闇に呑まれていた鬼の娘を500年かけて看病した仙人が、異国で恋愛小説の餌食に…… 作:時代に遅れている
「はぁ……」
私は鏡を前にため息をついた。
蒼雲を誘えたのはいいものの——おめかしの道具がない。
お出かけ用の服もない。
「どうしよう……」
せっかく誘ったのに、このままいつもの装束で行くのも何か違う気がする。
……いや、そもそも気にする必要なんてないのかもしれない。でも、せっかくの機会だし、少しは綺麗にしたい。
「うぅ……」
どうしたものかと悩んでいると、不意に背後から声がした。
「ん? なんじゃ、まだ蒼雲と街に出かけておらんかったのか……」
振り向くと、そこには八重神子が立っていた。
「あ、神子……」
「む? 何やら浮かない顔をしておるな?」
「……だって……おめかしの道具も、お出かけ用の服も今はないんだもん。」
自然と愚痴がこぼれる。
神輿家の屋敷は、私が眠っていた間に500年の歳月を経て消えてしまった。
当然、私の身の回りの品も、何もかもがなくなっていた。
「ほう、それで困っておったのか?」
「……うん」
私がしょんぼりとうなずくと、神子はくすっと笑い、すっと手をかざした。
「ほれ、ここにあるぞ。」
「え?」
差し出されたのは、美しく整えられた化粧道具と、清楚ながらも品のある巫女の衣装だった。
「これは巫女たちのものじゃが……無いよりはマシじゃろ?」
「い、いいの? 勝手に使っちゃって……」
「まぁ、いいじゃろ。妾が言えば納得するじゃろうしの」
神子はこともなげに言う。
「えぇ……」
私は戸惑いながらも、ちらりと道具を見つめた。
髪を整え、軽く化粧をし、普段とは違う装いをする——たしかに、それだけで気持ちは大きく変わるかもしれない。
「まぁ妾に任せておけば良い!」
神子は自信たっぷりに言い放った。
……うん、もうこうなったら神子の言葉に甘えてしまおう。
「……じゃあ、お言葉に甘えようかな」
私がそう言うと、神子は満足そうに微笑んだ。
「ふふ、よいよい。それでは、妾が手伝ってやるとするかの?」
「えっ!? いや、そこまでは……」
「遠慮するでない、妾が仕上げてやるのじゃ。さぁ、座れ」
そう言って、神子は私の肩をぽんっと押し、鏡の前に座らせた。
——こうして、私は神子の手によって支度を整えることになったのだった。
「遅いな……」
社の前で腕を組みながら、ぼんやりと空を見上げる。
時間に厳しいつもりはないが、さすがにここまで待たされるとは思わなかった。何かあったのか?
「お、お待たせ……」
千代の声に振り向く。
「ほぉ……」
思わず声が漏れた。
千代の姿に見惚れる。
いつもとは違う装い、きちんと整えられた髪、そしてうっすらと施された化粧が、彼女の雰囲気を大きく変えていた。
まるで、暗闇に浮かぶ月のように美しい。
「そ、蒼雲。大丈夫?」
千代が少し戸惑ったように俺の顔を覗き込む。
「え、いや……大丈夫だ。」
正直に言えば、少し心臓が早鐘を打っている。
「お前にも準備があったんだろう。急かしてしまって悪かった。」
「…………」
千代はなぜか黙ったまま俺をじっと見つめていたが、やがて小さく息をついて微笑んだ。
「い、行こうか……」
「あ、うん……!」
千代の声はどこか弾んでいるようだった。
——こうして、俺たちは街へと向かった。
社の奥から、二人の姿を見送っていた。
「蒼雲さんたち、行きましたね。」
鹿野奈々が静かに呟く。
「上手くいくといいのですがね……」
隣にいた稲城蛍美が、少し不安そうに呟く。
「きっと上手くいきますよ。だって蒼雲さん、先ほど千代さんに見惚れてましたし!」
「いや、そっちじゃなくて——」
千代と蒼雲の姿が、社の鳥居をくぐって街へと向かっていくのを見送る。
鹿野奈々は微笑みながら呟いた。
「蒼雲さんたち、行きましたね。」
隣で腕を組んでいた稲城蛍美は、どこか心配そうに息をついた。
「上手くいくといいのですがね……」
「きっと上手く行きますよ。」
奈々は自信たっぷりに言い切る。
「だって蒼雲さん、先ほど千代さんに見惚れてましたし!」
蛍美は一瞬きょとんとした後、深いため息をついた。
「いや、そっちじゃなくてーー」
その時、背後からくすくすと楽しげな笑い声が響いた。
「ふふふ……まずは第一関門は突破したな……」
奈々と蛍美が振り返ると、そこには何か良からぬ事を考えていそうな八重神子が立っていた。
「では行くとするかの!」
軽やかに言い放つ神子に、蛍美はすかさず眉をひそめた。
「……八重様が尾行するから心配なんですよ……」
奈々も納得するように頷く。
「ああ、なるほど……」
「ふふっ、妾がちょっと覗きに行くだけじゃぞ? 何も問題あるまい?」
神子は悪びれもせず、むしろ楽しそうに笑う。
「"ちょっと"で済む気がしないんですが……」
「まぁまぁ、気にするでない♪」
神子はニヤニヤしながら、千代と蒼雲の後を追うように優雅に歩き出した。
奈々と蛍美は、そんな神子の背中を見送るしかなかった。
「……本当に大丈夫でしょうか?」
二人は同時にため息をついた。
久しぶりに訪れる城下町。
活気のある屋台、行き交う人々、懐かしい香りが漂う通り――すべてが私の記憶の中にあった風景のようで、でも少しだけ違っている気がした。
私はその変化に夢中になって、つい黙ったまま歩いていた。
「千代?」
不意に、隣から優しい声がかかる。
蒼雲だった。
彼の表情はどこか心配そうで、多分私がずっと黙っていたせいで気にかけさせてしまったのだろう。
「はっ! ご、ごめん。ずっと黙ってて……」
私は慌てて謝る。
しかし、蒼雲は首を横に振った。
「いや、行きたいところがないのか聞きたくなっただけだからな。謝らなくて大丈夫だ。」
「うん……」
ほっと息をつく。
「それで、行きたいところはあるか?」
彼が優しく問いかける。
「ここに行きたい……」
私は袖の中から地図を取り出し、仕立て屋の場所を指さした。
そこは神子様におすすめされたお店。今の私は普段着しか持っていないし、新しい服を揃えるのは悪くないと思ったから。
蒼雲は地図を覗き込んで、すぐに頷いた。
「分かった。じゃあまずはそこに行こうか。」
「ありがとう。」
そうお礼を言うと、蒼雲はふっと微笑んだ。
「あと、負い目を感じなくていいぞ。」
「え?」
「久しぶりの故郷で感傷に浸るなんて普通のことなんだからな。」
「だからお前が好きなように町を歩くといい。俺はそれに付き合うからさ。」
「………////」
思わず顔が熱くなるのを感じた。
「……あ、ありがとう。」
少し視線をそらしながら小さく呟くと、蒼雲は笑っていた。
「でも、よそ見をしすぎて逸れるのは無しだからな。」
軽く冗談めかして言う彼に、私は思わずむっとする。
「こ、子供扱いしないで!!」
「ハハハ、悪い悪い。」
そう言いながらも、彼は私の歩調に合わせてゆっくりと歩いてくれた。
なんだか、すごく安心する。
蒼雲とこうして並んで歩くのは、思ったよりも心地よかった。
「ここか? お前が行きたいと言った仕立て屋は。」
俺は店の前で立ち止まりながら、千代に尋ねる。
「そ、そうだよ。」
千代は少し緊張したように答えた。
目の前にあるのは「小倉屋」という仕立て屋らしい。
外観からしても格式高く、のれんの向こうには美しく染められた反物が見えた。店先には桜や梅の模様が描かれた着物が並び、見るだけでも高級な店だということが分かる。
そんなことを考えながら店を眺めていると、暖簾をくぐって一人の女性が姿を現した。
「おや、小倉屋に何かご用ですか?」
すらりとした立ち振る舞いに、落ち着いた物腰。おそらく店の主人か、少なくともそれなりの立場の人物なのだろう。
千代が何か言おうとしたが、言葉に詰まったようなので、代わりに俺が答えた。
「彼女の着物を買いに来たのだ。」
それを聞くと、女性は軽く目を見開き、そしてふっと微笑んだ。
「そうですか。……おや?」
彼女は俺の顔をじっと見つめる。
「あなたは……蒼雲さんではないですか?」
「そうだが……俺のことを知っているのか?」
俺が少し警戒しながら尋ねると、彼女はクスクスと笑った。
「知っているも何も、あの天領奉行のお侍様を懲らしめた方ですよね? ここらの商人や町の人の間では有名人ですよ。」
「そ、そうか……」
や、ヤバイ。あの時はああするしかなかったとはいえ、まさかここまで噂になっているとは……。
なんとなく視線を感じて周りを見渡すと、通りを歩く人々の中にも、こちらをチラチラ見ている者がいる。
……確実に顔を覚えられてるな。
「それに、先ほど神里家のお嬢さんと旅人さんからもあなたの話は聞きましたし。」
「何?」
俺は思わず聞き返した。
「綾華に旅人もここに訪れたのか?」
「はい、一応。八重宮司様や、お偉い方々もこちらで着物を仕立てになられますので……」
へぇ、やっぱりすごい店なんだな……。
それにしても、綾華たちが俺の話をしたってことは……まさか、妙な噂まで広まってたりしないだろうな?
一抹の不安を覚えながら、俺は再び店の中を見渡した。
ま、まあいい。とりあえず千代の着物選びを手伝うのが先だ。
「では、奥へどうぞ。」
小倉が優雅な所作で手を差し出す。
「分かった。」
俺は頷いて、千代に視線を向けた。
「千代はどうする? 共に奥へ行くか?」
千代は少し考え込んだ後、店内に飾られた着物の方を向いた。
「いや、私は……もう少しここで着物とか見ていたい。」
「そうか。じゃあ、ここからあまり動くなよ。」
俺がそう言うと、千代は軽く頷いた。
それを確認してから、俺は小倉の後を追って店の奥へと進んだ。
部屋に入ると、柔らかい和紙の光が室内を照らしていた。壁際には布地の反物が整然と並び、部屋全体から繊細な美意識が感じられる。
そんな空間の中で、小倉がふと微笑んだ。
「ふふふ。」
「……何を笑っているのだ?」
俺が訝しげに問いかけると、小倉は微笑を深めた。
「いえ、旅人さんたちから聞いていた蒼雲さんの印象と少し違っていたものですから。」
「俺の印象?」
「あまり感情を表に出す方ではなく、女性にもあまり興味がないと伺っていましたが……あのような美人さんを連れているのですから、少し意外で。」
あいつら、俺のことをそんな風に話していたのか……。
「別にあなたが思っているような仲では――」
「恥ずかしがらなくてもいいんですよ。」
小倉は俺の言葉を遮るように、くすりと笑った。
「誰にだって、そういう時は訪れるものですから。」
まあ、普通はそうなんだろうが……。
俺はふと、昨日の鹿野奈々の言葉を思い出した。
〈回想〉
「蒼雲さん。」
鹿野奈々が少し困ったような顔で俺を呼び止めた。
「どうした?」
「実は今日、千代さんが御輿家のあった場所を訪れたのですが……」
「もう何も残っていなかったらしくて。」
「千代さんは大丈夫だと言っていましたが、どこか寂しそうな様子で……。」
「せめて着物やおめかし用の道具だけでも残っていれば、少しは悲しみも和らぐと思ったのですが……。」
500年もの歳月が経ち、御輿家の屋敷は消え、千代の思い出の品も何も残っていない。
特に服や化粧品は女性にとって大切なものだ。それが何ひとつ残されていなかったというのは――
「蒼雲さん?」
小倉の声に意識が戻る。
「……すまん。千代にはどんな着物が合うだろうか?」
「そうですね……」
小倉は少し考え込むと、優雅に微笑んだ。
「白に桜色などの淡い色合いのものが、きっとよくお似合いになるかと。」
「そうか……。」
俺の視線は店内に飾られた着物へと移った。そして、その中でひと際目を引いたのは、桜の絵柄が入った美しい着物だった。
「あの桜の絵柄の入った着物を仕立ててもらうことはできるか?」
俺はそれを指さして尋ねる。
「ええ、もちろん。」
小倉は頷くが、少し表情を曇らせた。
「しかし、今は仕立てに必要な材料が足りておらず……受け取りまでかなり時間がかかりますが。」
あれは千代にすごく似合うと思うんだがな……
俺は少し考え込むが、すぐに決断した。
「時間がかかってもいい。あれを頼む。」
「かしこまりました。」
小倉は微笑みながら頷いた。
会話を終え、ふと千代の方へ視線を向けると、彼女がじっと何かを見つめていた。
何か気になるものでもあるのか?
「すまない。少しいいか?」
俺は再び小倉に尋ねた。
「はい。なんでしょうか?」
「あいつが今見ているあれは何だ?」
「ああ、あれは――」
小倉が説明をする。
なるほど……。
「じゃあ、あれは持ち帰る。贈り物にするから、箱に入れてもらえると助かる。」
「え?」
小倉は一瞬驚いたような顔をした。
「あれを渡すんですか?」
「そうだが? 何か問題でもあるのか?」
「いえ……。」
小倉は少し呆れたように笑った。
「蒼雲さんは、本当に鈍感なんですね。」
は?
何のことかよく分からないが、特に気にせず俺は支払いを済ませた。
「この度はありがとうございました。」
店を出ると、千代が俺の方を向いた。
「蒼雲、何の柄を仕立ててもらったの?」
「それは、仕立て終わってからのお楽しみだな。」
俺がそう言うと、千代は少し不満そうな顔をしたが、すぐに頬を膨らませながらも頷いた。
「それより、腹減ってないか?」
「いや、私は別に……」
ぐうぅ~~~
「…………////」
千代の顔が一瞬で赤く染まる。
「ハハハ、もう昼時だしな。昼飯にでもするか。」
「う、うん……////」
こうして、俺たちは昼食を取るために再び城下町を歩き始めた。
近くの食事処に入り、蒼雲と向かい合って座った。
お互いに料理を食べ終え、私は食後のデザートとして水まんじゅうを頼んだ。
透き通った美しい球形。皿の上で、まるで凝縮した水のように静かに佇んでいる。澄んだ皮の下に、まるで真珠のように輝く餡が見え隠れしていた。
暑い日にこの光景を見るのは、それだけで涼を感じさせてくれる。
私は箸でそっと水まんじゅうをつまみ、口へ運ぶ。ひんやりとした感触が舌に触れた瞬間、ほんのりとした甘みが広がった。瑞々しく、優しい味がゆっくりと口の中に広がり、まるで全ての焦燥感を洗い流してくれるかのようだった。
あまりの美味しさに、思わず目を閉じる。
この冷たさ、この甘さ……久しぶりに、こんなにも心が満たされる味を口にした。
「……美味しそうで良かった。」
ふと聞こえた蒼雲の声に、私は目を開けた。
蒼雲は静かに微笑みながら、こちらを見ていた。
「……………」
私は一瞬、戸惑った。
なぜ? ただ目を瞑っただけなのに、どうして美味しく食べていることが蒼雲に分かったのだろう?
答えはすぐに出た。
「あんな風に笑みを浮かべながら食べているのを初めて見たからな……安心した。」
「…………/////」
そう言われて、ようやく気づいた。
私は――知らず知らずのうちに、微笑んでいたのだ。
食べ物を口にした瞬間、自然と心がほぐれ、その感情が表に出てしまっていたのだろう。
蒼雲は、それを見て安心したと言った。
まるで、私のことをずっと気にかけていたかのように。
「そ、蒼雲。」
私は、なんとか気持ちを落ち着かせながら口を開いた。
「この後、行きたい場所が……あるんだけど。」
蒼雲は少し驚いたようにこちらを見た後、優しく微笑んだ。
「……ああ、いいぞ。どこに行きたい?」
「私について着てくれたらそれでいいから……」
食事を終え、会計を済ませると、
俺は黙って千代の後をついて歩く。
街の喧騒を抜け、しばらく歩くと、ふと空気が変わった。
風が柔らかくなり、木々の間から光が差し込む。視界が開けた瞬間、目の前に広がっていたのはーー
一面に咲き誇る桜の木々だった。
枝いっぱいに広がる薄紅色の花が、風に揺れてひらひらと舞い落ちる。
その光景に思わず足を止めた。
「……ここは?」
千代は少しだけ遠くを見つめ、懐かしむような表情を浮かべながら口を開いた。
「ここは、昔みんなで集まってお酒を飲みながら、影……今の将軍と親友同士で喋っていた場所。」
その言葉を聞き、俺はゆっくりと周囲を見渡した。
確かにここには、ただの美しさだけではなく、どこか温かみのある雰囲気が漂っている。長い時を経てもなお、誰かの思い出がこの場所に息づいているような気がした。
「影と……将軍と?」
俺の問いに、千代は小さく頷く。
「うん。影も、昔はこうして普通にみんなと過ごしてた。戦や統治のことを忘れて、ただの一人の友人として、私たちと笑い合っていたんだ。」
千代の言葉には、どこか遠い日の記憶を懐かしむ響きがあった。
「……楽しかったんだな。」
そう言うと、千代は微笑んだ。
「うん、すごく。」
桜の花びらがふわりと舞い落ちる。
その美しさとともに、千代の横顔にはどこか切なさが混じっているようにも見えた。
しばらくの間、俺たちは桜の木の下で静かに過ごしていた。
千代は懐かしそうに辺りを見回していたが、やがて心地よい風に誘われるように、隣で静かに目を閉じた。
「……寝たのか?」
小さく寝息を立てる彼女を見て、俺は思わず苦笑する。
500年もの時を経て蘇り、色々なことがあったのだ。疲れが出るのも無理はない。
桜の花びらが舞い落ちる中、俺はそっと肩に羽織っていた上着を外し、千代の上にかけた。
「まったく、……。」
そう呟いた瞬間ーー
「ふふ、優しいのぉ。」
背後から、耳慣れた声が聞こえた。
「……いつからそこにいた?」
振り向かずにそう問いかけると、八重神子はくすくすと笑った。
「さて、いつからじゃろうな?千代が水まんじゅうを食べていた頃からかもしれんし、もしかすると、それよりも前からかもしれんぞ?」
「……お前な。」
俺はため息をつきながら、桜の木に寄りかかる。
「尾行する気だったのか?」
「尾行?人聞きが悪いのぉ。妾はただ、心配で様子を見ていただけじゃ。」
「どこがだ。」
「まぁまぁ、そう邪険にするな。」
八重神子は涼しい顔で桜の花びらを手のひらに乗せ、軽く吹き飛ばした。
「妾としても、千代が今どういう気持ちでおるのか、気になっての。彼女にとって500年ぶりの故郷は、見知らぬ場所と同じじゃろうからな。」
「……それは、そうかもしれないな。」
千代はきっと、懐かしさと寂しさの狭間で揺れている。それをすべて理解することはできないが、少しでも寄り添えればと思う。
鳴神大社に戻る頃には、すっかり日が落ちていた。
社の灯篭が淡く辺りを照らし、夜風が心地よく頬を撫でる。
「今日は楽しかったか?」
隣を歩く蒼雲が、不意にそう問いかけた。
「うん。」
素直にそう返すと、彼は微かに笑った。
「それは良かった。」
……この一日、本当に夢みたいだった。
500年ぶりの稲妻の城下町。懐かしい景色もあれば、すっかり変わってしまったものもある。
でも、そんな場所を蒼雲と一緒に歩けたことが、何より嬉しかった。
「その……今日はありがとね。私のわがままを聞いてくれて。」
「………」
蒼雲は何か言いかけて、けれど言葉を飲み込んだようだった。
私は少し気まずくなって、慌ててその場を離れようとする。
「じゃあ!おやすみなさい!」
「待て!」
「え?」
振り返ると、蒼雲が何かを差し出してきた。
「これ、今日買った品の一つだ。」
「これを私に……?」
不思議そうに受け取ると、蒼雲はそっぽを向いたまま言う。
「部屋に戻ってから開けてくれ。じゃあ、おやすみ。」
「え、ちょっ……」
呼び止める前に、彼はさっさと立ち去ってしまった。
何か、大事なもののような気がする。
不安と期待が入り混じる中、私はそっと箱を抱えながら部屋へ戻った。
部屋に戻ると、案の定、神子と鹿野奈々が待ち構えていた。
「ふふふ、さて、千代よ。その箱の中身、見せてもらおうかの?」
「私も気になります!」
「ちょっ、勝手に開けないで!」
二人を制しながら、私はゆっくりと箱を開けた。
その瞬間、目に飛び込んできたのはーー
桜を基調とした、美しい簪(かんざし)だった。
「……!!」
私は一瞬で顔が熱くなるのを感じた。
だって、簪を贈るというのは……求愛の意味を持つから。
「ほぉ……なんというか、垂らしじゃな、あやつ。」
神子が、にやにやと笑いながら呟く。
「これは、良好なんじゃないですか?」
鹿野奈々も微笑ましそうに言うが、私は顔を真っ赤にしながら否定した。
「た、多分……意味知らなくて送ってると思うけど……」
「え?」
「千代がその簪を欲しそうに見ていたから送っただけじゃろうな……恋なんかにまるで無知なあやつなら全然あり得る。」
「そうですか……」
鹿野奈々が少し残念そうに呟くが、私はそっと簪を手に取る。
……知らずに贈ったのかもしれない。
でも、それでもいい。
「でも、これはこれでいい。」
「蒼雲からの贈り物ってだけで、私にとってはいい思い出になるから。」
その言葉に、神子は意味ありげに微笑む。
「ふふふ……まぁ、これからじっくり仕込んでいくとするかの。」
「えっ?ちょっ、何を……?」
「さぁ?おぬしの未来は、妾が楽しみにしておるぞ?」
私は神子様の不敵な笑みに不安を感じながらも、そっと簪を髪に当ててみた。
やっぱり、綺麗だ。
……ありがとう、蒼雲。
一方その頃ーー
蒼雲 「ヘッブシッ!」
……なんだ?
稲妻篇が終わったら続きは何が良いか 選択によって稲妻篇の最後が変わる。
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璃月篇(海灯祭)※この話の本編
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引き続き稲妻篇