Hurt Heart   作:草之敬

5 / 6
004

 隆士が先を走り、小町が後ろに続く。ハッキリとした場所が判らなかったので、途中何人かに場所を教えてもらいながら、廃屋が見える場所にまで二人はやって来ていた。

 住宅街からは少し離れ、だからといって周囲に人の気配がまったくしないという場所でもない。適度に離れ、適度に近い場所。なるほど溜まり場にするにはちょうどいいのだろう。

 

「ここで間違いねえか?」

「はい。それにあれ、見えますか? 榊さんの車です」

 

 言われて、隆士は小町が指さした方を見た。高級車、というわけではなく、黒の乗用車が停めてあった。その周りに、煙草をふかしている人物が数人。

 

「めんどくせ。いち、にい……五人はいるな」

「あの程度なら大丈夫ですよ。気絶させてさっさと中に入りましょう」

「お前、簡単に言うけどな……」

 

 隆士があきれて頭を掻くのと、小町がカッターナイフを取り出すのはほとんど同時だった。隆士はそれにぎょっとして、慌てて小町の腕を取った。それに驚いたのか、小町はチラリと隆士を覗きこむように見上げた。

 

「お前さ、せっかく俺が包帯巻いたのにまた切るつもりかよ。勘弁してくれ」

「……でも」

「でももなんでもねえだろ、馬鹿。痛いの嫌いなんでちょー? ドちび」

「む。だから、人の身体的特徴を貶めるような発言は――」

「お前らなにしてンだ、こんなとこで」

 

 二人は肩を並べて驚いた。後ろを振り向くと、だるそうな雰囲気の大柄な男が立っていた。紫煙をふぅっと吐きながら、手にはコンビニの袋を持っていた。どうやらパシリに走らされていたらしい。さて、どうやって切り抜けようかと隆士が思案していると、男が怪訝な顔をして小町を覗きこんだ。こいつは真性か? と隆士が疑問を抱くと同時、男は突然携帯を取り出しいじり始めた。次に画面と小町の顔を交互に見てから携帯を閉じた。得意げに笑ってから、なんの前触れもなく男の腕が小町にぬっと伸びた。

 

「きゃっ」

「オイ、兄ちゃん。こりゃあれだろ、お前が連れてきてくれたんだろ? 一緒に渡しに行こうぜ。なんたって一人十万だからな。こんな割のいい探偵ごっこもねえって話だぜ。それに聞いたかよ? 連れてきた奴には色がつくって話もある」

「おい、なに言って――――」

「おいおい、手柄は独り占めってか? いいじゃねえか。オレとお前くらいだったら、追加料金だってそんなに減りゃしねえだろ」

「――――このまま行ってください」

「え?」

 

 男には聞こえないように、小町が隆士に囁いた。なるほどこれなら怪しまれない、と隆士も小町の作戦に乗ることにした。どうやら隆士と小町の状況は好転したらしい。

 

「まあ、それならいいけどよ。他のヤツに見つかって適当言われてもめんどくさくねえか?」

「そうだな、その通りだ。よし、ついて来いよ。裏口から入ろうぜ」

「あーっと、だな?」

「なんだよ?」

「そいつ、俺が捕まえとくよ。アンタ、コンビニの袋も持ってるし逃げられたら面倒だろ?」

「そうか? 出し抜くとか考えてねえだろうな?」

「まさか。アンタにゃ敵いそうもないし」

「賢明だな」

「そりゃどうも」

 

 一応の話はつけて、隆士は小町を手元に置いておくことに成功した。小町が隆士をチラリと見上げ、軽く頭を下げたのを彼は見逃さなかった。それが妙にくすぐったくて、隆士は照れ隠しに小町の頭をとん、と小突いておいた。小町の方もそれが照れ隠しだとわかったのか、咎める様な視線は送らずに、小さく「ありがとうございます」とだけ言っていた。

 男について歩き、二・三分ほどだろうか。案内されるがまま廃屋の裏口から敷地内に侵入し、誰にも見つからないように榊がいるという部屋の前に到着した。

 

「サンキュー、助かったぜ」

「どうってこたねえよ。オレの方こそ楽して色つきの報酬がもらえるんだからな。今度会う時があったらメシでも奢ってやるよ。お前高校生か?」

「ま、ね。滝って名前」

「オレは通学1時間の大学生の金井だ。よろしくな」

 

 隆士としては、ここまでこの男――金井に深入りするつもりはなかった。できるだけ演技がバレないように、と思ってした自己紹介だったが、余計なことだったか、と隆士は内心舌を打ちたい気分だった。

 金井に続いて廃屋の中に入り、今にも崩れそうな階段を上った。左に伸びる廊下の突き当たりのドアを金井がノックし、中から機嫌が悪そうな男の声が返ってきた。それに金井は肩をすくめて「やれやれ」とジェスチャー。隆士は苦笑いでそれに応えた。金井は満足そうに頷くと、ドアを開いた。

 

「なんの用かな?」

「差し入れッス。どれか飲みますか?」

「いらないよ、そんな気遣いも飲み物も。そんなことしてる暇があったら、小町を連れて来てくれ」機嫌の悪さを表すような乱暴な物言いで榊は言った。が、その態度もすぐに改め、彼は柔らかい物腰に変わった。「……すまない。今ちょっと気がたっててね。いや、一本貰うよ」

 

 隆士には金井の背中でよく見えなかったが、どうやら榊は頭も下げたらしい。コツコツ、と床を叩きながら、飲み物(おそらくアルコールだろう)を貰おうと近づいて来る。

 

「それと、おっきいお届けモノがあるんスけど、こちらはお気に召してしただけますかね?」

 

 いたずらそうに金井は笑った。榊は金井の物言いに首をかしげながらも、お届けモノがなんなのかをそわそわして待っているようだった。金井が隆士にアゴで小町を出すように指示すると、隆士が小町の腕を持って部屋の中に一歩踏み込んだ。

 

「……!」

 

 榊の目が大きく見開かれた。隆士と小町の顔を交互に眺め、ふ、と笑う。

 

「君は……。そうかそうか、そういうことか。ありがとう、手間をかけさせてしまったね」

 

 つい数十分前の出来事がなかったかのように、榊は隆士に歩み寄ってきた。隆士は今すぐにでも顔面を殴りつけたくてしょうがなかったが、その衝動をぐっとこらえた。ここにはほとんど何も知らない金井もいる。これ以上深入りするのもされるのも、隆士はごめんだった。

 

「茜は――――」

 

 どこだ、と訊こうとするのを遮るように、小町が口を開いた。

 

「私は戻りません」

「反抗期もほどほどにしてくれないか、小町」

 

 目の前で起きていることの内容を理解できないのだろう、金井は目を白黒させながら突っ立っていた。それに気がついた榊は金井の方に目を向けた。

 

「すまないね、私情で。後日礼金を払いたい。今日のところはみんな解散してくれないかな。あとはこちらで彼女を説得するだけなんでね」

「……はあ、まあ、いいッスよ。滝、行くぞ」

「ああ、いや。彼は残ってもらいたいんだ。悪いね」

「? そうッスか。じゃあ、失礼します」

 

 どことなく不満そうな声を出しながら、金井は部屋を出て行った。しばらくして榊は窓から庭を見下ろし、不良たちが解散していくのを見てから改めて話し始めた。

 

「まるでイタチごっこ。そろそろ聞き分けてくれないかな、小町」

「あなたのしようとしていることは、ハッキリ言って自惚れです。偽善です。人間の持つ指で数えられるような人数で、世界が変わるわけないじゃないですか」

「それは敗北だよ、小町。僕たちには、特別な力がある。『境界の力』という特別な力が。僕たちは、人の身で人ならざる力を得た人、『逸脱者』なんだよ。人の世を逸脱した視点(アウトサイド)から正す者、それが僕たち。確かに、小町がいうようにこれは偽善なのかもしれない。でも、その偽善で世界が変われば、より自由な世界になれば、より平和な世界になれば、本望だ」

「本望とか、そうじゃないとかはこの際どうでもいいんですよ。その過程があまりにも無茶で無謀なんです。そういうところが偽善で、自惚れだって言ってるんですよ」

「だからこそ、小町の力が必要だって言ってるんじゃないか!」

「聞き飽きました。あなたが言うようにこれはイタチごっこです。ナンセンスな言い争いです。解決策は一つだけ。榊さん、あなたの妥協。もう、私に構わないでください」

 

 隆士の服の裾を、榊に気づかれないよう小町がぎゅっと握ってきた。隆士は驚いた。短い間だが、隆士はこれまでに小町の弱いところを見たことがなかったからだ。常にズケズケとモノを言う彼女からは想像ができないほど弱っている。隆士が家の前で見た彼女よりも、さらに小さく、弱く、彼の目には映っていた。

 だから、というわけではない。隆士は盛大なため息を吐いた。

 

「ガキかよ、オッサン」軽い頭痛にガリガリと頭を掻きながら、隆士は言う。「茜と似たようなことほざいてんなよ。なんか勝手に使命感持っちゃってるみたいだけどさ、それって要するに余計なお世話ってやつだろ?」

「……続けて」

 

 榊は目を鋭く細め、隆士を睨みつけた。それに負けじと隆士も榊を睨みかえす。

 

「他人巻き込んでまでするようなことかよ、って話だよ。おかげでこのドちびには殺されそうになるし、あんたには茜を誘拐されるし。一週間もなしに人生の経験値かなり積んじまったじゃねえかよ。老後の楽しみどうしてくれんだ、チクショウめ」

「他人を巻き込んで、か。なるほど道理だ。だけどね、世界の変革を前に、他人なんて些細なことだとは思わないかい? それに、殺されそうになっただって? 実際生きてるじゃないか。()()()()()()()()()()()()()

「――――、あ?」

 

 隆士は榊の言葉に引っ掛かりを覚えた。今、榊はなんと言ったのか。

 小町が人を殺すはずがない。それは隆士の中の常識を覆すに足りる一言で、今までの小町とのやりとりが、その一言ですべてひっくり返された。よく理解できていない頭で、隆士は小町のことを見た。小町はただ、最初から言っていたのだ。

 ――『ただの高校生です』。

 

「お前、そんな……」

「……私はあの時、普通の高校生じゃなくなるはずだった。それだけです」

 

 隆士は強烈な衝撃を受けた。目の前の少女は生粋の殺人者だと思っていた。人を殺すことすら、なんでもないことに感じるのだろうと思っていた。ただ、自分もその一人で、死の未来に視えたから殺されたのだと、そう思っていた。目の前の少女は、今までも似たようなことを何度もしてきてたのだと、思っていた。

 だが。

 もし小町がそんな殺人者ではなく、本当に普通の高校生だったとしたら?

 人を殺すなんてことを真面目に考えたこともない、普通の高校生だったとしたら?

 

「――――なんでお前、俺に会いに来たんだ?」

「……さあ? きっとあなたのせいだからですね」

 

 ()()()()()()()()()()()()。小町はそう言うだけ。ただ逆に考えてみれば、そう言うだけなのだから、それが真実なのだ。

 その言葉に隠されているだろう、本当の小町の気持ち。隆士は知りたくもなかったし、教えてほしいとも思わなかった。だけど、これは知らなくちゃいけないことじゃないのか? 隆士の思考に、ある一つの答えが浮かんだ。

 

「すまない。何の話をしているんだい? 僕にも理解できるように話してくれないか?」

「『未来視』で未来を視て、そうしたら私が死んでて、視えた景色の中にいた彼を殺して、でも彼は生きてる、生き返ってる……! わからない。私、ごめんなさい私……私、は……っ!」

「なんて、ことだ……」

 

 小町はそのまま、ぺたんと座りこんでしまった。榊も動揺を隠せない様子でその場で固まってしまった。噛み合っているはずなのに、話が見えない。その状況に隆士は混乱した。

 小町は殺人者ではなかった。それなのに、隆士に会いに来た。隆士を殺した。隆士はなぜか生き返った。結果として死の運命からは逃れられたようだが、小町はここで迷子になった。終わりの見えない輪の中を、ただひたすらに回り続けて苦しんで。

 そういうことをぐるぐると考えて、隆士は「らしくねえ」と呟いた。

 

「オッサン、判ったかよ。こいつは人殺してまで、あんたに協力したくねえっつってんだ。親なら親らしく、子供の覚悟くんでやれよ」

「……だまれ。君が、つまり君が壊したんじゃないか。僕の計画も、小町の人生も!」

「責任なすりつけてんじゃねえぞ! 俺は被害者だろ。こいつがこんなことしたのだって、元はと言えば、テメエがくっだらねえ『世界征服』なんて企んでるから――――」

「そうか。ああ、そうかそうか。解ったよ、小町!」

 

 息を荒げ、榊は()えた。ゆっくりとした動作でポケットナイフを取り出す。切りつけるのではなく、左の二の腕にそれを突き刺した。ブツ、と筋肉が切れる音が聞こえ、彼がナイフを引き抜くと、数秒も経たない間に床に血が滴った。

 

「すべて僕の過ちだ。()()()()、誘うんじゃなかったよ。僕の過ちは僕自身の手で正す。『逸脱者』は正す者。僕の火で、自身の過ち、罪すべてを火葬する」左腕を中心に、榊の身体を火炎が渦巻いた。薄暗い部屋が、あっという間に明るく照らされる。「煉獄の炎は、贖罪のための炎。毒を食らわば皿まで。毒を焼くならば、毒された者も焼き尽くす」

 隆士は助けを求めるように小町を見た。泣きじゃくる彼女の姿を見て、自分の素直な反応に嫌気が差す。舌打ちをして、隆士は小町の壁になるように、彼女の真正面に立った。

 

「何のつもりだ、少年。小町は君を殺したんだろう? 助ける理由があるのかい?」

「知らねーよ、馬鹿。俺は別にこいつを助けたいからだとか、そんな殊勝なこと考えちゃいないよ。……理由? 知りたいか、だったら教えてやるぜ、親バカ野郎。こいつを殴るのは俺だ。あんたじゃねえ、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()! 邪魔してんじゃねえぞオイ、オッサン!」

 

 部屋はそれほど広くない。数歩走って近寄れば、そこはもう榊の懐。しかし、その懐と隆士の間に、隆士の接近を拒むように張り巡らされた火炎の壁がある。

 

「……君が許す? 小町を?」

 

 火炎に照らされながら、榊の顔が歪む。憤怒、嘲笑、憐憫。この小僧は何を言っていると激怒し、この小僧は何を言っていると嘲笑い、この小僧は何を言っていると憐憫の情を(もよお)す。複数の感情が入り混じった表情は、一貫して醜い。

 

「ふざけるのも大概にしないか、君。小町の罪を許せるのは被害者の君ではなく、そうさせてしまった僕にある。罪は僕にある。あの女――――」

 

 榊が怒りに任せ、自らの腹にナイフを突き刺した。ずる、と肉を裂く音がし、榊の顔が痛みでひどく歪んだ。火炎に照らされていても、顔色がみるみる悪くなっていくのが隆士にはよくわかった。それでも榊は怒りに顔を歪めていた。怒りだけで、意識を保っていた。

 

「――――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()!」

 

 隆士はその言葉を、榊の戯言だと聞き流そうとして、固まった。

 右から左には抜けず、一つの単語が脳でひっかかった。

『間部つばさ』。隆士と茜の親友。『自由』を問いかけ、わからないと言った隆士に優しく微笑んだ少女。隆士のことを好きだと言い残し、冬の空へ落ちた少女。

 

「……おい、お前」かすれた声で、震える声で隆士は叫んだ。「お前、つばさに何した!!」

「なに? なぜ、君があの女の名前で……」榊の表情がさっと固まった。それは徐々に怒りの感情に溶かされていく。「――――生き返った、とか言ってたね、君」

 

 榊の怒りに呼応するように、火炎が不規則に弾ける。榊から血が流れていくにつれ、火炎の勢いも増していく。押し倒されそうな気迫と熱波に、隆士は同じく怒気で返した。

 

「訊いてんのはこっちだ、つばさに何したって訊いたんだよ、答えろ!!」

「そうか、ああ、そうか。君か。君が元凶なのか。現代のカンダタは、蜘蛛の糸を登ることができたようだね。それはよかった、()()()()()()()()()()()()()()()

 

 火炎がうねった。渦巻いていた火炎が蛇のように鎌首をもたげた。それを避けることはできない。この場所が狭すぎるうえに、小町が後ろにいるから。それを防ぐことはできない。防御の上から、火炎は身体を焼くだろうから。

 

「そんなこと、やらせるわけないでしょう……!」

 

 静かに、隆士の背後から声がした。それに遅れて、何本もの鎖が榊めがけて疾走する。隆士を間に挟みながら、鎖と火炎は今夜二度目の衝突を始めた。

 隆士が振り向くと、小町は手当したはずの腕の傷をえぐるようにカッターで刺していた。

隆士の動悸が激しくなる。まったくわからない。状況がわからない。どうして榊がつばさの名前を口にしたのか、その理由が。

 整理しようとしても、落ち着いて考えられる状況ではない。小町の鎖も、徐々に榊の火炎に押し込まれてきている。腕だけを傷つけた小町と、腹を刺した榊とでは、瀕死の度合いが比べ物になっていない。

 

「なにやってんだよ、痛いのは嫌いなんだろ? なんで、俺なんか助けてんだよ」

「助けるに決まってるじゃないですか。だって、あなたは、私を許してくれるんですよね?」

 

 隆士は小町の顔を見て、吐きそうになった。笑っていた。今までずっと無表情だった小町が痛みに顔を歪めながら、それでも嬉しそうに笑っていた。その笑顔があまりにも綺麗で、心の底からの感情を滲ませているのが判ったから、隆士は余計に気持ちが悪くなった。こんなかたちで、彼女の笑顔を見たくなどなかったと、泣きたくなった。

 

「間部つばさは利口だった。だからこそ、普通の視点(インサイド)で生きてきた彼女でも、逸脱した視点(アウトサイド)で生きる資格があると判断して、僕は彼女を計画に誘ったんだ。だというのに、あの女は僕たちを裏切った!」榊は怒りに任せたまま、ナイフで右足を突き刺した。火炎の勢いがさらに大きくなる。「小町を毒し、絶対に許さないと誓ったのに、あの女! あの女は勝手に死んだ! だけど見つけたよ、あの女の理由、そして小町をたぶらかした君を!」

 

 小町の鎖が軋んでいた。火炎の勢いを押しとどめ切れずに、鎖が弾けていく。

 火炎の勢いだけではなく、榊自身の呪詛も過熱していく。より酷く、よりおぞましく、隆士の死を願って紡がれる言葉は、隆士の足を床に縛り付けるように動けなくしていた。

 

「もしかして、君が知ってるってことは彼女も知ってたりするのかい? 間部つばさのことをさあ?」

「――――茜、は知らねえ」

「嘘だね。嘘だろう、それ。彼女も知ってる、知ってるんだね? ああそうか、なんて奇跡だ。逸脱した運命は、僕に正すための舞台を用意してくれたのか」うっとりとした様子で榊は天を仰ぎ、火炎をより大きく熱く膨らませた。「――これが、世界変革への第一歩……!」

 

 バギん! と音をたて、鎖が砕け散った。それをフォローするように、すぐさま現れた鎖が火炎の猛攻を防ぐが、それももう長くは持たないだろう。

 隆士はほとんど無意識だった。もう一度どこかを刺そうとカッターナイフを振りかぶる小町に向かって、叫んでいた。

 

「カッター貸せ、ドちび!」

「え?」

「ボケんな、貸せ! 早く!」

 

 隆士の迫力に負けて、小町はカッターナイフを彼に手渡した。カッターを受け取った隆士は、流れるような動きで刃を腕に当てた。しかし、そこまで。刃を腕に当てた瞬間、その冷やかな感触に、家で包丁を見たとき以上の恐怖が体中に走った。見て感じたものよりも、触れて実行することの方が恐怖は大きい。自らを傷つける。その行為。あり得ないほどの怖気が、全身を硬直させていく。

 

「なんだ、君はそんなこともできないのか! さあ、その手を引くだけで君の腕に切り傷がつくよ。カッターは元々人の肉を斬るようには作られていないからねえ、痛いよ、すごく痛い。さあ、どうしたんだい、その手を引け! そんなこともできないのに、僕の前に立って偉いことをベラベラと、よくしゃべることができたな、お前はッ!」

「う、うううううううっ!」

 

 頭では「腕を切れ!」と命令を発しているつもりなのに、腕がいうことを聞いてくれない。それが情けなくて、隆士の視界は涙で滲んだ。できることなら、大声を出して泣きじゃくりたかった。

 

「うあああああああああああああああああッ!!」

 

 ビッ、と。隆士は自らの腕を切った。滲むように、しかし今まで見たこともないような勢いで血が腕から流れてくる。それを見るだけでも怖いのに、感触として残った気持ち悪さが隆士の恐怖に拍車をかけていた。『切る』という行為と、『切られる』という行為を自己完結。ダンボールだとか、紙だとかではない、生きた肉を裂くという行為。殴ることや蹴ることで浮かんでくるような、『痛い』という感触がない。ただとにかく、熱い。気がつけば、額いっぱいに脂汗が浮かんでいた。

 その痛みの例え方がわからない。

 肉が押し退けられるような異物感(いたみ)と、身を腐らせていくような灼熱感(あつさ)

 

「クソッタレがっ、ちくしょう、痛ぇ……!」

 

 思考の半分以上が痛みに支配されていく。その中で、隆士は小町を片腕で抱えあげた。『境界の力』のおかげなのか、それとも単純に小町自身が軽いのかを考えている余裕はなかったが、それでも、隆士は拳を振りかぶった。

 

「ッラァ!」

 

 その拳を、思い切り床に叩きつけた。ゴバん! と部屋の半分以上が陥没する。隆士はそのままその場で軽く飛び上がり、今度は全体重をかけ、床を思い切り蹴破った。榊の驚く声が聞こえたが、姿はあっという間に見えなくなった。

 人一人を抱えたままということもあり、若干バランスを崩したものの、どこかを怪我することなく隆士は着地した。

 

「なんて無茶してるんですか、あなたは」

「頭悪いからな」

 

 隆士はとにかく、この廃屋から抜け出すことを優先した。二階から漏れる火炎の光でところどころ照らされてはいたが、それでも視界は悪い。慎重に足を運び、正面玄関らしき場所を見つけた時だった。獣の咆哮にも似た絶叫が、廃屋を揺らした。

 

「逃げられると思っているのか、お前はアッ!!」

 

 瞬間、嵐のような勢いで火炎が廃屋を包み込んだ。隆士と小町がマズイと思うよりも早く、火の手は広がっていく。火炎は廃屋自体にも燃え移り、二人を追い詰めた。

 

「こんな……、あなたが死んでしまう! 榊さん、やめてください!」

 

 小町が叫ぶも、榊の返事はない。これほどの『力』の使用、どれほどの生を代償に捧げれば成し得るのか、小町にもわからない。ただ、『力』の大きさは使用者の死の状況に比例して大きくなる。それが解っていれば、この状況、榊が瀕死であることは想像に難くない。

 

「……ア、は、は! 残念だけど、僕はやめられないよ。なぜかはわかるだろう?」相当つらいのか、榊は言うというよりも垂れ流すように言葉を発していく。「君たちをこのまま生かしておくわけにはいかないからだよ。僕は間部つばさが憎い。あの女が憎くて仕方がない。僕の計画を否定し、小町を毒したあの女が許せない!」

「つばささんは、何も悪くないじゃないですか!」

 

 隆士は舌打ちした。自分の知らないつばさがいるというだけでも彼は胸糞が悪いのに、その知らないつばさで話をされるというのは、どうにも我慢できない状況だった。

 

「悪くない? それは毒された小町だから言える言葉だろう。許せないよ、小町にそんな言葉を言われるなんて、小町がそんな態度を僕にとるなんて、信じられないよ。僕は憎いんだ、あの女が。だから、あの女の陰が残るものすべてを焼き払う。小町も、そこの君も、あの少女もすべてだ……!」

 

 榊の言っていることはメチャクチャだ。隆士は初めから榊の計画など知らないし、それを阻止しようなどと思って行動したわけではない。小町も計画自体に反対ではあるものの、そのメンバーから外してくれと言っているだけで、邪魔をするつもりもない。だが、榊にとってはつばさの陰が残るモノ自体が許せないのだと言う。

 そんな榊の言葉を聞いていて、隆士が思わず小町にある言葉を投げかけた。

 

「お前、ずいぶん愛されてんな、あのオッサンに」

「それはどうも。つばささんを私たちの計画に誘ったのも、もともとは私と同年代の友人を作るつもりで誘ったらしいので、確かに私は愛されていたのかもしれません」ですが、と小町は言う。「殺されるとなれば話は別です。私は彼の計画自体を阻止するつもりはありませんが、()()()()()()()()()()()()()()()()()()、と判断したんでしょうね」

 

 榊の声がまた聞こえなくなった。廃屋を火炎が焼く音と、風が火炎をあおる音だけが空間にこだましている。逃げ場は徐々になくなってきていた。

 

「クソ、茜もどこだかわかんねえってのに」

 

 状況の悪さに隆士は舌打ちした。火の海に囲まれている現状、つばさの名前が出た理由、茜の行方。そのすべてが悪い方に向いている気がしてならない。

 だが、それを小町に問い質すためには、まず生きてここを出なければならない。幸い、榊は直接攻撃をしかけてきていない。まだ落ち着いて考えることができる。隆士にとって、それだけが救いだった。

 

「……どうしますか?」

「茜を探す。まずはそれからだろ」

「……外の車に乗ったままだったりしないでしょうか?」

「こっちにいなけりゃ車見たらいいだろ」

「頭悪いです」小町はこの状況をちゃんと理解しているのか、と聞いてから改めて説明に入った。「あなたのような頭の悪い人にもわかるように説明するとですね、茜がここにいるとして、探している最中にでもこの家が崩れるかもしれません。いなかった場合も、同様に生き埋めになりかねません。あとは空気の問題ですかね、こうしている間にも酸素はなくなってきてる」

「……このまま外に出て茜が車の中にいたらラッキー、でも、いなけりゃ茜だけが焼け死んじまうってことかよ。クソ、訊いときゃよかったな」

「素直に教えてもらえるとは思えませんが」

 

 その通りだった。出会って最初の頃ならば教えてもらえたかもしれないが、今や隆士や茜は『つばさの陰』を持つ人物として私怨を向けられている。そうなって正直に話してもらえるとは隆士も思わない。

 また、この廃屋はそれなりに広い。玄関側から裏口に回り込むときも二・三分の時間を要していたし、走り回って探したとしても、全部を見て回ろうとすれば十分近く時間を食うはめになるだろう。そうなれば車の中にいることに賭けて外に出た方が賢明なのかもしれないが、もし中に茜がいたとすれば、ほぼ確実に見捨てなければいけなくなる。だが、そんな選択を隆士がするはずがなかった。

 

「おい、ドちび」

「……もう細かくは言いませんけど、その呼び方やめてください。なんですか」

「ちょっと歯ぁ食いしばれよ」

「え? ちょっと、あなた何するつもり……きゃっ!?」

 

 ぐぅん、と隆士が小町を()()()()()()。まるで大きなぬいぐるみでも投げ飛ばすような軽々しさで、大きく振りかぶった。

 

「しっかりとその文学的な鎖様で防いどけよ!」

「ちょっと、やめてくださいっ!」

 

 ドシん! と隆士が踏み込む。小町が腕の先で騒いでいたが、そんなことで行動を中断するほど、隆士にも余裕はなかった。小町も彼のその様子に観念したのか、虚空から取り出した何本もの鎖を展開していく。

 

「い・けえっ!」

 

 人を投げたようなゆったりとした放物線ではなく、明らかにボールを投げたような速度で小町は投げ飛ばされた。空中に展開していた鎖を自身を覆うように球状に固め、玄関と火炎の壁とをぶち抜いていく。

 数秒もしないうちに、小町の外から叫ぶ声が聞こた。

 

「無茶苦茶すぎます!」

「いいだろ、出られたんだから。それよりも車確認してくれ!」

「頭悪いにもほどがあります! 私、いくらチビでもボールみたいに投げられるような体してませんよ!」

 

 文句を言うだけ言って、小町は榊の車を確認しに行った。一分もしない間に外から「いません!」という叫び声が聞こえた。

 

「じゃあお前もう帰っていいよ。ていうか、消防車と救急車よろしく頼むわ!」

「バカですか! あなたを放っておけるわけ――――」

 

 小町の声が途切れた。それに隆士が首をかしげるとほぼ同時、廃屋全体を震わせながら、窓から見える火炎の壁の勢いが激化した。それに伴って、廃屋の燃える速度も上がっていく。

 

「いい展開じゃないか。血の池地獄の次は、地獄の釜だ。さあ、カンダタ、今度もうまく逃げてみなよ……!」

 

 半狂乱の榊の叫び。それに構っている暇など隆士にはなかった。それでなくとも火の足が早くなっているのだ、ぼうっと突っ立ってなどいられない。

 手前から順番に、奥へ奥へと部屋を調べて行く。幸い、火のおかげで暗くて見えない、ということにはならなかったが、とにかく暑い。

 四方八方を炎に囲まれ、茜を探す。それは隆士が想像していた以上に苦しい。茜が見つからない、という焦りで動悸が激しくなり、呼吸が乱れる。激しく酸素を求めるものの、周りにある酸素は燃焼によってどんどん奪われていく。首を絞められているような喉への圧迫感。

 目眩を覚え、立っているのもギリギリというところだった。限界はとうに超え、隆士はいつ倒れてもおかしくはない。

 必死だった。

 

「帰ったら、絶対に、メシ奢らす……」

 

 そこは寝室だった。家具で壁際は埋まっていたが、中央にぽつんとダブルベッドが置かれていた。そこに、茜は寝ていた。火炎に赤々と照らされながらも、すやすやと眠る茜がいた。

 

「はあ、あ、はあ……」

 

 ベッドの傍らまで近づくと、隆士はそのまま倒れ込んでしまった。廃屋という場所にありながら、このベッドはよく使われていたのか、巻きあがるほどのホコリは積もっていなかった。

 天井がギシギシと軋む音を聞きながらそこで呼吸を整え、ある程度回復したところで、隆士は再び立ち上がった。寝たままの茜を背負い、来た道を戻るのは面倒だと考え、今なら使えるだろう、と壁を粉砕するために彼が拳を振り上げた時だった。

 

『はッは! 見ろ、この力! まさに『逸脱者』たるゆえん!』

 

 榊の声のようだったが、今までとは声音が違いすぎた。ボオ、と大気が揺れるほどの振動を伴ったその叫びは、明らかに人間の発したものではない。外の状況がわからない隆士にとって、それは恐怖以外の何物でもなかった。

 

『はははッ! さあ、カンダタ、熱に押し潰されろッ!』

 

 めきィ! と、家を支えていた柱という柱が軋みをあげながらひしゃげた。とてつもない衝撃が走る。地震かと思うほどのその衝撃。考えるよりも早く、隆士は茜を床に寝転ばせ、自身はそれをまたぐように立ち、彼女の上に陣取った。

 次いで、二度目の衝撃。今度こそ衝撃に耐えきれず、廃屋は崩壊した。二階の床やそれを支えていた柱が真上に落ちてくる。

 

「うアアッ!」

 

 隆士自身、どうすれば『境界の力』を使えるのかを詳しく知らない。ただ、小町の知識から『傷つけば傷つくほど能力が強くなる』ということを聞かされているだけだ。実際、カッターで腕を切りつけてからは筋力が人間のそれをはるかに超えた力を発揮している。

 だが、公園で榊の火炎から身を護るために出したあの腕。巨大な拳。あれを今この瞬間に出せる保障などどこにもなかった。それでも、隆士はそれに賭けるしかなかった。

 

「出ろ、来い、ここに、来いッ!」

 

 はたして。隆士の声に呼応するように、その剛腕は空間を引き裂き、顕現した。

 隆士の腕をトレースしながら、剛腕は崩れ落ちてきた柱や天井を受け止めた。途端に、彼の腕に負担が()しかかってくる。それに加え、真上に支えている柱や天井といった瓦礫は、今も燃えている。それを目の前にしてまで、隆士は冗談が言えるような性格はしていない。

 この剛腕ならなんとか瓦礫を押し返せないものか、と試そうとした瞬間。

 

『しぶとい、しぶといいいいッ! 潰れろ、潰れろおおおおッ!』

 

 榊の叫びと同時に、廃屋を潰した衝撃がまた襲いかかってきた。押し潰される、という思考が反射的に走り、心臓が破裂しそうになるほどに高鳴る。それでも歯を食いしばり、隆士は全力で瓦礫を支えた。

 

「ふゥーッ、ふゥーッ」

 

 まるで巨人が廃屋の上で足踏みをしているように、連続で衝撃が襲ってくる。そのたびに隆士の腕に強烈な負担が圧しかかり、筋肉は徐々にはち切れ、骨が軋み始める。廃屋の柱同様に、隆士の腕は今にもひしゃげてしまいそうだった。

 

「ぐ、う、ウウウウッ!」

 

 水をかぶったような汗が流れてくる。汗が顎から垂れるなんて経験をしたのは、隆士は生まれて初めてのことだった。

 

「う、ん……んん」

「あか、ね……?」

「あ、れ。りゅうじ?」

 

 ぽたぽたと垂れ落ちた隆士の汗が、どうやら茜の顔に降っていたらしい。彼女は目をこすり、咳きこみながら目を覚ました。それと同時に、周囲の状況を見まわし混乱した。

 

「あれ、あれ? なにこれ? ドッキリ?」

「馬鹿、かっ。ドッキリで、こんなことしねえ……っ!」

「隆士? 何してるの? なんで、私たちこんな……あれ?」

「ちょっと、黙っとけ馬鹿っ、死ぬぞ!」

 

 腕が軋む、息が詰まってうまくできない。話している余裕など、隆士にはなかった。

 その必死さを見てか、茜はこの状況を只事ではないと理解したらしい。彼女は目に見えてうろたえ、身を縮め、震え始めた。

 

「ぜってー、死なせねえからな! だから、黙ってそこにいろよ!」

 

 その姿を見て、隆士はなんとか茜を励まそうと声をかけるが、茜からの返事はない。

 次第に衝撃は強くなり、骨が軋みではなく痛みを発し始めた。だというのに、負担は減ってきている。『境界の力』がどんどん強くなっていっているからだ。だがそれは、隆士にとって必ずしも喜ばしいことではない。『力』が強くなってきているということは、それだけ死に近づいて行っているということだからだ。

 そして、次の瞬間には耳に聞こえるほどハッキリと、隆士の右腕から乾いた音が鳴った。

 

「う、ぎッ、あああああああああああああああああああああ!」

 

 汗が噴き出る。涎が口から垂れる。涙がこぼれ落ちる。痛い。そんな感覚に隆士が振り回されている間に、左腕からもバキ、と骨の折れた音が響いた。

 

「――――――――ギ、いッ!」

 

 もはや彼の痛みは声にならない。支えをなくした瓦礫がまた落下を始める。

 それを、()()()()()()()。見方によっては隆士自身が肥大化したようにも見えるその深紅色の巨躯は、失った両腕の代わりに、その根元にある両肩と背中で瓦礫を支えていた。

 

「やべえ、めちゃくちゃ、痛え……」

「隆士……?」

「おい怪我とかしてないよな? してたらカッコ悪いぞ、俺」

「隆士っ!」

「オッケー。大丈夫そうで、安心、したわ」

「全然大丈夫じゃないよ! なにしてるの? 骨、折れたんじゃないの!?」

「叫ぶなって、痛い」

「隆士! もうヤダ! 隆士のそんなの目の前で見るくらいなら、私死んだ方がいい! 隆士と一緒なら、全然怖くないから、だから、もう、がんばらなくて、いいよぉ……っ」

「――――そりゃ、どうも。残念、ながら、俺、まだ諦めらんねえわ」

 

 悲愴の表情で茜が見上げてくる。目には涙が溜まり、鼻水も垂れ流し。ぐしゅぐしゅに汚れた彼女の顔を見て、隆士は嬉しさと怒りが同時にこみ上げてきた。

 

「俺を見んのが(いや)なら、目、つぶっとけ。声聞くのが、厭なら、耳、ふさいどけ。俺も、こんなカッコ悪いの、見せたくねえし、もう、情けねえ声も、出さねえ、から」

「ヤだよ、隆士、もういいよ、怖くないよ、一緒だったら、怖くないよ。一人にしないでよ、お願いだから、りゅうじぃ……!」

「――――知ってるかよ、茜」隆士は言った通り、情けない途切れ途切れの声ではなく、ハッキリと、力強い言葉で言った。「怖えんだよ、すっげえ怖え。死ぬのってな、お前が思ってるよりずっと怖えんだよ。だからさ、怖くないなんてのは嘘だから。そんなこと言ってるお前がいるってこと、すっげえ嬉しいけどよ、それ、絶対違うから。だから、信じさせろよ」

「う、え?」

「一緒だったら怖くないって言葉、それが『一緒に生きよう』って意味だって、信じさせろ」

「りゅう、じ?」

「俺が知らねえヤツなんてどうでもいいんだよ。俺はな、お前を、茜を守りたいんだよ。いいぜ、約束だ。ここから帰ったら、お前の『世界征服』に付き合ってやる。()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

 それは、隆士が茜へ問いかけた自由の意味。

 ここでもし、茜がまだ「一緒に死んで」などと言うのなら、隆士はその言葉に逆らわないつもりだった。つばさ、と隆士は心の中で呟く。聞こえるはずのない声も、あの世と繋がっているという『境界の力』を行使している今なら届きそうな気がして。

 

「――――、けて」

「なんだよ、聞こえねえぞ!」

 

 俺の自由は、茜の中にある。それが隆士の出した答え。

 隆士の中で何よりも茜が優先されるのなら、彼の自由は茜を中心に構成される。深い理由なんて、隆士には必要がなかった。誰よりも茜を優先するなら、それだけでもう答えなのだ。

『茜を優先したい』と願うこと自体がすでに、隆士の自由なのだから。

 

「だから言え、茜!」

「助けてよぉ、隆士ぃっ!!」

「オッケー、いい子だ!!」

 

 気がつけば、連続して襲って来ていた衝撃が今は感じられない。一気に隆士の体が軽くなっていく。衝撃がないのなら、圧しかかる瓦礫は羽のように軽い。押し返すのは、容易い。

 

「オオオオオオオオッ!」

 

 膝を曲げ、力を溜める。腕で押し返せないなら、全身をバネのようにしてはね返せばいい。隆士の行動は、でたらめだった。

 

「茜、掴まれ!」

「でも、手折れてる!」

「足でも体でも、どこでもいいから! なんなら腕でもいいぜ!」

「馬鹿あっ!」

 

 そう言って、茜は隆士の腰に抱きついた。

 もう一度だけ「しっかり掴まってろ」と念を押し、茜がより強く抱きついて来るのを確認してから、隆士は跳ねた。

 瓦礫を押し退けながら、火炎が照らす夜空に舞い(あが)った。

 

 

 

「バカですか、あなたを放っておけるわけ――――」

 

 そこで、小町は言葉を失った。目に見えて火炎の勢いが増した。何者をも拒むかのような炎の渦。廃屋全体を巻き込みながら、それは徐々に強さを増していく。

 

「そんな、榊さん、こんなことしたらあなたが死んじゃいますよ……」

 

 小町はその場に座り込んでしまった。榊の理想をどれだけ否定しようと、彼自身を否定する気は小町にはなかった。命の恩人。育ての親。血は繋がっていなくても、などと月並みな言葉で表すことのできる関係だったとしても、小町の榊に対する感謝の念は、一生かかっても彼には返しきれないものだ。その人が、目の前で死にかけている。

 燃え盛る廃屋で、私怨に身を焦がしながら、その生涯を閉じようとしている。

 

「……、っ馬鹿。誰も彼も、頭悪い」

 

 どうにかして榊だけでも助け出そうと考え、より強い『境界の力』を引き出すために、小町はポケットに手を入れ、愕然とした。カッターナイフがない。どこかに落としてしまっただろうかと焦ったとき、彼女は思い出した。隆士に「貸せ」と言われて貸したままだ。

 

「ああ、もう。ホント私、あなたに狂わされっぱなし」

 

 小町は、自分の頭を振りかぶり、そのまま地面に額を打ちつけた。柔らかい土だからだろうか、あまり痛いとは感じられなかった。少しフラつきながら立ち上がり、今度は廃屋を囲う柵に頭突きをしようと頭を振りかぶった瞬間だった。襟首を引っ掴まれ、ぐん、と後ろに引っ張られてしまった。

 

「なっ」

「おい、何してんだお前!」

 

 金井だった。えらく焦った表情をしていた。

 

「どうして、あなたがここに?」

「どうしてって言われてもな。なんかオッサンの様子が変だったからよ、解散させてからも近くをうろついてたんだよ」小町の襟をがっしりと握りながら、金井は言う。「そしたらいきなり煙があがっててな、焦ってここまで走ってきたら、お前が柵に頭打ちつけようとしてたから止めた。ていうか、ホント何してたんだお前」

「別に。ちょっとした気の迷いです」

「可愛くないヤツだな。彼氏に嫌われんぞ」

「え?」

「滝だよ。バレバレっつーか、判りやすかったぞ」

 

 曰く、小町を連れて行くだけなら曲がり角でこそこそしていたりしないだろう、とのことだった。確かに、と思わず納得してしまった小町だったが、それならどうして私たちの演技に付き合ってくれたのだろうか、と彼女は疑問を抱いた。

 

「面白そうだから演技に付き合ってみたら、なんかヤバいことに頭突っ込んじまったな」

 

 何か考えがあって演技に付き合ったのかと考えていた小町は、ただ単に面白そうだから、という金井の理由に嘆息した。

 金井のせいで一気に緊張を解かれてしまったが、改めて冷静になれたことを考えると感謝するべきかもしれない、と考えるも口に出して感謝しないのは小町の意地だった。

 

「できれば、ここから離れてくれるとこちらとしても助かります。騒ぎを大きくしたくないので」

「十分大きいってば。まあ、それよか消防車と、お嬢ちゃん救急車いる?」

 

 携帯電話を構えながら、金井は苦笑いしながら小町の額を見ていた。

 

「自分で判断してください。オトナでしょう?」

「それほどでもないけど。まあ、一応呼んどく――――」

「あぶな――」

 

 い、と言い終わるよりも早く、鞭のような鋭い軌道をとって、火炎が金井の携帯を貫いた。貫かれたフレームはどろりと溶け、バチバチと火花が散る。金井が驚愕に目を剥き、火炎の鞭が伸びてきている廃屋の方を睨んだ。それに続いて、小町もそちらへ目を向けた。

 

『はッは! 見ろ、この力! まさに『逸脱者』たるゆえん!』

 

 そこには変わり果てた榊の姿があった。

 

「榊、さん……?」

 

 巨大な火炎の塊が人の形を成していた。燃え盛る巨人の顔は認識しづらくはあったが、榊の顔を、大気を震わせるほどの呵々大笑を続ける声は、間違いなく榊のものだった。

 

「オレいつから映画の住人になったんだ?」

 

 どこか外れた感想をもらしながら、金井は腰を抜かした。小町もできることなら金井のように腰を抜かして驚きたかったが、彼女の場合これが『境界の力』によるものだと理解しているぶん、驚きよりも焦りの方が大きかった。

 

「榊、さん……」

 

 もう手遅れだということを、幾度目かの呼びかけで小町はやっと理解した。

 のろのろとした動きで、火炎の巨人は拳を振りかぶり笑った。

 

『はははッ! さあ、カンダタ、熱に押し潰されろッ!』

 

 ごゥ、と風を切る音がして、拳が廃屋が叩き潰した。衝撃が少し離れた小町たちの方まで走ってくる。

 さあっと、小町は自分の血の気が引いていく音を聞いた。中には、まだ隆士と茜がいる。

 二度目の拳が振り上げられる。マズイ、と思うのと、少しでも時間を稼がないと、と小町が思うのはほとんど同時だった。火炎の巨人の挙動に、小町は反射的に動いていた。幾本もの鎖が虚空から射出され、巨人の腕に絡みつく。が。

 

「ダメ……、千切られるっ!」

 

 何の抵抗もなかったかのように、鎖を引き千切りながら巨人は拳を振り下ろした。廃屋はぐしゃぐしゃに粉砕され、今の今まで視界に映っていた建物が残骸を残して消えてしまった。

 巨人の腕に巻きついていた鎖もドロドロに溶解してしまった。

 が。

 廃屋が崩れ去ったあとの一部分だけが、こんもりと盛り上がっていた。

 

『しぶとい、しぶといいいいッ! 潰れろ、潰れろおおおおッ!』

 

 その膨らみを見た巨人が憤怒し、今度は足をあげ、盛り上がった部分を踏みつけた。足踏みするたびに衝撃と震動が小町たちにも伝わり、まもとに立っていることもできなくなった。小町がぺたんとその場に座り込むと、隣の腰を抜かしたままの金井が叫びをあげた。

 

「なんなんだよ、お前ら! 冗談じゃねえ、なんだこれ!」

「うるさいです。だまっててください!」

 

 巨人の足踏みは終わろうとしない。地震にも似た震動が続き、立つこともできない。

 柵に頭突きをして、自分を傷つけようとすれば、そこまで移動しなくてはいけない。この震動のことを考えれば、それよりも、もっと手軽な方法が小町にはあった。

 

「あ――――」

 

 口を大きく開き、小町は自分の腕にかぶりついた。ごり、という筋肉がずれる音。犬歯が肌を破って肉を裂いた。徐々に顎に力を入れながら、痛みに涙を流す。隣で金井がなにかを叫んでいるが、小町にそれに耳を傾けるだけの余裕はなかった。

 

「ぶ、うう、くふ、ぐ、ウウウウウッ!」

 

 ぶちん、と肉を喰いちぎる音がして、小町はやっと腕から口を離した。自分で噛みついた腕はくっきりと歯型にえぐれ、鮮やかな朱色の血と涎で汚れていた。

 

「はーッ、はーッ」

 

 拳を握るだけで痛い。それどころか、動かす指によっては、それだけで劇痛が走る。

 

「う、ウウウウウウッ!」

 

 飛びそうな意識をなんとか保って、小町は視界いっぱいを埋める火炎の巨人を見た。

 彼女の能面のような無表情が崩れていた。涙を流し、口元を歪める。

 

「榊さんが、恨みで人を殺すなら、私だって、あなたを恨みで殺せますよ……」

 

 じゃらじゃらと金属同士が擦れ合う音が周囲に低く響く。今までの鎖のような細いモノではなく、錨鎖(びょうさ)のような極太の鎖が虚空から一本のみ現れる。小さな鎖と絡み合いながら、一直線に巨人の首めがけ伸びていく。

 

『――――っぐ、が!』

 

 巨人がバランスを崩す。足踏みは一旦止まり、巨人の顔が小町を向いた。瞬間、彼女の脳が警鐘を鳴らす。どっと汗が噴き出す。口の中がカラカラに乾いていく。

 それでも、小町は火炎の巨人から目を離さなかった。

 

「……あなたを、助け(ころし)ます」

 

 小町は宣言する。同時に、噛みついた方とは逆の手の指で噛みつき傷をえぐった。

 さらに幾百にもなるだろう鎖が巨人を拘束していく。千切られた時よりもさらに強度が増した鎖相手に、それでも巨人はなんでもないように鎖を引き千切っていく。ゆっくりと鎖を排除しながら近づいて来る巨人を迎撃するように、鎖は途切れることなく小町の周りの虚空から射出されていく。

 

『オオオオオオオオッ!』

 

 それでも、巨人の驀進(ばくしん)は止まらない。止められない。ほとんど無意識に、小町は『未来視』をしていた。

 ――刹那、視た未来は自分の死。

 火炎の巨腕に押し潰され、塵も残さず焼き尽くされる。頭に鋭い痛みが走り、現在へ引き戻される。呼吸が一気に荒くなる。死ぬ。焼け死んでしまう。焦燥感が小町の体中を駆け巡る。結果しか判らない『未来視』で、どうやって過程を変えればいい?

 また頭痛。いつの間にか、未来の視点へ飛ばされていた。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「……っ」

 

 また現在の視点。いくら鎖を取り出そうとも、目の前の巨人は止まらない。先に見たふたつの未来は、どちらも腕による死亡。だというのに、目の前の火炎の巨人は、()()()()()()()()()()()()

 

「――――あ、うっ!」

 

 未来と現在のループが止まらない。『未来視』が暴走を始めている。どうにかして生きる未来を模索しようと、繰り返し繰り返し、あり得る未来を小町に視せ続けている。

 

「あ、あああああ、アッ!」

 

 いくつもの自身の死滅。いくつもの未来の自分が消えていくさまを視続けることの苦しさ。たったの数秒の間に、一体幾度の人生が消えていったのか。一体幾度の死を彼女は体験したのか。高速でめくられるフィルムのように、小町の眼に、一体幾度の『死』が刻まれたのか。

 ――――そうして、小町の体に異変が起き始めた。

 目からは血涙を流し、身体中に細かな切り傷や火傷が()()()()()()()()()。激しい痛みと苦しみ。それはまるで、死した未来の彼女の姿のようで。

 

「痛い痛いっ! 痛い、痛いよぉお!」

 

 汗腺ひとつひとつに針を刺されていくかのような、全身を万力にかけられていくような、幻視の劇痛。

 ――――聖痕(せいこん)

 強い自己催眠による、自傷現象。

 強く思い描くことによって、存在しない傷を浮かび上がらせるモノ。

『未来視』による、未来の可能性の示唆。小町は『今生きているという限りなく在る可能性』を、『未来に死ぬという限りなく不確定な可能性』に浸食されている。自分が死ぬという可能性を、小町自身が何度も何度も何度も何度も垣間見ることで、現在へその可能性を引きずり込んでしまっている。

 死しか視えない未来に、現在が蝕まれている。未来の事象が、現在の可能性を食い潰していっている。

 が。『境界の力』は、そのような現象であろうと、本人が傷つけば力を増す。

 死という未来の事象に飲まれかけている小町は、擬似的な死の体現者。

 未来という世界から自身の死霊を引き込み、自らを死に駆り立てる者。

 

死霊を駆り立てる者(ネクロマンサー)』。

 

 錨鎖のような極太の鎖が十重二十重に展開される。それらは火炎の巨人を貫き、動きを封じた。瞬間、小町の『未来視』で視た未来に、隆士の姿が新たに現れた。今までの未来にはない光景に、強烈な生の予感に、小町は身を震わせた。

 

「あなたは、いつも私の未来を狂わせる。愛しい人ですね、リュージ」

 

 小町の呟きが終わるが早いか、廃屋の瓦礫が吹き飛び、力強いシルエットが夜空に浮かんだ。

 その姿は――――

 朱色の、大鬼(バケモノ)

 

 

 痛みを忘れるほどの興奮。かつてないほどの高揚。今までとは違う胸の高鳴りに、隆士は心地良ささえ覚え始めていた。両腕が使えないからどうだという、頭突きでもなんでも、榊に食らわせないと気が済まない。ギラギラした眼で、隆士は榊を中空から探した。

 が、榊の姿はどこにもない。廃屋の中庭には小町と、なぜか金井がいた。

小町は半眼の眼をくりくりに見開き、隆士を見上げていた。驚きと同時に、彼女が笑っている気がした。やはり気がするだけで、実際にはニコリとも笑ってはいない。

 そうして、隆士は気がついた。彼女が血だるまになっていることと、彼女の周囲から巨大な鎖が伸び、それが――、

 

「榊……っ!」

 

 火炎の巨人と化した榊正義を貫き、動きを止めていた。

 

『お前、しぶといよ!』

 

 それでも榊は執念深く、火炎で形作られた巨腕を隆士たちに向けた。

 

「茜、もっと上来い! 動きにくい!」

「無茶言わないでよ! がんばってみる、けど怖い怖い! 何これ!?」

「あと黙ってろ! 舌噛むぞ!」

 

 茜が肩辺りまで登り切ってから、隆士は迫ってきた火炎の腕を、鬼の腕と同じく脚の動きをトレースした鬼の脚で蹴りあげた。巨腕を弾き返すことはできたが、空中姿勢が極端に崩れた。両腕が使えない分、空中での姿勢維持が思ったようにできていない。

 このままでは背中から地面に激突する。なんとか足を地面に向けようとするが、間に合わない。

 

「くそっ!」

 

 と。隆士と茜の体を、何本もの鎖が優しく受け止めた。丁寧に地面に立たせると、鎖は消えていった。

 

「こまっちゃん! ひどい、血だらけだよ!」

「大丈夫です。それより、茜が無事でよかった」

 

 茜は一目散に小町に駆け寄り、しかし、迂闊に触ろうとはしなかった。あまりの傷の痛々しさに、触ること自体を拒んでいるようだった。

 

「……よう。助かった」

「どういたしまして」

 

 隆士が小町に感謝を伝えてから、彼は金井に視線を移した。なんでここにいるのかを訊くつもりだったが、金井の様子を見ているとそんなことを訊く気にならなくなった。腰が抜けているのか、地面から立つことができない様子で、口を金魚のようにパクつかせながらこちらを見ていた。

 隆士はそれに苦笑いで答えておくと、改めて火炎の巨人――榊正義を睨みつけた。

 

『くそ、くそお! チラつく、あの女が、頭の中でチラつく! 消えろ、消えろッ!』

 

 火炎の巨人は、人とのしての形を崩していく。人としての脚を崩し、人としての腕を崩し。

 

『アア、ウアァッ! 消えろ、消えろ……ッ! 消してやる、塵も残さずに、記憶すら残さずに、僕の前からア、アアア、アアアアアアアアアアアアアッ!!』

 

 その場にいる全員が、火炎の巨人の崩れゆく様を見ていた。人としての形を失った巨人は、ただ燃え盛る私怨の、憎悪の炎と化した。

 榊の命と、その人としての姿を喰らい、『境界の力』は暴走を始めた。

 

『オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!』遠吠えのような叫びに続いて、どこから出たのかもわからない言葉が発せられた。『オオオ、僕の敵! 粛正の炎、燃やせ、燃やせ燃やせ! オオ、オオオオッ!』

「――――私が、彼を助け(ころし)ます」

 

 小町が囁く。誰もそれを止めはしなかった。止められるはずがなかった。

 宝院小町。自称、普通の高校生。隆士を殺し、茜を巻き込んだ張本人。今でも、隆士の中で彼女に対するその考えは変わっていなかった。だが、その隆士の中にも変わったモノはあった。

 ――こいつを許したい。隆士はいつからか、そう願っていた。整理のつかない心と、小町に対して歯止めの効かない感情を忘れられるくらいに彼女と一緒に過ごせれば、それはいつか叶えられる気がして。だから、隆士は小町に言った。

 

「――――つばさの仇は、俺が取る」

「……頭悪いです」

 

 隆士は小町の顔を見なかった。ただそこに、クスリと笑い声が混じっていたような気がして。それだけで、隆士には十分だった。

 

「茜、あとでこいつからちゃんと話すだろうから、今は待ってくれな。ちょっと消火に行ってくる」

 

 茜に笑いかけながら、隆士は一歩前に踏み出した。自ら出した自由の答えを守るために、茜という少女を、なくしたくはないから。

 

「ちゃんと戻ってきてよね。隆士」

「おう」

 

 もう一歩前に踏み出す。その背中に、今度は金井が呼びかけた。

 

「滝!」

「……」

「お前、何者だよ?」

 

 その問いに、隆士は笑った。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()――――」一拍置いて、金井に振り返りながら続けた。「()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 小町が隣でまた「頭悪い」と呟いたが、隆士は聞こえなかったことにした。

 金井は隆士の返事の意味を捉えあぐねているのか、視線を右に左に泳がせながら黙り込んでしまった。それがまたおかしくて、隆士は笑った。

 

「残念っスけど、()()()()()()()()()()()()()()()()

「な、おい滝! こんな普通があってたまるか、訂正しろ、おいっ!」

 

 金井の声を無視して、隆士はまた一歩前に出た。

 一歩、また一歩と近づいて行くにつれ、熱風が隆士の肌を焼いた。

 

「おい、宝院」

「……なんですか」

「お前、邪魔だけはすんなよ」

「同感ですね、私の邪魔はしないでください。できれば手を出さないでおいてくれると、なおありがたいですが」

「なら感謝しろよ。俺両手とも骨折れて使えないから」

「頭悪いです。文字通りの意味なわけないでしょう。上、来ますよ?」

「え?」

 

 巨大な火球が隆士の真上に落ちてきていた。小町の警告が遅いことに舌を打ちながら、隆士は巨人との距離を詰めることで火球を避けた。走るたびに両腕から痛みが走っていたが、高揚した感情のおかげで、彼自身気にするほど痛みを感じていなかった。

 走る隆士の背後から巨大な鎖が彼を追い越していく。巨人に次々に命中していく鎖に続いて、隆士は火を踏み消すようにケンカキックを放った。鬼の剛脚がそれをトレースし、火炎に向かって鬼の足が伸びていく。鎖ともども火炎をぶち撒けながら隆士の蹴りは直撃した。

 

「アアアアアアアアアッ!」

 

 隆士はそのまま足をあげ、四股を踏むように足を地面に叩きつけた。剛脚はそれをそのままトレースし、火炎を踏みつぶした。火炎は四散するものの、巨人に対しては決定打になっていない。散らばった火炎はすぐさま元に戻り、怒濤となって逆襲してくる。

 隆士は回し蹴りで火炎を薙ぎ払いながら、何か攻略の糸口になるものはないだろうかと考えた。勢いで突っ込んだはいいものの、ごうごうと燃え盛る火炎を消す手立てを思いつけないでいたのだ。

 

「……あん?」

 

 いっそ放っておけばそのうち消えてなくなるんじゃないか、と隆士が考え始めたときだった。瓦礫でもなんでもない、黒い影が火炎の奥底に映った気がした。

 

「なんだ?」

 

 もう一度黒い影が見えた方向を見据えた。火炎に景色が揺られてよく見えないが、太陽の黒点のような小さな黒い影がかすかに見える。

 

「……人影?」

 

 まさか、と隆士はその黒い影を凝視した。ユラユラと頼りなさげに立っているその人影は、少なくはあるが、布を纏っていた。周囲の火炎に焼かれ、炭になってしまっているようだったが、それは隆士が思いつく限り、榊の着ていたスーツに見えた。

 

「おい、宝院!」

「文句は後で聞きますから、榊さんを――――」

「違うって、『境界の力』っつーのは死んでも使えるもんなのか?」

「操る人がいなくなっても、という意味ですか?」

 

 考えているそぶりは見せなかったが、小町は黙り込んだ。

 怒濤のように押し寄せる火炎を避け、適度に反撃しながら、隆士もその可能性を考えていた。死んでなお、『境界の力』は発動するのかどうかを。

 小町はどうだかは知らないが、隆士が知っている『境界の力』の操者は自分自身、小町、そして榊の三人だ。

 隆士の能力は大鬼の腕や脚のトレースによるリーチの延長、パンチやキックそれぞれの威力上昇。生身では受け切れない火炎さえ防いでしまった鬼の腕から、防御能力もある程度備わる。彼自身にもそれは現れているようで、人を殴れば、数メートルと吹き飛ばすほどの筋力向上が見られた。このことから単純に考えて、接近戦闘能力の爆発的上昇だろう。

 小町の能力は、見た感じ鎖を取り出し操ることのようだ。鎖一本一本を編み込んで防壁にしたり、鞭のように操って相手を薙ぐこともできるだろうし、なによりも隆士を殺したときに見せた胸を貫くほどの突きも驚異だ。『力』が向上すれば錨鎖級の巨大な鎖まで取り出し、自在に操ってしまう。隆士の能力と比べれば、より万能になっている印象がある。

 そして、榊の能力。火炎を操るもので、火炎放射機のように放ったり、火炎をばら撒き視界を奪う場合などに役立つ。能力を使用して防御をするそぶりを見せなかったことから、攻撃一辺倒の能力であることが予想できる。隆士や小町の能力に対して汎用性には欠けているが、その代わり制圧能力は高いだろうことが予想できた。放たれれば防ぐか避けるか。隆士たちにはカウンターへ持ち込むことのできない一方的な攻撃方法だと言える。

 

「……だからなんだってんだ」

 

 もし、なにか問題を解決するための鍵があるなら、『境界の力』にあるはずだった。

 隆士は小町に説明された『力』の内容を思い出そうと記憶をあさっていた。なにか、この問題を解けそうなことを言っていた気がして、ついさっきもそれを思い出していた気がして。どうしてもそれが思い出せなくて――――

『あの世の力を、一時的にこの世に呼び寄せる力のことを『境界の力』と呼んでいるようです』

 これだ、と隆士は顔をあげた。だが、だから、どうだという? あと何か一つが出てこない。

 一体自分は何を思ったのだったか、と頭を抱えて――――、

『聞こえるはずのない声も、あの世と繋がっているという『境界の力』を行使している今なら届きそうな気がして』

 

「……これか」

 

 隆士は一つ、仮説を立てた。

『境界の力』は、あの世の力を一時的にこの世に呼び寄せる力のことだという。それは、一時的にあの世へと繋がることを意味しているのではないだろうか。

 そして、小町の鎖しかり、榊の火炎しかり、自分の手元からしか能力を取り出していなかった。両者の能力は直接相手の目の前に呼び出せば、即決着が着くようなものにも関わらず、だ。

 この二つを合わせて考えれば、あとはパズルを解くようなものだ。順番に当てはめていけばいい。

 

「宝院、聞け!」

「今度は何ですかっ?」

「お前、走れるか!?」

「我慢すれば十分走れます! それがどうかしたんですか!」

「上等な返事だ。いいか、俺がなんとかこの炎の壁をなくすから、お前は鎖で榊を貫け!」

「――え?」

「ここまで来て迷ってんじゃねえぞ! お前が助ける(ころす)んだよな、オッサンを! いいぜ、譲ってやる。だからお前は、ちゃんと決着つけて来いっつってんだ、馬鹿野郎!」

 

 隆士の仮説はつまり、『能力者は、あの世とこの世の境界に開いた孔』という存在であること。小町からは聞いていなかったが、ここまで来ると『境界の力』の名付け親が誰なのか、隆士にもハッキリとわかった。

 榊正義だ。

 榊も隆士と同様の推論に辿り着き、『境界の力』という名を付けたのだろう。今なら、彼が能力者を『逸脱者』と呼んだことも、逸脱した視点(アウトサイド)で生きるべきだ、と説いたことにも頷ける。頷けるが、隆士は決して納得はしたくはなかった。

 

「来い、宝院! カッ飛ばしてやる!」

 

 隆士は足を止め、火炎の巨人に背を向け、小町と向き合った。片足を突き出し、彼女に向かって「乗れ!」と叫ぶ。

 小町は隆士が何を考えているのかがよく解らなかったが、血だらけの身体で立ち上がり、痛みに顔を歪めながらも、彼女は全力で走り出した。動きの止まった隆士と、まっすぐに近寄ってくる小町を巨人が見逃すはずもなく、火球の雨がそれぞれに降り注ぐ。小町はそれを鎖で弾き返しながら、隆士は蹴りを使って防ぎながら彼女の到着を待った。が、どれだけ防ごうと、火力が絶対的に違いすぎている。弾き切れない、防ぎきれない火炎は二人の衣服や肌を焼いていく。たったの数十メートルが二人にはえらく遠く感じられた。

 

「行きますよ……っ」

 

 小町は姿勢を前のめりに低く下げた。残りわずかな距離を、ぐん、と加速する。それに合わせて、隆士は足を突き出した。一秒も空けず、小町が隆士の脚へ着地する。

 

「だらあッ!」

 

 間を空けず、まるでサッカーボールを蹴り上げるかのように、隆士は軽々と人一人を上空高くへ蹴り上げた。小町の身体の小ささもあってか、彼女の姿があっという間に見えなくなるほど、高くへ。

 隆士は火炎の巨人へ振り向き、改めて黒い人影を確認する。火炎を何とかすると彼女には言ったものの、具体的にどうするのかを決めてはいない。

 行き当たりばったり、なるようになる、ならなかったら、それまでだ、と。

 隆士は、跳んだ。

 蹴り上げた小町ほど高くはないが、火炎の巨人の真上に出るほどに高く、高く跳び上がった。

 

「頭が悪いんでな、力技しか思いつかなかった!」

 

 聞こえてはいないだろうが、小町に言い訳をするように隆士は叫んだ。

 全体重をかけて、鬼の剛脚すら使って、地面を蹴り抜いた衝撃で黒い人影の周囲の邪魔な火炎を吹き飛ばす。それが、隆士の作戦。だが、地面に着くまでにはその邪魔な火炎が彼を阻んでいる。たったの一瞬。その火炎の熱に隆士が耐えられるかどうかが、成功するか否かの分かれ道。

 

「オオオオオオオオオオオオオオオオッ!!」

 

 上昇の頂点を越え、落下が始まる。

 火炎は眼前、空中で止まることもできない。もう引き返せない。

 ――引き返すつもりなど、端からない。

 

「蹴り抜けぇッ!!」

 

 一気呵成。隆士の飛び蹴りは火炎を貫き、榊の真横に落ちた。燃えたままの瓦礫や、その下にある地面さえをめくり上げながら、周囲の火炎を薙ぎ払う。烈風が火炎を引き裂く。

 黒く、ほとんど炭のようになってしまった榊が、そこにいた。

 

『コロス、ゼンブニクイ、ニクイテキ、ゼンブ、コロス』

 

 叫ぶための喉も、息を吐くための肺も、声が出る口すらも、炭と化してなお、榊は私怨に身を焦がしていた。そんな榊の声を聞き、最後に、告げた。

 

「知ってるか、オッサン」ゆっくりと榊に向き直しながら、自慢げに隆士は言う。「カンダタってヤツは、蜘蛛を踏みつぶさなかったからヒマな仏さんに助けてもらったんだぜ。だから、小町は助けてもらえねえかもしれねえ。アンタを殺しちまうからだ。けどよ、心配すんなよ。小町は俺のツレにする。俺がカンダタだなんてアンタが言うなら、それがきっと一番いい。言ったろ、()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 瞬間。隆士の目の前の亡骸は、一本の鎖によって貫かれた。脳天からまっすぐに、迷いを感じさせないほどの潔さで、鎖が榊を貫いた。

 さらさら、と亡骸は崩れ消えていく。あとに残った一本の鎖に、少しの汚れを残して。

 隆士の言葉が榊に届いたかどうかは定かではない。届いていたとしても、私怨を向ける相手に言われた言葉など、聞き入れないかもしれない。それでも、隆士は言っておきたかった。

 それは隆士自身の願いでもあったし、小町もきっと、それに頷くだろうと、彼は思う。

 隆士は、小町を許したいと願っている。

 隆士は、小町を許せるようになりたいと願っている。

 強く強く、願っている。

 

 ゆっくりと、鎖を使いながら降りてくる小町をまずは殴ろうと拳を握り、隆士は痛みにそれを思い出した。

 

「ああ、折れてたっけ」

 

 がくん、と膝が崩れた。立ってもいないのに、膝が笑っていた。

 

「なあ、宝院」

 

 まだ地面に降り立ってもいない小町に、隆士は最後に一言だけ言った。

 

「お前って、綺麗な声してるよな」

 

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。