ヒト母→ヒト男女
ウマ娘母→ウマ娘orヒト男女とします
ゴールデンウィークが明けた登校日初日の昼休み。アタシは例によって大藤三己がいる特別棟の端の部屋でお昼ご飯を食べていた。
「…………」
「今日はいつにも増して上の空だな」
「アタシにも色々あるのよ」
三己は食後にパックのトマトジュースの残りを啜っていた。
「そういえばキャンプはどうだったんだ?」
彼女にはFKBに入ったことを伝えている。というかFKBの関係者と家族以外でこのことを知っているのは彼女だけだ。
「……楽しかったわよ」
「ならもっと楽しそうに話したらどうなんだ? そんな心ここにあらずで言われてもな。……何か悩みごとか?」
「…………」
彼女は啜り終えたトマトジュースのパックをビニール袋に突っ込み、長机に鎮座していたギターを確かめるように触っていた。
アタシは食べ終えた空の弁当を片付けてから、最近の悩みの一端を彼女に打ち明けた。
「ウマ娘ってなんで走るんだろうって。そう思ってただけよ」
「……は?」
ギターへと注がれていた彼女の視線がアタシの方へ向いた。
「らしくないな。スカーレットはそんな詩的で哲学的な女だったのか」
「うるさいわねっ。……らしくないのは、アタシだって分かってるわよ。ただ……」
「ただ?」
アタシは三己にアクアのことを断片的に話した。母親の極端な行動には触れず、母親に期待される小学生のウマ娘がいることに主軸を置いた。
「あとテレビで特集してたエアメサイアってウマ娘の話も聞いて、ちょっとね」
「ああ、あの母親が云々の。テレビでやってたのか」
特集について三己は知らなかったようだが、エアメサイアについては知っていたようだ。
「よく分かんないけど、ずっともやもやしてんのよ」
「ウマ娘と母親の関係性ってところか?」
「んー……そうなんだけど、そうじゃないのよね」
確かにアクアの話でもエアメサイアの話でも母親が出てくる。現に昨日はアタシも母に対して無意識的に訊いてみようとしたことがあった。
けど、引っかかってるのはそれじゃない。
結局のところ、アタシの心に引っかかっているのは、他人の放つ『トレセンに入らないのか』という言葉だ。それぐらいは自分の中で整理できている。
「ウマ娘だからって必ず走ってレースを目指す必要はないでしょ? 母親が走ってたからとか、関係ないじゃない」
「それはそうだな」
「! そう、そうよねっ!」
「……どうした?」
三己の返答を聞いて思った以上に安心してほっとしている自分がいた。
「母親、か。……なあ、知ってるか? 私の母親ってウマ娘なんだよ」
「あ、そうだったわね」
しかし彼女の話により話題は“母”の方へと移っていった。
確かに彼女の母親はウマ娘だったことを思い出す。もうあまり顔も覚えてないけれど、学校の行事ごとで見たことはあった。
「実はレースにも出てたんだ。地方だけど」
「そうなの?」
「スズノキャスターって名前のウマ娘なんだが知らないか?」
「……いいえ、聞いたことないわ」
「…………」
「なによ」
「やっぱりスカーレットも知らなかったか」
三己は短く息をついた。
「母親の知名度がイマイチなのが娘の私的にちょっとな。娘の私が言うのもなんだが、スズノキャスターは結構すごいウマ娘だったんだぞ」
「そ、そうなのね」
結構本気で残念がって口をとがらせている三己は珍しかった。
……ふと、彼女に尋ねてみたいことを思いついた。
「三己。もし自分がウマ娘に生まれてたら走ってトレセンを目指してた?」
「……どうだろうな」
彼女はギターを組んだ脚の上に置いて撫でていた。
「走っていたかもしれない。トレセンを目指していたかもしれない。でも分かってるのは、私はヒトに生まれてギターを弾いてバンドをやってるってこと。それだけさ。たらればなんて分からないよ。……ウマ娘のレースと同じさ」
彼女は言い終えるといつものようにギターを弾き始めた。
◇
それから2週間ほど経って、週末にアクアとマリンが出場する合同練習会を控えた木曜日を迎えていた。
アタシは放課後クラブの練習に出ていた。坂路を上がり終えて頂上からグラウンドを見渡すと、精力的に走っているアクアたちが目に入ってきた。練習会とはいえレースもあるので今は調整段階だと聞いているが、それでも特にアクアは熱の入った走りっぷりだった。そして彼女の母親の姿もいつのようにそばにあった。
トレーニングとは関係ないけれど、実は先週アタシの誕生日があった。誕生日に海外から久しぶりに帰って来てくれた父や、家を出ている姉2人たちと一緒に誕生日を祝ってもらった。
だが去年まではずっといた正英の姿はそこになかった。元からアタシが誘わなかったし、彼からのアプローチも当然のようになかった。
登下校も全く一緒にしなくなった。お互いの部屋の窓を開けて話すこともしなくなった。……改めて、アタシたちの関係性は変わってしまった。
家族には喧嘩が続いていることにしていたけど、皆が皆……父にまで早く仲直りしろって言われた。そんな問題じゃないというのは言い出せず、少し心に棘が残った誕生日になった。
彼のことを思い出すと胸がずきっと痛む。
……やっぱり何にも吹っ切れてないみたい。
会いたい、一緒にいたいって気持ちは今でもずっとある。
「…………はあっ」
頭を振って頭を切り替えながら坂路から下りていく。次の模擬レースへ向けて休息を取らないと。
最近ずっと余計なことばかり考えて悩んでいる気がする。正英がマネージャーと付き合ってから……FKBに入ってからまだ1ヶ月ぐらいしか経っていないけれど、良くも悪くも色々あり過ぎた。
グラウンド脇でシューズの靴ひもを緩めて座り込み休憩を取っていた。最近は気温も上がっており、走っていると以前より疲れるように感じるし、汗もたくさんかくようになった。
グラウンドでは深尾とアクアとその母親の3人がトレーニングの合間に話し合っていた。レースに向けての最終確認といったところだろうが。
一方でマリンは単独でマイペースにコースをゆっくりと周回していた。熱を入れて走っていたアクアとは違い、ペースを乱さずただ淡々と走っていた。
「模擬レース始めまーす! 一組目の人は準備してくださーい! コースで走っている人は一度出てくださいねーっ」
アンナがコースのスタート位置で声を張り上げていた。彼女の言う一組目であるアタシは靴ひもを結び直した。すっかりこのトレーニングシューズにも慣れて、走りにも違和感は無くなっていた。
アンナの元に行き声を掛けた。
「お願いします」
「はーい。こちらこそお願いしますね。スカーレットさん、最近調子いいですね!」
「そうですか?」
「はい! 日に日にタイムが良くなってますし、フォームもすっごく良くなってますよっ!」
「……ありがとうございます!」
「この調子なら夏から始まる大会にもすぐ出られそうですね。全国も夢じゃないですよっ」
タイムが良くなっているのは日々の記録で知っていたけど、他人からこうして褒められるのは嬉しかった。
あの不良たちと走っていた自分と今の自分が一緒に走ったとしたら、おそらく何バ身もつけて今のアタシが余裕で勝利するだろう。そう思うぐらいには速くなっている実感がある。
「今日もパーマーと一緒なのね。よろしく」
スタートラインへ行くとパーマーが既に準備を始めていた。
「……うん。こっちこそよろしく」
「どうしたの? どっか調子悪い?」
パーマーの表情がどこか硬いように感じた。
「えっ!? いや、そんなことないない。元気いっぱいだよっ。あはは!」
「ならいいんだけど……」
「揃ったので始めますよー! スタート位置についてください」
言われる通り6人の一番大外でスタート位置につく。中央のレースのようにゲートは使わない(ゲートはあるが練習で普段行われる模擬レースでは使わない)ので引いたラインにつま先を合わせてから片足を引き、軽く前傾姿勢をとる。
今日のレースは2000mだった。
「よーい……」
数秒後、アンナのハンディホイッスルが鳴り響いた。
「……ふっ!」
大外からスタートを切ってハナを取り切ったアタシは自分のペースでレースを進める。振り返って後ろを確認すると、すぐ2バ身ほど後ろにパーマーがいて、後の4人はアタシたちから離れていた。
アタシはペースを一定に刻みレース中盤を迎えた。パーマーは変わらずアタシについてくるが、残りはさらに大きく離れていた。
(あの人たちは、このペースでもついてこられないのよね……)
これまでの併走や模擬レースで段々分かってきたことだけど、アタシが普通に走るペースについてこれるウマ娘は一人だけだ。他のウマ娘終盤に入るとガス欠を起こして勝負にならなくなってしまうから、最初からアタシにはついてこない。
そして、唯一食らいついてくるあるウマ娘というのは──
(──来たっ!)
「はああっ!!!」
──今アタシに迫ってきたパーマーだ。
レースはあと1周、残り400mの地点。彼女は外へ進路を取って、アタシとの差を半バ身まで詰めてくる。
「っ!」
抜かせずにこのまま先頭でゴールを狙うアタシはペースを一気に上げる。
半バ身差を維持したまま3コーナーまで競り合うように走り、ここでまたアタシはアクセルを踏んで思いっきり加速した。乱れそうになるフォームの修正を意識しながらコーナリングしていく。
「ふっ!」
「っ!? ぐううっ」
4コーナーに入ったあたりで視界の隅に入っていたパーマーがいなくなり、彼女の声が後ろへと流れていく。1バ身、3バ身、5バ身……あっという間に彼女の存在はアタシの世界から消え失せた。
「はああっ!」
独りになったアタシは最後の直線もスピードを緩めることなく走りゴールラインを迎えた。足を止めて後ろを振り返ると、アタシから大きく遅れてパーマーがゴール。更にその後ろで残りの4人が競り合いながらゴールしていた。
アタシ一人だけ突き抜けてゴール。
パーマーが遅れてゴール。
他のウマ娘が遥かに遅れてゴール。
最近お決まりの、いつもの模擬レースの光景だった。
……はっきり言って、物足りな──
(って、何考えてるのアタシ! 走ってくれる相手に失礼でしょ!)
あまりにも高慢すぎる自身の思考を打ち消し、未だに息の整わないパーマーの元へと歩み寄る。
「パーマー、お疲れさま。大丈夫」
「はっ、はっ……うん。いやー、何度やっても勝てないや。今日は行ける気がしたんだけど」
「迫られたときはアタシも焦ったわ。またよろしくね」
「………………うん。またよろしく」
「あ、そう言えばパーマー週末予定空いてる?」
「どうしたの?」
「アタシ、アクアたちの練習会見に行こうと思ってるの。ほら、アクアは最後かもしれないし、レースの応援しようと思って。今年は市内であるみたいだから」
「あ~行きたいのはやまやまなんだけど、ちょうど寮の行事ごと入っててさ。ゴメン! 私行けない」
「そうなの。じゃあ一人で行ってくるわ」
「私の分までアクア応援しといて。……アクアなら大丈夫だと思うけどね」
アタシたちの視線の先では、坂路を駆け上がっていくアクアの姿があった。
◇
トレーニングを終え、パーマーと一緒に更衣室から出て少し歩いたところで、アタシの袖が誰かに引かれた。
「……アクア?」
アクアは不安そうに見上げていた。
「スカーレットさん、あの…………母さんが……」
「え?」
彼女が視線を向けた先には、彼女の母親が笑顔を浮かべて立っていた。
いきなりすぎるし、全く予想だにしないシチュエーションに自身の頭が混乱している。
「……なに?」
「母さんがスカーレットさんに話があるって……」
「話?」
「どんな話かはぼくも知らないんですけど……」
彼女の母親からアタシに、一体何の話が──
「っ!?」
──再び見たアクアの母親の笑顔が一層深くなっていた。
アタシと母親は場所を移した。駐車場横にあるトイレから更に奥……電気関係と思われるコンクリの小屋の物陰まで彼女に連れていかれた。パーマーには先に帰ってもらい、アクアはグラウンドで待っているように母親に言いつけられていた。
世界とは隔絶されたように思えるこの場所に、訝しむアタシと笑顔の母親だけがいた。
「スカーレットさん、この前のキャンプの時はごめんなさいねえ」
彼女の猫なで声に気を取られ、言葉の理解が遅れてしまった。
「私、あなたに失礼なことを言ったでしょう。……実は前々から謝りたかったの」
「え……?」
彼女は謝罪している。間違いない。しかし──
──何なの。異常に媚びへつらうこの感じ……
やっと頭が状況に追いついてくる。アタシに対して喧嘩腰で色々行ってきたのを彼女を謝罪しているのだ。
……前々から謝りたかった?
絶対嘘だ。
ならもっと早い段階で謝ればいいだけだ。ここまで日を置く意味がない……いや、何か考えを改める出来事でもあったのだろうか。
「ほら。だからお詫びの印ってわけじゃないのだけれど、はいこれ」
彼女は後ろ手に持っていた紙袋を差し出してきた。その紙袋にはどこかの菓子店のデザインが施されており、中には菓子箱とおぼしきものが入っていた。
「それ、一つ星の評価を得てる有名なスイーツ店のなの。どうぞご家族と召し上がって」
「いや……アタシは別に気にしてませんので、大丈夫です」
どうやら高級なスイーツだったようで、思わずアタシは突き返したが母親は受け取ってくれなかった。
「そういえばダイワスカーレットさん、あの東高に通われているんでしょ? 凄いわね~本当に賢いのね」
「は、はあ……?」
アクアの母親の言動についていけない。ただアタシに謝ったり褒めたりと、ご機嫌取りのようなことをされてるのは確かだ。
けど彼女の真意が未だに全く読めない。一体彼女は何のつもりで……
「それでね。アクアからこの前聞いたんだけれど──」
「──ダイワスカーレットさんのお姉さんってダイワメジャーさんで、お母さまはスカーレットブーケさんなのよね?」
「……は?」
唐突に出てきた姉と母の名前。
「そうなのよね?」
「え、はい。そうですけど……」
「やっぱり! アクアの話は本当だったのね! ねえダイワスカーレットさん、少しお願いがあるのだけれど……」
「……お願い、ですか……?」
「そうなの。あのね──」
「──娘のアクアがトレセン学園を受験するときに、そのお二方……できればダイワメジャーさんにアクアのことをお口添えしてもらえるようお願いできないかしら?」
まるで鈍器で頭を殴られたような衝撃を受けた。
つまりこの女は──
「あ、もちろんそんな露骨な意味じゃないわよ! 少しだけ、ちょっとだけでいいの。ダイワメジャーさんほどのウマ娘ならトレセンの受験に関する人事の人にも口を利くこともできるでしょう? だから娘が受験するときに“アクアってウマ娘に見どころがある”とか、そういうことをちょっとだけ言ってもらうだけでいいの」
──アタシを通じて家族を利用し、アクアのトレセン合格について便宜を図ってくれと懇願しているのだ。
氷のように冷え切ってゆくアタシの心とは裏腹に、彼女は熱っぽい口調で言葉を続けていた。
「今日はお家まで車で送って行くわ。お家、どこか教えてくれる? お家におられるならお母さまにもご挨拶したいの」
「連絡先も教えていただけない? あとからLANE交換しましょ」
「ダイワスカーレットさんは何が好きかしら? あ、お姉さんとお母さまの好きなものも教えていただけると助かるわあ。やっぱり甘いものかしらね。ああそうだ、東京のあの有名スイーツ店のケーキなんてどうかしら? 今度取り寄せ──」
ケーキの話が出た瞬間、以前アクアが言っていたセリフが耳に蘇った。
──『ああいうソフトクリームとか……ケーキとかも、食べたことないです』──
同時に、母親の夢のためにやりたいことを我慢しながら懸命に走っているアクアの姿が過った。
もう、抑えることなんてできなかった。
瞬間的に感情が沸騰した。
「いい加減にしてっ!!!」
「──え? ダイワスカーレットさん……?」
驚きに目を見開いたアクアの母親と対峙した。
彼女とアクアは髪色だけでなく顔立ちもよく似ていることに、今初めて気がついた。