アクアと偶然出った翌日。ゴールデンウィーク最終日となる今日、アタシはクラブのトレーニングに出ていた。
「……ふっ!」
トレーニングメニューが大まかに決まり、それを順々にこなしていく。時間帯によって単独で行うメニュー(例えばグラウンド奥にある坂路など)と複数で行うメニュー(例えば3人で併せなど)が分かれており、アタシは今単独でのメニューを消化していた。
スポーツ用の腕時計を確認しながら、指示されたペースでグラウンドを周回していく。新品のトレーニングシューズはまだ馴染んでいなくて違和感は残っているけれど、以前の運動靴に比べたら走りやすさやスピードが段違いだった。
──同じように走ってるのに、体感速度が2割増したように感じる。
計測しているタイムが実際に短縮していることからも、その感覚が間違いではないと証明していた。
深尾にトレーニングシューズを今日から使うと伝えると、新品のシューズでは靴擦れで痛みが出ることもあるので注意するよう言われていた。
「はっ、はあっ……ふう……」
ペース走を終えたアタシは荷物置きの横にあるベンチでドリンクを飲み休憩を取った。ついでに個人用のリングファイルを開いて、この後のメニューを確認した。
「この後は……模擬レースね。その次が縦列走……」
クラブのウマ娘には個々人にこのリングファイルが渡される。ファイルにはコーチたちが作った練習メニューが挟まれている。日ごとのメニュー遂行チェックリストの他に記録用紙や自由記載の用紙もあり、自分で覚えている範囲でタイムや感じたことを、またメニューに対する疑問や要望があれば記入するのだ。
アタシはペース走のタイムを順々に記入していった。
「よっ! お疲れ」
「パーマーもお疲れ」
アタシに遅れて休憩に入ってきたパーマーに声をかけられた。
「トレーニングシューズ、どう?」
「今のところ痛くないし快調よ。全然走った感覚、違うのね」
「確かに普通のシューズとは全然違うよね。蹄鉄ついてるから重いんだけど、でもなんか軽くて速いって感じじゃない?」
パーマーの語る感覚に同意し頷いた。
「パーマーは次なに?」
「今日は模擬レースになってる」
「アタシもそうよ。レース一緒かも」
「……そっか」
一瞬パーマーの表情が曇った。
「? ……あ」
パーマーの肩越しに、グラウンドではスクールのウマ娘たちの模擬レースが行われていた。その中にアクアとマリン、それにグラウンド横にアクアの母親もいた。
「どうしたの? ……アクアたちも模擬レースやってるね」
5人で左回りで走っていた。マリンが先頭で、間に1人挟んで5バ身ぐらい後ろにアクアが追走していた。
ここでは内容が聞こえないが、アクアの母親が両手を口に添えて何か声をかけているようだった。
4コーナーに差し掛かりアクアが加速。彼女は前にいたウマ娘を楽々に交わして、マリンとの差を3バ身に縮めて最後の直線に入った。
そして直線半ばでマリンを捉え、その勢いのまま逆に3バ身つけて1着でゴールした。
息を整えながら戻ってくるアクアを母親が迎え、その頭を撫でていた。
マリンは少し離れたところでそんな2人をじっと眺めていた。
──相変わらずアクアがマリンに勝っている。
「…………」
「スカーレット? …………ああ、まだアクアのお母さんのこと──」
「ああ、えっと、違うの。ただレース見てただけ」
そうパーマーに返したが、アタシの意識はあの日の夜へと移っていた。
キャンプ初日の夜、マリンと深尾の会話を盗み聞きしてしまった時のことを。
◇
管理小屋の裏で、アタシは息を潜めて会話に耳をそばだてていた。
「……なぜ、手を抜いて走っているのですか?」
姿の見えない深尾の口調は極めて柔らかかった。問い詰めるなんて色は感じられず、優しく語りかけるようだった。
沈黙のあと、マリンの声が聞こえてきた。
「…………わたし、本気で走ってます」
「……どうして嘘を?」
「本当です。なんでコーチは嘘だって──」
「他のウマ娘にはバレてないみたいですが……私はコーチなので、気づいちゃったんです」
深尾の口調は柔らかいままだった。
「アクアさんがトレーニングを休んでいるとき、あなたが一瞬だけ見せる脚の回転とストライドが普段と全く違うんです。しかも、まだまだもっと余力がありそうに見えます。……ここ数年、本気で走ったことないでしょう?」
「…………」
「ねえ、マリンさん。よかったらでいいので、教えてくれませんか? 昔……それこそ何年も前から手を抜いて走っている理由を」
「…………」
マリンの声は聞こえない。黙っているようだ。
また風が吹いて、山々の木々をざわめかせる。真っ黒に見える枝葉が暗い空をバックに揺れていた。
「……言わなきゃだめですか……」
──マリンの答えはつまり、深尾の言葉を認めたことになる。
「よかったらで、いいですよ。言いたくなかったら、それで構いません」
「……言いたくないです。あの、コーチ」
「はい?」
「手を抜いて走ることは、悪いことなんですか?」
マリンの言葉に、なぜかアタシの胸が詰まった。
「手を抜くのが悪いとは言ってませんよ」
「でもコーチ、そんな感じします……」
「怖がらせたのならごめんなさい。本当に悪いとは思ってませんよ。本当に気になっただけなんです」
「……」
「この話はここまでにしておきましょうか。……眠れそうですか?」
「……はい。ちょっと眠くなってきました」
「そうですか。……暗いので、コテージまで一緒に行きましょう」
「!?」
2人が立ち上がる気配がして、急いでアタシは足音を殺してコテージへと戻った。おそらく気づかれずに。ちょうど風が強くなって葉擦れの音が大きくなったので助かった。
布団で嘘の寝息を立てていると、遅れてマリンが部屋にやってきて、自身の布団へ入った。しばらくして、規則的な息づかいが彼女から聞こえてきた。
──それが、あの夜の一部始終だった。
◇
「ねえ、スカーレットっ!?」
「は、えっ!? どうしたの?」
「どうしたのって……いきなりボーっとしたからじゃん。大丈夫? 体どっか悪いの?」
気づけば心配そうなパーマーがアタシの顔を覗き込んでいた。どうやらあの夜のことを思い出して耽っていたようだ。
「いえ、大丈夫。少し考えごと」
「……そう? 無理しちゃ駄目だかんね」
ちょうど遠くから声が聞こえた。アンナがクラブで模擬レースをするウマ娘たちを呼んでいるようだ。その中にアタシとパーマーの名前もあった。
「行きましょ」
パーマーに声をかけて2人でアンナの元へ行った。
模擬レースでは予想通りアタシとパーマーは同じ組で、計6人での出走となった。アタシたち以外は大学生のウマ娘2人と、アラサーぐらいの大人のウマ娘2人だった。
右回りのマイルで行われた模擬レースは、スタートを決めたアタシが逃げて難なく勝利した。新しいシューズだから足部の痛みには注意していたが問題はなく、自分のペースを刻んでリズムよく走った結果かなりの差をつけて勝利できた。ゴール後、2着のパーマーとは約8バ身差ついていたと監督していたアンナから伝えられた。
「……ふう」
──やっぱり逃げるのは性に合っている。ああ、気持ちいい……!
「はっ、はあっ……スカーレット、ヤバすぎ……」
パーマーは息も絶え絶えで膝に手をついていた。
「ふうっ……分かってたけど、本当に凄いね」
「そんなことないわ。今のはうまく走れただけよ」
「…………そう」
「次の模擬レース始まるみたい。捌けましょ」
「あ、そうだね」
疲労からかパーマーの表情が一瞬また曇ったがすぐに戻った。
◇
トレーニングを終えて更衣室で着替えていると、先程の模擬レースで一緒に走った大学生のウマ娘の内の1人に話しかけられた。彼女は確か3着に入っていた。
「スカーレットちゃん、エグいぐらい速いね。全然追いつけなかった」
「ありがとうございます。でも、たまたまですよ」
「いやいや謙遜はいいって。……それでさ、ちょっと訊きたいんだけど」
「はい……?」
「スカーレットちゃん、もしかしてダイワメジャーの妹?」
彼女の言葉に周りのウマ娘たちが反応してこちらを見た。
「えっと……はい」
「やっぱり!」
アタシたちを中心に、驚きの声やざわめきが円状に広がっていった。「ダイワメジャーの妹さんなんだって」「すごー」とか、そんな声が聞こえてきた。
姉は地元出身のGⅠウマ娘なだけあって、ここらではかなりの有名人なのだ。
あまり言いふらす気はないが、嘘を吐くわけにもいかなかった。こういう反応にも実は慣れていた。
「スカーレットちゃんお母さん連れてきたことあったでしょ? あれスカーレットブーケさんに見えて、そうじゃないかな~って」
母自体も有名なウマ娘で、姉が中央で活躍していたここ数年は取材なんかがよく来ていてテレビにも出ていることがあった。地元なら尚更取り上げられる数も多かっただろう。
「やっぱ“血”なのかな~。ウマ娘は血統が大事だって言うけど……それ知ったらこれだけ速いのも納得だわ。元から積んでるエンジンが違うもん」
「いや、そんな……」
その彼女だけでなく、他のウマ娘も話しかけてきた。称賛してくれたり、姉のサインが欲しいとか、姉と会わせてほしいとか。称賛には嫌味にならない程度の謙遜で、姉関連は家にはほぼ帰ってこないから無理だと返しておいた。
……来週のアタシの誕生日に帰って来てくれる予定ではあるのだけれど。
その中で、遠巻きにアタシを眺めているウマ娘が目に入ってきた。1人はきょとんとしているパーマーと、もう1人は目を輝かせているアクアがいた。アクアの横にいるマリンはマイペースに着替えているようだった。
「ねえスカーレットちゃん──」
最初に話しかけてきたウマ娘が言葉を続けた。
「──どうして、トレセン学園に入らなかったの?」
◇
結局、それには「走ることにそんな興味なくて」と苦笑いで言って
夜、リビングでアタシはテレビを何となく眺めていた。見ていた番組が終わりチャンネルを変えていると、3人のウマ娘が映し出された。
『それでは改めてご紹介しましょう。ティアラ三冠を分け合ったラインクラフトさん、シーザリオさん、エアメサイアさんです!』
3人はトゥインクルシリーズを走り終え引退したウマ娘だ。
彼女たちに当時の話を聞きながら、この世代のティアラ路線をクラシック級の秋華賞まで振り返っていく番組のようだった。
順々にひとりひとりスポットを当てて、丁寧に番組は進んでいった。それぞれの背景や、レースに関する思惑、ここで初公開となる裏話などを、3人は温かな雰囲気で語っていた。
(……こんなもの、なのかしら)
ライバル同士ならもっとバチバチといがみ合う関係なのかと思ったが、この3人はそうではなかった。
(引退して競う必要が無くなったからこそ、なのかしらね──)
──と思っていたが、どうやら話を聞くに現役時代から仲は良かったらしい。アタシにしたら不思議だなと思った。
明るく元気なラインクラフトは、自身の姿と走りを未来へ繋げていきたいと語っていた。彼女は桜花賞とNHKマイルを勝っていた。
温和で柔らかい雰囲気のシーザリオは、後進を育成することで未来への礎になりたいと語っていた。彼女は日本とアメリカのオークスを勝っていた。
そして3人目、真面目で誠実そうなエアメサイアは、母の無念を晴らすことに執着するのではなく、母の想いを受け継ぎながらも自分自身の想いのために現役を駆けていったと語っていた。彼女は秋華賞を勝っていた。
「…………血……」
3人の中で、アタシが一番気になったのはエアメサイアだった。彼女は母や一族のことを大切に思っていて、そのことが走りやGⅠ勝利への原動力になっているように聞こえた。
ふと思う。もしこのウマ娘にトレセンに入れるような力が無かったとしても、彼女は同じ目標を選んだのだろうか?
GⅠを勝つどころか、トレセンにも入れない実力だったとしたら、彼女は母が惜しくも勝てなかったティアラ三冠を勝とうと思えたのだろうか?
才能があったからこの目標を持てたのか。無くても同じ目標を持てたのか。無かったらレース以外のことを選んでいたか。そんな意地悪な質問を彼女にしてみたかった。
そこでまた考える。才能の有無でレースの世界を選ぶかどうか……結局はそれも“走る”ことに縛られていないだろうか。才能が無いなら無いなりの道を選んだとしても、それでさえ“走り”に振り回されていないだろうか。
エアメサイアは生まれてこの才能を秘めていた時点で、“走る”以外の選択肢はあったのだろうか。
──ウマ娘は走るために生まれてきた──
……そんなことはない。なら走ることを選ばなかったウマ娘は……ダイワスカーレットとはなんなんだ、ということになる。
(はあ。昔話や伝承の文言にムキになるアタシの方がどうかしてるわ……)
普通にアタシみたいに、走らないなら走らないなりの選択肢が──
──そこで思考が止まる。気付かない内に今のアタシも“走る”ことを一番にしてしまっている。
「……んん~」
ウマ娘という存在はどうしても走ることが一番に来てしまう。そんな考えを無意識とはいえしてしまった自分が不思議だった。
「………………」
ピアスのウマ娘が言っていた。
『テメェ! なんでそんな走れんのにトレセンに入ってねえんだ!!!』と。
パーマーが言っていた。
『あんな走れるのになんでトレセン行かなかったの?』と。
そして今日言われた。
『どうして、トレセン学園に入らなかったの?』と。
……なぜこんなにも同じことを訊くんだろう。これこそ、ウマ娘が“走る”ことに取りつかれている何よりの証拠だった。
みんなに訊き返したかった。走るのが速かったら、なぜトレセンに入らないといけないの、と。
──胸にもやっとした何かがよぎる。
(……?)
──あの不良ウマ娘と走った後の、美しい空と高鳴る鼓動がなぜか蘇ってきた。
「……っ」
頭を振って蘇ってきた残像を消す。
あの時のことについては考えたくない。
記憶に蓋をするために、テレビに再び集中した。
テレビではエアメサイアとその母であるエアデジャヴーの絆について掘り下げていた。よくよく考えると、他のスポーツと違ってレースを走るウマ娘は血の繋がりについて深くフォーカスされ強調されることが多いと思う。
「……」
ここ数日で関わった、アクアとその母親が自然と頭に浮かんできた。
走れなかった母親の夢を託され、応えようとするアクア。エアメサイアと同じではないけれど、母と娘の関係という点では同じ話だ。
「…………」
アタシは、どうなんだろう。母を含め先祖はレースを走ってきた血統だ。でも母に走りを強要されたことなんて一度も無かった。
……母は、姉みたいにアタシに走ってほしかったのだろうか。
「ママは、アタシに──」
「どうしたの?」
「うあっ!? ママッ!?」
いつの間にか視界に母の姿が入っていた。
「えっ!? ママ、お風呂に入ってたんじゃ。いつここに……」
「いつって、結構前からいるわよ。お風呂上がったって声かけたでしょ?」
全然気づかなかった。それぐらい色々考え込んでいたようだ。
いつの間にか番組も終わりになり、スタッフの名前が画面下に流れていた。3人が画面に向かって笑顔で手を振っていた。
「あなたがウマ娘の番組つけてるなんて珍しいわね。この前もウオッカちゃんのインタビュー見てたわよね」
「……なんでちゃん付け」
「お姉ちゃんともお友達だし一緒にレース走ってるのよ。お姉ちゃん、ウオッカちゃんのこと結構好きみたいでね」
「ハァ!? ホントなのそれ!? なんであんな奴のこと──」
「こらスカーレット! あんな奴とはなに!? そんな言い方お姉ちゃんのお友達に失礼でしょ!」
「……っ。アタシ、部屋行くから!」
これ以上はアタシがムキになって喧嘩になってしまうと感じ、一度距離を置くためにアタシはリビングを後にした。
……「ママは、アタシに走ってほしかった?」とは訊けなかった。
◇
──その夜、また夢を見た。
右回りのレース場で、これまでにないほど歓声が大きかった。
アタシは最初から先頭で逃げて、最後の直線に入った。
「先頭はダイワスカーレットだ! ダイワスカーレット先頭だ!」
突き放した。
「そしてスクリーンヒーロー! 外からなんとアドマイヤモナークが2番手に上がった!」
ついてきたウマ娘たちを全員潰した。
「勝ったのは13番っ、ダイワスカーレットォォッ!!!!! ──年ぶり、夢の扉が今開かれたっ!」
誰にもアタシの影を踏ませなかった。
「“小さなシンデレラ”、トウメイ以来となるティアラウマ娘の有馬記念制覇です!!!」
偉業を成した。
誇らしかった。
このために生きてきた。
このために走ってきた。
夢の中のアタシは──
──あの美しい空と、高鳴る鼓動と共にあった。
◇
朝に目が覚めて棚の上を見ると、有馬記念の優勝レイを肩にかけたアドマイヤモナークのぱかプチが静かに佇んでいた。
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