「うっ、うううぅ」
唇を噛み締めて、一人のお嫁さんが涙を流す。
「うぅ……ひっぐ」
四十年という長い月日。その長い時間、旦那さんを、ルーデウスを守り続けたお嫁さん。
「ルーデウス、ルーデウス……」
ポツン、ポツン。
まるで雨みたいに、ルーデウスの身体に雫が落ちる。
死体は笑う。
亡くなった男の、ルーデウス・グレイラットの表情は、笑っていた。
「おやすみなさい。ルーデウス……」
人族最強になった今でも変わらない。
彼女は、たった一人の女の子として、まだ暖かい旦那さんの手を握る。
「私、ルーデウスのおかげで……」
もう泣かない。
赤い瞳を輝かせて、彼女はニッコリと笑う。
「すっごく、すーっごく、幸せだったわ」
その言葉に偽り無し。
だって、彼女の顔は、この時、泣いて、笑って、達成感に満ち溢れていたんだから。
物語が終わる。
そんな、終わりかけの物語で描かれるのは、幸せを享受した者の死後の世界の物語。
─────────────────────────
「うーん、疲れたぁ」
言葉と共に、俺は大きな伸びをする。
言葉がくぐもって、グーッと伸びたことで視界も細くなる。
心地良い。
身体だけじゃない。
心も、清々しくて最高だ。
「やぁ」
伸びをし終えた頃、俺の視界に映るのは神。
久々に会った、白い空間に浮かぶ神を名乗る男だった。
「久しぶりだな」
「うん、久しぶりだね」
奴の名はヒトガミ。
俺の恩人だった者で、友人だった者で、そして、俺の宿敵だった者。
奴の顔を見る。
幸せだった己の人生を思い浮かべ、自身の手を見つめた。
(あぁ、俺は、本当にルーデウス・グレイラットになれたんだなぁ)
自身の手。その手にシワは無い。醜い姿でもない。
その理由は……いや、言うまでもないな。
「この状況で笑うんだぁ。ふーん、君って、やっぱり可笑しい奴だね」
奴の言葉に、俺は自身の頬を触った。
その時気付いた。
本当だ、笑ってる。
俺は、俺の人生を思い出して、笑ってた。
「ふふ、ふふふ。自分でも笑ってることに気付かないなんてさ。本当に間抜けだね。そんな間抜けな君に、僕が教えてあげるよ」
「何をだ?」
俺はキョトンとした顔を見せる。
奴は、俺のそんな顔を見て、ニッコリと微笑んだ。
「君の人生が、どれだけ最悪だったかってことをだよ!」
奴は己を疑わない。
俺の最後は、神によって飾られることになるんだ。
─────────────────────────
最悪。俺の人生が最悪かぁ。
そうか、お前はそう思うのか。
「何が、そう思うだよ。思うじゃない、事実だ。僕は、お前を最悪に陥れたんだ」
そうか。どうしてそう思うんだ?
「ふふっ。良いよ、教えてあげるよ。まんまと僕に騙された君という存在に、神である僕が、真実を教えてあげるよ」
……
「まずは日記だ。過去転移してきたアイツもアホだよねぇ。僕なんかを信じてさ」
でも、すごいよな。
俺は、アイツが過去転移してくれたおかげで、家族と一緒に暮らせたんだ。
「相変わらず、君は頭がお花畑だね。アイツは、僕に騙されたのに、君にヒトガミは恩人だよとか話したんだよ?敵だとも気付けなかった。ロキシーの自殺は僕が唆したんだろうし、シルフィエットは、僕が使徒にした水神によって殺された。エリスも、僕が殺してみせた。君の希望は、僕が全て壊したんだ」
そうだな。それで、あの老人は二つの国を潰して、生きて、欲を出して、過去の俺に言葉をくれたんだ。家族を大切にしろって。
「……ちっ、もういいや。次はオルステッドさ。ここだよ。君が最大の過ちを犯したのは」
龍神を殺したことか?
「あぁ、そうさ。龍神は、僕の敵だからね。まぁ、アイツ如きが僕に勝てるわけないけどさ。敵というより羽虫だよ」
でも、俺に殺せって命令したよな?
それはどうしてだ?
「ん?まぁ、なんとなーくだよ。その方が面白そうじゃん。でも、アイツもアホだよね。君の存在に興味を示し、観察して、耐えに特化して、ロキシーの言葉を君から聞いて、揺れた。アイツが殺そうと思えば君なんて三秒で殺せるのにさ。アイツは、それをしなかった」
本当に、分からないことだらけだな。
なんで、龍神は俺を殺そうとしなかったんだろうな。
「ふふっ。もう君も死んだし、本当のことを言ってあげるよ。オルステッドはね、君の子供なんて殺さない。むしろ逆さ、君の子供とロキシーとの子供と手を組んで、僕を倒しにくるのさ。そして、まぁ、僕の唯一の脅威になるんだよ」
お前の脅威になる……
そうか、龍神も戦いながら気付いたのか?
それにしても、俺の子供はすごいんだな。
神であるお前の脅威になるなんてさ。
「論点をずらすなよ。君は、そんなオルステッドを殺したんだ。君は、世界の悪役になったんだよ」
世界の悪役かぁ。
「最悪だろ?君はやり直したはずの人生で、世界の悪役になったんだよ。君は、頑張ったはずの人生で世界を壊したんだ。ふふっ。どんな気持ちなのかな?」
気持ちかぁ。
悪役になった気持ち。
ふふっ。嬉しくはないけどさ、前の人生は死んでも誰も困らない人生だったけど、そうか、俺は、世界に影響を与えたのか。
「ちっ。なんだよ、絶望しろよ。あの時みたいに、昔みたいに絶望しろよ」
そうか、絶望か。しなきゃダメなんだろうけど……なんだろうな、なんか、お前と話してても微塵も思わないんだよな。
俺の人生が最悪だったなんて。
「良いよ、良いよ。じゃあ、もっと教えてあげるよ。君は、僕に勝ったと思ってるんだろ?君を殺せなかった僕を、敗者だと思ってるんだろ?」
いや、俺は負けたと思うよ。お前に。
「……は?」
全部は分からないけどさ、俺に闘神鎧を着せたのもお前の作戦なんだろ?ギースに騙されて、俺は着させられた。シチュエーションも完璧だったよな。北神なら、着なければ勝てない実力差だし、北神は油断するから俺が着る隙もある。
「……そうだよ、君は負けたんだよ。闘神鎧を着て、寿命が減った。君は、僕に負け続けた。ふふっ、今分かったよ。君が生きてるから、僕の脅威だったんだ。君のストーンキャノンは、物理を教えれば無詠唱魔術を使える君の子供たちなら簡単に操れる。でも、逆に言えば、教えなければ、前世の知識が無い奴は絶対に出来ない。寿命が減った君は、子供にストーンキャノンを教えきれなかった。なぁ、分かるだろ?君は、やり直したこの人生も失敗したんだよ」
随分と早口だな。そんなに焦るなよ。俺は負けを認めてるんだからさ。
お前の勝ち。俺は負けたよ。それは、俺も分かってる。
「ふふっ。やっと分かったみたいだね。お、今見えたよ。未来が見えた」
未来?
「うん、そうさ。前は僕が封印される未来も見えたんだけどねぇ。今は、違う未来が見えてるよ」
違う未来?
「君の子供が死ぬ未来だよ!子供も、孫も、君の子孫が全員死ぬ未来が見えてるよ!!!」
死ぬ未来か。でも、ララは、こう言ってくれたよ。
オルステッドを殺した俺に、間違った俺に、こう言ってくれた。
「ちっ。落ち着きやがって。もっと取り乱せよ。まぁ、良いや。なんて言ったんだい?世界の英雄になるはずだった君の子供は、なんて言ったのかな?泣き喚いた?パパ、私と戦ってと醜く咽び泣いたかな?」
いや、パパの努力は無駄にしない。そう言ってくれたよ。
「……ちっ」
安心してって。パパは間違えてないって。私が、パパは間違えてなかったって証明してみせるって。そう言ってくれた。
「……そうか、そうかよ。分かったよ。それで、君は、そんな言葉を信じるのかい?神である僕なんかより、そんな、ちっぽけな僕に殺される英雄のことを信じるのかい?」
いや、違うよ。
「……は?」
幸せだなーって思ってさ。
「は?」
だって、前世じゃ家族に見捨てられた俺がさ、沢山の家族に囲まれて、俺を慕ってくれて、その子供が俺の心配をしてくれて、俺の行いを継いでくれてるんだ。
「……」
継いで、継いで。俺を忘れないでいてくれる。
可愛くて、カッコいいお嫁さんが三人居てくれて、沢山の家族が俺を慕ってくれている。
……あぁ、そうか。ヒトガミ、やっと分かったよ。
「なんだよ、何が分かったんだよ」
俺はさ、すっごい嬉しかったんだ。
闘神鎧を着て、何も分からなくて、その死んだ方が楽だと思える地獄でエリスが助けてくれたことが。
「……」
俺はさ、すっごい楽しかったんだ。
エリスと、シルフィと、ロキシーと、子供たちと居たあの時間が、すっごい、すっごい楽しかったんだ。
「……」
ヒトガミが口を閉じる。
俺も一呼吸置いて、細い目でヒトガミを見つめた。
「なんだ、なんだよ。そんな顔で、僕を見るなよ」
そうか、お前は一人だったんだな。
「うるさい、うるさい。たかが50年。僕に比べたらちんけな時間しか生きていない奴が、クズなお前が、僕の脅威になったからって、僕をそんな目で見るなよ」
たかが50年……そうだな。でも、後悔はないよ。お前と違って、沢山の仲間に出会えたから。
「そんな言葉をかけるなよ。お前如きが、クズなお前が、僕にそんな顔を……『同情した顔』を向けるなよ」
俺は自身の指先を見つめた。
消え掛かっている指先を、俺は見つめた。
頬を上げて、思い出して、悲しみなんて微塵もない笑顔で、俺は消えていく身体を見つめる。
時間は、もう無いな。
「なぁ、ヒトガミ。最後に聞いてくれよ」
「……なんだよ。僕に罵声でも浴びせる気か?」
「いや、違うよ。全然違う」
ヒトガミは敵だった。それは分かってる。
日記では、俺を地獄の底に叩き落としたのだろう。それは分かってる。
でも、それでも、俺の幸せだった人生は何か一つ欠けてもダメだったと思うから。
お前が、ヒトガミが居なかったとしても、今、俺はこんなに笑えなかったと思うから。
最後に、お前に、この言葉を送るよ。
「俺、ヒトガミ。お前のおかげでさ……」
あぁ、良かった。転生して良かった。
だってさ、俺は、二周目の人生こんなにも楽しく……いや、違うな。こんなにも全力で『本気を出せたんだから』
さぁ、笑おう。
ヒトガミに、満面の笑顔を見せてやろう。
そして、この言葉を。
正真正銘最後の言葉を、ヒトガミに送ろう。
「すっごく、すっごく、幸せだったよ」
消えていく身体。俺は、その中でヒトガミを見つめた。
ヒトガミは爪を噛んでいて、唇を噛み締めてて、俺なんか見てないと思った。
でも、違う。この時、確かにアイツは、俺を見つめて、こう言ったんだ。
「……勝ち逃げ、しやがって」
人生は勝ち負けじゃない。俺は、そう思うから。
前言撤回はしない。勝ったとは言わない。
もう、ヒトガミのことも見ない。
ただ、真っ白な空間で、消えていく身体で、俺は笑いながら考える。
微笑みながら、こう思う。
『あぁ、ルーデウス・グレイラットになれて良かった』
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