誰がやってきたのか……当ててみてください
パラ……パラ……と、紙を捲る音が響く
「………」
「………」
スーツを着た2人。椅子に座る者と緊張した面立ちで立っている者。
「ど、どうでしょうか」
「……」
眼鏡を何度か戻しながら、椅子に座った男は手にした書類の束の確認を進める
「いいでしょう、今日のお仕事はこれでおしまいです。お疲れ様でした」
「やったーッ!ようやく終わりました!」
何度かやり直しを命じられていたのだろうか。
一気に緊張がほぐれたようで、ッはー!と息を吐き出す
「私が鍵を閉めます。貴女も帰り支度を済ませて帰宅してください」
「先輩もお疲れ様でした!」
あるところに、1人の男がいた
「一緒に帰りましょーよ!駅まで一緒ですよね?と言うか飲みに行きません?」
「……では、お言葉に甘えて。ですが飲みには行きません。私は下戸です。迷惑をかけるわけには行きません」
「……この時間に1人は寂しいですもんね!それはそうと飲みに行きませんか!?」
話を聞かないなぁ……と苦笑しながら、デスクの上の書類を片付ける。
後輩も自身のデスクを片付け始めた
親類も、親しき友もおらず。これと言って飛び抜けた部分のない、やや不幸な"普通"の男だった
「……あれ?先輩、カバンに何か入っていますよ?書類ではなさそうですが」
帰る準備を終えた後輩が、男のカバンの中から何かを取り出す。
半透明のプラスチックケースに入れられた、やや古めの本だった。
「……あぁ、私のお守りのようなものです。お気になさらず」
ほぼ全てを失い、縋れるものもない中でたった二つだけ、失わなかったモノがあった
返してください、とやや強引にケースを取り上げ、仕事書類のケースと共にカバンにしまう
「もー、ノリの悪い先輩ですねぇ。そんなんだから婚期を逃すんですよ?」
「だまらっしゃい。それを言ったらあなたも婚期が近いでしょう」
「あー!女性にそれを言うのはマナー違反ですよ!」
黙っていれば美人なのになぁ、と心の中で呟きながら苦笑いする
読み返せば何度でも、その時ばかりは絶望を忘れられた、物語があった
「あ、笑った!先輩今笑いましたね!?」
「……なんのことでしょうか」
「滅多に笑わない先輩が笑った!何で笑ったんですか!?私の婚期!?婚期の話ですか!?あ、待ってくださいよ!」
はいはいそうですねと、軽くあしらいながら彼女の先を歩く
幼い頃、近所の悪友に譲ってもらった分厚い本が、いつでも心を癒してくれた
「……そういえば、先輩はゲームとかやってるんですか?」
歩いている時、ふとそんな話題になった
「……どうしたんですか?藪から棒に」
「……いえ、以前ふと先輩のスマホを覗いた時に、メールアプリの間にゲームのアイコンが見えまして」
ふと考える。最後にあのゲームをやったのはいつだっただろうか。
いつしか仕事に忙殺され、起動することすらままならなくなったアプリ
「……最近はやっていませんね。今度の休みにでもやろうと思います」
「おぉ!先輩がゲームを!なんてゲームですか?」
「教えません」「えー!?なんでですか!?」
くすくすと笑いながら歩みを進める。そういえば、後輩の顔をどこかで見たことあるような……
「……?どうしたんです?急に黙ったと思ったら私の顔をまじまじと見て」
そう言われてハッとする。どうやらしばらく顔を覗き込んでいたようだ
「いえ、きっと勘違いですね。急ぎますよ、そろそろ電車の時間です」
「あ、ちょっと!?はぐらかさないでくださーい!」
そんなやりとりをしながら歩みを早める。今日は久々に本を開いてみよう、たまには童話を読み返すのも、悪くないだろう。
そんなことを、考えながら。
ーーーーーー
男は先に電車を降り、後輩は電車に揺られていた。
「『アンデルセン童話全集』、ですか」
目を閉じて背もたれに深く座り、電車の揺れに身を任せる
「羨ましいですね。"彼"との思い出は、幼少期からあったわけですね。他の人たちも来てるかも、ってわけですか」
でも、と彼女は微笑を浮かべる
「負けませんよ。マスターくんの隣は、私がいただきます」
そう言うと彼女は金髪の髪をポニーテールにまとめておもむろに立ち上がり、列車同士の連結部で静かに霊体化して消えていった。