闇に呑まれていた鬼の娘を500年かけて看病した仙人が、異国で恋愛小説の餌食に…… 作:時代に遅れている
急に増えて私も驚いております。
みなさまのおかげで見事赤ランプが点りました!!
ここから展開が急だったりするかもしれませんが宜しくお願いします。
今回は長め最後にあの方が登場!
ではお楽しみくださいませ
「北斗船長ォォ!! 雷雨の領域、抜け出しました!!」
船員の叫びが、嵐の余韻を引き裂く。
甲板の最前線に立つ女は、大剣を肩に担ぎ、暴風を従えた暴君、あるいは覇王のように高笑いした。
「よぉし! 野郎ども、よくやった!! 稲妻までの難所は超えたが、油断するな!!」
脳裏に、つい先刻の悪夢めいた光景が蘇る。
稲妻の壁。空が裂け、荒れ狂う紫電が海面を打ち据えていた地獄の釜。
大気が確かに悲鳴を上げていた。肺を焼くオゾンの異臭。波を噛み砕く轟音。
俺と旅人は、目前に迫る自然の猛威――神の殺意を弾き飛ばそうと、それぞれの指先に力を集中させていた。
だが。船長も、水夫たちも、誰一人として動揺してはいなかったのだ。
「――伏せてな!!」
女が一喝し、大剣の切っ先を甲板へ突き立てた、その瞬間。
展開されたのは、死兆星号という巨大な箱をすっぽりと包み込む、雷元素の防壁だった。
紫色の半球。その外郭を二頭の雷獣が這い回り、天から降り注ぐ神の雷霆を、ブルドーザーのショベルが土砂を弾き流すように次々と喰らい尽くしていく。
俺の脳髄が、理解を拒絶して軋みを上げた。眼球の真横から頭痛が走る。
神の加護なき生身の人間が、己の器(ライフスケール)を超越した元素の城を築き上げたというのか。
『北斗殿は、神の目を持たぬ身で海山を両断した。その後に、神の目が降臨したのでござるよ』
万葉の静かな述懐が、俺の常識という名の前提を粉砕する。
順番が逆なのだ。普通の人間は「神の目を得たから、怪物を討てる」はずだろう。
彼女の場合は違う。「怪物を殺害したから、その結果として神の目が後から追随した」のだ。
神への祈りではない。ただ、極致の武。
どんなに馬鹿げたデタラメがやってきても、知恵と勇気、そして鍛え上げた腕力だけで乗りこなす人間の到達点。神に選ばれたのではなく、人間の分際で、神(システム)の側に『認可』を強制させた突然変異のバケモノだ。
背筋を、氷の柱を滑らせたような戦慄が駆け抜ける。
これが、海を統べる女の背中。怪物にとっての怪物とは、まさにこういう存在を言うのだろう。
◆
夕暮れが、海を朱金に染め上げている。
「さぁ、着いたぞ!」
外界から隔離された閉鎖空間、稲妻。
眼前に広がるのは、時間が凍結したかのような寂寥の港――離島だった。
船影のない埠頭。潮風が朽ちた木材の隙間を抜け、仄かな腐朽の匂いを運んでくる。都市の入り口でありながら、他者を拒絶する冷たい空気を感じる。
舞い散る紅葉の葉が、水彩の赤絵の具に濡れたような夕陽を浴びて、血の滴りのように宙を舞っていた。
視線を上げれば、遠く山の頂に鎮座する鳴神大社が見える。
神域を囲む青と紫の光の脈動が、妖しく大気を揺らしていた。
それは、璃月の峻烈な岩山とも異なる、異界の聖域。あの場所を中心に、この国全体を覆う『永遠』という名の呪いが脈動している。
「……本当に、五百年も経ったんだ」
隣に立つ千代の横顔。
その瞳孔に光はない。ただ、無限の時間を飲み下したような、静かで深い空洞がそこにぽっかりと空いていた。
かつて知る故郷は、とうの昔に消え去った。
五百年。俺が暗い洞天の底で彼女の魂を継ぎ接ぎしている間に、外の世界は、彼女の知らない形へと摩耗し、変質してしまっていたのだ。
前にいた頃の記憶と、目の前にある現実のズレ。自分が世界から取り残された『異物(バグ)』になってしまったという事実が、彼女の細い肩に重くのしかかっている。
それでも、彼女の足裏は確かな質量をもって、この冷たい故郷の土を踏みしめていた。
逃げることはできない。ここまで来た以上、俺たちはこの狂った現実と向き合い、折り合いをつけて生きていくしかないのだ。
俺は、己の胸郭に湧き上がる痛みに似た熱を抑え込み、彼女の華奢な肩をそっと叩いた。
「――行こう」
少女の薄い唇が、静かに肯定の弧を描く。
◆
港の静寂を破ったのは、宙に舞うモラの硬質な金属音だった。
「やっと来た。璃月の姉御、待ちくたびれてたところだよ」
荷箱に腰掛ける男。金髪のポニーテール、赤と黒の奇抜な装束。
緑の双眸が、狩りをする獣のように俺たちを射抜く。
トーマ。北斗が「ここの顔役」と称した男だ。
俺は傍らの木箱を叩き、用意していた偽りの名を騙る。
「俺は蒼雲。水晶売りの商人だ。こっちは連れの――飛蝶(ひちょう)」
頬に蝶の印を刻み、商人の装束を纏わせた千代。幕府に追われる「反逆者(バグ)」としての素性を隠すための、急拵えの擬態だ。
だが。男の瞳孔が、俺の叩いた木箱にピタリと固定された。
「……とても綺麗だね。まるで――水のようだ」
心筋が、ちくりと冷たい針で刺されたように疼いた。
俺が水元素を凝縮して偽造した、まやかしの結晶。その構成物質(ほんしつ)を、ただの一瞥で看破したというのか。
無害な青年の笑み。――否
この男は、異人たちが吹き溜まるこの離島という泥沼を、笑顔ひとつで泳ぎ切るだけの鋭利な牙を隠しているのだ。
顔には愛想の良い商人の笑みをルーチンワークのように貼り付けながら、俺は腹の底に強い警戒の楔を打ち込んだ。
その後、入国審査所での茶番が始まる。
出航前、煙緋に搾り取られた巨額のモラと引き換えに得た通行証のおかげで、俺と千代は難なく関所を通過した。
だが、案の定というべきか、無策の旅人とパイモンが衛兵に止められる。
そこへトーマが懐から差し出した書類によって窮地を脱するも、続く遠国監察での手続きで、さらなる罠が口を開けて待っていた。
手数料、一人につき百万モラ。
法外な要求に、血管の巡りがぴたりと滞る。
払えるわけがない。煙緋への支払いで、俺の懐はすでに底を突いている。ここまで来て、こんな紙切れの暴力――官僚機構という名のシステムに追い返されるというのか。
だが、男の軽薄な舌先が、澱んだ空気を鮮やかに反転させた。
「手続料なんて……六百モラで十分じゃないか? ここはオレが代わりに出すよ」
言葉を交わすこと数合。審査官の顔色がみるみるうちに変わり、交渉は呆気なく成立した。
腐敗。規則という名の搾取。
吸血鬼事件が起きた時点でその街が根元から腐っているように、この国の入り口もまた、内側からじわじわと壊死し始めている。
雷電将軍への面会を求める旅人に対し、トーマは笑みを崩さぬまま、ひとつの試練を課した。
「君たち……ここ離島から出る方法を、それぞれで見つけるんだ!」
◆
旅人たちと二手に分かれての探索。
人気のない裏通りへ入ったところで、千代の視線が、石畳の先を捉えて硬直した。
紫電を纏う一匹の霊獣。宙をふわりと漂う、雷の狐。
「……ついていこう」
彼女の掠れた声に促され、俺たちはその幻のような尾を追った。
辿り着いたのは、巨大な雷神の石像――七天神像の前だった。
「五百年前と……まるで変わらない……」
千代の唇から、ぽつりと感傷がこぼれ落ちる。
五百年。すべてが摩耗し変質してしまった故郷の中で、ただひとつ、彼女を斬り捨てた神の造形だけが、あの日のままの形でそこに在る。
――その、直後だった。
バチリ、と。足元の岩盤に禍々しい雷の紋様が浮かび上がり、視界の四隅から紫色の光が爆ぜた。
「蒼雲――!」
鼓膜を打つ、千代の悲鳴。
俺が反射的に手を伸ばし、彼女の細い腕を掴んだ瞬間。
足裏から、大地という概念が消失した。
一点に向けてめくれ、ねじれ、畳まれる視野。ぐるぐると脳そのものが回るような過酷な感覚。
轟音。網膜を焼き切る閃光。意識が脳みそごと地面にぶちまけられるような眩暈。
強制的に電源を落とされた機械のように意識が途絶える寸前――石で造られた雷神の無機質な貌が、ただ静かに俺たちを見下ろしていた。
◆
バラバラに解体された視界の破片が、ゆっくりと元の形へ繋ぎ直されていく。
鼻腔の奥を突いたのは、肺の底まで染み込むような、重く高貴な香煙の匂いだった。
見上げる空には、黒紫の雷雲が禍々しく渦を巻いている。
チリン、と。軒先に吊るされた風鈴が、氷の欠片を打ち合わせたような音を立てた。
朱塗りの巨大な社。
そこには、人間の生活の匂いも、呼吸の気配もまるでない。都市の只中にありながら、俗世を拒絶する空気が満ちている。ただ時間という歯車だけが錆びついて停止した、箱庭の聖域。
「なんじゃ……意外と仕事が早いの〜」
艶を帯びた声が、凍りついた空間にゆるやかな波紋を広げた。
視線を滑らせる。社の軒先。
白く長い指先で霊狐の背を撫でている、桜色の髪の女がいた。
伏せられた紫の双眸が、傾きかけた夕陽の残照を吸い込んで、琥珀にも似た危うい光を放っている。
寸分の狂いもなく着こなされた流麗な巫女服。揺れる金色の耳飾り。風が吹くたびに鳴る小さな鈴の音が、こちらの神経の表面を甘く、それでいて逆撫でするように擦っていく。
手には何ひとつ持たず、ただ自然体でそこに在るだけ。
美しい。――いや、それは表面でしか判断すればの話。ほんしつは異なる。清楚でありながら扇情的なんて、矛盾した言葉が浮かぶ。
その佇まいは、何百年もの間、誰の手にも触れられずに飾られてきた一枚の絵画のように完璧な造形で――その一枚皮の裏側に、底の知れない暗い穴を隠し持っていた。
「お前……何者だ?」
喉の奥にへばりつく嫌な渇きを唾液で押し流し、俺は声を絞り出した。
女は、撫でていた狐からすっと手を離し、くすりと唇の端を吊り上げる。
「妾か?」
愉悦を含んだ、ひどく軽い吐息。
「妾は鳴神大社の宮司、八重神子。此度、其方らをここに参らせたのは――大社の勅令により、汝らの一挙一動を見定めるためじゃ……」
射抜かれる。
紫の瞳が、檻の中の珍獣を品定めするような冷たい光を帯びて、俺たちの輪郭をなぞった。
皮膚が粟立つ。大気の質量が一段階跳ね上がり、海の底にいるみたいに肺が圧迫される錯覚。
だが、その重圧はほんの一拍で霧散し、女の瞳はすぐに、タチの悪い悪戯を思いついた子供のような色へと変わった。
「ふふ……そう緊張するでない。ただの建前に過ぎぬ。実のところは――」
その言葉の先を遮ったのは、隣の千代の、擦り切れた声帯から飛び出した絶叫だった。
「あなたは――!」
弾かれたように振り返る。
千代の顔面から血の気が引き、その指先が小刻みに震えていた。
大きく見開かれた瞳。そこに浮かんでいるのは、目の前の異物を前にした驚愕と、五百年の泥の底に封じ込められていたはずの、ひどく古い郷愁の残照だった。
「狐斎宮の肩に乗って、油揚げを頬張ってたあの狐!」
…………は?
ピシリ、と。俺の頭蓋の中で、言語野の回路が焼き切れた。
狐斎宮。肩に乗る狐。油揚げ。
目の前に立つ底知れぬ威容を纏った大社の宮司と、千代の口から飛び出したあまりに牧歌的な単語の羅列が、俺の脳内でどうやっても噛み合わない。
だが、八重神子の反応は、そんな俺の混乱をあっさりと置き去りにした。
彼女は一瞬だけ目を丸くし、それから、雪解けの陽射しのようにふわりと柔らかく微笑んだのだ。
「ほう? そのような昔話を覚えているとは、なんとも殊勝なことじゃのう」
すう、と。しなやかな動作で、女が立ち上がる。
衣擦れの音すらしない。舞い散る桜の花弁から「音」という概念だけを抜き取ったような、不気味なほどに静かな歩法。
「ふふ、会話が出来るだけでなく昔のことをよく覚えておる……そこで惚けておる奴に感謝せねばの〜、童よ」
童。
童、だと。俺が童だと、この女は言ったのか。
三千年以上の星霜を重ね、岩王帝君の傍らで幾多の魔神を屠ってきた俺の魂に対し、この小娘は、一体全体どういう尺度で口を叩いているのか。
こめかみの血管が、ピクリと跳ねる。
だが。腹の底から湧き上がりかけた怒りの熱よりも先に、俺の背骨を、氷の柱で撫で上げられたような戦慄が駆け抜けた。
この女は、知っている。
千代の素性を。彼女が五百年前、あの暗黒に呑まれてすべてを失う前の、幸福だった日々の記憶を――当然の前提として共有しているのだ。
「さて――妾とお主の連れとの関係が知りたくば、妾に付き合ってもらおうかの」
傾いた夕陽が、彼女の桜色の長髪を、燃え落ちる炎のような朱色に染め上げていく。
妖狐と、鬼の娘。
五百年という、気が遠くなるほどの断絶を越えて繋がってしまった因果の糸。
俺は今、この閉ざされた神の国が隠し続けてきた歴史の暗部へと、後戻りできない一歩を踏み入れてしまったのだ。
ひゅう、と。
どこか遠い記憶の底から吹いてきたような乾いた風が、静まり返った神社の境内を通り抜けていった。
鍾離
蒼雲について
彼か?彼は長い時を生きた仙人であり俺の古くからの友人だ。その振る舞いは常に冷静沈着。まるで山岳に立つ松のごとく、どのような風にも揺らぐことがない。だが、その寡黙さゆえに、彼の真意を汲み取るのは容易ではないな。
しかし、長きにわたり彼と交わった身として言わせてもらえば、蒼雲は何よりも生命を重んじる者だ。己の仙力を惜しみなく使い、人々を守ろうとする心根の優しさは、誰よりも際立っている。
……ただ、いささか世話焼きが過ぎるきらいがあるな。殊に病み上がりの者に対しては、必要以上に気を遣い、あれこれと世話を焼く。彼なりの優しさではあるのだが……時として、それが少々、手厳しく感じることもあるものだ。
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璃月篇(海灯祭)※この話の本編
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引き続き稲妻篇