コインがウッドチップに落ちた瞬間、アタシを含めた4人がスタート位置である4コーナー出口から走り出した。
スタートダッシュを決めたのは──
(……!)
──
最内からダッシュをかけたアタシが単独1番手で抜け出した。後ろからレースを進める予定のパーマーはもとより、ピアスとマスクの2人はアタシに競りかけてこなかった。
直線の80mがあっという間に過ぎて1コーナーを迎える。
パーマーの指示通り先頭に立つことができた。後ろは気にせず、まずは自分の走りに注力する。
体幹を右へ倒しながら右回りの1コーナーへ進入し、1コーナーと2コーナー合わせて120mの距離を駆けていく。
(体が外に……!?)
すると外に引っ張られるような遠心力に見舞われる。体にかかる遠心力は想像以上のものだった。
この速度でコーナリングするなんて初めての経験だった。幼少期に本気で走ったことはあるけれど、こんなに速度は出ていなかったはずだから。
遠心力に抗いつつ、足の運びに注力しながらコーナーを曲がっていく。
本音としては、直線はまだしもコーナーだけは不安があった。普段の走りの中で、競技レベルの速度でのコーナリングが難しいのは何となく理解していたから。
慎重に曲がる。
寄れることなくコーナーを駆けた。
(うまくいったわ……!)
2コーナーを回ってバックストレートの入口が見えてきて、最初のコーナーを無難にこなせたことに安堵した瞬間──
「よォ!!」
「っ!?」
──アタシのすぐ左後ろからピアスの声がした。
振り返るとピアスはアタシの左斜め後ろ1バ身差の位置にいた。
「デカい口を叩くだけはあるじゃねえか? オラオラ、頑張って走ってみろや! 可愛がってやらァ!」
ピアスは言葉を発せるほど余裕たっぷりにアタシを追走していた。
すぐ後ろに位置されるのはマークされているようで気持ちが悪い。
バックストレートに入ってからスピードを上げた。
「オ~イ、んなスピード上げてたら最後までもたねえぞー。まだ1周目だぜ……あ、もしかして掛かっちまったか? カハハ!」
ペースアップをしたけれどピアスはアタシにぴったりとついてくる。
そしてアタシたちはバックストレートから3コーナーへ。
「その速度でコーナー回れっかな~?」
「っさいわね! 黙って走りなさいよっ!」
吐き捨てるように言いながらコーナリングする。
ピアスの言う通り確かにさっきよりも強い遠心力に襲われる。だがさっきのコーナーでコーナリングの感触は掴めていたので、速度に合わせ修正をかけて回っていく。
結果、内ラチにぴったりとブレることなく回ることができ、ホームストレートへと戻ってくる。
「へえ!? そのハイペースで……マジでやるじゃねえか」
ここでもピアスは差を縮めることも離すこともなくアタシのすぐ左後ろにいた。息は全く乱れておらず余裕綽々のようだ。
ハイペース。
……違和感。
「…………」
1周が過ぎて2周目へと入っていく。
ホームストレートの近くで見守っている幼いウマ娘たちの声援が聞こえてきた。
「がんばれー!」「いけいけスカーレットちゃん!」「ふぁ、ふぁいとお……」「まけるなあ!」「いけっ!」
その声援を有難いと思いつつも、アタシは別のことを考えていた。
アタシ達の作戦は、アタシが逃げてパーマーが後ろから差してくるというもの。アタシはできるならハイペースで走ること。
でもアタシが今考えているのは──
(…………)
──
そんなつもりは無かったのに、勝手にそう考えてしまっていた。
──約400mの1周を終えて、アタシの頭の中の冷静な部分が思考を巡らせていた。
(…………)
──勝負所になってみないと分からないが、これなら……!
「ククッ、このペースでいつまで持つかねェ。……ほらほら走れ走れ。後ろのメジロの出来損ないがあんなザマじゃあ、お前が頑張らねえと勝てねえぞ!?」
「なんですって……?」
ピアスの意味深な言葉に思考が中断される。
思い切り振り向いて、これまで気にかけてこなかったパーマーの方へ視線をやる。アタシが2周目の1コーナーに位置しているのに対し、彼女は4コーナーの出口にいた。かなり距離的には離れている。
流石に離れすぎではないかと思った瞬間、その理由が分かった。
パーマーはマスクにぶつかるように競りかけられて削られていたのだ。
「ぐぅ、くそ……!」
「ぷくく……オラア!」
険しい表情をしながら耐えるパーマーに、マスクがタックルを繰り返していた。
「なっ!? アイツ何してんのよ! こんなのルール違反──」
「いつタックルが違反になったんだあ? そんなルール決めてねえよバァカ! 禁止してえならレース前に禁止って言っとけや! レース前に取り決めをするのがフリースタイルの常識だろ?」
「っ……アンタたち……こんなの卑怯よ!」
おそらく彼女たちは元トレセン生のパーマーを潰せば勝てると踏んでいるのだ。マスクにパーマーを潰させて、あとはレース経験のないアタシを交わせばいいだけ。
手段はともかくクレバーかつ確実な作戦だった。更にパーマーが墜とされたのならアタシ達の作戦は一気に瓦解することになってしまう。
「あ~よく聞こえねえなあ。ま、お前にはタックルしないでやるよ。
──アタシは見逃さなかった。
──今、ピアスは息を入れた。
──確かに喋っている影響もあるが、それだけじゃない。
アタシとピアスの位置は2周目のバックストレートの中程。
パーマーとマスクは今ようやく1コーナーへ入ってきた。さっきよりも更に距離が開いている。
こんなに離れたのなら、普通に走ればパーマーがピアスを交わすのは難しいだろう。
「…………」
思考しているうちに3コーナーを回って4コーナーへ。
落ち着いて勝利への道筋を考える。
パーマーがマスクを振り切るのを前提とするならば、作戦通りピアスをハイペースでバテさせればワンチャンスあるかもしれない。だが現状パーマーの持ち直しに期待するのは酷だ。距離的にも残っている体力的にも。
パーマーが勝つのは難しい。なら残されたのは──
──
(……)
2周目から3周目へと入る。レースは約半分である800mが過ぎた。相変わらずピアスはすぐ左後ろにいる。パーマー達はまだバックストレート。
(…………)
頭を切り替える。思考を戻す。
──アタシが勝つために。
まずは相手の状態を確認する。
「ふっ、ふっ……4ハロンそのスピードで走れンなら大したモンだなァ! ……お前、トレセン入ってたらスプリントの未勝利ぐらい勝ててたかもなあ! はっ、はっ、はっ、……くくっ、だがもう限界だろォ!?」
ピアスの走りは変わらない。だが息遣いが明らかに乱れてきていた。
自身の身体の状態をモニタリングする。
「…………」
最初からピアスの言うことには違和感があった。
『へえ!? そのハイペースで……マジでやるじゃねえか』
『ククッ、このペースでいつまで持つかねェ』
『はっ、はあっ……んなことしなくてもどうせこのハイペースじゃ……はあっ……どうせ持たねえだろうからなあ!』
アタシがペースを上げているのは確かだが、限界ギリギリのハイペースで走っているつもりなんて一切無かった。
1周目はコーナリング、2周目からはパーマーたちのことなど、走り以外で気になることがあって思い切り走れていなかった。
アタシはほとんどウマなりで走っているだけ。
だが、勝つにはどこかで勝負を仕掛ける必要がある。
レース前パーマーに言われたようにスパートをかけるタイミングなんてその時は分からなかった。でも実際に走った今なら感覚的に理解できる。
今のアタシなら──
──
アタシはピアスを引き連れて3周目のバックストレートへ入っていった。
残り680m。
仕掛け時まで、もう少し。
◇
ゲート無しだけどスタートも速く、二の脚もついているようで1番手にポジションを取っていた。彼女を追ってピアス2番手、そして私とマスクが並ぶように後方でレースを運んでいた。一応想定内のポジション取りになっていた。これならチャンスがあるかもしれない。
(それにしても……スカーレットすごいな)
スカーレットはスタート決めてハナを取って飛ばしていく。言葉にすると簡単だけど誰もができることじゃない。しかも相手は元トレセン生。
本当にレースが初めてなのかと思うほどのスピードとセンスだった。
探り探りでレースを進めていると、その道中1周目のバックストレート入口でいきなりマスクが私に対してバ体を寄せて体当たりをしてきた。
「ちょっ!?」
「へへっ、どうしたあ?」
「なっ、なにすんの!」
私の抗議なんて知らないとばかりに体当たりを繰り返すマスク。
必然的に私のスピードは落ち、前の2人との差が開いていく。マスクは遅れた私にスピードを合わせ、尚もタックルを繰り返していた。
「いい加減にしてってば! 危ないじゃん! こんなの反則だよっ!」
「タックルが反則なんてルールはこのレースにはありませーん。いつ決めたよ?」
「……っ」
「レース前に反則については互いに取り決めをする。フリースタイルの常識な」
滅茶苦茶だ。
フリースタイル……もちろん知っている。コイツらみたいなガラの悪い連中が集まって滅茶苦茶なレースをしている野良のレースのことだ。伝統を重んじ正々堂々とレースに向き合ってきたメジロのウマ娘からしたら、最もかけ離れた存在だろう。
「そんな調子じゃ転んじゃうよ~……っと!」
「ぐうっ!」
マスクはタックルを止めない。ペースを変えて交わそうとしても執拗に彼女は追って狙ってくる。
でもこのままじゃマスクも遅れてしまう。そうなったら……いや違う。
そこでやっと彼女たちの思惑に気づく。マスクは私と共倒れにして、ピアスとスカーレットの一騎打ちで勝負を決めようとしているのだ。
トゥインクルシリーズでオープンクラスまで行ったウマ娘と、レースが初めてのウマ娘の一騎打ち。結果なんて火を見るより明らかだ。
「く、くそおっ」
タックルされるたびにスタミナが削られていく。今の私は転倒しないように気を付けるので精いっぱいだった。
前の2人は3周目に突入している。一方の私たちはまだバックストレート。もう半周近くも差が開いてしまっている。
マスクは退けられても、今の私じゃピアスまでは絶対に届かない。
頭に“敗北”の二文字がよぎる。
(ゴメン……ゴメン、スカーレット……)
スカーレットは未だに先頭で飛ばしている。あのスピードで走れるだけで驚きなのに、更に2周持たせている。私の拙い作戦通りに頑張ってくれている。
でも、肝心の私は何も出来そうになかった。
──また私は期待を裏切るの?
──これまでもそうだったのにさあ。
──やっぱ何も変わってないじゃん。
心の奥深くから湧いてきて、脳内に響く自分の声。
(うるさい……うるさい……黙っててよ……)
「どうしたあ!? もう限界かあ!?」
「っ! くう……! はあっ、はあっ、ぐあっ……」
最初は押し返せていたけれど、急に体に力が入らなくなってきた。削られているとはいえ、まだスタミナは残っているはずなのに。
……まるでトレセンでの模擬レースや選抜レースの時みたいだった。
そうしている内に私たちも3周目に入っていく。スカーレットたちは2コーナーからバックストレートへ入ろうとしていた。
(スカーレット……もうキツいだろうな……)
おそらく彼女も近いうちに失速する。レース未経験のウマ娘がこのペースで走れているだけで奇跡的なことなのに。
(負けた時、コーチはどうすればいいって言ってたっけ…………え)
敗北した後のことを考えようとした瞬間だった。
風が、吹いた気がした。
緋色の風が。
(…………え?)
バックストレートから3コーナーへ入ったスカーレットが一気にスピードを上げて、ピアスとの差を2バ身、3バ身と広げていた。
何が起こっているのか理解できない。目の前の光景に現実味がない。
ただ分かるのは、スカーレットがピアスを引き離しているということだけ。
「なんだアイツ!? マジか!?」
「はっ、はっ……行け」
最初は小さな呟きだった。そして──
「行けーっ! スカーレット!」
──振り絞って叫んだ。
◇
3周目の3コーナー……残り600mの地点で、アタシはスパートをかけた。
幼少期以来となる本気の走りで、コーナーを喰らっていく。
「……ふっ!!!」
「なっ!!??」
驚いたピアスの声が小さくなる。ずっと1バ身後ろに付きまとっていた彼女を突き放しにかかる。3バ身ぐらいは離れただろうか。
一瞬でホームストレートへたどり着いた。残り1周とちょっと。
「……クソがっ!」
そんな声が聞こえたのち、彼女も速度を上げたのか距離が少し縮まった。
「テメェッ! 絶対シバく!」
まだそんな悪態が付けるのかとちょっと感心していた。だから──
「うっさいわね。ついて来れるなら、ついて来てみなさいよ」
──逆に挑発してやった。
そして1コーナーの入口へ。残り400mの地点。
「はああああっ!」
出し惜しみなし。残り2ハロンに全てを出し切るつもりでスパートする。
脚の回転と踏みつける力を最大限へと上げる。
「な────」
ピアスの声が離れて、遂には聞こえなくなった。
◇
ピアスのウマ娘はある感情を思い起こしていた。
人生で一番屈辱的だった、デビュー前にトレセン内の模擬レースで後にGⅠをいくつも勝つウマ娘と走った時のことを。
そのウマ娘は自分を含めた他の出走者を全く歯牙にもかけず、ただ1人突き抜けていった。
何バ身も遠く離れる背中を見て──
『ウオッカ先頭で今ゴールイン! 圧勝だ!』
(スゲェ……)
──ただただ、そう思ってしまったのだ。それ以外、何もなかった。
(っ!? ウチは今、何を……)
……負けて悔しいとか、次はブッ倒すとか、ムカつくとか、そんなことを思えたらどれだけ良かったか。
すごい、としか思えなかったこと。
そのことがどうしようもなく屈辱的だった。
◇
流れる周りの風景がまた一段と速くなる。
体に受ける風が気持ちいい。
ここには誰もいなくて、ただアタシ一人だけの世界が広がっているみたいだった。
気づけばアタシは3コーナーまで食らい尽くしていて、4コーナーを回ってホームストレートへと入っていた。
チラッと後ろを伺えば、4コーナー中ほど……アタシの10バ身ほど後ろで完全に脚が上がっているピアスがいた。上体も顎も上がって、大きく肩を上下させて息をしていた。
残りの2人はまだバックストレート入口。
もう緩めても勝てるけれど。
「はあああああっ!」
飛び跳ねて喜ぶ幼いウマ娘たちの声援を受けながら、残り80mを全速力で駆け抜けた。
アタシが
ゴールラインを超えて走りを緩めて空を見上げる。
日が傾きかけている空は、青色と緋色が共存していて本当に綺麗だった。
「はあっ、はあっ……」
汗だくになった制服の胸の部分を掴む。
──胸の奥が熱い。
──抑えきれないこの胸の熱さが、見上げた空へと吹き上がっていくのを感じる。
──ああ、空が高い。
──心臓が高く鳴り続けている。
(……これが……レース……)
「スカーレットちゃんすごいっ!!!!!」
「え……わっ?」
気づけば幼いウマ娘たちが何人かアタシに向かって飛びついてきていた。
笑顔で寄って来るウマ娘たちの相手をしていると、パーマーが遅れてやって来た。
「すごい……すごいよスカーレット! あんな走りできるなんて……!」
「ありがとう。勝てて良かったわ」
「……それと……ゴメンね。私、役に立てなくてさ……」
「なに言ってるの。パーマーがタックルにたくさん耐えててくれてたから、一対一の形でアタシが勝てたのよ! それにこれはチーム戦なんだからアタシたちの勝利よ!」
「……うん。ありがとう」
「ええ。……パーマーはこの子たちと一緒にいて」
「え、うん。分かった……」
アタシは地面に膝をついているピアスの元へと行った。傍らには心配そうにして一緒に屈んでいるマスクがいた。
「ひっ……」
マスクはアタシと目が合うと怯えたように視線をそらした。
「じゃあ約束通り土下座でもしてもらおうかしら。あとここには二度と近づくんじゃないわよ」
「はあっ、はっ……カハッ……テメェ……!」
ピアスはまだ荒い息をついていた。下からアタシを見上げて睨んではいるが、レース前やレース中の強気さはかなり弱まっていた。マスクと同じく怯えも混ざっているように見えた。
「テメェ、本当の名前はなんだッ!?」
「……はあ?」
「しらばっくれるんじゃねェ! っく、はあっ……確かに現役の頃に比べりゃウチの力はクソほど落ちてるが、レース未経験者にこんな負ける訳がねェ! それに未経験者があんな走りできるわけがねェ! テメェ本当は中央のウマ娘だろうが! 騙しやがったな……!」
「何言ってんのか意味分かんないんだけど。アタシはダイワスカーレットよ。疑うなら学生証でも何でも見せてあげるわよ」
「……マジで言ってんのか……テメェ……なんで……」
ピアスは溜めてから声を上げた。
「テメェ! なんでそんな走れんのにトレセンに入ってねえんだ!!!」
「はあ?」
言っている意味が分からなかった。
何故そんなことを訊くのか意味が分からなかった。
「ああ分かった。分かったぜェ……!」
ピアスはゆらりと立ち上がった。
「テメェだな……テメェがクロヒョウだろ!」
「……へ?」
「覚えてろ……この借りはきっちり返させてもらう! おい、ズラかるぞ」
「え。わ、分かったッス」
「ちょっ!? アンタたち負けたんだからパーマーとこの子たちに謝りなさいよ!」
「知るかバァカ!」
ピアスは捨て台詞を吐いた後、マスクを引き連れて走ってグラウンドを後にした。
……あの2人、負けたのに謝らずに帰ってしまった。
幼いウマ娘たちと一緒にいるパーマーの元へ戻った。
「ゴメン。謝らせられなかったわ」
「良いよ別に。あの2人は逃げてったし、皆が無事でよかった。それでスカーレット、あいつら何か言ってた?」
「……アタシがクロヒョウだって勘違いしたみたい。クロヒョウってそのひとの名前じゃなくて呼び名なのかしら?」
「……まさか本当にスカーレットがそのクロヒョウだったり?」
「そんなわけないじゃない」
「冗談だって。……てかスカーレット、さっきのレース凄かったけど、本当にレース初めてなの?」
「そうよ」
「じゃあさ、あんな走れるのになんでトレセン行かなかったの? 小さいときは遅かったとか?」
幼い頃にコースで走った時、大人たちがアタシのことを称賛してくれたことを思い出す。
「遅いことはなかったと思うけど……普段から道路をたくさん走ってはいるから、それでこんな走れたのかもしれないわね」
そこまで話して気づく。
なぜかパーマーもさっきの2人も同じことを訊いてきていた。
なぜトレセンに入らなかったのか、という問い。
その問いを受けて頭に過ぎったのはやっぱり──
──幼馴染の顔だった。
(……あ。思い出した。ここ……)
最初からあった既視感の正体が分かった。
あの入口の道路や、見回した風景……どこかで見たことがあると思っていたが、この場所はかつてサッカーのグランドだったのだ。あの時は芝生が一面に敷かれていて、少年用のサッカーコートがいくつかあった。
昔、少年サッカーの試合に出る正英の応援にここを訪れた記憶がある。よくよく思い出すと、確かに記憶中の風景と今見ている風景に合致している部分がいくつもあった。ただ道路の入口にあった住宅街は以前山か森だったから、あの辺の景色は見覚えがなかったのだ。
「どしたの? ……あー、なんかゴメン。そうだよね、誰にも言い辛いことってあるもんね」
「ああいや、そんなんじゃないから!」
答えないアタシのせいでパーマーに余計な気を回させてしまった。
「ただ単にレースより優先するものがあったの。そんな感じよ」
自分で言って再認識する。
──
トレセンに入ったら正英とは一緒にいられない。
それだけの理由だった。恥ずかしくて他人には言えないけれど。
──レースなんかより。
(……え?)
──レースなんかより。
なぜかその言葉が頭から離れない。
──レースなんかより。
先程まで胸の中を満たしていた正英が、さっきレース後に見上げた美しい空によって浸食されていく。
──レースなんかより。
正英の声が、レース後の高鳴る鼓動によってかき消されていく。
──レースなんかより。
──レースなんかより。
──本当に?
「え……あ……」
頭が混乱してきた。
何が何か分からなくなってきた。
ここに……コースにダイワスカーレットがいてはいけない気がした。
「どうしたの?」
「いや、えっと…………アタシ、帰るわね」
「え?」
「それじゃあねパーマー! あ、ゴムありがとう返すわね。縁があればまた会いましょ」
ツインテールにしていたゴムを外しパーマーに押し付けるように返した。
呼び止めるパーマーや幼いウマ娘たちの声を背にして、荷物を拾ったアタシは全速力でグラウンドを去った。