地獄より我らが父へ   作:XP-79

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No.10 置き去りの子供達

 

 

 

 焦凍には耐熱体質も耐冷体質も無い。

 

 そもそも人間の身体は2つの個性を扱うように出来てやしないのだと思う。

 だから神様は炎と氷の両方を呉れた代わりに、それを耐える体質を奪ったのだろう。

 そんな具合であるので、気を抜いている時に熱湯を浴びると肌は焦げるし、初春の空気は身に凍みる。

 

 

 吐瀉物で汚れた服が冷えて肌に貼りついている。焦凍は震えて物音を立ててしまわないよう必死だった。

 後部座席の足元に丸まって、車に載せてあったひざ掛けを被っているだけなのだから、父が少しでも不審に思って後ろを向けばバレてしまう。

 僅かな物音もたてず、今どこを走っているのかも分からないまま焦凍は口に手を当てて、先程、居間で起こったことを思い返していた。

 

 

 父と姉が何を話していたのかは聞こえなかった。しかし父が怒って、姉はそれ以上の勢いで怒っていた。

 

 訓練場から居間まで這いずって行ったのは、姉が心配だったからだ。

 姉は毎日ご飯を作って、掃除もしてくれる、この家でいっとう自分を気にかけてくれている、白い髪の綺麗な人だ。

 姉というより殆ど母親みたいな存在だった。

 

 そんな姉が父と居間に行ってしまった。父と並んで歩く姉は白い陶器のお人形のようで、父に殴られたら一発で木っ端微塵に粉砕してしまうように見えた。

 心配しながら障子越しに聞き耳を立てた。2人の言い争いの最中に大木を素手で引き裂くような音と炎が上がり、すわ、父が姉にも暴力を揮ったのかと頭に血が上った。

 

 しかし障子を蹴り倒そうとした矢先、床と壁を霜が覆う。

 同時に姉のぶち切れた罵声が父の頬を張り倒した。

 

 

 ………あ、冬美姉ぇって全然強い人なんだ。

 

 

 その気づきを裏付けるように氷は廊下を伝い、庭の池を凍らせて、果ては屋根にまで到達した。もうこの家を丸ごと氷漬けにせんばかりの勢いだった。

 父は凍りついた障子を素手で引き裂いて居間を出て行ったが、姉は父の足元に氷柱を生やしながら大魔王みたいな勢いでズンズンと廊下を踏みしめて後を追う。

「逃げるなぁあ!!また逃げるの!?燈矢兄から逃げて、私からも逃げて、アンタは自分より弱いヤツとしか戦えないってェの!?」

「ふ、ふゆみねぇ……」

「逃げるな!!そのデカい図体池に沈めて氷漬けにしてインテリアにしてやる!!」

「、ふ、ふゆ、」

「燈矢兄と焦凍に弱っちい自分を助けて下さいって惨めったらしく頼めば良いわ!!」

「、あ。あわわ」

 

 あわわわわわわ

 

 すごい。強い。

 なんならちょっとこわい。

 

 しかし父は足元を凍り付かせる氷を何にも思っていない勢いで歩いている。

 個性は使っていない。素足に張り付く氷を単純な力だけで引き剥がしている。常識外れのバカ力なのである。

 

 このままだと父は家を出て行ってしまうだろう。父を留めるには冬美姉ぇの氷では足りなかった。

 「冷、冷……」と、父は寝言のように母の名前を呼んでいる。

 

 冬美姉ぇから、お母さんは心が風邪に罹ったので入院していると聞いている。

 3年間も治らないのだからきっと酷い風邪なのだろう。父が会いに行ったらぜったいに悪化する。

 

 焦凍は急いで居間に飛び込んだ。

 冬美姉ぇが車内の掃除をするために、車の鍵の予備を置いてあることを覚えていた。

 

 

 

 ────まだ心臓がばっくんばっくん鳴っている。

 素足で居間から駐車スペースまで直線距離を走ったおかげでなんとか間に合った。

 しかし寒い。胃液を被った肌は冷たく、素足に食い込んだ石が痛い。

 

 そうして暫く耐えていると車は停まり、父の足音が遠のいて行った。 

 暫く待ってから車を降りる。見覚えのある場所である。病院だ。火傷や怪我を治すために、何度か冬美姉ぇに連れて来て貰った場所だった。

「……お母さん」

 お母さんはここに入院していたのか。

 ぎゅ、と胸の辺りを掴む。

 

 何だか、怖かった。会いたくなかった。

 

 小学生の焦凍にはその理由を明確に言語化する事は適わない。しかし、自分に熱湯をかけた母親は自分を好いていないと察せられるくらいには賢かった。

 だが己の忌避感以上に、母が父に殴られるかもしれないという心配が優った。

 

 エントランスを通る。大きな病院らしくソファが沢山並んでいて、外来受付の前には列が出来ていた。

 父の姿はない。とっくに受付を通って母の病室に向かったのだろう。

 

 自分も受付を通って母の病室の場所を聞かなければと思ったが、それより先に事務員らしき女性が焦凍に声をかけた。

「……ぼく、どうしたのかな?」 

 親しみやすい笑顔を作ってはいるが口端は引き攣っている。

 

 焦凍は気付いていなかったが、吐瀉物塗れの服に素足で歩いている小学校低学年の子供は非常に目立った。しかも全身傷だらけで、周囲に保護者らしき人物はいない。

 どう見ても被虐待児である。

 

 事務員の女性は焦凍を刺激しないよう可能な限り穏やかな声を出したが、それが焦凍の耳には酷く非日常的に聞こえて、思わず一歩後ずさった。

「お父さんかお母さんはいっしょかな?」

「……お母さんが、ここに入院してます」

「そっか。お見舞いで来たのかな?」

 フルフルと首を横に振る。

 お見舞いのために来たのではない。お母さんを護りたくて来たのだ。

「そう。お母さんはどうして入院しているの?」

「心の風邪って……」

「そっかぁ……うん、あのね、まずはね、ぼくの怪我を先生に診てもらおっか」

「?」

「素足で歩いて来たでしょ。それに火傷があるからね。まずはぼくが先生のところ行こうね」

 良識と親切心からの申し出に、焦凍は心底焦った。

 そんなことはしてられない。父さんを止めるのが先なのに。

 ぱっと背を向けて走り出す。慌てた事務員の人が警備員を呼ぶ。

 

 

 振り向かないで走る。これまで病院に来たときはいつも姉が一緒に居たので、走り回る内にすぐ迷子になった。

 白い廊下を素足でぺちぺち歩く。案内板を見上げども、漢字で書かれているのでよく分からない。

 そもそも母がどこに入院しているのかも分からない。

「お母さん」

 お母さんは大丈夫だろうか。病院はどこもかしこも消毒液の匂いがして、少し冷たい。

 

 暫くすると疲れてしまって、その場に蹲った。

 どこに行けば良いのかも分からない。連絡も取れない。お母さんが心配で心臓が痛い。足は痛いし、体は冷たいし、独りぼっちだ。

 独りぼっちなのはいつものことなのだけれど。

 瞼をくしくし擦る。おい、と頭上から声が降って来た。

「目が痛むから止めろ」

 ほら、と頭を乱雑に撫でられる。見上げると、自分によく似た顔があった。

「………燈矢兄ぃ?」

「おう。何でここに居んだ」

 

 

 

 ■  ■  ■

 

 

 

 冷は子供の死と夫のDVをキッカケに発症した鬱病と統合失調症だと診断されていた。

 夫の面会が許可される訳も無い。

 なのでエンデヴァーは受付でしおらしい顔をして、「息子が生きていたそうなのです」と訥々と話した。

 

「は、あ。それは、」

「オールマイト直々に連絡がありました。どうやら確かなようです。それで、いつもは娘に妻への見舞いなんかを任せているのですが、流石に未成年の娘に頼むには酷な内容かと思い、私の方から妻に伝えるべきかと思って参りました」

「それは、その……本当にオールマイトが……」

「ええ。息子はオールマイトに助けられていたそうなのです。せめて一言、それを妻に伝えさせて頂ければ」

 

 精神科外来は他科より少し空気が固い。壁に貼られている啓発ポスターだけが鮮やかで、他の全てが網膜を刺激しないようモノクロで統一されているせいかもしれない。

 少々お待ちください、と言われてエンデヴァーは憔悴する夫の顔でソファに腰を下ろした。

 

 オールマイトの元に居る身元不明の孤児を口実にするのはあまりに卑怯ではないか、と、自分でも思う。

 しかし他に手段が無かった。オールマイトが燈矢であると断言しているのだから、それだけで余人からしてみれば死んだ息子が生きていたと思い込むのに十分な証拠である。外見や声が似ていないなど些末な事だ。

 自分がそう思い込んでいるだけで良い。

 あの男の社会的地位に感謝するのはこれが最初で最後であろう。

 暫く待っていると、「短時間でしたら大丈夫とのことです」と看護師が医者の許可を持ってやって来た。

 

 

 精神科の病棟に初めて入った。

 思っていたより何もない。観葉植物や絵画も無い。入院している患者は水辺を歩く鳥のように余所余所しい。

 彼らが着ているのは白い患者着で、さらに壁から床から全てが白いので、まるで自分一人が空間に浮いているようだった。現実離れして白い空間は、成程、茨と色彩が奔流する世間で傷ついた心を癒すのに適切なのかもしれない。

 名札の掛かっていない白い扉の前に立ち、一つ呼吸をして扉を引く。

 

 部屋の奥で、冷は溶けるように白い肌を白いシーツの中に埋めていた。

 虚空に注いでいた視線をノロノロとこちらに向ける。視線が合う。

「……冷」

「あ、、ぁ。」

 指名手配犯を見つけてしまったような顔だった。視線を左右に走らせ、逃げ場がないことに気付き顔色を失う。

 ここは個室だというのに。当然のことすら気付けない程に彼女は混乱していた。

「冷、聞きたいことがある」

「い、、、あ、ぉ」

「怒りに来たんじゃない。聞きたいんだ」

「お……、、、?」

「冬美から聞いた。その……お前が、レザーフェイスの名を知っていたと」

 冷はレザーフェイスの名を聞き、眼球の形が分かるくらいに瞼を開いた。

「………なあ。これは、お前を責めたい訳じゃないんだが、」

 エンデヴァーは冷を刺激しないよう、静かにベッドに近付いた。

 

 AB型の親からO型の子供が産まれるのは全く有り得ないことではない。

 親がシスAB型であったり、子がボンベイ型であったり、血液型が隔世遺伝したりと、様々な可能性が考えられる。

 だから血液検査だけでは事実は分からない。

 

「お前、レザーフェイスに───俺の精子と、お前の卵子を渡して、“最高傑作”を作らせたのか?」

 

 可能性は、ある。

 むしろその可能性が最も高い。

 

 焦凍の個性は奇跡的なバランスで成立している。

 耐熱体質も耐冷体質も無いというのに、両極の個性を図ったように均等に組み合わせ、反動無く個性を使うことが出来る存在など通常ではありえない。

 奇跡───まさに、神の作意すら感じる程の奇跡だ。

 自分と燈矢を継ぎ、オールマイトを超えるべく奇跡の“個性”を持って産まれて来たのだ。

 仮にそれが偶然ではなく、レザーフェイスの手腕による結果であったのだとしても、焦凍が自分の血を継いでいる限りその確信には聊かの揺るぎも無い。

「それを責めるつもりは無い。むしろ、お前がヴィランに頼らざるを得なかったのは、俺が原因なのだろう」

「……………」

「相談はして欲しかった……だが、焦凍が俺達の血を継いでいるなら、それでいい。お前も、もう前を向いて……」

「……………」

「……いや、これは俺が言うべきことじゃないな。ただ、それを確認したかったんだ。突然来てしまってすまなかった」

「……………」

「冷、答えてくれ。そうなんだろう?焦凍は俺の子供なんだろう?」

「……………」

「なぁ、一言だけでいい。何でもいい。言ってくれ」

 ベッドサイドに立ち尽くす。エンデヴァーはただ、冷のその一言を待った。

 焦凍は轟炎司の子供だと。

 その一言だけで良かった。それが真実であれ、どうであれ、冷がそう言ったのであればエンデヴァーは信じた。

 オールマイトを倒すため、自らの血を受け継ぎ、奇跡の個性を持って産まれた仔。その存在を支えるためなら、過程に何が挟まっていようと、死ぬまで眼を瞑っていてやってもよかった。

 

「しらないワ」

 

 冷は低俗なメロドラマでも見てしまったような顔でぱちりとマバタキした。

「知らない?」

「しらない。あなたの精子と私の卵子を渡したけれど、とにかく、あなたが望むような個性があることをユウセン条件にしたから」

「だが、俺とお前の子供である可能性は高いのだろう?」

「さア。燈矢も冬美も夏雄も、私の個性の方が強かったでしょう?3分の3でそうなるってことは、氷冷系個性の方が炎熱系個性よりイデンテキにユウイなのかもしれないわね」

 口調には一切の抑揚が無かった。声は明瞭であるのに聞き取り辛く、AIが台本を読んでいるようだ。

 直感的に頭がおかしいと分かる喋り方に、これがあの穏やかな妻の成れの果てかと、心臓が冷たくなった。

「………つまり、俺が父親で、お前より弱い氷冷系個性の女が母親、という可能性もあるんだな」

「えエ」

「だが、そうでない可能性もある」

「そウね」

「………何故レザーフェイスを知っていた?」

「実家がよく仕事を頼んでいたかラ。血が濃いと障がいが出やすいでしょう?それでレザーフェイスに、障がいの無い受精卵をせんべつさせていたノ」

 名家らしい話だ。古い家は個性を強くするために近親婚を繰り返す。利益のためならヴィランを利用することも厭わない。

「だがヴィランは口が軽い。デザインベビーなんて話が漏れれば家の格は地に落ちるだろう」

「ウチにはもう、そんな体裁気にする余裕なんてナカッタの。それにあの人、口は堅イわ。無関係の人にべらべらしゃべったりシナイ」

「それじゃあ焦凍の血縁についてレザーフェイスが誰かに漏らす可能性は低いのか」

「でしょウね」

「………お前は焦凍の父親も、母親も知らないんだな」

「ええ」

「何故聞かなかった」

「きいて、どうするの」

 灰がかった瞳がこちらを滑るように向く。

「だれの子供だからどうだっていうの。私が産んだんだもの。だれの血を引いていようと、私の子供よ」

「では何故熱湯をかけた」

 その問いに冷は初めて人間らしい反応を見せた。

 肩を強張らせ、シーツの上で指を強く握り締める。

「焦凍が、俺に似ているからだろう。それは、俺の血が入っていると知っているから───焦凍の、俺の血を受け継いだ半分を焼いたんじゃないのか?」

「ちがう」

「お前、本当はレザーフェイスに焦凍の父親を聞いていたんだろう」

「ちがうわ」

「俺が焦凍の父親なんだろう」

「しらない……」

「そうなんだろう。冷、俺は焦凍の父親なんだろう!そうなんだろう!?」

「しらない、しらないったら!」

 

 わあああああ!

 

 妻は叱られた小さな子供のように悲鳴を上げてシーツに籠った。

 憐れっぽい様に頭に血が上った。

 

 つまり、妻は夫がヒーローでありながらヴィランと関わり、相談もなく焦凍を作り、挙句に熱湯を浴びせた。

 さらに焦凍が誰の子供なのか言おうともしない。

 その癖、自分は被害者ぶって小さな部屋に籠り、子供のように喚いている。

 苛立ちと怒りが喉を押し開いた。喉から炎でも吐き出そうに熱かった。 

 

 

 背後でがらりと扉が開く。

 振り向くと、イレイザーヘッドと焦凍、それに白髪の子供が立っていた。

「ッ、ハ、……し……焦凍、どうしてここに、」

「失礼します、エンデヴァーさん。焦凍君が病院内で迷子になっていたので……」

「ッ、出ていけ!!出て行ってくれ!!」

 咄嗟に冷の前に立ち塞がった。

 精神的に不安定な冷と、焦凍を会わせたくなかった。何を口にするか分からない。

 

 焦凍は母を慕っている。

 冷が実の母親でないかもしれないなどという話を耳に入れる訳にはいかなかった。

 焦凍は何も悪くないのだ。

 

「イレイザーヘッド、頼む………頼むから、暫くその子を外に連れ出してくれ。妻は───」

「お母さん」

 不安げな顔の焦凍の手を握っていた白髪の子供が一歩踏み出した。

 火傷の酷い顔。オールマイトが送った写真と一致する。

 

 こんな所まで来たのか。死んだ燈矢のフリをして、冷の精神に負担がかかると分からない筈が無いだろうに。

 頭に血が上った。ツギハギの顔が罅割れた家族の象徴のように憎らしかった。

「違う。お前の母親じゃない。出て行ってくれ」

 見下ろすと、記憶にある燈矢よりずっと身長が高い。低い声も細い手足も、燈矢とは似ても似つかない。

「お父さん」

「違う。焦凍を連れて来たことには感謝する。だが、今は、」

「お父さん」

 ぐ、と歯噛みする。

 こちらの話を一切聞こうとしない態度が、ほんの少し燈矢に似ていて、疎ましかった。

「出ていけ。俺はお前など知らん。不愉快な嘘を吐くな」

「……変わってねぇなァオイ。客観視すると激ヤバだわ」

 ハハハ、と、子供はそういう楽器みたいに感情の無い声で冷笑した。

 親に縋る哀れな子供には到底見えない。白い壁に背を預け、観劇でもしているように片眉を吊り上げる。

「あー、マァ、いいよ、いいよ。想定範囲内。今日はお母さんに会いたかっただけだし。お前を殺す準備もしてねェし……つか、精神病院来てまで妻にDV繰り返すとかヤバくね?医者から面会許可出てんの?」

「出ている。部外者が口を出すな」

「『部外者がクチヲダスナァ!!』かァっこいい~。マジ、お父さんってDVクソ野郎のクセに声だけは良いよな。CV雇うのに幾ら払ってんのォ?」

 明らかに小馬鹿にしている口調に握りしめた拳から炎が零れる。

 それがふっと消えた。

 イレイザーヘッドを見る。プロヒーローになって間もない青年の両目が赤く光っている。

「エンデヴァー。病院は火気厳禁ですよ」

「……イレイザーヘッド、そいつを連れて帰ってくれ。ウチの家族の話だ」

「ここに来る途中医者に聞きましたが、貴方はオールマイトが保護した轟燈矢についての話をするために奥さんへの面会を許可されているんですよね」

「………」

「その当人が此処に居るんですよ。それが何故部外者と?」

「……そいつは燈矢じゃない」

「じゃあ貴方が奥さんと話す口実も無い。焦凍君以外の全員が此処に居る権利は無い。早く出た方が良いでしょう」

「未だ話は終わっていない」

「シーツに包まっている病人を追い詰めて迄する話ですか。冷静になって下さい」

 白いシーツの塊を見る。嵐が過ぎ去るのを待つ小さな子供みたいに震えている。

 どう見ても子供の親をやっていられるような精神状態ではない。

 

 相澤は、これは燈矢には会わせられないと判断し、「ともかく、出ましょう」と有無を言わさず全員を部屋から追い出した。

 

 

 

 

 

 

 

 病室から出たエンデヴァーは気まずい顔をして、「仕事だ、」とその場を去った。

 燈矢の方を見もしなかった。

 だが燈矢は背けた横顔から逃げていく背中までをかっぴらいた瞳孔で見据えていた。

 視線の熱だけで焼け付くのではという様子に、いつ炎を出さないか気が気では無かった相澤は燈矢に個性を使っていた。

 何とも思っていないような様子を必死に繕う子供の顔をずっと見ていた。

 

 エンデヴァーが去ると、燈矢は何事も無かったように肩を竦めた。ポケットからスマホを取り出して、あ、と笑う。

「冬美ちゃん、久々に『個性』使ったせいで加減が分かんなくってスマホも家の電話も壊しちゃったんだって。ウケる」

「………」

「焦凍、お前もいい加減スマホ買って貰えよ。友達と連絡するのにスマホ無いと不便だろ」

「……ン」

「………燈矢」

「それで夏君のスマホから連絡あったんだけどさ、冬美ちゃん焦凍の迎えに来るって。つかその服なんだよ。靴もねぇし。寒いだろ」

「さむい」

「ほらジャケット着とけ。AMI PARISだからな。汚すなよ。靴は、あー。どうすっかなぁ」

「燈矢」

「冬美ちゃん来るまで座っとくかァ。この病院スタバあンだろ。俺ホワイトホットチョコレート飲みたい。あとコルネッティ」

「燈矢、大丈夫か」

 背中を撫でる。

 信じられないくらいに冷たかった。体温が微塵も感じられず、細かに震えていた。

 暖めるように何度も撫でていると、長い間呼吸を忘れていたように昏い色の息を吐いて、壁に背を付けてずるずると座り込んだ。

「………あんま大丈夫じゃない」

「そうか」

「………オールマイトに会いたい」

 オールマイト、と御守りを握り締めるように口の中で繰り返す。

 

 次の瞬間には頭を抱えて、「ッう゛ー、ッう゛ゥー!」と大声で呻き出した。髪を引き抜いて両足を床に叩きつけながら、口の形だけは笑っている。

 気が狂う寸前の有様だ。どう見ても限界だった。

 

 無理もない。元から父親への執念で生き延びていたような子供だ。3か月前まで希望も未来もない、棺桶に入って荼毘に付す寸前みたいな有様だった。

 それがオールマイトに救われ、自分も加わって、ぎこちない疑似家族を形成した。

 年齢も立場も性格も違う寄せ集めの3人だが、居心地は悪く無かった。この3か月で燈矢は少しずつ周りを見るようになって、ほんの少しだけ未来へ眼を向けるようになっていた。

 

 その矢先に再び父に出会った。現実を真正面から突きつけられたのだ。傷ついた子供には重過ぎる負担だった。

 

「────と、燈矢兄、オールマイト好きなの?」

 ペチペチと素足で床を歩きながら、焦凍は燈矢の顔を覗いた。

 燈矢は最高傑作を前にして呻くのを止め、代わりに眼球をかっぴらいて歯を剥き出しにした。敵に弱みを見せまいとする野犬の顔だった。

「うるせぇ」

「僕はオールマイト好き」

「黙れ。しねよ………」

「あ……あのね、僕───僕、オールマイトみたいなヒーローになりたいんだ………」

 兄の上着をひっかぶった焦凍は、重大な秘密を打ち明けるように燈矢の耳元で囁いた。

 その時の燈矢の顔は、寂しい様な、裏切られたような、しかし深い納得もあるような顔で、相澤はかける声が見つからなかった。

「………だから何だよ」

「あの、あのね、お母さんがね、好きな人になっていいって言ってくれたの」

「………うん」

「僕、お父さんより、オールマイトみたいなヒーローが良くって……」

「じゃあ、好きにしろよ。俺が一番お父さんのことを好きなんだから。焦凍は……オールマイトだろうが何だろうが、俺にゃ関係ねぇ」

「燈矢兄は?燈矢兄はオールマイト好き?」

「ヒーローとしちゃあそりゃあ好きだよ」

 強張っていた顔が崩れ、耐えきれないといった声で笑った。

「でも俺は、それだけじゃあダメで、足りなくって……違ったんだ。俺は」

「?好きなんだ。じゃあおそろいだ!」

 にぱり、と焦凍が笑った。虚を突かれて眼を見開いた燈矢の顔は焦凍によく似ていた。

「おそろい?」

「うん」

「ヤ、違うと思うぜ」

「そうなの?」

「そうなの……俺ってもうちょっとばかし複雑だから」

「でも好きなんでしょ?」

「……おう」

「じゃ、おそろい」

 兄に構って貰いたいのか、焦凍は投げ出した膝に勝手によじ登った。

 

 思えば、兄姉が3人も居るのに禄に遊んで貰ったことの無い末弟だ。情緒は年齢の割に未発達で、己の複雑な家族構成もまだよく分かっていない。

 それより滅多に会えない兄が迎えに来てくれて、嬉しくってならないようだった。しかもオールマイトが好きという共通点も見つかった。

 

 無邪気な最高傑作をじっと見て、燈矢は火が消えるように笑った。

 立ち上がると焦凍がベチリと地面に落ちる。 

「こんなんなのかよ。ガキじゃん」

 何が「こんなん」なのか自分でも分からないまま、燈矢は頭を振った。

 きょとんとした顔の焦凍に向かって手を伸ばす。

 

 

 腕の先が黒い霧に飲まれた。

 

「え?」

 肘から先が見えない。黒い霧は肌を伝うように滑り、片腕と片足までもを絡め取って引きずり込む。

 霧は温かくも冷たくも無かった。

 そもそも本当に霧なのかも怪しい。腹には指の形をした霧が食い込んでいる。

 

 

 突如として黒い霧に飲まれた燈矢へ真っ先に反応したのは相澤だった。

 咄嗟に個性を発動させる。黒い霧が空中へ固定されたように止まる。

 同時に捕縛符を燈矢の身体に引っかけてその場に踏ん張った。

「何者だ!!」

「ッ、と、とうやに、」

「来るな焦凍!!離れろ!!」

「──シ、、……タ?」

 燈矢は歯を食いしばって黒いばかりの霧に眼を凝らした。ベストとスラックスが黒い霧の中に浮かんでいる。

 黒い霧は服を着ていた。本来なら手足がある場所から霧が伸びて四肢を絡めとっている。

 

 異形系か。

 人間を己の身体の中に取り込もうとしているように見える。かなり珍しい『個性』だ。

 

 しかし単純な力比べでは対人格闘が専門の相澤に利があった。

 加えて燈矢も藻掻いている。

 燈矢は捕縛布を握り締め、黒い霧から少しずつ抜け出そうとしていた。

「焦凍、お父さん呼べ!まだ近くに居ンだろ!!」

「え、あ、あ、」

「燈矢!ソイツ燃やせるか!」

「この安っちぃ布の方が先に燃えるわ!!もっと高ぇの使え!!」

「………ショー……」

「テメェ、何が目的だ!!」

 思いきり力を籠めれば燈矢の身体が大きくずるりと抜け出した。

 

 いける。さらに強く捕縛布を握り締める。

 予想の付かない『個性』だが、パワータイプではない。力比べでは勝てる。

 しかし個性を発動しっぱなしの両目が痛みを訴えていた。限界が近い。

 

 歯を噛み締めて両瞼に力を籠める。

 燈矢に覆いかぶさる黒い霧に一歩近づく。

 そうすると霧は黒一色ではなくて、水色が僅かに混じっていた。核のようなものだろうか。

 眼を凝らすと水色が揺らぐ。

 

 

 振り向いた顔はいつもみたいに笑っていた。それがどうにも気が抜けるような顔で、この男のこういうところがズルいといつも思っていた。

「ショータ」

 

 

 息を呑む。腕から力が抜ける。

 涙が滲む瞼がマバタキをする。

 

「白雲?」

 

 次の瞬間、燈矢は黒い霧に飲まれて姿を消した。

 燈矢の名前を叫ぶ焦凍の横で、相澤はその場に座り込んで呆然としていた。

 

 

 

 

 

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