闇に呑まれていた鬼の娘を500年かけて看病した仙人が、異国で恋愛小説の餌食に……   作:時代に遅れている

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 二ヶ月ほどお待たせしてすいません。
今回のお話はニーズに応えてないかもしれませんが、ご容赦ください。


伝説の鬼姫、戦場を駆ける

 あれから数日が経った。

 俺たちは北斗の南十字船隊に乗り、抵抗軍と幕府軍が激突する最前線――神無塚へと向かっていた。

 波を切り裂く船の音と、潮風が肌を刺す。

 神無塚――名の通り、どの神の加護も及ばぬ地。稲妻信仰も珊瑚宮信仰も影響力を持たない、ただ風と雷と血が吹き荒れる「神のいない丘」。

 戦の舞台としてはこれ以上に相応しい土地もないのだろう。

「おい、万葉。昨日からずっと調子が悪そうだがどうした、臆病風にでも吹かれたのか?」

 甲板に響く北斗の豪快な声。

「姉君……いや………その……不穏な風に吹かれて」

 万葉の答えはいつも通り淡々としていたが、その眼差しは普段よりも重い影を帯びていた。

「不穏な風? 一体なんだってんだ。アンタが恐れるほどの敵がいるのか?」

「いや、敵ではなく……むしろ味方で」

「はぁ?」

 その瞬間、万葉の視線が静かに俺へと流れた。

 胸の奥がざらりと波立つ。

「……万葉のやつ、一体なんだってんだ」

 思わず呟いた言葉は、潮風にかき消された。

 そのとき、柔らかな声が背後から届いた。

「蒼雲さん」

 振り返ると、珊瑚宮心海が立っていた。

「珊瑚宮」

「心海でいいです。……大丈夫ですか?」

「ああ、問題はない」

「本当に?」

 彼女の瞳は、まるで俺の心を覗き込むかのように澄んでいる。

 どう答えればいいのか分からず、言葉を探す。

「何を……アンタが頼み込んできたんだろう」

「いえ……あなたの戦場を見る目が……どうしてそんな……」

 胸の奥に押し込めてきた記憶が、不意に疼いた。

 炎に焼かれる民の声。助けられなかった命。

 そして……

「命は儚い……消えていい命なんてない」

 声が震える。だが、それでも言葉は止められなかった。

「それが……同族同士の争いでなら尚のこと」

「蒼雲さん……?」

 心海の声が、夜風のように柔らかく耳に触れる。

「……話した通り俺は俺なりに動かさせてもらう」

 それだけを言い残し、再びたたら砂の方角を睨みつけた。

ーーーーーーーーーーーーー

 

  一方その頃――。

 私たちは今、神無塚にいる。

 見渡す限り、荒れ果てた大地と黒く焦げた岩肌が広がり、潮と鉄の匂いが風に乗って鼻を刺した。

 まるでこの土地そのものが、長く続く戦の痛みを吸い込み、呻いているようだった。

 ……なぜ私たちがこんな場所まで来ているのか。

 きっかけは、あの「影」との戦いから何日も経った頃だった。

 蒼雲が……あの人が、姿を見せなくなったのだ。

 音沙汰ひとつなく、手紙の一通も寄越さない。

 いや、正確には――“他の女と話している”気配を感じた。

 

 別に……別に、他の女と話すくらい構わない。

 あの人はそういう人だし、誰かを助けるために動くのも分かってる。

 でも――手紙の一つくらい、あってもいいと思わない?

 どこに行くのか、無事なのか。

 せめて一言、「元気だ」とだけでも……。

 そんなことを思っている時だった。

 神子がふらりと姿を現し、いつもの調子で旅人に告げた。

 「海祇島の抵抗軍と合流し、協力せよ」

 ……海祇島。

 その言葉を聞いた瞬間、胸の奥で何かが弾けた。

 蒼雲――あの人が今いる場所。

 綾華もトーマも、慎重に考えるべきだと言っていた。

 けれど、私にとっては迷う理由なんて一つもなかった。

 これは、好機だ。

 彼に会える。

 彼を問いただせる。

 「どうして何も言わずにいなくなったの?」って。

 ……そんな思いを抱えたまま、私は旅人たちと共に最前線――神無塚へと足を踏み入れた。

 もちろん、止められた。

 「危険だ」「戦場だ」「まだ本調子じゃない」と。

 でも、そんなの関係ない。

 蒼雲に会えるなら、それだけで行く価値がある。

 それが――もし、連絡も寄越さずに話していた相手が“女”なら。

 ……尚更。

 それに、私だって無力じゃない。

 長い眠りとアビスの侵食されてたこともあって体はまだ本調子ではないけれど、少しずつ感覚は戻ってきている。

 影の部下が集団で押し寄せてきた時も、素手でどうにか出来た。

 ――だから、大丈夫。

 “なんとかなる”。

 夜風が頬を撫で、神無塚の空には灰色の雲が低く流れていた。遠くで鳴る雷鳴が、私の胸の内のざわめきを撫でるたびに大きくなっていく――まるで眠っていた不安が一枚ずつ剥がれ、空気の中に溶けていくようだった。

「おーい千代!」

パイモンの声は、暗がりに放たれた小さな灯火のように頼りないが確かに届いた。振り向けば、彼の顔はいつものように慌ただしく、でもどこか真剣だった。

「哲平が呼んでる。なんか前線が突破されそうだって」

前線が――。その言葉は、胸に冷たい石を落とされたみたいに硬く響いた。

「とにかく早く来てくれ!!」

――私は走った。脚は泥と岩を蹴り、雨風が唇を掠め、匂いは鉄と潮と血の予感を含んでいた。暗闇の中、灯りは少なく、星さえも怯えたように雲に隠れている。だが誰もためらわない。私たちは皆、同じ鼓動を持っていた。守るために動く鼓動だ。

ーーーーーーーーーーーー

「良かった……早めに来てくれて助かったよ」

哲平の声は安堵の糸が混じっていたが、表情は引き締まっている。前線の空気は、昼間の喧騒とは違い、重かった。人々の息遣いが短く、足元の土が眠りなく震えている。

「無駄話してる場合じゃないみたい。で、前線が突破されたってどういうこと?」

私の問いは短く、刃先のように真っ直ぐだった。聞きたいのは事実だけ。余計な言葉は要らない。

「それが俺たちが帰って来た時ゴローがいなくて、それで近くにいたこの人に話を聞いたんだ。」

旅人の声は平静を保とうとしていた。だが瞳には鋭い影が差し、何かを必死に飲み込んでいるのが分かる。

甲斐田龍馬が続きを話す。彼の口調には軍人らしい沈着さと、隠し切れない焦燥が混ざっていた。

「知っての通り状況が変わった。ゴロー様は今兵を連れて前線に出向いてる。」

「少し前、前線に突然幕府軍の増援が現れたんだ。それも九条沙羅が直々に兵を率いてな」

九条沙羅――あの子の名が出た瞬間、皆の息が一度止まった。あの薄い笹百合の面影を思い浮かべると、刃の冷たさが脳裏をよぎる。

「幕府軍の増援ってことはかなりの数が来たってこと?」

「そうだ、それに引き換えてこっちは――珊瑚宮様はもう何日も顔を出してしていない上に残してくれた兵法書『虎の巻』ももうすぐそこをつく」

言葉は重く、顎へと落ちる石のように冷たい。指揮書が尽きる、という事は戦術の引き出しが減ることを意味する。戦場では、一冊の本が命運を分けることだってある。

「非常に不利な状況だ……このままでは――」

甲斐田の続きは、空気を震わせるだけで完結した。

私の心は、ひとつの考えに針で突かれたように疼いた。撤退か、挽回か――選択肢はどれも苛烈で、兵たちの士気は脆いガラス細工のように見える。ひとつの出来事で砕け散る。

「撤退に敗北どちらにしろ兵士たちの士気が下がりかねないね。」

「そ、そうだ。」

甲斐田の声に同意しながら、私の中で何かが決まった。黙って指を咥えて見ることはできない。あの海辺で感じた、蒼雲の不在に対する不安と苛立ちと混じり合って、行動の必要性が確信へと変わった。

哲平が顔を上げる。瞳に小さな炎が灯った。

「僕たちも前線に行こう!」

その叫びは、粉々に砕けそうな希望を抱かせる火種のようだった。

「戦う力がある以上ここで黙って見てるわけにはいかない!」

その言葉は私の胸の奥で共鳴した。眠っていた戦士の血が、ゆっくりと鼓動を取り戻していくのがわかる。五感が研ぎ澄まされ、体の隅々まで温度が戻る。

「それには私も賛成、元々の予定に私たちはいなかった……防衛策に支障はないなら前線に加勢するのがいい」

私がそう言うと、周囲の視線が私に集まった。驕りでも衝動でもない。ただ、当たり前の選択だった。守るために拳を握るのは、私にとって生きる理由の一つだ。

パイモンが陽気にまとめの言葉を投げる。

「決まったみたいだな。」

その軽さが、緊迫した場に小さく風穴を開ける。皆の顔に、ほんの少しの緩みが生まれた。

「さぁ行こう!幕府軍の思い通りになんてさせるもんか!」

その声で、私たちは一斉に動き出した。馬具の金属が擦れる音、足元の砂礫が砕ける音、遠くで雷がまた一鳴りする。夜は深いが、私たちの足取りは確かだ。震える手で握った柄に力を籠めると、心の中の淀みが少しだけ薄れた。

蒼雲――あなたに会いたいという気持ちと、ここで人々の命を背負って立つという覚悟が、私の胸の中で混ざり合う。風が耳元をかすめ、私はただ一つの誓いを立てた。守る、と。私は前へ進む――その一点で、迷いは消えたのだった。

 

たたら砂――その名が示す通り、鉄の匂いが立ちこめる荒涼とした土地だった。

風が吹けば、砂鉄の粒が頬を打つ。肌を刺すその痛みが、これから始まる戦いの予感を告げていた。

丘の上に立つと、眼下に広がる光景に息を呑む。

無数の旗が風に翻り、槍の穂先が鈍く光を返している。

整然と並ぶ幕府軍の兵列。

その数は、圧倒的――まるで大地そのものが黒い波となって押し寄せてくるようだった。

「……これが、幕府の本気」

喉の奥が焼ける。

戦場の空気は鉄と血の匂いを混ぜて重く、吐く息さえ錆びつきそうだった。

そんな中、前に立つのは九条裟羅。

紫紺の衣服に身を包み、瞳はまっすぐに敵を射抜くように鋭い。

その姿は、戦の女神にも、あるいは嵐を呼ぶ天狗にも見えた。

「お前だけか……」

彼女の声は、冷たい刃のように空気を裂いた。

「私はてっきりお前らの“軍師”様に会えると思ってたが。」

一歩前に出たゴローの肩越しに、私は彼女を見据えた。

雷光が一瞬、空を裂く。光と影が彼女の顔を交互に照らし、表情の奥に宿る忠義の狂気を浮かび上がらせる。

「彼女には我々幕府軍もかなり手を焼かされた。抵抗軍がここまで持ち堪えたのも彼女のおかげだろう。」

彼女は軽く顎を上げ、まるで勝利を宣告するように言った。

「だがそれも終わり。すでに抵抗軍の底は知れた。これだけの戦力差、策略はもはや意味を成さない。」

その言葉に、ゴローは一瞬も怯まなかった。

泥と血に汚れた鎧を背筋で支え、瞳に宿る光だけで抗うように言い返す。

「俺は珊瑚宮を信じてる。俺たち抵抗軍の兵士たちを信じてる。」

「目狩り令は正しい道なんかじゃない。俺たちは抵抗をやめない!」

その声が、兵たちの心を震わせた。

一瞬、空気が変わる。雷鳴の音よりも強く、彼の言葉が大地に響く。

「あと、金髪の旅人と鬼族の娘を差し出せという提案はお断りする!」

雷のような沈黙が落ちた。

九条裟羅の唇が、ゆっくりと歪む。

「ほう。」

その目は、獲物を前にした鷹のようだった。

だが、恐怖ではなく誇りが胸に広がる。

ゴローはこの場で、一人の大将として立っていた。

 

彼の背に並び、低く、しかしはっきりと口を開く。

 

「抵抗軍は仲間を売ってはならない、それが珊瑚宮様が遥か前に決めた規則だ。」

 

私は一歩前へ出た。

 

「よく言ったね。それでこそ大将だよ。」

ゴローが振り返る。驚きがその顔をよぎった。

「お前たち……どうして来たんだ?」

「加勢に来ました!」

哲平の声が張り詰めた空気を打ち破る。

「俺たちも抵抗軍の一員」と旅人が続く。

私は微笑み、肩をすくめながら言った。

「うん、それに――幕府軍は私たちを捕まえるためにこれだけの兵を呼んだんだろうしね。」

ゴローが驚いたように目を見開く。

その背後で、九条裟羅の笑みが深くなる。

「ふっ、流石だな。」

「お前たちが抵抗軍に入ったのは、彼らを後ろ盾とするつもりだと思っていたが……」

その声音は冷たいが、どこか楽しんでいるようにも聞こえた。

「まぁいい。将軍様に逆らう者にはそれ相応の罰を受けてもらおう。今なら罰を軽くできるかも知れないぞ?」

私の中の炎が、音もなく燃え上がった。

あの将軍の冷たい瞳が脳裏をよぎる。

命令と忠義、支配と恐怖――彼女はそれに縛られている。

哀れだと思った。だが同時に、怒りも覚えた。

「そんなので私たちを脅してるつもり?」

私は静かに言葉を紡ぐ。

「私たちはすでに、あなたたちが尊敬してやまない将軍の“天罰”を受けてるの。今さらそんな脅し、聞くわけない。」

雷光がまた閃いた。

その瞬間、沙羅の目が細くなった。

私の声に反応しているのが分かる。

風が鳴り、砂が舞う。戦の始まりを告げる合図のように。

「それに――」

私は一歩、彼女へと近づいた。

「将軍の誤った判断を止めるのも、忠臣の役目だと思うけど?」

九条裟羅の眉がわずかに動いた。

雷鳴が、彼女の沈黙を断ち切る。

「……罪人の説教など聞く耳を持つまでもないが――」

彼女の声が低く落ちる。

そして、まるで獲物を仕留める直前の猛禽のように、口角が吊り上がった。

「そうだな。提案がある。」

その目に宿る光が、雷光よりも冷たく鋭かった。

「今回の――『陣前比武』、お前たちが抵抗軍の代表で出陣するというのはどうだ?」

 九条裟羅の声が、静まり返った戦場に響いた。

 その響きはまるで雷鳴の予兆。空気が震え、兵たちの息が止まるのが分かる。

 彼女は余裕の笑みを浮かべながらも、瞳の奥では明らかにこちらの反応を観察していた。

 挑発か、それとも罠か。どちらにせよ、言葉の裏には必ず意図がある。

「陣前比武…?」と、パイモンが首をかしげる。

 その無邪気な声が、ほんの少しだけ張りつめた空気を和らげた。

「陣前比武ってのはね、」と私は息を吐きながら答える。

「戦いが始まる前に、両軍の精鋭が一騎打ちをする儀式のこと。

 いわば、戦の“前口上”みたいなものだよ」

 言葉を重ねながら、私は九条裟羅の目を見た。

 その視線には、ただの形式を超えた何かが宿っている。

 ――彼女は、これを「余興」ではなく「狩り」として楽しんでいる。

 ゴローが低い声で続けた。

「その通りだ。優勢な方にとってはあまり意味がないが、劣勢の立場であれば士気を立て直す絶好の機会になる。」

 彼の声が震えていたのは、恐れではなく緊張のせいだ。

 背後に控える兵士たちは皆、顔をこわばらせながらも、言葉の意味を理解しているようだった。

 戦況はすでに幕府軍が圧倒的。こちらには戦う力があっても、勝利の兆しは薄い。

 だが――もし、この比武で勝てば。

 わずかな希望が、炎のように兵たちの胸に再び灯るかもしれない。

 私は唇を噛んだ。

 裟羅の目的が見えている。

 あの女は、陣前比武という名のもとに私たちを戦場へ誘い出し、確実に捕らえるつもりだ。

 あの冷たい目――それがその証拠。

 だが、それでも構わない。

 彼女が仕掛けるなら、受けて立てばいい。

 この場で引けば、兵士たちの心が折れる。

 戦う覚悟を示さなければ、誰も信じてついては来ない。

 九条裟羅の唇が微かに上がった。

 まるで獲物が罠にかかるのを待っているような笑み。

 だが、罠と分かっていても――踏み込むしかない時がある。

……つまり、乗らない手はないってこと

 

 風が頬を撫で、砂を舞い上げる。空には灰色の雲。遠くで雷鳴が鳴った。

 嵐の前の静けさ。胸の奥で、鼓動がひときわ大きく響いた。

 旅人が一歩前に出た。

 その瞳には、迷いが一片もない。

 まっすぐな光――それはどんな闇よりも強い。

「分かった、やろう。」

 その瞬間、戦場の空気が変わった。

 風がうなり、旗が鳴り、兵たちの目に再び火がともる。

雷光が走り、空が裂けた。

 戦いの幕が、静かに、上がった。

 一戦目は旅人と、幕府軍の藤田三四郎。

“槍の鬼藤田”と呼ばれるほどの槍の名手だと聞いたけれど――結果は言うまでもなかった、

旅人は、風のように動き、岩の如く重く、雷のように斬り伏せた。

観客の息が止まり、次にざわめきが上がるまで、ほんの一拍の静寂があった。

勝負は一瞬だった。まるで始まる前から結果が決まっていたかのように。

そして――私の番が来た。

足元の砂が、かすかに風に揺れた。

その一粒一粒が、心の奥の緊張をあぶり出すようにざらりと音を立てる。

私はゆっくりと舞台の中央へ歩み出て、相手と向かい合った。

高坂和泉。

全身を甲冑に身を包んだその姿は、まさに武人そのもの。

瞳は鋭く、油断も慢心もない。

その一歩一歩から伝わってくる殺気が、肌を刺すようだった。

「我が名は高坂和泉――九条家の懐刃。」

その名乗りの声が、冷たい刃のように空気を裂いた。

ならば、こちらも応えなければ。

名を隠して戦うつもりはない。

逃げても隠れても、私が歩んできた道は変わらないのだから。

私は息を吸い込み、まっすぐに前を見据えた。

「私は千代……お家断絶を受けた神輿家の元当主。」

「あなたたちに馴染みがあるのは、“虎千代”の方かな?」

その言葉を口にした瞬間、周囲がどよめいた。

ざわめきは波紋のように広がり、兵士たちの顔が驚愕に染まっていく。

「御輿家の千代って……あの、魔物の虎を腹から掻っ捌いて出てきたって伝説の?」

「九条家の指南役の岩蔵家って、御輿家の血筋だろ……?」

人々の声が交錯する。

噂と伝承。恐怖と敬意。

そのどれもが、今の私の背中に絡みつく。

でも、構わない。

今さら誰に何を言われようと、私はもう逃げない。

遠くから、哲平たちの声が聞こえた。

「虎千代って男じゃなかったのか?」

 

「伝承が捻じ曲げられたんだな……」

 

パイモンが慌てたように叫ぶ。

「おい千代!そんなこと名乗って大丈夫だったのか!?せっかく蒼雲たちが隠してくれたのに!」

私は微笑んで、少しだけ視線を落とした。

「今じゃ、ただの千代でも虎千代でも“謀反人”だよ。

 それに――彼らは裏切らないんでしょ?」

パイモンは口をつぐみ、代わりにゴローが力強く言った。

「もちろんだ!たとえお前が伝説の悪鬼だとしても、今は俺たちの仲間だ。安心して戦ってくれ!」

良かった、安心して戦える。

高坂和泉が、刀を軽く抜き、光を弾いた。

「指南役の先祖と手合わせできるとは……光栄だ。

 お前を将軍様の前に引きずり出したあと、九条家の門にその首を飾ってやろう。」

その口調は、まるで決まった勝負を告げるような自信に満ちていた。

私は小さく鼻で笑う。

「自分が倒されるとは思わないなんて……」

刀に手を添え、静かに構える。

「結構な自信家だね。」

空気が一瞬にして張り詰めた。

風が止まり、旗が揺れる音すら消える。

その場に立つのは、ただ二人の武人。

互いの呼吸の音が、雷鳴よりもはっきりと聞こえる。

次の瞬間、どちらが動くのか――

それを見届けるのは、たたら砂の空だけだった。

 

彼は大柄だ。鎧が陽をばら撒くように鈍く光り、胸板は岩のように張っている。腕の振りは大地を揺らすほど重く、一振りごとに風が刃に押されて砂が舞った。遠目に見ているだけで、私の腹には古い戦場の記憶がざわついた――あのときの重さ、あのときの音。

今の私には受け止めるなんて無理だ。そう直感が叫んだ。ならば、素早く動いて、隙を穿つしかない。

高坂は剣先を真っ直ぐに私へ向け、まるで杭を打ち込むように突進してきた。あからさまな姿勢を構えるなんて――私は薄く笑った。

「簡単に避けられちゃうよ。」

彼の目がほんの僅かに揺れた。そこに生まれた迷いの隙に、私の足は軽く滑った。刃の軌道をなぞるように、私は相手と同じ方向へ詰め寄り、去り際に刃先ではなく柄の付け根――峰の部分で一撃を入れる。柔らかく、だけど確かな衝撃が鎧を通して伝わってきた。

「な、なんだと……私の最速の突きを――」

高坂の声が風に掠れて消える。彼は自分の剣の美学を過信していた。速さを誇る者は、しばしば“速さだけ”を見て、相手の工夫や変化を見落とす。実力者同士の戦いでは、技の“見せ方”が戦術になる。私の一振りは、速度を無力化し、感情を揺さぶるための確かな言葉だった。

「最速だろうとなんだろうと相手にどんな技が出されるか知られたら対策されちゃう。それが実力者同士の戦いなら尚更、私の子孫は教えてくれなかったの?」

彼の顔が歪む。怒りと困惑が複雑に混ざり合っている。そう、挑発は効いた。大振りが来るのを待っていた私の罠が、あの一言で紐を引かれたように作用したのだ。

「ほざけ!」

高坂が怒声を上げ、再び大きく振りかぶる。大鎧の重みが、その刃の一振りに宿っている。だが、その“重さ”を利用してこそ、彼の技は最大の長所であり、同時に致命的な欠点でもある。私は中段に刀を構え、わざと彼の大振りに合わせて膝を落とした――地面を蹴るように、身体を低く滑らせる。刃の軌道の下をくぐりながら、柄頭をお腹に突き出す。

「グハッ!」

高坂の息が詰まる音が、木霊のように響いた。刃ではない、柄の鈍重な一撃。私は人を殺す気はない。蒼雲が人を〝殺さない〟と誓ったように、私にもこの場で命を奪う理由はないからだ。だが、相手の身体と意識を震わせるには十分だった。

彼が宙に舞い上がる。重装が不意に軽くなったような時間。私はそのまま勢いを殺さず、宙にいる高坂に追い打ちをかける。刀を流れるように振り、相手の顔面を掌で掴み、地へ叩きつけた。

砂が口元に舞い、空気が一瞬止まる。高坂は地面に転がり、鎧の間から血は見えないが、意識の端を掴まれたように痙攣している。彼の誇りは、今はただ泥にまみれている。

私は息を整え、周囲の視線を感じた。兵たちの顔は変化していた――嘲笑が消え、驚愕と、どこか遠いところで芽生えた敬意が混ざっている。私自身も、その反応に少しだけ心が軽くなった。戦いは技だけでなく、心を動かすものでもある。今日、この場で私が示したのは、ただの力ではない。生き残るための柔軟さと、相手を殺さずに屈服させる冷静さだ。

高坂はゆっくりと顔を上げ、私を睨むように見た。怒りと悔恨が交差するその瞳に、私は笑いかける。

「目が覚めて師範に会ったら言っといて。もう少し丁寧に指南しなさいって。」

彼は答えなかった。だが、その肩の震えが、今日の勝負の意味を無言で物語っていた。

の空気が、変わった。

つい先ほどまで、風は静かに砂を撫でていたのに――今はそれすら息を潜め、次に吹き荒れる怒号を待っているようだった。

焦げた鉄の匂い、湿った血の匂い、そして緊張に満ちた兵たちの息づかい。

神無塚の空の下で、鼓動のひとつひとつが戦の太鼓のように響いていた。

ゴローが前を見据えながら、拳を強く握りしめた。

「すごい、お前たち二人が勝ってくれたおかげで士気がどんどん上がってる……お前たちの“戦う”意思があいつらに影響を与えたんだ。」

その声には確かな誇りと、ほんの少しの希望が混じっていた。

私はわずかに笑い返す。

「まだ、本調子には程遠いけどね……」

足元の土が冷たく感じた。身体の奥にまだ、あの“眠り”の名残が残っている。

だが――戦場の熱が、それを上塗りしていく。

痛みよりも、鼓動の方が強く感じられた。

パイモンが私の肩のあたりで飛びながら声を上げた。

「それでもすごいぞ!」

その無邪気な言葉に、少しだけ胸が軽くなる。

 

しかし、すぐに空気が裂けた。

「流石にやるな……」

九条裟羅が前へ進み出る。紫電を孕んだその瞳は、まるで稲妻そのもののように冷たい。

「どうやらこのまま戦っても意味がないみたいだ。」

その声に、周囲の幕府兵たちがざわめいた。

彼女が弓をゆっくりと構える。その動作は、儀式のように静かで、同時に息を呑むほど美しかった。

「永遠の脅威となる全ての要素を排除する――それが将軍様の命令だ。」

そして、凛とした声が戦場に突き刺さる。

「兵士たちよ、かかれ!」

一瞬の静寂――そして轟音。

幕府兵たちが咆哮とともに前進した。鎧が打ち鳴らす音が波のように押し寄せ、足元の砂を震わせる。

雷が遠くで鳴り、まるで天がこの戦の始まりを告げる太鼓を打ち鳴らしているかのようだった。

九条裟羅が高らかに叫ぶ。

「常道を恢弘せしは、永遠なる鳴神なり――!」

その言葉に呼応するように、稲光が空を裂く。

紫の閃光が地を貫き、兵士たちの刃が一斉に煌めいた。

ゴローが咆哮を返すように声を上げた。

「どうやら戦いは避けられないようだな! 迎え撃つぞ!」

彼の声はまっすぐで、風を裂く。

「皆の者、俺に続け!」

その瞬間、兵たちの足音が轟き出した。

私は刀を構え、息を吸い込む。血と鉄と雷の匂いが胸いっぱいに満ちる。

この戦いは、逃れられない。

――私はここで戦う。

胸の奥に灯る火が強くなる。

私は柄を握る力を少し強め、前へ踏み出した。

 

戦場は、地獄そのものだった。

鉄と血が混ざり合う臭気が風に乗って鼻を突く。

叫び声、金属のぶつかり合う音、矢が風を裂く音。

どれもが耳を焼くようで、心の奥にまで沈んでいく。

前線は押されていた。弓に貫かれる仲間、刀に押し切られて倒れる兵、槍に突き刺されて血を吐く者。

そのすべてが――抵抗軍の一員だった。

目の前で仲間が倒れていくたび、胸の奥が焼けるように熱くなる。

怒りとも悲しみともつかぬその感情を、私はただ刀を振るうことで押し殺していた。

ゴローが弓を引き絞り、矢を次々と放つ。

その瞳は決して怯んでいない――だが、数が違いすぎる。

旅人も私も駆け回り、倒れかけた兵を守るように戦うが、

敵の波は途切れることを知らない。

「かかれ!」

九条裟羅の声が戦場に響き渡った。

その声に呼応するように、幕府軍の士気がさらに上がる。

雷光を背に、兵たちの動きが一段と速くなる。

砂が舞い、火花が散る。押し寄せる雷の奔流の中で、私は唇を噛んだ。

――このままじゃ、本当に負ける。

そのときだった。

地面から、泡が立ちのぼった。

ぽつり、ぽつりと。まるで水底から誰かが手を伸ばすように。

「雨……じゃない……?」

一瞬そう思ったが、空はまだ晴れている。

嫌な予感が背筋を走った――敵の策略か?

「これは……!」

ゴローの声が上ずる。

彼の視線を追って空を見上げると――そこに、いた。

蒼白い光を背に、戦場を静かに見下ろす一人の女性。

淡い髪が風に揺れ、夜明け前の海のように冷ややかな瞳が戦場を見渡している。

珊瑚宮心海。

彼女を見た瞬間、胸の奥がざわついた。

……この人が。

蒼雲に連絡するのを忘れさせるほどの仲になった女。

喉まで言葉がこみ上げたが、すぐに飲み込んだ。

今は――そんな感情を抱いている場合じゃない。

だが、理性で抑えても、心は静まらない。

何故だろう、彼女の存在そのものが私の中の何かを掻き乱してくる。

そんな私の動揺を知らずに彼女が声を放つ。

「お待たせしました、私の伏兵たち――今がその時です」

その瞬間、地面から無数の水の泡が弾け、

海祇軍の伏兵たちが姿を現した。

幕府軍の背後に回り込み、一気に押し返す。

一転して戦場の流れが変わっていく。

「よぉ、アンタやるじゃないか!」

豪快な声が響き、振り向けば北斗がそこにいた。

大剣を肩に担ぎ、笑いながら敵兵を吹き飛ばしている。

「北斗!? どうしてここに?」

「まぁ、色々あるのさ。傭兵代を出してくれるといいんだがな!」

彼女の剣筋は稲妻そのもの。頼もしさと荒々しさが同居している。

戦況は一気に好転した。

だが――まだ足りない。

幕府軍の大将、九条裟羅を落とさなければ、勝ちはない。

「北斗、ここは任せるよ!」

「お、おい!?」

彼女の制止を振り切り、私は刀を握り直して駆け出した。

雷鳴が轟く戦場を跳び越え、九条沙羅めがけて跳躍する。

その刹那――

「!」

視界から彼女の姿が消えた。

次の瞬間、背後から稲妻の閃光。

振り返った時には、彼女が弓を引き絞っていた。

矢先に雷が絡みつき、空気が焼ける音がした。

「しまっ――!」

放たれた矢は雷鳴のような速度で迫る。

避けられない。完全に間に合わない。

私は目を瞑った。

 

稲光が頬を照らし、焼けるような熱が肌を撫でる。

 




おまけ 旅人視点で

俺たちが状況打開に頭を抱えていると、物陰からその姿がぬっと現れた。金色の瞳は楽しげに細まり、口元は今にも物語を書き出しそうな笑みを浮かべている。
 「「『コソコソと状況楽しんでないで助けにこいや!!』」」
 「!?」
 軽く肩をすくめて、狐らしい笑みを深めた。
「なんじゃ、将軍にやられて落ち込んでおると思っておったら……元気ではないか」
 元気? そんな悠長な話じゃない!
 しかし神子は相変わらずの調子で、扇子で口元を隠しながら言う。
「まぁ良い。妾もこの状況についてのネタはたっぷり収集できた。あとは任せるがよい」
「で、アレは一体なんなんだよ?」とトーマが顎をしゃくる。
「アレとは?」
「あそこで海を睨みながら、紫色のオーラまとってる千代のことだよ!」
 神子は軽く鼻で笑い、答えた。
「あれは――嫉妬じゃ」
 俺は目を瞬かせた。
 嫉妬? 蒼雲の居場所も分からないのに?
 神子はにやりと笑い、視線を千代へ向ける。
「そんなに疑うのなら、聞いてみようかのう……。のう、千代よ」
「……………神子、何?」
「汝は何にそんな怒っておるのじゃ?」
「蒼雲が何の連絡もよこさず、他の女と会話してたから」
「ほらな」
 合ってたァァァァァ!?
 パイモンが慌てて割って入る。
「あ、でも蒼雲と会ってないだろ? どうしてそんなこと分かるんだよ?」
「女の勘」
 お、おんなの勘!? ……もう言葉が出ない。
 神子はさらに問いかける。
「して千代。蒼雲はどこにいるか、分かるのか?」
 千代はしばし沈黙し――低く呟いた。
「多分、海祇島の方」
「海祇島となると……」と神子が意味ありげに目を細め、トーマが続ける。
「抵抗軍の本拠地か」
 パイモンが小首をかしげる。
「抵抗軍って何だ?」
 そこへ綾華が落ち着いた声で説明する。
「先ほど千代さんがおっしゃった海祇島を統治している珊瑚宮によって設立された、反目狩り令の組織です」
 トーマも頷く。
「お嬢の言うとおりだ。海祇島の“現人神の巫女”珊瑚宮心海が組織し、今は部下のゴローが率いて幕府軍と交戦している」
 その説明の最中、なぜか神子が悪戯っぽい笑みを浮かべていた。
 ついさっきまでの真剣さは、どこへ消えたのやら。
「つまり目狩り令に対抗していて、お尋ね者の俺たちでも受け入れてくれるかもしれないってことか?」
「そうだな」
「だが、俺とお嬢は行けない。社奉行は抵抗軍と密な関係があるわけじゃない。互いに信用していないからな」
 神子はそこで、手を軽くたたきながら口を開く。
「そこでじゃ――お主たち、三人で抵抗軍に加わり、幕府軍と戦ってみらんか?」

「行く」

「え、?」

えぇぇぇ!!!?

稲妻篇が終わったら続きは何が良いか 選択によって稲妻篇の最後が変わる。

  • 璃月篇(海灯祭)※この話の本編
  • 引き続き稲妻篇
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