闇に呑まれていた鬼の娘を500年かけて看病した仙人が、異国で恋愛小説の餌食に……   作:時代に遅れている

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ランキングにも入らせていただきありがとうございます。

あっコメントに他国の神について知らないのか?という質問に対して……はもうそこんところは勘弁してくれるとありがたいですね。

今回の話もいろいろあるかもしれませんが、何も考えずにお読みください。


一応、この話は稲妻篇と璃月篇がございます。




願いは絶たれど想いは紡がん

八重神子は、あれから何度も話を逸らし続けた。

 

 「そうそう。汝が手に取っていた本の多くはの——」

 

このように

 

 ……また話を逸らそうとしているな。

 

 俺は神子の紫の瞳をじっと見つめた。

 

 先ほどから、彼女は一向に狐斎宮について"本当のこと"を語ろうとしない。

 

 まるで、その話題に触れることを避けるように——

 

 (……やはり、狐斎宮はもうこの世にいないんだろう。)

 

 ならば、俺がすべきことは決まっていた。

 

 俺は軽く息を吐き、静かに頭を下げる。

 

 「……すまなかった。」

 

 神子は扇を止め、わずかに眉を上げる。

 

 「ほう?」

 

 「どうしたんじゃ?」

 

 そして、楽しげに笑う。

 

 「急に謝罪するとは……さては、先程の無礼に関しての謝罪か?」

 

 「それはもう、妾の寛大なる心で許してやっても——」

 

 「違う。」

 

 俺は静かに首を振った。

 

 「どうやら俺は——お前の語りたくない過去を、無理矢理にでも聞き出そうとしていたようだ。」

 

 「すまなかった。」

 

 神子の表情が、一瞬だけ止まる。

 

 手が、かすかに揺れた。

 

 だが、すぐに彼女はいつもの余裕の笑みを浮かべる。

 

 俺は続けた。

 

 「そして——感謝する。」

 

 神子は、ほんの少しだけ目を細めた。

 

 俺は彼女を見つめながら、言葉を紡ぐ。

 

 「あの場で真実を語っていた場合——千代は、さらに心に深い傷を負ってしまっていただろう。」

 

 「その心遣いにも、礼を言う。」

 

 その言葉に、神子はしばし沈黙する。

 

 だが——

 

 やがて彼女は、ふっと微笑んだ。

 

 「ふふふ……。」

 

 そして、、俺をじろりと見やる。

 

 「何を言い出すかと思えば、そんなことか?」

 

 そして、妖艶な笑みを浮かべながら、言葉を続ける。

 

 「妾はてっきり、化け狐扱いしたことの謝罪と"布団を一つにしたこと"に感謝されたのかと思ったわ。」

 

 俺の顔が、ぴくりと引き攣る。

 

 神子はまるで"してやったり"とでも言うように、くすくすと笑いながら手で口元を隠した。

 

 俺は深くため息をつき、皮肉げに言う。

 

 「それについては——そちらに謝罪を要求したいがな。」

 

 神子は笑みを深め、軽く肩をすくめる。

 

 「謝罪? 妾が?」

 

 そして、楽しげに目を細めた。

 

俺は周囲を見渡しながら、腕を組んだ。

 

 「ところで、ここは何なんだ?」

 

 「よく分からん内容の本の数々がぎっしりと……。」

 

 確かに、稲妻の歴史について書かれた古文書を探すだけで一苦労だった。

 

 あちこちに積まれた書物の山——そのほとんどが、どう見ても歴史や記録とは関係のないものばかりだった。

 

 「稲妻の歴史について書かれた古文書を探すだけで、一苦労したぞ。」

 

 そんな俺の言葉を聞きながら、八重神子はくすりと笑う。

 

 「よく分からん本の数々とは何じゃ?」

 

 俺の視線の先にある書物をちらりと見て、紫の瞳を愉快そうに細める。

 

 「これは民の想像力で書かれた小説。」

 

 「俗にいう娯楽小説じゃ。」

 

 俺は一瞬、眉をひそめる。

 

 「娯楽……小説?」

 

 聞き慣れない言葉に、思わず口に出してみる。

 

 (何だそれは? 講談師の話みたいなものか?)

 

 俺が首を傾げていると、神子は、誇らしげに言った。

 

 「そしてここは、その娯楽小説を世に送り出す出版社の本陣。」

 

 「——"八重堂"。」

 

 「そして、その編集長を務めるのが妾じゃ。」

 

 俺は一瞬、言葉を失った。

 

 「……出版社? 編集長?」

 

 これはまた、予想もしなかった役職が出てきたな。

 

 神社の宮司でありながら、娯楽小説の編集長……?

 

 いや、そもそも娯楽小説というものがどんなものなのか、俺にはまだよく分かっていない。

 

 俺は試しに近くの本を手に取り、ぱらぱらとめくってみた。

 

 ——が、一行目からまったく意味が分からない。

 

 「ということは……」

 

 俺は神子に視線を戻し、ふと疑問を口にする。

 

 「その娯楽小説とやらは、お前も書いてるのか?」

 

 「さぞ、神頼みに訪れた人々を面白おかしく書いて——」

 

 そう言いかけた瞬間、神子はあからさまに呆れたような顔をした。

 

 「何を言っておる。」

 

 「そんな面倒なこと、するはずないじゃろ?」

 

 「……?」

 

 俺は首を傾げる。

 

 すると、神子は得意げに微笑み、軽く扇を振った。

 

 「妾はな、それを読んで"面白い"と感じたものを世に出す許可を出すだけじゃ……。」

 

 「……なるほど?」

 

 つまり、神子自身は書かずに、作家が書いたものを選別しているだけということか?

 

 だが、彼女はすぐに愉快そうに笑いながら、さらに一言加えた。

 

 「それに——」

 

 「締め切りを控えた輩をからかうのも、実に面白くてな。」

 

 俺の脳裏に、瞬時にとある光景が思い浮かぶ。

 

 ——机にかじりつき、涙目になりながら筆を走らせる作家たち。

 

 ——締め切りの鐘が鳴る中、じわじわと追い詰められる彼らの背後で、余裕たっぷりに笑いながら茶でも飲んでいる八重神子の姿。

 

 ……ああ、容易に想像できるな。

 

 俺は軽くため息をつき、肩をすくめる。

 

 「お前……信用していいのか悪いのか分からん奴だな。」

 

 神子は口元を手で隠しながら、妖艶に微笑む。

 

 「それでこそ、妾じゃ。」

 

 俺はますます頭を抱えたくなるが、これ以上深入りしても疲れるだけだ。

 

 仕方なく話題を変えようとしたその時——

 

 「それより、明日は予定があるのじゃ……。」

 

 神子がふと、意味深に言った。

 

 俺は顔を上げる。

 

 「予定? ここに誰か来るのか?」

 

 神子は唇の端をゆるく持ち上げ、扇で軽く顎をなぞる。

 

 「ふふふ……。」

 

 「見立てによれば、汝の知り合いがここに来るじゃろ。」

 

 「……?」

 

 俺は首を傾げた。

 

 知り合い?

 

 稲妻にはほとんど知り合いがいないはずだが……?

 

 神子は俺の疑問には答えず、ただ扇で口元を隠しながら、楽しげに言う。

 

 「良いから、寝よ。」

 

 「……おい。」

 

 「妾はもう眠いのじゃ。」

 

 俺が何か言おうとすると、神子は軽く手を振ってその場を去ろうとする。

 

 ……どうせ、また何か企んでるんだろうな。

 

 俺は半ば諦めつつ、深いため息をついた。

 

 「……あ、ああ。分かった。」

 

 とりあえず、明日になれば答えが出る。

 

 神子の言う「知り合い」とは、一体誰なのか——

 

 俺はわずかに胸騒ぎを覚えながらも、目を閉じることにした。

 

朝焼けの光が神櫻の枝を照らし、淡い紫の花びらが風に舞う。

 

 俺はまだ眠気の残る頭を抱えながら、深いため息をついた。

 

 (確かに朝は早いとは聞いたが……。)

 

 (まさか"5時"とは思わなかったぞ……!!)

 

 だが、文句は言えなかった。

 

 なぜなら——

 

 神子が、昨日とは打って変わって真剣な表情で社に立っていたからだ。

 

 普段は余裕たっぷりに笑いながら人をからかうような彼女が——今はまるで別人のように静かに神社の階段を見つめていた。

 

 その雰囲気に、俺と千代は言葉を飲み込むしかなかった。

 

 巫女たちに促され、俺たちは社の影に身を潜める。

 

 「……神子が、こんなに真剣になるなんて。」

 

 千代が小さく呟いた。

 

 俺も同じことを考えていた。

 

 ——一体、何が起きる?

 

 そんな疑問を抱えたまま、じっと前を見据えていると——

 

 しばらくして、神社の石段をゆっくりと登ってくる三人の姿が見えた。

 

 そのうちの一人は年老いた男で、腰に刀を差してはいるものの、今にも倒れそうなほど憔悴していた。

 

 彼は、後ろにいる二人の若い者に支えられながら、足を引きずるようにして歩いている。

 

 「……来るな、俺に近づくな……。」

 

 その男——土門は、苦しげにそう呟いた。

 

 神社の階段の途中で立ち止まり、肩で息をしながら震える声で続ける。

 

 「もう……剣はやめたんだ……。」

 

 「許してくれ……。」

 

 俺は彼の姿をじっと見つめ、考えを巡らせる。

 

 (なるほど……剣術家だったのか。)

 

 ならば、後ろについている若い二人は彼の弟子だろう。

 

 だが、なぜそんな彼が、今こうして神子のもとへやって来た?

 

 なぜ、これほどまでに怯えている?

 

 神子は相変わらず表情を崩さず、静かに彼を見つめていた。

 

 そのとき——

 

 「あ、あの人が"八重様"か……。」

 

 小さな声が、すぐ背後から聞こえた。

 

 「!?」

 

 驚いて振り返ると——そこには、旅人とパイモンがいた。

 

 「純也の言ってた通り、すごく強いオーラを放ってるぞ……。」

 

 パイモンは小さく囁きながら、神子の立ち姿をじっと見つめている。

 

 俺は、驚きを隠せないまま、彼らを見つめ返した。

 

 「……お前たち、なぜここに?」

 

 「なぜここに? じゃないぞ!!」

 

 パイモンは、ぷりぷりと怒りながら俺を睨みつける。

 

 「お前たちだって、離島から急にいなくなりやがって——あの後、大変だったんだからな!」

 

 その言葉に、俺は思わず肩をすくめた。

 

 「わ、悪かった……いろいろあってな。」

 

 実際、俺たちはあの後すぐに神子に連れられてここへ来たわけで、旅人たちに説明する暇なんてなかった。

 

 だが、当然ながらパイモンはそんな言い訳で納得するような性格ではない。

 

 「そんなんでオイラが見逃すと思うなよ!!」

 

 パイモンはぷるぷると震えながら、俺に向かって指を突きつける。

 

 「たっぷりと——!」

 

 「パイモン。」

 

 その時、旅人が静かに声をかけた。

 

 パイモンはハッとして旅人の方を振り向く。

 

 「今は、儀式の方が大事だ。」

 

 「理由は後で聞けばいいでしょ?」

 

 その一言に、パイモンは一瞬だけ口をへの字に曲げたが、渋々と頷いた。

 

 「うぅぅぅ……わ、分かったぞ。」

 

 俺は心の中でほっと息をつき、旅人に感謝の視線を送る。

 

 「旅人……助かっ——」

 

 「ちゃんと……」

 

 旅人の言葉に、俺はふと違和感を覚える。

 

 「……?」

 

 旅人は、じっと俺を見つめながら、ゆっくりと微笑んだ。

 

 「ちゃーんと、訳は聞くからね。」

 

 ——その笑みが、妙に不気味だった。

 

 じわりと背筋が冷たくなる。

 

 俺はゴクリと唾を飲み込みながら、ゆっくりと顔を逸らした。

 

 (……これは、あとで尋問される流れだな。)

 

 千代が隣で小さく吹き出した。

 

 俺は彼女を横目で睨みつつ、深いため息をつく。

 

 ——とはいえ、今はそれどころではない。

 

 目の前では、八重神子が静かに土門と向き合っている。

 

 張り詰めた空気の中、儀式が始まろうとしていた——。

 

朝の静寂を破るように、社の境内に響く声。

 

 「見ての通りです、八重様。」

 

 この鳴神大社の巫女の1人である稲城蛍美が口を開いた。

 

 彼女の声には、深い困惑と悲痛が滲んでいた。

 

 「土門さんはずっとこの状態です。」

 

 彼女の言葉どおり、土門は虚ろな目をしたまま、何かをぶつぶつと呟き続けていた。

 

 その瞳には焦点が合わず、まるで"この世ならざるもの"を見ているかのようだった。

 

 「かつて彼に負けた人が、周りで自分を罵っているようで……とても苦しんでいます。」

 

 俺はその様子をじっと見つめながら、眉をひそめる。

 

 (……過去の幻影に取り憑かれている?)

 

 一人の弟子、菜々子も神子へと懇願するように言った。

 

 「八重様、師匠は……邪気に取り憑かれたのでしょうか?」

 

 「師匠は以前、このような感じではありませんでした。」

 

 「師匠は昔、どんなことがあっても笑っていたのです……。」

 

 その言葉に、神子は静かに瞳を閉じる。

 

 そして——

 

 「……」

 

 ゆっくりと口を開いた。

 

 「残念じゃが、汝らの師匠から邪気は感じられぬ。」

 

 その言葉に、菜々子の顔から血の気が引いていく。

 

 「そんな……では、師匠は……。」

 

 彼女の問いに、神子は冷静に頷いた。

 

 「そう。」

 

 「自らこのようになったのじゃ。」

 

 その瞬間、境内の空気が一層冷たくなった気がした。

 

 土門の弟子たちは、信じられないとでも言うように息を呑む。

 

 だが、神子は続ける。

 

 「巨大な重圧に耐えかね、心は崩壊。」

 

 「精神も傷つき、最後には発狂する——。」

 

 「水に落ちた者のように、足掻けば足掻くほど、暗く冷たき深海に堕ちるのじゃ。」

 

 神子の言葉は淡々としていたが、そこに込められた意味はあまりにも重かった。

 

 土門が、怯えたように身を縮める。

 

 俺は静かに眉をひそめた。

 

 (精神が崩壊……? 一体、何が彼をここまで追い詰めた?)

 

 その答えは、すぐに神子の口から語られる。

 

 「"原因"は——おそらく、神の目を失ったことじゃろう。」

 

 俺の背筋が凍りつく。

 

 神子は、ゆっくりと視線を土門へと向けた。

 

 「神の目を奪われるというのは——"願い"を奪われることと同じじゃ。」

 

 弟子たちの顔が、絶望に染まる。

 

 その中で、一人の男——純也が震える声で問いかけた。

 

 「"願い"……。」

 

 「しかし八重様、願いを奪われたというのなら、師匠は"一般の人"に戻るだけなんじゃないですか?」

 

 「どうして……発狂なんて……。」

 

 その問いに、神子は静かに扇を閉じる。

 

 そして、少しの間考える素振りを見せた後——

 

 まるで何かを確かめるように、ゆっくりと口を開いた。

 

 「汝らの流派……"明鏡止水流"と言ったか?」

 

 「……いい名じゃが、今のこの世の中、本物の"明鏡止水"などどこにもあらぬ……。」

 

 その言葉に、純也が息を呑む。

 

 神子は、ゆっくりと風を仰ぐように振った。

 

 「名声に興味ないと自称する者は、弟弟子に破られ門下を去る。」

 

 「年配の剣術家は怒りを抱き、自身の教え子に勝負をしかける。」

 

 俺は神子の言葉をじっと聞きながら、少しずつ事態を理解し始めた。

 

 「では——雑念がないように見える者が、その手で自身の師匠と兄弟子を負かした時。」

 

 「本当に"何も感じぬ"と思うか?」

 

 菜々子が、困惑したように神子を見つめる。

 

 「八重様の……おっしゃる意味は……?」

 

 神子は紫の瞳を細め、続けた。

 

 「剣の道とは、千変万化。」

 

 「剣術で天下一を取ることは、凡人にとって容易いものではない。」

 

 「その手に剣を持ち、他者の夢を打ち砕いていく必要がある。」

 

 「——たとえそれが、彼の近くにいる"親しい者"であろうとも。」

 

 弟子たちは、息を詰まらせた。

 

 神子は土門を一瞥し、静かに言った。

 

 「ゆえに——"天下一を取る"という願いに執着し、"苦しみ"を一時的に忘れることで、先に進むことができたのじゃろう。」

 

 そして、最後の一言を告げる。

 

 「——その願いが失われた時。」

 

 「彼は"自分"を否定し始め、"恐怖"にもがく。」

 

 「そして——"このようになる"。」

 

 ——深い沈黙が落ちた。

 

 境内にただ、土門の震える息遣いだけが響く。

 

 

 

 まだ朝の冷たい空気が漂う境内で、土門は肩を震わせながら、深く俯いていた。

 

 「すまない……ぜんぶ俺のせいなんだ……。」

 

 掠れた声で、彼は呟いた。

 

 「父さん……師匠……安西さん……。」

 

 その名を口にした瞬間——

 

 「もういい!!」

 

 境内に響いた鋭い声。

 

 俺は反射的に顔を上げ、声の主を見やる。

 

 そこには、険しい顔で立つ一人の男がいた。

 

 「えっ!? さっき会った土門さんの兄弟子!?」

 

 パイモンが驚きの声を上げる。

 

 「なんでここに……?」

 

 俺は旅人をちらりと見た。

 

 旅人は、静かに頷く。

 

 「昨日、土門さんのところを訪ねていた時に出会ったんだ。」

 

 「彼は、土門の兄弟子の安西さん。今は剣術家を辞めてるけど……。」

 

 パイモンが目を細める。

 

 「オイラたちのあとをこっそりつけて来たのか?」

 

 だが、それに答えるよりも早く——

 

 「安西……。」

 

 土門が、怯えたように呟いた。

 

 その瞳には、恐怖が宿っていた。

 

 「どうして……安西が二人……鬼なのか……?」

 

 「俺に復讐しに来たんだろ……?」

 

 「分かってるさ……やはり俺はあの時……。」

 

 過去の幻影に苛まれるように、土門の顔は青ざめていく。

 

 しかし、安西は一歩前に出て、低い声で言った。

 

 「確かに俺は、お前のことを気に食わねぇやつだと思ってる。」

 

 土門が、かすかに身をすくめる。

 

 「だが——」

 

 「お前の謝罪なんか、聞きたくねぇ。」

 

 土門の目が、驚きに揺れる。

 

 安西は苦笑しながら、ゆっくりと続けた。

 

 「何年も経って、もう全部理解した。」

 

 「はなっから、お前は間違ったことなんか何もしてねぇ。」

 

 「間違えてたのは俺なんだ——。」

 

 安西の声には、かつての苦悩と、そして何かを吹っ切ったような落ち着きがあった。

 

 「面子を失うことに耐えかねて、門下から逃げ出した。」

 

 「お前に負かされたほとんどのやつが、お前を責めたりなんかしねぇと俺は確信してる。」

 

 「それどころか——俺たちは、自分たちの願いをお前に託した。」

 

 「お前がさらに高みに行けることを願ってた。」

 

 土門は何も言えなかった。

 

 安西は深く息を吐き、真っ直ぐに彼を見据える。

 

 「お前の願いが奪われ、俺たちの期待に応えられねえことは、もう知ってる。」

 

 「だけど——」

 

 「お前は、あいつらの願いまで奪っちゃならねえ!」

 

 「"剣術を磨き、天下一を取る"——お前があいつらに教えたことじゃねぇか?」

 

 土門は唇を噛む。

 

 「だが……いつの日か、あいつらも俺のように……。」

 

 彼の声は震えていた。

 

 「血をにじませながら天下一を追いかけるかもしれない……。」

 

 「最初から間違ってたんだよ……。」

 

 「いつの日か、あいつらも俺みたいになるっていうのなら——」

 

 「俺は前に進むことをやめ、ここで立ち止まる方がマシだ。」

 

 その言葉に、安西は静かに尋ねた。

 

 「……そいつらの考えを、聞いたことはあるか?」

 

 土門は、ぎゅっと拳を握る。

 

 だが、その時——

 

 「師匠——」

 

 菜々子が、一歩前に出た。

 

 「師匠は以前、海賊から私を救ってくださいました。」

 

 「私はその時、師匠の後ろを追いかけることに決めたのです。」

 

 彼女の言葉には、迷いがなかった。

 

 「将来、師匠のように苦しむのかなんて、私には分かりません。」

 

 「ただ私に分かるのは——」

 

 「今の私は、まだ止まりたくないということだけです!」

 

 彼女の声が、境内に響いた。

 

 「いつの日か、正々堂々胸を張り——」

 

 「"私は師匠の弟子で、『明鏡止水流』の伝承者なんだ"と皆さんに伝えることができると信じています!」

 

 その言葉に、純也も力強く頷く。

 

 「菜々子だけじゃない——俺たち、他のみんなもそう思ってる。」

 

 2人が、揃って土門を見つめる。

 

 その視線に晒されながら、土門は震えたまま、ゆっくりと顔を上げる。

 

 「お前たち……。」

 

 安西は、ふっと笑う。

 

 「ほら見ろ……。」

 

 「自分の願いを、そいつらに託してもいいんじゃねぇか?」

 

 土門の瞳が、かすかに揺れる。

 

 安西は続けた。

 

 「"願いが奪われる"なんてこと——」

 

 「俺は経験したこともないから、分かるはずもねえ。」

 

 「だが、お前に負けたあの時——」

 

 「俺も"願いが砕かれる瞬間"を感じたことはある。」

 

 安西は、真剣な眼差しで土門を見つめる。

 

 「だからよ……。」

 

 「俺が自分の願いをお前に託したように——」

 

 「お前も、そいつらに願いを託せ。」

 

 「お前には、こんなにも優秀な弟子たちがたくさんいるじゃねぇか。」

 

 土門は、長い沈黙の末——

 

 ついに、静かに頷いた。

 

 「そうか……分かったよ……。」

 

 「すまなかった。」

 

 「"明鏡止水流"の師範だというのに、お前たちに心配をかけてしまった。」

 

 「だが——」

 

 「この人生で学んだすべてを、お前たちに教えてやれる。」

 

 弟子たちの表情が、一気に明るくなった。

 

 神子が、微笑む。

 

 願いは消えても——想いは、託される。

 

朝の儀式が終わり、静かな余韻が境内に残る。

 

 土門は肩の力を抜き、穏やかな表情で弟子たちを見渡した。

 

 「この点は、兄弟子にも監督してもらいたい。」

 

 すると、安西はすぐに肩をすくめながら言った。

 

 「もちろん見張っておくさ。」

 

 「また発狂されたら困るのはこっちだからな……。」

 

 その軽口に、弟子たちがくすくすと笑い出す。

 

 たった今まで張り詰めていた空気が、少しずつ和らいでいくのを感じた。

 

 安西はそんな空気の中、土門の肩を軽く叩くと、厳しい声で言った。

 

 「何を呆けてるんだ。」

 

 「早く八重様に礼を言って帰るぞ。」

 

 弟子たちは一斉に神子へと向き直り、深く頭を下げた。

 

 「八重様、本当にありがとうございました。」

 

 その姿を見送るように、神子は静かに頷く。

 

 やがて、「明鏡止水流」の一行は、穏やかな足取りで社を後にした。

 

 ***

 

 「うんうん、奪われた願いを弟子たちに受け継がせる……。」

 

 パイモンが満足そうに腕を組み、頷く。

 

 「これで解決したよな?」

 

 旅人も、静かに微笑んだ。

 

 「うん、一段落したかな……。」

 

 だが、そのやりとりを聞いていた千代が、不思議そうに首を傾げる。

 

 「その言い方……あなたたちは誰かから依頼を受けていたの?」

 

 パイモンは慌てて手を振る。

 

 「ま、まぁな。」

 

 その時——

 

 「旅人さん、お待ちを。」

 

 稲城蛍美が呼び止める。

 

 俺は眉をひそめながら彼女の方を見た。

 

 「八重様からお話がございます。」

 

 ——神子が、旅人に話すこと?

 

 彼女はゆっくりと旅人へと向き直り、深紫の瞳を細める。

 

 そして、静かに言った。

 

 「……やはり、妾の気のせいじゃなかった。」

 

 微かな風が吹き抜ける。

 

 神子の金の装飾が、かすかに揺れた。

 

 「異郷から訪れる風——」

 

 「この海域に新たな望みを吹き付ける……。」

 

 その言葉を聞いて、旅人が僅かに目を見開いた。

 

 俺も神子の言葉の意味を考える。

 

 ……"異郷"、"新たな望み"?

 

 神子の表情はいつもの飄々としたものではなく、真剣なものだった。

 

 「妾たちの出会いは、少々早すぎたかもしれぬ。」

 

 「じゃが——」

 

 「汝がこの島を訪れた時機は、ちょうどよかったといえよう。」

 

 旅人はじっと神子の瞳を見つめる。

 

 神子は、わずかに口元を緩めた。

 

 「……妾の期待に応えられるよう励むがよい、童よ。」

 

 旅人は何も言わなかった。

 

 ただ、静かに彼女を見つめていた。

 

 彼女はすっと踵を返し、社の奥へと向かって歩き出した。

 

 その背中を、パイモンと旅人がじっと見送る。

 

 俺も、彼女の言葉を反芻する。

 

 ——神子は、旅人に"期待"している?

 

 その意味を考えながら、俺はふと彼女が歩きながら呟いた言葉を耳にした。

 

 「はぁ……疲れた。」

 

 「これも全て、未熟な友人のせいじゃ……。」

 

 「未熟な……友人?」

 

 俺は思わず眉をひそめる。

 

 千代は苦笑しながら、軽く腕を組んだ。

 

 「お疲れ。」

 

 「流石、いつも斎宮の肩から仕事を眺めていただけのことはあるね。」

 

 その言葉に、神子はふっと微笑んだ。

 

 「そうじゃろ?」

 

 まるで、冗談めかすように。

 

 ……いつも巫女モードなら信用できるんだがな。

 

 俺はそう思いながら、神子へと視線を向ける。

 

 「ところで……」

 

 「お前、旅人に何か期待している風に思えたが?」

 

 神子は、扇を持たない指先をすっと顎に添えた。

 

 「ふむ、それに間違いはない。」

 

 「じゃが——」

 

 「まず、旅人と行動せよ。」

 

 「は?」

 

 思わず間抜けな声が出た。

 

 神子はくすりと笑いながら、俺をじっと見つめる。

 

 「ふふ……汝も"仙人"として、多少の見識はあるじゃろう?」

 

 「旅人と共にすれば、妾の言わんとすることが見えてくるやもしれぬぞ?」

 

俺はしばらく無言のまま、その花弁が地に落ちるのを見つめていた。

 

 そして——

 

 「……分かった。」

 

 俺は小さく息を吐き、視線を千代へと向ける。

 

 「千代、旅人の後を追おう。」

 

 千代は驚いたように瞬きをしたが、すぐにこくりと頷いた。

 

 だが、その瞬間——

 

 「ああ、それとじゃ。」

 

 神子が静かに俺たちの前に歩み寄る。

 

 「ん?」

 

 俺が彼女の言葉の続きを待つと、神子はいつもの飄々とした笑みを浮かべながら、さらりと言った。

 

 「千代は置いてゆけ。」

 

 「え?」

 

 千代が目を見開く。

 

 俺も眉をひそめた。

 

 「……なぜだ?」

 

 神子は俺をじっと見据えながら、ゆっくりと首を振る。

 

 「主は忘れたのか?」

 

 「千代は稲妻で、将軍に刃向かった逆賊とされていることを……。」

 

 その言葉に、俺はハッとする。

 

 そうだった——

 

 千代は、500年前の戦いで雷電将軍に刃を向け、敗れ去った。

 

 そして歴史の中で彼女の名は"逆賊"として記されている。

 

 たとえ彼女自身が過去を悔い、変わろうとしていても、今の稲妻がそれを許すはずがない。

 

 俺が何も言えずにいると、神子はさらに続けた。

 

 「それに——」

 

 「汝のおかげでアビスからは解放された……じゃが、完璧ではないのだろう?」

 

 神子の紫の瞳が鋭く光る。

 

 千代が俺を見つめる。

 

 「蒼雲、本当なの?」

 

 俺はゆっくりと頷いた。

 

 「……ああ。」

 

 「確かに……汚染していたアビスの力は取り除いた。しかし——」

 

 「しかし?」

 

 俺は言葉を探しながら、慎重に続けた。

 

 「汚染が取り除けていないというか……別の何かとなって混ざったというか……。」

 

 「すまん。なんて説明したらいいか分からないが……。」

 

 俺の口調は歯切れが悪かった。

 

 それも仕方がない。

 

 俺自身、千代の体内に残る"それ"が何なのか、正確には分かっていなかったのだから。

 

 「とにかく——」

 

 「この"残火"を消し去るには、お前の心の深層に入れる者。」

 

 「つまり、過去を共にした人物じゃないとできない。」

 

 俺は千代をまっすぐに見つめる。

 

 「だから……稲妻までついて来たんだ。」

 

 千代は唇を噛みしめ、拳を強く握った。

 

 何か言いたげだったが、結局何も言わずに俯いてしまう。

 

 俺はそんな千代を横目に、神子へと視線を移す。

 

 「ところで神子。」

 

 「いつか話そうとは思っていたが……どうやって"見破った"?」

 

 神子は、くすりと笑った。

 

 「そんなの、妾の素晴らしい"法術"のおかげに決まっておるじゃろ?」

 

 「……。」

 

 (こいつが"法術"なんて使ったところ、見たことないんだが……。)

 

 正直、怪しさ満点だった。

 

 だが、問い詰めても神子はのらりくらりと交わすだろう。

 

 (……ここは、そういうことにしておいてやるか。)

 

 俺は小さくため息をつきながら、改めて神子の方を向いた。

 

 「そうか。」

 

 「じゃあ、俺が旅人と行動を共にして稲妻の状況を把握して——」

 

 「その間に、お前は千代の世話をしてくれるということか?」

 

 神子は扇も持たない手で顎を撫でながら、優雅に微笑んだ。

 

 「まぁ、そんなところじゃな。」

 

 俺はその答えを聞いて、しばらく考え込んだ。

 

 ……千代を神子に預けるのは、正直気が引ける。

 

 しかし、今の千代を連れて稲妻を動き回るのはあまりにも危険だ。

 

 何より、千代の"残火"を消すためには、俺がどうにかできる問題ではない。

 

 だったら——

 

 「……分かった。」

 

 俺は千代を見つめ、ゆっくりと言った。

 

 「千代——俺が戻るまで、ここで待っていてくれ。」

 

 千代は、一度躊躇したが、やがて小さく頷いた。

 

 「……分かった。」

 

 その声には、不安と、僅かな寂しさが滲んでいた。

 

 俺は思わず彼女の肩に手を置く。

 

 「大丈夫だ。必ず戻る。」

 

社の外に出ると旅人と少し不安そうなパイモンが待っていた。

 

「お前ら……盗み聞いていたな?」

 

「な、何のことだっけ?」

 

……目の焦点が定まっていない

 

盗み聞きしていたのは当たりのようだが、

 

まぁ聞かれても困るようなことじゃない………

 

 

 俺は旅人の方へと向き直った。

 

 「……じゃあ、行くとするか。」

 

 旅人は静かに頷き、パイモンは安堵したように胸を撫で下ろした。

 

 俺は神子へと最後の視線を向ける。

 

 神子は微笑を浮かべながら、どこか意味深に俺を見つめていた。

 

 その視線の意図は分からない。

 

 だが、今は余計なことを考えるよりも——

 

 稲妻の"真実"を見極めることが、俺に課せられた使命だった。

 




甘雨が語る蒼雲

蒼雲さんについて……ですか?
なぜあなたが彼のことを知っているのか、少し気になりますが……。

私自身はほとんどお会いしたことがありません。ただ、留雲真君から何度かお話を伺ったことがあります。彼は昔、俗世によく姿を見せていたそうです。仙人の中では珍しく人々と親しく接し、友と認めた相手にはよく話しかける、意外とお喋りな方だったとか。

……ですが、戦の時、そして岩王帝君の傍にいる時だけは、まるで別人のように寡黙になるそうです。戦の時はまるで己の感情を押し殺すかのように——。

それくらいしか、私の知る限りのことはお伝えできませんが……あっ、そういえば。

留雲真君は、彼のことを話すたびに、最後に必ずこう言うのです。

「あやつはいつになったら自分を許し、一歩踏み出すのか……」

どういう意味なのか……私には分かりません。ただ、長い時を生きた仙人の中には、過去を背負い続ける方も多いと聞きます。もしかすると、蒼雲さんも——何か、大切なものを失ってしまったのかもしれませんね。

稲妻篇が終わったら続きは何が良いか 選択によって稲妻篇の最後が変わる。

  • 璃月篇(海灯祭)※この話の本編
  • 引き続き稲妻篇
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