「スカーレット! ど、どーすんのさ? ここのコースを明け渡すなんて」
「どうするのって。勝てばいいだけの話でしょ。何の問題もないわ」
「そうなんだけどさ……いや、そうじゃなくて!」
不良たちとの2対2のレースを10分後に控えたアタシとパーマーは作戦会議をしていた。そんなアタシ達を遠巻きに幼いウマ娘たちが不安そうに見つめていた。
パーマー慌てふためいているが背中を丸めているなんてことはなく、先程よりもシャキッとしていた。
アタシに対して暖簾に腕押しだと理解したようなパーマーは深いため息をついた。
「……まあでも、殴る蹴るとかにならないだけマシかもね……」
確かにそれはそうかもしれない。あそこで不良たちが暴れてこれ以上幼いウマ娘たちに危害が及ぶようならそれこそどうしようもなかった。
ピアスの『ウチのチームのメンツを潰した──』というセリフから、彼女たちはどこかのレースグループかチームのウマ娘なのだろう。レースで決着をつけようと言うあたり、チームの一員としてのプライドから来るものなのか、はたまた単に走る本能なのだろうか。
……走ることを選ばなかった
横目にアタシたちとは離れたところにいる不良たちを見る。ストレッチをしたり何かを確かめるように走ったり(フラットワークだったかしら?)と黙々とアップに取り組んでいた。さっきまでの騒がしさはどこへやら、レースへ向けて余念なくアップをしているのを見ると、なるほど確かに元トレセン学園生の風格みたいなものが見えるような気がした。
「……パーマーも」
「え?」
「何があったかは知らないけど、あんなこと言われて黙ってちゃダメよ! ちゃんと胸を張って言い返しなさい!」
「…………」
「…………スカーレットには分からないよ」
「なに?」
「……ううん。何でもない。……そうだね、確かにそうだと思う。でもさ、今の私には難しいんだ……」
「……」
「それよりレースだよ!」
「さっきも言ったじゃない。勝てばいいんでしょ」
「……あのさスカーレット。アイツらの言ってることホントならマジでヤバいんだって! トゥインクルシリーズでオープンクラスとか本当に化物クラスなんだよっ!? 普通の人からしたらさ、GⅠ勝たないと大したことないとか思われるかもしれないけど……とにかく凄いんだって!」
「分かってるわよ」
パーマーは彼女たちの凄さを力説していたが、それぐらいはアタシも理解している。
「でもそんなこと関係ない。パーマーがあんなこと言われてるのに黙って引き下がるなんてできないわ」
「あ、ありがとう…………そっか、そうだよね。スカーレットは私のために……」
パーマーは目を瞑ったあとひとつ頷いてから決心したようにその目を開けて両頬をぱしぱしと叩いていた。
「やるしかないんだね……そうだよ、やるしかないじゃん。分かった、私も覚悟を決めるよ。……スカーレットはレースに出たことないんだよね?」
「ええ。小さいときに少しだけコースを走ったぐらいかしら。レースの作戦とかは分からないから、そこはパーマーが決めてくれたら嬉しいわ」
「……ちょっと考えるね…………あ、スカーレット、シューズは?」
「今履いてる運動靴だけよ。パーマーが履いてるような蹄鉄のついたシューズは元から持ってないわ」
「……まあ運動靴なら大丈夫かな。私たちもちゃんとアップしよう。作戦はちょっと考えさせて。後から話すよ」
「ええ」
アタシ達も不良たちに倣ってアップを進める。
今体操服やジャージなんて持ってないアタシは上着のブレザーを脱ぎ胸元のリボンを外してから体を動かした。不良たちやパーマーのアップを見よう見まねで行った。あとは体育の授業で行うような体操も。
軽くダッシュするとウッドチップのザクザクとした小気味よい音と感触が伝わってくる。普段歩いたり走ったりしているコンクリや土とは違って反発力が無く、相当踏ん張らないとスピードは出ないようだ。幼い頃に少しはウッドチップで走ったはずだが、その頃の感覚は全く蘇ってこなかった。
このままではまともに走れないと思い、自分なりに走り方を修正することにした。
遅めのスピードで何回も走って自分の中の感覚を丁寧に修正していく。
蹴りだす脚の出力を上げる。
脚の上げ方やコーナーを曲がるときの体重移動などフォームの微調整をする。
息の入れ方を意識する。
神経を尖らせレースへと自己を最適化させていく。
……こんな感じで良いのかしら?
──そんな自分をどこか遠くから見つめている自分がいた。
「…………」
これがアタシにとって初めてのレースになる。売り言葉に買い言葉ではあったが、自分自身で選んでレースに挑もうとしている。
──なぜか脳裏を掠める幼馴染の男の顔。
(なんで今……?)
首を振って正英の顔を霧散させる。
これは一回限りのレースだ。
「スカーレット、こっち来て。作戦言うよ」
その他諸々の修正がちょうど終わったところでパーマーに呼ばれた。不良たちに背を向けて身を寄り添い、小声で作戦会議を始めた。
「スカーレットには前で逃げてほしい。
「それで大丈夫なの?」
「うん。……先に謝っとくね。失礼な言い方になるけどゴメン」
「?」
「スカーレットはレース未経験だからスパートのかけ方とかタイミングとか分かんないと思うし、それにその……走るスピードだって…………」
「別に遠慮しないでいいわよ。“遅い”ってことを言いたいんでしょ?」
「……うん。絶対的なスピードが違うだろうし、正直逃げられるとも思ってない。でもアイツらが様子見とかするなら最初から思い切り走ってリードを広げる方がいいと思う。もし速く走れて少しの間でもペース上げられるなら、スカーレットにつられて相手の2人もバテるかもしれないし。……あとは私が何とかするよ」
確かに理にかなっているように聞こえる。ようは私を囮として使ってパーマーが決めるということだろう。
「でも、もし逃げられなくても気にしないでいいから。……無理に走って怪我なんてしたら元も子もないし」
「大丈夫よ。何があっても逃げるようにするわ」
「……無理だけはしないでね」
パーマーはまたチラッと不良たちの方へ視線をやった。
「正直、私なんかよりあっちの2人の方が圧倒的に速いと思う。でも実力が劣る私たちが勝つにはこれしかない。お願い、スカーレット」
「分かったわ。……ん?」
作戦会議を終えて寄せ合っていた身を離したアタシ達に、短髪の幼いウマ娘がスマホを持って近づいてきた。
「どうしたの?」
「パーマーちゃん、あの……あたし心配で、コーチに電話したら、パーマーちゃんに代わってって、はいっ」
「へ? コーチ? もしもし」
スマホを渡されたパーマーはスマホに向かって話しかけた。
『パーマーさんですか?
スマホから聞こえてきたのは頼りなさそうな男の声だった。20代か30代かは分からないけれど、40代とかそれ以上ということはなさそうだった。
パーマーはその深尾と言う男にこれまであったことを説明していた。もちろんアタシの存在も。
誰にも大きな怪我はないと伝えると、彼がホッとしているのがスマホ越しに伝わってきた。
『ええ~、このコースまで賭けにしてるんですか? なんでそんなことを…………い、胃が……』
「申し訳ありません。アタシが勝手に……」
『あなたがダイワスカーレットさんですか?』
「はい」
『そうですか。初めまして、FKBレーシングクラブ及びFKBレーシングスクールの代表兼コーチの
「は、はあ……」
なんとも緊張感のない男だなと思った。同時に少し謎に思っていたFKBの由来が分かった。何かの略称とか深い意味は無かったようで、スッキリとはしたがちょっと期待外れだった感は否めない。
失礼かもしれないけど、ちょっと頼りなさそう……
『レースなんて今から拒否しても良いのですが、そうしたらその2人は暴れるかもしれませんね。そこまで話が進んだ以上、レースは受けた方がいいでしょう。パーマーさん、レースは受けてください』
「分かりましたっ」
『……レースについてですが、怪我のないように走ってください。もし仮に負けてもコースを明け渡すとかの話にはさせませんので。きっちりと警察に対応してもらいますから。あと、その2人が暴力に訴えかけてくるようでしたら迷わず110番してください。パーマーさん、ダイワスカーレットさん、いいですね?」
2人して返事をした。
先程の頼りないイメージとは打って変わってはきはきと深尾は喋っていた。
『
「分かりました。えっと──」
パーマーは幼いウマ娘たちを見回しながら彼女たちの名前を一人一人挙げていった。
『さっきの話に付け加えますが、レースの勝敗に関わらずその2人が暴れたなら更衣室に避難して内から鍵をかけてください。扉から窓から何までかなり頑丈に造っているのでウマ娘の力であろうとこじ開けるのは難しいですから』
パーマーが視線をやったのはグラウンドの脇に並んで建っている2つの平屋の建物だった。一つは仮設住宅のような外観で、大きめのガラス窓から中にある机やソファなどが見えた。もう一つは武骨な見た目の鉄筋造りで、窓は曇りガラスになっていた。
おそらく彼が言う更衣室は後者だ。
「オオイッ! 時間だぞッ! 」
スマホで会話してるアタシ達へピアスが呼びかけてきた。確かに10分は過ぎていた。
『今のが例の?』
「はい。もう始まります」
『……くれぐれも怪我の無いように』
そうして通話は切れた。パーマーは不安そうに見上げていた短髪のウマ娘へスマホを返した。
「コーチに電話してくれてありがと! 助かったよ」
「うん……あの、2人とも、頑張ってね! 応援してるっ」
他の幼いウマ娘たちが近づいてきて各々「絶対勝って!」とか「負けないで!」とか激励してくれた。
彼女たちと別れて、すでにコースで待っている不良たちの元へと足を向けた。
「遅せえぞゴラッ!」
凄んでくるピアスにひるむことなくパーマーが前へと出る。
「条件を確認するよ。右回りのマイル。コース1周が約400mだから計4周回ることになる。でも直線80mしかなくてゴール位置の設定が難しいから、4コーナー出口からスタートで1コーナー入口をゴールにして計1680m。並び順は……私たちが決めていいんだよね」
先程アップする前に決めたレース条件をパーマーが口にした。ゲートは倉庫にあるらしいが鍵かかっているため出せないので、ゲートなしで並んでのスタートとなっていた。
「おういいぜ! 好きなとこ選びな」
「なら私たちが内で」
「……ハッ、おう。分かったぜ。スタートはこれが落ちたらでいいな」
ピアスはポケットから100円玉……コインを取り出した。
「いいよ。……じゃあ、スタート位置につこうか。行こうスカーレット」
パーマーがスタート地点へ歩き出し、そのスタート位置を視界に収めた時、ある衝動が体を襲った。
「……」
自分のトレードマークでもある赤みがかった栗毛のロングストレートを手で梳く。
「ねえパーマー、ゴムとか予備の髪留め持ってない? できれば2つ」
「確かあったと思うけど……取ってくるよ!」
パーマーは更衣室へ向かって走り出した。
「オイ! 何やってんだあッ!?」
「うるさいわね。ちょっと待ちなさい」
「ンだとォ……!」
更衣室から出てきたパーマーはアタシにリングタイプのオーソドックスなヘアゴムを2つ差し出した。色は緑だった。
「これでいい?」
「ありがと」
アタシは髪を左右でそれぞれ束ねてツインテールにした。
特に意味はないけれど、なぜかこうした方がいい気がしたのだ。
「変じゃない?」
「可愛いよ。でも可愛すぎかな。元の方が大人っぽくていいかも」
レース前とは思えない他愛のない話をしてから歩き出す。
「さっさと並べやボケ!」
既にスタートラインで並んでいるピアスとマスクと元へと向かう。
「スカーレットは一番内に入って」
「分かったわ」
「ねえ……スカーレットの自信ってどこから湧いてくるの? 走るの初めてなのにさ」
ピアスがコインをかざしている横で、パーマーは前を向いたまま小声で話しかけてきた。
「自信って……別に。ただ……テレビやネットでトゥインクルシリーズのレースやってるでしょ。重賞とか」
「うん……?」
「あれ見て、アタシもあれぐらいなら走れるなって、思ってただけよ」
「へ──」
ピンッとコインを弾く音がして、そのコインが放物線を描いて内ラチの中へ目がけて落ちていく。
──ざっ、とコインがウッドチップに落ちる音がして、レースの火蓋が切って落とされた。