「術後経過は良好ですね。なんで良好なのかはワケ分かりませんが」
「お、お酒は飲んでいませんよ」
「飲酒以外の禁止事項は全部やっているでしょう」
過度な運動はしない。仕事は休む。食事は軟菜食。1週間に一回の受診。
担当医の吉田竜は箇条書きの口調で喋る癖がある。口の堅い名医の患者には問題児が多いので、このくらい分かりやすく叩きつける必要があるのかもしれない。
「休むのもヒーローのお仕事でしょうに。無理ばかりなさっていたら八木さんの周りの人も心配しますよ」
「生憎と家族は、」
「燈矢君に、彼の姉弟がいらっしゃるでしょう。事情はともあれ保護者になられたのですから。子供達のために養生するのは大人の義務です」
「仰る通りで……」
椅子の上で縮こまった。紛れもない正論である。
「───ところで」
声が低くなる。吉田医師はカルテをこちらに見せた。画像検査やら血液検査結果やらが羅列している。
「今回の検査結果なのですが、個性因子に関する数値が妙に上がっています。この変化は“個性”が発現したばかりの子供によく見られるもので、八木さんの年齢では有り得ない。外部の影響によるものと思われますが……心当たりは?」
「………あります。しかし、」
「原因が分かっているのなら喋って頂かなくて結構。しかし定期的な検査をお勧めします」
「はい」
「そもそも大怪我をしたばかりですからね?不調を感じたらすぐに受診すること」
事情を汲み取ってくれた吉田医師に深々と頭を下げる。
思い当たる原因は一つしかない。蛇腔病院の戦闘時だ。
あの時、油断した自分の身体にAFOが触れた。
玄関には子供用の靴がキチンと並んでいる。言われずとも靴を並べる行儀の良い子供達だ。リビングからは華やかな声が響いていた。
「燈矢兄〜もうちょっと温度上げて〜」
「ねえ冬美ちゃん俺ちょっと前まで入院してたんだけど。氷冷系個性まだ安定して使えねンだけど」
「高火力で中華作るのたーのしー!」
「あの、冬美さん、俺はいつまでキャベツ切ってりゃいいんですか」
「食べ盛り男子×3+肉体労働男性×2+女子高生×1の量ですからね。丸々1玉切っちゃって下さい!」
「焦凍、相澤さんはその先っぽギザギザなオールマイト柄の箸は使わないぞ。それはお前のだ」
「じゃあこっち?」
「それは菜箸」
菜箸を戻し、人数分の箸をセットした焦凍がいの一番に自分に気付いた。「あ!」と声を上げてパタパタと駆け寄って来る。
「おかえりなさいオールマイト!」
「ただいま焦凍少年。私が帰った!」
靴を脱ぐなり小さな赤白頭が足の周りに纏わりつく。
静岡県から東京都へ。和風の豪邸から庶民的な一軒家へ。
末弟が隔離された2人+1人姉弟から、毎日熾烈な洗面所争いを繰り広げる4人兄妹へ。
思春期の子供達にとっては急激過ぎる変化だ。保護者がほぼ初対面の男2人、警護役に見知らぬ女性1人というのもストレスであろう。
特に焦凍少年は不安が強いようで、家に帰るとひっついて来る。自分が居ない間は燈矢少年にひっついているらしい。
轟家の暗部が世間に暴露され、高校に進学し、見知らぬ土地に引っ越してきたばかりだというのに冬美少女は家事に勉学にと忙しい日々を過ごしている。転校を余儀なくされた夏雄少年と焦凍少年も、同級生に遠巻きにされながら毅然と学校に通っている。
この家の子供達は痛々しいまでに強い。素晴らしい事だが、決して良い事ではない。大人に頼る発想が無い故の強さだ。
偏に自分と相澤が未だ信頼されていないためだろう。頼るにしても甘えるにしても信頼が無ければ始まらず、こればかりは時間をかけるしかない。
しかし今のところは、上手くいっている。
「このチャーハン凄く美味しいね。パラッパラだ。どうやったの?」
「高火力で一気に作るとパラパラになるんですよ。今度教えますね!」
「そういや焦凍は小テストどうだったんだ」
「96点。クラスで2番」
「はいはいえらいえらい」
「燈矢兄の褒め方雑……」
「覚えとけ夏君。弟ってのはあんまり褒めたら調子に乗る生き物なんだよ」
「それ俺のこと言ってる?テメェに褒められた記憶なんて一切無いんだけど」
「俺は何時も心の中で夏君を褒めてるぜ」
「張り倒すぞ」
「というかオールマイトはどうだったんです?」
「私?普通の一日だよ。ジャングリア沖縄で暴れてた巨大ハブ型ヴィランを海に叩き落としたぐらい」
「それって普通の一日で流して良い事件なんですか?」
「割とよくあることですよ」
「そうだぜ冬美ちゃん。コイツマジで頭おかしいから」
何故か燈矢が自慢げに笑い、その隣で小テストを掲げる焦凍の頭を夏雄が乱雑に撫でた。
全員が好き勝手に喋るので会話はバレーボールのようにあちこちへ飛ぶ。子供の話題は世界で一番足が早い。ぼーっとしていると置いて行かれる。
そこらへんは自分より相澤の方が上手だ。興味無さそうに机の端っこで油淋鶏を齧っているが、その実は子供達の話によく耳を澄ませている。
退院後から相澤は子供達の平穏を徹底的に護っていた。遠慮がちな彼らがこの家で普通に生活出来るようになったのは彼の功績が大きい。
適度に距離を保ちつつ、僅かな表情の変化から敏感に不安を探し、必要と判断すれば声をかける。まだ若いのに自然とそんな配慮が出来るのだから保育士か教員が天職の男なのではないかと思う。
最もストレスを抱えているのは彼だろうに。それでも子供たちの前では決して表に出さない。
夜になり、子供たちはそれぞれの部屋に戻った。リビングに相澤と残って日課の報告会をする。
とはいえ最近は調査に大きな進展が無い。脳無や量産型オールマイトについての調査は進んでいるようだが、門外漢の自分達には詳しい所は分からない。
粗方報告が終わったところで沈黙が下りる。
暫く眼を伏せていた相澤がリビングの扉に眼をやった。しっかりと扉は閉まっているし、子供たちの気配は子供部屋にある。
「………あの、」
「うん」
「ヤ、その………冗談だと思って聞き流して欲しいんですけど」
「うん」
「ただの可能性としての話なんですけど」
「うん」
「……………俺が自殺したら予知って変わりますかね?」
「変わらないと思うから止めてね。絶対に止めて」
退院してからずっと話そうと思いつつ、機会を逃し続けていたのだろう。冗談と流すには表情が険しい。
相澤は眼の焦点を空中に合わせて、「でも、」と固い声を出した。
「そうすりゃ確実に予知を覆せます。俺とアンタの価値なんざ比べ物にならない。選択肢の一つとして、」
「ナイトアイが視たのは君視点の未来だ。つまり、君が『オールマイト』の姿をした存在を殺す光景でしかないんだよ。もしかするとそれは私の脳無かもしれないし、量産型の『オールマイト』かもしれないし、私の姿に変装したヴィランかもしれない」
「だとして、俺がアンタを殺す可能性だってあるでしょう。自殺は極論にしても、1年くらい俺を刑務所にでもぶち込んでおいた方が安全じゃないですか」
「AFOが侵入できない刑務所は無い。ヤツはタルタロスですら突破する。“抹消”の有効性が蛇腔病院と神野で示された以上、君が私から離れる方がリスクが高い」
蛇腔病院でも神野区でも“抹消”は戦況に大きく影響した。
AFOからすれば現状最も興味がある個性の一つだろう。“抹消”を奪われるか、脳無に加工されるか、いずれにせよ相澤は危険な立場にある。
だが相澤からしてみればやってらんねえ状況であろう。
オールマイトを殺すとオールマイトのSKに予知され、しかしオールマイトの庇護下にあるのが現状では最適であり、足のリハビリが終わるまでは現場にも出られない。
今一番の仕事は子供のお守りだ。20代アングラヒーローのプライドが日々削られ続けている。
「護られンのは性に合わないんですよ」
「私が君を護るんじゃない。君に子供たちを護って欲しいんだ。何より、燈矢少年は既に君を信頼している」
「子供のケアなら俺より適任が幾らでも居る。ナガンさんじゃ足りないなら根津校長に頼んで新しい人員を斡旋して貰えば良い」
「信頼はそう簡単に積めるものじゃない。君ね、一体自分が何回燈矢少年を救ったと思ってるんだい?あの捻くれ少年が甘えられる大人なんて君くらいのもんだよ。私にはまだカッコつけてる所があるし」
「アレは甘えてるんじゃなくて舐めてるんです」
「燈矢少年って本当に舐めてる相手にはハナからバカにして会話を切るタイプだろう。あの子はそういう所がエンデヴァーに似てる。燈矢少年に責任があると言ってたけど、君の方こそ彼には責任があるんじゃ……」
ドアベルが鳴る。冬美少女が「はーい」と元気よく返事をしてパタパタ階段を下りる音が聞こえた。慌てて立ち上がる。
「冬美少女、出なくて良いよ!私が出るから!」
一見するとこの家は普通の一軒家に見えるが、その実はオールマイト事務所があらゆるコネと技術でもって完璧なメディア対策を施したセーフハウスである。
故にこの家への来客は珍しい。宗教勧誘や不躾な訪問販売員なんかはドアベルを鳴らす前に24時間体制の警備ロボットが弾くのだ。
物珍しさに集まった4人の子供の前で扉を開いた。金色の針のような男が佇んでいる。ナイトアイだ。
相澤がオールマイトを殺すという予知をしてから初めての邂逅である。あれから一カ月程度しか経っていないのに、ナイトアイは酷く痩せていた。
「ナ、ナイトアイじゃないか。どうしたんだい?」
「………どうしても伝えたい事がありまして。夜分に申し訳ありません」
口では殊勝なことを言いながら扉を開くなりズカズカと玄関に入って来る。さらには後ろ手に鍵をかける大男に「え、不審者?」と夏雄が至極真っ当な意見を零した。
「ヤ、こいつオールマイトのSK」
「へぇ。あ、初めまして。轟夏雄です。こっちは焦凍」
「初めまして夏雄さん。焦凍君も」
声をかけられた焦凍はぷいと顔を背けて燈矢の足にしがみついた。警戒心が強い飼い猫と同じ仕草だった。
「あ~悪ぃな。アンタお父さんと身長近いから無理っぽいわ」
「いえ、むしろ驚かせてしまいすみません」
「あ、あの。玄関じゃなんですから、あの、お茶でもご準備しますので、」
カチコチに固まった冬美がスリッパを勧めた。
白い絹肌を真っ赤に染めて、ラフな部屋着を恥ずかしそうに握っている。
「………ヱ、冬美ちゃん?」
「お構いなく。仕事の話が終わりましたらすぐに帰りますので」
「はい、いえ、あの……はい」
ポポポ、と頬を赤くした冬美に夏雄はあんぐりと口を開けた。ぐるんと顔を燈矢に向ける。
燈矢も夏雄と全く同じ顔をしていた。
「おい燈矢兄。オイ。聞いてないんだけど」
「俺も知らなかった。マジで知らなかった。ヤ、あの、冬美ちゃんちょっと待って。あの、いや、お茶は良いから、アッチでお兄ちゃんとお話しよう。な?」
「でも、お客様だから……」
「お客様だろうがオールマイトのSKだろうが話によっちゃ俺ァそのロリコン野郎をここで燃やす」
「夏雄兄、ろりこんってなに?」
「人権が無いタイプの人類だよ」
「私の事は気にしないで下さい。もう夜なのですから、学生の皆さんはそろそろ休まれた方が良いですよ」
わいわいと五月蠅い子供達へ微笑むナイトアイに「ネコかぶってんなぁ」と相澤は思った。ついでに口にもした。
途端に柔和なサラリーマン然とした男が身長2mの近接戦闘特化型ヒーローの顔になる。
「子供が客の相手をする必要が無いのは当たり前だ。そもそもアポイントも無い夜の訪問者に子供を会わせるな。不審者だったらどうする」
「つまりアンタがアポ取れば良かったのでは?」
「取ったらこの人が逃げる」
逃げようと靴を履く寸前にナイトアイは上司の首根っこを掴まえた。
優秀過ぎる部下は“個性”など使わずとも上司の動きを予知出来るらしかった。
■ ■ ■
病院の検査結果を伝えたのはグラントリノだけだ。
彼からは猛烈な説教を頂戴したが、自分は忙しさを理由に聞き流した。
それにカチンときたのだろう。第二の師匠は人の嫌な所を突くのが猛烈に上手い。伊達に誰よりも長くAFOと戦っちゃいないのだ。言ったら蹴られるから言わないけど。
いつ相澤を追い出せだの、引退しろだのと言われないか怯えながら3人分のお茶を出す。平均を優に超える体格の男3人が集まると一般的なサイズのダイニングテーブルは酷く狭い。
「グラントリノより、AFOから“個性”を譲渡されたと伺いました。一体何の個性ですか。OFAに影響は」
「いや、譲渡されたというかね。自分でも良く分からないくらい微弱なモノが増えたような感覚なんだよ。こう、先代達の気配が増えたような感じというか」
偶にOFAに残る先代達の意思を感じることがある。
だが本当に微弱なものだ。何となくこっちを見ているな、とか、何か言いたげだな、なんていう曖昧な感覚でしかない。
AFOによって追加された“個性”も同じようなものだ。何か悪さをする様子も無く、身の内からじっとこちらを眺めている。
「AFOの“個性”については聞きましたけど、それって蛇腔病院の時ですよね」
「うん。脳無に襲われて私が油断した時だ」
師匠の遺体から作られた脳無を潰し、一瞬警戒心が途切れた。相澤のおかげですぐさま態勢を整えたが、あの瞬間確かにAFOは自分に触れた。
「AFOはOFAを奪う事が目的と聞きました。何でその時OFAを奪わなかったんですかね。アンタに個性を渡す暇があるんならOFAを奪うことも可能だったと思うんですが」
「私もそう思う。ヤツがOFAを見逃した理由は私にも分からない……しかし、その機会を逃してまで私に渡す必要があった“個性”となれば、間違いなくロクなモノじゃない。今の所は大人しいけど時限爆弾のように作用する可能性もある」
ちら、と相澤を見る。
「1年というタイムリミットを合わせて考えると、OFAを次の継承者に託すことも視野に入れるべきだ。とはいえ現時点でAFOとの繋がりを完全に否定出来るヒーローは限られる───それでね相澤君」
「お断りします」
「私も反対だ。この男は天地がひっくり返っても象徴にはなり得ない」
一考する様子も無い2人に「そっかあ」と息を吐く。自分とて相澤を九代目にするのは無理があると分かっている。
八代目が『オールマイト』でなかったら、九代目は相澤でも良かっただろう。
しかしオールマイトの存在はあまりにアイコニック過ぎた。加えて社会情勢はオールマイトに寄りかかる不安定な状態であり、AFOという不安要素も健在である。
継承直後からオールマイトと同等に活動できる人物でなければ、現時点で九代目を任せるのは難しい
「生半可な者に継承するのはAFOに隙を与える結果にしかなりません。まだOFAを海外に逃がす方が良いくらいだ」
「それは駄目だ。社会は漸く安定期に入ったばかりなんだよ。象徴が消えたら時代が逆行しかねない」
「量産型のオールマイトを忘れたのですか。戦場そのものすら分子状態まで分解された。もしレザーフェイスがアレを量産出来るのだとすれば、九代目はアレの集団と戦うことを求められるんです。いくらOFAがあろうと凡人は一瞬で死ぬ」
「それは……」
「───分かっているでしょう。最善手は量産型のオールマイトが出回るより先に、貴方が全てを終わらせる事です」
ナイトアイは何十人分かの名前がリストアップされた書類を机に広げた。
未来の日付が名前の横に幾つか載せられ、それぞれにAFOの挙動が記されている。
「この一カ月、AFOに関与していると思わしき者達をピックアップして“予知”してきました。それらの内容から推測したAFOの行動がこちらです」
「……第五世代の子供達の誘拐事件が多発?」
「はい。孤児院の子供達や家出した少年少女を誘拐して個性を奪っている。今まで水面下で身を潜めていたAFOとは思えない程に派手な動きです。それに加えて、貴方への襲撃回数も増えている」
誘拐される子供達の名前や、襲撃される孤児院の場所、時間、そして実行犯のヴィラン名までがリストに明記されている。
その中にはAFOの名前もあった。かなりの頻度で実行犯の欄に記載がある。
「……これは本当にAFOなのか?あまりに派手な動きが多すぎる。私を殺すのに躍起になっているというより、他の目的があるようにも思えるが」
「ヤツの目的は私にも分かりません。私の予知は決して完璧ではない───そう、私が見たのはあくまで『イレイザーヘッドがオールマイトの外見をした人物を殺す』状況でしかなかった。ならば私は、それが貴方自身ではない可能性に賭けます」
もうそれしかない。
ナイトアイは完全に腹を括った顔だった。
「これから大きな事件が増える。貴方が居なければ救えない人々があまりに多い。世界中を捜せば貴方の次に相応しい者は居るかもしれませんが、1年以内に見出すのは無理だ。時間が無さ過ぎる」
「ナイトアイ、」
「オールマイトが勝利し、AFOが潰え、平和が訪れてから相応しい継承者に象徴を託す。私はその未来に全てを賭ける。八木俊典の安寧ですら賭けてやりますよ。貴方と共に戦うためなら、私は他の何だって賭けていい。その結果、貴方が勝ち、生き残れるなら……」
「………おっも」
扉の向こうでぼそりと独り言が聞こえた。
相澤が無言で立ち上がって扉を開ける。パジャマ姿の燈矢が突っ立っていた。
「………そこで何やってんだい燈矢少年?」
「ヤ、いい年した男共が湿度高い喧嘩してんなって」
「お前だけにはソレ言う権利無ぇぞ」
実父への高すぎる湿度のせいで色々とやらかした少年は肩を竦めた。
「あー、言っとくけどあんまり詳しい事は聞けてねぇよ。予知とか誘拐とかがボソボソ聞こえただけ」
「そうか」
「あとオールマイトが死ぬかもって」
空気が固まる。
一人、ナイトアイだけが変わらぬ顔で燈矢を見ていた。
「さっきネットで調べたけど、アンタの個性って“予知”らしいな?」
「確度の高いものではない。あくまで可能性の話だ」
「100%当たるってファンサイトにまとめてあったぜ。すげぇな。冬美ちゃんがアンタのファンになるのも納得だわ」
軽い口調で喋っているが眼は一切笑っていない。
燈矢は椅子にドカッと座ってナイトアイを睨みつけた。
「俺が盗み聞きしてんの、アンタは気付いてたろ。相澤とオールマイトはアンタに意識が向いてたせいで気付かなかったけど……」
「気付いていた訳ではない」
「ふーん」
「しかし私が視た未来には、オールマイトに協力する君が居た。交渉を切り出すのなら今だろうと思っていた」
ナイトアイはスンと澄ました顔をしている。食えない男である。
わざと声を大きくして相澤とオールマイトの注意を引き、燈矢に事情を聞かせ、事態に巻き込んだのだろう。
恐らくはこちらの提案も折り込み済みだ。
ならば交渉相手は2人に絞れる。燈矢は相澤とオールマイトに向き合った。
「子供の誘拐事件に対応するにしても、AFOの目的を探るにしても、時間も人手も無ぇんだろ。だったら俺って使えるんじゃね?“個性社会”に不満がある少年少女には俺のシンパが大勢居る」
燈矢の顔と経歴は今や世界中に知れ渡っている。暴露動画は今でもSNS上にあり、燈矢とエンデヴァーが神野で繰り広げた戦いの映像もどこかから流出していた。
実父であるエンデヴァーの罪を告発し、さらには命懸けで戦い、レザーフェイスに恃む政府すら糾弾した燈矢を現代社会の警鐘者と見る者は少なくない。
特に“個性社会”に辟易している若年層からの人気は高く、一部からはカルト的な扱いすらされている。
「 “個性”で行き場を無くしたガキどもの代弁者だとか、ヒーロー社会の暗部を告発した少年だとかさ。“個性”のせいで居場所が無い奴らはオールマイトより俺の方の話を聞くぜ」
「駄目だ。危険過ぎる。ただでさえ君は誹謗中傷の的になっているんだ。さらに人前に出るとなれば、」
「上等だ。相澤が言ったんだろ、俺には責任があるってさ………その通りだよ。俺には事実を暴露した責任がある。何より、」
アハ、と燈矢はヴィランめいた顔で笑った。
「やられたら、やり返さねぇとなぁ?」
■ ■ ■
■ 轟家
人の住まない家はたった数日で枯れ木のように乾く。足を踏み入れるとキィキィと寂しい音がする。
一週間ぶりの帰宅だった。それも夏雄と焦凍の転校手続きの書類を取りに帰るためでしかなく、終わればまた事務所に戻る。
メディア対応。オールマイトから渡された仕事。公安との折衝。ヒーロー協会との連携。仕事量は膨大に増えた。石を投げられる事もまた増えた。
それでいい。自分が非難される程に被虐待児であった子供達には同情が募る。
「家に帰らずとも何とかなるものだな」
独り言が響く。
オールマイトも殆どマイトタワーで暮らしていたようなものだったのだから、自分も出来て当たり前ではある。
過去形の話だ。ヤツはちゃんと毎日家に帰って、子供達を見なければならない。
居間の畳には燃えた机の痕が焼け付いていた。縁側に出て中庭を見回す。広い庭は雑草に侵略されかかっている。
書類を取り出し、つらつらと読む。内容に過不足は無い。サインと押印をして懐に仕舞う。
あとは事務員に渡して郵送して貰えば良い。
「静かだ」
小石のような声が庭に落ちる。自分しか居ないのだから当たり前だ。しかし子供達が居た時からこの家は静かだった。
4人も子供が居たというのに、はしゃぎ声すらどこか遠慮がちだった。
もっと早く気付けていればと思い、しかし燈矢がああして呉れなければ眼を覚ます訳が無い己であったと思う。自分はそういう人間だ。そして人間はそう簡単には変わらない。
もし子供達がこの家に帰って来たとして、自分が以前と同じように振る舞わないという自信が無い。
己の愚かさと執念は誰よりも知っている。ならば二度と子供達の前に父親として現れるべきではない。
燈矢の言った通り、謝罪には何の価値も無い。今の自分に許されるのは、子供達の盾になることと、秘密を護り抜くことだけだろう。
秘密。そう、冷すら知らない秘密。
「───焦凍」
オールマイトの元で平穏に暮らしているだろうか。学校で虐められてやしないだろうか。長い確執のある燈矢はあの子をちゃんと弟として見ているだろうか。
心配だ。しかし心配する権利は無かった。全ての原因は己にあるのだから。
ただ、小学生の焦凍が己の出自をどこまで理解しているのかが気にかかる。もしそのことを気に病んでいるのなら、お前は轟炎司の息子なんだと言ってやらねば。
血縁関係を調べてしまう前にそう断言しなければならない。
今、あの子の傍には兄姉達が居て、その気になればいつでもDNA検査が出来てしまう。
「ッ」
その可能性を想うだけで心臓が痛くなった。
本当に「そう」であるという確信は無い。レザーフェイスはそう示唆しただけで証拠は提示しなかった。
証拠は、しかし、自分がその気になれば何時でも手に入る。民間でDNA検査を請け負っている会社なんて幾らでもある。
だが、怖い。知りたくない。出来得ることなら死ぬまで見ないフリをしていたい。
一つ息を吐いて怯懦を振り払う。ここで蹲っている暇は無い。
懐に仕舞い込んでいた書類を縁側に置いて立ち上がった。子供達のために必要なものだ。出来れば燃やしたくなかった。
背中を向けたまま居間に繋がる障子を焼き払う。
炎が畳と壁を舐める。飛びずさる足音が床を擦った。
足音からして男。反射神経が高い。戦闘経験は並み以上であろう。
「不法侵入だぞ。貴様、何者だ」
奇襲の機会を損じた男は、しかし残念がる素振りもなく、赤色の溜息を吐いた。
「───ハァ………断罪者、スタンダール」