闇に呑まれていた鬼の娘を500年かけて看病した仙人が、異国で恋愛小説の餌食に…… 作:時代に遅れている
やっぱり天理とは思うところがあったのかな?
翌日。
「で?」
煙緋は呆れ果てたように、深々とため息をつく。
「彼はまた、彼女ほっぽいて戦いに行ったのか………はぁー!なんて男だ」
腰に手を当てて天を仰ぐ彼女の言い分は、ぐうの音も出ないほどもっともだ。宵灯の優しい光の下に私一人を残し、彼はまたあの暗い空へと飛び去ってしまったのだから。
「君も、君でよく彼を行かせたものだよ」
ジト目で睨んでくる煙緋に、私は「あはは……」と誤魔化すように乾いた笑いを返すしかない。
「止めようとは思わなかったのか?」
「彼、何か焦ってるようだったから……」
あの時の蒼雲の、切羽詰まったような、でも決して揺るがない瞳が脳裏をよぎる。
「多分、すごく大事な事なんだと思う。この国で言うところの『契約』でも結んでるのかな? なんか、無理に止めても結局一人で突き進みそうだったし……」
それに、私がいくら腕力で引き留めたところで、あの不器用で頑固な仙人は、平気で自分を犠牲にする。そういう人だ。
「それにほら! 私、彼に助けられた部分がすごく多いし、少しは折れてあげないとって思ってー」
無理に明るく振る舞って自分自身を納得させようとした私の言葉は、不意に背後から降ってきた豪快な笑い声に遮られる。
「全く、お熱いな千代は!」
「えっ!? ほ、北斗!?」
驚いて振り返ると、そこには私を死兆星号で璃月まで運んでくれた南十字船隊の船長、北斗。彼女はニヤニヤと意地悪な笑みを浮かべて立っている。
「これはこれは、北斗船長。いつからそこに?」
煙緋が面白そうに目を細める。
「ついさっきだ。おや?」
北斗は私の周囲をぐるりと見渡し、不思議そうに首を傾げた。
「オタクの『旦那』はどこ行ったんだ? ちょっと頼みたいことがあったんだが……」
(だ、旦那!?)
頭の中で、その二文字が凄まじい爆発音と共に木霊する。だんな。ダンナ。つまり、夫婦の夫ってこと!?
カァァァッ! と一瞬にして顔中が沸騰していく。否定しなきゃ、違うって言わなきゃ! 慌てて口を開きかけたのに、隣にいた煙緋がすかさずとんでもない追撃を仕掛けてくる。
「彼女の旦那なら、ここにはいないよ? 昨夜の騒動でどこかへ行ったようだ」
(ええっ!? 煙緋も!?)
すまし顔で平然と肯定する璃月の法律家に、完全に退路を断たれる。どうしてこの人たちは、息をするように私をからかってくるのだろうか。
「そうか。まぁ、いたとしても、そんな熱々な二人を引き離すような真似をしちゃあいけないか」
北斗が豪快に笑いながら、からかうような視線を私へと向けてくる。
大人二人に完全に遊ばれている。恥ずかしくて今すぐこの場から逃げ出したいのに、「旦那」という響きが妙に胸の奥でくすぐったく反響し続けていて、私はただ真っ赤になった顔を両手で覆ってうずくまることしかできない。
「千代、相手を気遣って譲り合うことも大事だがな。ああいう不器用な『旦那』の手綱は、お前がしっかり掴んでおかないと、後で痛い目に遭うぞ?」
「も、もうっ……北斗まで、揶揄わないでよ……」
私は両手で熱を持った頬を包み込みながら、消え入りそうな声で抗議する。からかわれているのは恥ずかしいけれど、北斗の言う「手綱を掴む」という言葉には、彼の危うさを知っているからこそ妙な説得力がある。
「ところで、北斗船長が彼をわざわざ訪ねてくるとは珍しいね。何かあったのかい?」
煙緋がふと真面目なトーンに戻り、空気を切り替える。
「いや何、最近アビスの連中による襲撃事件が頻発しているのはよく聞くだろ?」
北斗の言葉に、煙緋が顎に手を当てて深く頷く。
「ああ、そうだね。今回の海灯祭で、巨大な霄灯のモデルが『漉華仙水真君』になったのもそれが理由。彼女はかつての魔神戦争で、アビスの龍と戦い、相討ちとなってこの地の災厄を退けた……。今のアビスの騒動がこれ以上拡大しないよう、鎮静の祈りを込めて選ばれたんだ」
「それだけ、今回のアビスの騒動はいつにも増して規模が違うってこと」
(相討ち……)
私は息を呑む。あの美しい霄灯のモデルになった仙人は、アビスと戦って命を落としたのだ。蒼雲の過去に深く関わる大切な人が、そんな悲劇的な最期を遂げていたなんて。だから彼は、あの霄灯の前であんなにも苦しそうな顔を……。
「だが、あの騒動は蒼雲の手によってあらかた鎮められたはずだろ?」
煙緋が不思議そうに首を傾げる。
「……やっぱり。ずっと前から、蒼雲が一人で戦ってくれてたんだ」
私がぽつりと呟くと、煙緋は「彼、仙人の中でも相当強い武闘派らしいからね」と肩をすくめる。
「アタシが今日ここに来たのはな。昨夜、璃月の大地の『地脈』が、酷いアビスの侵食を受けているのが見つかってな。蒼雲がアビスの浄化術を持っているって聞いたから、急ぎで話を聞きに来たんだが……まあ、居ないなら仕方ない」
北斗が諦めたように息を吐く。
昨夜。
その言葉に、私の心臓がドクンと嫌な音を立てる。
彼が突然顔色を変え、「責任を取りに行く」と言い残して暗い夜空へ飛び去っていったあの光景がフラッシュバックする。
「居ないっていうか……。蒼雲なら、もうその地脈の場所に行ってるはずだけど……?」
私が確信を持ってそう告げると、北斗はピタリと動きを止め、怪訝そうに深く眉をひそめる。
「そうなのか? ……おかしいな。現場に向かっている千岩軍の連中からは、オタクの旦那のような奴が現場にいたなんて報告、一切上がってきてないんだが……」
「え……?」
「まぁいい、少し他を当たってみる。邪魔したな」
北斗は短くそう言い残し、足早に去っていく。
煙緋も「不思議だ」と首を傾げている。
現場に、いない? じゃあ、あの時飛び去っていった蒼雲は、一体どこへ向かったというのだろう。
「まぁ、彼ほどの実力の持ち主が、そう簡単に倒れることなんてないだろう」
煙緋が、私の不安を振り払うように明るく、理路整然と言い放つ。
「そ、それもそうだね……」
私は曖昧に頷く。確かに、彼は強い。何百年もの間、稲妻の暗闇でたった一人で戦い抜いてきたのだから。けれど、いくら強大であっても、彼が『自ら進んで犠牲になろうとしている』のだとしたら、実力など関係ない。
嫌な胸騒ぎが消えない中、ふいに大通りから聞き慣れた声が響く。
「千代ちゃ〜〜ん!!」
「えっ、宵宮!?」
振り返ると、お祭りの提灯の下を、宵宮が猛ダッシュで駆け寄ってくるところだ。
「やれやれ、今度は稲妻の花火職人か……」と、煙緋が目を丸くする。
「千代ちゃん、聞いてや!」
私の前でピタリと止まった宵宮は、息を切らしながら両手をバタバタと振り回す。
「さっきから、白ろうて喋るでっかい鳥さんに会うてな! 『千代はどこか?』って、ウチに聞きよるんよ!」
「えっ? 白くて喋る、大きな鳥……?」
私が首を傾げた、まさにその時。
「『白いの』とは何だ」
空から舞い降りた冷涼な風と共に、威厳に満ちた透き通る声が降ってくる。
「うわぁ! もう来よった……!」
宵宮がビクッと肩を揺らす。
見上げると、そこには美しい白と水色の羽を持つ、見上げるほどに巨大で気高い鶴。その周囲だけ空気が澄み渡り、街の喧騒から切り離されたような、圧倒的な神聖さを纏っている。
「留雲借風真君……。貴女様が俗世に降りてくるなんて……」
煙緋が驚きの声を上げ、スッと居住まいを正す。
(留雲……?)
その名前に、私はハッとする。ピン婆やが言っていた、蒼雲の古くからの仙人の友人。
真君と呼ばれたその美しい鶴は、煙緋や宵宮には目もくれず、その鋭くも深い瞳で真っ直ぐに私を見下ろす。
「そこの角の生えた鬼が……千代か?」
「は、はい。千代です」
緊張で背筋を伸ばして答えると、留雲はスッと目を細めた。
「………………」
値踏みするような、それでいてどこか深い哀しみを帯びた沈黙。
やがて、彼女はポツリと、夜風に溶けるような声で呟く。
「似ている」
「……?」
まただ。玉京台でのピン婆やと、全く同じ反応。
この偉大な仙人の瞳にも、蒼雲と同じように、私の中に『漉華仙水真君』の面影が映っているのだろうか。
私の戸惑いなどお見通しだと言うように、留雲借風真君は重々しく口を開き、冷たい氷のような言葉を告げる。
「千代よ。あやつからの『伝言』を伝えに来た」
伝言。
その二文字を聞いた瞬間、私の心臓がドクンと冷たく跳ね上がる。見えない氷の手に心臓を直接鷲掴みにされたかのような、息の詰まる恐怖。
「ちょ、ちょっと待って!」
気付けば、私は悲鳴のような声を上げて両手を前に突き出している。留雲借風真君の口から紡がれる言葉を、これ以上聞きたくなくて、必死に押し留めようとしているのだ。
「で、伝言って……誰から?」
自分でも、ひどく愚かで滑稽な問いだと分かっている。
分かりきっている。他の誰でもない。けれど、どうしてもその名前を、彼が私を置いていったという事実を認めたくなくて、震える声で尋ねてしまう。
留雲借風真君は、私のそんな痛々しい足掻きを哀れむように、スッと静かに目を細める。
「あのバカもの……蒼雲からだ」
逃げ場のない宣告が、風に乗って下される。
頭の奥で、積み上げてきた希望がガラガラと崩れ落ちていく音。
「そ、蒼雲は……?」
すがるように、ふらつく足で一歩前へと踏み出す。視界がじわじわと滲み、目の前の気高い鶴の姿がぐらぐらと揺れる。
「私、蒼雲から答えを聞くって、約束したんです! この璃月の、海灯祭の夜空の下で、必ず本当の答えを聞かせるって、……っ!」
あの巨大な霄灯の前で、彼は私の目を真っ直ぐに見て誓ってくれたじゃないか。
必ず聞かせる。約束だ、と。
なのに、どうして他人に伝言なんか託すの。そんなの、まるで――。
「蒼雲なら、もうここに来ることはない」
私が必死にすがりついた細い約束の糸を、真君の冷たく、そしてどこか悲痛な声が、無残に断ち切る。
「え……?」
もうここに来ることはない。
その言葉の意味が脳の芯まで浸透した瞬間、周囲のお祭りの喧騒も、宵宮や煙緋の息を呑む気配も、すべてが遠くへと霞んで消える。
璃月の温かい夜風の中に取り残された私の身体から、急激にすべての温度が奪われていった。
途中会話
千代「そういえば旅人は?全然見かけないけど……」
煙緋「おー二人なら、甘雨先輩の妹弟子と璃月を回っているみたいだよ?」
※時系列は申鶴の初登場と同じ頃です。なので本編とはかなり状況が変わっています。
稲妻篇が終わったら続きは何が良いか 選択によって稲妻篇の最後が変わる。
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璃月篇(海灯祭)※この話の本編
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引き続き稲妻篇