闇に呑まれていた鬼の娘を500年かけて看病した仙人が、異国で恋愛小説の餌食に…… 作:時代に遅れている
あっコメントに他国の神について知らないのか?という質問に対して……はもうそこんところは勘弁してくれるとありがたいですね。
今回の話もいろいろあるかもしれませんが、何も考えずにお読みください。
一応、この話は稲妻篇と璃月篇がございます。
八重神子は、あれから意図的に話の軌道を逸らし続けていた。
「そうそう。汝が手に取っていた本の多くはの——」
――まただ。
言葉の表面を滑らせ、深層へと踏み込むことを拒絶している。
俺は、妖艶に光る紫の双眸を真正面から見据えた。
先ほどから、彼女は狐斎宮の“現在”について一切の言及を避けている。巧みな話術の陰に隠された、確固たる防衛線。
(……やはり、狐斎宮はもうこの世にはいないのだろう)
その推論が静かに脳髄を満たした瞬間、俺の成すべき行動は決まっていた。
肺腑に滞留していた空気を静かに吐き出し、深く頭を下げる。
「……すまなかった」
神子の言葉がピタリと止まる。
「ほう?」
わずかに柳眉を上げ、彼女は愉悦の音色を響かせた。
「急に謝罪するとは……さては、先程の無礼に関しての懺悔か? それはもう、妾の寛大なる心で許してやっても——」
「違う」
俺は端的に首を振る。
「どうやら俺は——お前の語りたくない過去の傷跡を、無理矢理に抉り出そうとしていたらしい。すまなかった」
神子の表情から、一瞬だけすべての感情が抜け落ちた。
指先が、微かに空間で揺れる。
だが、次の瞬間には完璧な余裕の仮面を被り直していた。
「そして——感謝する」
俺は言葉を継ぐ。
「あの場で凄惨な真実を並べ立てられていれば——千代は、これ以上ないほど魂を叩き割られていただろう。その心遣いにも、礼を言う」
静寂が降りる。
夜の気配だけが、二人の間を音もなく流れていく。
やがて彼女は、ふっと薄い唇を綻ばせた。
「ふふふ……」
流し目で俺を射抜く。
「何を言い出すかと思えば、そのようなことか」
妖しい笑みが、月光の下で花開く。
「妾はてっきり、化け狐扱いしたことの謝罪と“布団を一つにしたこと”への感謝を捧げられるのかと思ったわ」
こめかみの血管が、ピクリと不快な脈動を打つ。
女狐は“してやったり”とばかりに、手で口元を覆いながらくすくすと肩を震わせた。
俺は深い溜息を夜気に溶かし、声の温度を下げて返す。
「それについては——そちらに土下座を要求したいところだがな」
「謝罪? 妾が?」
微塵も悪びれることなく、彼女は楽しげに目を細めた。
俺は視線を逸らし、周囲を埋め尽くす書物の山を改めて見回した。
「ところで、ここは何なんだ。よく分からん内容の紙束がぎっしりと……」
稲妻の歴史を紐解くための古文書を探すだけで、骨が折れる思いだった。あちこちに積まれた山の大半は、どう見ても史実とは無縁の異物にしか見えない。
俺の呆れた響きを拾い、神子は愉快そうに瞳を輝かせる。
「よく分からん本とは何じゃ? これは民の想像力が生み出した結晶。俗にいう娯楽小説じゃ」
「娯楽……小説?」
聞き慣れぬ単語が、舌の上で転がる。講談師の語る英雄譚のようなものか。
「そしてここは、その娯楽小説を世に送り出す本陣――“八重堂”。そして、その編集長を務めるのが妾じゃ」
論理の糸が千切れかけた。
出版社? 編集長?
大社のトップたる宮司が、俗世の娯楽を束ねているというのか。
試しに足元の本を手に取り、頁を開く。――一行目から、言語の形をした未知の暗号にしか見えない。
「ということは……」
俺は本を閉じ、神子を見る。
「その娯楽小説とやらは、お前も書いているのか? さぞ、神頼みに来る人間たちを面白おかしく――」
言葉の途中で、神子はあからさまに心外だという顔を作った。
「何を言っておる。そんな面倒なこと、妾がするはずもなかろう?」
「……?」
では何故、編集長などと。
彼女は優雅に指先を躍らせ、自慢げに微笑む。
「妾はな、それを読んで“面白い”と感じたものに、世に出す許可を与えるだけじゃ」
「……なるほど?」
つまり、自分では手を動かさず、他人の血肉を削った成果物を玉座から選別しているだけか。
彼女はさらに、極上の娯楽を思い出したように目を細める。
「それに――締め切りを控えた輩をからかうのも、実に愉快でな」
脳裏に、凄惨な地獄絵図がフラッシュバックする。
机にかじりつき、寿命をすり減らして筆を走らせる作家たち。背後で優雅に茶を啜りながら、じわじわと精神の退路を断っていく八重神子の姿。
……容易に想像できる分、質が悪い。
俺は首の骨を鳴らし、肩をすくめた。
「お前……信用していいのか悪いのか、本当に分からん奴だな」
神子は口元を袖で隠し、妖艶に微笑む。
「それでこそ、妾じゃ」
これ以上の追及は、俺の精神力を無駄に削るだけだ。
話題を打ち切ろうとした矢先。
「それより、明日は予定があるのじゃ……」
ふと、神子が意味深な音色を混ぜた。
「予定? ここに誰か来るのか?」
「ふふふ……見立てによれば、汝の知り合いがここに来るじゃろ」
「……?」
稲妻に知り合いなどいるはずがない。
問い返そうとしたが、神子は「良いから、寝よ」と取り付く島もない。
「妾はもう眠いのじゃ」
ひらひらと手を振り、彼女は闇の奥へと身を翻す。
……どうせ、また何か底意地の悪い舞台を整えているのだろう。
「……あ、ああ。分かった」
俺は微かな胸騒ぎを抱えながら、静かに目を閉じた。
◆
朝焼けの朱が、神櫻の枝葉を燃えるように染め上げる。
淡い紫の花弁が風に舞う中、俺は頭蓋に残る睡眠の残滓を振り払っていた。
(朝が早いとは聞いていたが……まさか夜明け前とはな……!)
だが、文句を口にする空気ではない。
境内に立つ神子は、昨夜の飄々とした態度はどこへやら、冷ややかな真剣味を帯びて石段を見下ろしていた。
俺と千代は、巫女に促されるまま社の影に身を潜める。
「……神子が、あんなに真剣になるなんて」
千代の小さな呟きが、朝の冷気に溶ける。
やがて、石段を下から這い登ってくる三つの影があった。
一人は初老の男。腰に刀を帯びてはいるが、その足取りは泥に沈むように重く、両脇を若い二人の弟子に支えられている。
「……来るな、俺に近づくな……」
男――土門は、虚空へ向けて狂乱の声を漏らした。
肩で息をし、眼球をせわしなく動かしながら震える。
「もう……剣はやめたんだ……許してくれ……」
過去の亡霊に怯える剣客。一体何が彼をそこまで追い詰めたのか。
神子が静かに男を見据える中、俺の背後から突然、小さな声が降ってきた。
「あ、あの人が“八重様”か……」
「!?」
振り返ると、そこにいたのは旅人とパイモンだった。
「純也の言ってた通り、すごく強いオーラを放ってるぞ……」
パイモンが小声で囁いている。
「……お前たち、なぜここに?」
俺の問いに、パイモンは顔を真っ赤にして空中で地団駄を踏む。
「なぜここに? じゃないぞ!! 離島から急にいなくなりやがって――あの後、大変だったんだからな!」
「わ、悪かった……色々あってな」
実際、神子に連行される形で動いたため、弁明の余地は少ない。
「そんなんでオイラが見逃すと思うなよ!! たっぷりと――!」
「パイモン」
旅人の静かな声が、浮遊生物の怒りを制止する。
「今は、儀式の方が大事だ。理由は後で聞けばいいでしょ?」
パイモンは不満げに口を尖らせたが、渋々引き下がった。
俺は旅人に助け舟の礼を視線で送る。が。
「ちゃーんと……訳は聞くからね」
旅人の瞳に宿る、温度の無い微笑み。
胃の腑の底に、氷塊をねじ込まれたような悪寒が走る。
(……これは、後で苛烈な尋問が待っているな)
隣で千代が小さく吹き出すのを睨みつけながら、俺は視線を境内へと戻した。
◆
「見ての通りです、八重様」
巫女の稲城蛍美が、悲痛に顔を歪ませて口を開いた。
「土門さんはずっとこの状態です。かつて彼に負けた人が、周りで自分を罵っているようで……」
虚空を見つめ、謝罪を繰り返す土門。
「八重様、師匠は……邪気に取り憑かれたのでしょうか?」
弟子の一人、菜々子が懇願するように縋る。
「昔の師匠は、どんなことがあっても笑っていたのです……」
神子は静かに目蓋を閉じた。
そして、無慈悲な宣告を下す。
「残念じゃが、汝らの師匠から邪気は感じられぬ。自らこのようになったのじゃ」
菜々子の顔から、希望の血色が引いていく。
「巨大な重圧に耐えかね、心は崩壊。最後には発狂する――水に落ちた者のように、足掻けば足掻くほど、暗く冷たき深海に堕ちるのじゃ」
(精神が崩壊……?)
俺の疑問に答えるように、神子は土門を冷徹に一瞥する。
「“原因”は――おそらく、神の目を失ったことじゃろう」
空気が、刃のように張り詰める。
「神の目を奪われるというのは――“願い”を奪われることと同じじゃ」
「“願い”……。しかし八重様、願いを奪われたというのなら、一般の人に戻るだけじゃないのですか? どうして発狂なんて……」
弟子の純也が震える声で問う。
神子は少しの間を置き、真理を解き明かすように口を開いた。
「汝らの流派……“明鏡止水流”と言ったか? いい名じゃが、今のこの世の中、本物の“明鏡止水”などどこにもあらぬ」
風が、境内の砂埃を舞い上げる。
「剣術で天下一を取ることは、凡人にとって容易いものではない。他者の夢を打ち砕き、踏み台にしていく必要がある。――たとえそれが、近くにいる“親しい者”であろうとも」
神子の言葉が、土門の罪悪感を正確に抉っていく。
「“天下一を取る”という願いに執着し、“苦しみ”を一時的に忘れることで、彼は先に進むことができたのじゃろう」
残刻な、最後の一振り。
「――その願いが失われた時。彼は“自分”を否定し始め、“恐怖”にもがく。そして――“このようになる”」
深い、底なしの沈黙。
「すまない……ぜんぶ俺のせいなんだ……」
土門の掠れた懺悔が、虚空に溶ける。
「もういい!!」
突如、静寂を切り裂く怒声。
そこに立っていたのは、一人の屈強な男。
「さっき会った土門さんの兄弟子!?」
パイモンが驚く。
旅人が会っていたという、かつての兄弟子・安西。
「安西……復讐しに来たんだろ……?」
怯える土門に対し、安西は低い声で告げた。
「お前の謝罪なんか、聞きたくねぇ。はなっから、お前は間違ったことなんか何もしてねぇ。間違えてたのは俺なんだ」
過去の苦悩を断ち切った、澄んだ声。
「俺たちは、自分たちの願いをお前に託した。お前がさらに高みに行けることを願ってた」
土門は唇を噛む。
「だが……あいつらも俺のように、血をにじませて苦しむかもしれない。いつの日か俺みたいになるなら――立ち止まる方がマシだ」
「……そいつらの考えを、聞いたことはあるか?」
安西の問いに応えるように、菜々子が一歩前へ出る。
「私はまだ止まりたくありません! いつか正々堂々、『明鏡止水流』の伝承者だと皆さんに伝えると信じています!」
純也も力強く頷く。
二人の直情的な眼差しに撃たれ、土門は震える顔を上げた。
「お前たち……」
安西はふっと笑う。
「ほら見ろ。俺がお前に託したように――お前も、そいつらに願いを託せ」
長い葛藤の末。土門の瞳に、かすかな光が戻る。
「そうか……分かったよ。俺の人生で学んだすべてを、お前たちに教えてやる」
神子の口元に、慈愛に似た笑みが浮かぶ。
願いは消えても、想いは繋がれていく。
◆
儀式が終わり、穏やかな空気が境内に満ちる。
明鏡止水流の一行が深く礼をして去っていくのを見送り、パイモンが腕を組んで頷いた。
「これで解決したよな?」
千代が不思議そうに首を傾げる。
「その言い方……あなたたち、依頼を受けていたの?」
誤魔化すパイモンの横で、稲城蛍美が旅人を呼び止めた。
「八重様からお話がございます」
神子は、旅人へと深紫の瞳を向けた。
「……やはり、妾の気のせいじゃなかった。異郷から訪れる風――この海域に新たな望みを吹き付ける……」
俺の脳裏で、言葉の意味が回転する。
異郷。新たな望み。
「妾たちの出会いは少々早すぎたかもしれぬが――汝がこの島を訪れた時機は、ちょうどよかったといえよう」
神子はわずかに口元を緩めた。
「……妾の期待に応えられるよう励むがよい、童よ」
言葉を残し、彼女は社の奥へと背を向ける。
すれ違いざま、彼女の口から零れた呟き。
「はぁ……疲れた。これも全て、未熟な友人のせいじゃ……」
未熟な友人?
俺が眉をひそめると、千代が苦笑しながら腕を組んだ。
「お疲れ。流石、いつも斎宮の肩から仕事を眺めていただけのことはあるね」
神子はふっと微笑む。
「そうじゃろ?」
巫女モードから脱した女狐に、俺は問いを投げる。
「お前、旅人に何か期待している風に思えたが?」
神子は優雅に微笑む。
「ふむ、それに間違いはない。じゃが――まず、旅人と行動せよ。そうすれば妾の言わんとすることが見えてくるやもしれぬぞ?」
俺は地に落ちる桜花を見つめ、小さく息を吐いた。
「……分かった。千代、旅人の後を追おう」
千代が頷いた瞬間。
「千代は置いてゆけ」
神子の冷ややかな声が、俺の足を縫い止める。
「……なぜだ?」
「主は忘れたのか? 千代は稲妻で、将軍に刃向かった逆賊とされていることを……」
思考が冷水を浴びたように覚醒する。
五百年前の罪。今の稲妻が、彼女を許すはずがない。
「それに――汝のおかげでアビスからは解放された……じゃが、完璧ではないのだろう?」
紫の瞳が、俺の隠匿していた事実を正確にえぐり出す。
「……ああ」
俺は慎重に言葉を選ぶ。
「汚染は取り除いた。だが、別の何かと混ざった『残火』が残っている。それを消し去るには、彼女の心の深層に入れる者――過去を共にした人物の介在が必要なんだ。だから……稲妻までついて来た」
千代は唇を噛みしめ、俯く。
俺は神子を睨む。
「どうやってそれを見破った?」
「そんなの、妾の素晴らしい“法術”のおかげに決まっておるじゃろ?」
(絶対に嘘だ)
胡散臭さが極まっているが、追及している時間はない。
「分かった。俺が旅人と行動して状況を把握する間、お前が千代の世話をしてくれるということだな」
千代を連れ回すのは危険すぎる。
「千代――俺が戻るまで、ここで待っていてくれ」
彼女は不安を滲ませながらも、小さく頷いた。
「大丈夫だ。必ず戻る」
社の外。
待っていた旅人とパイモンの目が、不自然に泳いでいる。
「お前ら……盗み聞いていたな?」
「な、何のことだっけ?」
分かりやすすぎる反応。まあ、聞かれて困るような機密でもない。
「……じゃあ、行くとするか」
旅人が頷く。
振り返ると、神子が意味深な微笑を浮かべてこちらを見送っていた。
視線の意図は読めない。だが、俺は前を向く。
稲妻の“真実”を見極める。
それが今、俺の踏み出すべき戦場だった。
甘雨が語る蒼雲
蒼雲さんについて……ですか?
なぜあなたが彼のことを知っているのか、少し気になりますが……。
私自身はほとんどお会いしたことがありません。ただ、留雲真君から何度かお話を伺ったことがあります。彼は昔、俗世によく姿を見せていたそうです。仙人の中では珍しく人々と親しく接し、友と認めた相手にはよく話しかける、意外とお喋りな方だったとか。
……ですが、戦の時、そして岩王帝君の傍にいる時だけは、まるで別人のように寡黙になるそうです。戦の時はまるで己の感情を押し殺すかのように——。
それくらいしか、私の知る限りのことはお伝えできませんが……あっ、そういえば。
留雲真君は、彼のことを話すたびに、最後に必ずこう言うのです。
「あやつはいつになったら自分を許し、一歩踏み出すのか……」
どういう意味なのか……私には分かりません。ただ、長い時を生きた仙人の中には、過去を背負い続ける方も多いと聞きます。もしかすると、蒼雲さんも——何か、大切なものを失ってしまったのかもしれませんね。
稲妻篇が終わったら続きは何が良いか 選択によって稲妻篇の最後が変わる。
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璃月篇(海灯祭)※この話の本編
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引き続き稲妻篇