「貴女の籍は公安に残しておきます」
「結構。泥船に残る程の情は無いンでね。くわばらくわばら……」
机に脚をのっけて煙草をふかす。オールマイト事務所SKという立場を手に入れたレディ・ナガンは今や無敵の人だった。公安委員会会長に生意気な口だって利ける。
以前の公安委員長は諸々押し付けられて首を切られていた。今は別人が座っている。レディ・ナガンも顔見知りのオバサンである。
「ヒーローを追い詰める公安のシステムは私が変えます。貴女の貢献は無駄にはしません」
「私の仕事に意味を付けるのはアンタじゃねぇよ。余計なお世話だ」
「貴女の行いは誰かがやらなければならないものだった。社会正義のための行いを我々は肯定する立場にある」
「正義!!」
レディ・ナガンはお手上げと言わんばかりにパッと両手を挙げた。
正義。自分の眼を曇らせた最悪の元凶。何をしてもなんか許されちゃう魔法の言葉。
「アンタら好きだよなぁ正義って言葉が!なんかそれ言っときゃ何しても許されるみたいな?利用されるコッチとしちゃあたまんないよ」
「利用ではありません。協力です」
「モノは言いようだ。ちゃんとSNS見てるか?エンデヴァーとどっこいどっこいだぜアンタら」
「オールマイトのSKになった途端随分と強気になりましたね。レディ・ナガンともあろう者が、虚像の正義に眼が眩みましたか」
レディ・ナガンは鼻で笑った。
オールマイト当人が聞いたら困った顔をしただろう。自分が正義だなんて思っちゃいない人だった。
「そりゃあ殺しを強制させられる職場じゃねェからな。えらくホワイトになったよ。それで?そのオールマイトの量産型はどう始末をつける。それとも次もまたその虚像の正義にケツ拭いて貰う予定か?」
「レザーフェイスは1体作成するのに10年を費やしました。そう容易く作成出来るものでもない」
「あの野郎トライアルっつってたぜ。私は科学やら医療やらに詳しかないが、試作品ってのは何個も作って試すモンじゃないのか」
「………」
「都合が悪くなるとだんまりかよ。嫌だね、お役人ってのは」
公安委員長は顔を顰めてこちらを睨んでいる。どうせ自分がレザーフェイスに頼んだ訳ではないと頭の中で反論しているのだろう。何を思おうが現実は変わりゃしないのに。
「オールマイトも歳を取る。公表しちゃいないがもう50歳近いだろう。寿命の短いこの業界じゃとっくに引退してる歳だ。それで焦ったか?」
「………若い貴女には、解らないでしょう」
そう喋る顔の皺は深い。
レディ・ナガンが物心つく頃には既にオールマイトはデビューしていた。それ以前の悲惨な時代は伝聞のように聞くばかりで、実感として分からない。
「オールマイトが登場するまでの時代は本当に酷かった。社会が形を失う寸前だったのです。我々はこの国の安全装置として、絶対に、何としてもあの時代に逆行させてはならない。彼が現役である間に他の手段を講じなければならないのです」
「にしても安易過ぎる。結果として最悪の爆弾みたいなガキが出来ただけじゃねえか」
「あの量産型についてはまだ分からない事が多過ぎる。遺体の調査もまだ終わっていない。本当にオールマイトの代替になり得るのか検討が必要です」
「無理だと思うぜ」
一人の子供がヒーローになるまでに、多くの切欠と経験がある。それら全てをレザーフェイスが遺伝子の二重螺旋に詰め込むのは不可能だろう。
そしてもしそれが可能であるのなら、人間に成長や未来は必要ない。この世全ての胎児をレザーフェイスが作った方が良い。
「それより私を引き留めるっつーことは、私の次はまだ育成中ってトコか。まさか決まってないってコトは無いよな?テメェらそこらへんの動きは早いだろ」
「………あの子は貴女とは違う道を行きます。貴女がさせられたような仕事はさせません」
煙草をその場に捨てた。話にならない。
「代わりに私を限界まで使い潰すってか。真っ平ゴメンだね。ここらで失敬するよ。もっとマシな仕事が待ってる」
「貴女は必ず戻る」
イヤに確信に満ちた言葉だった。見れば唇がうっすらと笑っている。
「レディ・ナガン。貴女は公の正義へ奉仕することに喜びを感じる人です。何があろうとその性質は変わらない」
「アンタに私の何が分かる」
「公安は正義ではない。しかし此処より正義を志向する組織は無い。貴女が最も力を発揮出来るのは此処です───が、国内留学は歓迎しましょう。政府は職員の学習意欲を常に支援しています」
何もかも見通しているという顔は、やはりバカに見えた。小さい部屋で検討を繰り返す連中には外が見えない。
燈矢の言った事は正しい。見せかけの正義が瓦解する時が来た。キレイ事は今の社会には通用しない。
「私の正義は子供を守ることだ。此処に戻ることは二度と無い」
「良い事です。我々は健全な社会のため子供を守り、二度と轟燈矢のような例を出さないよう努めなければならない。共に頑張りましょう」
穏やかな返事から硬質な音がした。眉根を顰める。
「轟燈矢をまだ監視しているのか。重症で入院している子供を」
「当然でしょう。あの子の動画は社会を大きく揺るがした。決して野放しには出来ません」
「……やっぱり二度と戻らねぇわ」
これ以上此処に居たらこの女を殺しかねない。
レディ・ナガンは足早に古巣を去った。
■ ■ ■
「間一髪のところで氷冷系個性が発現したのでしょうね。命に別状はありません。しかし日常生活には大きな制限が付きますよ」
漸く一般病棟に移動するというタイミングでヨッシーみたいな医者から説明を受けた。
曰く、皮膚の感覚は二度と戻らないだろうということ。
握力はせいぜいコップを持つのが精一杯。
走るのはまず不可能。
肺が焼けてしまっているので少し歩いただけで息切れする。体力は干からびたイモムシ以下。
以上の事を淡々と説明された。
キツイ話になることは分かっていたので、冬美ちゃんではなくオールマイトに付いて貰った。オールマイトは質問を挟みつつ医者の話を聞いていた。
自分は何だか全て他人事のような感覚がして、ずっと俯いて包帯ぐるぐる巻きにされた足を見ていた。
お大事にね、とありきたりな言葉をかけて医者が出ていく。個室にオールマイトと2人になる。
「病室が変わって疲れたねぇ。ジュースでも飲むかい?」
「蕎麦」
「固形物はまだダメだよ」
「じゃ、水。つめたいの」
口を開くとガッスガスの声が出る。オールマイトはプラコップを手渡した。ガラスや陶器のコップだと重くて持てないのだ。手の感覚が無い上に力が入らない。
水で口を湿らせて、いつもカーテンが掛かっている窓を見る。
メディア対策だろう。此処のカーテンは常に閉まっている。病室は水槽の底のように暗い。
「来月には退院出来るみたいだね。リハビリを頑張ればそれまでに歩けるようになるって」
「アンタは?」
「ん?」
「アンタの怪我は」
「私は大丈夫だよ。肋骨が2本減って、小腸と肺をちょこっと切っただけ」
「………リハビリ室で相澤に会ったけど、かたっぽ義足になってた」
「うん。でもかなり回復したみたいだよ。来週には退院出来るって」
「冬美ちゃんと夏君と、焦凍は」
「3人とも全身熱傷。冬美少女と夏雄少年は皮膚の移植術をして、経過は良好さ。もう退院してる」
「そっか」
この部屋にはテレビがある。楽観的な事ばかりを言うこの男が、少し前にお父さんと並んで行った記者会見をこのテレビで見た。袋叩きにされるウサギを見世物にしているような光景だった。
それからワイドショーやニュースなんかではヒーローのバッシングが増えた。自分が投稿した動画もよくテレビで話題になっているが、政府や公安への批判はカットされている。業界の忖度が眼に見えて分かる。
「記者会見、見た」
「あ、そう。凄かったよね。人がたくさん集まって罵声を上げるとあんな顔になるんだねぇ」
「気にしてねェの?」
「そりゃあ気にするよ。ヒーローの殉職者が出てしまった。事前準備を怠った私の責任だ」
そういう意味じゃ無いのだが、この口調からして世間のバッシングは全く気にしていないらしい。
良くも悪くもイカレている。
「アンタ、歪だな」
「かもね」
「……だから社会も歪なんだ」
「改善するべきではある。しかしそれは私の役割ではない」
それはそうだ。オールマイトの作った歪な社会を矯正するのは次の世代の役割だ。そして年齢、実力、立場の全てにおいて、その役割はお父さんが負うべきものだった。
エンデヴァーは今更にその役割を果たしている。バッシングを跳ねのけるように活動範囲を広げ、出動回数を増やし、テレビに映る態度は以前より軟化した。
メディアは「更なる批判を避けるためのイメチェン」だと叩いているけれど、違う。
人が変わったんだ。轟燈矢に生きる目的を与えてくれたお父さんは去ってしまった。
そして自分はまた置き去りだ。
「────どうして俺はまだ生きてるんだろう」
喉にずっとひっかかっていた言葉を吐くと、オールマイトはカーテンを開けた。そこで漸く、もう夜なのだと気付いた。
「皆が君に生きていて欲しいと願ったからだよ」
「何で?」
「人を見殺しにするのは疲れるから。だから皆が君を救ったのは、自分の心を守るためでもある。私も、相澤君も、君の手術をしたお医者さんも、さっき点滴を換えた看護師さんも、子供が死ぬと堪えるのさ。だから救けたいんだ。生物の本能だよ」
「……俺は救けて欲しくなんてなかった」
「君の思いは関係ない。私達は、私達のために君に死んで欲しくなかっただけだ」
「勝手だ」
「勝手さ。ヒーローだからね。余計なお世話をするのが好きなんだよ」
「生きる意味も無ェのにこれからどうしろってンだ」
お父さんへの執念のために生きて来た。
それがもう無くなってしまって、体はボロボロで、やりたいことも無い。
何もかもがすっからかんだ。全てが通り過ぎてしまって、何も残らなかった。
「生きる意味って必要かい?」
オールマイトは窓を開けた。重く澱んでいた空気が僅かに和らぐ。
「生きる意味とか、産まれた理由とか、気にしなくても明日は来る。その明日をどう乗り越えるかの方が、今の燈矢少年にとっては大事なんじゃないかな」
「アンタにだけは言われたくない」
平和の象徴とかいう目的意識の権化のような男に言われると腹が立つ。
オールマイトは「そりゃあそうだ」と頷いた。
「私はそういう生き方をしてきたからね。でもそうじゃない人達の方が多いのは何となく分かるだろう?」
「アンタを毎日元気にバッシングしてる連中だろ。ああいうヤツらみたいになれって?目先の事しか見えてねぇ他責思考のサルに?」
「う~ん口が悪い。そうじゃなくって、足元見ようぜってコト」
「てかさっきから何で窓開けてんだよ。写真撮られるぜ」
「逆光になってるから大丈夫さ」
「アンタ逆光でも目立つんだよ。ジャンプキャラみたいなシルエットしやがって」
「よし!行こうか燈矢少年!」
パーカーを勢いよく頭から被せられる。
え?と思うより先に抱え上げられた。
「吉田先生が『そろそろ外の空気を吸うくらいなら良いでしょう』って言ってたからね!部屋に籠りっぱなしってのも良くない!ちょっくら夜の散歩と行こうじゃないか!!」
「待って?????」
あんまりにも脈絡が無い。そして常識も無い。
しかし止める暇もなく、次の瞬間には百万ドルの夜景の真上を跳んでいる。
初夏の夜の空気は対冷体質を貫通する程ではない。しかし風圧は相も変わらず肌を刺す。
「またかよおおおおお!!!」
HAHAHAと他人事のように笑う声が頭上から聞こえた。
足元を見れば、混乱する社会は何処へやら。車のクラクションは五月蠅く、あちこちで歓声や罵声が響き、街頭ビジョンでは巨大な三毛猫が香箱座りで転寝している。
何も変わらない、懐かしい光景だった。何もかも様変わりした己が嘘のようだ。
社会と名付けられた人々は変わらずそこに散らばっている。
身を捩ってオールマイトを見上げると、此の男ですら星のように散らばる灯りの中に馴染む、一つの小さな粒だった。
■ ■ ■
「で、なんでマイトタワーまで跳んだわけ?」
「病院には公安が居る。君は監視されている」
ふぅんと返す。予想はついていた。AFOの元で1週間も過ごして、さらにはあんな動画を投稿した自分に監視がついていない訳が無い。
マイトタワーの天辺から高層ビルの群れを見下ろす。吹き抜けの展望台は都会のど真ん中にあっても空気が澄んでいる。
「それで何の話?公安に聞かれたくないような話なんだろ?取り調べでウソは言ってねぇけど」
「それは疑っていないよ。単に私が彼らに聞かせたくなかっただけさ。公安は最近会長が変わってね。先代と比べると穏健派らしいけど、まだ信用が置けない」
「アンタ公安と仲悪いんだな」
「仲良くなりたいとは思っているよ」
どうだか。レザーフェイスを容認する組織をオールマイトが容認するとは思えない。
「退院したら俺ってどうなんの?」
「私達の家に帰る。それとね、冬美少女と夏雄少年、それに焦凍少年も一緒に住むことになったんだ。賑やかになるよ」
「焦凍も?よくお父さんが許可したな」
「エンデヴァーからの提案だよ。もう自分が傍に居ない方が良いだろうって」
あれだけ執着していた最高傑作をあっさりと手放すとは、本当に人が変わったらしい。
今のお父さんが何を望んでいるのかもうまるで分からない。興味もない。
そうなると自分の事も分からなくなる。本当に、自分という存在の中心にはずっとお父さんしか居なかった。16歳にもなった男の精神構造としてはあまりに歪だった。
「退院したら何しようか。夏になるし、海に行きたいね」
「連続96時間勤務常連野郎が何言ってんだ。海より先に労基に行け」
「前よりちょっとは休みが貰えるみたいだから!せっかくの夏なんだし遊びに行こうよ!」
遊ぶと言っても、夏のレジャーなんかとは縁遠い生活を送って来た。冬美と夏雄もそうだろう。焦凍に到っては「夏休み=毎日が訓練地獄」と刷り込まれているに違いない。
「遊ぶっつってもな、よく分かんねぇし、どこ行っても人目があるし。ゲームとか?」
「ゲーム?テレビゲームかい?」
「ン。AFOのトコ居る時、弔とかいうガキがやってた」
痩せたちっぽけなガキだった。「世界で一番自分が不幸です」みたいなツラをして、一日中ゲームばかりをやっていた。
「LOLとかいうオンゲ?よく分かんねぇけどアカウント探せば会えるかもだし」
「弔少年のアカウントは覚えているかい?」
「ヤ、覚えてねえ。よく見て無かった。アイツAFOに誘拐されてンのか?」
「うん。私の恩人のお孫さんだよ」
AFOは人の嫌な所を突く天才だ。きっとオールマイトのメンタルを揺さぶるためだけに誘拐されたのだろう。弔からしてみればとばっちり以外の何物でもない。
「あの子はAFOに痛めつけられていなかったかい?食事や、生活は、」
「怪我とかはしてなかった。でもアンタのことは凄いディスってたぜ。あとジャンクフードばっか食ってた」
「………そうか」
「でも頭イカれてるってくらいに洗脳されては無かったから早いトコ保護すりゃ間に合うんじゃねぇの」
生意気なガキだったが、弔は自分のためにリンゴを切って用意して、傷が治るまで確認してくれていた。平凡で優しい性質とすら言える子供だった。
「今ヒーロー協会が一丸となって捜索しているよ。きっとすぐに見つかる……でも、ゲームか。いいね。皆で遊べそうだし。買っちゃおうかな」
「そういやSwitch2ってアンタの立場なら貰えたりしねぇの?」
「貰う?お店で買えないの?」
「抽選しねぇと買えないんだってさ。なんかスゲェ人気らしい」
「へぇ、ウチのテレビ大きいから皆で遊んだら楽しそうだね」
「誰もゲームしたことねぇから大惨事になンだろ」
喋りながら、どうしてこんなに普通に喋れるのだろうと自分が不思議だった。
内側が空っぽなのに口が自然と動く。虚勢を張っている訳じゃない。ただ死にたいと思う感情とは別に、身体が勝手に生きようとしている。
きっと一時期、お父さんと殺し合った後のことを考えていたからだ。
お父さんを殺して産まれた目的をすっきりと達成したら、その後は学校に通ったり、仕事をしたり、趣味を見つけたり。そんな人生を夢想していた。お父さんを殺したら何もかもが解決するんじゃないかと思っていた。
そしてお父さんは死んだ。自分が殺したとも言える。しかし何もかも解決するなんて事は無かった。当たり前だ。過去は消えない。ただあの頃の甘い夢想が惰性のように身体を動かしている。
「家に帰ったら、また個性発電所に行ける?」
「うん。所長も燈矢少年のことを心配していたよ。身体がもうちょっと元気になったら行こう」
「リハビリ室で相澤がちっとは勉強しろってクソうるせえから、帰ったらさらに五月蠅くなるんだろうな」
「彼も君が心配なんだよ。私はちょっとくらいお休みしてもいいと思うけどね」
「テメェは親としてクソダダ甘過ぎる。冬美ちゃんはともかく夏雄と焦凍がそのテンションで甘やかされたら無尽蔵にダメになるぜ」
「ナガン君と相澤君にも同じこと言われたよ。でも子供は遊ぶのが仕事じゃない?」
「その理論が通用するのは幼稚園までなんだわ。つか俺も高卒は欲しいし……」
高卒資格が取れれば就職は出来るだろう。ロクな仕事に就けやしないだろうが、いつまでもおんぶに抱っこで居る訳にもいかない。ヒーロー達の余計なお世話のせいで生き延びてしまって、これ以上は手を煩わせられない。
今までの生活に戻ろう。考えるのは後だ。それよりも生活をしなくてはならない。
意味が無い人生でも、生きてゆくことは出来る。この世界の殆どの人間はそもそもそうやって生きている。
長く苦しい未来を向かず、ただ己の足元さえ見ていれば、勝手に明日はやって来る。
「あ、」
ふとオールマイトが街並みを見下ろす。同時にアラートが鳴った。緊急呼び出しのサインだ。
燈矢はすぐさまオールマイトの膝を叩いた。
「しゃがめよ、おぶさってやるから」
「……大丈夫?」
「おう。パーカー被っとくわ」
顔が見えないよう深くパーカーを被る。足元がおぼつかなくて、今はオールマイトから離れたくなかった。
ガシャーン。パリーン。グシャッ。ワタシガキター!
「……ンで肋骨2本無くなっても変わんねぇんだよあのオッサン」
もう何が何だかよく分からない。オールマイトは大怪我の後遺症など微塵も感じさせない動きで暴走車を叩き潰し、手際よく捕縛していた。
ぎゃあぎゃあ五月蠅い連中はやっぱり社会が悪いだの、税金と米が高いのが悪いだの、同じような事を大声で喚いている。数ヵ月前の焼き映しのように変わらない光景である。
だが野次馬の雰囲気は大きく変わっていた。揃いも揃ってスマホをオールマイトに向けているが、凄まじかった黄色い声が一掃されている。
かといって罵声を浴びせかけるのでもない。強いて言うのならば、どう扱ったら良いのか分からず戸惑っている。
よく見れば誰も彼もが周囲の顔色を覗き込んでいた。若しくはSNSでオールマイトの評判を検索している。
非難するか、称賛するか。判断を他人に委ねて責任を回避したがっているアオサギの群れ。
「ここまで他責思考だといっそ怖ェわ……ア?」
周囲の雰囲気を必死で読んでいる群れの中から、しかし空気を読まずに一人の子供が飛び出した。
ツンツンに尖った金髪の子供だ。小さな肩を怒らせて両眼を目いっぱい釣り上げている。
子供はスマホを向ける野次馬を素晴らしい勢いで無視した。最早蹴散らす勢いだ。
そうやって真っ直ぐオールマイトの前まで歩く。
「?君、どうしたんだい?」
「救けてくれてありがとう」
とても感謝を口にしている表情ではない。子供らしく丸い顔をどうやったらそこまで凶悪にできるのかという程にキレている。
子供は勢いよく手を出した。
オールマイトは殆ど反射的に握手をして、「どういたしまして!」とファンサ用の笑顔を返した。
「あ・り・が・と・う!!」
「テメェらもさっさと言えや!!」というドスの効いた副音声が燈矢の耳にも聞こえた。握手していない方の手で中指を立たせてスマホの群れに突き付けるトドメ付きである。母親だろう女性が「勝己!!何やってんの!!」と悲痛な声を上げていた。
「気ぃ強ェ~~~」
ガキの癖になんという強火ファンだ。尊敬の念すら湧いて来る。思わず燈矢は拍手していた。
それにつられるように拍手が広がる。不安げな顔をしていた人々も大きくなる拍手の音につられて手を叩く。
気付けば人々は大きく歓声を上げていた。拍手が鳴り響く。黄色い声が都会の夜に高く響く。
なんて安い奴らだ。あんなガキが作った切欠で簡単に流されるとは。
しかしそもそもがメディアとSNSに流されて余所余所しくなった程度の連中で、それも自分が作った動画一本で流された結果でしかない。大衆の掌は簡単にクルクル回る。
子供は鳴り響く称賛に舌打ちして「最初っからそうしとけやクソモブ共がァ!!」と堂々たるヴィランの風格で悪態を吐いた。
そんな子供の姿に、オールマイトはようやく自分がこの子供に庇われていることに気付いた。
そうと気付くと目の前がパチリと弾けたようだ。
心底驚いた。こんな小さな子供に庇われたのは産まれて初めてだった。
しかもこの子供にはオールマイトを庇ったなんていう自覚は無い。ただそうしたいからそうしただけ。言うなれば、余計なお世話だ。
嬉びなんていう緩い言葉では今の己を言い表せられないだろう。
何故か酷く、報われた気がした。
「勝己少年、かな?」
「ッ、お。」
まさかオールマイトに名前を呼ばれるとは思わず、子供は口を「お?」の形にして全身を硬直させた。
膝をついて少年と眼を合わせる。ファンサ用ではない笑みが自然と浮かんだ。
「私もありがとう、勝己少年───君はきっと、とても強い人になる」
「驚いちゃった」
「イイ気味だ」
オールマイトに抱えられて空を飛ぶ。病院が遠目に見える。
とっくに夜間回診の時間は過ぎている。戻ったら凄く怒られるだろう。まぁ怒られるのはオールマイトだけだろうからどうでも良い。
「あんな強気の子供が居るとはねぇ。SNSに載らなきゃいいけど」
「あの程度なら大丈夫だろ。気合の入ったファンっていうだけだし」
所詮は焦凍と同じ年頃のガキである。そもそも目くじらを立てられる程の事はしていない。
むしろ称賛される可能性の方が高いくらいだ。足踏みする世間を急かすように、あの子供は先に一歩を踏み出したのだから。
自分の流した動画も、メディアもSNSも、市民に勝手な情報を突きつける。唐突な情報量に誰もが眼を回している。何が正しいのかも分からないまま蔓延する不安が人から人へ伝播している。
しかし過去は消えない。オールマイトは見せかけの正義ではない。積み上がった信頼は何一つとして損なわれていない。
だから、感謝をしたい。改めて称賛したいのだ。誰もが。今の時代だからこそ。
オールマイトが指差した先だけは間違っていないと信じたいから。
「君の言う通り今の社会は限界なんだろうね。個性の進化は早く、社会制度と道徳の足は遅い」
「分かり切ってる事だろ」
「うん。これからの時代は荒れる」
個性の進化に伴い、都合の良い個性を自分の子供に求める親はきっと増える。法規制も、個性差別も、個性事故も、解決の目途は未だ立たない。
ヴィランをぶっ飛ばせば解決する話ではないのだ。敵は全ての人々が心の内に飼っているもので、打ち倒せるものではない。
「でもね、私は信じている」
「何を?」
「皆で力を合わせれば、どんな苦難も乗り越えられるって!!」
空を割るように清々しい理想論だ。今時子供だってこんな事を真面目ぶった顔で言えやしない。
これを言ったのがオールマイトではない他の誰かだったらきっと鼻で笑っている。
でもこの男の口から出ると不思議に胸がすいた。
自分達を救ったこの男がそう言うのなら、マァ、無理でも良いかと腹に落ちる。
そう、無理でも良いんだ。意味が無くても良い。ただ、その方向に進みたいと思う。
きっと誰もがそうだ。可能か不可能かではない。そうすることで己に胸を張って、足元よりほんの少し先を見て生きて行ける。
ヒーローとは、そういうものなのだろう。
「………いいな、ヒーローって」
ヒーローになりたいとはもう思わない。最高傑作への劣等感も、お父さんへの執着も、もう、全てが遠い。
此処に居るのはまだ16歳の、からっぽでまっさらな轟燈矢だった。
彼はオールマイトの背中でちょっと泣いて、瞼を拭い、数時間後の明日を思った。
明日は、何をしよう。