地獄より我らが父へ   作:XP-79

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No.31 八木俊典:ライジング

 

 

 ザァ、ザァと水の流れる音がして眼を覚ました。

 

 澱んだ水面が一面に広がっている。夕陽が反射して真っ赤に染まっていた。

 綺麗だなぁと思って見ていると、身体が震えた。酷く寒かった。

 己を見下ろすと水浸しで、藻や泥に塗れて酷い臭いがする。

 

 隣を見れば宿敵もまた川に落ちた酔っぱらいの有様で、それに、おや、と思った。

 水に濡れていようがドブ川に落ちようが、AFOはいつもブラックなベールを被っている。皮膚の裏に黒曜石を敷いているのだ。いくら温和な雰囲気を演出しても近寄り難い。

 それが今は、ソコにすとんと素足で突っ立っている。

 背中を押せば川に突き落とせそうな程に軽く見えた。

 

「────流石に、たった二人で百人以上の私に勝つのはズルくないかな」

 AFOは視線を川に向けたまま、別人のように静かに喋った。

 その隣に腰を下ろす。

「何を言うかと思えば……どう考えてもお前の方がズルだろ。“複製”やら、“AFO”の譲渡やら、個性因子やら、継承者の割り込みやら。訳の分からない理屈で人の身体を乗っ取りやがって」

「ズルじゃない。工夫だ。技巧を凝らすのは弱者の特権だろう」

「お前の唯一の美点は被害者ぶらないところだと思っていたんだが、買い被ったかな?」

「ヒーローと比べるとヴィランはいつも弱者だ。最後には敗北が決まっているのだから。ここまでの不平等はなかなか無い」

 

 お互い泥だらけだが、怪我は無い。

 何なら普段より調子が良かった。川面に顔を映すと少し若返っている。40歳頃だろうか。

 明らかに現実ではなかった。

 

「此処は何処だ」

「OFAの内側だよ。与一を取り込んだ僕が此処の支配者、になる予定だった」

「だった、か」

「君に負けたからね」

「………一体何が起こった」

 相澤が自分を殺してくれる寸前、燈矢少年が『オールマイト』を抱いて空から降って来たのは覚えている。

 しかしそれ以降は曖昧だ。自分が乗っ取られなかった理屈もよく分かっていない。

「貴様の“AFO”を使ってあの赤ん坊の“個性”を奪って、それから何があった」

「個性因子には人の意思が宿る。OFAに歴代継承者の人格が残っているのもそのせいだ。それは良いか?」

 

 頷くと、AFOは立ち上がって堤防を上り始めた。その後をついて行く。

 瓦礫があちこちに積み上がり、煮炊きのための焚火があちこちに灯っていた。薄汚れた恰好をした人々が影のように気配もなく、息を殺して彷徨っている。

 

「逆に言えば意思の弱い人間に“個性”を持たせると、その“個性”由来の意思が勝って肉体を乗っ取ることがある。OFAの継承者は揃いも揃ってお人好しで分からんだろうが、AFOの内側は凄いぞ。私を乗っ取りたい連中が徒党を組んで四六時中テロ活動に勤しんでいる」

「解放してやれば良かっただろう」

「嫌だ。私が手に入れたんだから私のモノだ」

「分け与える喜びというのもある。お前が“AFO”を人々のために使っていれば、より多くの人々がお前の元に集まり、より多くがお前のモノになっただろう」

「それは私の所有物が増えるんじゃない。私が社会の共有物に成り下がるんだよ。己の視点を他人に押し付けるな───話を戻すが、貴様は、しかし、異常に意思が強い。ナチュラルボーンにイカれたヤツの乗っ取りほど難しいものはない」

「大量の“個性”を奪った貴様が未だに乗っ取られていないのもそのせいか。分かりやすいな」

 肩を竦めたAFOは風俗街らしい区画に足を向けた。

 

 ネオンの光が眼に痛い。呼び込みの男が数人、看板を持って細い通りに並んでいる。

 しかし藻と泥塗れの客など店側もお断りらしい。煙草をくゆらせた彼らはあからさまに視線を逸らし、暇そうにスマホを眺めている。

 自分達は酔っぱらって川に落ちた2人組の顔で道の端を歩いた。

 

「しかし“複製”を手に入れたことで、貴様の乗っ取りに可能性が見えた。私一人で無理なら、何十、何百と増やせば良い。そうしてOFAの内側で目覚め、後継者を取り込めば、貴様は私の支配下に納まる」

「そうならなかった理由は?」

「『オールマイト』だ。レザーフェイスの技術を見誤った。それと私を殺しに来た弔もだな。全く、タイミングが最悪だ………最悪になるようプロットを組まれたんだ」

 敵対していなければAFOは割合に話が早い男だった。興味の有る無しが極端なのだろう。

 既に終わってしまった計画には興味が無いらしく、箇条書きめいた簡素な声で喋る。

 

 風俗街の通りを抜けると辺りは一気に暗くなる。

 屋根代わりのビニールシートが通りを圧迫し、ドヤ街ならではの攻撃的な空気が足元に蹲っていた。

 猪のような男達がビニールシートの下からこちらの靴を見る。AFOの革靴に、エサでも見つけたような顔がノソノソと這い出ては、見るからに暴力に慣れ親しんだ雰囲気の男2人組を認識してひっこんだ。

「知名度が無いオールマイトが街を歩くとこうなるのか。面白いな」

「物陰を通ろう。怯えさせたくない。それで、続きは?」

「そう、あの『オールマイト』は最高傑作だった。産まれてすぐに爆発する失敗作とは違う。肉体が赤ン坊なだけの貴様だ。お前一人なら乗っ取れる計算だったが、二人に増えて、押し負けた」

「……赤ん坊はどこに?」

「貴様の中に」

「継承者達は」

「私の中だ。マトリョーシカだよ。貴様の中にあるOFA、その中に居るAFO()、そしてそのAFOの中に歴代の個性因子がある」

「今すぐ解放しろ」

「貴様が勝った以上放っておけば出て来るさ。今は顔を合わせたくない」

 勝手なことを言いながらAFOはさらに細い路地に向かった。

「此処は私の心象風景か」

「いや、僕の記憶だな。与一は未だAFOの中に在るから」

「………さっきから嫌に素直だな。らしくもない」

 AFOは敗北してもしつこく再起を図る男だ。

 それがさっきから投げ遣りな口調でぺらぺらと喋るものだから、調子が狂ってしょうがなかった。

「どうせもう少しで全てが終わる。貴様が私に勝ったせいで、話にオチが付いた」

「そういえばこの世は創り物だと言っていたな………お前が私を乗っ取ろうとしたのは、まさか、ヒーローに成り代わろうとしたのか?」

 AFOは無言のまま先を歩く。

 

 不法占拠の家々のせいで路地は複雑を極めているが、AFOの足取りには迷いが無かった。

「何処に向かっているんだ」

「終わりに」

「………私の肉体を乗っ取った所で、お前はヒーローにはなれない」

「勘違いするな。ヒーローになりたい訳じゃない。僕が欲しいのはその立場だ」

「立場?」

「コミックスだよ。ヴィランがヒーローに敗北すれば物語は終わる。そしてヒーローは負けない。なら、私が君になればどうだ?それはヴィランとヒーロー、どちらになるんだろうか」

「貴様はヴィランだ」

「その役目を継ぐ者が現れれば良い。死柄木弔はそのために用意した。私への悪意を育み、オールマイト()の敵として立ちはだかるヴィランとして。彼なら私を継げると思った」

 

 薄暗い路を抜けると、今度は一転して高層ビルが立ち並ぶ区画に出た。

 キッチリと整備された街並みは、しかし先ほどとは違って生気が無い。街路樹は枯れ、広い道路は罅割れ、修繕の気配も無い。吹き抜けるビル風ばかりがゴウゴウと鳴っている。

「………思うんだけどさ、そもそもヴィランは必ずヒーローに負けるっていう前提が間違いじゃないかな」

「この世で最もその台詞に反した人生を送っているヤツが良くもマァ」

「聞けよ。人は明滅する。私は多くの人々の意思を継いで生きた。私の意思を継ぐ人々も居るだろう。貴様もそうだ。好き勝手に生きる貴様に希望を見出し、倣う人々も居るだろう。勝利や敗北に意味はあるだろうが、一時に過ぎないものだ」

「僕は個人の話をしている」

「でもヴィランは君だけではないし、ヒーローも私だけではない。個人の話をするのなら、先代……師匠は、素晴らしいヒーローだった。お前の理屈で言うのなら、師匠はヴィランに負ける筈が無い人だった」

 電灯にぶつかったまま放棄されている車を横目に歩く。AFOはここらで唯一窓が割れていないマンションに向かっていた。

 

 自動ドアを抜けると、別世界かのように空気が澄んでいる。エントランスは黄金色に輝き、受付には真珠と金糸で象られているようなコンシュルジュが立っていた。

 彼女はAFOの顔を見るなり完璧な角度で頭を下げた。躾が行き届いていると一目で分かる美しい所作だった。

「お前の家か」

「100年前の拠点だよ。黎明期の治安は酷い有様だったけど、此処だけは僕が守っていた」

 AFOの専用らしいエレベーターに乗り込む。ボタンを押すまでも無く最上階へ向かった。

 全面がシースルーなので街が眼下に一望出来る。100年前の都市の景観なのだろうが、自分が産まれた頃とあまり変わらないように見えた。

 煙臭く、重苦しい街。

「コミックスは分かり易く、楽しい。しかし我々の世界はもっと広く、複雑で、どこかでエンドロールが流れる事も無い。ミサイル開発技術が宇宙探索に転用されることもある。全ての物事はもっと多面的だ」

「ヴィランもいつかヒーローになれる可能性があると?」

「それもある。でもそれ以上に、その2つは不可分だと思う。エンデヴァーは多くの人を救ったヒーローだけれど、家族にとってはそうではなかっただろう。志村少年は犯罪に手を染めたが、彼の仲間にとってはヒーローだった。私のせいで苦しんだ人が居る。君に救われた人も居る」

 AFOはこれから己に支配される街を見ていた。

 人生が終わってしまった今では心底興味が無いのだろう。眼球はビー玉みたいに色が無い。

「どうでも良い。僕は終わって欲しくないだけだった」

「終わらないよ。まだ物語は続いているんだろう」

 

 

 

 ■  ■  ■

 

 

 

 エレベーターは最上階で止まった。

 おじゃまします、と一言告げて中に入る。

 あからさまにハイクラスな設えには生活臭が無い。映画のワンシーンに入り込んだ気分だった。

「相変わらず味もそっけもない家に住んでいるな。殆どモデルルームじゃないか」

「自分のグッズで家を埋め尽くす貴様に比べればマシだ。余計な物があると気が散るんだよ」

「何もかも欲しいとか言ってなかったか?」

「傍に置く物は厳選するに決まっているだろうが………おい勝手に触るな」

 唯一住人の個性を感じる本棚から本を抜き出す。世界的に有名なアメリカンコミックスの初版本だった。

 よく見れば本棚には山のようにコミックスが詰まっている。

「よくも黎明期にこれだけ集めたもんだ。娯楽品は希少な時代だろうに」

「与一が欲しがっていたから各地で強奪した」

「………愛情表現が下手なんてもんじゃないよお前は。何飲んでるんだ」

「ワイン。駆藤に襲撃された時に割れて飲めなかったヤツ」

 100年経っても覚えているのだから相当に良いワインなのだろう。グラスに丁寧に注いで味わっている。

「先にシャワーを浴びろ。酷いぞ」

「人の家の本に泥塗れの指で触っておいて………」

「お前の家だからいいかなって」

「殺されたいのか」

 ドスの利いた脅し文句をはいはいと流しながらシャワーに向かった。

 

 シャワー室に備え付けられていた鏡を見ると、さらに若返っている。30代中頃だろうか。

 此処がAFOの心象風景だというのなら、年齢もAFOの気分で変わるのかもしれない。妙に素直なのも年齢が若いからか。

 

 否、死んだからだ。シャワーを頭から浴びながら眼を瞑る。

 生きていれば会話など望むべくも無い男だった。

 生きている限りAFOはヴィランであることを止められなかっただろう。

 

 

 着ていた服は酷い有様だったのでクローゼットから適当に拝借した。

 リビングに戻れば、AFOは随分とすっきりとした恰好でワインを舐めている。自分が何を言う前に「この家にシャワー室は3つある」と鼻を鳴らした。

「僕用、客用、与一用」

「宝物庫の中にシャワー室を作ったのか。業者になんて言ったんだ」

「詮索するような安い業者に頼む訳が無いだろう……何で冷蔵庫を漁っているんだ。止めろ」

「お前が飲んでるから。ノンアルコールの飲み物は置いてないのか」

「水道水でも飲んでろ」

「あ、コーラがあった」

「それは与一の………ああもういい。好きにしろ」

 そう言われたので、食器棚から適当にティーカップを選んだ。AFOは嫌そうな顔で「リトロン」と呟いた。

「何だよ。好きにしろって言ったろ」

「ああ、好きにしろ。しかし良い歳をして恥ずかしい男だ」

「年齢関係あるか?………分かったよ。紅茶淹れるよ」

 流石に所有者の拘りを優先するべきのように思ったので、棚から茶葉を引っ張り出してお湯を沸かす。

 少し考えて2人分の紅茶を淹れた。

 湯気の立つ紅茶を目の前に置くと、AFOは当然無視してワインを飲んだ。

「今更だが、お前のことは死柄木と呼んだ方が良いのか?個性名をそのまま名前代わりに呼ぶってのもおかしい話だ」

「今更が過ぎる。そもそも、お互い人間だと誰も覚えちゃいないんじゃなかったか」

「貴様にだけはってお前が言ったんだろうが。確かに、AFOが人間であることを私は知っている」

 オールマイト以外に言われたら激昂するか嘲笑するだろう台詞を、しかし死柄木全は肩を竦めるだけで受け流した。

 お前程の男がそう言うのなら、勝手にしろ、という気分。ある種の敬意であり、許容でもあった。

「好きに呼べ。所詮、戸籍すら持たない名だ」

「分かった。それと小腹が空いちゃったから何か作るぞ。冷蔵庫にハムがあったし」

「そろそろいい加減にしろよ?」

 ワインをあおる家主から許可を得たので、キッチンに向かった。

 

 クラッカーに冷蔵庫から見つけた食材を色々と乗せて、簡単なカナッペを作って皿に盛りつける。

 死柄木は心底嫌そうな顔で、しかし口寂しかったのだろう、渋々と摘んだ。

「感想は」

「味が安っぽい。よくもこれで保護者をやれていたな」

「言葉強くない?」

「僕の言葉が弱いことがあったか?」

 己の性格が悪い自覚がある男なので、死柄木は悪びれもしなかった。

 自分でもカナッペを摘む。手軽な味がした。

 

 思い返すと、轟兄妹を引き取ってから食事を作った回数はそう多くない。忙しさにかまけて冬美少女やレディ・ナガンに任せきりにしてしまっていた。

 メンタルケアは相澤の負担が大きかったし、学校対応に到ってはナイトアイに一任していた。

 死柄木の言う通り、保護者と名乗るにはあまりに情けない。

「まぁ、うん……理想の父親代わりとはいかなかったよ。大変な目に遭って来た子達だと分かっていて、特に燈矢少年は難しい子だと分かっていたのに、ロクに時間も取れなかった」

「らしい事を言うじゃないか。父親なんて知らない癖に」

「そうだね。でも彼らのおかげで知れたこともある。父親というのは………私は、いざという時に頼れる存在だと思っていた。でも違ったよ。父親が、子供に頼ることも必要だったんだ。決して一方的な存在では無かった」

 話の着地点が分からないのだろう。死柄木は興味の無い顔でワインボトルの残量を測っている。

「私が燈矢少年を保護してからたった1年で彼は素晴らしく成長した。家族との確執を飲み込み、強くなって、私を救った。志村少年だってそうだ。黒霧は志村少年の存在によって救われたのだろうから」

「何が言いたい?」

「何もかも決して一方的な存在じゃないってことだよ。物語の中だろうと、外だろうと。私達は多面的で、相互作用的だ。だからきっと、お前が恐れるようにそう易々と終わることは無い」

「理想論だ。綺麗事とも言える。人々は薄情で、それ以上に多忙だ。過去は置き去りにされ、いつしか無かったことになる」

 ヒーローが命を賭して綺麗事を実践するオシゴトなら、ヴィランとは現実主義のペシミストかもしれない。

 それが間違いという訳ではない。しかし、生き辛いだろうと思う。

 現実はきっとヒーローとヴィランの間にあるのだろう。

 

 

 ワインを飲み終えた死柄木は宝物庫に向かった。

 宝物庫と言えば聞こえは良いが、実質は軟禁部屋だ。窓もなく、テレビやラジオの類も無い。娯楽と言えばコミックス程度のもので、本棚すら無いので本は床に散らばっている。

 鮮やかな表紙の群れを死柄木は蹴飛ばした。フィクションのヒーロー達が床の上を飛んだ。

「忌々しい……与一が出て行ったのはコミックスのせいだ。フィクションから悪い影響を受けてしまったんだ」

「………具体的には?」

「善行は正義だと思い込んだのさ。馬鹿馬鹿しい。この崩壊した社会であんな弱い子に何が出来る」

「君が護れば良かっただろう」

「僕の眼が届かない場所に行ってしまったら?それに黎明期の社会でヒーロー活動なんて良いカモだ。どうせすぐに嬲り殺しさ」

「その過保護のせいでお前が初代を殺すことになったんだろうが」

 

 ここに来てから初めて死柄木が本気の殺意を向けて来た。

 20代頃の死柄木からは既に人を殺し慣れた鋭利な刃物の匂いがした。

 

「違う。駆藤が僕から奪ったせいだ。あの子は良くない考えをヒーローに植え付けられた。そのせいで死んだんだ」

「でも殺したのはお前だ」

「殺したくはなかった」

「なら殺さなければ良かった。何故話し合わなかったんだ」

「話したところで何が変わったと言うんだ。どうせあの子は僕の元から離れて行く。ならばせめて僕の手で、」

「初代はヒーローだ。強い人だった。私などよりずっと。だからお前が殺してさえいなければ、きっとお前の元に戻って来た」

「貴様に与一の何が分かる!!」

「彼は死んでもOFAという形でお前に会いに来たじゃないか!!これ以上の証拠があるか!!」

 苛立ったAFOが宝物庫の壁を殴った。

 

 壁が崩れる。

 外は酷い雨が降っていた。濡れた土の丸い臭いがして、野犬の遠吠えが響いていた。

 高層マンションの最上階は地面と地続きになっていた。

「………OFAの支配権が貴様に移った」

 死柄木は怒りが流れ落ちた幼い顔でポツンと言った。小さな足で外に踏み出す。

 燈矢少年より少し幼い年頃だろうか。自分の手足も随分と小さい。

「此処は何処だ」

「何故私に聞く」

「僕の心象風景は脱した。今度は貴様の番だ」

 そう言われて見回すと、見覚えのある風景だった。

 

 母と暮らしていたアパートが見える。自分達が立っているのはその裏手にある、母の遺体を埋めた山の麓だった。

 遠くから銃声と、誰かの叫び声が聞こえる。子供の鳴き声が良く響き、車のスキール音が甲高く鳴った。

 煙臭くて、重苦しい。

「………私が幼い頃に暮らしていた街だ。もう40年は前になる」

「天下のオールマイトがあの今にも倒壊しそうなボロアパートに住んでいたのか」

「そうだよ。懐かしいな。母と2人で暮らしていたんだ。狭い家だけど、不便を感じたことは無かった」

「貧乏性だな」

「そうかもしれない。でも、それ以上に母が愛してくれたから」

 母親として若過ぎた母は、今思えばあのアパートで凄まじい苦労をしたことだろう。

 治安は最悪で、いつも金は無くて、頼りになる夫も居なかった。

 だがその一切の苦労を子供に感じさせなかった。

 大人になった今、母を思うと胸がいっぱいになって、苦しくなる。

「そういえば、お前の母親の死体を捜索した事もあったな。脳無にするために」

「そうか」

「全国各地の墓場を虱潰しに調査させて、結局見つからなかった。どこに隠したんだ」

「この山だよ。この時代、貧しい人は川べりで遺体を燃やして、そのまま纏めて無縁仏にしていた。私はそれがどうしても嫌で、この山に埋葬したんだ」

 今思えば死体遺棄に他ならない。

 しかも子供の力で掘れる程度の深さなんて高が知れている。辺りは酷い臭いがしただろう。

「大人になってから掘り返さなかったのか」

「探したよ。でも見つからなかった」

 山道に足が向く。

 大人の身体であれば数分で登頂出来るだろう低い山だ。

 しかし幼い身体では絶望的に先が見えなかった。大したことが無い斜面でも雨のせいで足が滑るし、野犬の遠吠えに身が竦む。

 よくも自分は母の遺体を背負ってこの山道を上ったものだ。それも夜に。木々が深いせいで星明りも無く、一歩歩くたびに滑落の恐怖が首を撫でた。

 

「多分、此処だ」

 山道の傍にふと開いた空間がある。雑草がみっちりと生えているが、丁度女性が1人寝転べるくらいの大きさに掘り返された痕跡があった。

 疲れた体を土に横たえる。冷たい感触がした。雨が耳に入り込んで、ツンと鼻が痛んだ。

「此処に、置き去りにしたんだ」

「お前の母親の遺体を?」

「そう。でも、それだけじゃなくて────何だったんだろう」

 

 私は何を此処に置き去りにしたのだろう。

 

 土を撫でると、固い感触がした。摘まみ上げる。

 アンパンマンの絵本が出て来た。

 

 起き上がって泥を掃う。手垢の付いた本はあちこちが汚れていた。

 しかしページを開くと何も変わっていない。あの頃と同じ言葉と絵が、同じように語り掛ける。

「何だそれは」

「子供向けの絵本だよ。かなり昔のフィクションだ」

「コミックスか」

「うん。子供の頃、よく読んでいたんだ。思えば私は─────」

 

 

 

 振り返ると、いつもそこにあった。

 役割が無い己が、「何」になりたいのかという答え。

 

 原点(オリジン)と呼ぶには、あまりに柔らかな記憶。

 手垢のついた小さな絵本。

 フィクションの物語。

 誰かの祈り。

 

 

 

「────お前の言う通りかもしれない」

「………何が」

「私達は創られたのかもしれない。私が絵本を読んで、こうなりたいと思ったように。誰かが私達を見て、何かを想う。その一瞬の感傷のために」

 絵本を広げる。

 懐かしいヒーローが雨水に濡れて笑っている。

「でも、本当は、そんなことはどうでも良いんだ。誰かが私達を見ていても。いなくても。私達は、私達を見ている誰かのために生きている訳じゃない。私達を創った父親のために産まれた訳でもない………」

 

 ヒーローは喋らない。何のために産まれたのかと、紙の向こうから問い詰めて来る訳でもない。

 ただ読んだ人が、勝手にその問いを抱えて生きているだけ。

 その問いに答えたいと拳を握るだけ。

 

「ただ、自分だけの人生を生きているだけだ。その人生を、誰かが見て、何かを想うというだけ。そうやって私達が続いて行けば、きっと、終わらないよ」

 

 死柄木はツマラナイ顔をして隣に膝をついた。

 それで良かった。話を聞いてくれるだけで良かった。

 

 何もかもが、こうして始まるのだろうから。

 

「一緒に読もうよ、死柄木」

 

 

 

 

 

 ■  ■  ■

 

 

 

 

 

 目を覚ますと、頭上で揺れる点滴袋が見えた。

 胸には心電図モニターがくっついており、口には大きなマスクが置かれている。

 時計を見ると丸一日が経過していた。窓の外は暗い。

 

 痛む体を宥めながら、ベッドを仕切るカーテンをずらす。隣のベッドには燈矢が寝っ転がっていた。

 そして床を見れば何やら寝袋が鎮座していて、よく見ると相澤の顔が隅っこからはみ出している。

 こちらの気配で起きてしまったのだろう。黒髪の隙間に血走った三白眼が見えた。

「相澤君、君も怪我してるんだから床に寝るのは止めなよ」

「………うるせぇ」

 真夜中に起こされた声は真っ黒だった。

 相澤はノソノソと寝袋から這い出て、何やらスマホを操作し始める。

「“抹消”をアンタの横に待機させとけって命令だったんですよ。重症の燈矢を床に寝かせる訳にもいかないでしょう」

「そうだったのか。すまないね………ここは?」

「セントラル病院です。それと一応聞きますが、貴方は八木俊典で間違いない?」

 相澤は片手でスマホを掲げた。

 真夜中に叩き起こされた塚内がその向こうで耳を欹てているに違いなかった。

「うん。私は八木俊典。ヒーロー名はオールマイト。ヒーローとして30年近く活動している。趣味は映画観賞さ」

「最後のは要らねぇでしょう」

「プライベートも話した方が信憑性が増すかなって」

『嘘ではありません。本物です』

 スマホの向こうで塚内は泣いていた。

 自分が倒れてから今まで、中身が死柄木全なのかオールマイトなのか確信の無いまま待機していたのだろう。

 真偽を確認する役割を負わされて丸一日。緊張状態は計り知れない。

「ごめんね塚内君。本部の人達も。私達の勝利だ。ゆっくり休んでくれ」

『はい、はい。オールマイト、ええ。貴方も。酷い怪我なのですから、入院中は大人しくして欲しいと各方面から通達が来ております』

『雑事は全て私の方で片付けておきます。後ほど報告致しますので、暫く休養を』

 塚内の声にナイトアイが割り込んだ。

 事務作業の鬼である彼にとってはむしろこれからの戦後処理が本番なのかもしれない。

「ナイトアイ、しかし、」

『貴方の戦いはリアルタイムで放映されました。内臓をぶちまけている様子まで。そんな人間が現場を飛び回っていても市民の心労は増えるだけです』

「それはそうかもしれないけど、」

『ジーニストとレディ・ナガンを中心にオールマイト不在時対応マニュアルを組んでいます。ではお大事に。イレイザーヘッド、しっかり見張っておけ』

「ボーナス倍にしてくれ」

『3倍払おう』

 容赦なく通話が切られる。

 

 相澤は寝袋から抜け出して、「5倍にふっかければ良かった」と頭を掻いた。

「そんで、AFOはどうなったんですか」

「私の中に居るよ。正確にはOFAの中に」

「それは……大丈夫なんですか?」

「分からない。少なくとも今は大人しくしている」

 

 OFAの内側を覗くと、どうやら死柄木は与一と話しているらしかった。

 会話の内容までは聞こえない。ただ、場所は殺風景な宝物庫では無かった。

 草原に伸びた長い道の傍らで、小さな絵本を眺めている。

 

「今はってぇのは」

「アイツの事だからね。永遠に大人しくしている訳が無い。また私の身体の乗っ取りを企てるだろう」

「どうするつもりですか。何か、対応策は」

「考えはあるよ。大丈夫。暫くは抑え込めるさ」

 

 声が五月蠅かったのか、燈矢が「う゛」と声を漏らした。

 相澤と眼を合わせて口を閉じたが、白いシーツがゆるゆると持ち上がる。

 燈矢は欠伸を零しながらゆるゆると頭を振った。そこでオールマイトが起きていることに気付いたらしい。

 何度も瞬きをしてから、涙を1つ零し、少し照れたように鼻を擦った。

 

「ただいま」

「………おかえり」

 

 

 

 

 

 

 

 

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