闇に呑まれていた鬼の娘を500年かけて看病した仙人が、異国で恋愛小説の餌食に…… 作:時代に遅れている
「……可愛い……」
不意に、隣から吐息のように甘い声が漏れた。
「……え?」
俺は思わず、声の主――千代の顔を二度見した。
――ドロン!
その直後、ぽんっという間の抜けた音と共に、小川のほとりに白い煙が弾けた。
風元素の淡い光と木の葉が舞い散る中、先ほどまでそこにあった丸っこい狸の置き物は跡形もなく消え去り、代わりに一人の小柄な少女が姿を現した。
ぽやっとした眠たげなベージュ色のショートヘア。頭には狸の耳と、その間に葉っぱが挟まった大きめのフードを被り、背中には丸い尻尾まで付いている。
袖の短い着物に黒い帯をきゅっと締め、両腕には長さの違うアシンメトリーな指なし手袋――片方は前腕まで、もう片方は肘までを覆っている。右足首にリボンを巻いた愛らしいサンダルを履き、左太ももの帯には、彼女の風のように自由で掴みどころのない気配を象徴するかのように、風の「神の目」が静かに瞬いていた。
「た、タヌキが人間になった!?」
パイモンが空中で目を丸くして叫ぶ。
「なんだこれ、蒼雲が龍になったみたいなやつか!」
「確かに似ているが、厳密には違う。俺の場合は、本来の姿に戻っただけだからな」
俺は冷静に訂正しつつ、少女の纏う気配に鋭い視線を向けた。
「しかし、すごいな……。人が狸の置き物に身を変え、完全に気配を絶つ。こういった高度な隠行(おんぎょう)の技は初めて見る」
仙術とは異なる、人間が長い歴史の中で編み出し、研ぎ澄ませてきた特異な術理。数千年を生きた俺の目から見ても、見事としか言いようのない隠密の業だった。
「拙は……タヌキじゃない……」
少女が、半分閉じたような瞳をこすりながら、消え入りそうな声で抗議した。
「はじめまして、ムジナちゃん?」
しゃがみ込んでいた千代が、春の陽だまりのように柔らかく、蕩けそうな声で少女に語りかける。
「「「え?」」」
俺と旅人、そしてパイモンの声が綺麗にハモった。
タヌキじゃないと言われた直後に「ムジナ」と当てた千代の直感に驚いたのか、それとも、千代のあまりの豹変ぶりに驚いたのかは分からない。
「そう、拙はムジナだ……すぅ……すぅ」
少女――早柚は、千代に正体を当てられて安心したのか、そのまま立ち寝でもしそうな勢いで瞼を落としていく。
「眠い…もっと寝ないと…背が、伸びない…」
寝言のようにそう呟くと、早柚はついに限界を迎えたように前へ傾き、しゃがんでいた千代の胸元へと、こてんと倒れ込んだ。
「……可愛い……!」
千代は、倒れ込んできた小柄な身体をふわりと抱きとめた。
その頬はうっすらと紅潮し、完全に『乙女』のそれだ。数十分前まで「天領奉行の蔵を力ずくでこじ開ける」「半殺しでいい」と血みどろのクーデターを画策していた修羅の姿など、そこには微塵も残っていない。
まるで、道端で見つけた愛らしい子猫を慈しむような、母性すら感じる眼差しで早柚の小さな背中を優しく撫でている。
(……見事なまでの豹変だ)
俺は、すっかり毒気を抜かれて早柚を抱きしめている千代を見下ろし、もう一度、深々とため息をついた。
殺伐とした空気が中和されたのは喜ばしいことだが、それにしても――。
俺の視線は、千代の腕の中で「すぅ、すぅ」と平和な寝息を立てる早柚へと向けられる。
こんな無防備極まりない状態で、本当にあの厳重な天領奉行から機密を盗み出せる密偵なのだろうか? 放っておけば、潜入先でも寝こけて捕まる未来しか見えないのだが。
「まさか……こいつが、神子の言ってた『専門家』なのか?」
パイモンが、俺の内心の疑念をそっくりそのまま代弁してくれた。
「ふふ……」
神子は夜風に揺れる桜色の髪をそっと手で払い、艶やかな唇に人差し指を当てて、自信ありげに微笑んだ。
「見かけに騙されてはならぬぞ。こやつは『終末番』の一員。正真正銘の『忍者』じゃ」
「忍者!? じゃあさっきのは伝説の変化の術か?」
パイモンが空中でクルクルと回りながら、興奮しきった声を上げる。
「終末番……木漏茶屋の太郎丸が前に属していたという組織か」
俺が記憶の糸を手繰り寄せて呟くと、神子は紫の瞳に微かな驚きと感心の光を浮かべた。
「ほう、相変わらずよく知っておるな。異邦の仙人のくせに、稲妻の裏事情まで耳ざといことじゃ」
神子は袖に手を忍ばせ、クスリと笑う。
「その通り。終末番とは、社奉行の当主・神里綾人が抱える隠密部隊じゃ。現在、神里綾人と社奉行は、他の二奉行とは異なり中立の立場を維持しておる。ゆえに、いくら宮司である妾とて、公に終末番を動かすことはできぬ」
神子はそこで言葉を区切り、足元の小柄な忍者に視線を落とした。
「じゃが……年中こうして森のどこかでサボっている終末番の末端を一人捕まえて、個人的に『手伝わせる』ことくらい、造作もないことじゃ」
「むぐぅ………」
サボっていると指摘されたのが不服だったのか、それとも野生の勘が身の危険を察知したのか。早柚は千代の腕の中からふらふらと立ち上がり、眠たげな目を擦りながらも、神子に向かって腰に両手を当てて抗議のポーズをとった。
もっとも、その体は風に揺れるススキのように前後左右にフラフラと揺れており、威厳の欠片もない。
「つまりーー」
俺が状況を整理しようと口を開きかけると、
「この子と一緒に、天領奉行の証拠を集めに行けばいいんでしょ?」
千代が、早柚の背中を撫でながら、俺の言葉を先回りした。
「その通り。本当に、主らは話が早くて助かるのう」
神子は満足そうに頷き、夜の森を見渡した。
「これから汝らが向かうのは、泥に塗れた裏舞台じゃ。妾のような美しく高貴な宮司が、あのようなむさ苦しい場に顔を出すのは相応しくないからな」
「でも、どうすればいいんだ?」
パイモンが首を傾げる。
「証拠って、一体何を探せばいいの?」
旅人も真剣な眼差しで神子に問いかけた。
「ん? もうとっくに分かっておるものじゃと思っておったが……いいじゃろう、特別に少しだけ手がかりをくれてやる」
神子は顎に手を当て、教師が教え子を導くような余裕のある口調で語り始めた。
「確かに、部外者である汝らにとって、天領奉行の厳重な内部事情や細部までを知ることは困難なことじゃ。じゃが、三奉行が将軍を補佐し、互いに牽制し合う密接な関係を保っている以上、一つの奉行の不穏な動きに、他の奉行が異変に気づくこともままあることじゃ……」
その言葉の裏に隠された意図を、旅人の鋭い直感が即座に掬い上げた。
「……社奉行!」
「ふふ……どうやら分かったようじゃな」
神子の唇に、妖艶な弧が描かれる。
「幕府軍の汝らに対する追及と捜索は、未だ終わってはおらぬ。じゃが、この終末番の優秀な(?)忍者の助けがあれば、汝の友たちが待つ安全な場所へと無事に帰り着き、再会することができるじゃろう」
神子は一歩下がり、月明かりを背にして俺たちを見据えた。
「さあ、時は金なりじゃ。約束の『三日後』までに、必ずあの九条裟羅の鼻を明かす証拠を持ってくるんじゃぞ」
その言葉を合図に、旅人とパイモンは力強く頷き、「木漏茶屋で待ってるぞ!」と言い残して、すぐさま夜の鎮守の森を駆け出していった。
彼らの背中があっという間に闇に溶けていくのを見送った後。
俺は、その場から一歩も動こうとしない千代の方へと向き直った。
彼女は、再び丸くなって眠りにつこうとする早柚を膝に乗せ、まるで壊れ物を扱うように、その柔らかな髪や狸の耳を愛おしそうに撫で続けている。完全に自分の世界に入り込んでいるようだ。
「……千代。そろそろ、俺たちも行かないか?」
俺は苦笑交じりに声をかけた。
「うーん……もう少し。もう少しだけ」
千代は俺の方を見向きもせず、すっかり早柚の愛らしさに心を奪われたまま、とろけるような声で呟く。
「…………………」
俺は無言で神子の方を見た。「お前が連れてきたんだから何とかしろ」という抗議の視線を送る。
「………………」
神子もまた、呆れたように細くため息をつき、腕を組んでその異様な光景を見下ろしていた。
やがて、神子は冷や水を浴びせるような、ひどく平坦で残酷な事実を口にした。
「千代。言っておくが……其奴、中身は立派な『成人』じゃぞ」
ピタリ、と。
千代の撫でる手が止まった。
森の静寂が、一瞬にしてパキパキと音を立てて凍りつく。
「……え?」
ーーーーーーーーーーーー
鳴神島の裏路地にひっそりと佇む『木漏茶屋』。
その隠れ家のような静謐な空間に足を踏み入れると、囲炉裏の温かな匂いと、微かなお茶の香りが漂ってきた。
「すまない、遅れた」
俺が暖簾をくぐって声をかけると、奥の座敷でくつろいでいた旅人とパイモンが振り返った。
「早いな! もっとすっごく遅れてくると思ってたぞ!」
パイモンが空中で腕を組み、ニシシと意地悪そうに笑う。俺と千代が、あの狸の件で大分時間を食うと予想していたのだろう。
「おお、相棒たちまで! ……って、え?」
彼らを案内していたらしいトーマが、にこやかな笑顔で出迎えようとして――俺の後ろにいる人物を見て、ピタリと固まった。
「なんで、千代が早柚を抱いて………っ!」
驚きの声。だが、次の瞬間、トーマの瞳の奥にギラリとした異様な光が宿ったのを、俺は見逃さなかった。
普段の気の良い「顔役」の青年とは思えない、まるで獲物を見つけた肉食獣のような、あるいは喉から手が出るほど欲しいお宝を目の前にしたような、異様な執着を含んだ眼差し。
「色々あったんだ……って、なんでお前まで目を光らせてるんだ?」
俺は思わず眉間を揉みながら突っ込んだ。今日はどいつもこいつも、この居眠り忍者に狂わされすぎではないか。
「あ、ああ、すまない! なんでもないよ!」
俺の指摘に、トーマはハッと我に返り、誤魔化すように慌てて両手を振った。
「そ、それより、旅人から大体の話は聞いてるよ。厄介な相談ごとがあるんだってね。お嬢を呼んでくるから、ちょっとそこで待っててくれ」
トーマは早柚を名残惜しそうにチラチラと振り返りながら、逃げるように奥のふすまの向こうへと消えていった。
「相変わらず、離れないんだなぁ……」
パイモンが、呆れたような、感心したような声で呟く。
「まさか、おんぶしたまま鳴神大社からここまで連れてくるなんて」
旅人も、苦笑いを浮かべてお茶を啜っている。
「……いや、まぁな」
俺は深く、ひどく重いため息を吐き出しながら、背後に立つ千代を振り返った。
そこには、すっかり熟睡している早柚を、大事そうに――それこそ宝物でも扱うかのように、しっかりと背中におんぶしている千代の姿があった。
神子から「中身は成人だ」と残酷な真実を突きつけられたあの後。千代は激しく動揺していたが、やがて目を覚ました早柚と何やらボソボソと短い会話を交わし、最終的に「成人していても、私の年齢(五百歳超え)からすれば年下だから関係ないよね!」という、力技すぎる理屈で己を納得させてしまったのだ。
説得の際、千代がどんな気迫を放ったのかは定かではないが、早柚が千代の背中に乗せられる直前、ブルッと怯えたように小刻みに震えていたことだけは覚えている。
おそらく、かつての「鬼の武者」としての無意識の重圧か、あるいは逃げ場のない愛の重さを本能で察知したのだろう。だが、今の千代はその震えすらも「小動物みたいで可愛い」と脳内で変換し、完全に満悦の表情を浮かべていた。
――スパーン。
不意に、奥のふすまが上品に、しかし素早く開けられた。
「すみません、お待たせいたしーー」
凛とした鈴を転がすような声と共に姿を現したのは、白鷺の姫君こと、神里綾華だった。
彼女は優雅に一礼をして俺たちを出迎えようとし……そして、視界に入った異常な光景(伝説の鬼の武者が、自陣営のサボり魔忍者をおんぶしてご満悦になっている図)に、見事に言葉を失った。
「…………えっ?」
綾華の端正な顔立ちが、困惑でフリーズする。
扇子を持った手が空中で止まり、美しい瞳が「どういう状況ですか?」と俺に全力の救難信号を送ってきた。
「……………」
俺は、仙人としての威厳も何もかもを捨て去った、すべてを諦めたような虚無の眼差しで綾華を見つめ返し、静かに、一言だけ告げた。
「……飲み込んでくれ」
事情を説明する気力すら、今の俺には残されていなかった。
その後、俺たちはこれまでに得た情報と、八重神子から託された推測のすべてを包み隠さず綾華たちに伝えた。
静寂に包まれた茶室で、白鷺の姫君は出された茶に口をつけることも忘れ、静かに伏し目がちになって思考を巡らせていた。
「なるほど……皆様、本当に様々なことをご経験されたのですね」
やがて、綾華は顔を上げ、凛とした瞳で俺たちを見据えた。
「状況は全て理解いたしました。今はとにかく、天領奉行が幕府を裏切っているという『確たる証拠』を見つけ出さなくてはなりません。そうですね……」
彼女は扇子をそっと膝に置き、幕府の深部を知る者としての鋭い視点を口にした。
「そう言われますと、確かに以前から気になる点がございました。幕府軍と抵抗軍はすでに長きに渡り交戦してきましたが……将軍様がその内戦について言及なさったことが、ただの一度もなかったのです」
「最初は、単に将軍様が俗世の紛争に興味をお持ちでないのかとも思いました。ですが、今考えてみれば……天領奉行が将軍様に呈上した『上奏』そのものに、細工が施されていたのかもしれません」
「それって………」
パイモンが息を呑む。
「天領奉行は、昔から国内の軍事事務をすべて掌握しているの」
俺の背後で、ようやく早柚を畳に寝かせた千代が、静かに、だが確信に満ちた声で口を挟んだ。かつて幕府の要職に就いていた彼女だからこそ分かる、組織の構造的欠陥だ。
「情報統制すら彼らの管轄内。だから、将軍の目と耳を塞いで内戦に関する書類を隠蔽するくらい、彼らにとっては赤子の手をひねるより簡単なことだと思うよ」
「千代さんの仰る通りです。そして、もしそのような情報操作が水面下で行われていたとすれば、社奉行である我々にそれを知る術はございません」
綾華が悔しげに目を伏せる。
「なるほどな」
俺は腕を組み、冷え切った茶を見つめながら、頭の中でバラバラだったパズルを繋ぎ合わせた。
「つまり奴らは、将軍に『目狩り令が原因で内戦が発生している』という事実をひた隠しにし、あたかも政が完璧に上手く行っているように嘘の報告をしている。外界から隔離され、騙されていることに気づいていない将軍は……まんまと部下の掌の上で転がされている。そういうことだろう」
「……はい」
綾華が重々しく頷く。
「全く……」
俺は呆れ果て、深い溜息を吐き出した。
「己の欲のために神の目を塞ぎ、国を売る。クズもここまで極まると、怒りを通り越して滑稽ですらあるな」
五百年前、魔物と命懸けで戦い抜いた千代や将軍の苦労を思えば、この腐敗ぶりはあまりにも酷い。
「しかし、それはまだ推測の域を出ず、証拠がないため一概には断言できません」
綾華は私情を抑え込み、極めて冷静に現実を提示した。
「もし、天領奉行の『上奏』そのものを手に入れることができれば、全ての真実が明らかになるはずです」
「だけど、その上奏に触れる権限を持つのは、当主である九条孝行一人しかいないはずだ」
部屋の隅で腕を組んでいたトーマが、渋い顔で現実的な壁を突きつけてきた。
「それに、あそこの警備は尋常じゃなく厳重だ。いくら早柚の忍術の助けがあったとしても、天領奉行の心臓部から上奏をこっそり持ち出すのは、至難の業だろうね」
「だったら、私が――」
千代が一歩前に出ようとした。その瞳の奥に、再び危うい物理突破(強行突破)の光が宿りかけているのを見て、俺は即座にその言葉を冷たく断ち切った。
「ダメだ」
「なんで?」
不満げに千代が唇を尖らせる。
俺は冷徹な視線で、かつての猛将を真っ直ぐに射抜いた。
「それだけ厳重な警備が敷かれている場所に潜入するなら、人数は極力少ない方がいい。それに、お前は戦場を駆ける『武将』であって、闇に紛れる『忍び』じゃない」
俺の言葉は厳しいかもしれないが、これが現実だ。
「隠密行動の訓練を受けていない素人がついていったところで、早柚たちの足枷になるだけだ。」
(そして見つかったが最後、お前は隠密を諦めて全員物理的に叩き伏せるだろう)という心の声は、あえて口に出さずに飲み込んだ。
「でも………!」
千代は引き下がろうとせず、俺の服の袖をきゅっと掴んだ。
親友の目を覚まさせるための証拠。それを自らの手で掴み取りたいという、彼女の焦りと切実な願いが、その小さな手からひしひしと伝わってくる。
「安心してくれ。俺たちは別に、彼女を危険な状況のまま単身で送り出すわけじゃない」
俺は袖を掴む千代の小さな手をそっと解き、落ち着かせるようにゆっくりと語りかけた。
「どれだけ厳重な警備が敷かれていようと、人の目には限界がある。一箇所に集まっているなら、その警備を『分散』させればいいだけの話だ」
「分散……そういえば、前にも似たようなことがあったような」
旅人が顎に手を当て、記憶を遡るように呟いた。
「そうか、宵宮の花火!」
ポン、と手を打ったのはトーマだ。彼の顔に、悪戯を思いついた少年のようにパッと明るい光が差した。
「なるほど、良い案だと思います」
綾華が静かに頷いた。
「天領奉行のすぐ隣には、千手百目神像がございます。もし、あの厳重な神像の周囲で派手に花火を放てば……いかに天領奉行の兵たちであっても、絶対に無視はできないでしょう」
「その手薄になった隙を突いて、早柚が忍び込めば……」
「今よりは遥かに潜入しやすくなる」
千代が納得したように表情を和らげた。
「そういうことだ」
俺が結論をまとめると、茶室の空気に、明確な反撃の兆しと希望が灯ったのを感じた。
「よしっ! オレが自由になれる日が、どんどん近づいてきてるのを感じるよ」
トーマがぐーっと背伸びをして、座敷の上に大きく寝転がった。
「ふぅ……こうして皆で座って一緒に話すのも、もうだいぶ前のことに思えてくるよ」
「まだそんなに経ってないだろ………」
旅人が冷静すぎるツッコミを入れる。
「オレにとってはそうなんだよ。毎日、毎日、ここで君たちを待ってるんだから!」
トーマが身を起こし、大袈裟に肩を落とした。
「確かにここはオレの一番好きな秘密の場所だけど、今回はここに身を潜めるようになってから、もうずっと茶屋の外に行けてないんだ。……クッソ〜っ、温泉に入りたいなぁ!」
「トーマ……かわいそうに」
パイモンが、心底同情したような顔で空からトーマの頭をぽんぽんと撫でる真似をした。
「今は、目先の問題を解決する方が先です」
しかし、主である綾華の言葉は容赦がなかった。凛とした冷ややかな声が、茶室の空気をピシャリと引き締める。
「目狩り令が廃止になれば、トーマも自由になれますよ」
(……それはそうだが、もう少し同情してやっても良いんじゃないか?)
俺はトーマの哀愁漂う背中を見ながら、内心でひっそりと苦笑した。
「せっかくの再会ですが、呑気に談笑している時間はないようですね。すべてが終わってから、またきちんとお祝いをしましょう」
「その時はもう一度、あの『鍋遊び』をやろう!」
めげない男・トーマが、満面の笑みでとんでもない提案をぶり返してきた。
「まだそれを引っ張るのかよ!」
パイモンが空中でジタバタと暴れる。数日前の地獄の闇鍋の記憶がフラッシュバックしたのだろう。
「おまえ………はぁ、もう知らん」
俺は深々とため息をつき、こめかみを揉みほぐした。この極限状態にあって、変なケーキや得体の知れない食材の入った鍋をつつく度胸など、俺には持ち合わせていない。
「ほら見ろ、蒼雲も呆れてるぞ!」
パイモンが俺を指差して加勢する。
「ふふっ。天領奉行の近くには護衛がたくさんいます。皆様、くれぐれもお気をつけて。終わったらここでまた会いましょう」
綾華は柔らかく微笑みながら俺たちを見送った。
「ああ」
俺が頷き、立ち上がろうとした――その瞬間だった。
「!」
ふすまの向こう。誰もいないはずの廊下から、チリ、と微かな空圧の変化を感じ取った。
俺は鋭く目を向けた。だが、そこには静寂な影が落ちているだけで、何者の姿もない。
「………………」
気配を完全に殺した、一瞬の淀み。
視線を落とすと、畳の上で丸くなっていた早柚が、薄く片目を開けて廊下の方をちらりと見た。しかし、彼女はすぐにつまらなそうに目を閉じ、再び「すぅ、すぅ」と寝息を立て始めた。
――なるほど。早柚が警戒しないということは、敵ではない。社奉行の者か、あるいは『終末番』の同僚か。どちらにせよ、ここで騒ぎ立てるような相手ではないが……わざわざ気配を漂わせたのには、何か理由があるはずだ。
「じゃあ、オイラたちは花見坂へ宵宮を探しに行こうぜ!」
気配に全く気づいていないパイモンが、元気よくふすまを開け放つ。
「うん。蒼雲、行こ」
千代が振り返り、俺の袖を引こうとした。
「悪い。ちょっと用事を思い出した」
俺は立ち止まり、千代たちの方へ向き直った。
「先行っててくれ」
「用事?」
千代の瞳に、かすかな不安の影が落ちる。彼女を一人(旅人たちと一緒とはいえ)にするのは気が引けたが、背後の気配を放置するわけにもいかない。
「大丈夫なの?」
「少しだけだ。すぐにそっちへ行くさ」
俺は安心させるように、彼女の頭にポンと手を乗せた。
「…………わかった」
千代は少しだけ不満そうに唇を尖らせたが、やがて渋々といった様子で頷き、旅人たちを追って茶屋の出口へと向かっていった。
彼らの足音が完全に遠ざかるのを見届けた後。
俺は静かに廊下へと向き直り、闇に沈むその空間へ向けて、低く声を落とした。
ーーーーーーーーーーーー
宵闇に深く沈んだ社奉行の本拠地、神里屋敷。
静寂が支配する執務室の中で、微かな蝋燭の灯りが、卓上の書類に目を通す神里家当主――神里綾人の整った横顔を柔らかく照らし出していた。
「執務中、失礼いたします。当主様」
音もなく、まるで夜の影がそのまま形を持ったかのように、一人の『終末番』の忍びが綾人の背後に現れ、恭しく片膝をついた。
「戻りましたか」
綾人は手元の書類から目を離すことなく、筆を走らせながら静かに応じた。
「……どうでした?」
「はい、ご報告いたします。どうやら、お嬢様は異国の旅人らと協力し、千手百目神像の周囲で騒ぎを起こして天領奉行の警備を逸らし……その手薄になった隙を突いて、早柚を使って内部から『上奏』を盗み出す計画を立てているようで――」
そこまで報告を紡いだ忍びは、不意に言葉を区切った。
主である綾人の筆の動きが、ピタリと止まったからだ。
「……当主様?」
いぶかしむ忍びに対し、綾人はゆっくりと筆を置き、心底面白そうなものを引いたように、涼やかな目を細めた。
「ご苦労様。有益な情報です。……ですが、どうやら『後をつけられた』ようですね」
「なっ……! 一体、誰に……っ」
忍びが弾かれたように顔を上げ、室内の周囲へと慌てて殺気を走らせる。隠密を至上の誇りとする終末番にとって、尾行に気づかなかったことなど痛恨の極みであった。
だが、綾人は忍びを咎めることも、侵入者に慌てる素振りすら見せることもなかった。
彼は優雅に立ち上がると、閉ざされた障子の向こう側――人気のない庭の暗がりへと、真っ直ぐに視線を向けた。
「そこにいるのでしょう? 出てきて構いませんよ」
綾人の声は、茶会へ客人を招き入れるかのように穏やかで、しかし絶対的な威圧感を孕んでいた。
「雷電将軍に刃を向けた、只者ではないお尋ね者……蒼雲さん?」
その声に呼ばれ、庭先の空間の淀みが、ふわりと解けた。
障子の向こうの縁側から、月明かりを背負って一人の男が姿を現す。
木漏茶屋で感じ取った僅かな気配を逃さず、忍びの背後を完全に掌握してここまで追跡してきた蒼雲だった。
彼は自らの名を正確に呼ばれ、待ち構えられていたことに対する驚きを微塵も見せなかった。むしろ、自分が探り当てた真実の答え合わせが済んだと言わんばかりに、静かに、だが刃のように鋭い眼差しで室内の綾人を射抜いた。
「……やはり、木漏茶屋で俺たちに終末番の『見張り』を付けていたのは、あなただったんだな。社奉行、神里家当主――神里綾人」
幕府の暗部を握り、常に盤面を俯瞰する若き当主。
そして、隠密の目を掻き潜り、本陣へと堂々と踏み込んできた異邦の仙人。
夜風が庭の木々を揺らす静寂の空間で、二人の知恵者の冷ややかな視線が、交錯した。
ーーーーーーー
木漏茶屋を後にした私たちは、活気あふれる花見坂へとやってきた。
背中には、温かくて小さな早柚ちゃんの規則正しい寝息を感じる。すっかり私の背中を寝床だと認識してくれたようで、その無防備な重みがなんだかとても愛おしかった。
「おーい、宵宮〜!」
宙を舞うパイモンが、火薬と潮風の匂いが混ざる「長野原花火屋」の店先に向かって元気に声を上げた。
「ん? おっ、旅人にパイモンちゃんやんか! どうしたん……って、うわっ! タヌキちゃんをおぶっとる!」
奥から出てきた快活な少女――宵宮は、私の背中の早柚ちゃんを見るなり目を丸くした。
「初めまして、千代です」
私が背中の早柚ちゃんを起こさないよう、静かに微笑んで会釈すると、彼女はパッと花が咲いたような笑顔を返してくれた。
「おおきに、うちは宵宮! よろしゅうな。……それにしても、あのすばしっこいタヌキちゃんをおぶれる人なんておったんやなぁ〜。びっくりやわ」
宵宮が感心したように早柚ちゃんの葉っぱ付きフードを覗き込んでくる。
「あ、えっとね。早柚ちゃんはタヌキじゃなくて、ムジナだよ」
私はやんわりと訂正した。
確かにムジナとタヌキはすごく似ているし、正直どちらだとしてもひっくり返るくらい可愛いことに変わりはない。けれど、早柚ちゃんが会う人会う人に「ムジナだ」と必死に主張しているのを聞いていたから、きっと彼女にとって、それはすごく大事なこだわりなんだろうと思ったのだ。
「ムジナ? うーん、確かに言われてみれば……?」
宵宮が腕を組んで首を捻った、その時だった。
「オイ! 話が脱線してるぞ!」
パイモンが空中でジタバタと暴れてツッコミを入れた。一刻を争う事態だったことを思い出し、私は慌てて苦笑いする。
「あっ、ごめんね」
「あははっ、つい話しすぎてしもたわ〜。かんにんな」
宵宮はあっけらかんと笑い飛ばし、真面目な顔で私たちに向き直った。
「ところで、ウチになんか用なん?」
「オイラたち、特大の花火が必要なんだ! すっごいデッカイやつ!」
パイモンが両手を大きく広げて身振り手振りで伝える。天領奉行の警備を一点に引きつけるための、特大の陽動だ。
「特大の花火?」
その言葉を聞いた瞬間、宵宮の瞳に職人特有のキラキラとした情熱の火が灯った。
「へへっ、そんならウチに任せときぃ! 実はな、この前ごっつええもんが作れたんや」
彼女は得意げに胸を張り、くすくすと笑う。
「けど、威力がとんでもなくてな。実戦(ため)せる場所が見つからんで困っとってん……ちょうどええから、あんたらにあげるわ! ちょっと待っといてな」
そう言って店の奥へ引っ込んだ彼女が、よいしょ、よいしょと引きずり出してきた『それ』を見て、私は思わず言葉を失った。
「コレや!」
「…………えっ?」
私の口から、間の抜けた声が漏れた。
何百年も稲妻という国で過ごして、数え切れないほどの祭りに参加してきた。夜空を彩る絢爛豪華な花火だって、数え切れないほど見てきた自負がある。
それでも、目の前にドンッと置かれたその巨大な筒は、私の五百年の記憶のどこを探しても類を見ないほどの、常軌を逸した大きさと重厚感を放っていた。完全に呆気にとられてしまう。
「……大きくない?」
旅人が、少しだけ引き攣った顔で後ずさった。
「いやぁ〜、夢中になって火薬を詰めとったら、いつの間にかこんなんなっててん」
宵宮は頭を掻きながら、悪びれもせずにカラカラと笑う。
「でも、打ち上げる上でやっぱ派手な方がええやろ?」
「いや、派手すぎだろ!」
パイモンが全力で叫ぶ。これなら確かに、天領奉行の兵士どころか、稲妻城中の人間が飛び起きて集まってくるかもしれない。
「てなわけで、ウチの代わりにどんなもんか見てきてや」
宵宮はニシシと笑い、ふと真剣な顔で付け加えた。
「あっ、それとな。火ぃつけたらすぐ走って逃げるんやで? やないと、服が燃えてまうからな。それと、耳も絶対に塞いどいた方がええで」
「な、なんか……すっごく怖いぞ……」
パイモンが旅人の背中に隠れて震え上がった。
「あははっ、大丈夫やって! ただの花火やから何の心配もあらへん」
宵宮のその「ただの花火」という言葉が一番信用ならない気がしたが、今はこれに縋るしかない。
「……じゃあ、やってみる。ありがとう、宵宮!」
旅人が意を決して、その巨大な花火を慎重に受け取った(というより、抱え込んだ)。
「どういたしまして!」
宵宮は満足そうに頷いた後、ふと周囲を見回して不思議そうに首を傾げた。
「それより、あのすっごい兄さんはどないしたん? いつもあんたらと一緒におるんとちゃうん?」
その問いに、私の胸の奥がきゅっと小さく鳴った。
「蒼雲は……なんか用事があるみたいだから、ここには居ないの」
私は少しだけ寂しさを誤魔化すように、微笑みながら答えた。
木漏茶屋で彼が感じ取った微かな気配。きっと、私たちには言えないような危険な裏の仕事に向かったのだ。
――彼はいつもそうだ。
絶対に自分からは言わないけれど、裏でコソコソと一人で泥を被り、私たちが安全に動けるように一番厄介な仕事を片付けてくれている。
自分の力を誇示するわけでもなく、誰かに感謝されたいわけでもない。自分が裏でどれだけ必死に頑張っているのかを、誰にも教えたくないのだ。そういう、不器用で意地っ張りな彼なりの優しさを、私は痛いほど知っている。
だからこそ、私は彼を信じて待つことができる。
「そうなん? なんか、ええツッコミがおらへんなぁって思とったんやけど」
宵宮は少し残念そうに肩をすくめ、すぐにまた明るい笑顔に戻った。
「まぁええわ! 兄さんによろしゅうな!」
「うん、伝えておくね」
私は宵宮に大きく手を振り返し、背中の早柚ちゃんの温もりを感じながら、決戦の地となる千手百目神像へと向かって歩き出した。
私たちがこの特大の花火で派手に暴れている間に、きっと彼も、その優しくて不器用な用事を片付けて戻ってきてくれるはずだから。
ーーーーーーー
夜の帳がすっかり下り、天領奉行本部周辺の空気は肌を刺すような冷たい緊張感に包まれていた。
見回りの兵士たちの規則正しい足音を遠くに聞きながら、私たちは神像に近い物陰へと身を潜める。
「ここら辺でいいかな」
私は周囲の安全を確認してから、背中の愛らしい重みにそっと声をかけた。
「早柚ちゃん、起きて。お仕事の時間だよ」
しかし、背中からは「む……ぎゅう……」という小さな寝言が返ってくるばかり。それどころか、小さな腕が私の首にきゅっと巻き付き、さらに深く眠りの世界へ潜ろうとしているのが伝わってくる。
「全然起きないぞ……」
パイモンが呆れたように宙で腕を組んだ。
どうしよう。こんなに気持ちよさそうに眠っている子を無理やり叩き起こすなんて、私にはとてもできない。でも、今ここで彼女の忍術がないと、作戦が頓挫してしまう。
こういう時、どうやって起こせば……。
その時、ふと私の脳裏に、鎮守の森で早柚ちゃんが呟いていた言葉が閃いた。
『もっと寝ないと…背が伸びない…』
あっ、これだ!
「早柚ちゃん、早柚ちゃん」
私は背中に顔を向け、まるで絵本の読み聞かせをするように優しく、けれど少しだけ深刻な声色を作って耳元で囁いた。
「確かに、寝るのも成長にはすっごく大事なんだけどね……。ずっと寝てばかりで少しも運動しないとーー骨が脆くなって、背が伸びなくなっちゃうよ?」
ピクッ!
「!」
私の背中で、丸い耳が弾かれたようにピンと立った。
「い、嫌だ……! 背が伸びないのは嫌だ……っ」
早柚ちゃんは慌てて私の背中から飛び降り、まだ半分閉じかけている目を必死に見開いて、ぶんぶんと首を横に振った。その必死な姿がたまらなく愛おしくて、私は思わず頬を緩めてしまう。
「じゃあ今回は、少しだけ起きて頑張ろう。ね?」
私が目線を合わせてしゃがみ込み、優しく頭を撫でると、早柚ちゃんは観念したように小さな肩を落とした。
「う、ゥゥゥ……わかった」
「すごい……」
一部始終を見ていたパイモンが、目を丸くしてポツリと呟いた。
「あの早柚を起こした上、仕事のやる気まで出させるなんて………」
どうやら私の「作戦」は効果覿面だったらしい。
早柚ちゃんは眠気を誤魔化すようにふにゃふにゃと両頬を叩いて気合を入れると、プロの忍者らしい真剣な瞳で私を見上げた。
「……拙は、その上奏とやらを取りに行く。だから、」
「大丈夫。警備は私たちがド派手に引き付けておくから」
私は宵宮からもらったあの特大花火を思い浮かべながら、力強く頷いた。
「うん……集合場所は、木漏茶屋でいい?」
「いいよ。絶対にそこで落ち合おうね」
作戦の最終確認を終え、いざ出発……と思ったその時だった。
早柚ちゃんの小さな手が、私の着物の袖をきゅっと弱々しく掴んだのだ。
「あと……もし、拙が捕まったら……助けに来て」
上目遣いで、少しだけ不安そうに揺れる瞳。
「!」
――その瞬間、私の胸の奥で何かが爆発した。
可愛い。あまりにも愛おしい。もしこの子に指一本でも触れるような天領奉行の兵がいたら、私がこの手で………かつての鬼の武者としての血が、過保護な母性と共に一気に沸騰するのを感じた。
「うん、もちろん! 絶対に助けに行くから!」
私は早柚ちゃんの小さな両手を力強く握りしめ、天地神明に誓うような勢いで断言した。
「でも、頭は撫でないで……」
「ごめん」
「おい、この二人……大丈夫か?」
パイモンが、私の異様な熱量に引いたような顔で旅人にヒソヒソと囁いている。だが、今の私にそんなツッコミは聞こえない。
「とにかく、オイラたちは千手百目神像の前に行こうぜ! 見回りに見つからないようにな!」
パイモンの声でハッと我に返る。
そうだ、今は蒼雲が一人で裏の厄介事を引き受けてくれている分まで、私たちがしっかり役目を果たさなきゃ。
私は名残惜しく早柚ちゃんの手を離し、旅人たちと共に、冷たい威圧感を放つ巨大な神像へと向かって、闇夜の中を駆け出した。
天領奉行の本部周辺は、夜の闇に紛れてもなお、息が詰まるほどの厳戒態勢が敷かれていた。
「おい、そっちの様子はどうだ?」
「異常なし。引き続き警戒を怠るな!」
甲冑が擦れ合う無機質な音と、闇を舐める松明の赤い明かり。
私たちは息を潜め、見回りの死角を縫うようにして、あの巨大な千手百目神像の足元へと辿り着いた。
「よし、ここなら天領奉行から丸見えだし、陽動にはうってつけだぞ」
パイモンが小声で囁き、旅人が宵宮からもらったあの『特大花火』を慎重に地面に置く。近くで改めて見ても、どうかしている大きさだ。
「旅人、宵宮の言葉を忘れないでね。火をつけたら、全力で走って、耳を塞ぐこと」
「分かってる」
旅人が火種を取り出し、導火線に火を近づける。
シュルシュルと、オレンジ色の火花が導火線を這い始めた。
「走れ!」
旅人の鋭い合図で、私たちは一目散に物陰へと駆け込み、ギュッと両手で耳を塞いだ。
――ドッッッッッッッッゴォォォォォォォォン!!!
「きゃあっ!?」
耳を塞いでいたにも関わらず、鼓膜を突き破るような轟音と、大地そのものを揺るがす強烈な震動が全身を突き抜けた。
夜空を見上げると、稲妻城の天辺を飲み込むほどの、極彩色の大輪の花が狂ったように咲き乱れていた。あまりの明るさと衝撃に、夜の闇が一瞬だけ真昼間に塗り替えられたかと錯覚するほどだ。
『ただの花火やから何の心配もあらへん』
宵宮のあの無邪気な笑顔が脳裏をよぎる。
(……いや、これ完全に攻城兵器か爆弾の類だよ!)
「な、なんだぁぁっ!?」
「敵襲か!? 爆発は千手百目神像の方向だ!」
「急げ! 総員、神像周辺を固めろ!」
天領奉行の兵士たちの怒号が飛び交い、鉄壁だった警備の陣形がみるみるうちに崩れていく。全員がパニックに陥り、花火の上がった神像の方へと次々に雪崩れ込んでいった。
(上手くいった……!)
私は色とりどりの火の粉が舞い散る夜空を見上げながら、心の中で小さく呟き、祈りを込めた。
(お願いね。早柚ちゃん……!)
ーーーーーーーーー
ムジナの置き物……。
葉っぱの隙間から、そっと周囲を窺う。
(……な、なんとか潜入できた……)
表で起きた凄まじい爆発音に乗じて、息を殺して奉行所の内部へと入り込んだのはいいものの、状況がどうにもおかしい。
視界を遮るほどの、不自然で濃い『霧』が立ち込めているのだ。おまけに、気配を消しているつもりかもれないけど、拙の他にも『終末番』の忍びの気配がそこかしこに点在している。
(どうしてこんなに霧が……それに、どうして他の皆もいるんだ……?)
頭の中に疑問符が浮かび、首を傾げかけた、その瞬間だった。
――ガシッ。
(!)
不意に、背後から肩を強く掴まれた。
完全に気配を絶たれていた。冷や汗が背筋を走り、心臓が跳ね上がる。
(捕まった……!)
反射的に逃げようと身をよじり、恐る恐る掴まれた方を見上げると、そこには――。
「無事に潜入できたみたいだな」
周囲の霧に溶け込むような、小声。
見覚えのある、あの男の人だった。
「ど、どうして……主がここに……?」
驚いて目を丸くする拙を見て、男の人――蒼雲は、ひどくバツが悪そうに、そして忌々しそうに顔を顰めた。
「…………お前のところの腹黒い上司に、してやられたからだ」
深いため息混じりに吐き捨てられたその言葉には、どうやら拙には分からない、大人たちの深い(そして理不尽な)事情が絡んでいるようだった。
稲妻篇が終わったら続きは何が良いか 選択によって稲妻篇の最後が変わる。
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璃月篇(海灯祭)※この話の本編
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引き続き稲妻篇