地獄より我らが父へ   作:XP-79

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No.32 L O O K U P

 

 

 AFOという最悪のヴィランを討伐し、1週間が経つ。

 戦いに参加したヒーロー達の殆どはこの期間を休養のために費やした。

 

 比べて政府関係者にとって、この1週間は正しく地獄だった。

 

 なにせ隠蔽工作の規模が凄まじい。

 あらゆるメディアが今回の事件に興味を示していた。のみならずYouTuberやインフルエンサーのような個人の好奇心で動く連中も数知れない。

 さらに隠蔽内容も多岐にわたる。公安による孤児院虐殺、『オールマイト』や脳無の存在秘匿、唐突に失踪したレザーフェイスに関係する情報の抹消。

 

 それら一連の慌ただしい動きの裏で、表沙汰に出来ないため正式な罪に問えず、かといって放逐するには危険すぎるスタンダールは宙ぶらりんのまま過ごしていた。

 

 

「週休2日基本給32万(別途歩合制)」

「帰れ」

「有給は年10日賞与年2回サポートアイテムは要相談」

「帰れ」

「さらに今ならなんと、人殺しの前科チャラという出血大サービス付き。トドメに遠隔操作で爆発する首輪(天竜人が奴隷に使うアレ)も強制プレゼントだ!!」

「帰れ」

「やだ~~~~~~~」

 

 ガラス越しとはいえ凶悪犯の前であるが、レディ・ナガンは小学校低学年みたいに椅子をぐるぐると回転させた。疲労のせいで幼児退行しているらしい。

 スタンダールは無駄吠えのうるさい犬にするようにシッシッと手を振っている。

 とても先日公安委員長に任命されたばかりの権力者にする態度ではないが、スタンダールは権力の有無に頓着する男ではなかった。

 

「はァ~~~………私だってあのクソババアのせいで職員の過半数が殉職してなきゃンなとこ来ねぇんだよ。それを上から目線で「帰れ」だぁ?そんなんだからヴィランになったんだよ社会人エアプがよぉ」

「だからと言って、よりにもよってスタンダール()を取り込むのか。そのクソババアを殺した張本人を」

「だからだよ。私達のオシゴトは腐ったヒーローをちまちま摘んで晒すことだ。生半可な実力だったら返り討ちでぶっ殺される。でもお前ならソコソコ強いし、死んでも誰も困らねぇじゃん」

「贋物は死をもって償うべきだ」

「殺すだけだとまた次が出て来るんだよ。燈矢の動画で良く分かった。ダメなヤツは棒で叩いて見せしめにした方が全体の意識は向上する」

「それを世間一般ではイジメと言うんだ」

「そうだよ?イジメがダメなのは影でコソコソやるからさ。一緒にダメな贋物ヒーローを正々堂々イジメようぜ。テメェが1人で草の根運動するよりよっぽど社会を変えられる」

 

 ガラス越しでも分かる程に、レディ・ナガンは眼の下に濃い隈をのっけていた。

 疲れ切った顔だ。しかし諦めるつもりは無いようだった。

 神輿に担ぎ上げられた自覚はあるだろう。

 しかしそれはそれとして、この機会を掴むつもりらしい。

 

「───そろそろ世間は夢から醒める。ヒーローだって人間で、完璧超人じゃない。オールマイトですら一人で全部賄えるわけじゃアないと証明されちまった」

「しかしヒーローならば完璧超人を目指すべきだ。心構えからしてお粗末な贋物があまりに多い」

 それは実力云々ではなく、心持の問題だった。

 全てのヒーローがオールマイト並みになるべきだとはスタンダールも思わない。

 しかし目指すことは誰にだって出来る筈で、その程度の覚悟も無い者をヒーローと認めることは出来ない。

 

 長年を公安の犬として過ごしたレディ・ナガンは苦笑した。

 ヒーローのトップとボトム、両方を良く知っている身としては、地に足のつかない理想論には苦笑するしか無かった。

「そりゃあオールマイトは星だ。そっちに向かって歩くのは素晴らしい事だ。でも大半の人間は地面に両足が着いている。空なんて飛べやしねぇんだよ」

 道を舗装するべきだ。ナガンは当たり前といった口調で言った。

「公安は正義じゃない。でも正義を志向している。公安は本来、舗装業者であるべきだ。いつか大勢が迷わず星に向かって歩けるように我々は地べたを這い回る」

 

 スタンダールからしてみれば、それこそ公安らしくない理想論的な物言いだった。

 こんなバカな女がトップに立つのなら、そりゃあ公安の趣きも変わるだろう。

 

「一緒にやらねぇ?」

 秀麗な顔がガラスギリギリに近づく。

 

 社会にはほんの少し、良い風が吹いているのかもしれない。

 スタンダールは鼻を鳴らし、顔を背けた。

「帰れ」

 

 

 

 

 

「レディ……じゃない、筒美君、凄い頑張ってるなぁ」

 病院のベッドの上でオールマイトは山のような報告書に眼を通していた。ベッドサイドに腰かけている相澤も報告書を眺めて、「アグレッシブな神輿ですね」と片眉を上げる。

 公安委員長を拝命してからそう時間も経っていないというのに、彼女は既に膨大な仕事量をこなしていた。

 

 AFOに関する情報の公開決定。

 殻木球大のタルタロス収監決定。

 “荼毘”システムの一般化と全国拡大。

 

 急激な変化と言える程ではないが、確実な進歩だ。筒美の凛々しい顔が書類の向こうで笑っている。

「とはいえ、孤児院の虐殺に関する調査はまだ保守派と揉めているようです。あっち側からすれば隠蔽したい事件でしょうから」

「ヒーロー協会も彼女に協力していかなければね。膿を出し切らないと再び同じ事が起こる」

「アイツ家から出て行くの?」

「流石に忙しいだろうからね」

 ふーん、と燈矢は隣のベッドに寝ころびながら興味無さそうにスマホを弄っていた。

 寂しいのだろう。レディ・ナガンは轟兄妹達の護衛役として長く傍に居た。変な同情をしない彼女には燈矢ですら懐いていた。

「でも会えなくなる訳じゃないさ。何時でも連絡は出来る」

「1人にしたら変な方向に突っ走りそうなヤツだ。むしろ連絡してやれ」

「そりゃあな。出世したんだからメシ奢って貰わねぇと」

 そう言って燈矢はさっそく筒美にLINEを送っている。

 

 だらけた空気だった。部屋にはオールマイト、相澤、燈矢しかいないので誰も気を遣わない。

 オールマイトは報告書を読んでいるし、相澤はボーっとした顔で猫動画を延々と眺めているし、燈矢はソカロの新作アクセを吟味している。

 世間は色々と大騒ぎらしい。自分達もそれぞれ、退院したら忙しくなるだろう。

 きっと揃って暮らせなくなる。

 だから3人共が寄り添っていた。言葉にせずとも、惜しんでいる事をお互いに理解していた。

 

 

 扉がノックされる。燈矢が「入って良いぜ」と勝手に許可を出した。

 車椅子に乗ったエンデヴァーが片手で器用に扉を開いた。

「燈矢、此処に居たのか」

「げ、」

「母さんが探していたぞ。制服のサイズ合わせをすると」

「うっせ。今行こうと思ったんだよ。行こうぜ相澤」

 むっと下唇を突き出した燈矢は車椅子に乗り、相澤に押させて部屋を出て行った。

 相澤君の癖がうつったんだなぁと思いながら見送る。

 

 オールマイトと2人きりになったエンデヴァーはあからさまに居心地の悪い顔をした。

 ぎこちない沈黙が落ちる。暫くの後、エンデヴァーはたどたどしい様子で口を開いた。

「………さっき冷から聞いたんだが、燈矢は高校生になるのか」

「うん。彼、凄い勉強頑張ったんだよ。努力が苦にならないのは君譲りだろうね」

「………ヒーローには、」

「向いて無いって分かったからやらないってさ。それよりやりたい事があるって、なんと雄英の経営科に進学だ。意外だろ?」

 意外と言われても、そもそも今の燈矢がどんな子供なのかエンデヴァーは全く知らなかった。

 

 『オールマイト』の爆発を共に食い止めてから、何回か燈矢と会話をした。

 しかし一言二言喋る程度のもので、お互いなんとなく固い。家族と呼ぶにはあまりにぎこちない。

 会話の内容も昔の事ばかりで、高校に進学することも先ほど冷に聞いて初めて知った。

 信頼されていないが故なのかもしれない。未来の事を話して、絶対に邪魔をしないと信じられていないのだろう。

 

「未だ俺は燈矢とそこまで話が出来ていない。昔のことばかり話している」

「うん」

 静かに促すこの男には、燈矢は何でも話しているに違いない。

 父親としての役割を幾分かこの男に取られてしまったことに苛立ちが無いではない。

 しかしそれで良いとも思う。

 燈矢の父親が自分だけではなく、オールマイトや相澤、その他にも多くの人々が居たからこそあの子は高校生になれると、もう分かっていた。

 

「………燈矢は俺を一生許さないらしい。先の事を話すには、俺達にはあまりに昔の話が多く残されている。一つずつ、順番に終わらせていかなければ」

「時間がかかるだろうね」

「お互い生きているんだ。時間はいくらでもある。あの子の話を全て聞き終えてからでも、これからのことを話す時間は残っているさ」

 

 

「………君、成長したねぇ」

「やかましい」

 相変わらず空気が読めない上に気に喰わない。

 そもそもの相性が悪いのだろう。これはもうどうしようもない。

「それより貴様に用がある。時間はあるか」

「大丈夫だよ、ナイトアイから休養が厳命されちゃったからね。それに“AFO”の様子見も兼ねてるから暫くは下手に動けないんだ」

 

 OFAの中に居る死柄木全は、今の所大人しい。

 他の継承者を煽ったり、与一と長い間話し合ったり、こちらに喧嘩を売ったりと騒がしいが、再びオールマイトの肉体を乗っ取ろうという動きは無い。

 個性因子に残留した意思であるので、死柄木全本人の執念深さが少しは薄れているのかもしれない。

 しかしその可能性に賭けるには、リスクがあまりに高過ぎた。

 

「実はね、OFAの継承者を探しているんだ。ヒーローの気質に溢れる、次代の平和の象徴になり得る子を」

「………何故だ。AFOならば貴様の意思で封じ込められているのだろう。怪我が酷いとは聞いたが、命に係わる程なのか」

 実質的な引退宣言にエンデヴァーは分かり易く動揺していた。

 この男がこうまで動揺を露わにするのは珍しい。

 本当に彼はオールマイトに拘っていたんだなぁと今更ながらに思い知った気分だった。

「怪我は大丈夫だよ。それより死柄木さ。現状、私は精神力でヤツをOFAの中に押し留めているに過ぎないんだ。だからAFOと初代だけを私の中に残して、他の継承者の力を次に渡したい。そうすれば私は片肺と胃が欠損した死にかけのオジサンで、万が一ヤツに乗っ取られても楽に処分が出来る」

「………その話は誰かに、」

「今初めてした。まずは君に話したかった」

「何故」

「もしAFOに乗っ取られたら、私を殺すのは君になるだろうから」

 

 相澤は自分を殺せなかった。殺さないという決断を下した。

 彼は合理的だが非情ではなく、むしろ情が深い男だ。次に同じことがあれば、彼は同じ決断を下すだろう。

 そしてオールマイトとは、実力的にも社会的にも処分するには難しい存在だという自覚がある。

 楽に処分出来る人材は限られる。

 

「………俺は隻腕だ。それにヒーローとしては古参で、引退はそう遠くも無い」

「これはヒーローとしての依頼じゃなくて、轟炎司という個人へのお願いだよ。長い間No.2として私のすぐ傍に居たんだから、これは君に熟して貰わないと困る」

「いくら衰えようと俺が貴様に勝てるとは思えん」

「勝てるさ。一度勝ったじゃないか。なら次も勝てる」

 エンデヴァーが『オールマイト』に打ち勝ったと燈矢から聞いた。

 勿論燈矢の火力も合わせてだと知っているが、しかし、それでもエンデヴァーの戦果だ。

「次に君が戦う私の中身は死柄木全さ。私じゃない────君は、私以外の全てに勝って来た。君の炎なら勝てない筈が無い」

「貴様は本当に嫌な事ばかりを言う」

「でも事実だろう?」

 まさか勝てないとは言わせない。顔の全部を使って大きく笑う。

 

 1週間でオールマイトはかなり痩せていた。しかしエンデヴァーはその顔に、明確な信頼を見た。

「………任されるのは良い。だが、その代わりに頼みがある」

 一つ息を吐いて、エンデヴァーは冷えた声を出した。

 

「血液型を変える個性はあるだろうか」

 

 何が目的なのか言われずとも分かった。

 OFAの中を覗き込む。死柄木全がダルそうな顔で「ある」と答えた。

 

「………“抗原変態”という個性がある。血液情報を書き換えるんだ。血液検査による遺伝子検査ならコレで誤魔化せる」

「それを譲って欲しい。数時間だけで良い。その代わりに、何でもしよう」

 エンデヴァーが頭を下げた。

 この男が自分に頭を下げる日が来るなんて想像もしたことが無かった。

 本当に成長したんだな、と、感慨深かった。

「私は、全ての真実を晒す事が正しいとは思わない。しかし君の一存で行うというのなら、君は秘密を1人で抱えなければならないよ」

「覚悟している。一生、誰にも喋らない。冷にも、子供達にも」

「耐えられるかい?誰にも言えない秘密というのは重い」

 経験者として伝えると、エンデヴァーは静かに、「ああ」と頷いた。

 

「俺には重い方が良い。その方が、地面に足を着けて生きていける」

 

 

 

 

 

 

 焦凍は冷と共に中庭に居た。

 冷は日向のベンチに座っている。暑そうに見えたので傍らに置いてあった帽子を被せると、白い顔が上を向いた。

「あら、あなた……さっきまで燈矢と夏雄と冬美も居たのよ。入れ違いね」

「制服のサイズを合わせるんじゃなかったのか?」

「もう終わったわ。どうせ成長期ですぐ合わなくなるんだから、ちょっと大きめを買って詰めるのよ。注文も相澤さんが行ってくれたわ」

「………その、あの子は家に、」

「一人暮らしするんですって」

「そうか」

 

 冬美、夏雄、焦凍はこのままオールマイトの元で暫く暮らすことを決めた。

 しかし冬美は大学進学、夏雄は高校進学に伴い実家に戻る予定だという。

 焦凍についてはまだ決まっていない。雄英に進学するのなら冬美か夏雄が実家に戻るタイミングで一緒に帰るのが良いのだろうが、再び自分が虐待をする可能性があるので保留となっていた。

「ウチは雄英に近いでしょう。だからたまに帰って、大丈夫なのか様子を見たいって」

「それは、焦凍のためか」

「ええ。実家に戻って大丈夫なのか見極めて、考えたいって」

「考える?」

「色々あったから飲み込む時間が欲しいらしいの」

 そうか、と返す。たった1年で燈矢は多くの経験をして、恐ろしい程に成長した。

 しかしあの子には色々とあり過ぎた。思春期の子供が経験して良いことでは無かった。考え直したいというのも当たり前のことだ。

 むしろ結果を焦って己を焼く程だったあの子が、経験を飲み込むために時間をかけて考える決断を下したことに、何よりの成長を感じた。

 

 

 病院の中庭は花壇になっていた。季節の花が植えられていて、小路が花壇の隙間を縫うように伸びている。

 花壇の傍にしゃがんでいた焦凍は、冷と喋る自分をじっと睨んでいた。

 近づくと、随分と小さく見える。

 半冷半燃、最高傑作という要素を取り除いた焦凍は、兄姉と比べると控えめな性格の末っ子でしかなかった。

「その、兄さんたちは、」

「スタバ行った」

 端的な声が返る。警戒心が滲んでいる。

 母親を父親から護るために残ったのだと声色で分かった。

 

 優しい子だ。きっとヒーローの素質があると思った。

 焦凍の“個性”に関係の無いヒーローの素質について考えたのは初めての事かもしれなかった。

 

 小さい赤白の頭を撫でる。この子を応援したいと思った。

 焦凍だけではない。燈矢も、冬美も、夏雄も、応援してやりたかった。

 どの道へ行くにしても、どうか、胸を張って生きていけるように。

「何だよ……」

「何でもない」

 指先で個性を発動させる。初めて使う個性が、確かに発動したことを感じた。

 赤白の髪を掻き混ぜた。

「お前達が俺の元に産まれて来てくれた事が、嬉しいんだ」

「………」

「そう、改めて思った。俺には過ぎたる幸福だった。最初っから………」

 

 それだけで良かった。

 燈矢が産まれた時から、そうだったのだ。

 4人共、元気に産まれてくれた。少しずつ大きくなって、お父さんと呼んでくれた。

 それは何処にでもあるような奇跡で、紛れもない幸福だった。

 

 焦凍は怪訝な顔をして、しかし、頭を撫でる手を掃おうとはしなかった。

 今度は間に合った、と思った。

 

「産まれて来てくれて、ありがとう」

 

 

 

 

 

 ■  ■  ■

 

 

 

 

「お母さんがキャラメルマキアートのトールで、焦凍は抹茶クリームフラペチーノのトール。燈矢兄と夏君は?」

「ホワイトモカのグランデ」

「チャイティーラテのトール」

「じゃあ私はダークモカチップフラペチーノのグランデ、チョコソース追加モカシロップ追加ホイップクリーム増量ね」

「クッッッソ甘そう」

「でも美味しいのよ。部活帰りに友達とよく飲むの」

「へぇ。夏君は部活帰りに遊んだりしないの?」

「腹減ってるからコンビニとかラーメン屋ばっかり行くな」

「男子~」

 長いレシートを受け取りながら後ろを振り返る。長い列が並んでいた。

 見れば、受け取り口にも少なくない人数が並んでいる。車椅子の燈矢はどう見ても邪魔だ。

 しょうがなく冬美と夏雄の2人が長い列に並び、燈矢は慣れない車椅子をキィキィ鳴らして人混みから遠ざかった。

 

 

 

 だが車椅子での移動が許可されたのはつい先日で、まだ慣れない。さらにセントラル病院は国内有数の大病院で非常に広い。

 

 動きづらい車椅子に四苦八苦しながら廊下を数回曲がると、あっという間に迷子になった。

 後ろを振り返るも同じような廊下と部屋が延々と続いている。来た道を戻るべく再び廊下を曲がると、やはり知らない場所に出る。

 

 まぁしかし、安全が保障されている病院内なので燈矢は全く焦っていなかった。

 オールマイトとエンデヴァーが入院しているということで警備も厳重である。

 誰か適当に捕まえて道を聞こうとキコキコ車椅子を転がしていると、見晴らしの良い煉瓦道に出た。医療関係者専用の屋外通路らしく人通りは少ない。

 久々の外気は素晴らしく心地よかった。中庭は散歩中の患者が多くてどうにも狭苦しい。

 

 そこで白衣を着た医者が目の前を通り、あの、と声をかけた。

「すみません、その、迷子になっちまって。スタバってどっちですか?」

 仕事の邪魔をされた医者は苛立つでもなく、柔らかい印象を与える微笑みを浮かべて振り返った。腕には血液検査用の試験管を大量に抱えている。

 

 

 医者は刺身のツマみたいなツラをしていた。

 

 

「………アハァ、やあ燈矢君。久々だねぇ♡いやぁ君が生きててホントに良かった。子供は国の宝だからね……」

 

 喉が引き攣った。間違いなく、レザーフェイスだった。

 何故此処になんて聞かずとも分かる。

 この病院にはオールマイトとエンデヴァーを筆頭に、先の戦いで負傷した多くのヒーローが入院している。

 個性因子を盗みに来たのだ。

 

 掌に蒼炎を出す。しかし太い首には小型の人工子宮がネックレスみたいにつり下がっていた。中には赤く光る眼球が納まっており、炎がかき消される。

 

 両脚はまだ治っておらず、立ち上がることも出来ない。“抹消”を奪う事は不可能だ。

 スマホは病室に置いて来ており、救援は呼べない。肋骨が折れているので大声を出すのも難しい。

 八方塞がりだ。せめてもの足止め代わりに声を張り上げた。

「テメェ、いくつ“抹消”作ってんだよッ、」

「この子はシェーンちゃんだよ。“抹消”なんて名前じゃない。個性名で人を呼ぶなんて差別的だからおやめなさいな」

「個性で赤ん坊の価値を計る以上の差別があるかクソ差別主義者め!」

「酷いなぁ、僕はどんな子も等しく愛しているってェのにね」

 レザーフェイスはポテポテと職員用駐車場に向けて歩いた。後を追って来る車椅子を撒くでもなく、気にせず普通に歩いている。

 その後を必死に車椅子で追う。

 

「あ~それにしても良かった良かった。最悪のヴィランは倒され、ヒーローの大勝利。これにて一先ず大団円。あとは平和ボケしてヒーローの数を削減するだけだ。予算は何より優先されるもんね?」

「それに乗じてまた『オールマイト』を公安に売りつけるのか!あんな失敗作、レディ・ナガンが欲しがるわけねぇだろうが!」

「失敗作なんかじゃないよォ。僕は最初っから、あの子は産まれてすぐに死を選ぶと理解した上で創ったンだから。あの子はあれで良かったのさ」

「ッ、すぐ自殺するって分かってて何で作った!」

「産まれた命に「何で」なんて質問はナンセンスの極みだ。命の価値は長さに依るものじゃない」

 

 レザーフェイスの足は、決して速くはない。

 しかし未だ回復していない体は慣れない車椅子を動かす事に既に疲れていた。

 息も絶え絶えの燈矢の前でレザーフェイスはステップを踏みながら先へ向かう。

「テメェがそれを言うのか!?何で、お前、何が目的で、いや、どうしてっ、」

「僕の目的は一つさ。この世全ての人間が愛され、何の苦しみも無く生きて欲しい。そのために全人類を胎児にしたいんだ。こんな地獄に誰も産まれない世界にしたい………」

 

 

 

 気付けば駐車場の前に辿り着いていた。

 その手前には小さな階段がある。

「浮世は辛い。誰もが産まれてから死ぬまで劣化の一途を辿っている。悲しいね。生物の原罪だ。こればかりは神も庇っちゃくれなかった」

 レザーフェイスは階段を上った。

 階段の下から睨みつけると、試験管を持った手が手招きする。

「君もそう思わないかい?失敗作の烙印を押されるくらいなら、いっそその前に処分されたかった、なんて。こんな地獄で生きるくらいなら────」

「無い」

 自然と声が出た。

 

 実際のところは、分からない。もしかしたら一度くらいはあったかもしれない。

 しかし今はもう、そうは思わなかった。

 生きていれば考えが変わるなんてことは良くあることだ。

 

 それはつまり、生き残った者の特権だった。

 

「俺は、産まれて来て良かったと、胸を張って言える」

 

 

「……君と此処でお別れなんて、ザンネンだよ燈矢君。君とはオトモダチになれると思ったのに」

「待て!」

 レザーフェイスはシクシクと泣き真似をして、踊るように半回転した。

 そのまま古い洋楽を歌いながら、暗い駐車場の奥へとステップを踏む。

「テメェ、ンな頭のイカれた発想が実現する訳ねぇだろ!!何考えてやがる!!」

「実現するかどうかは僕の娘が決めることさ。君のお父さんと違って、僕は娘に強要しない。名前もやっと付けられたんだよ」

 

 足音が遠のき、背中は暗がりに沈んで見えなくなる。

 声だけが僅かに反響した。それも行き交う車にかき消される。

 

 レザーフェイスが続けた言葉は燈矢には聞こえなかった。 

 

「名前はね、壊理ちゃん♡」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この日を境にレザーフェイスは表舞台から姿を消した。

 多くのヒーロー、警察がレザーフェイスの消息を追ったが、発見することは叶わなかった。

  

 レザーフェイスの名は犯罪史の隅に残るばかりである。

 

 

 

 

 

 

 

救、再誕編/BOW AND ARROW 終

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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