DIGITAL MONSTER ∃I zero→Evolution 作:ゴキゲンな蝶
この世界に存在する電子生命体オブジェクトは、増殖ウイルスが散逸するデータを吸収し、成長することで発生する。
このプロセスは増殖ウイルスが過去に発生したパターンをなぞり、喰らい合いながら核としてのデータ量が成立するまで繰り返す。最後に核が取り込んだデータを放出し、ワイヤーフレーム、テクスチャを纏うことでオブジェクトととして成立するのである。
増殖ウイルスの活動は核が成立した段階から徐々に減少傾向を見せ、最終的にオブジェクトとしてのデータ量を維持出来なくなると構成が分解、データは周囲に散逸する。
同じパターンを覚えたウイルスが再結合するから同じエリアには同じカタチのオブジェクトが発生す傾向にあるし、極希にパターンに偏重や、取り込む増殖ウイルスの量によって変異が生じるとは言え、基本は既存する構成に嵌まる。
そして、もう一つ忘れてはならないのは、この増殖ウイルスが取り込むこの世界に散逸するデータは、『大樹』から夜明けと共に行われる更新(アップデート)時に散布される、データの海に充ちる外世界からのソースに『調整』を加えたデータであると言うことである。
その存在は構築するデータからして異質であった。
データの海で増殖ウイルスが『同質のデータ』を選り好みして喰らい続けて構成されたオブジェクトは、内包するデータ量には見合わない力を持ちて大樹の枝が支える世界に降臨した。
同質のデータ構成という点こそが重要なのだ。
猥雑さの無い透き通ったカタチとは、意思がノイズ無く伝達され、世界へと影響、干渉することが出来る。
実際、この世界の管理を任されたものは『意図』して同質のデータを結合して創造され、比類無い力を備えるオブジェクトとしてこの世界に存在している。
この管理個体『オリジン』は、日付更新とともに行われるアップデート時に適応するデータを『大樹』から供給されることで、煩雑なデータの取り込みを遮断し、無比なる力を維持している。
だからこそ、許されないのだ。
そんな絶対的な力を持つ存在に比肩するオブジェクトが何の制約も無く誕生してしまうなんてことは。
役割を与えられない『天然』として生まれたソレは、未熟な精神で騒乱に明け暮れていた電子生命体共を調停し、『王』と呼ばれた。
結果論になるが、このとき、全ての『オリジン』を動員して、この『王』をなんとしても滅ぼすべきだったのだろう。
だが、この時点では『王』を構成するデータは『救世者』であったのだ。救いを求める者の心を掬い上げる存在。だからこその、六対の羽根を有する最高位の天使の御姿。
ちょうど乱雑化した電子生命体達を纏めるために創造を考えていた『オリジン』と同じ役目をこの『王』は担ってくれた。だからそ、看過した。存在を許してしまった。
その結果、この世界は崩壊の危機を迎え、電子生命体オブジェクトの中に増殖ウイルスの活動が再活性し、過剰にデータを取り込もうとする『暴走』現象が目撃されるようになった。
「増殖ウイルスの性質上、この世界は過去に発生したパターンが繰り返される。だから前例を作り、増殖ウイルスにパターンを記憶させる作業、プログラムをする必要があった。増殖ウイルスが過剰に取り込んだデータを処理出来ずに、引き起こす『暴走』現象を、データ量に応じた新たなカタチへと再構成する『進化』という現象へ塗り替えるために」
『EVOLUTION CODE』の作成。
そのシミュレーション媒体として見い出されたオブジェクトが皇帝竜だった。
『オリジン』に匹敵する能力を有するほどにデータ量が大きく、データの質も纏まっている。圧縮凍結することでデータ量を意図的に制限し、彼を構成するデータが活性化したタイミングで、データを解凍、容量に相応しいカタチへと再構成させる。
皇帝竜をモデルにした『Altificial Life(生態シミュレーション)』である。
頭文字を取って、『AL(アル)』
アイはアルへと望んだ。
「進化しなさい。進化したお前があの『大樹』の『根源』へ到達したとき、この世界で『進化』は既知の現象として昇華する」
進化せよ。
そして、世界を救え。
これこそがアイが皇帝竜に接触した理由であり、『世界(アイ)』がアルに望むこと。
散々アルが悩んでいたこの世界の救済プランは、アイの口から簡単に聞き出すことができた。
―― 100110110010001101011000110000111010001111101101010010111010 ――
荒涼とした大地の向こうには、海洋エリアが拡がっていた。
蒼竜がいくら睨んでも、そちら側に『大樹』は無い。
「イカナキャダメダヨ、ノゾムバショヘ」
耳ハネだ。
「だが、お前達は……」
もう騎兵はいない。彼らを守ってやる者はいない。
団子達も不安そうだ、住処を追われ、逃げてきた先でもまた追われ、仲間も失った。彼らは失いすぎている。喪失は不安に乗っかってしまう。
「ボクガ、マモル」
耳ハネの手には卵形の結晶体があった。
騎兵が遺した霊代だった。
騎兵は消失してなお、仲間のために希望を置いていった。それをアイが回収し、耳ハネへと渡したのだった。
アルが力を持たない彼らを置いていくことが出来ないと踏んでのことだろう。
なにもかもを計算づくで嫌になる。
「安地を探すのなら、海を越えなさい」
「そこになにがある?」
「島があります。ディレクトリ内に単一ファイルとして格納しているから、他のエリアとの同期のためのデータ交換が少なく位相現象はまず発生しない。ことを為すまでは安らかに生活出来るでしょう」
この世界が崩壊するまでは。
「ドウシテ、ソレヲボクニ?」
「データの破損が最小限の場所が知りたかったのでしょう? だから教えました」
全ては些事に過ぎないのだ。
彼女に取っては助けるという意識すら無い。
耳ハネは心配そうな目をアルにくれていた。
大きなお世話だ。自分と団子達のことだけを考えてやればそれで良いのに。
アルは鼻先で耳ハネをそっと押してやった。
「……リーダー、キボウノチカラヲボクニクダサイ」
バイナリーを纏った耳ハネが天馬の姿へ変わる。
黄金の翼は輝き、力強い四肢は躍動を予感させた。
「ボク等ハ大丈夫」
団子達を背中に乗せて、高らかに天馬は嘶く。
応えるように蒼竜は吠えた。
それぞれが空っぽになるまで謳ってから、天馬は空へ、蒼竜は大地を踏んだのだ。
きっとまた。
全てを終えてからもう一度。
それぞれが同じ願いを持って、背中合わせに道程を選んだのである。
―― 100110110010001101011000110000111010001111101101010010111010 ――
「アレはいい役目をしました。乱れていたアルのデータは『進化』ではなく、『暴走』を引き起こしていたかもしれませんでした。そうなれば全てが台無しだった。お前の人格を考慮せずに性急にことを追求したわたしの失態は認めなければなりません」
ぺらぺらぺらと。
無視をして『大樹』へと脚を進めるアルの背中へとアイはしゃべり続けた。
「アルを横から持って行かれたあの時、わたしはアレらをDELETEするつもりでした。だけれどお前があんまりわたしに強い視線(パス)を向けるものですからデータ構成以外のプロパティまで調査(スキャン)したのです。その結果、お前は著しくデータを乱していました。わたしは懸念しました。このままではお前は『暴走』するかもしれない。わたしはお前を識らなければならないと考えた。だからDELETEされてしまうギリギリまで距離を置き、アルという個体の観察に努めたのです。その結果どうでしょう。以前に経過観察のために接触をした際には大きく乱れたアルが、わたしに会いに来て、いまはこうして接近してもデータを許容範囲内に安定させている。素晴らしいことです」
ウルさいウルさいウルさい。
こいつが大層な存在で、アルが現状こいつの思惑に乗っかってるとしても、コイツのことを認めたわけでは無い。
「あの四足型のオブジェクトも悪くはありませんでしたね。データ増殖のピークを越えて久しく、DELETEまでの残り少ないリミットの中で、アルの圧縮した潜在データを大いに引き出すことに成功した」
足を止める。
騎兵のことを言っているのか?
「アイツは最初から自分の死を見ていたのか」
本当になにも言わないヤツだった。飄々としていたくせに肝心をなにも言わないで、そのくせにお節介に与えてくる。
だからアルは選ぶこと出来た。
選びたいときに力を持っていたから。
ああ、ガラじゃない。
「ありがとう」
進んでやる。
救ってやるとも、いけ好かないコイツと一緒に居ることを我慢してでも、壊れかけたこの世界で生きていこうとしているアイツらを救ってやる。
それができなければ、この世界というヤツはあまりにもイタすぎる物語ではないか。
疼くのだ。
止まること無く本能のままに邁進せよ。
されど、聖者の如く高潔であれ。
いかなる悪意をも寄せ付けない白銀の鎧を身に纏う、聖騎士の御姿。
幻想は可能性(バイナリー)に溶けて消えた。
「アル、聞いていますか?」
いい加減にはっきりさせておこうか。
「お前の望む通り、ワタシは行こう。お前の望む通り、ワタシは世界を救おう。だから、それだけで充分だろう」
依然として、アイという存在は訳の分からない理不尽であり、シェイクハンドなんてもってのほかの異様に他ならない。
仲良くなんて、おしゃべりなんて有り得ない。
怪物の口に手を突っ込んだまま平気でいられるか。
認めよう。
アルという矮小な生命はアイという強大な怪物を畏れている。
この瞬間だって背中がピリピリしている。
「わたしとのコミュニケートは不服ですか?」
「必要ないだろう。ワタシもお前もお互いを利用してこの世界を救えば良い」
「異存はありません。わたしはこの世界のためにお前に接触した。目的が果たされるのならそれで結構」
「ならそういうことだ。ワタシとアイは仲間ではなく今だけの協力者で良い。ワタシとアイは利害で繋がる関係(パートナー)だ」
交流だと。バカ言っちゃあいけない。アイは到底はこの世界に依存した電子生命体の理解し得る程度には居ないのだ。
アルは常にアイを警戒し続けている。そうすることでこの怪物と一緒居ることになんとか耐えて、虚勢を張れている。
再び歩みを進めようとした時だった。
むんずと、蒼竜の尻尾の先を少女の手が握ったのだ。
「……なんだ?」
「分かりません」
「分からないって……」
世界の代理者を名乗るくせによくも言えたものだ。
「この世界の電子生命体はときに、オブジェクトを構成する外世界から漂流したソースデータの影響を受けて変則的に派生する。この乱数から生じる演算のバグによって機能停止しないために、わたしは『ゆらぎ』を持った。この『ゆらぎ』が起こす行動にわたしは明確な論拠を持ち合わせていません。強いて言うのなら『そうしたい』から」
そんな血の通った答えは予想だにしていなかった。
「ワタシの尾を掴むことがお前の望みだと?」
「NO。わたしはお前とコミュニケートを望んでいる。お前を理解するべきだと考えている。あるいは悔いている? わたしはお前を台無しにしかけた。それを別の意思によって修正された。それが、そう、歯痒い。わたしがお前を理解していればもっと上手くお前を扱えた、はずだった」
無機質な仮面にすら見える美貌で、抑揚の無い美声で、これほどに畏れているアイが逡巡している姿は、噛み合わない歯車を軋ませながら無理繰りに回転させているかのような歪さを感じた。
「ノーだ! 離せ。知ったことか! ワタシはお前の用意した道具かも知れないが、ワタシの意思はお前には支配させない」
世界は救う。但しそれはアルが守りたいの思った者のために、アル自身の意思によって行われるものだ。アイへの忖度などはクソ食らえである。
するりと抜けた尾の感触を惜しむようにアイは掌を握りしめた。
「世界を救う意思」
不満は無いのだ。
アイがアルに組み込んだ進化とは、圧縮した『皇帝竜』を構成していた膨大なデータを、順次解凍しながら対応するカタチに再構成するプロージャ。
圧縮データの引き出しのトリガーは電子生命体に刻まれた生存本能。すなわちはアルという個体の思考配列の昂ぶりに依存する。
肝心のアルのモチベーションが高くなければ『進化』は発生しない。
全てアイの望んだ展開へと進んでいる。
順調だ。修正すべき点は無い。
だから、勝手に歩いて行ってしまうアルに聞こえないようにアイが言ってしまったのは『ゆらぎ』の振れ幅に他ならない。
「意思には矛先を要する。矛先を定めるには識らなければならない」
しかし、この世界が既に歩みを進めてしまっているシナリオを彼が識る必要は無い。それは世界の意思だけが知っていれば良いことなのだ。
彼はアイが聞けば何でも答えると思っているようだが、それは違う。
そもそも秘匿すべきことについては、その質問に至る情報すら与えていないだけだ。
世界(アイ)がアルに期待することはたったの一つ。
「強くなりなさい、進化しなさい」
世界を見下ろす大樹を目指す旅路は、それに見合う痛みを蒼竜へと与えるだろう。
アイの望みは、その痛みでアルが研磨されること。
磨き抜かれた意思は、彼を相応しい頂へ運ぶだろう。
その時を迎えたアルは、どんな風に『世界を救う』と言うのだろうか。
意味の無い、全くの生産を持たらさない、思考演算。
これは『ゆらぎ』の気まぐれなのだ。
―― 100110110010001101011000110000111010001111101101010010111010 ――
アイの考えていることが分からない。
あれだけ拒絶を露わにしたというのに、アイはことある毎にアルに触れようとしてきた。飯をわざわざ手ずから食べさせようとしてきたり、敵を倒したら頭を撫でようとしてきたり、夜には添い寝をしようとさえしてきた。
いい加減にしろと怒鳴ってみれば、『お前が良質なリレーションシップを築いたオブジェクト達も積極的にお前に接触をしてコミュ二ケートしていました』などと言って来た。
話にならない。
あの子達にも生存のために庇護を求めていたという打算はあっただろうが、それは本能に基づく純粋な行動だ。アイとは性質からして異なる。
彼女のやり方は、なんというか、強引だ。
顎を掴んで口に食べ物を押し込んだり、肩を掴んで抑え付けた上で頭を撫でるやり方が『交流(コミュニケート)』であるわけがない。
一晩中、瞳が背中の向こうでじっと光っていては、気を休めて眠れるわけがあるだろうか。
きっとアイは自分の力の影響力について理解はしていても無気力なのだ。
最初からそうだった。
アイの瞳が見ている先は常に結論だ。過程(メソッド)には関心がない。そんな極論にはアイの行動そのものまでもが含まれているのである。
アイはただクエリを実行し続けているだけのバケモノだ。
いまアルにやっていることだって、『救世』のための行動の一部として実行している。そのことを忘れてはならない。
アイ自身は、結局のところアルが出力する結果に着目していても、アルという個人に対してはなんの関心も抱いていない。
そのことを忘れてはならない。
コイツは信用が出来るヤツではない。アルはただコイツを利用してやれば良い。相手もそのつもりなのだから彼女との『パートナー』はそういう関係で良い。
そう割り切って旅を続けた。
切り立つ稜線を飛翔し、雪山の寒さに白息をくゆらせ、襲い来る敵性電子生命体を破壊し続けた。
時折、影狼に似た理屈が通じない理不尽が立ちはだかると、アイが即座に削除(デリート)した。
耳ハネ達が言っていた裂け目(クラック)というのも目にした。
闇の中に光がちらつくその穴は、こめかみをチクチクと刺すような本能的な嫌悪感を呼んだ。
『あの中はデータが乱雑に吹き荒れている。巻き込まれれば構成データを粉々に食いちぎられることでしょう。もし逃れたとしても行き着くのはかつてこの世界から切り離した別の次元(レイヤー)です』
くれぐれも近づかないようにと、アイは念を押してそう言ってきた。
道程は果てしなく続いた。
『大樹』はいつ見てもすぐ近くにあるかのように巨大で、歩いてきた時間を否定されているかのようだった。
アイのちょっかいは徐々にエスカレートしたが、牙を剥いて呻ってからは減った。
ただ、碧眼は常にアルの方を向いていて、やっぱりアルの気が休まる時間は無かった。
そんなどこか、漫然としていた状況が変わったのは、白雷が閃いた夜だった。
直後に大地が激震し、アルは身体を伏せてやり過ごそうとしたが、アイは傍らで身を起こし、『大樹』の方を睨め付けた。
「青龍が堕ちた。ああ、成ってない。これは、ええ、しかし……」
悩んだ末にアイはアルに命じたのだ。
「アル、今すぐに『進化』しなさい。それが出来なければ、わたしはお前の消滅(デリート)を天秤にかけなければならなくなる」
焦燥が窺えた。
それだけに、アルの消滅のほのめかしには、リアリティがあった。
これまでアイはアルに無茶な戦いを強いて来なかった。
格上や陰狼みたいなインチキはアイが買って出て対処してきた。アルは生存のための担保を得た上で旅路を歩んできたのだ。
別にアイに甘えていたわけでは無い、ただ、事実としてどこかでアルの中にはあったはずだ。
自分は死なない。
この過酷な弱肉強食の世界を見てきた上で、そんな自分だけを特別視する選民思想に似た傲慢があった。
それが揺らぐ。
他でもないアイの口から聞いたことで、アルは大きく動揺していた。
死ぬ、死。
『進化』という現象は可能性の昇華であり、生存本能の過熱(オーバードライブ)である。恐怖などという負荷を根拠には決して成立し得ない。
すっかり怖退けたアルを見留め、アイは珍しく、碧眼を顰めて言った。
「出来ませんか。なら最悪は『中』で戦わせるしか無い。はあ、成ってない。……良いでしょう。アル、いまからお前が相対するのはわたしがこの世界の維持のために構築した意味ある存在『オリジン』です。闘えとは言いません。生き抜きなさい。できれば進化しなさい」
直後に世界が白に染まる。一切の音が潰れる。
『そら、来ました』
アイの唇がそう動いた。
黒雲を咆哮で破き、そこに究極存在は顕在化(リアライズ)した。
知性ある電子生命体が密やかに口伝する伝説にはこうある。
世界の中心に聳える巨木には黄金の神竜が棲み着き、四方はその配下の四獣が守護する。
北方から踏み入らば大地の化身がたちどころに踏み潰すだろう。
西方から踏み入らば疾風の化身が名残すら残さず切り刻むだろう。
南方から踏み入らば焦熱の化身が極熱の息吹にて灰燼へと還すだろう。
そして――
巨大であった。
オブジェクトとしても、データ量としても規格外の圧倒であった。
半霊体の体躯には迸るデータ圧を留めるかのように全身に鎖が巻き付いていた。
『平伏せよ』
雷鳴に脅え、頭を抱え、我が前に身をさらしたことを後悔したまま去ね。
さながらは神の如く、あるいは実際に一柱の神威にて超越存在は降臨した。
口伝の中に彼の龍はこう語られる。
世界の中心の巨木に近づく事、禁忌とすべし。
東方から踏み入らば、雷光の化身の神撃にて光の中に消滅するであろう。
東方守護
通った畏れ名は『神雷青龍』
『世界(アイ)』が維持のために『創造(デザイン)』し、役割を与えた格別にして究極の力を誇る『オリジン』の一体であった。
自らで生み出した自負があったからこそ、アイは読み違えた。
理性を持った状態の青龍でアルを追い詰め、進化を誘発することが、アイが青龍に期待していたシナリオだった。
ルロォ
ああ、なんと知性の無い呻き。
これでは、とてもアルを導く役目は期待できない。
「成ってない」
攻勢のデータの戦慄きを読み、アイはアルの目を塞いだ。
『―――』
アルは消失を疑似体験した。
データ圧から痛みを錯覚し、一切の感覚を塗りつぶす轟音に蹂躙され、アイに守られたはずの視界すら青に呑まれた。
理解したのは、青龍が背負う雲間に光る白雷は、ただ、その圧倒的な体躯から漏れる癇癪でしか無かったということだ。
超越存在から『殺す』と、意思を持って放たれた雷撃の凄まじさは、周囲の地形データのテクスチャを蒸発させ、ワイヤフレームを瓦解せしめた。
世界が歪な礫音を湛える。
「オリジンが、ここまで枝を痛めつけるなど!」
許されるわけが無い。
「役割を果たさないのなら、その力は存在するべきでは無い」
『王』の時と同じ轍を踏むわけには行かない。アレが黄金神竜に接触し、『反転』する前に駆逐できていたのならこの世界はこんなにも乱れることは無かった。
自らが生み出した究極存在(オリジン)であるからこそ、
「わたしの制御を離れたのなら――」
――消えてしまえ(DELETE)!!
観る、観ル、ミル、碧眼は世界の記憶を閲覧する。
全てが空白だった原初の憧憬より、初めて生まれた1dotに満たない黒点、この世界に生まれたちいさなちいさな生命の誕生。
巡り巡り。
崩壊と隣り合わせの境界を歩み続けた。
歴史を持たない薄弱な生命(いのち)が等しくそうであるように、崩壊を招くあらゆる害悪との闘いの記憶。
やり過ごして、辿り着く、大地と空という座標の固定。
拡がる拡がる。
爆発的な電子生命体の普及。
善意も悪意も、そして、無垢も。
見留めたのは悪魔だった。
世界にダメージを与えるほどのデータ密度を持っていたがために、未熟だった世界に馴染めず、発生と同時に停止(スリープ)した、牛頭の悪魔。
『王』と同じくデータ量が制限された別レイヤーへとアイが追いやった最悪の権化の一体。
自嘲する。
もともと絶対的な力を有するオリジンを生み出すことを考えたのは、彼の悪魔のような脅威に対抗する為だった。
よりにもよって、オリジンを倒すためにその悪魔の力を頼ることになるなんて、皮肉が過ぎる。
キャプチャ
捕捉。
アンプリファイド
拡張領域を展開、データを増幅。
殺意を向けて、アイは唱えるのだ。
「スピリット・レプリケーション」
悪魔を我が身に疑似構成。
六対の翼膜。
頭から伸びる禍つ角。
四肢に巻き付いた黒鎖には禍々しい炎が揺れていた。
「アイ!」
足下の矮小な蒼竜を一瞥する。
こんな風に並んで立って見下ろしたのは、進化前のびくびくしながら足下をちょこまかしていた頃以来だ。
彼は弱い。
いまだってアイが保護してやらなければ大悪魔のデータ圧で意識を失い、誤って攻勢指向を傾けようものならば消失してしまうだろう。
守ってやらなければならないのですね。
その思考には過程が伴っていなかった。
ロジックなんてないのに、アイは突として沸いたその結論を精査することなく呑み込んでいた。
アルを守るために、危険を排除する。
青龍を消すことは既定していたはずなのに、アイは新しく行動のロジックを再定義していた。
ルロォォオ!
理性を失っても、危険を察知することは出来るらしい。
青龍の攻勢指向が牛頭の大悪魔に集中する。
アイは最低限の理性を残し、思考ルーチンまでをも悪魔に書き換えていく。
オアァァアアアアアアア!!
ああ、成ってない、わたしも成ってない。
悪魔は飛び立ち、雲間に鎮座する雷撃の青龍へ襲いかかったのである。
ぎち、ぎちぎちり
張り詰めた筋肉を力が伝達し、手甲から仄暗く不気味な彩色の炎爪が形成される。
ただの武器では無い、アイが記憶している限り、もっとも残酷に対象を破壊する武装。
この炎の爪を構成しているデータは外世界から流れ込むデータの中でも痛みや怨嗟のようなマイナス感情に著しく偏重している。
つまり、この武装で貫かれた電子生命体は、夥しいマイナス感情を強制的にリーディングすることになる。
まさしくは、地獄の贈り物。
そんな最低最悪の爪を自らが作り出した生命に向けている。
関係、ありません。
悪魔は爪を振るう。
青竜の雷撃が閃く。
半霊体の青龍に物理攻撃は効果的では無い、照射やエネルギー干渉系にも耐性を持っている。そういう風にデザインした。
アイだから分かっていた。
青龍にとって、データを注ぎ込んで破壊するこの悪魔の爪は、天敵とも言える性能をしていると。
悪魔が爪を振るう。
ルロォオオッ!
苦悶、絶叫。
地獄の苦しみに青龍が悶える。
アアゥ、アァアアッ!
合わせるように、アイが怒号を上げる。
その咆哮の余波で雲が千々に散逸して光が差した。
蒼穹はどこまでも深く、膨大なデータをこの世界に齎している。
データは平等に恵みを与えるのみである。
超越者は意地を見せる。
ぴしりと青龍の身体を巻く鎖がひび割れたかと思うと、紫色に染まっていく。
帯電するエネルギー量が臨界を越えて増加している。
理性を失ったがために攻勢だけに頓着した、自壊を厭わない青龍の纏う雷電の焦熱が、相対する牛頭の悪魔の身体を焼く。
迂闊に近づこうものなら丸焦げになる。
まともだったらそんな愚かなことをするはずが無い。
悪魔がまともであるはずも無い。
アア、アアァアアアア!!
思考ルーチンならとっくに書き換えた。
この悪魔が生まれた時から備えていた破壊衝動に委ねれば、迷いなど、躊躇いなどは生じる道理も無い。
破壊スル。
攻撃スル。
破壊スル。
削除スル。
闘いなどではなかった。
ただ、野獣同士がぶつかり合っていただけだった。
炎爪で貫けば、雷を纏う尾で叩き、鎖から噴出する炎で焼けば、紫電が閃く。
削り合い、リソースを奪い合う消耗戦。
両者が衝突する度に砕けたデータの鱗粉が舞う。
頭上の超常者達を見上げていた蒼竜の頬には、涙が伝っていた。
どうしてそんなやり方を選んだんだよ。
青龍の力が如何に規格外のものでも、アイならばもっと上手に制圧出来たはずだ。なによりも、理性を失っている相手に対して、どうして同じく理性を失って戦う必要があるのだろう。
「アイは、戦いたくなかったのか?」
彼女の全ては『世界を救う』ことに帰結する。そこに別の思考の介入する余地はないし、忖度も有り得ない。それがアルが認識したアイというバケモノの本質である。
だから、有り得ないことのはずだ。目的を達成する上での弊害となった青龍を消去することに躊躇してしまったから、あえて理性を封じたなんて。
きっと当の本人ですら自覚していなかったであろう、出会ったばかりの頃なら想像だにしなかった、アイの垣間見せた不完全さ。
「アイは、変わろうとしている」
アルはアイを拒絶し続けていた。そんなアルとのコミュニケートをアイは望み続けていた。その行為自体がすでに、彼女の変化ではなかったのか。
なら、その『想い』は、きっとないがしろにするべきでは無い。
力が欲しい。
傷つくアイの元へ行けるだけの力が欲しい。
ぞぞぞと、頭から尻尾の先まで、アルの構成データが戦慄いた。
――せよ。
頭の中にリフレインする。
――進化せよ。
一度は拒んだこの衝動も、いまなら、
――進化しなさい、アル。
受け入れられる。
ぴしり
身体の内側に亀裂が入る音がした。
「がぁぁあああああああああっ!!」
こじ開けるように雄叫ぶ蒼竜の内より、データが噴出する。
データの量が多い、制御仕切れない。
止まれ!
ここで流されてしまえば、きっとアルは、頭上でアイを傷つけているアレと同様の存在となる。
だから、抗って受け入れる、耳ハネや騎兵から受け取った、この想いを抱えたまま力を手にする。
やれるはずだ。
やりきれるはずだ!
100110110010001101011000110000111010001111101101010010111010
熱。躍動する脈動に乗ったデータの血潮が、構成データを拡張させていく。
698679768584737978
光に包まれた蒼竜のテクスチャが剥がれ、ワイヤーフレームが連結し、新たなモデルを構築していく。
Evolution
ばりりりッ
光の眉を突き破り、飛翔する。
黒鎧を纏う、竜人の戦士。
朱色のヘルムの下の瞳には、知性の輝きが見えた。
両腕の突起(スパイク)を突き出し、青龍と悪魔の間に割って入った戦竜人は彼らの頭上に陣取った。
「アル、進化を……」
戦竜人の姿を映した、悪魔の目に理性が戻る。
「後は、ワタシがやる」
宣言した戦竜人は腰の生体砲を連結し、身の丈を優に上回る長大の砲身を青龍へと向けたのである。
砲身にエネルギーを充填。
トリガー
ごぉおう
銃口が真っ赤に染まり、一閃、ひた疾る。
銃撃の軌跡が一瞬、真空状態となり、次には空気を巻き込んで突風が吹き荒れた。
的にされた青龍は、身体の中央を貫かれ胴を分断されていた。
戦竜人と青龍で比較したとき、内包する構成データ量は青龍のほうに軍配が上がる。だが、戦竜人の銃撃はデータを高圧縮し、青龍の耐性を突破し貫くほどの超密度の攻撃を可能にしていた。
そうですか。
悪魔の姿が解け、金髪の少女の姿が顕れる。
「任せますよ、アル」
胸の前で悼むように組んだ指は意図したものだったのか。
アルは頷くと生体砲を左右の腰部に装着し直し、青龍との闘いに臨んだ。
ルロォウ
分断した胴を繋げ再生したものの、エネルギーを充填して紫色に染まっていた青龍の身体はいまは白色に近い。悪魔の炎爪と、戦竜人による砲撃により、青龍の構成データを大きく削いだためだ。
なおも、予断を許せるほど容易い相手では無い。
ばちりと雷が弾け、青龍が昇る。
戦竜人は腰の生体砲から銃撃をばら撒いた。
無秩序、無作為、無法の弾幕。
青龍は避けない、着弾し、火薬と煙を被りながら、額の角を戦竜人へ向けてがむしゃらの吶喊を敢行した。
間隙、僅か。危うくも一秒後には早贄が出来ようとかとタイミングで、戦竜人はアクロバットロールを決める。
トリガー。
青龍をなぞる軌道で、ピッタリ張り付き、頭から尾までを両門の生体砲が襲撃した。
ルロォォォオ
尾を振って弾こうとしても、その尾の動きに合わせて飛行するものだから、振りほどけない。
高速軌道飛行と卓越した制動性もまた、アルが進化によって獲得した大きな特徴の一つであった。
ダンッダンッダダダダダンッダンッダンッダンッ
炸裂する生体砲。
赫奕する砲身。
決意を燃やした瞳で引き金を絞る。
やるのはアイじゃ無くて良い、ワタシで良い。
祈る少女を見留め、戦竜人は吠える。
オオオオォォオオオオ!!
青龍の鎖から放たれる電撃を射出したニードルで誤魔化す。
横薙ぎにして青龍の兜を打ち、戦竜人は逸る。
早く、一刻も早く、こんな戦闘は終わらせる。
誰も望んでいないのだ。
雷に肌を焼かれながらアルは決着を目指す。
呼応するように青龍を巻く鎖が軋轢の悲鳴を上げた。
ルロォオオオオオ!!
高まる電圧、データ量。
青龍の身体が滲む、染まる、青を広げる。。
ちかり
瞬きで、青龍の姿は搔き消えた。
遙か頭上、蒼穹の彼方、青龍は天空より、降り注ぐ。
ちかり、と。
青龍自ら落雷と化した、必殺の雷撃。
ただし、地上を穿つことは無かった。
戦竜人は読んでいたからだ。
連結、エネルギー伝達、コンプリート。
トリガー……バーストッ!!
ドウッ
一直線になった青龍の頭から尾の先端までを戦竜人の高密度圧縮生体砲の撃が貫通する。
光線は遙かに見えなくなった。
伴うように、維持を損なった青龍は一瞬じじりとデータ負荷の硬直を見せた後、あっさりと消えた。
霧散して、なにも残らなかった。
青龍はこうして、役目を解かれ、データへと還ったのだ。
「よくやりましたね、アル」
アイは純白の翼を動かして、青龍の消失した空を見上げるアルに近づくと、不器用に頭を撫でた。
ぶきっちょめ、力が強い。
首が揺れて不快感が募る。
黙ってアルは撫でられていた。
「アレは融通が利かなかった、きっかり自分の領分を引きたがるから北と南とよく言い合ってた。アレはそういう性質をしていました」
不器用なコミュニケート。
「アレは役目を忘れたのです。削除するべき対象でした。だから――」
言葉を詰まらせ、アイは続けた。
「よくやりましたね」、と。
抑揚の無い彼女へ、アルは短く「ああ」と返した。
それから、
「世界を救おう、アイ」
少女はぴたりと、手の動きを止めて、
「……ええ、ええもちろん。わたしには、そうする権利が、義務がある」
碧眼は燃えていた。
なにをしても、なにを置いても、
「世界を救います。この世界を一〇〇〇年先まで導きます」
そのためならば、なにを捨ててでも。
「行きますよ、アル」
大樹はもうすぐそこだ。
最後の工程(セクション)はそこで完遂される。
お前はわたしを恨むでしょう。
お前はわたしを憎むでしょう。
それでもわたしは、実行します。
立ち止まる訳にはいかなかった。
ここまで来た、やり遂げる他の選択肢は無かった。
世界を維持するための最高率AIは芽生えた不可解なルーチンに蓋をして、設定したクエリの実行のために、ルートを進捗したのである。