大腿切断術が無事に済むと、医者から義足を作ることを勧められた。
だがカタログを開くなり現実に打ちのめされる。抗菌素材だのBluetooth機能搭載だの食洗器洗浄可能だの機能に差はあれど、お値段は最低でも3桁万円から。
ヒーロー活動にも耐え得る高性能型となると余裕で4桁を超える。
20代新人ヒーローにンな貯金がある訳も無い。慌ててヒーロー協会に連絡した。
窓口対応は嫌味な声の男で、イヤな予感がしつつ義足に労災は適応されるのか問うと「保険適応もない高性能義足に労災が適応される訳ねぇだろうが現実見ろ(要約)」という返答の後にガチャ切りされた。今までで一番ヒーロー辞めてやろうかと思った。
とはいえリハビリの為にはさっさと義足を買わねばならぬ。
唇を全部口の中に入れながら頭金+10年ローンを組み、その数日後。メールが届いた。
「デトネラット社 東京都支店 営業部
この度はヒーロー専用高性能オーダーメイド義足のご購入、誠にありがとうございました。
ご連絡頂きました通り当初の義足ローン契約を破棄し、クレジットカード(八木 俊典様名義)での御一括お支払いとさせて頂きました。
今後とも御贔屓の程よろしくお願い致します。
敬具」
「そんな気にしなくていいのに。君には凄く助けられちゃったんだからさぁ」
「気にするに決まってンだろ!!!!」
病室が揺れるくらいの大声が出た。
当の本人はお見舞いに持って来たリンゴを切りながら「大声出したら傷に響くよ」なんてノンビリ喋っているが、それどころではない。
こちとら何処に出しても恥ずかしくない小市民だ。いくら3か月も生活を共にしたとはいえ、上司にあたる人間からポンと高級車が買える金を出されたら喜びより恐怖が勝つ。この場合税金ってどうなるんだ。
「でも私の貯金なんて寄付と基金運営にしか使ってないし。むしろ有効活用っていうかね?」
「ちょっと待って下さいオールマイト事務所の労災じゃなくてアンタのポケットマネーから出したんですか!?」
「そっちの方が手続き早いから」
「社会人一年目でも許されねえ暴挙じゃねえか!アンタそれでも業界トップ事務所の代表者か!!」
「だって労災適応できるか微妙だったし……ていうか車は普通に受け取ってくれたのに義足は駄目なの?」
「車と義足は違ェンだよ!!こう、なんか……違うんだよ!!」
「相澤君がAFOと対峙した時よりビビってる」
最近の若い子って遠慮しがちなんだなぁとオールマイトは感心したが、若い子というのは全く関係無い。
単に自身の金銭感覚と一般常識がぶっ壊れているだけである。
そのまま相澤は暫くわあわあと喚いていたが、暫くすると疲れて黙った。まだ術後の疲労が残っているので大声を出す元気が無いのだ。
そのタイミングでオールマイトは相澤の目の前に飾り切りしたリンゴを差し出した。ネコの顔をしたリンゴを相澤は黙ってスマホで撮影する。
3か月も一緒に暮らしていたら機嫌の取り方の一つくらいは覚えるものだ。
「………アンタって少女趣味な上に無駄に器用ですよね」
「冬美少女に教えて貰ったんだよ。燈矢少年のお見舞いに来ていた時に偶然会ってね」
燈矢は同じ病院に入院している。
しかし術後すぐ一般病棟に戻った相澤と違い、何度も手術室とICUを行ったり来たりしている燈矢は身内ですら面会も儘ならない。
「そういや、燈矢はちゃんとウチに戻れるんですよね」
「吉田医師は命に別状は無いと言ってくれたよ。それに情状酌量が認められたし、燈矢少年に直接危害を加えられたエンデヴァーは一貫して彼を庇っている。保護観察処分の扱いだけどウチには帰れるさ」
「アンタとエンデヴァーが記者会見で矢面に立ったのは、アイツを庇うためですか」
「メディアも未成年者より保護者の方が叩きやすいだろうと思ってね。公の場であんなに罵倒されたのは初めてだったよ!」
「………貴重な体験をされたようで何よりです」
「うん!」
軽い口調で喋っているが、オールマイトとエンデヴァーが並んで行った記者会見は前代未聞の酷いものだった。
集まっていたのは各メディア報道陣と、自称ヒーロー有識者、個性差別反対過激派の面々等。揃いも揃って癖が強く、一般市民の「お気持ち」を背負った連中は口達者が揃っていた。
彼らは会見が始まるなりヒーロー側の釈明を悉く遮り、火花が散るような正義面で詰問、侮辱、罵倒なんかを時間の限り喚き立てた。
終始そんな有様であったので会見場所は地獄の様相に他ならず、視聴者側は逆にスンと冷えてしまった。
「なんで弁明しなかったんですか。『折れた肋骨が肺に突き刺さった程度の怪我でヒーロー活動を3日も休むオールマイトなんて信頼できない』ってバッシング受けてたでしょ。アレ見てて訳分かんなかったですよ」
「でも確かに休んじゃったし」
「眼窩骨折と片足切断だけで10日間も休んでる俺への嫌味ですか?その触手引きちぎってヤフオクで売っぱらうぞテメェ」
触覚を引っ張ると「痛い痛い」と大して痛くも無さそうに苦笑する。
コミカルな仕草だが、手術後3日間休んだことを気に病んでいるのは本心だろう。強迫性障害そのものだ。こんな人がバッシングを受ける世間がやるせなくってならない。
オールマイトはどうどうと相澤を諫めつつ、ネコのリンゴを口に放り込んだ。
「まあ私は良いんだよ。バッシングと言っても嫌がらせ以上のものは無い。問題はエンデヴァーだ」
「躊躇なく食った……そりゃ、虐待は事実だったんですからね。しかも燈矢の動画の内容を全部認めちまったでしょう。アリャまずかった」
燈矢が投稿した動画は既に削除されているが、一度世に出た動画はそう簡単に抹消されない。
どこかの誰かが再度投稿し、また削除され、また投稿されのイタチごっこが延々と続いている。
「個性差別はセンシティブな話題です。そもそもレザーフェイスに仕事を依頼した事を認めちまった。ヴィランとの金銭のやり取りはヒーロー資格の剥奪案件だ」
「でも今の状況でレザーフェイスの依頼人が断罪される前例は作らないだろう。政界や名家にはヤツの顧客が多い。レザーフェイスの注目度が高い今、それは絶対に避けたい筈だ。せいぜいが訓告止まりになる」
「信用の失墜は甚だしいでしょうね」
「そのことなんだけどさ。冬美少女、夏雄少年、焦凍少年の3人もウチで預かって欲しいとエンデヴァーから連絡があったよ。アンチが家に襲撃してくる可能性もあるからってさ。代わりに私の仕事の一部をエンデヴァーが肩代わりしてくれるって」
当然と言えば当然の提案だった。しかし最高傑作として執着している焦凍まで手放すのは予想外である。
「貴方は了承したんですか?」
「君さえ良ければそうしたい。燈矢君の傍には家族が居た方が良いと思う。神野で彼を救ったのはあの子達だ」
「でもそれは、エンデヴァーの活動範囲が増えるということですよね?」
「君の懸念するところは分かる」
オールマイトを非難する声は目立つが「お気持ち表明」の域を出ることはない。なにせ20年以上を平和の象徴として生きた男だ。彼に石を投げるのは理屈に依らない忌避感がある。
だがエンデヴァーに石を投げる者は少なくない。彼がオールマイトの活動範囲を食う形で活躍の場を増やすとなれば、バッシングは間違いなく過激化する。
「だが、彼はそれでも良いと言った」
「エンデヴァーが燈矢に殺されかかったところ見てましたよね?あの男、自暴自棄になってるだけじゃないんですか」
「それは無いさ。死は逃げだと彼は理解している」
もし子供達の中の誰か一人でも死んでしまっていたら、いくらエンデヴァーとはいえ折れていたかもしれない。
しかし子供達は全員生き残り、今はエンデヴァーの子供として社会から厳しい目を向けられている。
ならば父親として、彼は死んでも折れてはならなかった。生きて子供達の盾になることは彼の最低限の務めだった。
失礼しますと慇懃な声がした。
返事をする前に扉が開く。眉間にシャー芯なら挟めるだろう皺を作ったナイトアイが立っていた。
「チッ、入院中にすまないイレイザーヘッド、どうしても話しておかなければならないことがあってな、チッ」
「何で礼儀正しい挨拶の前後を舌打ちで挟むんですか。オセロでもやってんのか?」
「管理を任されている口座から突然1500万円引き落とされたと銀行から連絡を受けた事はあるか?」
「すみませんでした」
「オールマイトが詐欺に遭ったのかと思った。血の気が引いた」
2人目の被害者がベッドサイドに座る。間に挟まれた元凶が「私が悪かったのかな……」とぼのぼの汗をかいた。
「ご、ごめんねナイトアイ。驚かせちゃったみたいで」
「その『謝れば許してくれるだろう』というみっともない考え方を止めて下さい。いい歳して恥ずかしい」
「ごめん……」
「そもそも俺の義足にこの人が金出すって意味分からないんですよ。無かった事にして貰って、」
「男に一回出した金を引っ込めさせるのか?貴様はオールマイトを侮辱しているのか?」
「いや侮辱って訳じゃ」
「なら大人しく受け取れ。新人の分際で厚かましい。ところで朝から嫌な電話を受けたせいで喉が渇きましたね」
それだけ言うと此の世で一番の支配者という顔でナイトアイは勝手にリンゴを摘み始めた。
オールマイトがその隣でセコセコと紅茶を用意する。もう見慣れた相澤は全てを諦めて「ヒーロー用の高性能義足ってロケットランチャー搭載できるらしいな。追加して貰おうかな」と思考を飛ばした。
「それより話って何です?忙しいでしょうに何故わざわざ」
「簡潔に話すと、君にAFOとOFAについての情報を共有させて貰いたい。蛇腔病院での功績を鑑みると君が内通者である可能性は無いに等しい」
「OFA?AFOはあの、腹立つツラのヴィランですよね」
「そうだ。我々が知っているヤツの情報を君に渡す。だがその前に“未来”を視させて貰おう」
つまり、オールマイト事務所の極秘中の極秘事項をこれから話されるらしい。
AFOが常人ならざるヴィランであることは一度の邂逅で理解した。対抗するために味方を増やすにしても、蛇腔病院と神野の襲撃が察知されていたところからしてAFOの内通者はそこらに潜んでいる可能性が高い。
今後、自分が裏切るか否かを予知しておきたいのだろう。了承の代わりに手を差し出した。
「俺の未来が分かっても喋らないで下さいね。自分の末路なんざ知りたくもない」
「言われずともだ。残酷である以上に、私は君の未来に責任を負えない」
手が握り返される。
───マァ、どうせ大した人生でもない。十把一絡げのアングラヒーローの末路なんざ野良猫よろしく野垂れ死にと凡そ相場は決まっている。
ベッドの上で死ねれば上々。見るも無残な死に様だとしても、今の自分には関係が無い。
もしナイトアイが痛まし気に顔を顰めたとしても見なかったフリをしようと唇を噤んだ。
眼を見開いたナイトアイはベッドサイドに置いたままの果物ナイフを握り、相澤の首に向かって振り下ろした。
「ッ、」
「え?」
相澤が反応するより速く、オールマイトがナイトアイを地べたに組み伏せる。
気付けばオールマイトの巨体の下でナイトアイが藻掻いていた。
「ナイト、え、佐々木君!?どうしたの!?」
「離して下さい!離せ!!」
「ぇ、え?」
「離す訳が無いだろう!一体どうして、」
「この、この男ッ、こいつ、こいつはッ、」
「今から1年以内に、貴方を殺してしまう!」
■ ■ ■
レディ・ナガンはコンビニでチューハイとマルボロを買って静岡の住宅街を歩いていた。レザーフェイスの拠点を調査した帰りのことである。
既に桜は散っており、公園には踏み潰された桜の花びらが散っていた。
ベンチに座って酒を煽る。犬の散歩をしている主婦やら、学校帰りの高校生なんかが目の前を通り過ぎる。
酒が空になって、ツマミでも買えば良かったと後悔していると、「辞めたいなァ」と本心が漏れた。
辞めたい。ホントに辞めたい。
一回口から出ると歯止めが効かなくなる。
「辞めてェ~~~~~~~~~!!」
十年以上溜め込んだ本音が喉を裂いて噴き出した。
そうすると通り過ぎる人々は凄く嫌そうな眼でレディ・ナガンを見る。仕事に嫌気がさして酔って騒ぐOLなんて居酒屋では珍しくもなかろうが、日も落ちていない住宅街の公園となると話が変わるのだ。
散歩中の主婦は子供の手を握ってソソクサと踵を返し、「あの人美人じゃね?」とヒソヒソ話していた高校生の群れは夢を壊された少年の顔で逃げて行く。
「み゛んな死ねえ゛ェえ゛えええ゛え゛ぇえ゛ェえ゛!!!」
よりダイレクトな本音が出ると周囲からは本格的に人気が無くなる。
もしかしたら警察に通報されたかもしれない。知るか。みんなしね。
レザーフェイスの拠点には誰もおらず、置き手紙だけがあった。
今回の異形型個性『オールマイト』は試作体であり、よりオールマイトに近い個体を作成予定であると。
自分を政府で保護してくれるなら異形型個性『オールマイト』について詳しい情報提供をすると。
今回の事件はAFOに脅されて協力せざるを得なかっただけであって、己はあくまで政府の味方であると。
以上の内容を伝えると公安はレザーフェイスの保護をレディ・ナガンに命じた。
その命令を聞いてから何もかもが心底馬鹿馬鹿しくなった。今まで自分にさんざんっぱら命令してきた「賢い正義のエリート集団です」という顔をした連中は薄汚いドブネズミだったのだ。
ドブネズミ共に命じられて己は何人殺したんだ。
喉が枯れるまで叫んだ後、煙草を取り出して咥える。濃いタールが傷だらけの喉に沁みて涙が出る。
頬を濡らしながら、燈矢の動画に嘘は無かったな、と思った。ヒーロー全員が聖人君子な訳じゃない。それを見かけだけでも取り繕うのが自分の正義だった。
そうして取り繕った蓋の下で多くの声が腐っている。無様だ。いっそ死んでやろうか。
鬱々と俯くと公園の砂が星のように光って見えた。踏み潰すとじゃりじゃりと心地が良い。涙が落ちて足に墜ちた。殺してやる。
あのドブネズミの山を殺して回ったらどれだけスカッとするだろう。
「………あ、あああの、お、おねえさん、もしかして……」
柔らかい子供の声に顔を上げる。そばかすの目立つ子供が立っていた。
涙を拭うと、やっぱり!と子供が笑う。羊みたいにモコモコな緑の髪に妙に気が抜けた。
「レ、レレレディ・ナガンですよね!今期ヒーローチャート4位の!え、どうして此処にいるんですか!?静岡は担当地域じゃないですよね!任務ですか!?」
子供特有の甲高い声は荒んだ脳にはキツい。「うるさ……」と思わず本音が漏れた。
「あ、ごめんなさい……お仕事中なのにお邪魔でしたよね」
「別に仕事じゃねぇよ」
「じゃあどうして此処に!?」
子供がシュンとしたのは一瞬で、すぐさま元気になった。遠慮とか常識とか知らないんだろうか。
まあどう見ても小学生なのでしょうがないか。咥えていた煙草を消す。
「トップヒーローの事情ってヤツだよ。悪いが任務が関係するので詳しくは言えない」
「トップヒーローのじじょう……!!」
「そうそう。ガキはおうちに帰んな。もう夜が近いぜ」
「は、はい!あ、あの、サイ、サインだけでも……」
「ハイハイ」
小学生にして立派なヒーローオタクらしい子はランドセルからジャポニカ学習帖を差し出した。
表紙の裏にサインを書いてやる。すると、子供の膝に眼が行った。血が出ている。
ちょっと擦りむいたとかいうレベルじゃない。皮膚がぱっくり割れていて、膝から下は血塗れである。
「おいソレどうした」
「これは……エト、転んじゃって」
子供はもにょもにょと口の中で言葉を転がしていた。明らかな嘘だった。
誤魔化すように「かほうにします」と学習帖をランドセルに仕舞い込んだ時に、ひょい、と両脚をすくう。
体勢を崩した子供が腕の中に転がり込んだ。何が起こったのか分かっていない子供は頭に分かり易く「?」マークを浮かべている。
「うわ。傷に砂利混じってるぞコレ。洗った方が良い」
傷を見るために膝の皮をひっぱると「うう゛~」と両目に涙を貯める。
興奮で忘れていただけでかなり痛いらしい。
そのまま傷を公園の水場で洗ってやった。砂利を洗い流すと傷の隙間からツヤツヤした皮下組織が見える。
「我慢できたな偉い偉い。あ~こりゃ縫うかもなァ」
「縫う!?!?!?」
子供は凄い勢いで涙を噴出した。そういう個性なのかな。
「とりあえず病院行け。親御さん呼ぶか?」
「スマホ持ってないです」
「お家の電話番号は?」
「………」
「そっか~」
首を傾げる子供はぽやんとしている。ちょっと呑気な性質の子らしい。ならば大人として自分が家に連れて行かねばならんだろう。
血が滲む膝をガーゼで覆ってやり、そのままおんぶして歩いた。凄い勢いで恐縮されたが小学生なんぞ重くもない。
子供は暫く背中の上でカチコチに固まっていた。しかし警戒心を母親のお腹に忘れてきたようで、数分もすると脳と口が直結している速度でヒーローオタクマメ知識を喋る喋る。
やれあの事件はどうだの、活動内容がどうだの、身振り手振りを交えて喋る姿は一生懸命だ。
それにしたって子供の口から聞くヒーローというのはまるで聖人君子の集団だった。殊にオールマイトときたら現人神のような扱いである。
世間一般からもそういう見方をされていたのだろう。少なくとも記者会見が開かれるまでは。
「記者会見は見たのか?」
「見てないです。お母さんが見るなって」
「そうか」
母親は正しい。あれは子供に見せるものではなかった。オールマイトのファンは特にそうだ。
オールマイトに過失は無い。強いて言えば、人間として産まれて来たのが悪い。
ヒーローのロールモデルがあの男のせいで狂った。人類は他責思考になった。あの記者会見こそが現代の他責思考を見える形で表している。多分奴らは死ぬまで被害者の顔をして、責任を押し付ける相手を探すのだろう。
そうしてそのまま無意味に死んでいくのだ。清々する。
「弱ってるナァ」
「?何がですか?」
「私が……」
思考が鬱々としている。嫌な事が続いたせいだ。一応はヒーローであるのに、罪のない人々が死んで清々するなんて。
罪のない人というのが何処にあるのか分からないけれども。
しかしメランコリックになっている己の脳ミソを吹ッ飛ばす勢いで子供の甲高い声が後頭部を殴った。殆ど拡声器を背負ってるようなものだった。
「レディ・ナガンが弱る!?遠距離にて最強のレディ・ナガンが!?3年前の大規模ヴィラン討伐作戦で大金星を挙げた現代版シモ・ヘイヘが!?」
「ヒーローに関する事だと凄い勢いで喋るな君」
「だって、だってレディ・ナガンですもん!!カッコよくて、強くて、綺麗で、美人ヒーローランキング2位で、抱かれたいヒーローランキング4位の!!」
「君抱かれたいヒーローランキング見てんのか!?意味分かってる!?」
「え?ファンサのハグですよね?」
「ア心が痛い」
背中で感じる純真無垢な子供のオーラに心臓をやられた。こんなにも己が汚い。
時刻は既に夕方に差し掛かっている。夏が近いとはいえ日が落ちると空気は冷たい。
だが凄まじい勢いで喋る子供のおかげで背中は暑い程だった。
「にしてもその年にして結構なヒーローオタクだな君。もしかしてヒーロー志望か」
「………いえ」
子供は急に言葉の勢いを落とした。顔をくしゃりと皺だらけにして大きな瞳をまた潤ませる。
「僕、無個性なんです」
「ああ、そうか」
第五世代には珍しい。仕事柄無個性と関わることも少ないので、レディ・ナガンは好奇心で子供を観察した。
「無個性は劣等」という雰囲気が今の社会には蔓延している。
勿論、無個性が頭脳面、体力面において“個性”持ちに劣るというデータは無い。だが少数派というのは得てしてそういう扱いを受ける。
社会全体が何となく見下している空気とでも言うのだろうか。
子供はそういった空気に敏感だ。監視されているかのように小さな体はオドオドと寄る辺が無い。
「僕の学校では、無個性は僕だけで……」
「そうか」
「かっちゃん……僕の幼馴染が、凄い個性なんです。凄くて、本当に。きっとヒーローになる。でも、無個性の僕は、突き飛ばされただけでこんな怪我しちゃって……」
本当はこの子もヒーローになりたいのだろう。しかしそれを口にするだけの勇気が無いのだ。
蓋をされているから。
「……ヒーローなんてンな良いモンじゃねぇよ。お前が想像するより碌でも無い連中さ」
「そんな事はないです!!ヒーローはカッコいいんです!!」
「何でそう言い切れる」
「オールマイトはカッコいいから!!」
前後の文章が繋がっていない。しかし子供の中でそれは真実なのだろう。
この子供はオールマイトを信じている。ヒーローには確かな正義があると、未だ信じてくれている。
自分が護ってきた夢がこの子供の中に灯っている。
「オールマイトなら無個性でも、きっと救けてくれるから!レディ・ナガンは救けてくれたんだから、そう、みんなを護って、救けて、僕だって、ヒーローみたいに……」
「……君はヒーローになりたいのか?」
「なりたいです!おーるまいとみたいなヒーローになりたい!」
わぁん!と、子供は大声で泣いた。
それが全身を使った泣き方で、いっぱいいっぱいの心情を全力で体現しているものだから、思わず目の前に伸びる己の影をじぃっと見た。
長い自分の影の上に、子供のほわほわした髪が乗っている。
本当になりたいものをちゃんと分かっている子供が酷く大きく見えた。中学生の頃の自分もこうだった。
いつの間にか見失ってしまったオリジンだ。
───見失ったのだろうか。本当に?
今此処にいる子供は、では、何なのか。
公安の奴らを鏖にしようと思いながら、何で自分はこの子供の傷を洗って背負ったんだ。
自分は、こんな、眼を輝かせる子供を護りたいと思っていたのではなかったか。
鬱々と暗い視界に小さな火が灯る。そう、正義は確かにあった。
間違っていた。だが自分はずっと、この正義のためにヒーローをしていた。
「無個性の僕だって、ちゃんと心があって、誰かの力になれるって、信じたいのに……」
「───ありがとう」
「え?」
「君は今、私を救ったよ。立派なヒーローだ」
殺すだの死ぬだの、物騒な心持がいつの間にか澄んでいた。視界は広く開けていた。
大量虐殺せんとするまで思い詰めていたトップヒーローを救った自覚は子供にはまるで無く、「きょとん!」と大きく瞼を開けている。
「……どう、いたしまして?」
訳の分からないまま反射的に喋っているのがありありと分かる。
その顔がバカっぽくて、可愛くて、カラカラ笑った。
この子供を守らなければ何もかもが嘘になると思った。
その翌日、レディ・ナガンは今まで遂行した『任務』の全容をヒーロー協会に暴露した。
公的機関による私刑など前代未聞である。
まかり間違っても民衆に知られる訳にはいかないが、見過ごすなどヒーローとして言語道断。根津を筆頭に著明なヒーロー達が公安委員会へ異議申し立てを行った。
それが原因で公安は2つに割れたり、公安が隠していた歴代ヒーロー達の愚行悪行が漏出したりと、事態は紛糾したらしい。
らしいというのは、詳細を知らないからだ。事態の原因であるレディ・ナガンは謹慎処分となった。
公安からは「全ての所業はレディ・ナガンの独断によるもの」とスケープゴートにされ、ヒーロー協会からは「私的制裁を繰り返した人物のヒーロー活動は許容できない」と切り捨てられた結果である。
表沙汰に出来ないため正式な罪には問えない。かといって放逐するには危険過ぎる。
恐らくは宙ぶらりんのまま、誰にも知られず闇から闇へ───
「────と思ってたんですけど?」
額から汗を垂らす。思いもよらない人物が、思いもよらない契約書を手に押しかけてきたのだ。
当の本人はHAHAHA!とアメリカンに笑っている。
「地位と権力と名誉の使い所ってヤツさ………いや、単に人手が足りないってだけなんだけど。ホント急な話で申し訳ない。ウチで預かる子供が増えるから護衛人員を急募してるんだ」
「よくナイトアイが許しましたね」
そう言うと、オールマイトは寂しそうに笑って契約書を差し出した。
オールマイト事務所SKとしての契約書である。