「…あなたが私のマスターですか」
メドゥーサ。神話の時代の怪物。石化の魔眼を筆頭として非常に対策しにくい宝具を併せ持つ存在。
座に刻まれた『幼くありたい』という願望としての現界した私は、明らかに子供だった。だからといってステータスは他のサーヴァントに劣るわけではない。
「ん、そうやね。全く儀式はわからんし、ゆっくり行こか」
不思議な人だ、と最初は思った。魔力の質だけはいい子供。かといって魔術師にあるような破綻した考えを持っているわけではない。
聖杯への願いなんて何も言わなかった。寧ろそれすら私から聞いて驚いたものだ。いつのまにか霊体化もできなくなっており、体の中に血液が通る感覚がある。
「聖杯ねぇ…そんなもん望みじゃあらへんのよ。ボクを守ってくれんならええよ」
令呪なんか使わなくてもいい、というよりそんなことができっこない。
そんな態度を取っている彼は私にご飯を作ろうとしていた。ちょっと待っててな、なんて優しい言葉を添えて。
ピンク色の部屋のベッドの上に鎌と一緒に放置された私は困惑した。確かに聖杯にかける願いなんて何一つない。誰ともかかわらずに少女として生きていてもマスターは許してくれるだろう。
(…本当に、おかしな人ですね)
鼻に塩で整えられたスープの匂いが鼻につく。食べさせるためにわざわざ温めてくれたガスの音も聞こえる。
マスターの家に、いていいのか。
こんな人を、巻き込んでいいのか。
その言葉すら言えないまま、私の聖杯戦争は始まったのだ。
「…ということです、マスター」
聖杯戦争なんてものも理解した様子もなく、彼は最後の言葉だけへの感想を伝えてきた。
「マスターなんて照れるなぁ。気軽にナオヤとでも呼んでくれや。…ほな、いろいろと買いに行かんといけんし」
ナオヤと名乗った少年は私と暮らすための買い物をしに行こうとしていた。どうやら当世風の洋服が必要とのことらしい。
「…いえ、私もついていきます。そもそもナオヤはマスターとして守ってあげなければなりませんから」
驚いたことに、その言葉は私の中ですっと出てきた。人間は嫌いだと、心のなかで軽蔑しているとは到底思えない。
「…ほなおねがいしよか。どんなもんかわからんやけん、好きなもん選びゃええよ」
紫色の髪を隠すように淡い水色のパーカーが被せられる。下はまだしも上の鎧はやはり目立つのだろう。ほのかな柑橘系の匂いが体のそこかしこから発され始めた。どこも違和感はないし、寧ろ心地良い。
「…ありがとうございます」
「おおきに。守ってくれる人やさかい、助け合わんといけんからなぁ」
のんびりとしているのにどこか守らなければならないと思ってしまう。あの神殿に現れていた気持ちの悪い人間とは違うことがどうしても不安を感じてしまうのだ。
「…お願いします」
たとえ仮初めのサーヴァントだとしても、マスターを守ることくらいはしなければならない。人間嫌いだと自覚しているのにその言葉は嫌悪感を乗せずに出てきた。
ふと戦場になるであろう町を眺める。過ごしていく町として、人を守るための場所として。
密かに胸に疼く衝動は、きっと魔力の異常だと。
そう感じる自分を、少し違うと感じて。
彼は私にやりたいことをやらせてくれた。とりあえずで買ったボーイッシュ系のファッションもしたし、下着にまで買うときは私と離れずに見ていてくれた。
無意味であることを語っても「遠慮しないで」と済まされた。なぜなのかはわからないがこの見た目なのだからあり得るのかもしれない。
昔過ごしていた怪物ではなかった自分。女として欲情されることない長身の自分。
もとに戻ったとしても、座にいる
「…私はどうしたらいいんでしょうか」
「知らへんなぁ。まだボクもあんたも若い身空や、毎日過ごせばええ」
指先に冷たい感覚。いつのまにかナオヤはペットボトルを私の体に当てた。最も不思議なのは気づけなかったことだ。
(もしかしてマスターの魔術は隠蔽関連?いや、それにしては明らかに怪しげだし…)
人目を気にして行動しなくてよいのに何をしているんだろうという話になるのだ。もちろんナオヤが善良過ぎるというのもあるが、だからといってその程度の悪巧みを思い浮かばないわけがなかった。
「…ほら、飲みな?それとも居候さんはこういうの嫌いやった?」
「いえ。少し驚いていただけなので」
円滑なコミュニュケーションに問題となるので早急に渡された中身を飲み干す。僅かに舌を刺す痛みとその下に隠れた甘酸っぱさ…正直、好きなものではあった。
「ありがとうございます。残りをもらっても…」
「ボクの飲みかけでもええんやったら」
揺れている液体をじっと見てしまう。ナオヤの唾液が入り、己の好む味がする飲み物。それは血にも見えるほど赤く、フツフツと湧き上がる泡は興奮した血潮のようで─
(…いや、何を考えているんだろうか。彼はマスターなんだから余計なことを抱かないほうがいい)
ともあれ、飲みかけを思考とともに一瞬で飲み干す。先ほどよりも甘くなっているのがますます嫌になる。
「ほな戦闘は避けたいんやけどねぇ。…あんさんと似たような気配の子があそこにおんねや」
彼の言葉は俄には信じがたいから嘘なのだろうと思いつつ、魔力を感知し─驚愕した。
「…なんで私よりも先にわかるんですか」
実際サーヴァントの気配は確かにある。これはきっとデコイとして置かれているものだと仮定しても、この量を魔力を使わずに見つけられたのは恐ろしい。
「それはお家芸ってもんや。とはいえ威張れるようなことでもあらへんし、監視の効果がないか確認してから放置しましょか」
本当のサーヴァントの可能性は思ってもないナオヤは速く体を動かし続ける。いつのまにかはぐれてしまっていた。
(マスターとしてどんな速さを…!?)
魔力パスのか細い糸を頼りにナオヤの気配を追う。通常なら走り出せば見つかるはずなのに、彼はもう既に遠い。
霊体化ができないことは不便に思っていないが─
─こんなにも彼と離れることが恐ろしいことだとは思わなかった。
彼がいたのは静かな広場だった。最も、静かだからといってナオヤが戦闘しているのは変わらない。
なぜ音が出ないのか。両方ともに攻撃がかすりもしていないからだ。
「最優の騎士、セイバー。まさかボクがこないな輩とやるなんて驚きやわ」
斬り上げや刺突が当たらない、かといって踏み込まれないギリギリの範囲で戦うのはまるで舞のようだ。
「こちらこそ驚いた。まさか徒手空拳のみでサーヴァントに肉薄するマスターがいるとはな」
黒髪のセイバーが笑いながら言う。ホクロに吸い込まれそうになることもなければ、剣の通じない未知なる相手。興奮しながら戦っていることは明らかだ。
(私は、どうすれば…?)
「あー、気にせずに家に戻っとけばええよ。なんか気のええ太刀筋しとるあんちゃんや、丁重に守っとけばなんとかなるやろ」
瞬間に回し蹴りを叩き込み、ナオヤはセイバーを転倒させる。どちらが格上かは明らかだった。
「名乗りぃや。あんさんの技量じゃ日が昇る前に殺されんちゃう?」
「…フィオナ騎士団一番槍、ディルムット・オディナ。貴公は?」
「ナオヤ、や。対戦よろしゅうお願いしやす」
勝負にすらならない。不自然にセイバーが止まった瞬間、首を一息に飛ばす。刀など持っていない彼は己の腕力のみでそれを成し遂げたのだ。
「…逃げて!」
しかし核が砕かれていないことを理解してナオヤに発言すると、となりに小さな風がそよぐ。
目の前にいたセイバーは既に頭を再生しており、とてつもなく嫌悪感を感じる。
「おお、怖い怖い。なんやこいつ、バケモノやんけ」
「ふむ、次は本気で行こうか。まさか逃げるなぞ…勇者にあるまじき行動はとるまい?」
セイバーはにやりと笑ってナオヤを見る。裾についた土を手で払うナオヤは、やはりいつも通り変わらない。
(なあアナちゃん、マスターとやら探しといて?こっちはボクが落とし前つけるさかい気にせんでええから)
(…わかりました、マスター)
「せやなぁ、あんさんと戦うのもアホらしいしとっとと決めなアカンなぁ」
「では、負けると?」
「そないなわけないやろ。ここで殺したる…と、言いたいんやけどな」
彼は肩をすくめてくるくると指を回す。もう既に終わったかのようなその気の緩みは、明らかに異質だった。
「居候さんの
(………は?)
彼の言葉に動揺した瞬間、見覚えしかない矢がセイバーへ刺さり、既視感のある微笑みがたった一人を殺すために向けられる。
そんな、まさか。
あり得ない現実は確かに私の目の中にあった。嘘だ、嘘だ。信じられるはずがない。塵になっていく眼の前のセイバーよりも後ろから来ているであろう二人は、確かに既視感しかなかった。
「…あら、
「そうよ、
昔の神殿でかけられた言葉となんら変わりのない理想の彼女たち。
片方は担がれ、片方は己の足で立っている。核がひび割れる音が遠くへと鳴り響く。
ナオヤは姉様たちを見てもそんなのんびりとした口調で話を続けた。
「……ふぅむ、居候さんよりも少しだけ大きいんやねぇ」
あまり見とれたりはせず、単に現れたことだけに驚いているだけの彼に姉様たちは言葉を浴びせる。
「あら、そんなことを言わないでほしいわね。そもそも私たちのような
「そうよ。…あなたもそう思うわよね、アステリオス?」
エウリュアレ下姉様を乗せている彼もよく見ればサーヴァントである。…というより、バーサーカーにしては非常に理性的だ。
(姉様たちが魅了しているわけでもない?)
「うん。えうと同じ」
優しく下姉様に同意したのを見ると、本当にバーサーカーとは信じられない。まだそこらへんにいるような大きい子供と言われたら信じてしまうかもしれない。
「紹介するわ、
「…」
オロオロしているアステリオスさん…は、とりあえずペコリとした。優しい人だ。
「まあいいのよ。とりあえずキャスターが受肉させてくれるからあなたも受けて…ん?」
「やめてくれや。ボク自身のことなんて気にしなくてもええんちゃう?」
始めてナオヤは怒りを示した。静かに、けれども強く。
「いいえ、仮にも
わかってはいけないこと。そのように考えてはならないこと。
ぐるぐる回る頭の中にある違和感をつなぎ合わせていく。
召喚された部屋の色がピンク色だったこと。
男なのに居候を気にしていなかったこと。
洋服からしたのが甘い香りだったこと。
下着について動じていなかったこと。
それら全てが照らし合わせてナオヤに対するある一つの事実に繋がっている。
「…やめい。別にボクの性別なんぞ気にすることでもないわ」
「あら、何も詮索していないわよ?それは答えを言ってしまうのと同義ではなくて?」
炙られたロウのように顔を歪ませるナオヤは─
─女性、だった。
衝撃的な事実のあと。
姉様たちからの話を整理すると。
曰く、聖杯はもう集める機能を持っていない。
曰く、キャスターの魔力とサーヴァント一基だけで全員の受肉は事足りた。
曰く、キャスターのマスターが戸籍を用意してくれた。
曰く、そのまま過ごせばそれでいい。
ナオヤにとって色々と悩んでいることもあるだろうけど、ひとまずは彼女を横抱きにして帰ることにした。
「あと、あなたの名前は
「…心づかい、ありがとうございます」
名字は変わらないから、と。姉様たちと別れて彼女を運ぶ。この私とそう変わらないだろう年なのになぜこうなっているのかはわからない。
「…ボクの意見は…?」
「…守ります、ので。ナオヤは寝ててください」
私は魔眼で眠らせる。石化しかできない魔眼のはずだったが、この幼い体ならある程度の調整は効く。
こちらによりかかってきた彼を手に持ち、窓をそっと開けて彼女をベッドへと運ぶ。
(お守りします…)
私とそう変わらない背丈のナオヤへと抱きつく。聖杯戦争がないものとはいえ、この後にどのような生き方をするべきなのかはわからない。
そのまま二人で落ちるような眠りだった。
ナオヤは─つまるところ、旧時代の名家に産まれた存在だった。
男尊女卑。「禪院家に非ずんば呪術師に非ず 呪術師に非ずんば人に非ず」と口にするほど独善的な家風でもあり、相伝の術式を引き継いでいない者は術師であっても落伍者として人生を始める。
そして女である以上はスタートラインに立てない。だが、ナオヤはまだ運がよかった。
『あくまで家から救い出してやる。すぐ離婚するだけの一夜限りの関係でもいいなら婚約してやってもいい』
そんなことを言い放った男はナオヤとすぐに結婚をした。金を積んでなんとかしたらしいけれど、当然ながらそのことはすぐにバレてしまった。
故に逃げていた。女だということを隠し、男として振る舞ってきた。
だが、もうそろそろバレてしまう。この儚い生活は終わってしまうと理解していた。
幼くありたい。都合の悪いことから目を逸らしてしまいたい。
いつまでも「そうあれかし」と望んだ結果─メドゥーサと会った。
たった1日だけの居候だとしても、自分と変わらない年の少女との親交はとても嬉しかった。ナオヤにとっての唯一の救いと等しかったのだ。
…だからこそ、怖かった。
彼女に嘘がバレてしまうことが。自分のことを嫌わずにいてくれた女を裏切ることが。
ナオヤは逃げることを決めた。そう、決意したのだ。
胸にあった熱い血潮を凍らせて。
速くなる心臓の音を制御して。
「…なんでおんねや」
私がいることがそんなおかしなことなのだろうか。ナオヤはこちらのことを不思議そうに見つめている。
「言ったでしょう、ナオヤ。あなたは私のマスターであり、私はマスターの障害となるものを排除する、と」
ナオヤを傷つけていたゴミどもの首を投げ捨て、血まみれのか細い腕で抱きしめる。
「あなたを傷つけたものは望み通り、殺しました。女であることは、最初から見抜いていました」
嘘にしか聞こえない言葉も、ナオヤは信じてくれるだろう。
「嘘も許します。女だろうと嫌いません。あなたのように、救われたのです…ですから、お願いします」
「…私と、ずっと一緒にいてください」