スクランブル交差点に暴走車が突っ込んだような音がして、タービンを見上げた。
ミンチ肉が降っていた。
「お、」
鼻がひん曲がる程に生臭い。腐った死体の臭いだ。爆速で回転するタービンに脳無が突っ込んだのだ。
血肉が雨のように降り注ぐ。だが問題はそれじゃない。タービンだ。
精密なリズムを崩さなかった轟音に、ガタンゴトンと異音が混じっている。凄まじい速度で回転するタービンを支える軸が壊れてしまったのだ。
東京都火力発電所は世界最高峰のタービンを使用している。この臨時発電所に使用しているものは小型だが、それでも重量は5tを超え、毎分3000回は回転している。
つまりタービンが落下すれば、ここに居る全員もれなく脳無と合い挽きミンチだ。
火力発電用のタービンなので蒼炎でも燃やせない。
「ッ、吹っ飛ばせ!!!」
大声で叫ぶより先に職員達は多種多様な色の炎を噴出していた。全員が既に疲労困憊状態だったが、事情を察するなり顔を真っ赤に変えて炎を吹き出す。
支えを失ったタービンは真下から強烈な上昇気流を食らって僅かに浮かんだ。
炎をさらに放出する。内冷があっても頭が痛くなる高熱に晒されながら、数十秒。タービンはバランスを崩し、発電棟の壁をキッチンペーパーみたいに裂きながら落下した。
瓦礫と埃と脳無の死体が吹き荒ぶ。
見上げれば、ぽかんと空があった。鳥が沢山飛んでいるようで、よく見れば全て脳無だった。
こちらに狙いを定めている。
餌箱に置かれた虫の視点だった。
「逃げろ!!」
職員の一人が叫ぶ。茫然としていた職員達は脇目もふらず逃げ出した。
火傷の後遺症でマトモに走れない自分だけがヨチヨチ歩いて逃げる。
ただでさえ亀の歩みであるのに、炎を出し過ぎて気分が悪い。煙を吸い込んでしまったので一酸化炭素中毒もあるかもしれない。両足を擦るようにしか歩けない。
落下した瓦礫が頭にぶつかった。転倒。
そのまま暗転。
気付けば青草の上に横たわっている。
どのくらい気絶していたのだろうか。身体が重い。首を捩じって見上げれば瓦礫の下敷きになっている。
痛覚は死んでいるので痛くはなかった。幸い瓦礫はそう大きくはない。蒼炎で吹っ飛ばせる。
さっさとどかして逃げようと顔を擡げた。
丸太のような黒い足が真正面に見えた。
悲鳴が出そうになった喉を抑えて、徐に顔を伏せる。
「ッ、フー、」
落ち付け、と自分に言い聞かせる。
周りの様子が分からない。まだ戦っている音は聞こえる。ヒーローは未だ全滅していない。
だが音からして、明らかに戦っている人数は少ない。殺されたか、逃げたのだろう。救けが来る可能性は低い。
ハイエンドはどのくらい強いのだろう。戦うべきか。それとも死んだふりをしておくべきか。
分からない。AFOはどうなったのだろうか。オールマイトと相澤は無事だろうか。お父さんは。
俯いた視線の先に黒い鍵爪がぬっと差し込まれる。
咄嗟に掌で口を覆った。ホラー映画でクリーチャーが画面に大写しにされた瞬間みたいに、心臓がドッと嫌な音を立てた。
足元に落ちる影が濃くなる。唐突に身体が軽くなった。
瓦礫を除けたのだ。脳無が。
ゆるゆると首を上げると、巨体の脳無が瓦礫を高く持ち上げ、そのまま振り下ろそうとしていた。
「、オール、」
振り下ろした瓦礫が、脳無の身体と共に横殴りの炎に吹き飛ぶ。
凄まじい熱風が肌を撫でた。咄嗟に目を瞑る。
吹き荒れる炎が落ち着いてから恐る恐る瞼を開けば、脳無は地面に焼け付いた焦げ跡と化していた。
「あ、おと……しょちょ、」
炎の出所を見る。所長が居た。
元々酷い火傷だったが、今や原型も無い。皮膚が骨に黒く張り付き、細長い棒人形のようだ。
唯一残っている人間らしい部位といえば眼球ぐらいで、それも焦点が燈矢に合うと、ぐるんと天を向いた。
「ッ、おい」
崩れ落ちた体を受け止めるべく立ち上がる。
しかし両脚に激痛が走り、そのまま地面に倒れた。多分、瓦礫に潰された時に罅が入っちまったのだ。
所長の身体は小枝のように折れて、誰にも受け止められず、地べたに落ちた。
「………と、」
「え?」
「、ろ、……う」
「、何だよ、聞こえねぇよ……」
両足を引きずり、這いつくばったまま所長ににじり寄った。
唇が焼け落ちて剥き出しの歯列に耳を近付ける。
「─────」
所長が零したのは聞いたことの無い名前だった。
しかし、多分、息子の名前だろう。エンデヴァーが自分を呼ぶ時に同じ声色をしていた。
戦場の音が聞こえる。周囲の山は燃え盛っていて、空は暗く、よく見ればあちこちに死体が落ちている。灰混じりの空気は酷く籠っていて、蟲毒に詰められたような閉塞感があった。
所長はこんな所で死んでしまうのか。なんて救いの無い死に方をする人だろうか。
妻と息子を我欲で殺した男には相応しいのかもしれないが、しかし、本当に?
本当にそうだろうか。一度堕ちた人間には救いは無いのだろうか。
それが真実なら、あまりに寂しく、厳しく、生きる価値も無いように思えた。
「アンタはどう思う?」
声をかける。同時に、所長の下半身が蹴り飛ばされて吹き飛んだ。
蹴飛ばしたのは場違いに艶のある革靴だった。
螺鈿細工のような美男が微笑んでいる。
「やぁ燈矢君。久しぶりだね」
喉が引き攣る。AFOだ。
何故こんな所に。いや、複製体だ。発電所が壊れて、電磁バリアが無くなってしまったから出て来たんだ。
AFOの手が伸びる。逃げられない。体が動かない。
少し離れた場所でジーニストが何やら叫んでいた。しかし間に合わない。
目の前をAFOの掌が覆う。
「───おや、死体が動いた」
黒く炭化した骨がAFOの自分の間に挟み込まれた。
所長の手だった。
「………あ、」
何も見えていないだろうに。耳も聞こえていないだろう。
上半身だけ残された所長は黒い棒きれのような有様で、しかしそれでもAFOと自分の間に割って入った。
「そう、君も久しぶりだ。名前は忘れてしまったけど、会った事はあるかな?」
「しょちょ、」
ゴミでも払うようにAFOは所長の手を砕いた。
AFOの手は細かな炭を纏ったまま己に触れた。
そうして次の瞬間、AFOの掌に炎が灯る。あまりの高温に空気が沸騰した。
所長の身体は炎に撒かれ、小さく砕けた炭になって、炎を照り返しながら散った。
炭が砕ける様を見届けた。涙は出なかった。そこまで長い付き合いでもない。
しかしとても飲み込めない大きさの塊が腹に残った。
AFOは炎を消し、満足気に頷く。
「ありがとう燈矢君。君の炎は素晴らしいね。これなら街一つくらい軽く燃やせてしまいそうだ」
「ッ、え、」
「君も一緒に行こうか。君のお父さんも、オールマイトも、君のことを心配している。一人で置いて行くのは可哀想だからね?」
胴体を脇に抱えられた。体が浮き、空を飛んでいる。
次の瞬間には景色が後ろに飛んで行った。凄まじい風圧に、耳の奥が焼け付くように痛む。
瞬く間に個性発電所は小さくなった。足元には深い森が広がる。空は地獄のように赤く、遠くに見える街並みの上は濃い紫色をしていた。
街はぐんぐんと近付く。飛行スピードが早い。風圧に負けないよう腹から声を出す。
「ンで、街を燃やすんだよ!テメェにゃ何のメリットもねぇだろ!」
「あるよ。僕が楽しい」
「お前は複製体だろ?、どうせ、そう、オリジナルのAFOに都合の良いように使われてるだけじゃねえか!!なら、そう、俺達と組んで、」
「説得は無駄だよ燈矢君。オリジナルの僕と、僕達複製体の立場は今やそう変わらない。どちらも使い捨てだ」
「はァ!?」
「今に分かるよ。コミックスにおける悪役の必然性とは?興味深い。楽しみだ」
足元には高速道路が伸びており、米粒のような車が無数に行き来していた。
街並みは近い。
遠くに一番星が見えた。
青く光る星の手前に男が浮かんでいた。
男は赤い炎を纏っていた。
■ ■ ■
師匠の個性で宙に浮く。
足元には海が広がっていた。陸地は遠く、此処ならば何を企んでいようとそう大きな被害は出まい。
AFOの首を死なない程度の強さで掴む。先ほど皮を剥がし、頭蓋骨が剥き出しになった顔を見た。
「人質はいない。メディアのヘリも追いついていない。貴様の四肢は全て引きちぎり、眼球も潰し、内臓は引きずり出した。今の貴様に出来ることは喋る事だけだ」
「……これが平和の象徴の所業か?人間を生きたまま解体するとは、」
首を絞める力を強くする。ヴ、と、踏み潰された犬のような声が漏れた。
一刻も早く殺すべきだと分かっている。計り知れない男だ。この状態になっても諦める様子すら無い。
しかし聞き出さなければならない事があった。
「最後の『オールマイト』は何処だ。貴様の事だ、最も効果的に嫌がらせが出来る場所に配置したんだろう」
「哀れなものだな。ヒーローであるばかりに、貴様は人々に利用され続ける。暴力を揮う事を、社会が貴様に強要する……」
「私が聞きたいのはその台詞じゃあないな」
YESでもNOでもない返答に塚内の“嘘発見器”は効果が無い。
千切った両手両足の断面から血液が噴き出している。時間が無かった。
「答える気が無いのならこのまま殺す」
「どっちにしろ殺すだろう。いいよ。君になら、マァ、AFOを殺したという栄誉を与えてやっても良い」
『嘘は言っていない』
塚内の言葉に眉を顰める。明らかに誘っている。
何か切り札があるのは明らかだった。しかし予測がつかない。
AFOはこのまま放っておいても死ぬほどの重症で、下は荒れ狂う夜の日本海だ。
『オールマイト』を隠し持っているにしても、ここから挽回する方法は無いように思える。
「これから死ぬというのに、胎児の命を利用してまで何がしたいんだ。道連れなんざ似合わないぜ」
「勘違いしないでくれ。僕はただ、優しさで『オールマイト』を渡しただけなんだ」
「優しさ?」
「あれだけお前に勝ちたがっているのに、今まで喧嘩の一つも出来やしなくて、可哀想だろう。彼には丁度良いオモチャになる……」
AFOの複製体が個性発電所に向かっていた。燈矢少年の個性を奪い、“蒼炎”で街を燃やすために。
AFOの飛行速度なら数分もあれば付近の都市に辿り着く。
AFOの複製体のみならばエンデヴァーは勝てる。
しかし彼の火力は『オールマイト』に敵わない。
そのことは誰よりも、彼自身がよく分かっているだろう。インカムを掴んだ。
「AFOは『オールマイト』をエンデヴァーにぶつけるつもりだ。エンデヴァーの現在地を教えてくれ。私が向かう」
「間に合うかな?」
「貴様を殺してすぐに向かえば間に合うさ」
拳を握り締めると、両目を抉られ、原型も残っていない顔が僅かに笑った。
抉った眼窩から血が滴っている。顔を寄せて、ぽっかりと空いた眼窩を睨みつけた。
「最後に一度だけ聞く。更生してやり直すつもりはあるか?」
「ある………と言ったらどうする」
「手当てをして病院に搬送する」
「心底貴様は狂っているよなァ」
AFOは突然普段の挑発的な口調を納めて、しみじみと呟いた。
あらゆる人々に言われた台詞なので今更なんとも思わないが、AFOの口から出たら腹が立った。
「貴様にだけは言われたくない」
「マァ、そうだな」
柄にもなく素直に頷くAFOは、流石に自分が言えるコトではないと自覚があったらしい。
そうだ。所詮自分達は、こう生きたかったから、こう生きただけである。
突き詰めてしまうと意味も理由も無い。
選択肢はあるようでいて無かった。そんなことはお互い心底理解していた。
「後悔は」
「一切無い」
「そうか。じゃあな」
AFOの顔を真っ直ぐに見つめながら、頭蓋を潰した。
だらんと首が垂れる。四肢切断面からの出血が止まった。延髄が潰され、心臓が停止したのだ。
脳幹が機能を失えば生命活動は止まる。
どんな“個性”であっても此処からの復活は叶わない。
死柄木全は死んだ。
そして三日を待たずして“OFA”の中に再誕した。
AFOが瞼を開くと、モザイクの嵐が吹き荒んでいた。コンクリート打ちっぱなしの床と壁は酷く殺風景で、しかし懐かしい。
与一の記憶だろう。OFAの継承者達を通じて広い世界を視ただろうに、結局与一は未だに宝物庫から出ていない。
己の居場所は此処だと胸の底では分かっているのだ。
椅子から立ち上がる。手足が鉛のようで、ずっと寝ぼけていたように視界が鈍かった。
「与一さん、コイツ、」
「オイオイオイとうとう目ぇ覚ましやがったさ、」
「大人しくしろAFO。貴様はOFAの一部だ。俊典に力を貸すだけの存在だ」
「大丈夫、我々は個性因子だ。攻撃されることは無い……」
「下がれ与一」
「兄さん」
焦点が白い男に合う。
嗚呼、と溜息が漏れた。
ずっと会いたかった最愛の人が居た。
弟は警戒心を前面に押し出しながら、しかし、一歩こちらに踏み出した。
「兄さん……兄さんは、僕に会いに来てくれたの?」
「───ああ、ああ。そうだよ与一。ずっと会いたかった。お前を殺すつもりなんて無かった。お前に会いたくて気が狂いそうだった………」
嬉しくて、上手い事が言えない。
明らかな敵意を剥き出しにする継承者達を他所に、真っ直ぐ与一に近付き、抱きしめた。
相変わらず小さくて細い。同じ色なのに質感が違う髪が愛おしい。
「愛しているよ与一。これから先はずっと一緒だ」
「………兄さん、僕も、」
「これからは私がOFAの所有者であり、オールマイトだ。与一は僕の中にずっと居るんだよ。これでもう、お前は何処にも行けやしない」
そのまま“個性付与”と“力のストック”を奪う。
個性因子でしかない与一は腕の中で、溶けるように消えた。
「っ、初代!!」
悲鳴を上げた七代目をおとりに、駆藤が殴りかかる。
笑える程に無謀だ。この男はどこまで馬鹿なんだ。
殴りかかっていた拳を捻り上げて“加速”を奪った。
駆動の姿が消える。
「成程。OFAの中でAFOを使うとこうなるのか。都合は良いが、与一と駆藤が一緒に居るというのは気に喰わないな。与一以外の個性因子に人格は必要ない」
「何故、貴様、」
「何が疑問だ?お前達はOFAの中でも“個性”が使えるだろう。私も使える。それだけのことさ」
“OFA”が産まれてから百年近くが経つ。
その間OFAを育てた継承者達は皆ヒーローだった。揃いも揃って高潔で、自己犠牲心を持ち、他者への慈愛があった。
OFAの中で深刻な諍いが起きるような事態は皆無だっただろう。
“AFO”は違う。
奪った個性因子が己の中で反抗し、勢力争いを行い、殺し合うなんて日常茶飯事だ。
ともかく個性因子というのは自我が強い。個性が一つしかない人間でさえ個性因子は性格に大きな影響を与える。トガの吸血嗜好や弔の破壊衝動なんかは最たるものだ。
そう、強すぎる個性因子は持ち主を乗っ取る事すら出来る。
「確かに君達の言う通り、私は個性因子でしかない。そしてこの数ヵ月で何度“AFO”は“OFA”に蓄積された?オールマイトは何人の私を殺した?」
「ッ、貴様、最初から、」
「いや、最初は貴様の孫の肉体を貰う予定だった。私もこんな老い耄れより若く元気な肉体の方が良い」
与一の作ったこの世界は狭く、逃げる場所も無い。
追い詰めて一人ずつ吸収する。騒いだり、怒ったりしているが、気にならない。
所詮は偶然OFAに居合わせた者に過ぎない。与一と駆藤以外の連中には興味関心すら湧かない。
「しかしオールマイトは、こいつは、強い。だから妥協することにしたのさ。この力込みで私のものになるのなら、老い耄れでも「マスターピース」として許容しようと、」
「ッ、貴様の方が老い耄れだろうが。“複製”が手に入るまで俊典から逃げ隠れしてた癖によォ!」
「それは言い訳が出来ないなぁ。そうだね。私一人ではオールマイトを乗っ取る手段が思いつかなかった」
最後に残ったのは女だった。
懐かしい顔だ。確かこうやって殺したんだったかと、細い首を絞めて釣り上げる。
「お前のせいでオールマイトを取り逃がしたのが一番の失敗だった。若く未熟な、あの頃の八木俊典が手に入っていれば妥協することも無かっただろうに」
「アイツはあの頃から狂っていた!お前なんかに乗っ取られるタマじゃあなかった!」
肉体が無いので苦しくはないだろうが、それにしたって女の顔は晴れやかだった。
勝利を確信して揺るぎない顔だ。
「もういっぺん言ってやるよ。お前はオールマイトに、必ず負ける!」
「もう負けた。そして私が、今この時からオールマイトだ」
OFAの中で何が起こっているのか察し、己の心臓を潰すべく拳を揮う。
だが寸前で拳が逸れた。肺が片方吹き飛ぶ。
「ッ、」
海風に内臓が直接晒される。痛い。しかし死ぬ程ではない。
自殺は出来ないようだった。AFOによって行動に制限が掛かっている。
それどころか、視線が勝手に海沿いの街に向かう。
拳の一つも揮えば跡形もなく消し飛ぶだろうと頭の隅が考えている。
「こちらをカメラで撮っている可能性がある。一番近い街は潰した方が良くないかい?オールマイトのこんな惨い戦いなんて知られたら問題だろう」
「黙れ」
自分の声でAFOの言葉が漏れる。
尚も視線を街に向けるAFOを諫めるため、肋骨をへし折った。うぐ、と小さな呻き声が口内で響く。
「ッ、待て待て待て。少しは躊躇え。いくら貴様でも痛みはあるだろう」
「黙れ」
肋骨をべきべきに折って海に投げ捨てる。もう片方の手にはAFOの死体がぶら下がっている
OFAの内側でAFOが目覚めた。自分は“AFO”を使える。使い方も感覚的に分かる。
しかし死体に個性を渡すことは出来ない。
“AFO”を死柄木全の死体に押し付けて追い出すことは出来ない。
誰かに“AFO”を渡さないと。
誰に?
誰かに“AFO”を押し付けて、殺すのか?
有り得ない。
だがオールマイトが死柄木全に乗っ取られることだけは避けなければならない。
「無駄さ。数えたのだけれどね、凄いよ。OFAの中に蓄積した
「黙れ」
「さっきからそればかりだな。まぁいいけど。もう僕は君の肉体に根を張っている。追い出すのは無理さ」
追い出すことは出来ない。
ならば選択肢は一つだった。
陸地に向かって飛ぶ。
「諦めたのかい?それとも誰かに救けて貰おうとしている?らしくないな。君は何時だって誰かに押し付けられる立場で、誰かに押し付ける男じゃなかっただろう」
「それは、そうだ。でも、誰かに救けて貰うってのも悪く無い」
「………All For Oneとでも言うつもりか?誰かに殺して貰おうとでも思っているのなら無駄だ。君の小指一本にすら負けるヒーローなんて、」
「いや、彼なら勝てる」
足元に電灯の絨毯が広がる。しかし数秒もすればポツポツと光る灯りは減り、車のライトばかりが寂しく行き交うようになる。
夜の森は深い。降り立つとどこまでも沈みそうな色をしている。
彼のヒロスは黒く、戦場に溶け込んで見えた。
地べたに横たわって荒い呼吸を繰り返している。AFOのオリジナルを相手に足止めを成功させたのだ。エンデヴァーも居たとはいえ、大きな怪我が無いのは奇跡だった。
相澤はこちらを見つけてゆるゆると立ち上がった。
「?オールマイト、どうしてここに。本部は、中継のヘリが追い付けなくて戦況不明と……、」
「相澤君」
言葉の途中で瞠目した相澤に首を傾げる。無言のまま向けられる視線の先を見れば、酷い有様だった。
AFOの死体を掴んでいる腕のすぐ横、左胸に穴が開いている。さっき自分で抉った穴だ。
呼吸する度にシュー、シュー、と空気が漏れて、零れた小腸が吸気に吹かれて揺れている。
「ッ、メディカルを呼びます!ナイトアイ、オールマイトがAFOに勝ちました!!しかし酷い怪我です、すぐに、」
「死ね」
こちらの意図を察したAFOが黒い鋲を相澤に放つ。
オールマイトが見たことも無い個性で己を攻撃したとあって、相澤は「え」と口を開いて固まった。
攻撃が達する前に拳で鋲を弾く。
へし折れた鋲は吹き飛び、固まったままの相澤の足元に突き刺さった。
「SHIT!!AFOが所有していた個性も一緒に移ったのか。マジでどうしようもないなぁ!!」
「え、いや、は?」
「ごめんね相澤君、怪我は、」
「いや、ありません。ありませんが、」
胸の傷に手を突っ込んで、蠕動している胃袋をひっつかんだ。
そのまま拳で磨り潰す。
「いや、何してるんですかアンタは!?」
「AFOは痛みに弱いようでね。この程度の痛みで引っ込むんだから本当に情けないヤツだよ」
「いや、どういう」
「AFOが私を乗っ取りかかっている。何とか持ちこたえてるけれど、うん。そう長くはもたない」
その場に膝をついた。隣に相澤がしゃがみこむ。
視線を合わせて、罪悪感を紛らわせるよう和やかに微笑んだ。
「すまない相澤君。君にしか頼めないんだ」
殺人教唆なんて初めてなのでどう頼めば良いのか分からず、口から出たのは酷い台詞だった。
事態を察した相澤は後ずさって首を横に振った。
「……嫌かい?」
「嫌です」
「そうか。ごめんね。でも今回ばかりは君の意思を優先出来ない。でないと、私が何もかもを滅ぼしてしまうかもしれない」
ヒーロー相手に人質を取るなんて最悪の所業だ。
分かっていて、しかし、今ばかりは手段を選んでいられなかった。
相澤は自分より余程合理的な男で、己の立場をしっかりと理解している。
数回深い呼吸をして、腰のナイフを引き抜いた。瞳は赤く発光している。
相澤を殺そうとAFOがあらゆる個性を発動させるが、“抹消”が無効化する。
インカムからナイトアイの悲鳴が響いている。今ばかりは耳を貸せない。
胸の中で師匠が笑った気がした。
自分もつられて、つい、笑ってしまう。相澤には申し訳無いけれど、嬉しかったのだ。
人生の最期まで明確な意義があるというのは幸せなことだった。
「私を殺してくれ」
■ ■ ■
「エンデ、」
自分を抱えていた腕が焼き切れる。
空中に投げ出され、身体は自由落下を始めた。
一人宙に残されたAFOの複製体にエンデヴァーの煮えたぎる視線が向く。
「私を殺したら轟燈矢の個性も消えるぞ!!」
複製体の大声にエンデヴァーの動きが止まった。
轟燈矢にとって“蒼炎”は人生そのものだ。
それを奪うことは、殺すのと殆ど同義だと理解していた。
その隙にAFOは懐からガラス瓶を取り出して、放り投げる。
中には胎児が揺蕩っていた。
「最後の『オールマイト』だ!!良かったなエンデヴァー、漸く試せるじゃないか!!貴様の命を賭けた全力が、オールマイトに届くのか!!」
「そいつを殺せお父さん!」
「、だがッ、」
「やれ!!」
エンデヴァーは息子の叫び声に唇を噛み締め、目尻から炎を噴き出した。
赤い炎がAFOを飲み込む。
燈矢は落下しながら、黒く溶け落ちるAFOを見下す父を見た。
角ばった顔が照らされている。炎は暗い夜を飲み込んで、光り輝いて見えた。
「………かっこよ」
「燈矢ァア!!!!!!」
「いやうるさ」
確実にAFOの複製体が死んだことを確認し、エンデヴァーは燈矢と人工子宮を空中で受け止めた。
そのまま軟着陸する。下りたのは高速道路だった。すぐそこでビルの群れが背比べでもするように並んでいる。
通勤ラッシュの時間帯は過ぎたらしく、行き交う車は少ない。
「燈矢、怪我は!?」
「神経死んでるから痛くはねぇよ。血も出てねぇし。ヤバい怪我は多分無い」
「そうか、よかっ、」
「でも両足の骨に罅入ってんな。歩けねぇ」
「救急車を呼ぶ!!!!!」
「うるさ………」
エンデヴァーの声は鼓膜が痛むくらいに五月蠅い。
オールマイトは基本的に穏やかな男で、相澤は怒る時ですら滅多に大声を出さない性質なので、懐かしい実父の大声はキツかった。
個性発電所の面々といい、炎熱系の大人は皆こんなに声がデカいのだろうか。
焦凍がこんなに暑苦しいヤツになったらヤダな。
背中を支える手をぺいっと除けて、エンデヴァーを見る。
腕が片方千切れているし、動きが変だ。多分骨があっちこっち折れている。顔色も悪いので内臓にもダメージがあるのかもしれない。どう見ても自分より重症だった。
「テメェ、腕どうした」
「千切れた」
「どこあンだよ。手術でくっつけんなら要るだろ」
「知らん。どうでも良い。それより少し寝ていろ。痛みが無いから気付いていないだけで他にも怪我があるかもしれん」
「あそ」
「………その、それと、お前の個性は」
「それは後にして」
あそこでああ叫んでいなければAFOはお父さんを殺し、ついでに『オールマイト』によって自分はそこらの街と一緒に跡形もなく吹き飛んでいただろう。
後悔は無い。
しかし今の今で消化出来る話でもない。
珍しく息子の心情を適切に汲み取ったエンデヴァーは、「分かった」と静かに頷いた。
「つか戦況はどうなってんだよ。AFOのオリジナルはどうなってんだ」
「オールマイトが応戦している。何かあれば本部から連絡が─────ああ、了解した」
「何?」
「本部から連絡があった。アイツがAFOを倒したそうだ。重症だが、まぁ、死んではいない。イレイザーヘッドも無事のようだ」
「よっしゃ」
ガッツポーズをして笑う。
オールマイトの勝利は微塵も疑っていなかったが、やはり嬉しかった。
犠牲はあったが、報われた。少なくとも無駄にはならなかった。
これで家に帰れる。
「ッあー!!作戦成功だ!!マジでつっかれ、」
言葉を終える前に、エンデヴァーの腕の中で人工子宮が割れた。
タイムリミットの1時間を過ぎたのだ。
赤ん坊が産まれる。
甲高い産声が響いた。同時に全ての音が消え失せる。
産声の届く範囲が白く染まった。赤ん坊を中心にエネルギーが膨れ上がっていた。
今や一切が消滅の間際にあった。
「燈矢、逃げろ」
エンデヴァーは咄嗟に赤ん坊を抱きした。全身から炎を噴き出し、そこだけが切り取られたように赤くなる。
空間を歪ませる程の白が僅かに抑えられた。
しかし炎を舐めるように浸食するエネルギーが景色に染み出し、空気は小さな真珠になる。
黒いコンクリートが、風に揺れる緑の雑草が、夜風の静かな藍色が、白く変わる。
「逃げろ、行け。早く!!」
神野の爆発を思い出す。
あの時死んだヒーローの遺体は今も見つかっていない。きっと川下のシルトより細かな粒子になって、今もどこかを飛んでいるのだろう。
このままだと自分もそうなる。
しかし胎児を抱くお父さんの影が道になって、僅かな逃げ道となっていた。
そっちへ歩くしか生き延びることは出来ないように思われた。
恐る恐る、逃げる。折れた足はゆっくりとしか動かせない。
這いずるように逃げる自分の姿を見下ろして、お父さんは満足げな顔をした。
「────瀬古杜岳、行かなくてごめんな」
逃げようとした足が止まる。
優しい声に、どこか、頭の中がバチンと切れた。両脚の痛みがどこかに飛び散って、死んでもこの先には一歩たりとも向かいたくないと脳髄が身体に杭を打ち付けた。
そう、お父さんはこういう男だ。幼稚園児より共感性が無いヤツなんだ。
わざとじゃないンだろう。産まれつきなんだ。もしくは思春期頃に人格形成で大失敗をやらかしたに違いない。
誰かに見て欲しい欲求ばっかりが高くて、誰かを見る能力が著しく欠損している。
そりゃあお前はヒーローらしく息子を庇って死ねて大満足だろうよ。
でもお前に一方的に救われて、生き残っちまった俺は、今までのお前の所業を全部許さないといけなくなるだろ。
生き残るってそういうことだろ。死ぬよりよっぽど苦しいんだよ。
生き残って、立ち上がって、胸を張って生きて。
なあ所長。そうすれば、救われる人達がいるのかな。
居て欲しいな。
俺もそう信じたいよ。
だから、そう信じることにしたよ。
踵を返す。
驚いたお父さんが滑稽で、思わず笑った。いい気味だ。
「燈矢、何を、」
「気が変わった。つか俺ァもう二度とテメェの言う事聞かねぇって今決めたわ」
お父さんの目の前にしゃがみこんで、胎児の頭を撫でた。産まれたばかりの焦凍も同じように小さかった。
可愛い。焦凍もきっと可愛かったんだろう。
「何を馬鹿な!このままだと俺と一緒に、」
「だったら踏ん張れや。テメェの安い命一つで俺にお前を許させるな」
「燈矢、」
「俺は死ぬまで胸を張って、瀬古杜岳に来なかったお父さんを詰りたいんだよ。エンデヴァーは個性社会を代表する最悪な父親だって、ヒーローなんて相応しくないって、テレビでも、新聞でも、何度でも、何度だって」
何もかもが白く、瀬古杜岳を思い出した。
何もかも燃えて、視界は真っ白で、しかしあの時と違って、お父さんが居た。
それだけで、嬉しい。涙が零れる。
涙は胎児の頬に落ちて白い粒子になり、跡形もなく散る。
「………昂ると、涙が出るんだ。そうすると火力が高くなって、お父さんもきっとびっくりして、喜ぶと思った」
「とう、」
「だから、見せたかった。俺を作って良かったって、思って欲しかったから」
全ての音が遠い。
自分とお父さんしか此処に居ない。
切り抜かれた白い虚無に二人だけで居ると、今が何時なのかも分からなくなって、もう地獄の底についてしまったように思えた。
「なあ、お父さん。俺を作って良かった?」
エンデヴァーは言葉も無く、燈矢を抱きしめた。
腕の中、カラッとした声で笑う息子に、己の全てを後悔した。
「誰か、」
嗚咽が漏れる。誰か。誰でも良い。
オールマイトでも、神様でも。地獄の悪魔でも良い。
何でもする。何でも。本当に。
燈矢を救ってくれ。
食い縛った口から悲鳴が漏れる。自分にはどうしようもない。『オールマイト』には勝てない。そんな事は誰よりも分かっている。
命を捨てる程度で勝てる男なら最初っからこんな地獄に堕ちちゃいない。
白が迫る。何もかもが消える。
足元が、街光が、罪の無い人々が、燈矢が、消えようとしている。
しかし見上げれば青い星が光っていた。
乾いた唇がポツンと祈った。
「────天にまします我らが父よ、どうか燈矢をお救い下さい」