように喋りだした。
ようやく誇張トークを終えたところで、ジェルが音を立てないよう小さくドアを開けて戻ってきた。
「早いね。手洗った?」
「もちろんです。もう終わりましたか?」
ジェルが壁際の方の記者席に目をやりながら聞いた。
乙名史記者の例の台詞が飛び出した後だったので、記者連中も小さく首を縦に振った。
恐らくいつもこの流れなんだろう。
ぞろぞろと記者たちが会見場を出ていく。
皐月賞を勝って二冠に臨むジェルがこの調子なので、肩透かしを食らったような雰囲気だ。
そんな中、最後まで会見場に残っていた、一番壁際にいた記者が、去り際、ジェルの前で何か聞きたそうに歩みを止めた。
「何か、聞きたいことが?」
さっきまであれほど不機嫌そうにしていたジェルが柔らかい表情で小声で聞いた。
すでに出て行った記者連中に聞こえないよう、その記者もほとんど唇を動かさないで、最後の質問をした。
「ジェルさん、正直に言って、体調はどうなんですか?ダービー、走れるんですか?」
はっきり言って、デリカシーがない質問だ。
ジェルが腹痛で下痢を起こしているのは明らかなのに、女子生徒の口からそれを言わせようとするのか。
でもジェルは肩をすくめて照れくさそうに小さく笑っていた。
「優駿、ダメかもしれません。下痢が治らなくて。食欲はあるんですけど、ここのところ強い調整もできなくなっていますから――」
天気予報の通り、快晴が続いた1週間。
東京レース場は日光を芝の緑が反射して目が痛くなるほど。
まだそこまで暑くもないいい天気なのだが、相変わらず朝からジェルがトイレにこもっている。
第5レースが始まるあたりで東京レース場に着いたのに、あれから2回ぐらいしかジェルの姿を見ていない。
そろそろ第8レースが始まるから着替えに行かないといけないのに。
スペシャルレート先輩がジェルの勝負服が入ったトランクケースを引いて、ジェルの控室に入って行く。
チラッと覗いたところ、本人はまだ到着していないようで、リベがジェルに、まっすぐ控室に来るようウマホでメッセージを送っていた。
そのリベはあたしの付き添い。
ジェルとリベ2人とも、ダービーを勝てるのはあたしの方だと言い張り、作戦班のリベはあたしの方に全力を注いでくれているわけだ。
ジェルの方には行かなくていいのかと聞いたら、
「あの調子じゃ逆立ちしたって勝負になりませんから。せいぜいバ群をほぐしてもらいましょう」
と、とんでもなくドライな返事が返ってきた。
「インコース、狙っちゃいましょう。同志には絶対に内側に倒れないよう伝えてますから」
「そんなにうまく空くの?」
「同志が逃げ宣言をしているので、フラフラになった同志から離れようとみんな外に行くはずです。そこで必ずチャンスが来ます。慌てて外に行こうとして真ん中に入ってしまうのが最悪だと思ってください」
リベがタブレットでタキオン先輩のデータを見せた。
「目下、一番の強敵と言えるのがタキオン先輩ですが、あまり脚の具合が良くないようで。4コーナーで3バ身後ろを目指してみるといいかもしれません。サトノクラウンさんとの勝負になれば、
あたしが顔を上げると、心配そうにタブレットに目を落とすリベの横顔が目に入った。
いつも当然とばかりにトレーニングメニューから目標タイムまで作り上げているリベの不安そうな顔を見るのは初めてで、あたしの方が逆に力が抜けた。
(まあいいや。負けたらジェルのせいにしよう)
リベの右耳をピン、と指ではじいて、ガウンを被った。
あたしにとって、ダービーの魅力とは。
賞金が高い。それだけだった。
クラシック登録とやらはこれが最後だし、このレースを勝てばしばらく遊んでいられる。
負けたとしてもジェルとリベ、木野トレーナーが次を考えてくれるだろうし、ダービーといえどそこまで気負うことはない。
ゲートが開くと、やはりジェルが飛び出していく。
ただ、皐月賞の時のように全速力でコーナーに突っ込んでいくのではなく、初めて並走した時のように、跳ねるようなリズムで最初のコーナーに入っていった。
あたしのマークはタキオン先輩。
リベが想定していたほど前に行くわけでもなく、3バ身後ろを走るあたしは結局いつものポジションに落ち着いた。
2コーナーを抜けて、バックストレッチの1/3ほどを通過したところから、ジェルがスピードを上げた。
そのまま前のランナーたちを引き連れて3コーナーに飛び込むと、あたしの前がパッと明るくなった。
リベの言った通り、ジェルが先行勢をほぐした結果、外に回るか内を突くか選択を迫られたあたしの前のランナー達は一斉に外に向かったのだ。
逆にあたしはインコースを狙い、外に回ったタキオン先輩を必死に目で追った。
同じインコースを狙ったクラウン先輩が少し前にいる。
ふと顔を上げて前の様子をみると、ジェルは最内ではなく、コースのやや真ん中辺りを走っている。
ジェルに釣られたランナーはジェルのどちらから抜いていこうか迷った結果、最もロスがないレーンに戻ることができなかったようだ。
4コーナーを抜ける瞬間、ジェルが苦しそうに尻尾を振った。
みんな、ジェルは終わったと思っただろう。
でもこれは、あたしとこっそり決めていたサイン。
ジェルの尻尾は振り回しているように見えて、一瞬、誘導棒のようにインコースを指した。
(わかった。外は任せたよ)
先にコーナーを抜けたクラウン先輩の後ろに張り付く。
スリップに入り、1つレーンをずらすと、前がきれいに開いている。
(それじゃ――ちょっと
クラウン先輩をスーッと抜いたが、まだジェルとタキオン先輩が前にいる。
(あれ、止まらないの?)
一瞬不安がよぎったその時、ジェルがガクッとバランスを崩し、ヨタヨタと数歩外にヨレて無理やり踏ん張ったのが見えた。
それを避けるためにタキオン先輩がレーンを変えたが、急な回避で逆に脚に負担がかかったタキオン先輩も崩れるように減速したらしい。
最後はあたしとクラウン先輩のスピード争いになったが、
さすがリベ。作戦、完璧だった。
ゴール後、振り向いてジェルの姿を探すと、1~2コーナーのコース端に蹲っているのを見つけた。
「ねえ、大丈夫?」
ジェルは下を向いたまま、小さく首を振った。
「ごめん、しばらくこのまま。マジで吐きそう……」
ジェルは口調が崩れるほど、余裕がない顔色だった
スタンドから木野トレーナーとリベが走ってくる。
当然、リベの方が速い。1ハロン10秒ぐらいだね。
「トレーナー!救急車!」
リベが叫んだ。
「うん。わかってる。でもアグネスタキオンのほうが先だ」
「あそこまでフラつくつもりはなかったんだけど」
マウスピースを吐き捨てて口の端から泡を垂らしながらジェルがゆっくり顔を上げた。
「直線に入ったら急に脚が軽くなって逆にバランスを崩した」
「
木野トレーナーがジェルの背中をさすった。
「GⅠで好走するようなウマ娘は、何かしらの爆発的な力を使うことがあるんだ。超一流のウマ娘はそれが起きるタイミングをわかっていて、それを中心にして作戦を立ててくる」
ジェルが小さく、固有スキルかあ、と呟いたのが聞こえた。
もう一台の救急車がコースの内側に停まると、救急隊員が担架を抱えて走ってきた。
「後始末は任せて。火消しはちゃんとやっておくから」
木野トレーナーが、担架に固定されているジェルの耳元で一言囁くと、隊員に向かって一つ頷いた。
「さ、ネヴァー、控室に戻ろう。ウイニングライブの準備をしないと。リヴェッティ、付き添いをお願いできるかな」
はい、と返事をしたリベがジェルのマウスピースを拾い上げるとそのままポケットに入れ、あたしに目配せをした。
結局ジェルはウイニングライブを欠席。
まあ、アイツ9着だったわけだからいてもいなくても変わらないんだけど。
控室にいるときにウマホにメッセージが来ていて、
『足に異常なし。脱水で点滴受けて帰ります』
と書かれていた。
ちょうど、最初の賞金の使い道として2週間後に行われる東京ドームの試合のチケットを抑えている最中だったので、メッセージの着信によって画面が切り替わってイライラした。
ウマ娘にタイトルホルダー登場によって、アンベストネヴァーの「総合格闘技モチーフ」がいきなり被りました。先にネヴァーのキービジュアル出しといてよかった。本家が後だよ~ってね。
そしてもう一つ、ルーラーシップがプレイアブルキャラとして登場しましたが、スタート時に発動する固有スキル持ちということで、ジェルの"ステータス依存でスタートスキルの発動を妨害する"覚醒スキル、「監獄収容」が見事にメタってます。
先に出したのジェルの方だから文句言わないでね、ということで。
ジェル、ネヴァー、リベのスキルに関しては、3歳時編「パッサパサの砂煙」と「中長距離は華やかに」をご参照ください。