地獄より我らが父へ   作:XP-79

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No.19 赤と黒と、あともう一つ

 

 スタンダールという通称。

 V字状のマスク。ナイフ複数。日本刀。一つに束ねた長い黒髪。

 

 特徴的だが記憶に無い。しかし初犯にしては攻撃に躊躇いが無い。

「ヴィジランテか。安い正義感で動いているなら止めておけ。相手が悪い」

「……自分で言うな……ハァ……」

 スタンダールは直刃の打刀を抜き払い、脅しの言葉も無く斬りかかる。一歩後退すると瞼の先を白刃が過ぎた。

 避けながら庭まで後退する。室内での戦闘は自分に向かない。間違いなく家を焼く。

「だが庭もな」

 子供達が遊んだ場所だ。冷にとっては思い出深い景色だろう。せめてと庭の中央に飛んだ。

 同時に全身が硬直する。白砂に体が崩れ落ちる。

 眼球だけを動かして見れば、スタンダールは細長いガラス瓶に入った赤黒い液体を舐めていた。医療機関で使うような試験管だ。自分の名前がラベリングされている。

 神野区の戦いの後、搬送先の病院で採血された己の血液だろう。

「それが貴様の“個性”か。それはそれとして窃盗罪も追加だ」

「……オールマイトに次ぐヒーローが、その実態は力を振り翳す社会の害悪。ヒーローを名乗る高慢の黒。孰れは多苦処に堕ちる者………」

 滑らかな動作で刀を構える。人を斬り慣れた所作である。

 

「粛清する」

 

 一足で目の前まで接近する。人並外れた脚力であるが、視認は出来る。

 足が地に付くタイミングで炎を噴き出した。装備品の靴が溶ける。

「ぬっ」

「もっと良い耐熱サポートアイテムを使え。面倒な……」

 エンデヴァーの首を狙っておいてこの程度の耐熱素材とは、舐められたものである。

 しかしスタンダールはヴィジランテ崩れにしては根性があった。片足に溶けた靴を貼りつかせたまま、接近戦を不利と見て後退する。

「拘束系か精神制御系かは知らんが、こういったタイプの個性は凡そ時間経過で解ける。それと、凝固出来るのは体の動きだけか?相手の“個性”の発動を完全に止めるのは難しいらしいな」

「正義の白を偽る悪党より深き黒よ。スタンダール()の裁きは呵責する天の声」

「本当に面倒な男だ」

 

 燈矢の動画に触発された思想犯か。自分の行いに正当性があると思い込んでいるタイプだ。

 こういう輩は変に覚悟が決まっている。何を言われても耳に入れず、説得も更生も難しい。

 しかしどんな相手だろうが、ヒーローに許されるのは警告・拘束・通報、そして状況的に許容される程度の中軽傷までである。自宅に侵入されて刃物で斬りかかられてもそれは変わらない。

 因果な仕事だと改めて思う。子供をこんな仕事に就かせたい奴は碌な親じゃない。

 

「初犯で、さらに狙ったのが俺なら悪質性は低い。とはいえ数か月は刑務所だ。自首なら微罪処分で済む」

「そも、捕まる気は無い」

 ナイフを投げる。

 炎を噴射して軌道を変えると、ナイフは白砂に突き刺さった。

 こちらの視野から逃れるようにスタンダールは土足のまま家に飛び入る。

「そっちは止めてくれ!子供達の部屋だ。荒らされたくない」

「ハァ……悪は赤き血によって継がれはしない。所詮は父母の罪科が降り注いだ欺瞞の象徴。蓋が載せられた鬱憤の坩堝」

「その喋り方は若者の流行りなのか?」

 何を言っているのか分からないが、取り合えず子供達には罪が無いと考えているようである。

 庭を取り囲む障子紙の向こうからナイフが飛んで来る。その都度炎で軌道を逸らすが、埒が明かない。

「貴様が、俺はヒーローに相応しくない男だと言うのならその通りだ。弁明も出来ん。だが俺の代わりが勤められる人材が居ないんだ。事態の収拾がつけば引退を、」

「オールマイトの次席に泥を塗った罪業が勇退で済むものか。エンデヴァーと名乗る羸弱性は血によって贖われねばならん」

「日本は法治国家だ」

「貴様の舌には勿体ない単語だ……」

 喋りながらもスタンダールはナイフを投げ続ける。

 だが長期戦は自分へ有利に働く。いずれ体を拘束する個性は解けるし、ナイフの数にも限界がある。

 その事は相手も分かっているだろう。それなりに戦闘経験を積んでいるらしきスタンダールが、先の見えた消耗戦を企図するとは思えない。

 

 飛んできたナイフに炎を叩きつける。ナイフは火花を纏ったまま白砂に突き刺さった。

 途端に地面が燃える。

 炎は瞬時に庭木や芝生に燃え移り、黒煙が立ち込めた。周囲を炎と煙に囲まれてスタンダールの姿も見えない。

「ナイフは陽動か。考えたな」

 ガソリンの臭いがする。

 ナイフが狙っていたのは自分ではない。白砂の下に予め隠していた、ガソリンを詰めたビニール袋かペットボトルのようなものか。

 連鎖的に燃えるよう、狭い間隔で幾つも埋めておいたのだろう。そうしておけば、一つでも燃えれば広大な庭が一気に燃え上がる。

 

 ガソリンの燃焼温度程度は何の問題も無い。副産物の方が問題だ。屋外ということで油断していた。

 炎熱系個性が屋内戦闘を苦手とする一番の原因。

「一酸化炭素中毒狙いとは、回りくどいやり方をする……」

 中庭は解放空間だが、周囲全てが炎に撒かれれば酸素濃度は極端に薄まる。

 こればかりは“ヘルフレイム”でもどうしようもない。

「エンデヴァーの血液型はAB型……ハァ……あと5分か……」

 スタンダールは悔しそうに柱の影からこちらの様子を覗いている。ナイフが尽きたのか、攻撃の様子は無い。個性が効いている間はギリギリまで様子見に徹するようだ。

 

 とはいえ、どれだけの量のガソリンを仕込んだか知らないが、屋外で致命的な程の一酸化炭素中毒は期待できない。

 個性が効いている時間制限までに気絶すれば上々。良くて頭痛、眩暈、気分不良。それから近接戦闘に持ち込む算段だろうか。

 確かにスタンダールの近接戦闘能力は優れているが、それにしたって手緩い。

 

「ゲホッ、何故屋内で襲撃しなかった?貴様の個性ならその方が楽だった筈だ」

「ハア……」

「室内にガソリンを仕込み、ゴホッ、俺が家に入った時点で“個性”で拘束して燃やせば良い。そもそも一酸化炭素なんぞ不確実だろう。もっと毒性の強いガスか、薬品でも使った方が楽で確実だ」

「………黒の轍は貴様の赤のみを地に擦り付ける」

 

 相手に理解させようとする気の無い喋り方である。極端な偏見を持つ思想犯の特徴だ。

 20代前半の若者のようだが、思考回路は更生不可能の領域に達している。

 しかし、この男がワザワザ回りくどい手段を取った理由が分かって喉の奥が酷くむず痒くなった。

 

 生まれ持った善性、悪性など、実は大したものではないのかもしれない。

 人間は些細な切っ掛けで正道を外れることがある。

 

「────引っ越したとはいえ、子供達の本籍地は此処だ。屋内にガソリンを仕込めば、ゴホッ、もしくは毒性の高いガスや薬品では、偶然家に戻った子供達が被害に遭うかもしれない」

「ハア……」

「だが庭に仕込んでおけば、ゲホッ、万が一気付いたとしても、ガソリンだけなら火事にもならん」

「………轟燈矢は現代社会の腐敗を提示した。弟妹達は身を挺し善を成した。天の粛清は罪人のみに下される」

「………本当に面倒な男だな、スタンダール」

 喋ると少し眩暈がする。煙をかなり吸い込んでしまったせいだろう。

 だが個性が解ける様子は無く、これ以上は待てない。

「面倒、とは」

「言葉通りだ。貴様は確かに強い。そこらの愉快犯とは一線を画する」

「………ハァ、」

 スタンダールは訝し気に息を吐いたが、本心である。

 

 神野の事件後より、エンデヴァーを襲撃する者が急激に増えた。ヴィランだけではなく、著名なヴィジランテから無名の一般人まで、道を歩いていれば多様な“個性”で攻撃される。

 スタンダールはそんな連中とは比較にならない強さだ。経験を積めば凶悪なヴィランとして名を馳せたことだろう。

 仮定の話だ。

「だから、殺さないよう手加減するのが面倒だ」

 

 炎を吐き出す。ガソリンを燃料にする炎を飲み込み、さらに焼く。

 酸素が更に薄くなるが、気にせず炎を噴き出す。

 子供達がぶら下がって遊んだ庭木を炭にして、縁側を焼き尽くし、屋根を焦がし、尚も強く燃やす。

「………家が燃えるぞエンデヴァー」

「そうだな」

「貴様は、貴様の暴虐に苛まれた子らの郷愁すら奪うのか?」

「ああ。そうだ」

 こちらの本気を見て取ったスタンダールは身を翻した。

 しかし逃げるより先に足を燃やす。スタンダールの身体に張り付いた炎は畳に移り、冬美が毎日立っていたキッチンを焼き、夏雄の部屋に続く廊下を燃やした。

 業火はスタンダールの仕込んだガソリンを瞬時に燃やし尽くした。庭木程度しか燃料の無かった中庭の火が消える。

 

 しかし木造の日本家屋に燃え移った炎は勢いを増した。柱が熱でバキッと割れて、傾いた屋根から瓦が滑り落ちる。

 そのタイミングで漸く体が動かせるようになった。

 肩を鳴らしながら、火の中で身動きが取れなくなっていたスタンダールに近づく。

 全身に張り付く炎を掃ってやって、手足を拘束した。そのまま中庭に投げ落とす。黒く焦げ付いた庭は真夏の砂浜より熱いだろう。ジロっと睨まれたが知ったこっちゃない。

「大した火傷じゃない。この程度なら後遺症も無く治る」

「ハア……気づかないのか」

「何をだ?」

「………ヴィランに与する罪科は貴様と女が負うたものである。だが女は貴様の業火を蒔かれた白だった。スタンダール()は罪なき白を裁く刃を持たず……」

 V字型の仮面はいつの間にか外れている。ザラっとした陰気な顔付きの中で、大きな眼球にポツンと浮いた小さな瞳孔が異様にギラギラとしていた。

 鋭い針の視線に頭の後ろが寒くなる。

 同時に、女の悲鳴が響いた。聞き馴染みのある悲鳴だった。

 

 

「故に、女を裁くのは貴様だ」

 

 

 弾かれたように駆けた。悲鳴が上がったのは焦凍を隔離していた棟に火が移った瞬間だった。

 背後でスタンダールが拘束を解いて逃げ出したのが見えたが、どうでも良い。

「冷!」

 炎はあっという間に小さな棟を飲み込んだ。

 入り口を蹴り飛ばして中に飛び込む。既に煙が充満している。

「冷!返事をしろ!」

 罅割れた悲鳴が響く。近い。

 訓練場に踏み入る。散々に焦凍を叩きつけた床が燃えて、黒い煙を吐いている。

 呼吸をする度に煤が喉に張り付いた。しかし気にならない。

 すぐそこから冷の悲鳴が聞こえる。

「ッ、れ、」

 襖を開く。大音量で叫ぶスピーカーが鎮座していた。

 

 は、と息を吐く。どこにも人の姿は無い。

 スピーカーを消す。崩れる家の轟音と、木材が爆ぜる音ばかりが響いてた。

 肺の奥から全部の空気が出た。安堵のあまりその場に崩れ落ちる。

 

 此処に冷は居ない。奇襲が失敗した場合を見越して、スタンダールが冷の悲鳴を録音したスピーカーを設置しておいたのだ。

 だとすれば舐められたものである。いくら足が速かろうと未だ追いつける。あれだけ特徴的な外見であれば見逃しようもない。

 警察と事務所に連絡するべく懐からスマホを取り出し、手を止めた。

 

 そもそもスタンダールはどうやって冷の悲鳴を録音した?

 

 頭上で屋根が燃える音がする。煙を吸い込みながら、冷の入院している病院に連絡した。

 取り次いだ看護師は声にのっぺりとした嫌悪感を乗せていたが、冷に何かあった場合は轟炎司に連絡する義務がある。

 看護師は渋々と、最近調子が良くなった冷が一時帰宅を希望し、昨日病院を出たと言った。

 

 

 精神病棟の監視は厳重である。家族でなければ面会は許されない。無理やり押し入って悲鳴を録音したのなら病院側は必ず気付く。

 病院ではない。この家でスタンダールは冷の悲鳴を録音したのだ。

 昨日、ガソリンを仕込むために侵入していた最中、家に帰宅した冷と偶然鉢合わせてしまったのだろう。

「……その後は、」

 冷をそのまま逃がしてしまえば、間違いなく警察かエンデヴァー事務所に連絡する。そうなれば奇襲の機会を失う。

 

 スタンダールの言葉を信じるなら、ヤツは無実の子供達に危害を加えるつもりは無かった。

 だがレザーフェイスに焦凍を作るよう依頼し、熱湯を浴びせかけた冷は別だったのではないか。

 少なくとも人目に付くリスクを冒してまで安全な場所に移動させたとは思い難い。

 

 つまりこの家のどこかに、拘束され、放置された冷が居る。

 

「………ナイフもガソリンも、スピーカーも陽動。本命は、俺の炎で冷が死にかけているこの状況……」

 ごほ、と煤の混じった咳をする。煙の充満する室内に長く居たせいで肺の奥に煤が溜まっていた。

 だが冷がこの家のどこかに居るのなら、耐熱体質のある自分より遙かに危険な状態である。

 すぐさま警察に連絡し、応援を呼んだ。しかし到着までどう見積もっても数十分はかかるという。

 待っていたら家は全焼し、冷は死ぬ。

 

「ッ、れ、冷、冷!!」

 冷の名前を呼びながら家の中を走った。

 既に眩暈と頭痛が脳の裏側を苛んでいる。子供達が居なくなってから窓も扉も閉めっぱなしだった。炎は密室の壁と床を舐めるように這っており、酸素が薄い。

 広い家の一室一室を調べて回っていたら間違いなく間に合わない。

 だが冷は小柄な女だ。手足を折りたためば箪笥の中にも納まってしまう。気絶していたら、もしくは声を出せない状況であることを考えると、部屋の隅々まで捜索しなければならない。

「クソ!」

 あの野郎。やはり殺しておけば良かった。

 だがそう思うと同時にその言葉が己に向かって突き刺さる。

 

 スタンダールが燃やしたのは庭だけだ。殺そうとしたのも自分だけ。冷は悲鳴を録音して、拘束しただけに過ぎない。

 今、冷が死にそうになっているのは、自分が家を燃やしたせいだ。

「クソ……」

 

 ずっとそうだ。何度繰り返しても変われない。

 きっと自分は人を救うのに向いていないのだ。

 

 そもそも自分は、誰かを救いたいと心から願ったことがあっただろうか。

 そう思うと、何故か、父のことを思い出した。

 

 

 父は弱っちい男だった。気の強い祖母に叩かれながら育ったせいか、祖母によく似た自分にすら、どこか怯えた風だった。

 弱く、無害で、毒にも薬にもならないヤツだった。

 なのに、何故か、見ず知らずの少女を救うために立ち向かった。

 そうして少女を救う事も出来ず、自らも死んだ。

 あんな風にはなりたくないと思った。

 しかし、違ったのだ。自分は、あんな風になれなかっただけだった。

 

 

 

 鼓膜を劈く大音響が走った。巨大な金属が降ってきたかのような音に、まさかとうとう崩れ落ちたかと外を見た。

 屋敷の一角が巨大な氷で覆われていた。

「………冷?」

 まさか、と眼を疑う。

 冷は個性訓練なんてしたことも無い。いくら“個性”のために近親婚を繰り返した末の女とはいえ、血統に染みついた才覚だけで屋根まで覆う氷を出せるものか。

 だが実際に氷は燃え盛る屋敷の床から瓦まで全てを覆っている。

 それどころか燃え盛る炎を飲み込まんばかりに浸食を進めていた。炎上する屋敷の中でその一角だけが凍り付いて白い。

 その一角に向かって駆け出した。

 

 足を踏み入れるただけで息が凍る。凍り付いた扉や障子を打ち破って突入した。

 特に氷の分厚く張り付いた扉を叩き割る。

 部屋の中央に冷が倒れていた。痙攣するように全身をばたつかせ、喉を掻きむしっている。

「冷ッどうした!」

「ッ、ア゛ッ、、、オッ、」

 冷の全身は薄い氷で覆われていた。口の中を見ると喉に氷が詰まっている。

 凄まじいまでの氷冷系個性の才覚を、素人の女が持てあましているのだ。横向きにして口を大きく開かせた。

「“個性”を抑えろ!氷を吐け!!飲み込むな!!」

「ア゛ッ、アウ゛、」

 痙攣する体を抑えながら、口の中に指を突っ込んで小さな火を灯す。

 暫くすると打ち上げられた魚のように冷の身体は跳ね、溶けて滑りの良くなった氷を吐いた。

 そうすると胃袋をひっくり返す勢いで氷を吐き出し始める。ざらざらと積み上がる氷の山に、最後にゴポッと拳大の氷を吐くと、細い身体はぐったりと倒れた。

 同時に“個性”の勢いも弱まる。溶けた氷がそこら中を水浸しにしていた。

「そろそろ救急車が来る。呼吸は問題ない……おい立つな」

 窒息の影響が尾を引いているのだろう、おぼつかない足取りで冷は立ち上がろうとした。

 その手を取る。恐ろしい程に冷たい。

「でも、消さなきゃ。まだ家が燃えて……」

「………もうこの家に子供達は帰って来ない。燃えたからといって誰も、」

「ッだから何だって言うの!?」

 繋いだ手が凍り付く。久しぶりに間近で見た妻の顔は、目尻が鋭く凍っていた。

「あの子達が帰って来ないのはあの子達の自由だけれど!!私達がこの家を見捨てるのは、私達の自由じゃないでしょう!?」

 

 でもあの子達だってこの家が無くなったら清々するだろう。

 そう口にしようとして、しかしそのまま閉じた

 そうやって子供の感情を決めつけるのは、親の傲慢に他ならなかった。

 

「………そうかもしれない。お前の言う通りだろう。だが、お前はどうなんだ。この家に良い思い出なんて、」

「あるわよ。沢山ある!ただ、嫌な思い出も多いっていうだけ!」

 冷はぐいぐいと凍り付いたままの手を引っ張って中庭に出た。個性の制御が上手く出来ないようで、繋いだ手は凍ったままだった。

 

 煙の届かない距離を保ちつつ、冷は燃える家を凍らせていく。

 時々吸い込まれるように燃える家に近付こうとする体を手を引いて止めた。

 その度に、「そういえば居たのね」という綿雪の顔でこちらを振り返る。まだ精神が不安定なようだ。

 しかし病院で会った時とは別人のように平静である。

 

「その、お前。どうしたんだ。急に……」

「燈矢がお見舞いに来てくれたの」

 そうか、と表情ばかりは平静に頷く。

 冷の精神状態は燈矢の死を切欠に悪化した。それが生きていると知られれば、改善もするだろう。

「その、あの子は、何て」

「………謝ってくれたわ。酷い事を言ったって。酷い事をしたのは私の方なのに」

 その酷い事をさせたのは自分だった。自分が見たくなかったがために、冷に燈矢を見るよう命じていた。

「あの子、色んなことを喋ってくれたの。相澤さんって方に勉強を教えて貰っているとか、オールマイトさんと映画を観たとか」

「ああ」

「焦凍の宿題を見てあげてるんだって。それに個性発電所っていう所で訓練してて、そこの職員さん達にお菓子を貰ったり、」

「そうか」

「冬美の代わりにご飯を作ったり、夏雄と、ゲームしたりして、」

「……ああ」

 言葉が出ない。

 

 それは、本当は、普通の子供が普通に経験する日々だった。

 この家でとうとう経験することが出来ず、他人を保護者にして漸く手に入れた平穏だ。

 きっと燈矢は二度とこの家に戻って来ないだろう。

 

「でも、もう帰って来なくても、この家のことを忘れてしまっても、それでも、私達だけは、あの子達がいつでも帰って来られるようにするべきじゃないの………?」

 

「……それは、逆に、あの子達にとって負担になるんじゃないだろうか」

「そうかもしれない。だから何も言わない。ただ、私がこの家で暮らすだけ」

「俺はこの家に居ても良いのだろうか」

「貴方も含めてこの家よ」

「お前はそれで良いのか?嫌な思い出に耐えるくらいなら、お前だけでもあの子達と」

「構わないわ。だって、貴方、私の罪を背負ったでしょう。レザーフェイスに頼ったのは私なのに」

 

 恐る恐る妻の顔を覗き見る。炎に照らされた白い顔が美しかった。

 こんなに美しい女は他に居ないだろうと思った。

 

「貴方、」

「何だ」

「何故かしら。弱く見えるわ」

「───そうかな」

「ええ。髭が無いからかしら……」 

 細い指が顎を撫でた。

 その感触にどうにもたまらなくなって、顔を崩してしゃがみこんでしまった。

 嗚咽を零す顔を妻は何度も撫でながら「泣き方が燈矢にそっくり」と零して、こちらも蹲って泣き出した。

 

 警察が到着するまで、2人でずっと、そうしていた。

 

 

 

 

 

 

 ■  ■  ■

 

 

 

 

 

 

「うわ!!!奥さん、燈矢ボーイとめっちゃ似てますね!!!顔がメッチャそっっくりじゃないスか!!」

「マイク大声出すな。鼓膜が痛ぇ」

「あ、あの、」

「すみませんね冷さん、五月蠅くてむさい野郎ばっかりで。特にエンデヴァーが」

「俺の妻なんだが………」

「むさい。でかい。暑い。どっか行け」

「貴様のSKの教育はどうなっているんだ?」

「私の事務所はSKを自由にのびのび育てる方針だから」

「ナイトアイもそれであんなヤベェヤツになっちゃったんですね。やっぱゆとり教育はダメだな」

 警察署の一室である。

 塚内は「すみません五月蠅くて」と轟冷に頭を下げた。しかし何を考えているのか全く読めない顔が恐かったので、冷は塚内から一歩離れた。

「いえ、あの、私の話が皆さんの役に立てると伺ったので……」

 轟冷は元々小さい身体を更に小さくしながらパチパチ瞬きした。

 彼女はレザーフェイスに関する情報提供のため、この場に召喚されていた。

 

 

 レザーフェイスの顧客と判明している者達はそれなりに居る。しかしそうと認めて捜査に協力してくれる者は居ない。

 しょうがない事ではある。捜査に協力することは“個性”のために我が子を金で作らせたと認めるも同然だった。

 冷は自ら捜査協力を申し出た貴重な情報提供者なのである。

 

 

「で、でも、10年も前のことで……わ、私。私なんて、あの、……もしかしたら、何の役にも、」

「大丈夫ですよ奥さん。てか立ったままはアレでしょう。こちらに座って下さい」

 この中で唯一の女性であるレディ・ナガンが隣の席を引いた。

 滑らかなベルベットの声に吸い寄せられるように座ると、途端にレディ・ナガンはずいと冷に顔を寄せる。間近に閃く紫水晶の美貌はとんでもない迫力だった。

「家が燃えちまって大変な時に、こんな野郎ばかりの場所に足を運んで下さるなんて。呼んでくれさえすれば私が貴女の元まで行ったのに」

「いえ、あの、ええ……」

「何か飲み物でも持って来ようか。冷たい飲み物の方が好き?」

「いえ、そんな、あの、ヒーローのお手を煩わせる訳には……」

「貴方のような美しい人に頼まれても嬉しいだけだよ。煩わしいなんてとんでもない」

 美しい、と真正面からストレートに突き刺された冷の頭はポカンと空白になった。

 その隙を見逃さず、レディ・ナガンは白魚の指先を緩く握る。ナンパ師も真っ青の速度だ。

 

「……抱かれたいヒーローNo.4はヤバいな」

「ヤバい。手慣れ過ぎてて怖い」

「No.1、今のお気持ちは」

「彼女に勝ってる自分が信じらんない」

 外野のコメントもなんのその。ド派手な美女が至近距離で自分だけを見つめている光景に、冷はクラクラバチバチして身体から全部の力が抜けてしまった。

 当たり前である。メチャクチャに緊張している時にレディ・ナガンからこんなサービスを受けてしまったら、女だろうが既婚者だろうが緊張なんてどっかに吹っ飛んでしまうのだ。

 

 エンデヴァーも、相手が男なら止めもしようが、艶やかな美女となると自分に止める権利があるかも分からず迷子のように彷徨っている。

「おい、レディ・ナガン、おい、その、」

「何だ五月蠅いな」

「いや、あの。俺は夫なんだが、」

「私は女だ。女同士仲良くして何の問題がある。な、奥さん?」

「はわわ」

「冷って呼んでもいいかい?私のことは火伊那って呼んで欲しいな」

「か、火伊那さん……ッ」

「ホストクラブか?」

 相澤のツッコミを完全にスルーして、震える手でスマホを取り出した冷と連絡先を交換したナガンはほくほく顔である。

 その間も冷の手の甲を指で摩っているのだから計画犯だ。

「あの、ナガン君。そろそろ止めてあげて。冷さん顔真っ赤だから。爆発しそうだから」

「美人を見てると視力が良くなって“個性”の精度が上がるんだ。私にとって美人の補給は死活問題なんだよ」

「真面目な顔で何言ってんの?」

 とはいえ現上司のオールマイトに言われたら従わざるを得ない。レディ・ナガンは渋々と繋いでいた手を離した。

 

 部屋に入った時よりも幾分か顔色を良くした冷は、「実家の話なのですが、」と口火を切った。

「その……氷叢家は、子供を作る度にレザーフェイスに頼っていました。“個性”のために近親婚を繰り返していたので、発達障害や遺伝子異常を恐れていたのでしょう。それと、氷冷系個性以外の発現を防ぐ目的もあったようです」

「それは、今でも?」

「ええ」

「……直近で産まれた子供は」

「私の又従妹が数ヵ月前に妊娠しました。まだ産まれても居ません」

 そうなるとAFOに関与する前後の情報になる。

 

 AFOの元でレザーフェイスがどの程度の自由を許されていたのかは分からないが、量産型オールマイトの調整と神野区の準備にかなりの時間を費やした筈だ。全ての拠点を放棄するような暇は無かっただろう。

 氷叢家は既に権力を失って久しく、他のレザーフェイスの顧客と比べれば揺さぶり易い。

 

「実家を売ると?」

「実家は私をこの人に売ったので、今更です」

 この人、と指差されたエンデヴァーは深く頷いた。

「妻の実家に言うのもアレだが、氷叢家は金銭的に困窮している。プライドは高いが権力は無いに等しい。強硬策に出ても応じる他無いだろう」

「しかし正直に喋るでしょうか。燈矢君の動画の影響で、レザーフェイスに頼る者達への風当たりは尋常ではありません。ただでさえ焦凍君関連で、」

「私の“個性”がある。嫌でも喋って貰うさ」

 塚内が胸を叩いた。

「今度はサンサン晴明の時とは違って容赦はしない。無理やりにでも口を開かせる」

「では、冷さん、全ての情報を握っている氷叢家の人間を教えて下さい。家への強制捜査も考慮するべきだ」

「本家の人間なら皆知っています。情報は父の寝室にある金庫の中に、」

「令状はすぐに取れる。気取られて情報を消されたら困る」

「他のヒーローにも応援を頼みましょう。まずは根津校長に連絡を……」

「私が連絡しよう。それに口の堅いヒーローなら何人か知っている」

 

 パン、とオールマイトが手を叩いた。青い瞳が澄んでいる。

「さあ、反撃だ」

 

 

 

 

 

 

 ■  ■  ■

 

 

 

 

 

 

「あんたにゃ感謝してるんだ」「する訳ねぇだろ」

「俺に俺を取り戻してくれてさ」「どうせ何か企んでるんだ」

「義爛はアンタに注意しろっつったが、感謝しねぇと男が廃るぜ」「絶対ロクなヤツじゃねぇよ!」

 

 イカレた会話しか出来ない自分に、この人はスーツからくしゃくしゃのアメスピを取り出した。

 遠慮なく一本拝借する。アメスピ好きは良いヤツだ。

「大したことじゃないよ分倍河原君。君と会えて嬉しい」

「俺のことはトゥワイスって呼んでくれ。あんたと比べるとチャチなヴィランだが、これでも全国指名手配犯だ」「馬鹿みたいな名前だぜ」

 煙をふかしながら傷の目立つ顔を見る。義爛から散々にどれだけクソヤバいヴィランか聞かされたが、実際に会ったAFOは稀に見る色男だった。

 頭の片方を引き裂くような傷が無けりゃあ往年の銀幕スターと言われても信じただろう。

 さらに完璧なのは外見だけではない。

 

 数日前のことだ。燈矢の動画に触発されて、どうせ自分がオリジナルかも分かんねぇならと路上で大暴れした。

 個性社会の底でのた打ち回る惨めな人生を終わりにしたかったのだ。

 そんな俺をAFOは身の危険も省みずに止めてくれた。さらに支離滅裂な話を聞き、ならば証明しようと骨を折ってくれたのだ。

 激痛の中で俺は“俺”と証明された。

 AFOは滂沱の涙を流す俺を拠点に連れ帰り、怪我を治療した。

 さらには仕事まで斡旋してくれると言う。こっちが心配になる程の善人だ。

 

「ンで俺の仕事は雑用と、子供の護衛だって?育児の経験なんて無ぇから嫌われちまうかも」「子供の相手は得意だぜ!」

「“個性”のせいであまり外に出られない子なんだ。話し相手になってくれるだけでもありがたいよ」

 そっと伏せた顔に男でも胸がキュンとする。

 行き場のない厄介な“個性”を持つ子供を引き取って、話し相手まで雇うというのだからなんとも仁義に厚い人だ。

「なんていいヤツなんだアンタは!!アンタに拾われるなんてその子はメチャクチャラッキーだぜ!!」「アンラッキーにも程がある!」

「そうかな……私には子供が居ないから、ちゃんと親代わりになれているか心配でね」

「ンな心配する必要ねぇよ!もしアンタみたいな人が親父だったら俺ァ毎日自慢してたぜ!」「クソウゼェヤツだな」

「そう言ってくれると嬉しいな。そうそう、私は“個性”の研究もしているんだ。前に話した通り、協力してくれたら有難い」

「ああ分かってるさ。“個性”を研究するために“俺”が一人欲しいんだろ?」「そんなの知らねぇ」

 自分をもう1人作る。紙袋を被った男が「優しくしてね♡」と肩を竦めた。

「ありがとう。それと、これはプレゼントだ。マスクとスーツ。紙袋よりはマシだろう?」

 そう言って手渡されたのは如何にもヴィランっぽい黒い衣装だ。しっかりとした造りで、手が込んでいる。

 産まれて初めてのプレゼントだった。

「い、いいのかよ。俺ァまだ何の仕事もしてねぇのに」「後から金取るつもりだぜ」

「気にしないでくれ。お互い、ヒーロー偏重社会の皺寄せを食らった身の上だ。仲間なんだから、助け合わなければね」

 仲間、という言葉に胸がジーンとなる。

 ずっと一人だった身にAFOの柔らかな声はよく染みた。

「あ……ありがとうAFO!アンタは恩人だ。俺ァ絶対にアンタの力になってみせるからな!」「どうせまた転げ落ちるんだ」

「うん。これからよろしく、トゥワイス君」

 

 

 

 

 

 

 オリジナルのトゥワイスが部屋を出てから、複製されたトゥワイスの手を握る。

 空笑いが漏れた。

「……やはりか」

「何?もしかして俺に惚れちゃった?」「やっぱり何か企んでやがったぜ!」

「個性因子までが完璧に複製されている。これは世界が壊せる“個性”だ───恐ろしいな」

 

 オールマイト以外に恐怖を覚えたのは本当に久々の事だ。

 第5世代にここまでのモノが産まれるとは、流石に予想の範囲外だった。

 

「君の存在が表沙汰になれば個性終末論は現実味を帯びる。ドクターの喜ぶ顔が眼に浮かぶよ」

「……ア゛!?“個性”が使えねぇじゃねえか!」「俺が増えねえ!俺が死んだらもうおしまいだ!」

「レザーフェイスなら量産型『オールマイト』に組み込んでくれるだろう。私も、この個性があれば短期間で準備が済む」

「おいテメェ、この俺に何しやがった!」「やっぱりコイツ悪党だぜ!」

「“アレ”が馴染むまで6年程度の予定だったが、これがあれば1年以内に済むか。長期戦はOFAに有利だ。早急に、」

「良いヤツだと思ったのに!」「アメスピくれたのは嘘だったのかよ!」

 AFOはハテ、という顔をした。

 

 そのまま2人に増える。並んだAFOの顔が同じ仕草で首を傾げる。

「君に期待しているのは本当さ。ありがとう。君のおかげで世界は救われる」

「それと、そもそも私は煙草を吸わないよ」

 

 

 

 

 

 

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